彼の人が見た景色-1-


【注意】
こちらの小説は2011年夏に発行しました「カルテット2」に収録された作品です。
諸事情により2018/01/31までweb公開をさせていただきます。ご了承くださいませ。


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 夜中に出かけても、問題はないですかね。
 そうベオウルフに問いかけられて、シグルドは不思議そうな表情を向けた。
「この城に来てから、君が何度も城下町の酒場をふらついてるのを、わたしは知ってるつもりなんだけど?何か、それと違う話なのかな」
 気に入っている一人用のソファに体をうずめながら応えるシグルド。その様子は大層リラックスをしており、オイフェが見ていたら『なんてだらしない』と怒られるのではないかと思われる。
 挙句に、ぱちぱちと音を立てる暖炉に向けて、片足を軽く伸ばすような、素の様子を見せるほどだ。
(今日は、朝っぱらから城下町視察だとかあれこれ出かけて、大将も疲れているんだろうな)
 ベオウルフはふとそう思ったが口に出さず、気を抜いているシグルドの様子を心中で軽く笑った。
 セイレーン城でシグルドが自室として使っている部屋は、あまり広くない。
 彼らはラーナ王妃からセイレーン城を居城としてあてがわれていた。しかし、シグルドは城主らしい部屋に自分が寝泊りすることは分不相応として、それを頑として拒んだのだ。
 もともと広い部屋をあまり好まない彼は、比較的狭い客室を使っている。むしろ息子であるセリスとその世話をする乳母やオイフェがいる部屋の方が広いぐらいだ。
 一方、訪問者であるベオウルフの方も、実のところだだっぴろく豪奢な調度品に囲まれた部屋は苦手としていたので、彼の部屋では大層気を抜いているようだ。
 ソファにどっかりと座るベオウルフの様子は、どちらの位が上なのかわからぬような様子だった。
 彼らは友人と言うような間柄でもなかったし、お互いを『理解している』というほどの親密度もない。
 だが、シグルドにとってはベオウルフは気安い傭兵だったし、ベオウルフにとってもシグルドはとっつきやすい――貴族でありながら――楽な相手であることは確かなこと。
 その場に他者がいれば、それはまた別の話になるが。
「あー、そうじゃなくて。ううん、と。夜中と言うか早朝というか。深夜番が見張りを交代するような頃合に、ね。普通なら不審に思われる時刻に」
「ああ、そういう意味か。うん。出かける日に声をかけてくれれば、わたしから夜番深夜番に話を通しておこう」
「悪いね。ただでさえ、忙しいのに」
「お安い御用だよ。君は、とりたててわたしの手を煩わすようなことをしない」
「どうだかね。その日は、ラケシスも連れ出すつもりなんだが」
「えっ」
 軽いシグルドの驚きの声。
 発した本人は『しまった』と言いたげな神妙な表情をベオウルフに見せる。
 くっくっ、とベオウルフは笑い
「意外だったかい、大将」
「いや、その。そんな変な時間にデートかい。普通の時間にデートしてるところすら、見たことがないんだけれど」
「ぶはっ!」
 そのシグルドの言葉に、ついにベオウルフは声を出して吹き出した。
「デート。デートときたか。まあ、そうか」
「デートじゃなければ、なんなんだい」
「ううーん。その、なんだ」
 ばつが悪そうに、ベオウルフは一度腰を浮かせて、ソファに座りなおした。
 先ほどまで深く座って横柄な態度だったが、今度は少し前のめりに。
 シグルドはベオウルフのその様子を見て、どうやら案外と真面目な話だぞ、と嗅ぎつけた。
「先日、エルトシャンの話をしても良い、とあのお姫様から許可をいただきましてね」
「うん?よくわからない話だな」
「ほんの少し前まで、禁止令が出ていたんですよ。エルトシャンの話を俺がすることに」
「ええ?だって、君とエルトは、知己の仲だったんだろう?むしろ、聞きたいんじゃないのか、ラケシスは……ああ、そうではないのか。エルトのことを思い出すのが、つらかったからか」
 シグルドはそう言って納得をした。それは真実のほんのわずかな部分だが、ベオウルフはそれ以上のことはシグルドに言わない。
「まあ、そういうわけでね。ちょっと、エルトシャンの話でもしに、お姫様を連れ出そうと思って」
「まったく話がわからないが、まあ、いいか。君には、ラケシスを連れ戻してくれて感謝をしているんだ。今更君とラケシスのことをどうこう、わたしが言えた義理ではない」
 ラケシスを連れ戻してくれて。
 なんという言葉を選ぶのだ、この男は。
 ベオウルフは口端を歪ませて、シグルドを正面から見据えた。
「金で雇われてるんだから、なんて言い草で、よくも俺にラケシスのお守りを任せたもんだ、あんた達は」
 ベオウルフが言う『あんた達』は、シグルドのみならず、キュアンとエスリンのことを指す。
 グランベルの軍勢に追われてシレジアに逃げてきたシグルド達は、寸前にアグストリアの獅子王エルトシャンの死に直面した。
 エルトシャンの妹であるラケシスは、そのことにあまりにも深い衝撃を受け、このまま心労で死ぬのではないかと心配される状況が続いていた。
 そこで、エルトシャンの親友であったシグルドとキュアンは、ラケシスをその状態から救うため、ベオウルフに白羽の矢を立てたのだ。
「良い人選だったと思うんだが。わたしには自慢出来るようなことは何もないが、ラケシスに差し伸べる手として君を選んだのは誇れるよ」
「けっ、つまらないこと言っていやがる」
 そう吐き捨てるように言って、ベオウルフはソファから立ち上がった。
 不躾な物言いをしても、シグルドはまったく意に介さない。そういう人物だからこそ、ベオウルフも彼の前では気楽でいられるのだが。
「とにかく、出かける日は大将に声かけるから、よろしくな」
「ああ、わかったよ」
 シグルドもそれ以上はベオウルフに何を言うでも引き止めることもない。
 用件が終わったことをあっさりと受け入れるシグルドと、多くを語らないベオウルフ。彼らは、いつもそのような付き合いなのだ。
 ベオウルフはシグルドの部屋から出て、ひんやりとした冬の気温に体をぶるりと震わせた。


 数日前のこと。
 ベオウルフは、城下町の酒場に向かう途中で、ばったりとクロードに出会った。
 シレジアの冬は、あっという間に夜になる。
 まだ日は幾分残っていたけれど、既にクロードの手には灯が入ったカンテラが握られていた。
 城下町から城への道中、灯りが減る場所がある。月が明るい夜は対して苦にならないが、万が一のことを考えて彼がそれを持ち歩いているのだろうと、ベオウルフはすぐに気付いた。
「ベオウルフさん、おでかけですか」
 家に帰る人々と、一杯だけ熱い酒を飲もうと酒場に向かう人々で往来は賑わっている。
 クロードの頬が若干紅潮しているのは、酒のせいではない。慣れぬ雪道を歩くことが、きっと彼にはかなりの運動量なのだろう、とベオウルフは思う。
 二人が出会ったのは大通りで、行き交う人々によって雪は積もっていない。しかし、教会までの道のりには人通りの少ない場所も通るからだ。
 僅かに通りの脇によりながら、クロードは人のよさそうな笑みをベオウルフに向けた。
「神父さん、今から城に?」
「はい」
 大方、教会に顔を出した帰りだろう、とベオウルフは推測したが、あえて問わない。
 そんなベオウルフに対して、クロードは容易にその答え合わせを口にした。
「ラケシス様ならば、つい先ほど帰りましたよ。もしかして、迎えにいらしたんですか?」
「あ?」
 クロードの発言は、ベオウルフの推測の一部を肯定するだけでなく、それ以上の情報を彼に与える。
「いや、別に?俺は俺の用事でここにいるだけだ」
「あ、これは失礼しました」
 自分の早合点を恥じて、クロードは僅かにどもりながら謝罪をした。
「何、ラケシス、教会に行ってたのか」
「はい。ここ最近は、、三日に一度ぐらい来ていらっしゃいますよ。わたしも二日に一度顔を出しているのですが、頻繁に会うようになりました」
「へえ」
 それは、ベオウルフには初耳だった。
 確かに最近、ラケシスが一人で出かけることがあることは知っていた。
 以前は部屋に引きこもりっきりで――それは、エルトシャンの死による衝撃だけではなく、慣れぬ土地に出歩こうという欲求がないからだ――城下町すら、人に誘われなければ行かなかったのに。
 気にしていないといえば嘘になったが、なんらかの心境の変化にいちいち自分が口出しをするのも、ラケシスの気に障るかもしれない。そうベオウルフが考えたことを、誰が知るはずもない。
「ご存知なかったのですか。もしかして、秘密に、したかったのかも」
 失言をしたのかとクロードは慌てた。それへ、ベオウルフは軽く
「いんや、大丈夫だろ。特にラケシスから何も言われてないなら、秘密にしたいわけじゃないだろうさ。それに、俺は彼女がどこで何をしていようが、特に関心はないしな」
 そのベオウルフの言葉に、クロードは困惑の表情を浮かべた。
(しまった、余計なことを言っちまったかな)
 クロードの困惑も仕方がないことだろう。
 シグルド軍の人々は、ベオウルフとラケシスが『それなりの』関係であると思っている。
 そう考えれば、誰にだってわかる。
 クロードは今、ベオウルフの態度が『恋人への態度にしては、酷薄だ』と感じたのだろう。
 だが、それをどうしたいと思うでもなく、ベオウルフは軽く肩をすくめて見せるだけだった。


 シグルドに外出許可をとった翌日、ベオウルフは久しぶりにラケシスの部屋の扉を叩いた。
 ベオウルフがラケシスの元に訪れるのは、そう頻繁ではない。そして、ラケシスがベオウルフの元に訪れるのは、更に頻度が下がる。
 けれども、彼らは時に口づけを交わし合い、時にお互いに触れ、一度は体を重ねた仲だ。
 それが恋人という定義に当てはまるものだ、と人が決めつけるなら仕方がない。
 ベオウルフはその程度にしか考えていなかったし、ラケシスの方も敢えて多くを語らないだろう。
 そんな彼らが共に外出するところをシグルド軍の面々は見たことがなかったし、何故かと聞かれれば当人達も『一緒に外出する理由なぞない』と答えるに違いない。
 ともかく、彼らは普通ではなかった。
 もちろん、それは周囲の人々が持つ物差しで計るとしたら、の話だが。
「ふん」
 部屋の中に人の気配は感じない。
 もちろん、ノックへの返事もない。
 いないならしょうがない、とその場から歩き出すと、前方の角から曲がってきたジャムカと出くわす。
「もしかして、ラケシス殿に用事が?」
「ああ。別に急ぐことでもないからいいんですがね」
「さっき、城下町に行くとかで、フュリーと出かけたけれど」
「フュリーと?」
「うん。用事は一緒じゃないみたいだったが。フュリーは、エーディンに頼まれたものを買いに行くといってたし」
 ベオウルフはジャムカに軽く礼を言って、自室に向かった。
 どちらにしても、城下町にラケシスを誘おうと思っていたところだったからちょうど良い、と思う。
 以前ならば『城下町のどこに用事があるやら』と後を追う気にもならなかったが、ありがたいことに今日は彼女の行き先を推測出来る。
(クロード神父に感謝だな)
 防寒のためのいささか重い外套を羽織り、ベオウルフは城下町に向かった。


 教会に足を運んだベオウルフは、その扉を開けることを一瞬躊躇った。
 彼は、教会というものに縁遠い。
 そもそも、傭兵というものは一部の聖職者からは嫌悪の対象になっている。
 国を守るだとか民を守るだとか、そういった大義名分ではなく、傭兵は金のために人に刃を向けるからだ。
 国により地域により教会のあり方が違うことを彼は知っていたし、クロードが教会に通っているからといって、彼の教義がこの地のそれと同じだというわけではない。
 ラケシスが通っているからといって、アグストリアのそれと同じかどうかも怪しいものだ。
 それでも、おおよその教会とそこにいる聖職者は、金に踊らされる殺生を認めたがらないものだし、傭兵達に懺悔を勧める。
 そんなことはご免だ、と彼は眉根をひそめた。
(前にシレジアに来た時は、教会なんざ用事がなかったしな。大勢、座っていたらどうしようか)
 とはいえ、今のラケシスが人の多い場所に足を運ぶとは彼には思えないし、ベオウルフが歩いてきた通りも人が行き交った跡が少なかった。
(こんなことならもうちっと、クロード神父が何をしてるのか、聞けばよかったかな)
 後悔しても遅い話だ。
 嫌ならば、教会までラケシスを追いかけなければよかっただけのこと。
 ベオウルフは、意を決して扉を押した。
 扉の材質は見た目よりも軽く、あっさりと開く。
 それが、年寄りでも子供でも開けやすいようにの配慮だということを、内部の装飾の程度を見てすぐに気付いた。
(ふうん。シレジアの教会も、ステンドグラスなんてものがあるんだな)
 雪が積もる事を配慮してか、ドーム型になっている天井にはステンドグラスは配されていない。
 だが、その天井に近い壁は、ぐるりと美しいステンドグラス細工で彩られている。
 ベオウルフは静かに扉を閉めると、眼を細めてそれらを眺め、彼にしては珍しい感嘆の声をあげた。
「へえ……」
 彼が感じ入ったのは、単にその細工が美しいからではない。
 冬のシレジアの空気は、人々が暮らす城下町ですら透通っている。
 透明度の高い空気を突き抜けてくる陽の光は、あたたかさも冷たさも持ち合わせており、何より空気中の塵もを輝かせ、それすら美しいものに見せてくれる。
 その太陽光が一方向から惜しみなく降り注ぎ、ステンドグラスの美しさを殊更に見せつけるその様子。
 しんと静まり返った教会内に、そのステンドグラスを通して届く光は、あまりにも美しい。
 入口近くから並ぶ木の椅子は古ぼけていて、数が少ない。そこには誰一人座っておらず、彼の思惑は杞憂に過ぎなかったようだ。
 聖壇の前だけぽっかりと開けており、そこに女性の姿が見える。それは、予想通りラケシスだった。
 ステンドグラスを通した光は、床に膝をついて祈りの姿勢を崩さない彼女のスカートの裾だけを照らしている。
 まるで、光の当たる場所を忌み嫌っているように、彼女の体は薄暗い側にあり――当然、光が眩しいから、と思うのが自然なのだが――やたらと、寒そうに彼には見えた。
 人が出入りした音は届いているだろうに、ラケシスはまったく体を動かさず、まるで彫像のようにひたすらに祈りを捧げているようだ。
「ベオウルフさん」
 入口から動けぬままそれを見ている彼のもとに、そっとクロードが近づいてきた。
 いたのか、とベオウルフが驚くのも当然だ。クロードは息を潜めて、隅にそっと立っていたのだから。
 それでも、傭兵である彼が気配を感じとれなかったのは、それほどにステンドグラスの美しさと光のまばゆさに気をとられていたからだ。
「ラケシスさんに、用があるのですか」
 出来る限りラケシスに届かぬように、と声を押し殺す二人。
「ああ。でも、邪魔をする気は、ねぇよ」
「そうしてあげてください。もし、待つなら椅子に座って」
「いや……外で、待つよ」
「冷えますよ」
「いいんだよ」
 そう言うと、ベオウルフはすぐさま身を翻し、外にと戻って行った。
「え」
 すると、何故かそれを追いかけるように、クロードも出てくる。
「なんだなんだ。あんたまで寒いところに来なくても。それに、教会に神父がいなくていいのか」
「何をおっしゃるやら。そもそもわたしはこの教会を任されている立場ではありません。ここには、別の神父様がいらっしゃいますよ」
「あぁ、そっか。じゃ、なんであんたは」
「ラケシス様がいらっしゃる前に、子供達に説法をしていましてね。もう、今日のわたしの役目は終わりましたし、帰るつもりだったのです」
「ラケシスが来たから、付き合ってるのか」
「付き合っているというか」
 クロードは、少し照れくさそうな表情を見せた。
 おやおや、これは一体どういうことだ、といぶかしむベオウルフ。
「わたしが、彼女の祈る姿を見届けたかっただけなんですよ」
「は?」
「ここで数回、彼女の様子を見ているのですが」
 すると、先ほどと打って変わって、クロードは引き締まった表情でベオウルフに説明をした。
「彼女の祈りは、日に日に、なんというか……純度が増すようで……」
「じゅんど?」
「人が祈る気持ちに優劣などはありません。何を神に祈ろうが、祈りを捧げる気持ちがそこにあれば、神はその声に耳を傾けてくださいます」
「そういうもんかね」
「ええ。みなさんが何を祈っているのか、わたしは一人一人にうかがうことは出来ないのですが……どんな人でも、祈りの最中にその祈り以外のことが気になるものです。たとえば、ちょっと寒くなったな、とか、誰か人が来たなぁ、とか。中には、この祈りが届いたら、他のことも祈ろう、なんていう変な邪念が混じったり、ね」
 ベオウルフは、クロードの言葉を聞きながら、意外そうに眼を丸くした。
 彼が思っていたクロードという人物は、俗世間のそういった欲望に塗れた人間に気付かないような、『お綺麗な高貴なお方』の代表だった。
 が、今の言葉を聞けば、彼は十分に人々の雑念を知り、それを肯定している。少しクロードのことを見誤っていたかな、とベオウルフは反省をした。
「そういうもんだろうな。神様、年貢を下げてください、って祈って翌年年貢が下がったら、今度は神様、金持ちにしてください、ってな。祈りの本質とやらをねじ曲げてやってくるやつらが増えるだろうさ」
「そこまであからさまなことはないと思いますが、そういうことですね。祈りの本質。良い言葉をお使いなりますね」
「そうか?」
「そうですよ。ええっと、それでですね。彼女が祈る姿を見ていてですね。どんどん、そういった雑念が消えているというか。それが、あまりに美しくて」
 クロードはそこで言葉を止めた。
 自分で始めた説明であったが、どう表現すればベオウルフに伝わるのか、と困惑しているように見える。
 一方のベオウルフは、唇をへの字に曲げ、眉根を顰めてクロードを見た。
 クロードの言葉の意味は、なんとなく理解出来る。が、そこに感じとられるものは、あまりよくない何か。
(あの女が祈るとなったら、そりゃ、一個しかねーだろうさ)
「ベオウルフさん?」
 ベオウルフは、腕を組んで首を軽く傾げた。
 彼の心中はもやもやと、言葉にうまくまとめられない不安に満たされる。
 ようやく、だ。
 ようやく、ラケシスはエルトシャンの死から『それなりに』立ち直り、こうやって城下町に足を運べるようにもなったばかり。
(エルトのことを祈ったからといって、それが悪いってこっちゃない)
 とはいえ、エルトシャンのことを、どう祈っているやら、とは思う。
(通うほど、祈りたいことがあるのか。俺には、祈りとやらはわからない。まさか、懺悔とやらじゃなかろうし。自分のせいでエルトシャンが、とか)
 あまり、ラケシスの心にこれ以上の波風は立てたくない、とベオウルフは思う。が、それ自体、自分の所業を棚上げしているろくでもない思いだとも気づく。
(俺の方が、十分に波風立ててるのにな。どこの馬の骨かもわからない傭兵が、ノディオンのお姫様にキスして、抱いて、子供が出来ちまうようなことをして)
 それでも、恋人だとは言えずに。
(おまけに、今から俺がやろうとしていることは、波風を立てるようなことだ)
「ベオウルフさん」
「おっ……と、悪い、ぼーっとしてた」
 クロードが自分に何度声をかけたのか、ベオウルフはまったくわかっていなかった。それもまた、彼にしては珍しいことだ。
「……中に、戻りますね。もう少しできっと終わると思います。そうしたら、あなたが待ってることを伝えますから」
「だな。そうしてもらえるとありがたい。人間、そうそう長い間、同じ姿勢でいられるわけないし。ここで待ってるわ」
 とはいえ、マスターナイトに昇格するほどに、ラケシスはシレジアで鍛錬を積んだ。それに付き合ったのは、他でもないベオウルフだ。
 余計な筋力をつけちまったかな、と、ろくでもないことを考えながらベオウルフは教会の壁に背をもたれかけるのだった。


 シレジアに彼らが身を寄せた頃、実兄エルトシャンの死に、ラケシスは相当にショックを受けていた。
 人も寄せ付けず、与えられた部屋でひたすら泣き暮らしていた彼女を心配して、シグルドはベオウルフに『彼女を任せる』と頼んだというわけだ。
 そうは言っても、ベオウルフの方は正直『なんで俺が』と思ったのも事実。
 そもそも、エルトシャンの友人という触れ込みでいたベオウルフに、ラケシスは最初好意的だった。むしろ、それがベオウルフの気持ちを萎えさせた。
 なるほど、このお姫様は、人を肩書きやら何やらで測る人間なのか、と。
 が、話をするようになって、それもいささか違うことにすぐ気付いた。
 ラケシスは人を肩書きやら何やらで見る人間ではない。単に、エルトシャンの友人という立ち位置が特別だったのだ、と。
 そんな彼女に彼は、自分が傭兵で、金で雇われればなんでもやる人間であると告げ、エルトシャンとの間もそういった間柄だったと話した。事実、シグルド軍に彼が身を寄せているのだって、たまたま戦場で出会ったレンスターの王子キュアンから報奨金をちらつかされたからだったのだし。
 それを聞いたラケシスの態度はみるみるうちに硬化し、挙句には『お前はエルト兄さまのことを口に出さないで頂戴!』と命令する始末。
 彼女にとっては、金で始まった間柄が、それとは関係なしで信頼を築けるということがまやかしにしか思えなかったのだ。もちろん、それをベオウルフが非難することもなかったけれど。
 彼女がどう思おうと、ベオウルフはシグルドに命じられた分はそれなりに彼女に関わる必要があったし、そこには彼女を甘やかす要素があるようには思えなかった。
 彼はまず、時にヒステリックに、時に心を閉ざして引きこもり続けるラケシスのもとへ、朝晩と通って挨拶を交わすことを日課にした。それは、ラケシスの生存確認をすることが主な目的だったが、謀らずも彼女の生活を規則正しくしたし、人と言葉を交わす習慣を彼女に取り戻させた。
 けれども、彼は決して彼女に対して下手に出ることはなかった。
 泣くのは体力がいるだろう。食べなきゃ泣けないからしっかり食え、と言い放ったり。
 エルトシャンの妻や息子のことを引き合いに出し、こんな風に他国にかくまってもらい、部屋で泣き暮らす我侭を通せるなんて幸せものだ、と真実を突きつけたり。
 それらは、きっとベオウルフでなければ彼女に与えられなかった言葉達。
 言葉の棘はラケシスの心に刺さったし、それを抜こうとして向き合った彼女は、一つ一つを咀嚼しなければいけなかった。
 彼女はそれまでの人生で与えられなかった手厳しい言葉達を、彼女なりに受け止め、そして。
 拒みながらもベオウルフを認め、彼女は彼女なりに一歩ずつエルトシャンのいないこの世界に生きる自分を許すことが出来た。
 それでも、まだ時折、彼女はベオウルフに『馬鹿な女』といわれ、いまだ未熟なその精神を指摘される。
 彼女は言葉通りの箱入りであったし、兄エルトシャンへの偏愛によって『考える』ことを放棄して生きてきたきらいもあったから、それは仕方がないと言える。
 多分、ベオウルフでなければ、誰もがラケシスを許したに違いない。
 お姫様とはそういうものだと。
 彼女はエルトシャンを失っても、気丈に頑張っている、と。
 しかし、ベオウルフは彼女の未熟を簡単に許すつもりはなかった。
 生きるということは、みな成熟に向かって歩き続けるということだ。何を目指し、どうような形であるかはそれぞれであろうと。
 一歩を踏み出すに遅かったラケシスに対してベオウルフが厳しいのは、傭兵から見たお姫様の甘さゆえではない。
 そこにあるのは、人として。
 いや。
 曲りなりともラケシスはノディオン王家の者で。
 本人もそのことを誇りに思っているのであれば、彼女の未熟は時に罪だとベオウルフは思う。
 それを指摘する者はどこにもいないけれど、『人として』という言葉より余程重たい枷がそこにはあるのだ。

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