月の欠片――それは呪縛のように(2)――


マリアはピサロナイトを伴って、生まれ故郷の村に戻った。
荒廃した村は、旅の終わりに僅かにマスタードラゴンの力を借りて、再生していた。
けれども、そこには誰一人いなかったし、毒の沼地によって地の奥深くまでも汚された傷みを全て取り払うことは、マスタードラゴンでも出来なかった。
ところどころ残る毒の沼地。そして、再生できるはずもない、破壊されつくされた家屋とその瓦礫。
それらが視界に入るたびに、この村はもう生きていないのだと告げられているようにマリアは感じる。
もっと深い夜であればそこまで気にならないというのに、残念ながら今はまだ昼間だ。
薄暗い日光は無常にもマリアに、村の様子をまざまざと見せ付ける。
誰もいないその村の光景にはとっくに慣れていた。けれど、今日はそれとはまた違う。
よりによって、ピサロと同じ魔族がそこにいる。
それだけで、あれだけ慣れ親しんだこの場所が、まるで初めて足を運ぶ場所のようにすら感じる。
見たことがない情景。小さい頃からそこにあった木々や、マスタードラゴンの力で再生した花畑。それらが、ピサロナイトがいるだけで、まやかしにすら感じてしまう。
ここにいるべきではないものが、ここにいる。
その違和感を感じ取って、自然に眉根が寄せられた。
「やーね。なんかもう……」
その続きをマリアは口にはしなかった。
この村への訪問者が、この前はピサロ、そしてロザリー。
今はピサロナイト。
これ以上魔物や魔族に足を踏み入れさせたくないというのに、それを招き入れてしまっているのは自分のせいだ。ピサロナイトには責はない。
「これはどこへ置けばいい」
「その辺適当に。腕が動くようになったら自分で動かすから。ありがとう」
言われるがままピサロナイトは彼女の代わりにもってきた武器防具を雑草の上に、けれども丁寧に置いた。
彼が特に周囲を見渡すような素振りも見せないので、マリアはそれを少し不思議に思ったか
「こんなところに住んでるのか、って、驚かないのね」
と尋ねた。
ピサロナイトはそれへあっさりと答える。
「既にここには来た。だから、今更驚くほどのことではない」
「!」
予想外の言葉に驚くマリア。
自分が知らないうちに、魔族がこの村に。
「わたしを探して?」
「ああ」
「そう……」
「ここまで廃れてしまっては、生きていくことも難しいだろう。人間というものは、一人では生きられないものだと聞いた」
それは、知らぬ者が聞けば、いたわりの言葉に聞こえるのではないかと思える。
が、マリアはわかっている。
ピサロナイトのその言葉は、誘導のためのまやかしだ。
「用意が出来たら、すぐにでも天空とやらに行け」
マリアは口元を歪める。
「何度も言わないでよ。言われなくたって、行くわ。わたしの方から言い出したことだもの」
「すぐにでもお前の仲間とやらにそれを伝え、どういう形でも良い、ピサロ様の耳に入るようにしてくれればそれが一番良いことだろう。お前がいなければ、ピサロ様もロザリー様も、何事もないような生活に戻るだろうし、お前はその右腕とやらが治せるかもしれないのだろう。喜ばしいことだ」
「喜ばしいこと、ね。別にわたしの右腕のことなんて何も思ってないくせに」
マリアはそういうと、軽く肩を竦めた。
そして
「あなた、ロザリーのことが好きなのね」
「!?」
ピサロナイトに放った言葉。
それに、彼はわずかの動揺を見せた。
兜をしていてもわかる。面頬をあげているため、完全に顔が見えるとは言えなくとも、表情が動いたことや伝わる空気には差を感じられる。
「ロザリー様は、わが主ピサロ様の想い人。そのお方を守ることがわたしの役目だ」
間を空けないようにと焦ったのか、ピサロナイトの声が一瞬うわずった。
彼のその言葉は、マリアに対する返事としては相当に曖昧で、むしろぼかしているが故の肯定にも聞こえる。
否定したいのだろうな、ということはさすがにマリアでもわかる。が、彼の真意を確認しようとしたのは、何も彼の立場を悪くするためのものではない。
「ロザリーのことを好きなんだったら、許してあげる。主がピサロだから、っていう理由で何もかもあなたの行動が決まるなら、わたしはきっと我慢できなくなる。でも、ロザリーのためでもあって、ロザリーのことを思う人の言葉だと思えば、許せるわ」
マリアはそう言うと、左手で自分の右腕を何度か揉み解した。
ようやく右腕は使える状態になったらしく、軽く腕を上げてみせる。
確かに、右腕が動かないのに、先ほど肩をすくめたときには何の不自然さもなかった。きっとその時に、彼女自身も、右腕の復活に気付いたのだろう。
ピサロナイトはその様子を見て
(思ったより、動かない時間が長いな。戦場では致命的だ)
と一瞬思う。それから、はっと気付いて
「お前に許してもらうようなことなぞ、なにひとつない」
「魔族の道理ってそうなのかしらね?気付かないうちにどれだけ自分の言葉で相手を傷つけても、それは自分の責任じゃないっていうのが、魔物の世界なのかな?まあいいわ。ピサロ見てれば、そうなのかなーとも思うし」
そう言って、マリアは再び肩を竦めた。その動きはやはりなめらかで、右腕が動かなくなることがあるとは思えぬものだ。
「わたしはわたし達の勝手でロザリーを生き返らせた。だからって、わたし達にはロザリーを幸せにする義務なんかない。でも、わたし達のせいで彼女が不幸になるなら、それはあまりにも生き返らせた者の身勝手というものよ」
ピサロナイトはしばらくマリアを見ていた。それは、何を言おうかと戸惑っている、それとも、言葉を選んでいる、言ってよいのか躊躇している、そのどれなのかはわからなくとも、「何かを伝える」ための間なのだということが、マリアには伝わる視線だ。
やがて、ピサロナイトは
「他人の人生を背負って生きることが出来るなぞ、思い上がりも甚だしい。誰しも己の命に対して誠実であることですら、難しいというのに」
とだけ呟き、面頬に手を伸ばした。
かしゃん、という音と同時にマリアは口を開く。
「しょーがないじゃない?自分に誠実でいることが、他人の不幸を招くんだったら、選ばなくちゃいけないでしょ。わたしはピサロみたいに、ロザリーと自分以外のことはどーでもいい、なんていう生き物になれるほどふてぶてしくないわ。自分の命は自分のものだけれど、自分以外のものによって生かされているのよ。責任を負う必要はないけれど、感謝や愛情を全部捨てる気もないわ」
「お前が言うことは、よくわからぬ」
「そうでしょうね。わたしはよく、ピサロが言うことがわからないし、おあいこだわ」
二人の間に沈黙が訪れた。
ピサロナイトの表情はもう見ることが出来ない。それは、話が終わったという彼らしい素っ気のない合図なのだろう。
彼のことをほとんど知らないマリアでも、さすがにそれは気付く。
「ロザリーに伝えて。武器とか防具とか、とっておいてくれてありがとうって。わたしにはもう必要ないものだけれど、それは自分を守ってくれていた物へ失礼だった。感謝しているって」
「伝えよう」
ピサロナイトはそれだけ呟くと、キメラの翼を取り出した。
さようならとか、またそのうちとか。
そんな挨拶を交わす仲ではない。
マリアもそれに対して文句を言うわけでもなく、目の前でさっさと消えていくピサロナイトを黙って見送った。


ようやく、一人。
あちこちに残る毒の沼地は常にその姿を変えることはなく、マスタードラゴンの力によって、なんとか穢れを祓うことができた部分には、雑草が生い茂る。
足元でその雑草が絡みつく中、マリアは仁王立ちになっていた。
「ふっ……!!」
零れ落ちる涙。
耐え切れぬように、仁王立ちのまま彼女は大粒の涙を流して、「畜生」と口の中で小さく呟いた。
悔しい。
悔しい。
何も知りやしないくせに。
多分、あのピサロナイトという騎士は、自らが生きていく場所を「ピサロ」という者に求めて、彼につき従うことで定住を得ているのだろう。
そんな者が安直に、人が生きる場所のことを軽々しく指示するな。
(腹立たしい!あんなのが、ロザリーの傍にいるなんて。あれじゃ、ロザリーも話が通じなくて不自由することも多いに違いない)
そんなことをふと考え、何を自分はロザリーの心配なぞをしているのだ、とマリアは己に呆れた。
ピサロもマリアも、ある意味ではロザリーをとても尊重して、そしてある意味では裏切っている。
だからこそ、尚のことロザリーを苦しめたくない。
(それは、わたしのエゴだ)
わかっている。
だから、これ以上はロザリーの傍にいるわけにはいかないし、何かしらの話が進展して、仲間達に自分とピサロのわけのわからない関係に気付かれるのも御免だ。
追及されたくない。他人にも、自分自身にも。
ロザリーにも、ピサロにも。
そして、自分も追及をしたくない。
だから、ピサロとは会いたくない。この先一生会わなくてもいいとすら思う。
それを思えば、ピサロナイトが繰り返し言うように、天空城に行くことは一番の解決法なのだろう。
けれども、それは、マリアが抱える他の苦しみを決して緩和出来ない選択肢だ。
あの日、村人達が全てピサロ率いる魔物達に殺された日。
何も、マスタードラゴンは手を出さなかった。
後からそれをあの竜に問えば、マスタードラゴンが何かしらの力を行使すれば、ますますこの村に正しく勇者がいると知られてしまうため、この村に対しての干渉はしないと決めていたのだという。
マリアの父親に雷を落とし、母親を天空城へと連れ戻した制裁以降、マスタードラゴンの動きは全て止まった。
彼は自身に対しての枷を設け、『勇者狩り』に関することには手を出さないと決定していた。
それが一番、勇者となるべき者がデスピサロの勇者狩りの手を逃れる確率を上げることなのだと、彼は確信していたのだと言う。
実際には、マスタードラゴンのその選択ゆえにマリアが生き残れたのかは、定かではない。
ただ、奇しくもあの惨劇は、マリアにとってそれまでの人生に関与していた人々を誰一人残すこともなく葬り去り、地上で生きるための足場を奪った。
旅を共にした仲間達はそれぞれの生活があり、何の苦もなく自分達の居場所へと戻って行ったけれども、マリアはそうではない。
血が繋がっている木こりとの接点は薄かったし、唯一の肉親である天空人である母親は天空城から離れられぬ状態だ。
それを知っていて、マスタードラゴンは、戦いの後でマリアに誘いの言葉をかけたのだ。天空に来ないかと。
マリアは即答で断った。
例え誰もいなくとも、自分が生きるべき場所は天空ではないと、彼女は強く思っていたからだ。
自分の17年間はこの村と共にあったし、村のみんなを殺したデスピサロを倒すことばかりを思って旅を続けてきたのだし。
そして、マリアはあの晩、この場所でピサロと戦って勝った。勝ったけれど。
あれで、村の人々を屠った男への無念なぞ、晴らせるわけがないのだ。
マリアに負けようとあの男は、自分が村人を殺したことをこれっぽっちも悪いとは思っていない。きっとそれは彼が生きている限り、曲げないことなのだと思う。
かといって、命には命の代償を、とピサロを殺せば全てが終わるわけではないともわかっている。そんな報復は子供が思いつく程度のことだ。
ピサロを殺す、という行為は、とても簡単な符号のようなものだ。それをすれば、村人達の無念を晴らすことが出来て、自分はようやく自分を許せるのだろう、と信じていた。
けれど、それは本意ではないし、己を許すためのわかりやすくててっとり早い行為、自分をある意味では騙すための行為なのだと、旅の終わりに薄々マリアは気付き始めていた。
では、自分は本当はどうしたら良いのだろうか。
このままピサロから逃げてどうするのだろうか。
ピサロを倒す気がない、とマリアはロザリーに言った。けれど、それならば、どうやってこの村に戻れるのか。
あの時、力が足りなくてみんなを守れなかった自分。
そして、みんなの仇であるピサロを殺すことが出来ない自分。
いつになったらそれらを許せるのか、マリアには想像出来ない。
何一つ答えがないのだ。
答えがないということは、何一つ正しいことを自分がしていないということだ。
それをマリアはわかっている。だからこそ、どうすれば良いのかを悩んで悩んで、必死に答えを探して、心が決まるまでは、と逃げ続けていた。
けれど、彼女にはいつまでも答えが見つからないまま。
考えた末、それらの苦悩は、この世界に『自分にとって大切なもの』が存在した、あるいは存在しているせいだということに気付いた。
ロザリーを悲しませたくない。
どこにいるのか所在も不明のまま、仲間達に心配もかけ続けたくない。
自分のその思いは、それらのものが大切だからだ。
(全部、捨ててしまえば、楽になるのかもしれない。天空で、天空人の道理で生きていけば、地上と疎遠になって)
旅の仲間達の笑顔を思い出す。
きっと、あの優しい人たちはみんな「もう済んだことだ」と言って、マリアを前に向かせようとしてくれるに違いない。
ある時、そっとマリアが苦悩を漏らした時、みなは優しく声をかけてくれた。
ピサロなんて放っておけばいい、村の人たちの仇を討つ必要はない。
マリアが勇者として立派に務めを果たしたことが、何よりの供養だ。
どう考えたって、それが正しいのだと思う。
自分を縛りつけるのは自分自身で、村のみんなでもピサロでもロザリーでもない。
けれど、どうすればいいのかわからない。
今までずっと、そうやって縛り付けることで、なんとか正気を保って戦い続けてきたのだし。
(多分、それがいけなかったんだ)
マリアは膝を折って四つん這いになり、雑草の上に突っ伏した。
前を向かせようとしてくれている仲間達の気持ちに、自分はまだ応えられない。
そのことも心苦しくて、誰に会ってもどこか自分は上っ面を取り繕っている気がする。
そんな自分が嫌で、たとえみんながわかってくれていても、彼らにうまく甘えることが出来ない。
時々、自分だけがなぜかこの世界と折り合いがついていないような、そんな漠然とした恐怖に彼女は支配される。
いつまでも自分自身を許せない自分。
何も自分を助けてくれない神様。
自分と何一つ関係がなかった「広い世界」を守らなければいけない勇者という者。
心がまっすぐで志がある仲間達。
絶対に殺そうと強く願っていた男。
歪んで絡んだ糸を、更に絡ませたのは自分だ。
ロザリーを生き返らせて、ピサロの力を貸すことを最終的に選んだのは自分。
その選択は、『もしも、勇者という存在ならばどうするか』。
その自問自答の結果だった。
それは、「マリア」という人間が出した結論ではない。
あんな男の力を借りたくない。世界樹の花をあんな男のために使いたくなんかない。
でも、もしも、村のみんなが望んでいた「勇者」だったらきっと。
そうやって生きてきた。感情のままに生きては、ロザリーは死んだままだったろうし、後味が悪くともデスピサロを殺し、更に後に控えていた黒幕エビルプリーストも倒し、何もかもを屠ることで解決をしたに違いない。それは、勇者の所業ではないし、仲間達にとっても歓迎しかねることだっただろうし、それについては後悔をしてはいない。
けれど、そうやって生きる時間は、旅と共に終わったのだ。
ここにいる自分は勇者であって勇者ではない。だから、もう「勇者だったら」と考えて、自分を縛らなくて良いのだ。
そう思った瞬間。
まるで呼吸のやり方を忘れたかのような息苦しい日々の訪れに、マリアは愕然とした。
彼女を囲む世界は矛盾を孕み過ぎて、勇者として生きようとしたが故に取り返しの付かない事態になっていた。
涙と共に、正気を保つ何かが自分の中から零れ落ちていくような気がする。
「死んだら、いい!ピサロなんて、死んでしまえば……ピサロが、死なないなら」
いっそのこと、わたしがいなくなればいい。
わからない。
今だって、シンシアのことを思い出せば体中の体温があがり、ピサロを八つ裂きにしたい衝動にすら駆られる。
けれど。
あの旅の中、月明かりの下。
戯れや興味本位で彼女に手を伸ばしてきたあの男といた時間、自分は勇者というものではなかったような気がする。
けれども、それが何を意味するのか、彼女にはもう向き合う勇気が残されていなかった。
「もう、いい……」
村を、捨てよう。
自分を愛してくれて、自分を守ってくれた人達の無念も、痛みも、捨てよう。
父を殺し、幼かった自分から母親を引き離したマスタードラゴンへの恨みも捨てよう。
そうすれば、何もかもうまくいく。
たくさんの、余計な感情。
それらはどれもこれも、マリアの心の中で黒く黒く渦巻いて、いつでも彼女の足首を掴んでいるようなものだった。
それがあるからこそデスピサロを倒そうと思うことが出来たし、旅も続けられた。
「なんで、お前が、一番の黒幕じゃなかったんだ……!!そうしたら!」
何も迷いもなく殺せて。
ロザリーを生き返らせることもなく、自分は一人でここで生きていけたのに。
そして、あんな甘美な、月の夜の静かな時間を得ることはなかっただろうに。
けれど、その思いは今となっては無意味な繰言だ。
彼女がどれだけ繰り返そうが、マスタードラゴンに願おうが、ピサロ本人に言おうが、変えようのない事実。
「誰か、言って。お願い、言って。間違ってなかったって。それでよかったんだって。それか……どうしてピサロを殺さないんだって、責めて。何でもいい。何でもいいから、教えて……」
そう呟きながら、マリアはがたがたと震えた。
「わかってる。本当は天空に行ったって、何も楽にならないってことぐらい!」
でも、どうしようもないではないか。
ピサロがどんな用事で自分を探しているのかなんてことは、マリアには関係がない。
次にあの男に会ったら、自分は狂ってしまうのではないかとマリアは恐れる。本当に、いっそのこと殺してしまったら楽になるのかもしれないと思う。なのに、それを許せない自分がどこかにいて、せめぎ合うのだ。それは、勇者である自分なのだろうか?それとも?
がくりと抜ける腕の力。
本当にピサロを殺したいの?
本当に死ねばいいと思っているの?
誰かがわたしを責めてくれたら、わたしはどうするの?
間違っていなかったって許されたら、その先わたしはどうなってしまうの?
口走ることが本音なのかもわからず、何度も矛盾した言葉を繰り返し、何が正しいとか、どうしたいとか、確実なことは彼女にはひとつもわからないまま。
不確定な己の気持ちに気付くたびに強く揺れ、もがこうにもどうもがいて良いかわからず。
土に頬をこすりつけて、マリアはすすり泣いた。
もうすぐ、何かが「来る」ような気がする。耳の奥、遠くから何かが聞こえる気がする。
それは彼女の嗚咽だったけれども、マリアはそのことにいつまでも気付くことが出来なかった。


ロザリーヒルに戻ったピサロナイトは、マリアからの伝言をロザリーに伝えた。そして
「天空へ行くようにと勧めておきましたし、本人もそうするつもりだと言っておりました」
と告げ、退出の意味を込めた一礼をした。
それへ、ロザリーは声をかけず、ただ、彼が部屋を出ようとその背中に呟きを投げかけた。
「それは、残酷なことを、重ねて口になさったのね……」
彼女のその言葉に、ピサロナイトの足は止まった。
子猫が小さく鳴き声をあげて、椅子に座っているロザリーの足元にまとわりつく。ロザリーは手を伸ばして子猫をひざの上にあげた。
「ロザリー様はわたしを責めるのですね。わたしは己の立場で最良の選択をしたまで。たとえ、それを責められても、覆すつもりはありません」
僅かに振り返って、はっきりと自分の意思を告げるピサロナイト。
それへ、ロザリーは悲しげな表情で軽く首を横に振って見せる。
「いえ。誰が責められましょうか。あなたは忠実に、ピサロ様のことを考えてくださってのことなのですし。ナイトさんを責めているのではありません。けれど……」
「けれど?」
「マリアさんにとって……天空に行くということは……天空へ行けと言われることは、死ね、と言われることと大差ないのではないかと……そんな気がしてならないのです。それを言ったナイトさんのことは責めようとは思っていません。ただ、マリアさんは、どれだけ心を痛めているのかと……思うと……」
そういって、ロザリーは胸元に抱いた子猫を潰さぬように、何かに耐えかねたように体を丸めた。
長い髪が肩から零れ落ち、彼女の腕やテーブルの上へと広がる。
自分は悪者か。
それでもいい、とピサロナイトが思った瞬間、うつむいて表情を見せないロザリーからは更なる呟きが漏れた。
「天空にいるマスタードラゴンは、マリアさんのお父様の命を奪い、お母様と引き離した張本人。そして、ピサロ様は、マリアさんの村の人々の命を奪った方。どこに生きようと、あの方は憎しみの心と折り合いをつけなければいけないのでしょうか」
ピサロナイトは完全に振り返った。
「……ロザリー様は、あの女のことをよくご存知ですね」
「お友達、に、なれたら、と」
かつん。
ロザリーの足元に落ちるルビーの涙。
「天空城に行く時に、ピサロ様は本当に、それは忌々しそうな表情でいつも嫌がっていらっしゃいました。けれど、わたしは、マリアさんも嫌そうな顔をしていることに気付いてしまって……お聞きしたんです」
顔を上げぬままのロザリーの声は震えていた。ピサロナイトはどうしてよいかわからず、ただその場に立ち尽くすだけだ。
「マリアさんに……ごめんなさい、嫌なことを聞いてしまって、と謝ったら、あの方は……謝らなくていいって……わたしのことを気にしてくれて、ありがとう、なんてことをおっしゃって……ああ、この人とお友達になれたら、と、わたし……ああ……何をすることが、一番、誰も苦しまなくて済むの?」
その最後の言葉は、自分への呟きだ。
ピサロナイトは、まるで彼女のその想いをねじ伏せるかのように言った。
「あの女が天空に行くことです。たとえそれがあの女にとって今は苦しいことでも、ピサロ様もロザリー様も困らなくなるではないですか!それに……時間というものが解決する問題などもありましょう……たとえ、マスタードラゴンとやらが親の仇だとしても、この世界からマスタードラゴンを消すことは出来ないのでしょうし、あの女は天空の血が半分流れていると聞きました。それならば、いつかは、天空での生活も……」
ロザリーの胸元に閉じ込められていた子猫が、彼女の腕をすり抜けて、とん、と床に下りた。
強い意気込みでロザリーを説き伏せようとしたピサロナイトは、そのまま言葉を止めて小さくため息をついた。
多分、ないのだろう。
ピサロナイトはマリアのことを知らない。
けれども、ロザリーが言うことが本当ならば。天空に行くということが、彼女にとっての死を意味するほどに忌まわしいことならば。
人は、そんなものにそうそう慣れるとは思えない。
それに、人間は魔族やエルフと違って寿命が短い。その短い命の間に、時間が解決してくれるのはいつの頃になるのか。
一瞬そんなことを思ったが、ピサロナイトは自分のその思いを打ち消そうとした。
彼は、マリアのことなぞ、考える必要なぞないと思った。
マリアが天空に行き、そのことをピサロが知る。それで終わりだ。
ロザリーがどれほど悲しもうと、それこそ、時がいつか解決するに違いないし。
そのように思い、彼は己の物思いを忘れようとした。が、次のロザリーの言葉にピサロナイトは仰天した。
「わたし……ピサロ様に、聞いてみます。どうして、マリアさんを探すのか」
そういいながら顔をあげるロザリー。
その表情は悲痛さがにじみ出ている。
どこかで見た、とピサロナイトは思う。
(そうだ。あれは、ピサロ様がデスピサロとして……)
ロザリーの気持ちを裏切るように、追いすがる彼女をなだめてこの部屋を行き来していた頃。
「!…・・・し、しかし、それはロザリー様は知らないことになって……」
「わたしがそのようなことを聞くのは、ピサロ様にとってもマリアさんにとっても、それから、ナイトさんにとっても不本意なことだとわかっています。わたしは、あのお二方から優しく守られながらも、まるで無関係な者のように……それこそ、腫れ物に触るように扱われていますから」
「ロザリー様……」
「でも、不本意と思われても……わたしだけが……わたしだけが、マリアさんとも、ピサロ様とも、話が、出来るのですもの。わたしが……」
ロザリーは繰り返し『わたしが』と繰り返す。
まるでそれは、言い聞かせなければそのための一歩を踏み出せないと、彼女自身が思っているようにピサロナイトには聞こえる。
「……何かを失うということが、わたしにはずっとありませんでした。敢えて言うならば、マリアさん達にナイトさんが倒された時だけ。ピサロ様にここに連れて来ていただいてから、わたしには多くの自由もなく、けれど不自由もなく、ピサロ様が遠くに行ってしまうという恐れはあったけれど、決定的に失ったことはありませんでした。だから、今わたしは、本当に怖いんです。わたしが口を挟むことで、ピサロ様や……マリアさんを失うと、思うと……でも……きっと……マリアさんはとっくに、ピサロ様のせいでたくさんのものを失っていて……」
「ロザリー様。他人と自分を比較することは無意味です。たとえピサロ様があの女の村を滅ぼしたとしても、それはあの女の力不足。そして、わたしがあの女の一行に倒されたのはわたしの力不足。それは何かと比較することではありません。ロザリー様がたとえ、何を失っていないとしても、だからといって今度は自分の番だ、などといったことを考える必要なぞありはしません」
ピサロナイトはまたも強い口調でロザリーの想いを変えようと、普段の彼らしくもなく語気を荒げて告げた。
そんな彼に、ロザリーは泣き笑いの表情を向ける。
「ナイトさんは、今日はとてもたくさん、わたしと話してくださるのね」
「っ……」
「わたしのせいで、ピサロ様への秘密を作ってしまって、ごめんなさい。ふふっ、でも、誰かと秘密があるなんて、久しぶりのことで変な感じです」
ピサロナイトは返答に窮した。
彼女のその言葉は、これ以上ピサロナイトに心配をかけまいと無理をしたものだとわかっているからだ。
そして、確かに自分はいつになくロザリーと話をしている、とも思う。
いつもならば、『ロザリー様は余計なことは考えず、ピサロ様にお任せしていれば良いのです』などと言い放って退出をしてしまうだろうに。
(それほど、この問題はややこしいのだろう……口を挟まずに放っておくには、少し深入りしてしまった)
ピサロナイトはいたたまれなくなり、『失礼します。警護に戻ります』と言って、足早に部屋を出た。
きっと、自分がいるから余計に、ロザリーはマリアのことを考えてしまうのだろうと彼は判断したのだ。
どちらにせよ、彼がここで警護をしている間は、ロザリーはピサロに会いに行くことは一切出来ないし、ピサロが訪れればまたロザリーの気分も変わるだろうと思える。
想い人の訪問に喜び、ロザリーが妙な気を起こすことを忘れてくれることを彼は願った。
(早くあの女が天空に……)
いつも通りの薄暗い通路。
誰もいないはずのそこに、一瞬誰かの気配を感じ取ったようにピサロナイトははっと顔をあげた。
いるはずがない。
あの女が。


――マリアさんにとって……天空に行くということは……天空へ行けと言われることは、死ね、と言われることと大差ないのではないかと――

――どこに生きようと、あの方は憎しみの心と折り合いをつけなければいけないのでしょうか――

――自分に誠実でいることが、他人の不幸を招くんだったら、選ばなくちゃいけない――

――自分の命は自分のものだけれど、自分以外のものによって生かされているのよ――


彼が知る二人の女性の言葉。
それらは、きっと『愛情』というものが姿を変えたものなのだろうと思う。
ロザリーはマリアを思って。マリアはロザリーを思って。
そして、きっと二人は、各々違う形で、違う感情をピサロに向けているのだろう。
ではピサロは?
(まったく、わからぬ)
ロザリーがピサロに寄り添う姿は、今まで幾度となく見てきた。彼にとって当たり前の日常であり、正しい恋人達の姿とすら思える。
ピサロとロザリーが肩を寄せ合う姿はしっくりときて、まるでずっとずっとそうだったような錯覚に陥るほど『そうであって当たり前』と思えるような絵だ。
ロザリーと見詰め合うピサロからは刺々しさが消え、彼にとってロザリーの存在が唯一のものであることがピサロナイトには伝わってくる。
では。
(あの緑の髪の)
マリアとピサロは。
ふとそんなことを考え、ピサロナイトは愕然とした。
彼の脳内で浮かんだその二人の様子は。
見たことがないはずなのに、鮮明に浮かぶイメージ。
(何を考えているんだ、俺は)
彼が思い浮かべたピサロとマリアは、決してお互いを見ることのない背中合わせだったけれど。
それでも、その二人が共にいる姿を、彼は『おかしい』だとか『不釣合いだ』とも思えなかった。
何か強い意志を持つ者同士は、もっと反目しあうものだと思っていたのに、あの二人は。
多分、敵同士ではないのだ、と、初めてピサロナイトは気付いたのだ。



Fin 
 
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モドル