月の欠片――安住の地――


ピサロナイトが勇者マリアを探す旅を始めて、すでにふた月。
ひとつの街に数日は滞在して周辺まで探す必要があるため、そろそろ彼一人の力では限界が見えてきた頃だ。
勇者マリアはひとところに留まらず転々と暮らしているのではないかと考えが、少しずつ彼の頭の中では大きくなってきて、半ば諦めかけていると言えるほどに、彼の心は折れる寸前まで来ていた。
あと三か所の街や村。
それだけ回ってみつからなければ、一度だけピサロに応援を頼んではどうかと考える。それは、普通の神経であれば誰もが思うことだろうし、それでも彼は十分すぎるほどに粘ったと言える。
基本的に魔物達は、たとえピサロの命令であろうと、長期的な努力とか忍耐をあまり得意としない。
それを考えると、ピサロナイトは「魔族の青年」であり、魔物達とはまったく異なるもので、むしろ努力も人一倍続けるほうだ、。
彼は相当な労力と精神力を使って、ピサロの期待に応えるべく力を尽くしてきたつもりだった。
それでも、みつからないものはみつからない。
出来ないものは出来ないのだ。
この広い世界の中、たった一人の人物を探すなど到底無理に違いない。
事実、あの勇者がまだその頭角を現す前にピサロが探し当てたのだって、ピサロ一人の力のわけではなかった。
しかも、相手は逃げずに一か所にいたにも関わらず、それには何年もの年月が要されたではないか。
そう思えばこの鬼ごっこがどれほど不毛で、生きる時間の無駄遣いかということがわかる。しかし、彼は一度はほぼ死んだ身の上、今の自分の命は完全にピサロのものだと考えていたため、それもまた仕方がないと思うしかなかった。
(この任務を受ける時に、無理ではないかと一瞬だけ思った。その、初めの諦めがこのような結果を導いたのだろうか)
ピサロナイトは小さくため息をついた。が、落ち込んでも何も良いことはない。
彼が次の行先として決めたのは、小さな島にぽつりと存在する村だった。
その村には名前がなく、ピサロから与えられた地図にも小さく「海辺の村」と書かれてあるだけだ。
それは、決してその村をぞんざいに扱っているわけではない。
本当にその村には名前がついていなかったため、そうとでも呼ばなければ他の名もない村と区別が出来ないのだ。
治めている国すらわからぬ、曖昧な立場にあるような村はいくつもある。
それらは決してお互いが地理的に近くにはないため、己と他の村を区別するための呼び名を必要としない。
村人たちに聞けば「海辺の村とでも呼べば良いよ」とあっさりと答えるのが関の山だ。
(夜になれば、何か違うかもしれない)
ピサロナイトは、以前にその村に一度足を運んでいた。
潮の香りが強烈に満ちた場所だったが、同じく海と隣接しているリバーサイドの町に比べると、こちらの方がやや原始的な暮らしをしているのだろうと思える素朴な家々が建っていた。その建築様式もその島独自のものなのだろうと思えるほど、他の町村よりも大分単純なものだった。
あまりに小さな村のため、一刻もそこにいれば村人全員の顔を覚えてしまうほどで、二刻もいればどの家に誰が住んでいるのかすら覚えてしまうほど。
その時は宿屋の主人に「村にいればそんな鎧を着込む必要はない」と言われて無理に脱がされ、どこからどうやって来ただの、どうやって帰るつもりかだの、あれこれ根掘り葉掘り聞かれた。
一度もその村に来たことがないピサロナイトがキメラの翼を使ってくることもおかしい話だったし、かといって船で来た人間がほとんど村に滞在しないで帰っていくのも不審がられる。まったくもって面倒なことだらけであった。
ピサロナイトはこのように、ひとつひとつの村、町で人に聞かれるたびに「この町にやってきた理由で不自然ではない言い訳」を作らなくてはならず、それに毎回苦労をした。 それは、海辺の村でも例外ではない。
そして、この村では言い訳に苦労をした割にはあっけなく「勇者マリアはいない」と知ることが出来て、あっさりと帰ることになってしまったことを、彼は覚えている。
が、たまたま彼はその時に村人からの話で「夜なると海の潮が相当な量引く」ということを聞いておらず、後で他の町に回った時にたまたまその話を耳にしたのだ。
一度目に彼がその村に訪れたのは昼間のことだった。
であれば、念のために夜も行った方が良いのではないか。
状態が変化する場所は、変化前と変化後はどちらも確認するべきだ、と彼は慎重になった。
こうして藁にもすがる思いで、彼は海辺の村に足を二度運ぶことになったのだった。


日が傾き始めた頃海辺の村に着いたピサロナイトは、そのまま一人で夜までふら付いていても不審がられるため、仕方なく宿屋に泊ることを選んだ。
先日やってきた時に宿帳に名を書き入れながら、あれこれと質問され続けたのは彼にとってはあまり良い思いでではない。
しかし、きっと宿屋の主人は彼のことを覚えていてくれるだろうし、二度目はそう質問責めをされないに違いない。彼はそう自分の気持ちを奮い立たせて、村の宿屋に足を運んだ。
すると、辺境の小さな村の小さな宿屋だというのに、何やら複数の見知らぬ――とはいえ、ピサロナイトが前回訪れた時よりも住民が増えているのかもしれないが――男女が宿屋の前に立っている様子が見える。
(・・・あれは、宿屋に泊る人の列なのか?)
前回来た時のことを教訓とした彼は、今回は初めから甲冑を脱いでいた。
エルフ、ホビットなどはこの島にはまったく存在しないため、胡散臭く思われぬように彼は革の帽子をかぶってその中に魔族らしい耳をうまく隠している。
宿屋からわずかに離れたところで耳を澄ませば、人々のざわめきの中から「漂着して」「助かった」という言葉を聞き取ることが出来た。
どうやら、たまたまこの島に船で流れ着いた人々が、村を見つけて助けを求めに来たようだ。
確かに、そういうことでもなければこの村に大量に人が押しかけることもあるはずがない。
そして、ほんの12、3人が集まっただけで、この村にとっては「大量」と呼べる人数なのだ。
「あの人数では、宿屋にも泊まりきらないだろうな」
ぼそりと呟くと、宿屋の主人が人数を数えながら外に出てきた姿が見えた。
ちょうどそれを見ていたピサロナイトは、主人と目が合った。
「おお!あんた、この前来た兄ちゃんじゃないか!」
(しまった)
目立ちたくないのに。
漂着者のおかげでちょうど良い隠れ蓑が出来た。
彼のその二つの思いを完全に打ち消すように、主人は大声をあげて小走りに彼に近づいてきた。
と思えば、ピサロナイトの腕をつかんで、くるりと宿屋の列に背を向けるようにして小声で囁く。
「今日はどうしたんだ?観光ってわけじゃあないだろう?」
「・・・いや・・・その・・・」
「それで、突然の話なんだが、あんた、この前、なんとかの翼とかいう何かで帰るとか言ってなかったかい?」
宿屋の主は「どうした」と聞きつつも、彼の話をどうやら聞く気はないらしい。
「ああ、キメラの翼のことか?」
「そうそう、それそれ」
ピサロナイトの肩ぐらいまでの上背の、齢50ほどの主人は背伸びをしてピサロナイトに耳打ちをした。
「あそこにいる人達はどうも、この島にたまたま上陸しちまった人らしくてね。こっちゃ商売になるからありがたいんだが、なんせ人数が多すぎる。うちの宿屋にゃ、多くたって6人程度しか入らないってのに、全部で14人もいるんだからなぁ」
「それは大変だな」
「鈍い兄ちゃんだな。そこで、あんたの持ってるなんとかの翼ってやつで、数人お帰りいただくってのは、出来ないのかと思ってな」
この村には、空間移動の魔法の力が込められた、キメラの翼というアイテムを売っていない。
よって、今日のような漂着者が来ても、彼らが自力で船を作り直して帰るまで、村人たちはどうにもしようがないのが常らしい。
もちろん、そう簡単に漂着者が現れるわけでもないし、中にはそのままこの村の人間になる者もいるのだが、今回は勝手が違う。
「・・・しかし、一人が帰れば、どこかでキメラの翼を購入してきて、一気に全員帰ることが出来るぞ?それに、ひとつで数人は移動出来るのだし。そうなったら宿屋に泊る人間が誰もいなくなる。何も儲けられないだろう。数人だけ帰ってください、という都合が良い話にはならないに決まっている」
ピサロナイトのその正論を聞いて、目で見てわかるほどに宿屋の主人は肩を落とした。
「やっぱり駄目かぁ〜、そもそも困った人から金を取ろうという発想がいかんのかぁ」
という小さな呟き。
しかし、彼のぼやきも仕方がないことで、この村に宿屋なんていうものがあるのがそもそもおかしいのだ。
ことの始まりは、同じように昔漂着した人々がいて、同じような境遇の人間が来た時に力になれるようにと宿屋を作ったことからだったのだが、それを知る者は今はここには誰もいない。
実際宿屋は閑古鳥で、この主人も普段は漁に出たり狩りに出たりして生計を立てているのだから、こういう時に限って儲けようというにもおかしいし、けれど、寝床を提供するならばいくらか褒美が欲しいと思うのも当然といえば当然だ。
彼は最初に宿屋を始めた先祖ではないから、漂着者達に同情をするとしても、14人分の寝床と料理を無償で提供するほどの懐の深さは持ち合わせてはいないのだ。
主人の後ろから、漂着したらしい男が「他に寝泊まり出来る場所ないんですか!」と声を荒げるのが聞こえる。
周囲の村人達も突然のことでおろおろしたり、うんざりしたりと、ほとんど宿屋の主人任せになっているようだ。
漂着者のうち何人かは他の村人に連れられて観光にもならない村案内をされているが、飽きて宿屋に戻ってくるのは時間の問題だ。
ピサロナイトは仕方なく、キメラの翼を宿屋の主人に渡そうかと道具袋へと手を伸ばした。
すると、その時
「ホーセルさん、わたしの家、片づけたから大丈夫よ!」
と、ひとつの家から、台所仕事用の前掛けをつけ、頭を布で覆っている女性がひょっこりと現れ、大声で宿屋の主に声をかけた。
それを聞きつけた宿屋の主はピサロナイトの傍からさっさと離れて、その女性のもとへと小走りで近づいていく。
「えっ、いや、だってそれは申し訳ないだろう。アリシアさんが困るだろう」
「いいの。だって、この村で一番大きい家はここでしょう?たまたまここが空いていたからわたしが借りているだけで、それに、わたし荷物もないからずっとがらんとしているの。毛布だけでもなんとか出来れば、8人くらいはごろ寝出来るもの。そしたら、残りの人はホーセルさんのところで眠らせてあげられるじゃない?まあ、宿代を全員からとるってわけにいかないけど」
「でも、それじゃあ」
「大丈夫よ。誰かのおうちの床をちょっと借りて、眠らせてもらうから。最悪でもね、わたしこう見えても野宿は得意なの」
「アリシアさん」
ピサロナイトは、彼女が出てきた家を見て驚いた。
その家は、先日ピサロナイトがこの村にやってきた時は子連れの一家が住んでいた場所で、そこから出てきたその女性にはちっとも見覚えがなかったからだ。
(まさか)
髪を覆っている布を、どうにかはずしてくれないか、ちらりとでも髪色を確認出来ないだろうか、とピサロナイトは焦れた。
「さっき話を聞いたら、あそこにいる女の人が魔法を使えるって言ってた。今は疲れていて出来ないんだろうけど、きっと明日になればあの人がルーラの魔法を使えるぐらいには回復すると思うから、今晩はどうにか止めてあげたらいいわ」
「ええ、と、魔法って・・・」
「とにかく、明日になれば大丈夫なのよ。あの人達」
魔法だとか、ルーラだとか。
休めば回復するだとか。
この村にいれば一生わからないだろうそんな話をいっぺんにされて、宿屋の主人は困惑を隠せなかった。
が、彼は彼女の言葉に勇気づけられたようで
「アリシアさんも旅をしていたんだもんな。じゃあ、あんたが言うことは、きっと間違っちゃいないんだろう。わかったよ。ありがたく、あんたの家を一晩借りることにする。ありがとう」
「ううん。もともと、この村にあった家だもの。わたしの家じゃあないわ」
「夕食を作るのが大変だ。それは、手伝ってもらえるんだろう?」
「うーん、パンを焼けばいい?相変わらずそれしか自信ないの」
「もちろんそれで十分だ。いくらわたしでも、突然14人の夕食を作れと言ったらどうにもならないからね。ヘイン達が魚は焼いてくれるらしいんだが・・・ああ、そうそう、兄ちゃん、あんたも、泊まりに来たんだったかな!?」
しまった、とピサロナイトは焦った。
この村に来てから宿屋の主人の喋りの、あまりの展開の早さについその場に立ち止まっていたけれど、明らかに今自分は目立っている。
彼の関心はすでに宿のことではなく、宿屋の主人と話している女性にあり、けれど、だからといって深入りしたいわけでもなく、その場から姿を消して様子を見るにもこの村は閑散としていて隠れる場所もなく・・・。
最悪だ、と思いつつ、既に目立ち過ぎるほど目立っている彼は、観念をするしかなかった。
「そのつもりだったが・・・」
もし、宿屋の主人と話している女性が彼が捜していた人物ならば、一刻も早く知らせなければいけない。
しかし、彼女に疑われずにこの村から逃がさないまま、どうやってピサロに報告をすればよいだろうか。
奇妙な動きを見せれば、彼女はすぐに気づくに違いない。
なんといっても、彼はガーデンブルグでは彼女を一度とり逃しているし、その際、彼自身の容姿がどれほど彼女に伝わっていたのかもわからないのだ。
そんな彼の気持ちを見透かしたように、次の瞬間
「この人、一人ぐらいはどうとでもなるでしょうけど、ホーセルさんが宿代を取りたいなら、それなりの場所を提供しないといけないものね」
そう言いながら頭にかぶっていた布を彼女は取り払い、ふう、と息をついた。
布からの圧迫から解放された彼女の髪は、まるで零れるようにふわりと広がる。
その、彼女の肩につく長さの巻き毛は、他に見たことがない緑色だった。


海の満ち引きを見に来ただけだから、宿泊の必要はない。
そうピサロナイトが告げると、宿屋の主人は安堵の表情を浮かべた。
主人は「次来た時は寄ってくれよ」とだけ言うと漂着者達の世話をするため宿に戻り、忙しそうに働きだした。
緑の髪の彼女も、大きな麻袋を家から持ち出して「パンをたくさん焼くから、かまどを後で貸してくれる?」と、隣の家の老婆に声をかけてあちこち動いていた。
彼女の様子を見れば、確かに宿屋の主に頼まれたように彼女はパンをこれから焼くのであろうし、その間だったら一度キメラの翼を使ってピサロのもとへと戻れる。
だが、髪色だけでは判断をするわけがいかず、ピサロナイトは少しばかり困惑していた。
(とにかく緑の髪の女性がいる。確認してくれ、とピサロ様に言えばよいか)
それは、いささか乱暴な話であり、逆にピサロの怒りを買う結果になるかもしれない。
彼がそう困惑しているのには理由があった。
人というものは、一日二日、いや、一年程度でも、そうそう簡単に変わるものではない。
けれども、彼が見つけたその「アリシア」と呼ばれた緑の髪の女性――正直なところ、彼には「女性」と呼ぶのか「少女」と呼べばいいのかも判断つかなかったが――は、「違う」と彼は思ったのだ。
これは、勇者マリアではない、と。
(覚えているのは)
機敏な動作で仲間に命令をする、凛々しい表情。
被った兜からわずかにこぼれ出ている髪の色はやはり珍しく、口上も短く始まった戦いだと言うのに印象に残っている。
彼の脳裏に残っていたそのイメージと、ガーデンブルグで鮮やかに逃げて行った様子は合っている。まさかあの少女が、とか、そういった驚きは彼にはなかった。
けれども、このアリシアと呼ばれる、この村の新参者らしい彼女はそうではない。
(普通だ)
それが、彼の印象だ。
しかし、先ほどの宿屋の主人との会話を聞けば、どうやら彼女はこの地にそぐわぬほど魔法についても知っていたし、野宿も得意だと言い放っていた。
それらの内容は勇者マリアであることと符合する。
彼が以前ここを訪れた後にやってきたその人は、本当に勇者マリアなのだろうか。それとも、まったくの別人なのだろうか。
(しかし、緑の髪を持つ者なぞ、どこにいっても)
いなかった。それは事実だ。
海辺の村は海岸線に密着した村であり、「村の中」に海岸があると表現してもおかしくない。
村に吹く風は完全に海風で塩分を含み、ピサロナイトの肌にまとわりつく。
それを少しばかり不快に思いながらも、海辺では甲冑を着ない方が良いのだということを今更ながら思い出す。
ざざぁ、と波はゆっくりと、彼の耳に繰り返し繰り返し、同じようで毎回違う音を届ける。
彼は深夜に向けて少しずつ引いていく海岸を眺め、また村の人々の様子、宿屋の様子、彼女の動きなどを、ちらちらと伺っていた。
彼女は一度だけちらりと彼の方を向いたけれど、気にする暇もないようで、植物の大きな葉に乗せた焼き魚を足早に運んでいった。
それを見ると余計に「違うのではないか」と彼は思う。
ガーデンブルグでは、国に入った途端に彼女に情報が筒抜けで逃げられてしまった。
それほど慎重な人間ならば、不審人物であるピサロナイトを見ただけで、この村から消えてもおかしくないはずだ。
けれども、彼女はそうはしなかった。家を片付け、人々のために毛布を運び、パンを焼き、今また別の家で大量に焼いてもらった魚を運んでいく。
それから井戸の水を汲み上げ、左腕で木製の大きなバケツを持ち、女性とは思えぬ持ち上げっぷりで水を運んでいった。
(・・・力は強そうだ)
ピサロナイトは、ゆるやかに引いていく波、上っていく月を見ながら、耳の奥まで響く海の音をじっと聞いている。
少しばかり、疲れた、と彼は砂の上に座り、ほのかな月明かりに照らし出される白波を見つめた。
欠けた月の光は今日は弱弱しかったが、波間を観察するには十分すぎるほどだ。
(相当に疲れる日々ではあったが・・・おかげで、この世界の多くの場所を回ることが出来た。それでも、ピサロ様の期待には添えなかったかもしれないな)
ようやく見つけた、と思った挙句、本人かどうかがわからない。
それは初めから多少の懸念はあったものの、ここまで惑うとは思えなかった。
(切りつけてみるか?)
勇者マリアならば、なんらかのリアクションをとるに違いない。
それが一番手っ取り早い確認の方法だと彼は思った。
(しかし、ピサロ様は見つけたら接触をせずに、すぐに報告しろと)
彼の思考は堂々巡りだ。
見つけたらも何も、接触してしまったのだから止むをえまい。
確認が先だ。
もしここで逃げられたならば、覚悟を決めてまた追うしかない。今度は、容姿がはっきりわかっているのだから、探しやすくなるに違いない。
彼はそう決めて、海から視線をはずして村を眺めた。
点々と小さな家屋が並ぶだけの、集落と呼んだ方がよさそうな小さな村。
その家屋の窓からはどこからも灯りが漏れており、人の行き気はすでにほとんどない。
宿屋とアリシアの家だけが大賑わいで、他の家のほとんどは、みな家の中に入っており、誰も出てくる気配はまったくなかった。
(そういえば、彼女はどの家で寝ることにしたのだろうか)
誰かの家の床にでも、と言っていた。そのことを思い出して、ふとピサロナイトは他の家屋に目を移した。
その途端、一軒の灯りがふっと消える。
彼は知るはずもないことだが、その明かりが消えた家は、早朝から近海の漁に出る親子が住んでいる家だ。夜は早く、朝も早い。
(この村は、寝静まるのが早いのかもしれない。ならば、早めに動かなければ)
いくらなんでも、彼女が他人の家で眠っているところを襲うわけにもいかない。
先ほど、アリシアは宿屋に何かを運んで行った。
彼女はきっともう一度、自分の家に戻るのだろうと思う。
ピサロナイトは腰をあげた。
宿屋と彼女の家の距離は然程あるわけではない。だが、その行き来の最中に切りつけることぐらいは容易に出来るだろう。
立ち上がると、水を含んだ砂に足の裏がめり込む。
軽く尻についた砂を叩き落とすと――それはずいぶんぞんざいだったが――彼は腰につけた剣の柄に一度手をやった。
彼女は、武器を身につけていなかった。
そういう相手に剣を抜くことは彼にとっては本意ではないが、威嚇のようなものだから仕方がない。
そう心に決めて歩き出そうとした時。
ちょうど彼女が宿屋から出た姿が、彼の視界に入った。
(しまった)
ピサロナイトは舌打ちをする。
あまり近くでじろじろ見ているのも不審がられると思い、少し離れた場所から観察していたため、彼女が自分の家に戻る前に彼女に近づくには走らなければいけない。
面倒だが、声をかけて呼びとめようか。
そんなことを彼が思っていると
「・・・?」
彼女は、明らかにピサロナイトの存在を確認して、何故かこちらに向かって歩き出した。
ピサロナイトは警戒をして、彼女が本当に武器を持っていないのか、何を手にしているのか、を遠目からじろじろとあからさまに確認をした。
その視線を何とも思っていないように、あっさりと彼女はピサロナイトの目の前までやってくる。
「何か、用か」
「引き潮を見たら帰るって聞いたけど」
「・・・ああ」
「お腹すいてないの?」
そういって、アリシアはパンが入っているかごをピサロナイトの方へと突き出した。
それは、「食べていい」という許可を表わす。
「いや、いい」
「遠慮しなくていいのに。わたし、パンだけは得意なのよ。知ってる?パンを作る時にこねるのってね、力がいるんだから。わたし、力は自信あるんだよね」
そう言うと、彼女は湿った砂の上に腰をおろして、自分が持ってきたパンにかじりついた。
彼女が何をしたいのか理解出来ないピサロナイトは困惑の表情を浮かべ、その背後に立ったままだ。
あまりに無防備すぎる彼女の背を見ると、冗談でも剣を抜くことが躊躇われた。
と、彼女は変わらぬ口調で彼に話しかける。
「あなたが、ずっと追っかけていたの?」
「・・・何・・・?」
「あなたが、わたしをガーデンブルグまで、探しに来た人なの?」
その言葉で、ピサロナイトは鼻の上に皺を寄せ、うめくように呟いた。
「・・・!・・・やはり・・・お前が、勇者マリアか!」
ピサロナイトのその言葉に答えず、彼女はパンを更に一口かじって、呑気にもぐもぐと咀嚼をした。
「殺しに来たの?それとも、連れて来いとか、ピサロに言われた?伝言程度は聞くけど。殺されるのも連れて行かれるのも断るわよ」
「・・・わたしが追手だと気づいて、何故逃げなかった」
「だって、あのまま放っとけないでしょ。ホーセルさんには、この村に来てからすごいお世話になってるし、漂着した人達だって久しぶりの陸で舞い上がってるし大変よ。あなたから逃げるのは、ルーラでいつだって出来るしね。今までそうしていたように」
「わたしが追手だと、すぐにわかったのか」
「うん」
「そうか」
最早、それが何故なのかを問う必要もないと思える。
「殺すわけでも連れていくわけでもない。お前は、わたしが何もしなければ、まだこの村に留まるか?」
「まさか。だって、殺しもしなくて連れていかないなら・・・あとは、来るしかないじゃない?」
「来る?」
「来るんでしょ。あいつ。こんな面倒なことになるなら、やっぱりあの時殺しておけばよかったかなぁ。でも、それじゃあロザリーが可哀想だものね」
そう言って彼女はピサロナイトを見上げ、もう一度かごを彼の方へと突き出す。
「食べて。わたし、このかごを使いたいの。一人であと二つも食べるのは大変だから、協力して」
「・・・」
何故わたしが。
そう言おうとも思ったが、ピサロナイトは立ったまま、そのかごに入っていたパンを一つ掴み、口へと運んだ。
彼女の様子や語りかける声、何もかもそれらは彼の予想とは違っていたが、そのパンの味だけは彼の想像通りの「素朴で普通にうまい」ものだった。
「・・・お前は、ピサロ様と会う気がないということか」
「会ってどうする気なの、あいつは」
「それはわたしにはわからぬ」
「あなたは、ロザリーのこと知ってる?」
「知っているも何も、わたしがお前と剣を交えたのは、ロザリーヒルでのことだ」
「・・・」
ピサロナイトの言葉に「マリア」は彼をまじまじと見つめ、それから少し考えた風に眉根を寄せた。
「緑の、甲冑の」
「そうだ」
「へえ、中に入ってたのは魔族の人だったのね。じゃあ、話は早いわね。わたしは、ロザリーが悲しい気持ちになることをこれ以上したくないの。わたしの場所をピサロに教えたら、わたしをまたやつが直接殺しに来るか、それとも」
それとも。
彼女はその続きを言うことを躊躇したのか、言葉を選んだのか、そこで一旦止めて口を引き結んだ。その表情は強張り一瞬にして物思いに入ったが、ピサロナイトがパンをもう一口かじった動きで、はっとそれから覚めたようだった。
「・・・とにかく、また逃げるわ。そうしたら、あなたはまた追っかけてくるの?」
「それは、ピサロ様からのご命令次第だ」
「大変ね」
他人事のように彼女は肩をすくめて、立ちあがった。
「ほら。もうあそこまで波が引いた。夜になって潮が引いた後ってね、いっぱい海藻とか貝が落ちてるのよ。もう少ししたらわたしはそれを拾うの。それが、この村でのわたしの係」
彼女はかごにもう一個だけ残っているパンに、またかじりついた。
「やっと、空いた」
「うん?」
「かご」
どうやら彼女は貝を拾う為にそのかごを使いたかったらしい。
ピサロナイトの目の前で彼女は靴をあっさり脱ぎ棄て、パンを食べながら砂の上を歩きだした。
どこの町にもいそうな、当り前の町娘のような服装。
彼女が歩くとふわふわとスカートの裾は揺れ、少し小走りになると前掛けの紐を結んだリボンが背中からひらりと伸びていく。
白波と平行に歩いていくその様子は、やはり「勇者マリア」とは思えなかった。
(今すぐピサロ様に伝えに行けば)
律儀なところがある彼女は、「わたしの係」を放棄しては消えないかもしれない、と彼は考えた。
ピサロナイトは手持ちの道具袋に食べかけのパンを無造作に入れるとキメラの翼を懐から取り出し、デスパレスへ移動するように念じた。
もしかしたら、彼女は逃げるかもしれない。それは可能性として低くはなかった。
それでも、既に接触してしまった以上はどうしようも出来ず、ピサロの命令通りに動けなかったのもどうしようもない。
それらへの言い訳を彼はする気はなく、ピサロからの叱責を覚悟で姿をそこから消した。
キメラの翼は正しくその力を発動したのだ。


彼の気配がなくなったことに気付き、離れた場所まで歩いていたマリアは、砂の上に大量に落ちていた海藻をずるずると引き摺りながら、彼がいた方向へと視線を向けた。
「あーあ、行っちゃった・・・この時間、あいつ、ロザリーと一緒にいるだろうにね」
そう慌てる風でもなく呟くと、マリアは手近に落ちている貝を一気にかごにいれ、引きずっていた海藻を一ところにまとめた。
海水で足を軽く洗って、濡れたまま靴を履く。
「あの男、思ったより話がわからないやつだったな。仕方ないか」
その小さな呟きと共に、マリアの両目には、わずかに涙が浮かびあがる。
どうして、放っておいてくれないのだろうか。
「パンの分、少しは容赦してくれると思ったのに」
最初に見た時から既に疑わしいと思っていた。それでも、自分の緑の髪を見せたときに強引にことを起こそうとしなかった彼を見て、もしかしたら話せばわかる相手なのかもしれないと少しばかり期待をした。それは過大評価だったのだろう。
朝、海水が満ちた時に水をかぶらない場所。井戸の傍。
そこに採ったばかりの海藻と貝を並べて、彼女は軽く手を洗った。
それらはいつも採っている量の半分にも満たない。いつもはもっと時間をかける。
明日は漂着者達に朝食を提供するため、宿屋の主は大変だろう。本当ならばいつもよりたくさん海藻や貝を採って、それを提供してあげたいところだったがそうもいかない。
そう思って彼女は、前もって自分の家のかまど付近に野菜スープを作った鍋を三つ並べておいた。料理にはあまり自信はないけれど、昨日採った貝が入っているから、そこから旨みが出てそれなりの味になっているはずだ。
(ホーセルさんが、みつけてくれるといいな)
それから、飼っている鶏。
彼女が住んでいる家に以前いた家族が置いていった鶏達にも、愛着がわいた頃だった。
生まれ故郷では鳴き声をあげる動物をほとんど飼えなかったため、彼女にとって鶏の飼育はまったく初めての事だらけだったし、生んだ卵を自分で調理することも、この村で初めて覚えたことだった。
そのことに思いを馳せて、一瞬だけ彼女は動きを止めた。
(いい村だった)
彼女は、肩から斜めにかけた小さな革製のポシェットの蓋を開けて、中に僅かな金があることを確認した。
それから。
月灯りの中、ぐるりと村の様子を眺め、一度だけ深く頭を下げて。
彼女はあまりにもあっさりとルーラの呪文を唱え、海辺の村から姿を消した。
ここも、彼女にとっての安住の地にはならなかったのだ。



Fin


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モドル