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ひたむきなもの-1-

昨日一日降り積もったまっさらな雪は、雲間からの陽射しを弾いてきらきらと輝いている。
まだシレジアは冬になり始めであったが、一日降り続けば相当な降雪量であり、人々の歩行をそれなりに妨げるほどの高さにはなってしまう。
男達は朝からセイレーン城門前の雪かきに精を出し、どうにか朝食前に道を作り出した。
ありがたいことに昼食の時間までにも雪は降らず、シレジアの空に慣れているフュリーによれば「今日は多分降らないでしょう」ということだった。
今日は丁度クロード神父が外出をする日であり、雪が深ければそれを取りやめることになっていた日だ。
クロードは少し早めの昼食を終えた後に、ラーナ王妃から与えられている冬用のコートを着た。
普段彼が「今日の用事」のために城下町に赴く時には、一人で行くことがほとんどだ。
たまたま今日は城下町に「仕事」があるというアーダンが途中までクロードを送ることになっており、めずらしい組み合わせの二人はセイレーン城から出て行った。
今日のアーダンの仕事は、大工達の手伝いだ。
シレジアでは、そういった仕事は冬に入るまでに誰もが終えるはずなのだが、時に例外がある。
冬になれば乾燥をして、木材が縮む。
シレジアの家屋は様様な材質で作られているけれど、木で作られている家屋も多い。
そして、乾燥による弊害には、時には随時対処しなければいけないことがあり、それと平行して「冬だけれど、建てなければいけない新築家屋」などがあると、それだけで人手が足りなくなる。
なんといっても、冬は普段よりも薪割が必要になったり、枯草を遠い倉庫から出したり、狩りに手間がかかったりと男手が足りないのだ。
そこで、手が足りない分で容易に手伝える場合には、シレジア国が抱えている居候と言えるシグルド達のところへ声がかかることもある。
そもそも仕事らしき仕事などなくともシグルド軍の騎士達は、降雪量が多い日は雪かきの手伝いに赴く。
また、ジャムカやブリギッド、ミデェールなど弓の腕が立つ者は、冬特有の狩りの手伝いに行くこともある。
ラーナ王妃の恩情で彼らはセイレーン城を棲家として与えられ、不自由のない暮らしを手にしているが、それに完全に甘えるわけにいかないことも承知しているからだ。
彼らを養うために使われている金は間違いなくシレジアの国税であったし、いくら「賓客」として扱われているとはいえ、人数が多すぎる。
ラーナ王妃は、ラケシスやアイラ、ジャムカといった、他国(たとえ、その国がどのような状況に置かれていようが)の王族が何人もいるのだから、自分達がもてなすことは当然だとシグルドに言う。
その道理はわからぬわけではない。
確かにラケシスなどが働けば、逆にラーナ王妃の面目を潰すことはさすがにわかる。
だからといってシグルド軍全員を養うためにどれほどに金がいるのかを考えれば、容易に受け入れられる立場ではない。
今日の人員要請には朝からアレクとノイッシュが足を運んでいたが、石運びとやらが難航しているため急遽アーダンが借り出されたというわけらしい。
さく、さく、と小さく雪を踏みしめる音を立てながら、二人はのんびりと城下町へと向かう。
「クロード様、お帰りの際はお一人で大丈夫ですかい?」
「ええ、ありがとう、アーダン。普段から一人で行き来していますから、大丈夫ですよ」
雪の照り返しに目を細めながら、クロードは穏やかに返事をした。
「それにしたって、クロード様も物好きな。こんな寒い中、ブラギの聖典を読み聞かせしに行くなんて」
「ふふ、そうですね。物好きかもしれませんね。でも、待っていてくださる方々がいらっしゃる限りには」
「シレジアの人間も、物好きなんですかね・・・って、いや、いや、失礼しました。これは、さすがに・・・」
アーダンはそう言ってしどろもどろになった。
それへクロードは小さく微笑んで
「ちょっとだけ、失礼ですかね」
と軽く話を流す。
もっと幼い頃は、自分が信じているブラギの神を否定されることや、その教えを聞こうとしない人間に苛立ったことももちろんあった。
けれど、もう彼は子供ではない。
多くの人間にブラギの教えを説きたいとも思うけれど、それを決して受け入れない人間が世の中にいることも知っている。そして、だからといってその人間に何か罰をブラギ神が与えるわけでもない、ということも。
だから、アーダンのようにまったくそれに興味がない人間が、彼や彼の言葉を聞くために集まる人々を「物好き」と表現しても、それは頭ごなしに責めることではないと、今はわかっている。
少しだけ、残念には思うけれど。
「じゃ、クロード様、ここで」
城下町に入ったところで、アーダンは自分が行く方向を指差しながら、クロードに声をかけた。
辺りには民家がちらほらと見えており、家の周辺にはどかした雪が積み上がっている。
「ありがとうございます。お仕事、お気をつけて」
「あ、はい!クロード様も、お気をつけ下さい」
アーダンは頭を下げ、クロードとは別方向に歩き出す。
立ち止まったままその背を見送るクロードの側に、彼の腰ほどの身長の少年が通りがかった。
「あれっ、神父様!こんにちは!」
「ああ、デューカス、こんにちは。今日はお家の手伝いですか」
少年は首元に太いマフラーを巻いて、両脇に薪の束を抱えていた。
歩きづらい道に苦戦しつつ、頬を紅潮させながら白い息でほがらかに応えた。
「うん。だから、今日はちょっと神父様のお話聞きにいけないや。今日いけなくても、次、お話わかるかなあ」
「大丈夫ですよ。デューカスは、わたしの話を聞いていて、おもしろいと思いますか?」
「おもしろいっていうより、なんていうんだろう。なんか、不思議な感じ」
それは、彼にとってはうまく言葉に出せない感覚なのだろう。
少年は、その感覚をもっと具体的に伝えようという努力をそれ以上しなかった。けれど、クロードはそれを残念とは思わない。
「そうですか。また、次聞きに来てくださると、嬉しいです」
「うん。行くよ。じゃあね、神父様」
「はい。また今度」
少年は両手が塞がっていて手を降れないため、代わりに肘をかすかに動かした。
クロードは笑顔で手を振って、少年を見送った。
(おもしろいか、なんて、わたしの質問の仕方も悪かったですね)
少しだけ反省をして、彼は歩き出す。
確かにブラギの教えを「おもしろいか」と聞くことは、いささかずれているのかもしれない。
けれど、あの少年ほどの年頃の子供が「心を打たれる」とか「興味をそそられる」とか、複雑な感情をうまく口に出せるわけではないから、クロードとしては「子供にとってわかりやすい」感情として「おもしろい」かと聞いたのだ。
彼は、自分が使う言葉が時々難しく、人に伝わらないことがあるとここ最近嫌というほど知った。
彼の恋人である踊り子は、すぐ彼に「神父様が言ってることは難しい!」と癇癪を起こすからだ。
だから、改めようと、相手にわかりやすくしようと試みているのだが、なかなかうまくいかない。
(でも、シルヴィア相手なら、おもしろかったかどうか、が一番わかりやすい表現のような気もするし)
クロードは、小さく息をついた。
それは、悪い意味の溜息ではない。
ふと、セイレーン城の暖炉の前で丸くなって膝を抱えている、可愛らしい恋人の姿を想像したからだ。
クロードは、美しい雪の照り返しに目を細めた。


かちゃん、かちゃん。
小さな音をたてながら、シルヴィアはテーブルに茶器を置く。
今日は、クロードが城下町に行っている日だ。
その日、彼はいつも甘い菓子を持ち帰って、シルヴィアのもとにやってくる。
彼女はほんの2、3回だけ、彼が城下町で人々の前で教えを説いている所へ、様子をうかがいにいったことがある。
小さな建物の中、集まっている人々は12、3人といったところだろう。
老若男女問わず、色々な人間がクロードの言葉に耳を傾け、時には質問をして、時には涙するその様子は、正直なところシルヴィアには「よくわからない」ことだった。
彼女には、クロードが口から発する話の内容もいくらか馬鹿馬鹿しく思えたし――もちろん、そういえばクロードは悲しそうな表情をするのだけれど――「神様なんてこの世にいないんだから」といつだって声高に主張したいとすら思っている。
けれど、少なくともあの場に集まる人々は、神を信じている信じてないを問わず、クロードに何かを求めているのだろうし、それに応える術をクロードは持っているのだ。
シルヴィアは、自分の踊りを全ての人々に評価されることを信じているし、願っている。
何があったって、自分の踊りで誰も彼もを元気づけられると思い込んでいるし――いや、思い込もうとしているのかもしれないが――自分の踊りを馬鹿にした相手には、喧嘩だって売る。
けれど、クロードはそうではない。否定されても尚、相手を許し、肯定されないということすら受け入れる。
以前はそれを女々しいと思うこともあったけれど、今はそれもひとつの「正しさ」なのだとも思える。
ひとつの思想を誰もが受け入れれば、世の中に戦争は起きない。
シルヴィアはそのことを具体的な言葉には出来ないけれど、「受け入れられないということを、受け入れる」ことは恥ずべきことではないし、悔しがることでもなく、時にはまっとうなのだと感覚で理解出来た。
だから、彼女はクロードのもとには行かない。
まさに彼女は彼が信じる神というものを「受け入れられない」人間であり、たとえそれをクロードが理解してくれていても、クロードの話を聞きに来ている人々も理解してくれるとは限らないからだ。
「よいしょっと!」
茶器を並べ終わったシルヴィアは、暖炉の前に椅子をひっぱっていった。
「うー・・・」
ティーカップなどがある厨房は寒い。
その上シルヴィアは、基本的に薄着が好きだから、尚のこと体が冷える。
とはいえ、彼女が薄着が好きなのは、踊り子という職業上のこともあるから仕方がない。
過去に何度かクロードに「そんなに肌を露出しなくとも」と言われたこともあったが、そのことについてはシルヴィアはクロードをねじ伏せた。
もこもこと服を着込んでは、思うように踊れないばかりではなく、観るものにも彼女の踊りが伝わらない。
それは、頭であれこれ考えたわけでも、シルヴィアのプロ意識というものでもない。
ただ、彼女は単純に「踊るのに、めんどくさいもん」というあっさりとした思いで、寒い時もあまり着込まないのだ。
もちろん、幼い頃からそんな様子だったため、彼女は比較的気候の変化にも強く、他の仲間たちに比べればシレジアの冬に慣れるには早かった。
とはいえ、寒いことには寒いのだ。
火に手をかざして手を温めながら、足も靴をするりと脱いで火に向ける。
「あっ、そだ」
思い出したようにシルヴィアは、チェストの上に置いてあった小さな麻袋に手を伸ばす。
丁度暖炉の側にあったため、体が柔らかい彼女が座ったままううんと筋を伸ばせば、なんとか指先に届く。
袋の中身は、城下町で買ってきた爪を染めるための花びらと葉だ。
「どーせ神父様、見ちゃいないんだろうけどさぁ・・・」
ぽつりと独り言を呟きながら、シルヴィアは自分の爪を丁寧に染める作業に取り掛かった。
そもそも、シルヴィアがそれらの染料を購入したのは、クロードに何かを買ってあげようと思っていたのに断られてしまったからだ。


「自分で稼いだ金なのだから、自分のために使うか、シグルド公子にお伺いをたてた方が良いですよ」


そう、あの悪気のない男はシルヴィアに言った。
いつものシルヴィアならば、きっと怒りながら「あたしが神父様に買ってあげたいんだから、いいの!」と言い続けるか、そんな彼の言葉は無視して、無理矢理何かを買って渡したに違いない。
けれど、シルヴィアは何故クロードがそのようなことを言ったのか、心当たりがあった。
彼はほんの時々ではあるが、金を稼ぐことが出来ない自分自身をはがゆく思い、かといって積極的に何が出来るわけでもないため、仕方なく「施してもらう」ことを出来得るだけ避けているのだ。
シルヴィアは、彼のその考え方があまり理解出来ない。

「貰えるものは、もらっておかなきゃね!」

シルヴィアにとってはその思想が当たり前であり、シレジアに渡る前までは、「シグルド様のお仲間」というだけでたまたま貰ったおこぼれと言って良い品々を、何の迷いもなく売りに出していたこともある。
盗賊をやっていたデューもまた、シルヴィアと同じように「善意でもらったもの」を裏で売りに出していたから、シルヴィアにしてみればそれは「生きるための手段」の一つであり、なんら恥じることがないことだった。
しかし、ある日。
シレジアに来てそう間もなかった頃、クロードにあてがわれている部屋にシルヴィアが遊びに行った時のことだ。
ふとした拍子にその話をクロードにしたところ、めずらしく彼は彼女を怒った。
彼の言葉は決して険しくはなかったけれど、滅多に見られないその表情を目の当たりにして、シルヴィアは戸惑った。
どうにか反論をしようとしたシルヴィアは、人の善意では腹は膨らまないし、人の善意で何か貰ってもそれが自分が活用出来なければ仕方がないだろうと主張をした。
「神父様は、じゃあ、絶対使わないってわかってるものを貰ったら、どうするの!?使わないのに、ずっと持ってるの?」
「そういうことではありません。シルヴィア、本当のことを言ってください」
「何。本当のことって」
「あなたは、それを貰う時に、初めから売るつもりだったのではないですか。それを使わない、自分に必要がないものだと、そうは伝えなかったのではないですか」
「そっ、そんなこと・・・」
シルヴィアは、言葉に詰まった。
それは、まったくの図星だったからだ。
そして、その図星に対して詰まった言葉を吐き出そうとした瞬間、彼女を次に襲ったのは落胆だった。
神父様は、あたしのことを、そういう風に見ていたのだ。
初めから、人から貰ったものを換金しようと思うような、生きるための手段を選ばない女だと。
そのことに思い当たって、シルヴィアは「それを落胆した自分に落胆」した。
神父に「そう」思われていたという事実に、彼女は少なからずともショックを受けた。
では、何故ショックを受けたのか。
それは「そう思われる」ことが恥ずかしいことなのだと、彼女自身が知っていたからだ。
そうだ。
人の善意を「売る前提で」受け取ることは、申し訳ないことだ。
自分はそれを知っていた。
何が「善意では腹は膨らまない」だ。
それは事実であっても、自分を正当化するための後付けではないか。
すっかりしょげ返って言葉が出ないシルヴィアに、クロードは穏やかに声をかけた。
「わたしがあなたに言いたいのは、そういうことではないんです。シルヴィア」
「・・・え?」
「本当は、何が悪いことなのか、あなたは知っているのに、『今までそうやってきたから』という理由で、やましいことを続けてしまっていることを、自覚していただきたいんですよ」
どこまでこの神父は、自分のことを知っているのだろうか。
シルヴィアは、彼のその言葉を聞いて「傲慢だ」と思った。
いや、正しくその単語を思い浮かべたわけではなかったけれど、なんだか胸の中がむかむかとして、また何かを言葉にして彼にぶつけたい気持ちに駆られた。
「何が悪いことなのか、ですって。そうでもしなきゃ生きられない時は別によくって、そうしなくてもよくなったら止めろっていうことなんでしょ?時には悪いことをしてもいいって神父様は言ってる。そんなの、勝手な都合じゃない!」
「シルヴィア、わたしは、悪いことをしてもいいとは言っていません」
「じゃ、何。そうしなきゃ生きられなかった人は、死ねっていうの!?」
繰り返される問答。
それは初めから、シルヴィアが負けるとわかっている諍いだ。
シルヴィアはその時はまだ知らなかったけれど、クロードは幼い頃から、この手の問答を数え切れないほど道行く人にふっかけられてきていたのだし。
もちろん、シルヴィアをはじめとしたシグルド軍はほぼみんな、クロードは世間知らずで、貴族の中でも相当に館に閉じこもりがちの人間で、人々の悪意というものに晒されたことがないんだろうと思っていた。
クロードがそれを言われれば、きっと「そうかもしれませんね」と何も気にせず笑みを見せるに違いない。
しかし、実のところ彼は、しばしば「ブラギ神の声を聞くことが出来る人間」として、人々から敬われる反面疎ましがられてもいて、嫌がらせを受けたことも限りない。
特別な力を持つものがそうだということは、シルヴィアも薄々知っている。
だから、こういった言い争いが起きたときに、ぽつりぽつりと僅かにクロードが見せる、彼らの想像とは違う彼を知ることは、つらいけれども嫌ではなかった。
「神父様は、お金に不自由したことなんてないんでしょ。そんな人が、お金に不自由して生きるか死ぬかって状況になった人間のことを責めたって、全然説得力ないんだから」
「そうかもしれませんね。でも、お金があろうとなかろうと、してはならないことは一緒ですよ」
「そんな言葉、知らないから言えるのよ!」
そう言いながらもシルヴィアは、そういう激しい言葉でクロードを傷つけたいわけではないのに、とちらりと思い、自分の心もまた痛んでいることにふと気付いた。
言い争っている部屋はクロードの部屋であるから、シルヴィアが出て行かなければいつまでも自分達は顔を合わせているままだ。
その時は話の流れでそんな事態になったけれど、別に彼女はクロードと喧嘩をするために来た訳ではなかった。
なんだか、自分はみじめだ、とシルヴィアは思った。
彼女が好きになってしまったこの男は、彼女が知らない次元の生活を送ってきて、物の考え方といったらまるっきりまみえることがない。
数奇な運命の元、今こうやって一緒にいることが出来たけれど、話せば話すほど「お前などが側にいるのはふさわしくない」と目に見えない何かに言われているような気にすらなる。
けれども。


「よっし、綺麗に塗れたわ!」
薄いピンクに染まった手の指を高く上げ、シルヴィアは満足そうにそれを見る。
温まった爪先を靴の中に入れて立ち上がると、冷気が僅かに入り込んでくる窓辺に向かった。
「早く神父様、帰ってこないかな〜」
価値観その他まみえることがなかなか出来ない二人だったけれど、シルヴィアは自分がクロードを思う気持ちには素直だった。
(あたし、頭あんまりよくないけど、それだけは間違えないもん)
冬用の厚手のカーテンで、窓からのかすかな隙間風を防ぎながらシルヴィアは外を見た。
雪が積もった状態で晴れていると、誰の足も踏み入れていない野原も、雪の服を纏ったような枯木も針葉樹も、何もかもがきらきらと輝いて美しい。
こんなに寒い時期でも、枯木で雪のない部分に止まる鳥がセイレーン城の近くにはたくさんいる。
その鳥達が枝に止まる時、枝から離れる時に、雪が木の上からばさりばさりと落ちる音が時々耳に聞こえた。
窓が閉まっているのに聞こえるとは、かなり近くに鳥が止まっていたのだろう。
しばらく、どこに鳥がいるのか、と窓を閉めたままでシルヴィアは目で探そうとした。
と、その時。
遠目に、雪道を歩いて帰ってくるクロードの姿が見えた。
(神父様、寒そう)
外がいくら晴れているとはいえ、空気は間違いなく冷えきっており、風がないことを心から誰もがありがたいと思えるような気温だ。
寒さに慣れていないクロードは、いつもよりも少しだけ猫背に歩いてくる。
シルヴィアは、普段の彼の歩き方が好きだった。だから、余計にそれが気になる。
(だから、もっともっと暖かい服、遠慮しないで貰えばいいのに)
外出をする際に首元を温めるマフラーをクロードはしているが、それはシルヴィアの目から見てもあまり温かいものとは思えなかった。
しかし、彼は「これがあるだけでもありがたいのに」とわけのわからないことを言って、強請らない。
シルヴィアはもちろんのこと、誰も彼も「これじゃ寒いから、もうちょっと温かいものが欲しい」と女中に申し出たり、時にはシグルドに伺いをかけてラーナ王妃に伝えてもらったりしているというのに。
(あたしが、神父様の分まで、稼いであげてるのに・・・)
シルヴィアは、踊り子だ。
彼女の踊りはシレジアの踊りとはまったく違ったけれど、そんなことは彼女にとってはまったく関係がない。
ひとたび彼女が踊り出せば、みなそれに目が釘付けになる。
だから、シルヴィアは時々城下町の酒場で踊って、そこで金やおひねりを貰ってくる。
その金のほとんどはシグルドに渡しに行く。
シグルドははっきりとは言わないけれど、彼の口ぶりではどうやらシルヴィアがシグルド軍一番の稼ぎ頭らしい。
それはそうだろう、とシルヴィアも自負する。
他の誰が城下町に手伝いに行こうと、それはあくまでも「人手が足りない時」であって、いつ行っても仕事があるわけではない。
しかし、シルヴィアは行けば行っただけ必ず踊るチャンスを貰えて、すぐさま金になるのだ。
ひとつの酒場で踊れば、もうひとつの酒場から人がやってきて「あっちでも踊れよ」と声をかけてくれる。
時には、酒場場に飲みに来ていた定食屋の亭主に「今度はうちにも来てくれよ」と帰り際に懇願されたりもする。
それほど、シルヴィアの踊りは人を惹きつけたし、むしろシレジアの踊りと違うからこそ珍しがられ、人々は財布の紐を緩めるのだ。(もちろん、露出が多いという理由もあるかもしれないが)
(でも、神父様は、そういうことを言われたくないって、あたし知ってる。だから、あたしが神父様に何かを買ってあげようって思っても、あんまりいい顔しないんだ。わかってる。だから、あたし・・・)
そっとカーテンに隠れるように、シルヴィアはクロードの姿を見つめていた。
ゆっくりとした足取りで、彼は少しずつ進んでいる。
手には、出かける時には持っていなかった袋を持っていて、きっとその中に菓子などが入っているのだろうとシルヴィアは思った。
彼はセイレーン城に戻って、冷たくなっている外套とマフラーを部屋に置いたら、きっとまたこの部屋に来てくれるのだろうと思う。
彼の部屋よりずっとこの部屋は温まっているし、きっと喜んで茶も飲んでくれるだろう、とシルヴィアは心が浮き立った。
「あっ、いっけない!お湯、まだ準備してないんだった!」
慌てて窓辺から離れて、暖炉の上部についている引っ掛け棒に円柱のケトルをぶら下げる。
そのためだけの長い金属棒をシルヴィアは無造作に暖炉脇に放った。
カン、という澄んだ音が部屋に響く。
厨房で一度鍋で沸かした湯をいれてきたから、きっとクロードが部屋に来るまでにはもう一度沸騰するに違いない。
暖炉前に持ってきた椅子を定位置に戻しながら、シルヴィアはそう予想した。


シルヴィアの予想通り、ケトルの湯が沸いた頃にちょうどノックの音が聞こえた。
「はーい!」
「こんにちは、シルヴィア」
クロードが名乗る前に、シルヴィアは扉を開けた。
そのことにクロードは一瞬驚いて
「もしかして、帰ってくるところでも、見られていましたか」
「うん。そこから見えたよ」
「そうですか・・・」
クロードは少し照れ臭そうに「これ」と、手に持っていた小さな袋をシルヴィアに差し出した。
それを受け取ったシルヴィアは、封を開けて中を覗きながら暖炉に近づく。
入っていいかどうかと聞こうとしたクロードは、彼女が袋の中身に気を取られていることに気付いて、苦笑をしながら部屋に入って扉を閉めた。
「あっ、美味しそう!」
袋の中には、手のひらに乗るくらいの四角い焼き菓子が7個も入っていた。
「今日は、仕立て屋のベルさんが焼いて来てくださったんですよ」
「いいの?あたしが貰っても」
「ええ。わたし一人では食べきれないですから」
今日のように城下町にクロードが行った日、彼は教典の読み聞かせをした人々から、こうやって焼き菓子を貰う。
最初人々は金を彼に差し出したのだが、クロードからすれば、ブラギの教えを説くことで金を受け取ることは、到底無理なことだった。
それを彼が頑なに断ったため、次に人々は焼き菓子だとか自家製の燻製だとかささやかなものを彼に持ってきた。
しかし、10人以上からあれこれと毎回受け取ることはなかなか彼にとっては難儀なことだった。
結果、毎回誰かが焼いてきた焼き菓子と、商売のもの――燻製やら、陶器やら、それは様様だったが――を一種類ずつ彼に渡そうと、人々が自ら話し合って決めたようで、今では必ずこうやって焼き菓子を手にして彼は帰って来る。
そして、焼き菓子以外のものは時に女中の手に、時にシグルドの手に、と渡されていくのだ。
彼が持ってくる焼き菓子を食べることが出来るのは、シルヴィアの特権だった。
彼女は甘いものが好物だったから、それがどうにも嬉しくて仕方がない。
それに、普段は自分からクロードの部屋に行かなければ、なかなか彼はシルヴィアのところに来てくれない。
けれど、この日だけは間違いなく、クロードは自ら彼女のもとに来てくれるのだ。
はしゃいで爪の色を染めて待っていても、誰もそれを咎めるわけはない。
「いつも美味しそうだけど、今日のはまた格別ね!あたし、干した果物が入ってるのって、大好き!」
「そうだったんですか。ちょうどよかったですね」
シルヴィアに勧められて、クロードは椅子に座った。
「あなたが一緒に食べてくれるので、わたしも焼き菓子をいただくのが楽しみになっているんですよ」
「うふふっ!よかったね。みんな、どういう形でも神父様にお礼したいんだもん。こうやって受け取ってこなきゃ、やっぱ、駄目だよ」
シルヴィアはケトルをひっかけ棒から外して、茶葉を入れたポットに湯を注ぐ。
湯気と共にふわっと茶の香りが室内に立ち上る。
クロードは腕を暖炉の方に伸ばして、手の甲を温めてさすった。
「ええ・・・本当は、何をいただくのも、気が引けるのですけれど」
「だーかーら。これはこうやって、神父様も食べられるし、あたしも嬉しいし、持て余さないんだもん。いいでしょ」
そう言って、シルヴィアはあまり慣れない手つきで茶を入れる。
彼女のその様子をクロードは目を細めて見つめた。
「すっかり、お茶を淹れるのが上手になりましたね」
「えへへ!美味しいか美味しくないか、実はあんまりよくわかってないから、ちゃんと教えてもらいたいんだけどね。でも、みーんな知らないらしいから、女中さんにでも聞くしかないなぁ」
そういいながらシルヴィアは茶が入ったカップをクロードの前に置いた。
「ああ、それは・・・」
シグルド軍に所属する女性のほとんどは、貴族の子女や王族だ。
それらの人々が茶を自分で淹れる生活をしていたわけがないのだ。
「フュリーは、御存知でしょうかね」
「あっ、フュリーには別のことを・・・」
「え?」
「え、あ、なんでもない、なんでもない。そうだよね。フュリーに聞けば、シレジア流の淹れ方とか、教えてくれるかもしれないよね」
「?」
何かを誤魔化すようにそう言ったシルヴィアは、クロードにそれ以上追求させないように、自分のカップにも適当に茶を注いで着席した。
「食べてもいい?神父さまっ!」
「ええ。どうぞ。それでは、お茶もいただきますね」
「はぁい」
クロードはシルヴィアが淹れた茶を、ゆっくりと口に含んだ。
シルヴィアは茶には目もくれず、クロードが持ってきた焼き菓子に早速手を伸ばして、手元に用意した小皿に置く暇もなくかじりついた。
クロードからすれば、小皿に一度置いて、フォークなりなんなりのシルバーで一口大にして食べて欲しいものだろうが、シルヴィアはそれを知っていても遠慮をしない。
彼女には「手に持てる食べ物は、みんなそのまま口に運んでいーのよ!」という主張があり、それは別段頭ごなしに怒ってまで変えさせることだとクロードも思っていないのだ。
「おーいしーい!」
「あなたが淹れてくださったお茶も、美味しいですよ」
「ほんとっ?」
「ええ、やっぱり、上手になってると思いますけど」
「やった。神父様がもっと来てくれれば、もっといっぱい淹れるから、もっと上手になるよ」
もっともっと、と繰り返して口にするシルヴィアに、クロードは苦笑を見せた。
彼女は嫌味を言ったわけではなく、素直に自分の気持ちを伝えただけだ。けれど、それはクロードにとって、彼が気にしている心当たりを的確に射抜く言葉達だ。
彼はシルヴィアのことを思っているけれど、こうやって自分から彼女の部屋に来ることが少ない。
それは自覚していたけれど、こういう形で「もっと」と言われると、大層堪えるものだと内心うな垂れた。
「ん?どうしたの?神父様」
「いいえ。ちょっとばかり、反省を」
「反省?何?今日何か失敗しちゃったの?」
「いえ・・・」
彼ら二人の会話は傍から聞けば、本当に好き合っている者同士なのかと不思議がられることがよくある。
たとえ、二人きりでいる時でも。



一刻ほどシルヴィアと談笑をしたクロードは、ちょっとやることがあるから、と彼女の部屋から退出した。
もうちょっといいのに、とぼやくシルヴィアは、話しだして半刻もしないうちに、焼き菓子を5つも一人で平らげていた。
(彼女はわたしと違って体を動かすから、お腹もすくのでしょうね)
なんてことを思いながら自室へ足を運ぶ。
きっと誰かにそれを言えば、「神父様の方が頭使ってるから、甘いもん欲しくなるはずじゃないのか」なんて言われるだろうが、彼はそこまでは気が付かない。
「?」
ふと見ると、彼の部屋の前に人影があった。
「フュリー?何か、わたしに御用でしょうか?」
室内でも通路は少しばかり気温が低い。
彼が話し掛けたその声は、白い息と共に響いた。
「あっ、クロード神父。今、探しに行こうと思っていたところです」
そこには、シレジアの天馬騎士であるフュリーが立っていた。
「どうかされましたか」
「はい。ラーナ王妃からの使者が来ております」
「わたしに?」
クロードの表情は一瞬曇った。
どんなに考えても、ラーナ王妃が直接クロードに声をかける用件が思いつかない。
その彼の怪訝そうな様子に気づいて、フュリーは苦笑を見せる。
「なにか、ラーナ王妃がクロード様にお願いがあるらしくて。そう、固くなるような内容ではないと思いますよ」
「あ、ええ、すみません。ちょっと驚いてしまいまして」
クロードはフュリーの気遣いに気付いて、自分は今どんな顔をしていただろうか、と内心己に呆れながら言った。
とにかく、その使者とやらに会おう・・・クロードはフュリーに礼を言うと、使者が待つ部屋へと足を向けた。


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