虚像の使い-7-

さて、わずかに遡ること、ほんの10分ほど。
ブラギの塔に辿り着いたクロードは、脇を固めていた男達2人を階下に待たせるために、彼にしてはうまい嘘をついていた。
「昼間祈りの間に入ったとき、あなた方の「気」が伝わってきたので祈りに入ることがなかなか出来ませんでした」
ああ、このブラギの塔で、人々をたばかることになるとは。彼はたいそう心を痛めていて、それをもしデューに言えば心底驚かれたことだろう。
「あなた方は巡礼者ではありませんから、ブラギ神に拒まれているようなのです。大変申し訳ないこととは思いますが、階段の下でお待ち願えますか」
男達は顔を見合わせた。
うさんくさいにもほどがある話だと彼らは思ったに違いない。違いないけれど、それを疑ってもどうしようもないし、もしも彼が言うことが本当だった場合、いつまでたっても任務は遂行出来ないのだと彼らは理解していた。
彼らはブラギの塔の見取り図を持っていて、祈りの間付近に何も出入り口がないこと、隠し部屋などもないことを知っていたし、何より昼間クロードはきちんと彼らの元に戻ってきた。それらを考えれば、まあ不承不承ではあるが彼の言うことを受け入れるしかなかったのだ。それに、例え彼が逃げようと思っていたとしても、外は夜だ。その上、この道中にどれほど身体能力が低く体力が衰えているのかを彼らは嫌と言うほど知っていたのだし。
クロードは1人で階段を昇り、最上階である祈りの間に向かった。
たくさんのことを考えながら、一歩一歩を重ねる。
多分、祈りの間の前に、また巡礼者がいるのだろう。そしてその人は。
(彼女なのだろうか。本当に。危険を冒して、わたしのもとに来てくれたのか)
こんな胸の高鳴りを、まる3年間忘れていた。
駆け出したい衝動にかられるが、それをすれば自分は恥ずかしい顔を相手に見せることになるだろうし、階下の男達に気付かれるかもしれない。何も思うことがないように平静に一歩一歩気持ちを込めて歩くしかない。
待ち人がいると思えば、長くてうんざりするこの階段ですら、その人に続く道と思えてありがたく感じる。まあ、出来ればもう少し楽なところで再会したかったな・・・というぼやきがまったくないわけではないけれど、それはこの際どうしようもないことだ。
ついに最上階の床を踏み、両足をぴたりとその場に止めた。彼の視界に祈りの間の扉が入っている。そしてまた、その場にうずくまるように座っている1人の巡礼者の姿も。
一目で、その人間が、彼が求めていたその人ではないと彼は気付いた。
昼間と、体の大きさが違う。明らかに今うずくまっている人物は男性だ。
「・・・祈りの間に向かって、祈っておられるのですか」
勇気を振り絞ってクロードはその人物に声をかけた。
「こんな夜分に、お1人でここまで昇るのは心細くはありませんでしたか。まあ、わたしも、階下に連れを置いてきたので一人ですけれども」
不自然にならぬようにと気を遣って、彼は、1人でここまで来たということをアピールした。
うずくまっていた人影はゆっくりと体を起こして、振り向いた・・・と思ったら、突然クロードに向かってまくしたてながら立ち上がった。
「どうしよう。どうしたらいいんだい、神父さま」
「・・・あなたは・・・」
その人物は、目深に被っていたフードの端をつまんで、ちょいっと顔を見せた。そのわずかな隙間からでもわかる、好奇心旺盛で素早く様様なものを捉えるその瞳は。
「デュー。逃げ切っていたのですね。あぁ・・・では、昼間、シルヴィアと共にいたのは、もしかして」
驚きと喜びにクロードの声は上ずった。予想外の人物との再会に、彼は自然と口元をほころばせる。
「ブリギッドさんだよ」
しかし、こちらは再会の喜びを分かち合う暇もなく、デューは更に早口で続けた。
「そんなことより、大変なんだ。シルヴィアが、えっと、そこの石触ったら、消えちゃったんだ。でも、俺が触ってもなんにもならなくて。神父さまなら知ってるんだろ?」
「シルヴィアが」
デューは扉にたたっとかけより、取っ手についている石を何度も何度もなでながら続ける。
「これ、ワープの杖についてる石じゃないのかい?色は違うかもしれないけどさ、同じ種類だよね?」
クロードはデューを見ずに、少しばかり考えこんだ。考えながらも、階下から誰かあがってこないか、物音がしないかを気にしている。
石造りの階段は底が柔らかい靴で慎重に歩けば、本当に近くになるまでかなり足音を消すことも出来るからだ。
「・・・わたしと会って、どうするつもりだったのですか」
「神父さまに、俺の服を着てもらって、シルヴィアと一緒に逃げてもらうつもりだったんだ。この下、カツラなんだ。これをかぶってもらおうと思ってさ」
そういってデューはフードを軽く跳ね除けた。そこには、見慣れたはずの金髪ではなく、彼にはあまり似合わないように見える赤毛がある。それに驚いて「わあ」とクロードは小さく声をあげた。
「俺はこの下にも巡礼者用の服を着ているしさ。神父さまには悪いけど、顔を汚す道具も隠しもってきたし・・・まぁ、流行り病にかかってるみたいにさ、顔とか手をちょっと細工したり。俺、そういうの得意だからさ。追っ手から逃げる時には重宝するんだぜ」
デューは少しばかり自慢したかったのか、誇らしげに笑顔を見せる。それへクロードは微笑み返した。
「でも、それでは残ったあなたが怪しまれるでしょう」
「俺1人ならどうにかなるよ。神父さまがこの扉の中に入っていったのを見た、って言えばいいしさぁ。ああ、それより、えっと、シルヴィア」
クロードは瞳を閉じた。
ブリギッドとデューが共に生き延びていた事実を素直に嬉しいと思い、しかし、デューが言うように彼とシルヴィアが先に逃げては・・・。彼はなかなかにそういったことを考えることが得意な人種ではない。それでも、今この場にいる全ての関係者の中で、彼が一番この「ブラギの塔」そのものについては詳しいのだ。
「わかりました、デュー。時間がない。あまり時間がかかっては、降りていったあなたが疑われる。今からわたしが言うことをよく聞いてください」
クロードはデューの二の腕を強い力で掴んだ。
昔であれば、小柄だったデューを見下ろす形になるはずだったのに。
いまやデューは上背もかなり伸び、目線が同じほどの位置になっている。クロードは気付いたけれど、それについてコメントをもらす余裕はなかった。
「え?あ、うん」
「まず、あなたは今すぐ下にいって、この塔を出てブリギッドのもとへ行くのです。その場所は、シルヴィアもわかっていますね?えーと・・・ここから歩いてどれくらいですか」
「うん。昨日今日と一緒にいた場所だし・・・半刻もしないよ。夜の岩場で足元見づらいけど、カンテラあるし」
「半刻・・・それなら・・うん・・・一刻、待って下さい。一刻以内に、シルヴィアが戻れば、3人で逃げてください。えー、それでですね・・・もし、一刻以内にシルヴィアが戻れなくても安心してください。捕まるときは、わたし1人が捕まればいいのですから」
「え、え、どういうことさ、神父さま・・・」
デューの質問には答えずにクロードは繰り返す。
「いいですね。すぐ、降りなさい。少しでも早くこの塔から離れて、階下の兵士達にあやしまれないように。それが、全員無事に脱出出来る、一番いい方法です。フードもとって、堂々と顔を出して通り過ぎなさい。いいですね」
そう言って、「わかりましたね」と最後に念を押すクロード。デューは納得がいかないような苦々しい表情のまま一通り話を聞いてから軽く首をかしげた。
「それじゃあ、神父さまは、シルヴィアと一緒に来られないのかい?」
「・・・それは、運次第ですね。けれど、かなり割のいい賭けだと思いますよ」
その言葉にデューは目を見開いて「へえ!」と肩を一瞬すくめるような動きを見せた。
「神父さまが「賭け」なんて言葉使うなんて、驚きだ。でも、わかったよ。おいら達、あの時神父さまがバルキリーの杖を部屋に置いていってくれたから命が助かったようなもんだ。だから、神父さまの言うとおりにするよ」
クロードは気付かなかったけれど、その時デューは無意識で「おいら達」と言った。
「あの時」・・・それは、ヴェルトマー城からバーハラへシグルト達が旅立った時。ブリギッドが身重でそれについていけなくなり、彼らが戻るまでヴェルトマー城で安静にしようと思っていた時。
クロードは一声も彼らにこの先のことを言わなかったけれど、バルキリーの杖をデューの部屋にそっと置き、彼に託していった。
それに気付いたデューは、それが言わんとしていること、暗示していることをブリギッドと共に正確に推測し、そのおかげで一命を取り留めたのだ。
まるでその時を懐かしむように。いや、思い出せばそれは苦々しい思い出なのだが・・・バーハラの惨状を体験していないデューからすれば、クロードとは笑顔で別れ、そしてただ久しぶりに出会ったような感覚なのかもしれない。
その頃に戻ったような、今は決してブリギッドの前では言わない「おいら」という一人称。
時は流れたのだ。けれど、何も見ることが出来ないまま多くの仲間を失ってしまった彼らにとっては、突然今日という日に辿り着いたように感じられるのかもしれない。
たとえデューの背が伸びて。クロードが痩せ、髪をぱっつりと切り落としていても。
ああ、いっそ、同じように皆と再会が出来れば良いのに。
それは、誰もが願う、間違いなく叶わない思いだ。
そして、クロードはデューに背を向け、祈りの間の扉についた取っ手に片手をかけ、もう片方の手のひらで赤い石に触れた。

「神父さま、あのね」
ほんの少しの間。
彼らがお互いの体温を感じあっていたのは、僅かな時間だった。
やがて、シルヴィアは落ち着いたように、そっと自分からクロードの腕をすり抜けて体を離す。
彼女は、決心をした。
聞きたくて、でも聞きたくなくて。
一緒にここから逃げれば、いつでも問いただせるけれど、でも。
ここだから。
この祈りの間にいるからこそ聞きたい、と、彼の腕の中で彼女は強く思ったのだ。ひざをぺたりとつき、冷たい床の上で座ったままで彼女は彼を軽く見上げた。彼は片膝を立てて立ち上がろうとしたが、彼女からの視線を感じてその場にそっと座った。
「ひとつ、教えて」
静かな瞳。何にも動じない、いや、動じないように、と彼の腕の中で何度も何度も言い聞かたシルヴィアは、まっすぐにクロードの目をみつめた。それに気おされることもなく、クロードは静かに返事をした。
「はい。何でしょう」
「神父さまは、知っていたの」
落ち着いて向かい合えば、驚くほどのこの祈りの間が静かだとようやくシルヴィアは気付く。
自分の声は嫌になるほどその空間に響いて、まるで目の前のクロードを責めたてる、目に見えない凶器のように思える。
知っていたの。
その言葉に対して、クロードは「何をですか」とも「どういう意味ですか」とも問い掛けない。
そっと彼は右手をあげて、自分の耳を塞ぐように頭の側面を抑えた。
「わたしの、この中の、どこかは、知っていました」
「この中の、どこか」
「けれど、悲しいことに、わたしは、自分が「知っているということを知る」力がなかったのです」
質問の意味を問わないまま答えられるその回答は、間違いなく彼に言葉が伝わっていることを表わしていた。
シルヴィアは静かにクロードを見つめたままだ。
「バーハラで、アルヴィスの言葉を聞いたとき、ああ、これは、知っている。そう思いました」
「・・・」
「砂煙の中レヴィンが倒れた瞬間、彼だけは逃がさなければいけない・・・シグルド公子のご子息、セリスのために。何かがわたしに訴えかけてきました。多分、それは、この中にしまわれた、この祈りの間で見たはずの、知っていたはずの記憶がそう訴えかけたのだと思います」
それは、あまりに静かな告白だった。
シルヴィアに話しているというのに、きっと聞く人間が聞けば、それは神に対する懺悔ではないかと思うほど、静かで、苦しみを湛えた声音で彼は言葉を紡ぎだす。
「アルヴィスが、わたしをこの塔に遣わしたのは・・・彼が、この先のことで知りたいことがあるからです。けれど、多分わたしは既にそれを知っています。知っているけれど、それが何なのかを明確に、ここから引き出すことが出来ません」
そう言って彼は自分の頭を軽く叩いた。
「あなたもあるでしょう。なんで、こんな大事なこと、今まで忘れていたんだろう・・・そんな風に思い出すことが」
「・・・うん。ある。わかる」
「わたしは、その場に直面したときに、ああ、これは、知っている・・・そう思えるだけなのですよ」
「そんな・・・」
「だから、知っているといえば知っています。そして、あの惨劇を止められなかったのは、ブラギ神の声を聞きながらも多くのことをはっきりと知ることができなかった・・・わたしの、力不足なのです」
「・・・じゃあ、神父さま」
「はい」
「・・・あたしが、神父さまの子供を産んだってことも、知ってる?」
その言葉にクロードは目を見開いた。明らかな動揺の表情を、シルヴィアは静かに見つめていた。
「・・・そう、なんで、すか」
切れ切れの声。呻き声を搾り出すように、クロードは更に続けた。
「わたしと、あなたの、子供」
心底驚いたような表情を見せるクロード。本当にそれは知らなかったのだろう。彼は何度かまばたきをしてから瞳を閉じ、何かを考えているようだった。
わかっていた。
愛しい少女を抱き、愛し合えば、そうなるとわかっていた。
覚悟をしていたけれど、あの別れの時までその兆候がなかったから、情けないことに「身ごもらなかったか」と安心をしていたのだ。
その自分の浅はかさを彼は痛感して、唇を軽く噛んだ。
身重だった彼女を、どこともしれないところへ無情にワープの杖で飛ばしてしまったのは、自分なのだ。
その後の彼女の苦労についてはずっと牢で考えていた。けれど。
「それは・・・知りませんでした・・・。そうですか・・・その・・・あなたには、苦労をかけたのですね」
「・・・そんな言葉聞きたいんじゃないわ!!」
シルヴィアは叫んだ。
「お願い、そんなこと言わないで!あたしのことじゃなくて、リーンのことを・・・リーンのことを、喜んで!愛して!会いたいって言って!」
「シルヴィア」
「そんで、そんで、あたしを抱いたことも、後悔してないって、言ってよ、神父さま!」
「・・・シルヴィア、そうでは。そうではないんです。ああ、わたしは、本当に言葉が足りなくて・・・後悔なんて、していないんですよ。本当に・・・」
そういってクロードはそっとシルヴィアに手を伸ばし、その頭を、頬を、ぎこちない手で触れた。その感触を少しでも漏れなく感じたいと思っているように、シルヴィアは瞳を閉じて静かになった。
「そう、ですか。リーンというのですね。あなたが守ってくださって、産んでくださった娘は・・・ありがとうございます」
「神父さま・・・」
クロードはもう一度、意識的に力を込めて言う。
「ありがとうございます。きっと、あなたに似て、可愛らしい女の子に育つのでしょうね」
何を、他人事のように言っているのだ。瞳を開けたシルヴィアはそう言い返したくなったけれど、うまく言葉にならなかった。
他人事のように聞こえるけれど、その言葉が不思議なほどに「彼らしい」と思えてしまったのは事実だ。
「・・・シルヴィア、時間がない。わがままだとわかっているのですが、聞いてくださいますか。わたしはここで・・・ブラギ神の声を聞く、この祈りの間で話してしまいたいことがあるんです」
そういって、クロードは静かに目をふせた。そして、そのまま頭を垂れた。しばしの間の沈黙。
「話して」
言葉を返したシルヴィアは、先ほどまでの叫びで頬を紅潮させ、少しばかり目も潤んでいたが、はっきりとした声で彼に言う。
「話して、神父さま。あたし、たくさんの覚悟してここにいるの」
凛としたその声。
まるで、それは彼女の舞の最中に聞こえる音楽のように、彼の頭の中に響いた。

ブラギ神の声を聞く、神の使い。

みなが言うように、確かに彼はブラギ神の声を聞くことが出来る、稀有の能力を持つ人間だった。彼はシグルド公子の無罪を晴らすため、この場でブラギ神の声を聞くことが。けれど、その啓示全てを自分のものとして消化できない。それさえ出来れば、みなを助けられたのに。
いつもいつも、いつもそうだ。キュアンも、エスリンも、誰も彼も。
この先永遠にその苦しみを持ち続けなければいけない。苛まされなければいけない。神への信仰の心の強さは、生きるための強さになり得るのだろうか?
信じられない出来事に対して、驚かない、心が揺れない自分がいる。ただただ納得するだけの自分が時折いる。
それは、きっと本来あの時に啓示されたことだったのだろう。
「ああ、そうだ。こうなるはずだったのだ」そんなあり得ない感情を持つ自分に嫌気がさす、とクロードは思う。
みなが自分を「神の声を聞く神父」「選ばれた者」というが、それは何一つ役にたちやしない。
この苦しみを抱いたまま生きることが、つらい。
恥ずかしいほどに自分は弱くて、本当は真実全てを見ることに知ることに恐怖を抱いているのではないかとすら思う。その弱さゆえに、自分は天啓を正しく受け止め、自分のものとすることが出来なかったのだ。
いいや、人が、この弱さを克服できるのだろうか?
誰であろうと、同じように畏れ、そして、何もできやしない。人々が思い描く「神の使い」は、ただの弱くて情けない、恐怖に震えながらあがきながら生きるだけの人間なのだ。

だから。

誰が許そうとも、もう、子孫を残すまいと。決めたのです。
そう。あの寒い、あの雪の国で、あなたを腕に抱くまでは。
「あなたは、ブラギの血筋を持っている。この祈りの間に入れたことも、その血ゆえのこと。だから、力が強い子供が産まれます。それもね、怖かったんですよ」
それ「も」?他に何があるのだろう、とシルヴィアは眉間にしわを寄せた。
「わたしは、神の使いなどという大層なものではないのです。そうであれば、もっと人々を救うことが出来る。そんなものではない、ただの男です。どんなに神がわたしに囁いてくれても、わたしはあまりにちっぽけで恐怖に縮こまってその声を正確に覚えることすら出来ない。無力な1人の人間です」

そこまでの彼の静かな告白を聞いて、シルヴィアはぽつぽつと言葉を投げかけた。

「弱くて、何が悪いの」

「神父さまのおかげで、シグルド公子がどれだけ助かったのか、わからないの?」

クロードはうな垂れながら、その言葉を聞いていた。いや、聞いているのかどうかシルヴィアにはわからなかったけれど、それでも彼女は言葉を続けるしかなかった。

「1人で、背負って、なんでもかんでも理屈ばっかり考えてるからだよ」

「あたしが、なんでも聞いてあげる。つらかったら、泣いていいんだから」

「もし、もしリーンが同じように神様の声が聞けるんだったら。あたしが、リーンの辛いのも、一緒に感じてあげる。だから、神父さまもリーンを助けてあげて。一緒に、一緒に来て!神父さまは、あたしと一緒にいても1人だったんだろうけど、もう、いいよ。1人にならないで。言って。泣いて。苦しいって、弱音はいて」

「弱い人は、自分が弱いって知ってるから、強くなれるんだよ。強くなるには、弱さを認めなきゃ。愚痴じゃなくって、認めた弱さを人に言う強さがなきゃ駄目なんだよ。だから、神父さまはもう弱くなんて、ない」

たどたどしい言葉。矛盾する言葉。
シルヴィアは、自分が彼に投げかける言葉の数々で彼が納得するとは思っていなかった。
けれど、言わずにはいられなかった。
違う、と目の前の彼に言いたかった。
彼女は思いつく言葉を次から次へと彼に投げかける。その一言一言に彼は反応をしてくれていないように思えるけど、それが無駄なことだと彼女は思わない。

「・・・ああ」

いつしか、シルヴィアの目の前でうな垂れていたクロードは、苦悶の声を出してそのまま床に突っ伏した。

「神父さま!?」

感謝している。

神に、シルヴィアに、たくさんのものたちに。

この深い感謝は、生まれて初めてのものだ、と彼は思った。
いつの日も神に感謝をして生きている、と自分は信じていたし、そうでありたいと思った。それでも、彼の力ではまったく救うことも出来ない人々がこの大地には数え切れないほどいて、そして、その人々に神が手をいつ差し伸べるのかを彼が知ることは出来ない。
心が折れる、信仰が折れる瞬間がなかったといえば嘘になる。
それでも彼はただひたすらに、神を信じ、人々に希望を与えようと誠実でい続けようと強く思っていた。
けれど。
この深い感謝は、今まで知らない。
そうだ。
自分への神の恩恵を、こんなに深く感じたことはない。

1人で生きることが叶わない、そんな弱い自分のために、彼女がここにいてくれる。
ここに辿り着いてくれたシルヴィアへの感謝と、デューやブリギッド、ありとあらゆる人々への感謝と。そして。
こんな弱いわたしを見捨てることなく、真実を教えてくれた神と。

こんなにも、弱い人間なのに。
ブラギ神は見捨てることなく、わたしの祈りを聞いてくださったのだ。
そして、だからこそ得ることが出来たこの幸せを、信仰を踏みにじって受け入れるわけにはいかない。
わたしは、今、生まれて初めての感謝をしている。

クロードは泣いていた。
シルヴィアは彼が何故泣いているのかを知らない。
けれども、彼の涙を見て「終わったのだ」と彼女は直感した。
何が終わったのかと問われれば、きっと明快な答えを返すことは出来ないだろうけれど。
ブラギの使徒がブラギ神の声を聞くはずのこの祈りの間で。
こんなに大切なときに、この人のための神の声は与えられないのだ。
けれども、きっと神っていうものは、ここで彼の声を静かに聞いていたのだろう・・・そうシルヴィアは信じたかった。
神というものの身勝手で残酷な役回りをさせてしまった、ちっぽけな人間の声を、ただ静かに、静かに。


やがて、クロードは立ち上がって、シルヴィアに背を向けたままで何度か深呼吸をした。それからくるりと振り返って何もなかったように声をかける。
「どちらにしても、ここから出ないといけませんね」
あっさりとしたそのクロードの言葉に、シルヴィアは目を見開いて驚いた。
「外に出られるの?」
「・・・この祈りの間では、祈りを行って、それを終えたものだけが出られるのですよ」
「え?じゃ、神父様がお祈りしたってこと?」
さっきのがそうなのかしら?シルヴィアは難しいことを考えるときのように眉間にしわを寄せた。
「いいえ、わたしは・・・」
クロードは悲しそうに首を横に振る。
「わたしの、一生涯の祈りは既に終わっています」
「・・・え?」
「わたしは、もう、この場に来る必要がない人間なのです」
「どういうこと?」
シルヴィアは首をかしげた。彼が言っている意味が分からないと思う。
祈りの間に入ることが出来る、選ばれた人間。神の言葉が聞こえる選ばれた人間。それが、この、目の前にいる愛しい男性だったではないか。なのに、この人は何を言うのだろうか。
「シルヴィア、あれを見てください」
クロードは腕をあげ、壁の一箇所を指差した。そこには、先ほどまでシルヴィアが捜し求めて、そしてついに発見できなかった扉の姿が見える。
「あ!」
「ね」
「神父さまが入ってきたから、扉が見えるの?さっきまでは全然見つからなかったのよ!」
「違いますよ、シルヴィア」
クロードは笑顔を見せた。
「あなたは、祈ったではありませんか。ここで」
どくん。
シルヴィアの心臓が大きく跳ね上がった。こんなに静かな言葉で、こんなに動揺をしたのは初めてのことだろう。
真正面から2人の視線が絡む。
「あなたの舞は、祈りです。多くの人々が、神に祈り、願い、問いかけたことを、あなたは舞で表現する。だから、人々はそれを見て、自分の心を揺らすではないですか」
「え・・・」
「だから、わたしは、あなたを抱けなかった」
「わからないよ、神父さま」
いやいやをする子供のように、シルヴィアは首を横に振って、クロードの服の袖を乱暴にひっぱった。
聞きたくない。よくわからない。そんなことはどうでもいい。そういう訴えだったけれど、クロードは無情にも続きを口に出した。
「あなたは、わたしが10分20分、半刻、1刻と人々にブラギの教えを説くよりも、たった一度の舞だけで人々の心を動かす。そんな人を・・・わたしが、わたしのものにしても・・・抱いても良いのかと・・・いつも、いつでも、思っていました」
その静かな声。
シルヴィアは彼を見上げ、こぼれる涙を必死で我慢して目を見開いている。もう、泣くものか。なく必要なぞないではないか。ここに、この人がいて、あたしがいるのだもの。
「なんで、そんなこと、理屈っぽく考えるの、神父さま」
声が震えていたけれど、シルヴィアは迷いなく続けた。
「言いたくないことを言わなきゃ、神父さまはわかってくれないのね」
「え」
「・・・すごく、悲しいけど、あたしが、神父さまを抱いても、神父さまはあたしのものじゃないわ。そんなこと、ほんっとーは絶対言いたくないんだけど」
「・・・シルヴィア」
「あたしは、神父さまに抱かれたかったし、本当はいつだって神父さまのものになりたかった。でも、本当はそうじゃない。あたしは誰のものでもないし、神父さまは誰のものでもない。そういうことを教えてくれたのは神父さまだったわ。でも、だから何度でも抱きしめて欲しいんだもん。何度だってあたしも抱きしめる。お互いのものになんて絶対ならないから、人って抱きしめあうんでしょう」
「シルヴィア」
「それでも、神父さまの言葉が嬉しかったの。神父さまは、あたしを、本当は神父さまのものにしたかったんだって、あの時初めてわかったからさ・・・あたしを、あそこから、飛ばしたときの、言葉」
今も耳に残る、最後の言葉。
「だから、もっと何度でも言って。何度でも聞きたいから。そう思ってくれるっていうだけで、あたし嬉しいの。だってあたし、神父さまのこと大好きだもん」
クロード自身も、自分があの時何を口走っていたのかを鮮明に覚えている。

あなただけは

しあわせに

わたしの

踊り子

動かない体に怯えながら焦りながら、そして、泣きながら、汗をかきながら。
呼吸も整わないまま、それでも彼の元へ行こうともがいた、混乱のバーハラの戦場で最後にシルヴィアが聞いた言葉。
それを、彼女はこの三年間覚えていてくれたのだ。
彼が最後に放った心からの言葉を糧にしていてくれたのだ。
そして、その言葉を喜びながらも「自分は誰のものでもない、誰も、誰のものではない」−−迷うことなくそう言える彼女の強さがうらやましく、妬ましく、あまりにも愛しいと彼は思った。そして、だからこそ彼女を抱いたのだと今更ながらに痛感する。
そして。
彼は、心を決めた。


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