月の欠片――空に生きる者たち(2)――


ピサロナイトが足を踏み入れた室内には、赤い絨毯が敷いてあった。
地上でもよく、金持ちの家や城にはそういうものがあると彼は知っている。
天空城でも同じことなのか、一体なんだこの形式とやらは、と、彼は兜の中で表情を歪めた。
(第一……)
彼の真正面には、今まで見たことがないほど巨大な竜が鎮座しており、こちらをじっと伺っている。
あの竜が、この赤い絨毯の上を歩くというのだろうか?
そんなわけがない。
歩いたとしても、大きな扉をくぐって、その先この竜が闊歩出来るような広さがすべての通路にあるわけではないのだし。
では、この絨毯は彼のように、この天空に辿りついた客人のためにあるのだろうか?
何もかも、それは無意味ではないか、と彼は嫌悪感を抱く。
「どうした。近寄らぬのか。魔族の子よ」
竜が、喋った。
その声はとりたてて大きいわけではないが、室内の空気を振るわせる。
ピサロナイトは、彼の鼓膜を振るわせる、いわば普通の『人の声』とその『竜の声』がまったく違うものだということを体感した。
意識しなければ、それは誰にが単純に『声』と思うのだろうが、その実まったく質が違うもの。
その竜が放つ声は、その空間に存在した『自分』という者の全身で受け止めなければいけないような圧倒的な声であり、また、声ではないようでもある。
甲冑を纏っていなければ、肌で直接その声の『響き』を感じ取ったに違いない……そう彼が思うのも無理がないほど、異質なものだったのだ。
「……」
子、か。
ピサロナイトは失笑を浮かべ、歩き出した。
彼の目の前にいる竜は、今まで彼が見たことがあるどの竜とも異なる色の鱗で全身を覆っており、そして、今まで見たことがあるどの竜よりも「いかにも」強そうで、神々しさすら感じる。
神々しい。
それは、当然だ。
何故ならば、彼の予想が正しければ、目の前にいる竜は『竜の神様』と呼ばれる存在なのだし。
ピサロナイトの足は動き出した。
「……っ!?」
と、その竜――マスタードラゴン――に近寄ろうとしたピサロナイトは、数歩進んでからその歩みを止めた。
みしみしと体がきしむ感触。
それは、普段彼が装着しなれている甲冑が、まるで体に食い込んでいくような錯覚だ。
(何だ、これは?)
何かの罠だろうか、と、ピサロナイトは剣の柄に手をかけながら、警戒の態勢をとった。
それを見たマスタードラゴンの、然程驚きもしていないようなのんびりとした声が再び響く。
「物質の理を覆す、魔の甲冑が拒むか」
「……っ……」
「ちょっと待っておれ」
そう言うと、マスタードラゴンは竜独特の瞳孔を持った瞳を閉じ、ほんの一拍置いた。
「!」
たったそれだけの仕草で、見た目では何をしたのかはピサロナイトにはまったくわからない。
見た目では。
ピサロナイトは兜の中で目を見開き、数回瞬きをしながら恐る恐る体を動かした。己の体全体に神経を張り巡らせ、まるでどこにも怪我を負っていないことを感覚だけで探ろうとしているように。
それから、剣から手を離し、ゆっくりと態勢を元に戻す。
「……今のは、一体」
彼の体を襲ったきしみは一瞬のうちに消え去った。それは、きっとマスタードラゴンが先ほどの一拍の間で『何か』をしたからに違いない。
そのぐらいの芸当は当然だと思えたが、気になったのはマスタードラゴンの言う『魔の甲冑が拒む』という言葉だ。
ピサロナイトが素直に尋ねれば、隠すつもりもないように、あっさりとマスタードラゴンは返事をする。
「お前が身に纏うその甲冑は、より魔の物に近い。天空城は魔の物を拒む場だ。お前の主とて、ここには足を踏み入れることが叶わぬ。それと同じ」
「だから、何を、したのだ」
「許したのだ」
ピサロナイトは眉根を寄せる。
『許したのだ』
そのマスタードラゴンの言葉は短い。不遜な言葉だ、と彼は思った。
そして、短いがゆえに、ピサロナイトはもう一度追求して良いのかどうか惑う。
だから、許したとは、何のことだ。
いつもの彼ならば、即座にそんな言葉を返したことだろう。
本当は更に追求をしたいけれども、そんなやりとりを何度も続けなければ竜の真意が測れぬとは面倒だ、と彼は小さく息を吐き出す。
彼はいつもの言葉少なな自分をいくらか反省して、丁寧に聞き返した。
「……よければもう少し、わかるように話していただけないだろうか」
「天空では、わたしが司る力によって、魔の物の力は常に抑えられる。そうでなければ、お前の主が雲に開けた大穴を恐れて、みな生きた心地もしなかったことだろう。あの穴は地底と繋がり、あからさまな魔の気配をこの天空にまで伝えていたからな」
「大穴?」
「ああ、お前は死んでいたのだったな、まあ良い。とにかく、お前とその甲冑に関しては、その抑制をいくらか弱めてやったというわけだ。
「ピサロ様が、雲に穴を?」
「そう。あの者が、進化の秘法を使うために選んだ地底へ誘う穴を雲に開け、宣戦布告をしてくれた。アッテムト鉱山とは比べ物にならないほど、禍々しい魔物の気配が天空にも届いたものだ」
「……確かに、わたしが死んでいた間のことだ。何故、わたしが死んでいたと知っているのだ」
「地上のものは、身勝手だ。わたしの力を過信してなんでも出来る神なのだろうと期待をするくせに、そんなつまらない質問をしてくる。が、正しく答えなければ誤解もされよう。別段、地上の全てのことを見ているわけではない。ただ、どこかで漠然と知っているのだよ」
「言っている意味が、よく」
「わからないか?お前は、視界の隅っこで何かが動いていて、それが何かがその時わからなくても、少し時間を置いて思い出せば、その存在が何だったのかを気付くことはないか?そういうものだ」
少し考えてから、ピサロナイトは答えた。
「あまり、わからぬような……少しはわかるような」
「まあ良い。お前さえよければ、こんな話は追求されるものでもするべきものでもない。それに、話があるのはこちらではなく、そちらだ。兜を外さぬ無礼は構わぬぞ。人間界のルールをここで問うても仕方あるまい」
マスタードラゴンはそういうと、大きな尻尾を床に這うように動かした。
人であれば姿勢を正す、あるいは、崩す、といった動きなのだろうが、そのどちらなのかをピサロナイトが理解出来るはずもない。
とにかく、矛先が向けられ本題に入ることを促されたので、彼は正直に目の前の竜をまっすぐ睨みつけながら告げた。
「勇者マリアを、地上に戻していただきたい」
「何故だ?」
「我が主がそれを望んでいる」
「ふうむ、おかしな話だな」
マスタードラゴンはぐるる、と竜のように喉を鳴らしながらも、人の言葉を紡ぎ出す。
「マリアは、お前の主によって傷つけられた傷を癒すことも目的の一つとしてここに来たというのに、その張本人が勝手なことを」
「そのことは承知している。が、あなたの力であれば、すぐにその程度の傷は治るのではないか」
「わたしは医者ではない。それに、本来勇者マリアの言うことをなんでも聞く必要もわたしにはない。どちらにせよ、あの傷は今日明日で治るものではない」
ピサロナイトは眉根を潜めた。
「あなたが治さないならば、彼女がここにいる意味はないではないか」
「治さないとは言ってはおらぬ。が、彼女の傷は、世界を守るために戦ったわけでもなんでもない。ただの私闘だ。それをいちいち、わたしが治す謂われはない」
「では、余計」
ここにいる意味がないならば、地上へ。
そうピサロナイトが言おうとしたところ、マスタードラゴンは首を傾げた。
その動きに気を取られ、ピサロナイトは言葉を詰まらせる。
「余計都合が良いと?ふうむ、お前は何もかも自分の都合ばかりだな。言っただろう。治さぬとは言ってないと。マリアには、天空城での労働を課した」
「労働」
「どこぞの誰かの思惑通り、天空城で生きようとやってきたのは良いが、それが一時の感情に任せた選択ということもあろう」
マスタードラゴンは穏やかに続けた。
「もちろん、彼女がこの地を選ぶならばそれはそれで良い。事実、そうしたらどうかと、エビルプリーストを倒した後に話を持ちかけたのはわたしなのだし。が、あの時に、わたしの誘いを跳ね除けた彼女の気持ちは、そう簡単に折れるものではないと思うのだ」
「……」
「誰のせい、何のせい、などは問うつもりもない。ただ、下らぬ逃げ道としてこの地を選ばれるのは、この地を司るわたしや、ここを一生の住まいとしている天空人達にとっては不本意。最後の逃げ場だとか、いつでも受け入れる地だとか、嫌っていても都合が良いだとか、そんな思いで来られても、そこに住む者としては甚だ迷惑というもの」
「それは……確かに……わからなくも、ない」
「だから、マリアを返さぬとは言わぬが……地上を捨てる覚悟というものは、天空に生きる覚悟とは違う。その覚悟が彼女に出来て、尚且つここで生きると選ぶのならば、その時は間違いなく返さぬぞ」
「奪っていくと言えば」
「どの口が言うやら」
マスタードラゴンがあっさりとそう告げた瞬間、ピサロナイトは全身が重くなる感覚に襲われた。
まず、息苦しい。
一回一回の呼吸に、やたらと力が必要とされる。
それは、筋力だ。
普段、生きるために自分の体はありとあらゆる活動をしている。それを常に無意識で支えているはずの筋力が、何故か足りないと思える。
何かが圧倒的な力で、彼が意識せずに使っていた筋力に負荷をかけ、彼を捩じ伏せようとしている。
いや。
何か、ではない。
目の前の竜が、だ。
ピサロナイトは兜の中で顔を歪め、それに耐えようとした。
先程の「許し」で一度は解放された圧力に、彼はもう一度その身を晒すことになったのだ。それも、過剰な形で。
「人というものは相当に身勝手なものだが、魔族というものも変わりはない。特に、お前の主の身勝手にはほとほと呆れかえる。己が足を踏み入れたくないこの場に、部下をよこすとは情けない」
マスタードラゴンは淡々と言葉を紡ぎ出す。
それに対してピサロナイトは、言葉を返すこともなく、ひたすらに己の身を襲う不快な圧力に耐えていた。
ピサロナイトは足に力を入れた。そうしなければ、体がふらつき、倒れるのではないかと思えたからだ。
が、その彼の耳に届く言葉は、主であるピサロを罵倒する言葉だ。
それに反応した彼は、兜の下でマスタードラゴンを睨みつつ、呻き声を発する。
「ピサロ様の、ことを、そのように……!」
絞り出した声に、マスタードラゴンはまるで人のように「ふうむ」と声を漏らす。
「人も魔族も、本当のことを言われれば苛立つものか。お前が怒ろうと何しようと、お前の主の気性はお前が良く知っているだろうに。まあ、良い。そんな状態でも主の名誉を守ろうとするその心意気に免じてやろう」
「はっ……」
つい、声を出してしまっても仕方がない。
ピサロナイトは突然圧力から解放された。それゆえ、体の力みが行き所をなくし、前のめりになってよろめく。
そんな様子を見てもこれっぽっちもマスタードラゴンは心を動かさぬようで、淡々と言葉を続けた。
「今、マリアは働いているところだ。半刻ほど待てば戻るだろう。それまで、おとなしくしているがよい」
「ここで待っていれば良いのか」
「一応、客としてもてなしてやらぬでもない。茶でも出そう」
マスタードラゴンはそう言うと、軽く尻尾を床に叩きつけた。
ドン、という震動と共に、ピサロナイトの背後にあった両扉がばたんと空く。
すると、開け放った扉の向こう側に一人の天空人の少女が立っていた。
ピサロナイトからすれば、まるでずっと立ち聞きをしていたように思えてしまうのだが、事実は違うのだろう。
推測の域を出ないけれど、その少女は今の一瞬でマスタードラゴンに呼ばれたのか、あるいは呼ばれるであろうことを察知して、前もって待機をしていたのに違いない。
「マリアが戻ってくれば、使いを寄こそう。その者についていくがよい。ルーシア、案内を」
「はい。どうぞ、こちらに。ピサロナイトさん」
そういって少女は背を向け、立派な白い翼を見せながらさっさと歩き出してしまう。
ピサロナイトはマスタードラゴンに礼を言うべきなのか、戸惑った。
己の主をなじる竜の神。己の主とある意味で常に敵対する存在。
しかし、マスタードラゴンはピサロナイトの勝手を責めなかったし、彼を天空城から追い出しもせずに話を聞いてくれた。そして、少なくともマリアと会える段取りをつけてくれるのだろう。
そう思えば、不承不承であれど礼儀を通す必要がある、と彼は判断し、一礼をした。
マスタードラゴンはそれへ言葉やなにがしかの反応を返しはしなかったけれど、まっすぐとピサロナイトを見る。
部屋を出て慌てて案内役の少女に追いついた彼は、ふと『この少女には、わたしの名を告げていない』と気づいたのだが、その件を追及しようとは思わなかった。
ここは、彼のテリトリー外であり、彼の力は無力で、そしてマスタードラゴンの力は計り知れない。
何があってもおかしくはないのだ、と彼は己に言い聞かせるだけだった。
 
 
歩きながら、ピサロナイトはぐるりと天空城の様子を見た。
知らない材質で作られた城は、どこもかしこも磨き抜かれている。
が、彼の視界には、そのようにこの城を清掃している天空人などはどこにもいない。
通路を行く天空人達はみなのんびりゆったり、という風で、完全にこの城は「居住区」だ。
マスタードラゴンが言うような「労働」はどこで何を行っているのだろうか。
ピサロナイトが最もよく知っている城は、デスパレスだ。
王の間があり、広間があり、厨房があり、そこに住まう魔物が適当に寝泊りする場があり、人間のそれと大差なくいくらかは生活の匂いがする。
魔物達は種類によって摂取する食料が違うから、外から調達して運び込んでいたり、各々が勝手に獣の肉を持ってきたりと、雑然とした様子も多い。
しかし、この城にはそれがない。
まるで、ここが楽園のように。
白い翼を持つ者達がおしゃべりをしながら通りがかったり、遠くから歌声が聞こえたり。
のんびりと、労働らしい労働もなく、ゆっくりとした時間が流れる、まるでおとぎ話のような空間に感じられてしまう。
彼がそんなことを思っていると
「兜をとっていただけませんか」
前を歩く少女が振り返って微笑みかけた。
「マスタードラゴンは、別に良いと言っていたが、何か不都合だろうか」
「茶を振舞わせていただきますし、ここで、そのようないかめしい格好をしている者なぞいませんよ。みな、何があったのかと驚いています」
少女がいうような「驚いて」という様子をピサロナイトは感じてはいなかったが、まあ、ここに住む者が言うならば仕方がない、と、立ち止まって兜を外した。
外気に顔全体が触れた途端、不可思議な、今まで体感したことのない開放感を一瞬感じる。
「は……」
「あなたよりも、その鎧兜の方が、天空城では居辛いのだと思います。ですから、兜をとれば、格段に楽でしょう?」
「天空人は、みなそういうことがわかるのか」
「いえ。マスタードラゴンの受け売りのようなものです。本当は、その鎧も脱いでいただいた方が良いのですが」
「そういうわけには」
「ええ、無理強いは。ここは、あなたにとっては、敵地のようなものでしょうし」
その言葉に、ピサロナイトは苦笑を返すしかない。
マスタードラゴンもそうだが、この天空人の少女も食わせ者だ、と思う。
小脇に兜をしっかり抱え込み、彼女の足並みに合わせてついて行くと、扉がいくつか並んでいる場所に出た。
「覚えておいてください。この扉です」
「?」
「あなたが、天空城で勝手に入っても良い場所は、マスタードラゴンの部屋と、この扉のみです」
「他は、踏み込むなと言うことだな」
「皆が驚きます。あなたの主ですら来たことがない城で、人間のことすら驚くエルフ達もいますし、魔族のあなたが鎧なぞ着て歩きだしたら、余計な心労をかけますから」
にこやかに、しかし、手厳しい言葉をルーシアは言い放つ。
彼女は扉をノックすると、中からの返事のないままピサロナイトに「どうぞ」と勧めた。
扉を開けず、ただ入室を促すだけ。
それは、彼女の役目は、この部屋に彼を案内するだけということを意味するのだろう。
恐る恐るピサロナイトは扉を開ける。
「失礼する」
そこはまったくもって普通の部屋。
どちらかというと簡素な、けれど、誰かがそこに住んでいる、という生活臭がいくらかはする部屋だった。
そして、室内には一人の天空人がいる。
「どなた?」
「……マスタードラゴンに言われて……ここで、勇者マリアを待つように、と」
「勇者マリアに会いにいらしたの?」
「ああ」
彼を迎え入れた天空人は、先ほど案内をした少女に比べるとそれなりに年のいっている――母娘ほどとまでは思えなかったが――物静かな女性だった。
「そうですか。彼女はきっと今、作物の収穫を手伝っているのでしょう。まだいくらか時間がかかるでしょうから、お茶を出しますわね。そこに、お坐りになってください」
「失礼する」
ピサロナイトは困惑の色を隠しきれず、しかし、言われるがまま椅子に座ろうとして、は、と気づいた。
揃いの木製テーブルと椅子が二つ。
テーブルと一つの椅子は、使いこまれた色をしている。
が、もう一つの椅子――彼が今腰を下ろそうとしているもの――は、明らかに人が使った形跡のない、つるりと美しい、新品と思われるようなものだ。
(ここは、この女性の住処なのだろうか)
そして、もうひとつの椅子を使う存在が、ここにはいないのだろうか。
ほんのわずかな「気づき」であったが、彼は一瞬でそれを感じ、そして、それを口に出すことなく座った。
「お茶の、好き嫌いは何かあります?」
「あ、いや……その……茶などは、別に、出していただく必要は」
「ちょうど、わたしも飲もうと思っていたところだったので。ついでですわ」
「む……それ、なら」
居心地の悪い空間だ、とピサロナイトは内心で唸った。
部屋には窓がついており、ガラス越しに空の眩しさが見える。
しかし、室内を日光が照らしだせる部分は限られており、部屋の隅に行けばやたらと薄暗さを感じる。
部屋の大きさと窓の大きさが合っていないのだ、とピサロナイトはふと思った。
「城の中全体は明るく感じたのに、この部屋はいささか暗いのだな」
そう訊ねながら、視線を天空人に戻す。
「!」
ピサロナイトに背を向けて、茶器をチェストから取り出していた天空人のその翼は。
(何故だろう)
先程の少女とは比べ物にならぬほどの、貧相な翼。
そういえば、天空城にやってきた時に、城内からわらわらと現れたどの天空人達も、見るからに空を飛ぶに足りる立派な翼を持っていた。
けれど、この女性の背のそれは。
その翼が動き、彼女が振り返った。
「申し訳ありません。この部屋は、罪人の部屋なので。以前は、窓すらなかったのですよ。今はこうやって、日の光を浴びることも出来ますし、あなたのように訪れてくれる方もいらっしゃる。ありがたいことです」
「罪人。あなたが」
「はい」
「罪人の部屋に通されるほど、わたしは歓迎されていないということか」
ピサロナイトは驚き、呆れ、彼にしては珍しく肩をすくめて見せた。
ほとほと、この天空城の雰囲気に彼は疲れており、普段見せぬそんな姿をつい見せてしまっても、それは仕方がないことだろう。
「きっと、マスタードラゴンがわたしのためにあなたをここに案内したのでしょう。未だ、天空城にいる者でも限られた人々としか、わたしは会話をする自由もありませんから」
彼女のその言葉で、ピサロナイトは内心「なるほど」と唸った。
先程案内してくれた少女が、何も言わず、この部屋の前で去ったのはそのせいなのか、と合点が行ったのだ。
そして、この女性の翼が貧相であることも、その罪とやらに関係があるのではないかと勝手に納得をする。
「残念ながら、わたしは何も面白いことを話すことが出来ない。見ての通り、ただの魔族の剣士だ。話し相手としては、期待に添えそうもない」
「そんなことは、ありません」
部屋の片隅に、石造の暖炉に似たものがあった。
そこに彼女は真鍮製の容器を空中にぶらさげ、その下に黒い石を5、6個置いた。
「そこで、湯を沸かすのか」
「はい」
「食事は」
「食事は、運ばれます。茶を飲む時だけ、魔法力を入れたこの石で、ポットを温めます」
「ふーむ」
彼女が石に手をかざして何かを唱えると、みるみるうちに石は赤くなり、真鍮の容器を温める。
「便利なものだ」
「茶を沸かす自由を手に入れた時に、マスタードラゴンがわたしにくださったのです。少しずつ、少しずつ、自由が戻ってきて、嬉しいような、悲しいような」
そう言って彼女は儚げな笑みを浮かべたが、それはピサロナイトに向けられはしなかった。
「何の罪を?」
「いいえ、本当は罪なぞ、ありませぬ」
「?」
真鍮の容器はあっという間に熱くなったようで、彼女は先が曲がった鉄の棒で器用に容器を暖炉から取り出し、蓋を開けた。
茶を入れるポットに湯を移し替える間、彼女は無言を保つ。
過ぎた質問だとは、ピサロナイトもわかっている。
ただ、申し訳ないと思いつつも、興味が先行してしまったのだ。
こんな美しくて、平和の象徴とでも思えるような空の世界で、一体何の罪を犯すことが出来るのだろうかと。
天空人同士でも人を殺めたり、物を盗んだり、地上の人間達のようなことをして、それを罪と呼ぶのだろうか。
自分達魔族よりは、この天空の住民たちは人間と考え方が近いのではないか。
そんな風に思ったのだ。
ポットの中の茶葉を蒸らす間、チェストの上においてあった籐のかごを手にとり、その中から小さな瓶を取り出す。
瓶には柑橘類の皮の砂糖漬けのようなものが入っており、小さな皿に彼女はよそった。
ピサロナイトの前にをそれを置いてからポットから茶を注ぎ、彼女は再び言葉を発する。
「生涯の伴侶と決めた方と共に生き、そして子を授かることの、何が罪となるのでしょう」
湯気の立つカップが、ピサロナイトの前に置かれた。
彼は困惑の表情でそれをじっと見て、何か返事をした方がよいのかどうか悩む。
正直な話、色恋のことやら、結婚だとか、子供だとか。
そんな話は彼は苦手としている。
が、質問をしたのは自分の方だし、確かにそれを聞いただけでは何が罪であるのかは彼にも理解は出来ない。
「……けれど、罪人としてここにいるのか」
「そうですね。そして、わたしは確かに、一度はマスタードラゴンに許しを請うてしまいましたので、己の所業を罪と認めたということになるのでしょう。どうぞ、お召し上がりくださいね。その砂糖漬けは、天空城でしか生らない果実のものです」
「この城で作っているのか。勇者マリアの労働とは、その作物の収穫ということか?城に畑があるのか」
「我々が口にする食物は、すべてこの城で作られます。時には地上から持ちこむこともあるようですが。が、その場所はあなたには入ることが出来ないでしょう。城でありながら城でない場所にありますから。勇者マリアですら、マスタードラゴンから認められるまでは、この城でその場所を発見することは叶わなかったでしょうね」
「ふうむ……では、いただこう」
ピサロナイトは居心地の悪さを相変わらず感じつつも、仕方なし、と茶を飲み、砂糖漬けを一欠けらだけ口にした。
彼からすれば、彼女からそう聞けば聞くほど、天空城で採れた食物を自分の体内に入れるということに抵抗があったのだけれど、何もかもマリアに会うための辛抱だ、と自分に言い聞かせたのだ。
女性は、ピサロナイトの正面に座り、茶だけを飲んだ。
ピサロナイトは、彼女が自分と同じように、この招かざる客を扱いかねて困っているのかもしれない、と思った。
けれど、どうすれば良いのか、彼にはよくわからない。
と、そんな彼の内心を見透かしたように、彼女は苦笑いを浮かべながら彼に尋ねた。
「お困りでしょうね。きっと、マスタードラゴンはあなたに何も言わず、ここに連れてきたのでしょう」
「む……」
違う、というわけでもないし、そうだ、と言うのもはばかられる。
困っていないわけではないが、困ったといえば彼女に申し訳ない気もしたからだ。
「罪人であるわたしと、他の天空人達は、基本的に会話を交わすことを許されていません。なので、先ほども言ったとおり、誰であろうとこうやって言葉を交わす相手がいるということは、わたしには嬉しいことなのです。あなたを巻き込んで申し訳ありませんが」
「どれほどの期間、そのように?」
「そうですね。17年?18年?その間、いくらか待遇は変わりましたけど」
「天空人の寿命がよくわからぬゆえ、それがあなたにとって長いのかはわからぬが……いや、しかし、長いのだろう」
彼女が座っている椅子と、このテーブル。
それを『使い込まれた』と感じて。
そして、自分が座った椅子が、明らかに使われていないと思うほどに。
歴然とした差に一瞬で気付いてしまうほどの時間が、ここには間違いなく流れているのだし。
「あら」
「?」
「勇者マリアの仕事が終わったようです。お茶を淹れたばかりでしたのにね」
「ここに、来るのだろうか?それとも」
「ここには、誰も来ることは叶いません。申し上げましたでしょう。他の天空人達とは会話を交わせぬと」
「……それは、あの女も、同じということか」
「ええ。まだ、地上の者としてこの地に赴いていた頃は、言葉を交わしたこともありますが、今や彼女は天空人の一員となるためにここに戻ってきたのですから」
「なるほど」
「この部屋を出て、右手を歩いていくと花壇があります。そちらへ」
「ご馳走になった」
ピサロナイトはひざの上に置いていた兜を小脇に抱え、茶を半分以上残したまま立ち上がった。
そうと決まれば、彼は何の未練もこの部屋にありはしない。
それ以上何を聞くでもなく、彼は彼女に一礼をすると扉に近づき、躊躇なく部屋から出て行った。
彼に茶を振舞った罪人に名を問うことも、そして、彼女がマリアを産み落とした女性だと知ることもないまま。
 
 
「な、に、しに、きたの」
彼を見つけたマリアは、忌々しそうに睨みつけてきた。
海辺の村で会った時以来、完全に顔を覚えられてしまったな、とピサロナイトは口をへの字に曲げた。
このような緊急時や任務のためでなければ、彼は兜を取ることなぞない。よって、デスパレスで何度となく会っている魔物でも、彼がきっと甲冑を脱ぎ捨てて歩けば、ピサロナイトであるということに気付かぬはずだ。
なのに、既にこの女には知られている。
そのことに、いくらかの苛立ちを彼は感じ、彼女を睨み返した。
「お前に、頭を下げに来た」
「……は?」
「勝手を承知で頼む。地上へ、戻ってくれないだろうか」
「……それは何?ロザリーが、悲しんでるとか、そういう話?」
「っ……」
ピサロナイトは言葉に詰まった。
いいや、ピサロ様が、と口走りそうに生ったが、そんなことを言おうものならば、絶対に彼女は地上に戻らないだろうと思ったからだ。
「そ、うだ」
「嘘ばっかり。今の間は何?それに、ロザリーに言われたからって、こんなところまで簡単に来るとは思えないもの。何、ピサロが、どうしたいんだって?」
天空城の通路に置かれている花壇の前。
それはいささか目立つようで、通りがかった天空人たちが二人をじろじろ見たり、「どうしてマリアさんはあんな客を呼んだんだ」なんていう声もちらほらと二人の耳に入る。
その様子が気に入らなかったようで、マリアは深いため息をついてから、ピサロナイトの言葉を待たず、自分からも何も言わずに歩き出した。
「おい!」
「外。天空城から出て話しましょう。っていうか、こっちは話なんか恨み言ぐらいしかないんだけど、そっちはあるんでしょ?」
「……もっと、頑固に無視されるか追い返されると思っていたが」
「仕方ないでしょう。マスタードラゴンの顔を立ててやってるの」
「天空人と同じ服を着ているのだな」
マリアは、天空人の女性が好んで着るような、薄手で柔らかい布の上着を着ており、足首近くまでの長いスカート――上下が繋がっている服を着ている者も多いのだが――をはいていた。海辺の村で見た時のように、どこから見ても勇者然としておらず、天空にいるのになんだか『村娘』っぽく見えると心の中で呟いた。
マリアはピサロナイトのその言葉に答えない。さっさと歩いていくだけだ。
 
――今や彼女は天空人の一員となるためにここに戻ってきたのですから――
 
そういうものなのだろうか、とピサロナイトは眉根を寄せた。
ならば、彼女が天空城に来ることがつらいと思ってたのは、地上で生きられないことが辛いのではなく、自身が天空人として扱われるようになるのが辛いという話なのだろうか。
(当たり前だが、背に翼はない)
前を歩くマリアは後ろをついていくピサロナイトにちらりと視線をやり、尋ねた。
「そういえば、大丈夫?」
「うん?」
「体」
「体?」
「ピサロは、天空城なんて忌々しい、みたいな憎まれ口ばかり叩いて、城の中には決して入ろうとしなかった。でも、わたし知ってるのよ。ここはピサロには『合わない』んだって。だったら、ピサロナイトもそうかもしれないと思って……平気?」
「マスタードラゴンから、許可をもらった。大丈夫だ」
「そっか」
「……」
さっさと歩いていく彼女の背を相変わらず見ながら、ピサロナイトはつい口から飛び出そうになった言葉を、咄嗟に抑えた。
言う必要がないものでもあり、けれど、なんとなく言いそうになってしまったもの。
(気遣いが出来ることは、知っていた)
それを、招かざる客である自分にも彼女がしてくれたということに、ピサロナイトは気付いたのだ。
だから。
一瞬、言いそうになったのだ。
ありがとう、と。
けれども、彼はなんとなくそういうことを言う仲ではないような気がして、結局それを口には出さなかったのだ。



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