月の欠片――それは呪縛のように(1)――

ピサロナイトは、勇者マリアと遭遇したということをピサロに伝えたが、それは時既に遅いことだった。
本来ならば、彼女を発見した時点でピサロに伝えなければいけなかったところ、やむを得ぬ状況ですぐにピサロに伝えることが彼には出来なかった。
それでも、いちかばちかで彼女との接触後にピサロに伝えたものの、彼の主は
「もう、他の場所に移動しているだろう。今から戻ったところでとんだ無駄足だ」
と、彼の言葉を一蹴した。
確かにそれはピサロが正しく、もう一度ピサロナイトが海辺の村に戻った頃には、わずかな荷物を何の惜しげもなく置いたままで彼女の姿はきえていた。
ピサロナイトはようやく彼女をみつけたというのに、みすみす取り逃してしまったのだ。不可抗力とはいえ、それは主の逆鱗に触れてもおかしくないことだ。
だが、彼のその覚悟とは裏腹に、再度彼が報告に行くと彼の主は「そうだろうな」と一言呟いてしばらく黙った。そして最後に
「数日、ロザリーの警護に戻れ」
とだけ告げて、彼の退出を促した。
任務を完了することが出来なかったのだから、ねぎらいの言葉が与えられないのは当然だと彼は思ったし、そもそも彼の主は彼が任務を遂行してもあまり大げさにはねぎらわない。
飴と鞭の飴が彼にはあまり必要ないということを、主はよく知っているのだろう。
そのようなものがなくても、揺るがない主従。
ピサロナイトは命令通り、ロザリーヒルの塔でロザリーの警護に戻った。
戻ってきた彼に、ロザリーは何も聞かなかった。
きっと、彼女は「ナイトさんは、マリアさんをみつけられなかったのだ・・・」と失望しているのだろうと思う。
本当はそうではない。
けれども、それを伝えたところでどうしようもないことを彼は知っている。
だから、彼は沈黙を守った。
以前と何の変りもないと思えたロザリーヒルだったが、ピサロナイトが仮死状態とやらでいなかった間に、状況はいくらか変化をしている。
ロザリーが、時には塔から出て外へと出かける。
それへ、ピサロナイトは護衛として付き合い、人間がやっている道具屋での買い物付き合ったり、ホビット達とのおしゃべりを黙って聞いていることもあった。
ロザリーはピサロから「長く出歩いてはいけない」と強く言われていたため、用事を終えると寄り道もせずに塔に戻る。
彼女がそれを守ってくれることは、ピサロナイトにとってもありがたいことだ。
そんな日々が訪れてから三日目。
そこに、彼女が、現れた。
 
 
かつん。
それは、少しだけ風が強い、晴天の真昼間のことだった。
小さな物音に反応して、ピサロナイトは身構えた。
ロザリーヒルの塔の中、ロザリーの部屋の前。
そこに繋がる階段を、昇ってくる者がいる。
村人達は、この塔にロザリーが住んでいることを既に知っている。
しかし、彼女の部屋を行き来するための通路は、特殊な結界が入口を守っている。
一度でもその結界を破るための「あやかしの笛」を吹き、一時的に破られたその間に入り込んだことがある人間でなければ、ここには来られない。
だとしたら、階段を上って来る者は、既にここに訪れたことがある者のみだ。
けれども。
(ピサロ様ではない)
ピサロナイトは、そっと腰の剣に手を伸ばし、息を潜めた。
(しかし、結界を破って侵入した割には、呑気な足音だ)
となれば、やはり今初めて侵入をしたわけではない、ということか。
ピサロナイトは眉根を寄せた。
自分が知る限り、この塔にピサロ以外に訪れたことがある者と言ったら――
「あれ?・・・元の配置に戻ったってわけ?」
忘れもしない。
先日、海辺の村で会ったばかりの。
「!」
ピサロナイトは、呑気に階段を上がってきたマリアを確認して、ピサロのもとへ報告にすぐに行こうとキメラの翼を懐から出した。
その様子を薄暗闇でも彼女は見てとり、挑発的に言い放った。
「ここ、塔の中よ?キメラの翼使うなら、一度外に出なきゃいけないんでしょう?」
「!」
「あなたがいない間に、ロザリーに意地悪しちゃおっかな」
「なっ・・・!」
「・・・嘘よ。わたしが、ロザリーにそんなこと、出来るわけないでしょう」
そこに現れた彼女は、先日出会った時の、いかにも村娘といった出で立ちではない。
旅慣れた風情であったが、わざとなのか鋼の剣と革の盾といった、お世辞にも伝説の勇者の武器防具とは思えぬものを手にしていた。
が、武器防具のよしあしだけで勝負が決まるわけではないと、ピサロナイトは知っている。
「ロザリーは中にいる?通して」
「通すわけにはいかぬ」
「どうして?わたしは、ロザリーと一緒に旅をした仲なのよ?敵じゃあないわ」
「誰であろうと関係はない」
そう言ってピサロナイトは剣を引き抜く素振りをわざと見せ付けた。
マリアは困ったように肩をすくめて
「わたし、そんなことをするために来たわけじゃないわ」
と言うと、小さくため息をついた。
それから、すう、と息を深く吸い込んで大声で呼ぶ。
「ロザリー!ロザリー!いるんでしょ!わたしよ、マリアよ!」
突然の暴挙にピサロナイトは驚き「黙れ」と一喝したが、マリアは止まらない。
「なんかこの人、通してくれないの!ちょっと、どうにかして!」
「黙らないか!」
慌ててピサロナイトは、マリアの腕を乱暴に引っ張った。
がくん、と前のめりになってマリアはピサロナイトの肩にぶつかる。
「痛いわね!そんなことしても、わたしは黙らないわよ!」
気の強そうな瞳で、マリアはピサロナイトを見上げて睨みつけた。
これが、あの海辺の村でパンをくれた少女と同一人物か、とピサロナイトが戸惑うほどに、彼女は「何か、強い者」と感じられる気概を発している。
騙されていた、とピサロナイトは心の中で舌打ちをする。
これだ。
これが、彼の記憶に残っている、彼と戦った少女だ。
あの海辺の村で、スカートを翻してこまごまと働いていた姿はまやかしだ、と彼は思ったのだ。
と、その時、室外の騒ぎに気付いたロザリーが部屋の扉を開ける音が響いた。
「ロザリー!」
「・・・っ・・・マリアさん!」
ロザリーに駆け寄ろうとしたマリアの前にピサロナイトは立ちふさがった。
その横をすり抜けようと何度かマリアは挑戦をして、やがて、ピサロナイトの脇からするりと抜けることに成功した――かのように見えたが、ピサロナイトは強い力で彼女の腕を引き戻し、再び立ちふさがる。
マリアは片足をあげてピサロナイトの側面から腹部に蹴りを入れ、それを振りほどこうとした。だが、それはかすっただけで、その足が床に戻る頃にはまた変わらずピサロナイトが目の前に仁王立ちになるばかり。
「やっ、やめてくださいっ、ナイトさん!」
「いいえ!わたしは、ここを、誰も通さぬことが役目です!」
「でも、その方を、ピサロ様は傷つけて良いと言ったのですか!?」
「傷をつけるなとは言われておりません!」
駆け寄ろうとしたロザリーは、マリアとピサロナイトが本気の「喧嘩」を始めたことに気付いて、踏みとどまった。
狭い通路で、どうやってその二人を止めれば良いのか。
声をかけて聞くような2人ではない。
「わたしだって、ロザリーに会いたくなんてなかったんだ!」
マリアは、突然表情を歪めて叫んだ。
その言葉に、ピサロナイトではなく、その背後に扉を開けて立っていたロザリーが体をびくりと震わせる。
「ロザリーも、わかっているはずだ。わかっていて、目をつぶらなければいけないことがあって」
「マリア、さん」
「わたしが、ピサロのことでロザリーに会いにくることが、どれほどルール違反でロザリーを傷つけることなのかも知っている。でも、そこまでやらせたのは、ピサロだ!」
「・・・マリアさん!」
「その覚悟で来たのに、邪魔はさせない。どかないなら、一発お見舞いするだけよ。魔法の耐性はなさそうに見えるけれど」
ピサロナイトは、呪文を封じる静寂の玉を道具袋からとっさに出した。
「そんなもので封じられるか!」
マリアはそう高らかに言って、呪文詠唱を瞬時に完成させようとする。
と、その時。

びゅう。

突然、風が通路を走った。
動き出した空気を敏感に感じて、ピサロナイトもマリアも何事かと開け放たれたロザリーの部屋を見る。
「・・・ロザリー!」
「ロザリー様!」
扉の向こう。簡素な小さな部屋のその先。
いつもロザリーが人々の生活をそっと見下ろしているその窓。
それが開け放たれて、ロザリーは窓枠に腰を下ろし、手を両側の壁につけて自身の体を支えていた。
「ナイトさん・・・マリアさんを、部屋に、入れてさしあげてくださいっ・・・それから、マリアさんも、ナイトさんを傷つけないで・・・」
「ロザリー、何をして・・・」
ピサロナイトを押しのけて部屋に入ろうとしたマリアを、まだ彼は抑えつける。
「それ以上、お二人が揉めるならば、わたしはここから落ちます・・・」
震えるロザリーの声。けれど、まっすぐ彼らを見つめる瞳は、真剣そのものだ。
それは、ピサロナイトがどれほどまでにピサロの命令に忠実で融通が利かない男なのか、そしてまた、マリアがどれほどの覚悟でここに来て、それゆえにピサロナイトを倒すこともあり得ると感じ取っての行為だ。
「ナイトさん・・・お願いです。ピサロ様には、お知らせしないでください・・・もし、あなたがマリアさんを傷つけてでも捕えるようなことをすれば、わたしは、いつでも・・・」
びゅう、と窓から風が入ってきて、ロザリーの髪を、ドレスの裾を揺らす。
ピサロナイトは声を荒げた。
「何故ですか、ロザリー様!あなたは、ピサロ様の思い人であり・・・あなたもまた、ピサロ様を愛していらっしゃるのに、何故、この女の肩を持とうとするのですか!あなたを守っているのは、ピサロ様ではありませぬか!」
「ナイトさん、それは間違いではありません。でも、それだけではないんです。わたしはピサロ様を愛していますし、ピサロ様もまた、わたしを大切にしてくださっています。だけど・・・そんなピサロ様のもとにわたしを連れ戻してくださったのは、マリアさんです。一度失った命を再び与えてくださった方が、わたしのために・・・わたしのために、これ以上傷つくことは許せない。この人をないがしろにして、わたしは生きていけないのです。たとえ、ピサロ様がそれを理解してくださらなくても、わたしはいつでも、マリアさんのために死ぬことが出来るんです。それは、何もおかしいことではありません。本気です」
ロザリーのその覚悟の言葉を聞いてピサロナイトは忌々しそうな表情になり、ぎり、と唇を噛み締めた。
すると、マリアの方は
「やめて、ロザリー。わたしは、わたしのことであなたに命をかけてもらえるような、大層な存在じゃないわ。あなたを生き返らせたのだって、あなたのためでも、ピサロのためでもなくて、自分達のためだったんだから。そんなご大層な恩義を感じる必要なんてない。窓から降りて」
と、ロザリーを止めようとする。
「マリアさんも、ナイトさんと、争わないでくださいますか?」
「最初にふっかけてくるのは向こう。わたしは、この人と戦うつもりはないわよ。無意味だわ」
「なっ・・・!」
「わたしは、ロザリーに危害は加えない。わたしとロザリーが話をすることで、あなたの主のどうしようもない気まぐれやら無意味な命令がなくなるかもしれないんだから、早くそこをどいてわたしを中に入れて。えーっと、何?ナイト、っていうのは名前?」
「・・・ピサロナイトだ」
「ピサロナイト。あの男の名をもらったの?・・・そう」
そういうと、マリアは通路の足元に盾を置き、剣も鞘ごと床に置いた。
 
 
ピサロナイトはロザリーの部屋の中に入っても扉の傍から動かず、むすっとした表情で終始マリアの一挙一動を監視している。
しかし、一方のマリアの方はそれをどうと思うわけでもないらしく、ロザリーが茶を淹れるのを待ちながら、仔猫に手を伸ばした。
「どうしたの、この猫」
「ピサロ様が拾ってきてくださったんですよ。親猫と死に別れていたようで」
「へえー・・・小さい」
猫を抱きあげて、マリアは顔を近づけた。
「可愛いねぇ。名前は?」
「リズ」
「よかったね。拾ってきた人は別として、いい人のところに連れてきてもらって」
「もう。マリアさん」
ロザリーは苦笑をしながらティーカップを並べ、丁寧に茶を注ぐ。
マリアがそっと膝の上に手放すと、仔猫はとん、と床に降りて、それからロザリーが使っているドレッサーの椅子の上にあがった。
「本当は、お茶を飲みながらする悠長な話じゃないんだけど」
そうマリアが言えば、ロザリーも「そうでしょうね」と同意をする。一見、穏やかなやり取りに見えるけれども、本当は違う。二人の間には不思議な緊張感がある。それは、ピサロナイトの目から見ても明白だった。
あたたかな湯気が立ち上るティーカップをそっとマリアの前に置くロザリー。礼を言うマリアに「召し上がれ」と答えながら、ロザリーもまた椅子に腰かけた。
「ねえ、ロザリー。あの日、どうしてピサロがわたしの村に来たことに気付いたの?」
最初の問いかけは本題ではない。しかし、それは大きな波紋を呼ぶ一言だ。
ロザリーはそっとティーカップに口をつけてから、「月が奇麗な夜はそういう夜なのだと思っていましたから」とだけ呟いた。
マリアの言う「あの日」がいつのことはははっきりピサロナイトにはわからなかったが、ピサロと最後に彼女が戦った夜のことだろうとはおぼろげに推測を出来た。
それへ、マリアはくすりと笑った。
「ロザリーは意地悪ね」
「そうでしょうか?」
「ふふ。嘘。ねえ、ロザリー、もう何もかも大丈夫よ。安心して。これ以上、わけのわからないことで心を悩ませることはなくなるから。わたしもあなたも」
「え?」
「わたし」
マリアは、もう一口茶を口に入れた。心に決めた言葉を発するために、彼女には更にもうひと呼吸が必要だった。
穏やかな声音で、けれど、わずかな自嘲を含んだ笑みを見せながら、マリアは言った。
「わたし、天空へ行こうと思って」
それを聞いた途端、ロザリーは立ち上がった。がたん、と椅子が大きな音をたてたけれど、それを彼女は気に掛けず、声を荒げた。
彼女のそんな剣幕をピサロナイトは見たことがない。
「それは、マリアさんの幸せではなくて、マリアさんが考えているわたしの幸せのための結論です!わたしは、存じ上げているんです、マリアさん!」
「ロザリー?」
「どこにあなたが行こうと、あなたとピサロ様の間にあるものは、誰も切ることが出来ないんだってことを。だから、わたしはっ・・・!」
「・・・ロザリー」
「ピサロ様のわたしへの情も、あなたの優しさもわたしは疑っていません。わたし、わたしは、お二人のことから、目をそむけませんからっ・・・だからっ・・・」
ロザリーはそこまで言うと、言葉を詰まらせた。
その両眼からはほろほろと涙がこぼれ、彼女の頬を伝って足もとに落ちる間に紅いルビーとなっていく。
「だから、マリアさんも、ピサロ様にお会いになって・・・あの方が、どうしたいのか、話を聞いてあげてください」
「バカね、ロザリー。わたしとあいつが会って、話なんてあるわけがないでしょう」
「どうしてですか」
「また、殺しあうだけよ。ああ、でも、次は負けるかもしれないわ。なんてったって、この前あいつに首絞められて、そのせいで右腕の神経がちょっとおかしくなっちゃったから。ほんの時々、痺れて腕があがらなくなるの。おかげさまで、勇者なんていうお役目をこれ以上は果たせない体になって、ありがたい限り」
「そんな・・・マリアさん」
マリアはゆっくりと椅子から立ち上がった。
ロザリーのもとへと歩きながら言葉を続ける。
「だから、天空に行くのよ。あの竜に頭下げるのは癪だけど。ロザリー、泣かないで。わたしとあいつは一生仲良くなんて出来ないわ。この先わたしが生きる上でどれほどあいつがわたしのために動こうと、わたしの大切な人達を殺したことは変わらないし、実際にはあいつはわたしのためになんて、これっぽっちも何もしやしないんだから」
そっとロザリーの肩に手をかけるマリア。
ロザリーは耐えきれぬ、といった風情でマリアの胸に体を預け、声を絞り出した。
「それでも・・・それでも、ピサロ様は、あなたのことを大切に思っていらっしゃいます・・・!!」
「違うわ、ロザリー」
「違いません・・・違わないんです、マリアさん、信じて・・・!」
マリアの服を握りしめ、ロザリーはうつむきながら彼女の胸元に頭をすりつけた。
いつも穏やかで感情を昂らせないロザリーのその様子を見ても、マリアは惑うことなく静かに見下ろしている。
そして、次にその口から発された言葉は素気ないものだった。
「大切になんてしてない。ただ、興味があるだけよ。自分を殺す可能性がある人間のことを」
「マリア、さん」
「そういう男だって、あなたも知ってるでしょう。きっと、そこにいる・・・なんだっけ、名前。そう、ピサロナイトもね」
それまで、息をひそめて成り行きを見守っていたピサロナイトは、突然自分の名を呼ばれたことに驚いた。が、実際に彼女が言う「ピサロはそういう男」という、彼女の発言については、不思議と「なるほど」と彼が思っていたことは事実だ。
「しかし、ではお前を探して、ピサロ様はどうしようとしているのか」
本当ならばピサロに投げつけたかった疑問を、ちょうどいい機会とばかりにピサロナイトはマリアに問いかけた。が、それにはすげない答えが返ってくる。
「知らないわよ。そんなこと。こっちが聞きたいわ」
「・・・それもそうか」
「大体もともと、あいつはわたしに関してだけはいちいち粘着質なのよ。飽きっぽい振りして、一体どれくらいの間わたしを探して子供狩りをしていたと思う?それは、あいつには珍しい執着よ。そこから、おかしかったと思わないわけ?」
「降りかかる火の粉を最大限の力で払うことの、何がおかしいと?」
そのピサロナイトの問いにはすぐには答えず、マリアはそっとロザリーの肩を押して体を離した。
ロザリーを見るマリアの視線は優しい。
が、それとは裏腹に、彼女は吐き捨てるように答えた。
「あいつはなんでも用意周到っていうタイプじゃない。自尊心の塊で、誰に対しても上から目線で、伝説の勇者、なんて聞いても本当はそこいらの虫ケラと同じ程度だと思うような、そんな男よ。それが、エスタークの復活を阻止するかもしれない、なんて預言信じて何年も勇者に執着してるなんて、本当はらしくない」
そういって、立ち尽くすロザリーを置き去りにして、マリアは椅子に再び戻ってどかっと坐り込んだ。
「口では、ただの子供か、とか、お前程度の者が勇者とは笑わせる、とか、そんなこと言ってるけど、一番それに踊らされてるのはあいつよ。どーしようもなく気になって気になって、ずーーっと手に入れられないおもちゃを探してるみたいに。あいつにとってのわたしなんて、そんな程度」
そこまで一気にまくしたてると、マリアは茶を再び飲んだ。それから、ロザリーに「座ったら?」と軽く促す。
「では、マリアさんはどうして・・・ピサロ様と・・・」
「簡単よ。わたしも、興味があったから」
「・・・」
「どんな男が、わたしから何もかも奪っていったのか」
そう答えたマリアの口端は、歪んだ笑みを湛えていた。
それは、自嘲の笑みなのか。
それとも、行き過ぎた憎悪の笑みなのか。
彼女はピサロナイトからもロザリーからも視線を逸らし、既に閉められた窓が風にがたがたと揺らされる様を見ながら言葉を続けた。
「ロザリーは、わたしにどうして欲しいの?ピサロにどうして欲しいの?ピサロに会ってくれ、でも殺しあわないでくれ?それは、虫がいいんじゃない?」
「でも、わたしはお二人に戦って欲しくない・・・だって、お二人は・・・お互いを・・・」
「お互いを?」
「・・・好き、あって、いるのでは、ないですか」
ロザリーの声が、か細く消えそうになっていく。
ピサロナイトは叫びだしそうになり、それを踏みとどまるのに精一杯だ。
何をおっしゃるのです、ロザリー様。
ピサロ様がどれほどあなたを大切に思っていらっしゃるのか、お疑いに。
そう言い放ちたい。
けれども、どうやら話はそう簡単なものではなさそうだ、と彼は理解し始めたのだ。
「・・・そんなことは、わたしの口からも、ロザリーの口からも聞きたくないし、あの男の口からだって聞きたくない。あの日、ロザリーが来てくれなかったら、わたしはあいつを殺してたわよ?わかっているでしょう?」
「だって、あの時、マリアさんは・・・」
 
 
月明かりの下で、決着がついて気絶をしているピサロの傍ら。
命を奪おうとしていたマリアの前に、ロザリーは寸でのところで間に合って、ピサロをかばった。
マリアに見逃してもらって、重たいピサロの体を抱きしめながら、キメラの翼をロザリーが使ったその瞬間。

来てくれて、ありがとう。
 
マリアが、そう呟いたことを、ロザリーは知っている。
そして、今だってそうではないか。
マリアは「ロザリーが来てくれなかったら」と言う。
本当はそれはおかしいのだ。それは「ロザリーさえ来なければ」でなければ。
けれども、ロザリーはうまくマリアに伝えることが出来ない。
「もし、わたし達がロザリーが言うように好きあっていたら、どうなるっていうの。そうしたら、ロザリーはわたしのこともピサロのことも十分に罵ることが出来るわね」
「どうして、そんな風におっしゃるの、マリアさん。わたしは、全部、全部、それでいいんです!」
「それで?って?」
「あなたとピサロ様が惹かれあっていても、わたしはそれを妬んだり、嫉んだりするような立場では・・・」
マリアとロザリーは、決してお互いの意見が交わらない。そうだとわかっていながらも、繰言を続ける。
そんな会話を聞きながらも、そういえば、とピサロナイトは気づいた。
(ロザリー様も、同じことをおっしゃっていた)

――あの方が何かに執着をすることがあるなんて、不思議じゃないですか?――

それと同じことを、この勇者は思っていて。
そして、それへの回答が彼女にはあったのだ。
(それは、とてもこの勇者が、ピサロ様を『知っている』ということではなかろうか)
まるで、長年つき従っている自分のように。
身を寄せ愛し合うロザリーのように。
目の前の緑の髪の勇者は、きっとよくピサロのことを知っているのだろう。
そして、もしかしたらその逆も。
(であれば・・・ピサロ様が本当にこの勇者のことを知っているならば)

――あの女が天空城で、マスタードラゴンの庇護下で生きるわけがない――
――もし、それをするとなったら、地上の仲間すら捨てて、一生人との交わりを拒む時だろうな――

ピサロナイトは、ロザリーが泣いて止めている、そのことの重大性に気付き始めた。
よくはわからないが、目の前の勇者はなにがしかの覚悟を決めてきたのだろう。
そもそも、ロザリーに話に来ること自体がルール違反だと彼女は言っていた。
ルール違反を犯してでもしなければいけないことがあるのだろうし、そして、そういうことをするにはそれなりの気構えが必要だ。
けれども、ピサロナイトにはそれがいかほどのものか、まったく測ることは出来なかった。初めは。
だが、今はいささか違う。
目では見えない、言葉では見えない何かが、人の心の中にはある。
マリアの真意は定かではないし、ピサロナイトはそれを知る立場にはない。
それでも、わかる。
多分、マリアの言う「天空城に行く」ということは、彼女の人生においてとんでもなく大きなことなのだ。
(それは、わたしには関係がないことだが・・・)
既に彼女は故郷の村を「捨てて」あちこち渡り歩いているのだし、とピサロナイトは思う。ただ単に落ち着く先が少し特殊な場所であるだけで・・・。
そうやって自らに言い聞かせないと、余計なことに首を突っ込みそうだと彼は自制した。
 
 
成す術もなく、何を伝えれば良いのかもわからなくなったロザリーに「さようなら」と一言告げてマリアは部屋を出て行った。
ロザリーは、マリアに縋りつかなかった。
それをしても、今の自分達は何の解決も見出さないと、もともとは聡い彼女にはわかっていたからだ。
マリアは部屋の外に置きっぱなしにしておいた盾と剣を持って、決して振り返ることなく暗い塔の中を歩いた。
ことん、ことん。
来た時とうって変わった、気の抜けた、疲れた足音。
それに気付いて口端を歪めると、マリアは足を止め、体を折って階段の壁に頭をつけた。
ロザリーを傷つけた。
けれど、そうするしかなかった。
後悔ではない。どちらもわかっていたことで、後悔するようなことではない。
それでも、マリアの両眼からはぼろぼろと大きな涙が零れ落ちた。
足元にぽつんぽつんと落ちていく、やりどころのない気持ちの結晶。
本当は何も言わずに天空に自分が行けば何もかもが終わるのだ、とマリアはわかっていた。
ピサロは、魔物達は、天空城には足を踏み入れない。
エビルプリーストを倒した後、マスタードラゴンはマリアに天空に戻らないかと勧めた。きっと今でもそれは変わらないだろう。
それでもいいのだ。
たとえ、マリアが天空の掟を強いられて、簡単に地上に降りられなくなっても、仲間達は天空城に訪れることが出来るのだから。
彼らが自分を忘れないでくれれば、彼らが覚えていてくれれば、会いたいと思ってくれれば、会うことは容易なことだ。
けれども。
自分が地上で生きてきたこの18年間はなんだったのだろうか。
ピサロからの追っ手から点々と逃げていたのも、地上で生きたかったからだ。
地上で生きていきたい。
けれど、ピサロを殺すことが出来なかった自分には、あの村に戻る資格はない。
その挟間でもがいていたマリアが苦しみ抜いて出した結論は、天空へ行くこと。
それで、すべてがうまくいく。
ピサロはマリアを追うことをやめるだろうし、そうれあればロザリーにもこれ以上心配をかけなくてもすむ。
仲間達にも所在をはっきりとさせられるし、空の生活は地上のあくせくした労働とは別のもので、きっとそう苦労はないだろう。
けれど。
けれども。
(駄目だ・・・早く、帰ろう)
そう思って、階段の手すりを掴んで軽く体重を預けた途端
(みぎ、うで!)
がくん、と腕から力が抜け、マリアは狭い階段でバランスを崩した。
「っと、う・・・!」
盾が壁をこすり、やがて腕から離れて落ちて行く。
マリア自身も8段ほど体をよじりながら落ちて、階段の小さな踊り場にしたたか体を打ちつけて止まった。
「い・・・たぃな・・」
肝心な時に、なんだ、この右腕は。
暗い塔の階段の天井。
ところどころに灯る、ささやかな灯り。
マリアは打った体の痛み、痺れて動かない右手を感じつつ、床に横たわったままでぼんやりと周囲を見ていた。
ここを、何度あの男は往復したのだろうか。
ロザリーに会うために。
一度くらいは、わたしのことを考えながら、ここを歩いたのだろうか。
(それは、不徳だ)
けれども、それは今に始まったことではない。
冷たい床の上でマリアは起き上がろうとして、そうだ、右腕は使えないんだ、と思いだして苦笑をした。

月が美しい夜。
美しいエルフの恋人を宿に残して、ふらりと月を愛でるために外へ出るピサロ。
初めは偶然だった。
世界が変わっても、自分の故郷が滅ぼされても、愛しい人たちが死んでも。
空は変わらずにそこにあって、月は時と共に幾度も幾度も同じ周期で形を変える。
それを少しうらめしく思いつつも、変わっていくけれども決して存在が消えない何かを求めて、マリアはその美しい月に惹かれていただけだ。
あの男が、何故月を愛でたのかはわからない。
彼は多くは語らなかったし、マリアも多くは語らず、問わず、ただそこにいた。
あまり口を開けば、それがそのうち恨みごとになるとわかっていたからだ。
きっと、マリアもピサロもわかっていたのだろう。
この世界で、マリアがマリアとして、自分を許しながら生きるには。
村の人々を屠ったピサロを倒すさなければいけないのだということを。

情けない格好のまま一瞬だけ物思いに沈んだマリアは、鎧の音ではっと我に返った。
見れば、階段の途中に落ちたままになっている盾を、上から降りてきたピサロナイトが拾っているではないか。
「ありがとう」
「よほど、装備品を落としていくことが得意と見える」
それは珍しいピサロナイトの皮肉だ。
マリアは、瞳から耳の方へと流れていく涙を隠さぬまま、倒れた状態でピサロナイトに礼を云った。
「パンを作る方が得意なはずなんだけどなぁ」
「・・・そうかもしれん。早く起きて、さっさとここを出ろ」
「ピサロのとこにでも、連れて行かないの?今なら、右腕が痺れてるから、簡単に捕まえられるかもよ」
「お前は、さっさと天空にでも行け。そして、共に旅をした仲間に、天空に行ったと知らせれば良い。そうすればピサロ様の耳にもそれが入ることだろう。後は、わたしとロザリー様が今日のことを黙っていれば良い。他に何の問題もなかろう」
マリアは横たわったままで、一瞬ひゅっと息を飲んだ。

さっさと天空にでも行け。

それは、自分が提案したことであったはずだ。
けれども。
どうして、こうやって誰かの声でそれが耳に戻り、自分に跳ね返ってくることが、こんなにも苦しいのだろうか。
しかも、それが、ほとんど何の関係もないと思われる第三者からの言葉で、痛くも痒くもないはずの相手からなのに。
「お前達が・・・」
「うん?」
「お前達が、何もかも奪ったのに・・・そのお前達が言うな・・・!!」
わかっている。
そこにピサロがいれば、「それは、お前が弱かったからだ」と言うだろう。
そういう残酷な男だ。
ピサロナイトはそれへ何の返事もせず、ひざを軽く折って左腕を伸ばした。
彼は一刻も早くマリアにこの場所から去って欲しかったし、彼の流儀には反するけれどもロザリーといくらか話をしなければいけないとも思っていたからだ。
しかし、マリアは彼のその手を、左手でぱしん、と跳ね除けた。

ぱちん。

小手をはじいた音ではない。
「つうっ!?」
ピサロナイトは身じろいで手を引いた。
見れば、薄暗闇の中、マリアの体の回りには小さな火花が飛び回り、青白く発光している。
「やめろ。あまり巨大な魔法を使えば、ピサロ様が感知していらっしゃる」
「・・・」
マリアは、むう、と唇を引き結んで、左腕を床につっぱってようやく体を起こした。
「盾、ありがとう」
ピサロナイトからの返事はない。
「わたしはもう、ロザリーに会いに来ないから、安心していいわよ」
「当然だ。あのように、ロザリー様を傷つけるようなことばかりを」
「・・・ははっ・・・」
マリアは小さく笑った。が、それとは裏腹に、瞳からはまだ大粒の涙があふれ出て、床に舞う。
「しょーがない。自分で手放したんだ」
そのマリアの呟きの意味を、ピサロナイトは気づくわけがない。
 
自分で手放したのだ。
ロザリーのことも、ピサロのことも。
これは、奪われたのではない。
 
マリアは涙を止められないまま、とぼとぼと次のくだり階段を降り始めた。
と、背中に視線を感じて振り返る。
「なあに。早くロザリーのところに戻ってあげたら?きっと、傷ついて泣いてるわ」
「お前に、剣や防具を返すのを忘れていたと」
「え」
そう言ってピサロナイトは、以前ロザリーから預かっていた奇跡の剣をマリアに差し出した。
「確かにこれは・・・村に、放りっぱなしにしていった・・・」
彼女のつぶやきから、ピサロナイトは「あの夜」以降は村に戻っていないだろうということがわかる。
「盾もロザリー様が持ってきて、ホビットに預けてある。それを持って行け」
「悪いけど、右腕が動かないのに、剣やら盾やらこれ以上増やされても困るわ」
「どこに帰るかは知らぬが、運んでやってほしいとロザリー様が」
「その間ロザリーの警護は?ピサロの命令にそむくんじゃないの?」
「・・・何もかも、縁が切れるならば、それに越したことはない。それに、わたしが戻るまでは決して部屋から出ないとロザリー様は約束してくださった」
マリアはピサロナイトをじっと見た。
「なんだ」
「何もかも縁が切れる、ね。切ろうとしている間柄ではない誰かから言われると、腹が立つものね。無神経にもほどがあるわ」
ピサロナイトは何も返事をしない。マリアは小さくため息をついて
「運んでもらうってことは、わたしの今の居場所に行くってことでしょう。それを、ピサロに言うつもり?」
「今、わたしがピサロ様から託されている任務は、ロザリー様の警護だ」
眉根をひそめてピサロナイトを見れば、ついにピサロナイトも折れたようで
「本末転倒だが。その警護すらないがしろにして、と思われても仕方がないだろうな・・・」
と、彼もまた嫌そうに溜息をつくのだった。
 
 
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