彼の人が見た景色-2-


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 教会から出てきたラケシスは、既にクロードから話を聞いていたようで、驚きの表情を見せなかった。
「わたしに、何の用事?」
「ああ、是非とも、いくらか俺のために、時間を割いてもらえないかと思ってな」
「珍しい言い草ね」
 それは、心底そう思っての言葉なのだろう。ラケシスは僅かも笑わずにそう言うと、着たばかりの外套の襟元を正した。
「で、どこに行くの」
「まずは、靴屋に」
「……靴屋?」
「と言っても、パーティ用の靴を買うわけじゃないぜ。お姫様」
 ベオウルフの言葉が癇に障ったのか、ラケシスは眉根に皺を寄せた。
「じゃあ、何」
「行けば、わかる」
「そんなに、気を持たせるようなことなの」
「そうでもないが。歩きながら話そう。ここで立ち話もなんだからな」
「……そうね」
 ラケシスの同意を確認すると、ベオウルフはさっさと歩き出す。それを見て、慌ててラケシスは後を追って歩き出した。彼女は、城下町のどこに靴屋があるかを知らないからだ。
「あんたは、雪道はあまり得意じゃないだろう」
「そうね……深いと、ちょっと」
「それ用の靴を作る」
「えっ?」
「要するに、雪が深いところを歩く用事があるってこった」
「どうして?」
 そのラケシスの問いに、ベオウルフは肩越しに振り返って小さく笑った。
「そこでしか見られないものが、見られるからだ」
「……」
 雪が深いところならば、天馬騎士に頼んで連れて行ってもらえばいい。
 そうラケシスは言おうとしたが、それが浅はかな回答であることに気付いて黙る。
 天馬は、あまり重い人間を乗せたがらない。天馬騎士が女性なのでは、そもそも天馬が男性を嫌うから、という理由以外に実用的な面でも事情があるのだ。
 フュリーに聞いた話だと、冬以外ならともかく、冬は特に駄目だということだ。
 雪に吹かれながら飛ぶ機会が多い天馬は、そもそも雪が好きなわけでもなんでもない。天馬達にとっても雪はストレスの対象になる。
 体重が軽い男性ならともかく、ベオウルフやレックスといった体格が良い男性は嫌われる。
 ラケシスから返事がないことに、ベオウルフは特に気にせずに歩いていく。
 その後ろを、焦らず、けれど決してベオウルフに必要以上に気を使わせず、ラケシスは規則正しく早足でついていく。
 靴屋に到着すると、既に話は通していたのか、多くを言わずとも、年老いた男性が二人を出迎えた。彼は、ラケシスに椅子を勧めたが、ベオウルフには何も言わない。わかっている、とばかりにベオウルフは壁に背をつけて立っているだけだ。
 ラケシスは、いささかくたびれている起毛のクッション張りの椅子に腰を下ろし、言われるままにブーツを脱いだ。早足で歩いてきて体は温かかったけれど、足先は冷たくなっている。
「こちらの靴を履いてみていただけますか」
 男性はラケシスの足元に、女性用の厚手素材のブーツを置いた。
 そのブーツは、つま先付近が冷えぬように加工がされているためか、いつものラケシスの足よりも一回り大きく見える。
「見た目より、軽いのね」
「でも、頑丈だぜ。いい靴を作る」
 ベオウルフがそう言っても、男性は謙遜も相槌もせず、ラケシスが靴を履くのを手伝うだけだ。
「少し、前が広すぎるかな。立っていただけますか」
 言われるがまま立ち上がるラケシス。
「ふむ。失礼」
 靴の前後左右、上から下から、靴の中でラケシスの足がどんな状態になっているのかを押して確認をする。それから、数箇所にヘラを使って何の跡をつける。
「あんまり、直す場所はないのか?」
「そうですな。足の形は理想的ですし、姿勢も良い。肉のつき方も均一で、もともとの靴の形のままでも問題がなさそうなほど。ですが、雪歩きがあまり得意でないのなら、足が出来るだけ泳がないように調整を」
「足が泳ぐってどういうこと?」
「靴の中に余分な空間があると、足が滑りやすくなりますでな」
「あまり締め付けられるのは得意じゃないの」
「もちろんもちろん。冷えて血のめぐりが悪くなりやすい時期に、締め付けるような靴を履くなんて言語道断と言えましょう……もう座っても良いですよ」
 ラケシスの物言いをまったく気にしないように、彼はそう言うと、内張りに使う毛皮を数種類持ってきた。
「獣によって、毛の硬さや密度が違いますのでね。滑り止め代わりになるもの、とにかく温かいもの、熱がこもりにくいもの、と色々ありまして、これを中で張りわけしておるのですよ」
「えっ」
 ラケシスは驚きの声をあげる。
「そんなところまで、行き届いているの」
「当然のことで」
 主人は終始穏やかに、ラケシスと会話を続ける。
「このシレジアでは、冬に履く靴がとても重要です。実際、わたしも冬の靴を作る方が好きですしね。この国に生まれたからそうなのか、そうなったからこの国で靴を造り続けているのか、その辺はわかりませぬが、他の国に行っては、わたしの技術は必要ないのかもしれませんね」
 それは、ベオウルフとラケシスが他国から来た者だとわかった上での言葉だ。
「生きる土地に根付く技術は、何物にも変え難い」
 ラケシスがぽつりと呟くと、主人はうんうん、と二度頷いた。
「そのようにお客様に思っていただけるような靴を作っているという誇りはありますよ」
「……わたしに、その靴の良さがわかるのかしら」
 幾分不安げにラケシスは呟いた。
 彼女のその言葉を聞いて、ベオウルフは目を細めて、僅かに口端を緩めた。
 決してベオウルフには弱みを見せたがらないラケシスだったが、己が今まで知っていた世界が、実はとんでもなく狭いことを彼女はもうわかっている。
 それ故の不安を口に出すことは好ましい、とベオウルフは思う。
 彼は茶化すことなく、彼女の言葉を聞かなかったふりをした。
「きっと、気に入っていただける靴が出来ますよ。わたしは、料理のひとつも出来ませんが、靴を一人の人のために作ることは、五歳の頃からずっと続けてきた唯一のことですから」
 靴屋の主人は手を動かしながら、殊更饒舌になって言葉を続けた。
「履いている時は、気付かないかもしれませんね。くたびれて履けなくなって次の靴を探す時に、ようやく気付いてみなさんここに戻っていらっしゃる。中には気付かない方もいますが、それでも良いのです。気付かないということは逆に、不自由を感じさせなかった、ということ。さあ、不自由な時間は終わりです。ありがとうございます」
 丁寧にそう言って頭を下げると、主人はラケシスの足からブーツを脱がせる。
 ブーツからするりと抜けた自分のつま先を見つめながら、ラケシスは唇を引き結んだ。


「悪いな」
 靴屋から通りに出ると、すぐにベオウルフは軽く謝罪の言葉を口にした。
「何が?」
「シレジアでしか用事がないプレゼントで。まあ、その方がいいっちゃいいんだろうが」
 ベオウルフはそう言って軽く笑う。
 ラケシスは、それに釣られたように一瞬だけ笑みを見せると、すうっと表情を消して瞳を伏せる。
「早く、城に戻りましょう。夕食の時刻になる」
「ああ」
 それ以上ベオウルフはそのことについて触れなかった。
 暗くなった町並みを早足で歩き、二人は城へと向かう。そうやって二人が共に、うっすらと雪に覆われれた石畳を歩くのは初めてのことだ。
 痛い言葉を自分が発したことを、わからないベオウルフではない。
 今、自分達がこのシレジアでこうやって二人きりで歩いている。それはなんという運命のいたずらか。
 傭兵であるベオウルフがいつまでもラケシスの傍にいる保証はないし、ラケシスがそんな男とデートをするなんてことは本来あり得ない。たとえエルトシャンの友人という触れ込みが 本当でも、身分の差は驚くほどに大きいものだ。
 まるで、触れると消えてしまう雪のような時間。
 意地悪く自分達を揶揄するベオウルフは、自分が残酷であることを知っている。知らずに言えば、それはなんと罪深いことだろうか。
(こうやって、必死に現実を受け止める姿が)
 言葉を閉ざしたラケシスをちらりと見るベオウルフ。
 そうだ。
 気位が高く、エルトシャンのこととなると目の色を変える、この世間知らずのノディオン王女は。
 自分を苦しめる現実と対峙している時、とても毅然として美しいと思う。
(俺も、散々っぱら、歪んでるわな)
 吐き出す白い息が見えぬほどに、夜の帳が彼らを包もうとしていた。


 それから数日後。
 それは、月明かりが美しい夜だった。
 夕食後にゆっくりと月明かりを眺めていたい、と誰もが思うほどの神々しさだったが、ベオウルフは夜の散歩のため、早々に眠った。
 普段、声をかけないラケシスにも念のため『月を愛ですぎるなよ』と伝えると、ラケシスはむっとしたように『わかっているわ』と答えた。
 その言葉に間違いはなかったようで、早いうちにラケシスは部屋にこもったようだった。
 夜番の兵士達が、寒空の下でも睡魔に抗えなくなり、早く深夜から早朝までの見張りと交代したい、と思う頃の時刻。
 ベオウルフとラケシスは、雪道に比較的慣れている馬に乗って、城を出た。



 あれは、どれほど前のことだったか。
 エルトシャンは、公的にシレジアを訪れたことがなかった。
 が、私的の訪問は過去に一度。
 その時に、シレジア人ではなくシレジアを知る者を、エルトシャンは探していた。
 ベオウルフは、求人をしている人間がエルトシャンだと知っていたわけではない。
 ただ、傭兵仲間から珍しく話が流れてきた、というだけだ。
 正直なところ、ベオウルフもそこまでシレジアに詳しいわけではない。
 いや、実際にシレジアに詳しい国外のものなぞ、そうそういるわけがないのだ。
 中立国であるシレジアは、ラーナ王妃の政治に守られ、国外からの訪問者に対しても扱いが良い。
 けれども、長い冬の時を過ごす過酷な自然を体験したいという奇特な者は国外には少なかったし、陸続きの東にあるのは、蛮族と呼ばれるイザーク。
 イザークの南からシレジアに行こうとすればイード砂漠が前を阻み。
 アグストリア側から行こうとすれば、波の荒い船旅。
 それらを越えてまで、どうしてもシレジアに行こうとする者が多いはずがない。
 かたやシレジア側は天馬騎士を召抱えているため、あちらは事情が違う。
 ラーナ王妃は聡明な女帝であるがゆえに、天馬騎士をおいそれと他国へと派遣をしない。
 それは、同じく空を翔るトラキアの竜騎士を危惧してのことではなく、他国からの警戒を強めないためだ。
 簡単に天馬騎士の姿を見られれば、中立国を保ちたくとも「諜報行動をしているのでは」と勘ぐられるのは当然のこと。
 よって、シレジアに簡単に人々を運ぶ術も伝手もないため、人々はいつまでも中立国シレジアのことをよく知らないまま。
 ベオウルフに話を持ってきた傭兵仲間は、そのことを良く知っていたし、ベオウルフが持つシレジアの知識がそこまで深くないことも知っていた。
 それは、ベオウルフ程度の人間でも、きっと役に立つ、金になる、という判断に違いない。
 だが、その時ベオウルフはその話をきっぱりと断った。
 彼は金儲けが嫌いではない。
 シレジアに行くほどの金と暇がある相手となれば、どんな道楽でも厭わないような身分に違いない。
 そんな人間を相手にするのは、彼としては面倒ごとにしか思えなかったのだ。
「やめとくよ。つっても、俺は俺で、シレジアに行く用事があるんだが、誰かと行こうとは思えねぇな。面倒くせぇ」
「んだよ、お前だってシレジアに行くってんなら金がかかんだろ。第一、なんの用事だ。コレか?」
「はっは、悪くねぇな。悪くないが、ああいう冬の深い国の女は怖い」
「情が厚いってか」
「我慢しすぎるってね。冬を耐えて春を待つのが当たり前の国の女に、こない春を待たれるのは恐ろしいだろうが」
「違いない」
 傭兵仲間はそういって笑ったが、目は「勝手なことを言ってろ」と馬鹿にしていた。
 ベオウルフがどんな女とも付き合わないことをその仲間は知っていたけれど、きっとそれを彼はよく思っていなかったに違いない。
 もちろん、そんなことはベオウルフにはこれっぽっちも気にすることではなかったが。


 運命の出会いというには大げさだが、エルトシャンとベオウルフの出会いは相当に間抜けなものだった。
 シレジア城から天馬に乗って一刻、降りてから歩いて一刻も必要なその場所には、冬の間完全に凍てつく美しい滝がある。
 が、そこに行くためには凍りついた岸壁を伝い、危険を伴う。
 ベオウルフがそこに居たのは理由がある。
 その岸壁付近に孤独に住んでいる一人の男性のもとへ、城下町から週に一度食料品を天馬が届けに行くことになっている。
 そこは天馬に乗る者――基本的に女性なので――が荷を運ぶには厳しい場所。よって、男性数人が金をもらって雇われて、深い冬の間はその荷を運ぶ。
 シレジアの人間でもないベオウルフがその日その仕事に従事していたのは偶然だった。
 この国で彼がいくらか世話になっている男が、前日屋根の修理で屋根から落ちて骨折をした。それが、彼をここに越させ、かつ、エルトシャンと出会わせる引き金となったのだ。
 彼らが荷を運んで歩いていると、その前に一人の男が相当に遅い足取りで歩く姿が見えた。
 それなりの厚着はシレジア特有のコートの重ね着のようで、地元の者の目をだませただろうが、その男の足元を見て、一同はすぐに『国外の者だ』と目配せをする。
 彼らの歩く道は幅がそう広くなく、自分達の前を行く者が遅ければ、彼らもまた困る。
 しばらく歩くと少しばかり道幅が広がって、わずかに休憩が出来る場所にたどり着いた。
 そこで、荷を運ぶ中心となった男が、自分達の前を歩いていた男にずかずかと近づいて、不躾にその肩を後ろから掴んだ。
「おい!」
「っ……?」
 ベオウルフはその様子を見て、肩を掴まれた男が腕を動かそうとして、けれど瞬時にそれを止めたことを確認した。
(ただの旅行客じゃねーな。何か、間違いなく、鍛錬をした人間の動きだ)
 振り向いた男は若く、大層整った顔立ちをしていた。その顔立ちが既に、シレジアのものではない。ベオウルフは直感で、アグストリア付近の人間だろう、と勘付いていた。
「おいおい、なんだ、なんて靴を履いてるんだ」
「え」
 肩をつかんで呼び止められてまで、一体何を言われるのかときっと彼は警戒をしていたに違いない。
 ところが、出てきた話は靴の話で、拍子抜けした、という体だった。
「その靴」
「靴か。雪道を歩く用の靴を履いてきたはずなんだが……中に、雪が入ってしまって」
「ここらは雪道っていうか……新雪が多くて、足がとられるだろう。それに、もっと長いブーツじゃないと、あんたが言うように雪が入っちまう。ここを歩きたきゃ、そんな靴じゃ無理だ。この辺は天馬騎士でなくちゃやってこないし、天馬ですら降りない場所だ。どうして慣れた者と来なかった」
「約束をしていた先方の家族に、突然の不幸が入ってこられなくなって。明日なら大丈夫だといわれたのだが、明日は天気が悪いと聞いて……」
「旅行者か。どこから来たんだ」
 会話をしているその男の顔を、後ろからじっと見ていたベオウルフは、ふと、その顔は見覚えがある、とひっかかりを感じる。先ほど、即座にアグストリアの人間だと思った、ということは、きっと自分の記憶に残っているアグストリアのどこかに、この目の前の男と結びつくものがあるのだろうとも推測した。
 そして、彼が記憶を辿ってその答えをみつけるまでには、そう時間がかからなかった。
「あーーー、あ、えー」
 突然頓狂な声をあげたベオウルフを、みなは殺気だった目で見つめた。
「そいつ、アグストリアの傭兵斡旋所で見たことがありますぜ。結構稼ぎがいいって話だったな」
 へらっと誰が得をするのかわからない嘘をついたのは、エルトシャンを救いたかったわけではない。
 ただ。
 とにかく、彼は面倒なことは避けて、さっさとその日の仕事を終えたかったのだ。



 その日から、二人は契約を結び、行動を共にすることとなった。
 エルトシャンは、シレジアでいくつか行きたい場所があるが、地元の人間と接点を持ち過ぎたくないと思っていた。身分がばれて、ラーナ王妃の耳に入ることだけは避けたかったからだ。
 エルトシャンの身分をベオウルフが気付いたことは、ベオウルフの方から打ち明けた。何か口止め料が欲しかったわけでもなく、そういや、アグストリアを出てこっちに来る前に、こんな求人があって……と思い出せば、それはどうもエルトシャンではないかと思えたからだ。単に、事の真偽を確かめたかったのだ。そして、彼のその推測は正しいと、エルトシャン本人はあっさりと認めた。
 夜になれば、アグストリアであれば、決してエルトシャンが足を踏み入れるはずもない、場末の酒場で二人は酒を飲み交わした。
 シレジアの人々は、元来お祭り好きで陽気、という性質ではない。けれど、冬が深ければ深いほど、酒場の夜は活気があった。
 夜の時間が長くなる反面、あまり遅くなると吹雪いて帰宅が出来なくなることもあるし、飲みすぎて外で倒れては命に関わる。そのため、冬はみな酒場を出る時刻が早い。だからこそ、短時間で明るく楽しく飲み、ひとしきり賑やかに騒ぐとあっさりと帰路につくのだと、酒場の女の子はベオウルフに教えてくれた。
 その晩、ベオウルフはようやくエルトシャンに本題を持ち出した。
「なんでこの国に来たんだ。部下も連れないで。危険すぎるだろうが」
「そうしろとシャガール殿下に言われてな」
「なんだと」
 シャガールは、アグストリアの賢王イムカの息子だ。アグストリア王からの命令ならばともかく、その息子が絡んでいるとはどういういことか、といぶかしむベオウルフ。
「正しくは、シャガール殿下の臣下達に、だが。どうにかして、俺を陥れたいのだろう。他国の者に焚き付けられ、それに殿下はのってしまった。それは、俺の忠義がまだ足りず、殿下の心に届かないということだ。俺に責任がある」
「はあ?」
「それでも、俺は俺の忠義を示さなければいけなかった。でなければ、欲に目がくらんだ諸国の声に殿下は首を縦に振ってしまう。俺は殿下と二人で話したかったのだが、他国の者がいる前で、その主義主張をするしかなかった」
「そんで?」
 難しいことには首を突っ込みたくはないし、嫌な話は聞きたくない、そう思いつつ、ベオウルフは先を促した。
「簡単なことだ。俺に無理難題をふっかけて、諦めさせようとしたのだろう。忠義を示せと他国の者が俺に言い放ち、殿下は仕方なくそれを受け入れるしかなかった」
「馬鹿な。それで、お前がここで何かやらかしてくたばったら、ノディオン国はどうなるんだ。そしたら、シャガールも責任追及されるだろうが。それか、お前が帰ったらノディオンがアグストリアから消されてるかもしれないぞ」
「ここに来る際、ノディオンにどの諸国も手を出さないことは約束されている。それは、シャガール殿下の名誉のため、イムカ王に今回の所業がばれないようにとの配慮が必要だから、諸国との取引材料にもなっているんだよ」
 ベオウルフはあきれ返った。
「……賢王イムカのことは、俺も知ってるよ。アグストリアの王は素晴らしい人物だと。だが、その王子であるシャガールとやらは……」
「ベオウルフ、それ以上の事を言えば、俺はお前を」
「おっと。悪いね」
 エルトシャンの真剣な眼差しにたじろいて、苦笑を見せるベオウルフ。
「でも、いいのかよ。そんなことで、一国の王様が動いて」
「いいわけがない。しかし、やらなければいけないことが人生には何度かあるのだろうと思う。こんなやり方は自分らしくないとわかっているが、イムカ王をよく思わぬ列国……つまりは、時期尚早くシャガール殿下を擁して、自分達が甘い汁をすすろうと思う者たちもアグストリアにはいる。その勢力がのさばるのは今ではない。だから、逆に今釘をさすのが良い。あとは、俺が帰れば良いだけのこと」
「んな道理通用するか。お前はイカれてる」
「一度やってしまえば、二度三度はない。殿下にとっての不利ではなく、他国の諸侯への武器だ。ノディオン国のエルトシャンが忠義を示すためにこんなことをした、という前例が出来れば、他国も黙らざるを得ない。自分達の王の安全を確保するために」
「だからって、それは無謀っていうんだぞ。知らないわけでもあるまい」
「ははは」
 エルトシャンは笑い、ふと遠くを見るような瞳を見せた。それから、穏やかな優しい声音で
「それに、俺はシレジアに来たかったのだ。来たかった国に、シャガール殿下の了解のもとに来られて、しかもその間の国のことは保証されて、良き友に出会えて、こんなにありがたいことはないではないか」
 良き友に。
 ベオウルフはあっけにとられ
「俺はお前の友なんかにゃならねぇよ」
「もうなっている」
「なんで」
「お前は、決して俺がここにいたことを、誰にも漏らさない。そういう男だ」
「面倒なことには係わり合いたくないからだ」
「奇遇だな。俺もだ」
 そういって、エルトシャンは笑った。清清しく、若者らしい笑顔だった。


 不思議なことに、彼らはうまがあった。
 きっと、エルトシャンをエルトシャンとして認識してからの出会いであれば、彼らの距離はそこまで縮まらなかったに違いない。
 若き王エルトシャンの名をベオウルフは当然知っていたし、彼の噂、人々が思い描いているひととなりもベオウルフの耳には届いていた。
 が、彼の前にいるエルトシャンは、その噂とは随分と違う存在で、よく笑い、よく驚き、喜怒哀楽の主張が案外と強い男だった。
 しかし、己の立場をわきまえなければいけぬ話題になれば、彼は毅然とした態度を崩さず、決してノディオン王という立場を冗談でも茶化すこともなければ、自虐や卑下を一切しない、堅い存在となった。
 ベオウルフは彼のそういうところは嫌いではなかったし、そうでなければノディオンという国を護ることが出来ないのだろうとも理解していた。
 きっと、それをシグルドやキュアンといった、エルトシャンと親しい者に言えば『ああ、そうだよ。本当はそういうやつなんだ』と笑うに違いない。
 男も女も、気の置けない同性の友といるときは、うって変わって砕けた、その場でしか見せない姿を見せるものだ。
 多分、エルトシャンがベオウルフに見せた『それ』は、エルトシャンを知っている者の中でも、数に限りある者しか目の当たりにしない一面に違いない。どうしてエルトシャンがそれをベオウルフに『見せてもよい』と思ったかは、ベオウルフは知らないし、聞こうともしなかった。
 何しろ、ベオウルフにとっては自分と接していたエルトシャンが、彼にとってのエルトシャンそのものであったのだから当然だ。
 けれど、実の妹であるラケシスは、きっとエルトシャンのそういう姿を知らないだろう、とベオウルフは思っていた。
 ラケシスの口から出るエルトシャン像と、ベオウルフの記憶にあるエルトシャンは、まるで違う人間のようにベオウルフには思えた。
 が、ラケシスが語る『エルトシャン』は、実際にベオウルフが会うまで彼が『そう』ではないかと思い描いていたエルトシャンに近かったし、人々が信じていた獅子王そのものだった。きっと、ラケシスやノディオンの民の前ではそうだったのだ。その事実は、ベオウルフが彼の何を知っていようが覆らない。
 エルトシャンは、若くしてノディオンでは完璧に近い王だった。
 それは、彼がそうであろうと心がけて成した、彼の信念の結果だ。
 そして、ラケシスにも、自分と同じノディオン王家の血筋として、そうであって欲しいとエルトシャンは考えていたし、それはエルトシャンだけではなくノディオンの人間みなの総意と言ってもよい。
 だから、彼はそうであろうと自分を律していたのだろうし、彼の美貌や彼が本来もっていた生真面目さとあいまって、そこに虚像であって虚像ではない、本当であって本当ではないエルトシャンがいたのに違いない。
 それらのことをベオウルフは面倒くさい、とは思わない。
 むしろ、その複雑な構図すらエルトシャンらしい、と思う。
 ただ、後から思い返せば、間違いなくこの時のエルトシャンはまだうら若く、幾分国王としての自覚が足りていなかったように思える。
 ベオウルフは大分後から、エルトシャンが政略結婚によってレンスター人の病弱な嫁を娶ることが、その頃内々に決まっていたのだということを知った。
 それを思えば、きっとエルトシャンが親族もいない他国へ外交以外で足を運ぶ最後のチャンスだったのだろうと推測を出来る。
 その後、ベオウルフは二度ほどアグストリアでエルトシャンと再会を果たした。が、お互いの立場もあり、二人きりで長々と会話をすることは叶わぬままだった。
 そして、奇しくも、ベオウルフはエルトシャンと個人的な知己を得、キュアンに戦場で雇われ、シグルドのもとで働くことを決意してシレジアに再度訪問することになった。
 他人が聞けば、それは免れぬ運命の糸であり、彼の隣に今ラケシスがいることも『神の思し召し』なんて阿呆なことも言うのだろう、とベオウルフは思う。


 まだ朝の遠い夜空を見上げ、ラケシスは数回目のため息をついた。
 雪山の手前で馬から降りて、彼らは長い時間歩いていた。暖をとる場所が先にあるから、とベオウルフは厳重に布でまかれた薪を大量に背負っていたし、ラケシスも渡された荷を背負っており、ただでさえ疲れる雪道歩きを更にうんざりさせていた。
「まだなの」
「まだまださ。もうちょっと頑張ってくれよ」
「……仕方ないわね。ここで立ち止まっても、何もいいことはないもの」
「そういうこった」
 ラケシスはただの我侭なお姫様、というわけではない。
 深い雪に覆われた谷間で足を止めたからといって、今の状況が何か変わるわけでもないことを気づかないわけがない。
 ベオウルフは、彼女の歩幅、歩調に気を使いながら進んだ。
 マスターナイトの称号を手に入れるため、シレジアに来てからラケシスは相当な鍛錬を重ねた。
 エルトシャンの死に衝撃を受けて引きこもっていた頃は、脂肪も筋肉もどちらも減っていたけれど、今の彼女は女性騎士らしい美しい筋肉を細い体にまとっている。
 それでも、ベオウルフの筋力に勝るわけではないし、雪道であれば尚更のことだ。
「そうさね、あと、半刻ぐらいだな」
 そのベオウルフの言葉に何を思ったか、ラケシスは返事をしなかった。
 機嫌を損ねて黙っているわけではない。ただ、必要がないと判断して返事をしないだけだ。
 そんな様子で不安になっていたら、ラケシスとは一緒にいられない。ベオウルフは、特に気にせずに歩き続けた。ラケシスの変わらぬ歩調が、彼女の機嫌を損ねていないことを彼に教えてくれる。


 それから、およそ半刻。
 確かにベオウルフが言ったように、彼らは洞穴のような場所にたどり着いた。
 雪に覆われていた入り口を発見するのにベオウルフはいくらか時間がかかっていたが、見つければそこは入り口が完全には埋まっておらず、すぐに入ることが出来る。
「少し埋まってるぐらいの方が、獣もこなくていいだろう」
「獣……」
 その単語に、ラケシスが不安そうな声をあげた。
 彼女にしてみれば、人間が相手ならばまだしも、野生の獣相手に戦ったことなぞないに違いない。
「ああ、大丈夫さ。どうせ、中で火を焚く」
「入り口が狭いのに、火を焚いて大丈夫なの?」
「この穴の先は、貫通してんだよ、お嬢さん」
 中に入っても寒さはまったく和らぐことがない。
 ベオウルフが言うように、穴の奥はきっと外に繋がっており、容赦なく冷気を送り込んでいるに違いない、とラケシスはため息をつく。
 彼女は、ベオウルフに多くを聞かずにここまでついてきた。
 多くを聞かなかったのは、彼女が従順だからではない。
 何を聞いてもきっとベオウルフが答えないだろう、ということを、何度かの会話の末に彼女が理解をしたからだ。
 きっと、ここで彼は何かを打ち明けてくれるのだろう、とラケシスは思いつつ、洞穴の中をぐるりと見渡した。
 一体この洞穴がどういう経緯で出来たのか、ラケシスには想像もつかない。
 手袋をしたまま壁に触れれば、冷え切った岩のごつごつした感触だけを感じられる。
 岩と岩の間に、枯れ木が挟まっている場所もあったが、それは生えたものが枯れたのか、もともと枯れたものが岩に挟まったのかもわからない。
 けれど、きっと以前からある洞穴なのだろうから、出来た頃から挟まっていたものならばこんな風に形は残っていないのではないか、とラケシスは思う。
 その時、手持ちの灯り以外の明るさが、ぱあっと洞穴の壁を照らしたことに気付き、ラケシスは慌てて振り返った。
 湿気ないようにと厳重に皮に包んで持ってきた薪を、ベオウルフは手馴れたように燃し始めたのだ。
 あたりをうろうろとしていたラケシスは、彼の手際をまったく見ていなかった。
「火を起こすのも、木に移すのも難しいって、聞いたことがあるわ。お前は、すごいのね」
「すごかねぇよ。こんなのは経験だ」
「……そう」
「あんただって、よくわからん上流貴族のサロンとかで談笑してダンスを踊るのはお手の物だろう。それと一緒だ。俺には息苦しくてたまったもんじゃないが」
「火を起こせる方が、生きることに繋がるわ。ダンスが踊れたからって、貴族と上っ面の会話が出来たって、生きる糧になりやしない」
「本当にそう思っているのか。だとしたら、大した子供だな、まったく」
 冷たく聞こえそうなそんな言葉も、ベオウルフはにやにやと笑いながら言い放ち、ラケシスに火の近くにくるようにと手招きをした。
 ラケシスは、ベオウルフが言いたいことを察し、わずかに頬を紅潮させた。
「そうね。失言だったわ」
 ベオウルフは、ラケシスのような身分の者にとっては、社交界での振る舞いが自分自身、ひいては国そのものの生き死にを左右することもある、と言っているのだ。
「ああ、それでいい。あんたは、そこまで子供じゃない。でも、サロンであんたの美しさを褒め称えた男達は、結構本気だと思うがね。それは、彼らにとっては生きるための世辞じゃない」
「どこの誰にそんなことを言われたのかなんて、いちいち覚えていないわ」
「そりゃそうだ、言われ慣れてただろうしな。でも、ま、きっと今のあんたの方が、綺麗なんだろうさ」
「そうとは思えないけれど」
「昔のあんたは、そりゃ綺麗だったろうよ。いつも違うドレスを着て、最新の髪型とやらにして、恵まれた環境でいいもん食って艶々してたんだろうし。だが、人の美しさってのは、それだけじゃない。内面からにじみ出るものは、本人が鏡をみたって、わかりゃしないもんだよ」
「……」
 ベオウルフのその言葉に、ラケシスは黙り込んで彼をじっと見る。睨んでいる、と思えないこともない厳しい視線だ。
「おっと、俺らしくもないことを言ったな」
「……お前は、わたしのことを馬鹿な女だとよく言うわ」
「ああ。そうだな。でも、十二分に聡いところも持ち合わせていることも知ってるさ」
 そういうと、ベオウルフはこの話は終わり、とばかりに、ラケシスを見ることなく火を大きくすることに専念をした。そして、ラケシスもまた、それ以上のことを彼に問いかけようとはしなかった。


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