月の欠片――空に生きる者たち(1)――


ピサロナイトがマリアの村から去って、およそ二日後。
二日。
それは、思いつめたロザリーが腰をあげ、ピサロナイトに「ピサロ様のところへお伺いします」と告げるには、十分な時間だった。
そしてまた。
何かを察知したように、ピサロがピサロナイトを呼び出すにも、十分な時間だったのだろう。

何かの進展があるやもしれないから、と、ピサロナイトはかなり強引にロザリーを説き伏せて、彼女を置いてピサロの元へ足を運んだ。
とはいえ、ピサロが彼を呼び出す理由が、必ずしもあの勇者マリアのことというわけではない。
もし、それとは違う内容であれば、ロザリーヒルに戻った後で再びロザリーを説得しなければいけない、と彼は内心うんざりしていた。
いいではないか、もう。
あの女勇者は天空に行くと言ったのだし。
そうすれば、日常が戻るだけではないか。ピサロ様もロザリー様も。
心のどこかでは、それが解決策ではないことを知りつつも、ピサロナイトは必死に楽観視をしようと自分に言い聞かせた。
元来彼は楽観的な性格ではないし、そうである自分のことは嫌いでもない。
生きていくにあたって、無意味な楽観は彼ら魔族や魔物達にとっては死に近づくことだと思っていたし。
それでも、この件に関しては彼は楽観でありたいと願った。
そう願わずにはいられないほど、事が入り組んでおり、処置のしようがなかったからだ。
(もしかして、あの女が天空に行ったことを、どこからかピサロ様のお耳に入ったのだろうか)
だったら、何故自分は呼び出されるのだろうか。
天空と魔族はそりが合わない。
ピサロのように魔族の性質をより色濃く持つ者は、天空の地を忌み嫌う。
話に聞いたところによると、天空には城があり、そこにピサロは一歩たりと入ったことなぞないという。
何かの結界が張ってあるわけでもないのだろうが、ただ「気に入らない。不快だ」と、ピサロは感じ取り、寄りつこうとしないのだ。
天空の者も魔族も、種族特有の「属する」力に依存している。それは、どんな生き物でもそうだが、その二者はより一層その力への傾きが強い。
彼ら魔族は地の底より生まれいづる者と言われているし、天空の者達は空に生きる者。
その真逆な環境は、種族の性質を左右し、どうあがいても埋められない大きな溝を二者間に生むことになった。
ピサロのように、種族の血なり力なりが濃ければ濃いほどに、それを肌で感じ取るのだろう、とピサロナイトは思う。
もちろん、彼は天空城に行ったことなぞない。
興味がまったくないわけではないし、ピサロから受け継いだ情報により、彼もまたキメラの翼を使えば天空城に行くことだって出来る。
けれども。
ピサロナイト自身『居心地が悪いことなのだろう』と思える、それが天空。
彼ら魔族の根底にあるのは、空の生きる者達が持つ特権意識への反発だ。
決して天空の者に「そうだ」と言われたわけでもないのに、ピサロナイトですらそう思える。
であれば、己の主はよりいっそうその思いが強いのだろうと彼は想像したし、そうであってくれれば助かるとも思った。
ピサロが天空まで、勇者マリアに会いに行くはずがない。いや、会いに行こうなんて暴挙に出ないことを、彼は祈っていたからだ。


ピサロナイトがピサロの元へ駆けつけた時、彼の主は退屈そうにカウチに寝そべっていた。
以前はデスパレスの玉座を自分の定位置としていたが、最近は別室で書物を読んだり、城の宝物庫――といっても、それはピサロしか知らぬ場所にあり、未だピサロナイトもその場所に心当たりすらないのだが――から古いマジックアイテムを持ち出して調べている。
進化の秘法の正体を突き詰めるのには、相当エビルプリーストの研究に依るところが大きかったのだが、その実、ピサロ本人も貢献をしていたのだ。
彼がそうやって何かを調べているということは、よからぬことを企んでいるのかもしれない、とピサロナイトは主の動向が気になっていたのだが、城にいる魔物達はそこまで考えが及ばない。むしろ、最近ピサロが部屋によく閉じこもっているので怒られなくて済む、ぐらいにしか考えていないのだろう。
ピサロはピサロナイトを見ずに、カウチにもたれかかったまま書物に目を落としつつ言った。
「遅い」
「はっ、申し訳ございません」
それは、ピサロナイトがロザリーを説得していた時間の分だろう。
ピサロナイトは、ピサロが何を言い出すかわからないので、ひとまず様子をみてから、とロザリーをなんとか説き伏せてからここに来た。しかし、彼自身『遅いことを勘ぐられなければよいが』と思うほど、ロザリーは珍しい駄々をこね続けたのだ。
彼は内心、『やはりな』と思いながら床に膝をつき、頭を下げた。
そして、彼の主からの次の言葉を待った。
彼の主は気まぐれなところもあり、彼を呼びつけたからと言って即座に用件を告げるとは限らない。
だから、今日もそんなところだろう、と彼は思った。思ったのだが。
しばしの沈黙ののち、カウチに寝そべったままで彼の主が放った言葉は、彼の背筋を凍りつかせるに十分なものだった。
「……奇跡の剣を、どうした?」
「……!!」
「わたしのもとに来る時は、どこかに置いてくるのだろう?今日は、どうした?律儀に持ち歩いていたのではなかったのか?」
兜の中で、ピサロナイトの表情はこわばった。
意味が、わからない。
何もかも、わからない。
どうした、と聞くのは。どこかに置いてくるのだと言うのは。
ピサロナイトが、奇跡の剣を持ち歩いていたことを知っているからだ。
では、何故最後の質問が?
律儀に持ち歩いていたのではなかったのか?
おかしい。
ピサロのもとに来るときには、必ず奇跡の剣を隠してきていた。
どうやらそれをピサロは勘付いているらしい。なのに、何故そういう質問が更に来るのだろうか?
ピサロナイトは混乱していた。
奇跡の剣を彼が持っていることをピサロが知った。ただそれだけのことならば、何故、と思いつつ、そこまで驚かなかっただろう。
ピサロの言葉は一方では矛盾をはらみ、けれど、もう一方では正しい。
まさか。
奇跡の剣を、ピサロナイトが持っていて。
そして、『もう、今は持っていない』ことを、何故ピサロは。
「ふん、わたしを謀ろうとしたことを、今更後悔しても遅いぞ」
ピサロは、忌々しそうに顔を歪めた。
その表情をピサロナイトは知っている。それは、ピサロが心底怒っている時のものだ。
「兜をしていれば、お前の様子がわからぬと思っているのか」
「い、え、決して……」
「兜を取れ」
「……はっ……」
ピサロナイトは、意を決して兜をはずした。
ここで躊躇してもたもたしていれば、彼の主は更なる癇癪を起こすであろうと、彼はよく知っていたからだ。
「もう一度聞くぞ」
目を背けることなぞ出来ない。
ピサロナイトは恐る恐る、主からの厳しい視線を真っ向から受けた。
切れ長の冷たい赤目は細められ、ピサロナイトを見下し、虐げる。
カウチに寝そべっている様子こそは余裕のある優雅な様子に見えるのだが、その視線と声音は攻撃的だった。
「奇跡の剣を、どうした」
「そ、れ、は」
言葉が喉にはりつくように、うまく出ない。そんな剣は知らない、と答えればよいのか。いや、それは最早無駄だと彼は悟った。
と、まるで、彼を責めているピサロ本人が彼を救済するかのように、先回りをして冷たく言い放つ。
「ロザリーの部屋に、奇跡の剣が置いてあることを、わたしが気付いていないとでも思ったのか」
「!」
ピサロナイトは、体をびくりと震わせた。
すべて、見抜かれていたのだ。
山奥の村でピサロがマリアに敗れたあの夜、ロザリーが奇跡の剣を持ってきていたことを。
とはいえ、ピサロは愛しい恋人の部屋を家探しをするような、下卑たことをする性格ではない。
であれば。
(あの剣の属性か……)
しまった、とピサロナイトは内心で舌打ちをした。
奇跡の剣は、天空の剣に比べれば天空の属性は弱い剣だ。
しかし、それとはまた異なり、神聖なものの加護を受けていることは確かだ。
だからこそ、魔族であるピサロナイトは、奇跡の剣を自分は振るえないと思ったし、彼の身を包む緑の甲冑がもつ力と相反するあの剣を、少しでも早く手放したいと彼自身思っていたのだし。
天空城に足を踏み入れることを毛嫌いすることと同じで、きっとピサロは「そこに、忌み嫌うものがある」と感知していたのだろう。
「あの女を探せと命じてからすぐ、ロザリーの部屋からあの剣の気配が消えた」
「……」
申し開きの余地がない、とピサロナイトは観念した。
せめて、動揺の表情だけはこれ以上出すまいと腹をくくり、主の言葉に慎重に耳を傾ける。
「お前に預けたのだろう?まあ、お前は任務を口に出すようなことはしないだろうから、ロザリーが感づいたか」
それへ、ピサロナイトは返事をしない。それは、彼を評価してくれる主の本音であったものの、容易に言葉を返して良いのか悪いのか、判断することがこの状況では難しい。
そんな彼の態度を特にピサロはなんとも思わぬようで――とはいえ、間違いなく怒りは継続していたのだが――数拍置いてから言葉を続ける。
「気付かれぬようにと、わたしに会う時にはどこかに置いてきたな?あれほどの強い加護を持つ剣、その残り香をわたしが気付かないとでも思ったか。それでなくとも、お前の鎧は、相反する力の加護を受けているのだし、一目瞭然だ」
一目瞭然。
もちろん、ピサロは「見えていた」わけではない、とピサロナイトは思う。しかし、その言葉はある意味で合っているのだろう。
当然、剣であるから「残り香」という言葉も本来正しくない。
が、ピサロのその言い回しでピサロナイトは全てを理解して、再度、観念した。そして、己の浅はかさをも呪う。
もはや、どこで「申し訳ありません」と言葉を割っていいのかも彼には判断がつかない。彼の主はどこまでわかっていて、何故それに目を瞑って今日まで彼を泳がせていたのかと、そのことにいささか疑心暗鬼にもなってきた。
そういう時は、うかつに自分から口を開かない方がいいと、彼は知っているのだ。
(奇跡の剣をロザリー様が所持なさっていることを、ピサロ様は何も追及なされていないのだ)
それは、どういうことなのか。
ピサロナイトがそう思った瞬間、予想外の言葉がピサロの口から飛び出した。
「あの剣を、あの女に返すためにお前が持っていたのは、構わん。それは、わたしが知ることではない」
「は……」
「ロザリーヒルでの警護に戻った後も、お前はあの剣を身近に置いていたはずだ。だが、不思議なことだな。今日は」
「……」
「……いつだ?」
ピサロは口端を歪めて、忌々しそうにピサロナイトに尋ねた。
が、それに即答出来るほど、ピサロナイトは全てを理解をしているわけではないし、もし理解したとしても、こんな形で自分から白状をするのはごめんだと思ったことだろう。
「いつ、とは……何のことでしょうか」
「お前のもとから、あの剣がなくなってから。あの女を捜していたお前が戻ってきて、ロザリーの警護についてからも、あの剣はお前の手元にあったのだろう。だが、今日は、違う。すっかり、どこにも、あの剣の気配がない」
「……っ」
ピサロナイトは頬を軽く紅潮させた。
完敗だ、といわざるを得ないだろう。
ピサロは、既にピサロナイトが勇者マリアと会って、奇跡の剣を渡したことを見抜いているのだ。
「いつ、アレに、会った」
「……二日、前でございます……」
はっきりとは言わず、「アレ」と告げるピサロだったが、さすがにもうピサロナイトも「アレとは、何のことでしょうか」と尋ねることが出来なかった。そんなことをしたら、間違いなくピサロの逆鱗に触れると、彼はわかっている。
目の前にいる主の怒りが深いこと、けれど、その怒りを何もかもピサロナイトに頭ごなしにぶつけられぬような事情がピサロにはあること。それをピサロナイトは重々承知をしていた。
「どこにいる」
「その時は、ブランカの北東の……生まれ故郷に」
「今は」
「わかりませぬが、天空に行くのだと言っておりました」
「なんだと。何故、報告に来なかったのだ」
それを問われると、ピサロナイトは答えに窮する。
何を言い繕おうと真実はひとつであるし、その真実以外にピサロを納得させられるものがないことを彼はよくよくわかっていた。
もう、どれほどの不興をかおうと、正直に言うしかないのだろう。
そう彼が心を決めて口を開こうとした瞬間、ピサロは舌打ちをして、荒っぽく言い放った。
「もう良い。お前には失望した。何のためにお前を生き返らせたと思っている」
「も、申し訳、ございません……」
それを言われては、ピサロナイトは青ざめるばかり。
ピサロはカウチから立ち上がり、膝をついているピサロナイトに近づいた。
そう遠くもない距離であるため、かつん、かつん、とピサロは四歩歩いただけだったのだが、床を鳴らす音はピサロナイトの鼓膜の奥で妙に反響をして、やたらと長い時間にすら思えた。
死刑執行前の罪人というものは、こういう気持ちになるものだろうか、とピサロナイトの頭のどこかにちらりと、余計な思いが浮かんでくる。
「暇を出して欲しいのか?」
「そのようなっ……!」
「それが嫌ならば、一度だけ、お前に挽回の機会を与えてやろう」
「ピサロ様……!」
彼は、多くを聞かない主を恐れ、唇を噛み締めた。
ピサロは、何故、とピサロナイトに一度しか聞かない。それは、聞こうと聞くまいと事態は変わらず、どちらにしたってピサロナイトに対する怒りが収まるような背景が彼にあるとピサロには思えなかったからだ。
ここにあるのは、ピサロナイトが勇者マリアと会い、奇跡の剣を渡し、そのことをピサロに黙っていたという事実だけ。それだけだ。
それに対して「何故」と問う必要がピサロにはない。
どんな言い訳をしようと、ピサロナイトがピサロを裏切った、という結論に達するのは目に見えている。
「天空城から、あの女を連れ戻せ」
「えっ」
「地上へ」
「で、は、勇者マリアを迎えに行き……ここに、連れて参れば良いのですか」
「そんなことは言っておらぬ!」
「は……」
ピサロは苛立ちに任せて叫び、右足で床をダン、と強く踏みつけた。
「地上へ、連れ戻せ」
「そ、れ、だけで」
「くどい!何度も言わせる気か!」
「わかり、ました。謹んで、拝命、いたします」
ピサロナイトは腕を胸にあて、頭を垂れながらそう告げた。その頭上から、ピサロの舌打ちが再び聞こえる。
聞きたいこと、言いたいことはピサロナイトにもあった。
今までピサロナイトは、余程のことがない限りピサロには口答えをしなかったし、不本意理不尽と思うことでも『ピサロ様の命であれば』と耐え忍んできた。
だから、今回も。途方もない命令でも、彼は全力を尽くした。その末に起きた裏切りがどういうことなのか、本当は言葉に出したい。
よかれと思ったことでも、ピサロに対して不義理な行いをしていたのは事実だ。それをピサロナイトは受け入れている。責められることは仕方がないと飲み込める。
だというのに、ピサロナイトはピサロに事細かには追及されない。それが、彼にとっての不運だった。
残念ながらこの件に関しては、むしろ追及されるぐらいの方がピサロの思惑も見えてくるのではないか、とちらりとピサロナイトは思う。
それを知ってか知らずか、責められる立場の自分をピサロが口うるさく責めないのだから、自分もピサロにあれこれ問い質すことなど出来るはずもない。
この状況は最悪だ。
口で責めたてなくとも、主の怒りが深いことはピサロナイトには伝わっている。であれば、自分にはこれ以上の選択肢はない。
今、与えられたこのチャンスを生かさなければ、きっとピサロは本当に「いとま」を自分に与える。
そうなれば、自分以外の誰かがロザリーの警護をすることになって。
(そんなことは、考えられない。わたしは、もう二度とロザリー様を危険な目に合わせぬと誓ったのだ)
だから、あの勇者ですら、近づけたくないと願っていたのに。
これでは、話があべこべになってしまう。
そんな複雑な心情を押し隠すように、ピサロナイトは更に深く頭を下げ
「はっ、謹んで、拝命いたします……」
と、低く答えを返した。それへ、無慈悲な主の声が突き刺さる。
「今すぐ行け。わたしは、今すぐロザリーのもとへ行く」
頭を下げた状態で、ピサロナイトはぴくりと体を震わせた。
有無を言わせぬその声音は、明らかに怒りが籠っていた。『それが出来ぬというならば』という言葉が本当は続くことを、ピサロナイトは知っている。
ピサロに追及したい。ロザリーの心情を訴えたい。複雑なそれらの思いを懸命に飲み込んで、ピサロナイトは機敏に立ち上がった。
「かしこまりました。それでは、失礼いたします」
兜を小脇にかかえて一礼をして、彼はピサロに背を向けた。
少しでも早く、この部屋を出ないと。
そうしなければ、口から余計なことが飛び出そうだとピサロナイトは思う。
背後では、何やら布が擦れる音がする。
カウチの傍らにある椅子――ピサロが書物を乗せ、台のように使われていたが――に無造作にかけられていた外套に、ピサロが袖を通しているのだろう。
だとしたら、今からロザリーの元へ行くというのは、ピサロナイトへの牽制でも脅しでもなく、本当のことに違いない。
ロザリーのもとへ行き、ピサロは何を話すのだろう?
どっどっどっ、と早い鼓動に焦りつつ、ピサロナイトは大股で部屋を出て、通路を歩きだした。
自らが招いたこの状況を心から呪いながら。


天空に行く前に、とピサロナイトは山奥の村に足を運んだ。
皮肉なもので、自分があれほど勇者マリアに対して「天空へ行け」と言い続けたというのに、今になっては「まだ行かないでいてくれれば」とつい思ってしまう。
身勝手とわかりつつも、一縷の望みをかけて、彼は二日前に訪れた場所へと向かった。
村「だった場所」は、二日前と全く何の変りもあるようには見られない。
マリアがここを離れようと、ここにまだいようと、劇的な変化が見られるわけがないのだ。
ピサロナイトは声を張り上げた。
「勇者マリア、いるか!?」
静まり返る中、彼に返事をしたのは木々を渡る鳥のはばたきと、それによってたわんだ枝葉の揺れる音。それだけだ。
ぐるりと周辺を伺い、そういえば、その辺に放り投げっぱなしだった食器類があった気がする、とピサロナイトは探索をした。
と、彼はふと、二日前と違う部分をついに発見した。
それは。
「花を……」
たくさんの花。
ピサロが勇者狩りをした日に死んでいった、この村の人々を弔った墓標の前に並んだ花々。
それらは、供えてあるのではない。
「植えたのか」
間違いなく、二日前にはなかった。
ピサロナイトはそれに近づいて、ゆっくりと地面に膝をつき、小さな花に手を伸ばした。
弔いの花とは、何かが違う。
彼はそれを直感し、兜の中で深い深い溜息をついた。
彼は、勇者マリアのことを、よく知らない。
知っているわずかなことと言ったら、仲間たちと共にこの世界を救ったらしいということと、ロザリーを生き返らせてくれた恩人であるということ、この村をピサロに滅ぼされた過去を持つこと。
ロザリーには優しいらしい、ということ。
天空をあまり好ましく思っていないこと。
それから、あとは。
海辺の村にいたように、スカートを穿いて細々と動きまわっていれば、普通の村娘、町娘に見えること。
パンを焼けるぐらいには女らしい家事が出来ること。
時に激しさを見せるけれど、もしかしたら優しい少女なのかもしれない、ということ。
それから。
(覚悟をさせてしまったのだろう)
ピサロナイトは立ち上がった。
ピサロナイトから逃げている間、マリアはこのたくさんの墓標に、花を添えたり植えたりはしなかった。
それは、戻ってくるだろうという思いがどこかにあったからなのではないか。
けれど、これは。
(いくら鈍くとも、この意味はわかる)

みんなに、お花を。
もしかしたら、もう戻ってこないかもしれないから。

それがどれほどの覚悟なのか、ピサロナイトには知りようもない。
が、ピサロやロザリーの言葉を鵜呑みにするのであれば、天空で生きると決めたことは、マリアの人生を変える選択肢なのだろう。
「……っ……」
彼は、自分の心が揺れた瞬間を感じ取った。
それは、彼にとっては本意ではない。
ただ、少しだけ。
たくさんの墓標の前に花の苗を植えていくことが、そう簡単なことではないことぐらい、彼にもわかる。
どこから持ってきたのかはわからない。この村のどこかに咲いていたものを集めたのだとしても、植え替える手間というのは相当なものだ。

捨てるのか。
地上の仲間も。

なんとも手前勝手な思いであるが、ピサロナイトはそんなことを感じながら空を見上げた。
どこまでも広がる薄い青色に、大きな雲が穏やかに浮かんでいる。
彼は、今までの人生に空を見上げたことなぞ、数えるほどしかない、と気づいた。
そこに広がる世界は、自分とはまったく無縁の世界でありながら、自分を見下すもの、自分の力が及ばぬ自然としう驚異。
だが、今はわかる。
その空の上に、ちっぽけな人間の決意がどこかにあるのだと。
(何をどう言いくるめて、その決意をもう一度曲げさせればいいのやら)
簡単に「じゃあ地上に戻る」と、あの緑の髪の少女は言わないだろうと、ピサロナイトはおぼろげに思った。
それほどの覚悟をきっと自分はさせたのだろうし。
ピサロやロザリーが知っている勇者マリアが、本当の彼女の姿ならばなおさらのこと。
彼は、もう一度村の仲をぐるりと見渡し、マリアの痕跡を探した。
けれど、これといって彼に必要な情報は得られない。
これ以上の長居は無用、と、彼は懐からキメラの翼を取り出した。


「うっ……」
ピサロナイトは兜の中で声を漏らした。
自分の足が踏みしめているものが、地面ではないということにようやく気付いたからだ。
白い雲。
いや、違う。
雲というものは、こんな風に大地のように踏みしめられるようなものではない。
雲の上に乗っている、と表現するのが最も適切かもしれないが、もしかすると『雲の上にのっているような錯覚』が本当なのかもしれない。
そう思うまでに、彼はかなりの時間を要した。
それほどに、空の上の世界は彼にとっては想像を絶するものだったからだ。
彼が踏みしめている――ように感じる――雲は驚くほどに大きく、彼が立つ場所からまっすぐ前を見れば、そこには城らしきものの姿がある。
雲の色に合わせてあるのか、その城の壁は白い。
それは、雨風に晒されればすぐに色を変えてしまうのではないかと思えるほど、目にまぶしいものだ。
(雨は、この下で降るのだろうか?)
足もとにある白い雲は厚く重なりあっているようで、その下の地上の様子を透かして見ることが出来ない。
ぐるりと周辺を見れば、雲の切れ間が間違いなくあり、足もとの雲の端まで行けば下を覗き見れそうなことはわかった。
が、とてもではないが、彼はそうする気が起きない。
(足を踏み出すだけでも)
ぞくり、と鳥肌がたつ。
今、ここにこうやって立っているけれど、もう一歩進んだら雲の間から落ちてしまうのではないか。
横を向けば、違う雲が重なり合う姿が見える。遠くを見て目線を少し下げれば、そこにも雲が広がっている。
では、その雲の下は。
ぽっかりと広がっている、何もない「空」と呼ばれている空間。
そこに自分が落ちてしまえば、助かるはずもない。
ピサロナイトは背中に嫌な汗をかいていることに気付いた。
何を恐れているのかといえば、自分は魔族であり、この天空という場所に縁もゆかりもない者であるということ。それによって、この雲の上に乗るという権利を、突然何者かに剥奪されたらどうなるのだろう、という妄想。
やがて、彼はぶるりと体を震わせて、一歩を踏み出した。
城へ、行かなければいけない。
どんな戦で戦うよりも彼はぎこちなく、その勇気を振り絞ることが難しく思える。
一歩、二歩。
ようやく彼は「大丈夫だ」と心の中で安堵し、城に向かってのあゆみも地上でのそれと変わらなくなった。
と、その時。
城門のあたりに、人影が集まる様子が見えた。
(手厚い、いや、手痛い歓迎でもしてもらえるのだろうか)
ピサロナイトは、ガーデンブルクでの門兵の執拗なやりとりを思い出してうんざりとした。
その上、ピサロナイトはこの場所に来るべき者ではないと、誰もが思うに違いないのだから、なかなか面倒なことになりそうだ。
ようやく、その集まってきた人々が背に翼をもつこと、手に槍を持っていることが確認出来る距離に近づいた頃、その中の一人がピサロナイトに対して声をあげた。
「お前は何者だ。何故、ここに来ることを許されている!」
「許される、とはどういう意味だろうか」
ピサロナイトはゆっくりと返事をした。
「この場に来ることが許される地上の者は、天空の血をひき天空に来るための翼を手にした者、あるいは、その者と志を共にし、共に行動をする者のみだ!お前はそのどちらでもない!」
それはそうだ、とピサロナイトは内心思う。
彼は天空の血をひいてはいなかったし、勇者マリアとなにがしかの志を共にしているわけでも、共に行動をする者でもない。
マリアと行動を共にしたピサロからよくわからない術で「許可された」からだ。
それはずるい手段なのだろうから、天空の者が不審に思うのは当然のこと。
「わたしは、勇者マリアに会いに来た」
ピサロナイトは論点をすり替えた。
「彼女がここにいるならば、彼女にその旨を伝えてもらえまいか。さすれば、何故わたしがここに来られたのか、その問いに答えることも出来るだろう」
それは詭弁だ。
しかし、彼はこの地で剣を抜く気はなかったし、そんなことをすればマリアに話すらしてもらえなくなるのではと恐れていたから、詭弁を振りかざしてでもこの場を穏便に済ませる必要があるのだ。
彼の言葉に天空人達がざわめき目配せをしていると、突如閉ざされた扉が彼らの背後で開いた。
同じく、背に翼を持つ者が一人。
外見からは位や立場の違いがあまりわからない。もしかすると、ただの伝令であって、身分の上下は関係がないのかもしれない。
その一人が、他の者に何かを伝えたと思うと、ざっと天空人達は扉の前に道を作った。
「魔の力を持つ、この地にふさわしくない者よ。己の身を守る術に、更なる魔の力を纏う者。そなたの入城をマスタードラゴンがお赦しになられました。進みなさい」
「マスター……ドラゴン……」
ピサロナイトは呟いた。
それから我に返り、足早に城に向かう。
彼のために道を開けた天空人達は、彼を城に入れることに不服があるようで、その視線は好意的ではない。
城の主マスタードラゴンの命令は絶対であっても、天空人には天空人なりの感情があるのだな、とピサロナイトは勝手にそう考えた。
彼が城に入ると、後から出てきた天空人がその後につき、直後扉は閉じられた。
外にいた他の天空人達は、きっと他に出入り出来る扉があるのだろう。
「入城は許されましたが、この城の中での自由はまだあなたには与えられておりません。我らが主、マスタードラゴンにお会いになるが良いでしょう。その後、あなたがここに来た理由が正当なものであれば、この城での用事を足すことを許可されましょうし、そうでなければ即座にこの地を去ることを余儀なくなれます」
「……たとえば、ここで勝手な動きをすれば、どうなるだろうか?」
「そのようなことを口に出すだけでも、われらを敵に回すことと御考えいただきますよう。ここは魔の者のいる場所ではありませぬ。この天空城でのしきたりにそむかれれば、即刻マスタードラゴンの怒りを買うことになるでしょう。入城を許した主の顔に、あなたは泥をぬろうと言うのですか」
「それは、騎士道に反することだ。申し訳ないことを言った。試すようなことを言った無礼を詫びよう。入城を許していただいたこと、ありがたく思っている」
ピサロナイトはそれには素直に謝った。それを天空人は素直に聞き入れたようで小さく微笑みを見せる。
「あなたの主が、以前デスピサロと呼ばれていた者であることを、マスタードラゴンはご存じです。デスピサロは、この天空城が浮かぶ雲に大穴を開け、マスタードラゴンへ宣戦布告をしました。それ故、そののちに勇者マリアと志を一つにしてこの地にピサロが来られるようになっても、天空の者達はピサロのことをよく思ってはおりませぬ。そのこと、十分にお忘れなきよう」
それは、ピサロ様も同じだ、とはピサロナイトは口に出さなかった。
「マスタードラゴンがいらっしゃる場所は、この先をまっすぐ進んだところです」
それは、ひとりで行け、という意味なのだろう。
ピサロナイトは丁重に礼を言い、歩き出した。
天空城の中は、どこもかしこも美しく、今まで彼が赴いたことがある地上にあるどの城よりも、現実離れをしているように思えた。
先程彼が感じた、まったくくすみのない白い外観に恥じることなく、内側もまた磨き抜かれた美しい床や壁ばかりが続いている。
美しい。だが、どこか生活臭が足りない。それが、ピサロナイトが感じた印象だ。
やがて、彼は天井まで届く大きな扉の前に辿り着いた。
それは、今まで彼が見たことがある扉の中で最も大きい。
これを人が一人で開けるのはなかなかに大変だと思える。
(マスタードラゴンがこの大きさなのだろうか?)
たとえそうでも、この扉を通って通路に出れば、そこはマスタードラゴンにとっては狭すぎる場所ではなかろうか。ピサロナイトはそう感じた。
(マスタードラゴンとやらに会わずとも、あの女がいる場所を教えてくれればよかろうものを)
が、それ以前に、彼がここにいる許可というものを、マスタードラゴンはまだ正式に下していないのだろうと思う。
何を聞かれるのだろうか。
聞かれたら、すべてを素直に言うべきなのだろうか。
扉の前に立ち、ドアノッカーに手をかけたが、彼はそれを鳴らすことを躊躇した。
彼自身、正直なところ「途方に暮れる」状態なのだ。
その躊躇がドアノッカーから扉越しに伝わったのか、突然室内から声が聞こえた。
いや、それは声ではない。
意志のようなものが、彼の脳に響いた。
確かに、マスタードラゴンがいる部屋がここならば、扉を閉めた状態で内側からの声が聞こえるのは大問題だろう。
ピサロナイトは『聞こえた』ように感じられたが、実際それを捕らえたのは鼓膜ではない。脳だ。

――入るが良い、魔族の若者よ。時間が勿体なかろう――

言われるまでもない、と言いたいところだったが、ピサロナイトは小さくため息をついた。
ピサロにも見通されて。
そして、マスタードラゴンとやらにも見通されているのだろうか。
自分は道化だ。
そうであれと命令されたならば別によいが、そのつもりのない道化は愚かで間抜けなものだ。
兜の中で唇を噛み締めながら、ピサロナイトは大きな扉を開けた。
とんでもない力がいるのでは、と身構えていたけれど、それはまるで彼を招き入れるように、あっさりと、容易に開いた。



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モドル