わたしはだんだん醜くなる-6-


シレジアは春が近づいてもまだまだ雪は解けず、今でも朝晩どちらかは必ず雪が降り、大地の姿を見せようとしてくれない。
それでも昼の間は多くは降らないため、歩兵である彼らが移動をしても困らないだろうと、ジャムカ達は判断をした。
しかし、それではあまりにも時間がかかるだろう、とセイレーン城付きの天馬騎士から提案があり、わかれて彼女達の天馬に乗り、シレジア城の方角に向かってある程度の距離送ってもらうことになった。
全員一気にシレジア城近くまで送ることが出来ないのは、圧倒的に天馬騎士の数が足りないからだ。
彼女たちは実戦経験が浅いため――あくまでも伝令役その他の雑務要員として、ラーナから命じられてこの城にいるので――戦に参加させることは出来ないし、セイレーン城に天馬騎士が誰もいない、という状況も避けなければいけない。
それに、天馬騎士の1人には、先に出撃をしているシグルドへの伝言を頼む必要がある。
シレジア城が陥落したかどうかは、まだはっきりとはわかっていない。が、彼らの推測ではそれの可能性は高かったし、状況を聞けばシグルドもそう判断するに違いない。
ジャムカ達は、ひとまずシレジア城の状況と、彼らの元にやってきた少女と同じようにシレジア城から逃げた市民たちがどうしているのかを確認しなければならない、と意見を一致させた。それをするには彼らの人数はまったくもって足りなかったが、やらなければいけないことと、出来ることには、いつだって差分があることを彼らは知っている。
自分達が出来ることを増やすためには、まずは自分達が動くしかない。今は、待っていても可能性は広がらない。
城の守りをアーダンに任せ、進軍を助けてもらう為にもう一人、セイレーン城付きの天馬騎士の力を借りながら彼らはシレジア城へ向かった。
徒歩の行程でたとえ夜になったとしても、どうにか一晩凌げる程度の降雪量であると天馬騎士からの助言をもらい、一同はいざという時のための野営の準備も忘れていない。
彼らの動きを制限しない程度の荷しか持つことが出来ないが、それで十分だ。
「やはり、我々も行きましょうか」
迅速に往復をして送ってくれた天馬騎士が、見送る際に心配をしてそう訊ねてきたが、それを彼らは断った。
前述の通り、セイレーン城付きの天馬騎士達は実戦経験が不足している。それは、シグルドがセイレーン城の管理をラーナ王妃から任された時に、既にわかっていたことだ。
シグルド達を賓客として扱いたいラーナ王妃は、護衛にと腕の立つ天馬騎士をセイレーン城に配属しようとした。
が、シグルド達の方は、自分達が本当の戦を何度も経験しているということを述べて丁重に断り――天馬騎士達だって、シグルド達よりもラーナのことを守りたいだろうし、という思いもあったのだが――伝令役として動ける者だけを採用した、という経緯がある。
「では、斥候役としてこの者だけご一緒いたしましょう」
結果、1人の天馬騎士だけ、斥候役として同行することで双方折り合いがついた。
ジャムカ達は、出来る限りその天馬騎士の命を自分達で守ろうと、そっとお互い声をかけあった。
本来騎士が誰かに守られるということはおかしな話かもしれないが、もしも。
もし、マーニャ率いる天馬騎士団が全滅などという最悪な事態が発生していたら。
この国を、ラーナを守るために、1人でも2人でも多くの天馬騎士を残さねばならない。
何故ならば、自分達はこの国の騎士ではなく、けれども、この国から受けた恩義があるのだから。
それが、不慣れな雪道であろうが、彼らがシレジア城に懸命に向かった理由の一つだ。
 
 
「ん?」
異変に気付き、ジャムカが小さく声をあげる。
彼らの先を飛ぶ天馬騎士が、突如下降を始めたのだ。
彼らはちょうどゆるやかな上り坂に差し掛かっており、天馬騎士の姿が視界から消えてしまう。
遠くから見ていた彼らは、最初、それが敵襲で矢を受けての落下ではないかと、どきりとした。
だが、彼女の下降は、天馬が傷ついての下降ではない。意志のある下降だ。
それがわかるようになるぐらいには、彼らはシレジアの地に滞在してしまっていた。これが、一年前であればそんな判断も出来なかったことだろう。
彼らはお互い声をかける間もなく、慣れぬ雪道を走りだした。異変を把握していない者もいただろうが、誰一人「何?」なんて間抜けなことを聞かない。
曇り空は日光の跳ね返しがなく、敵味方とも遠くを見えやすくしてくれている。
登りきった雪の坂道の頂上で、ブリギッドが足を止めた。アイラはそれに気付いたが、気にせずそのまま走り続ける。
足を止めた彼女が、手を温めるためにつけていた毛皮の手甲のようなものを投げ捨て、素早くイチイバルを引く姿が視界に入ったからだ。
幼い頃にエーディンと生き別れ、海賊に育てられたブリギッドの視力は、デューをも上回るほどに良い。
前方にブリギッドは何かを見つけ、そして弓を引いた。何も声を出さないということは、それが余程緊急のことか、あるいは、声をかけなければいけないほどの問題がないか、そんなところだろう。
坂の頂上を越えて、急ぎつつも足元に気を使って下り始めたアイラ達。
彼らはすぐに、ブリギッドが何を見つけて、何に矢を放ったのかを理解した。
そして、天馬騎士が、彼らを待たずに下降をした理由も。
「ぎゃあ!」
緩やかな坂を越えれば、また緩やかな下り坂。
雪の下り坂なぞ、彼らはあまり経験がない。
それゆえのブリギッドの判断だ。
坂を下りきった少し先で、敵兵とみられる者が声をあげて雪の上に倒れる姿。
その隣に立っていた青年――シレジア城から逃げてきたのだろうと思われる、まったくの無防備な――は後ずさってからその場に座り込んだ。
その二人から、更に先。
そこには、血塗れで倒れている天馬騎士の姿と、きょとんとした様子で雪の上を歩く天馬。
雪の上に流れる血がどれほどのものなのかを、彼らはまだ判断することはできない。生きているのか、死んでいるのか。雪に吸い込まれながら血の色は未だ広がり続けてゆく。
(失敗を許されないから、イチイバルを使ったのか)
倒れた敵兵は位置関係から考えると、逃げる青年に既に追いついていた。それ故に、どうしても一撃で倒す必要があった。
ブリギッドはそれを坂の上から一目で判断をして、神器である聖弓イチイバルを使用したのだろうとアイラは理解をする。
「怪我はないか?ああ、腕を、やられたか。後は?」
ジャムカが青年に声をかけると、へたりこんだまま青年はどうにか声を出そうともがいた。が、初めの一言二言は、うまく音にならない。
余程長時間、この寒空の下歩いていたのだろう。青年の顔色は悪く、声も細かった。
「腕だけ、腕、だけ切られました。そうしたら、その人がやってきて」
その人、とは、血塗れで倒れている天馬騎士だ。
アイラはその青年には目もくれず、天馬騎士の傍らに跪く。
(駄目だ)
深い傷から流れ続ける血。血が流れることで、まるでまだ生きているように一瞬思ってしまうがそんなことはないのだ。
一太刀も敵に浴びせることの出来ぬまま、逆に屠られてしまったのだろうとアイラは想像した。
目を見開いたままの絶命。
手を出すなと言われても、自国の民の命が危ないという状況で、それをこらえることは彼女には出来なかったのだろう。
(あの時、この天馬騎士には躊躇がなかった)
戻ろうか。戻って、助けを急かそうか。
でも、それでは間に合わないかも。
そんな葛藤がなかったわけではないのだろうが、あまりにもその判断は早かった。
事実、助かった青年は腕に傷を負っていたわけで、敵によって命を奪われる寸前だったに違いないのだ。
「アイラ様、彼女は……」
後からようやく追いついたクロードは、まずはアイラを見た。
それへ、アイラは首を横に振る。
天馬騎士が既に助からないことを知り、クロードは青年の傷を治すために治癒呪文を唱えた。
「他にも、みんな、散り散りになって逃げてます。お願いです、助けてっ……!」
「シレジア城はどうなっている?」
「シレジア城は、ダッカー様の部下によって制圧されるところでした。ラーナ様がそれを見越して、我々を逃がしてくださったのです……」
「天馬騎士団はどうした」
「わかりません。わかりませんが、数名はラーナ様のお傍に残っているはずです」
ジャムカは、デューを呼んだ。
「デュー、ティルテュと一緒にこの人をセイレーン城まで連れていってやってくれ」
「ジャムカ達は!?」
「俺達はこのままシレジア城まで向かって様子を見てくる。城に天馬騎士が残っているのに報告がこないということは、やはりシレジア城は落ちたのだろう。斥候役もいないし、伝令役もいないのだから、シグルド公子達がこちらに来る前に、情報をもう少し集めた方が良い。それには、お前は足手まといだ。ティルテュ、デューを守ってやってくれ」
「わかったわ。くれぐれも、気をつけてね」
ジャムカは冷静に判断を下した。
魔法の使い手がいなくなるのは自分たちに不利な状況をもたらすかもしれないが、体力があまりないクロード一人だけでも既に足手まといなのだ。
アイラは物心ついた時から、王女でありつつも剣の鍛練を強いられ、そして、剣を振う者として筋力を高めることも指導されていた。
ホリンは傭兵稼業であるから言うに及ばず、ブリギッドだって海賊稼業の主だったのだから、たとえ雪道であろうともともとも体力は備わっている。
ジャムカもまた、ヴェルダンの王子とはいえ第三王子としてかなり自由奔放に育てられたこともあって、己の弓の才能を生かして長時間狩りに行くことも多く、鍛えられている。
だが、ティルテュとクロードは違う。
「アイラ」
「うん」
天馬騎士の遺体の傍に居続けたアイラを心配して、ホリンが声をかけてきた。
遺体の目が見開いたままであることに気付いて、彼は雪の上に膝をつき、彼女の瞳を閉じさせた。
「先ほどまで、我々と話をしていたのにな。戦であれば当り前のことだが……タイミングが悪かったのだな」
「そうだな。我々がもう少し早く来ていれば……」
「だが、騎士としての誇りに従って彼女は動いたのだろう。可哀そうだが、己の信じるものを貫いた最期だ……アイラ、行こう」
「ああ」
アイラは頷きながら立ち上がった。
そして、自分の言葉と同時に白い息が吐き出されたことに、ふと気付く。
先程までそれは『当たり前のこと』であり、気にするべきことではなかった。
けれど、今ここに横たわっている天馬騎士は、その白い息を吐きだすことはもうないのだ。
(騎士としての誇り。己の信じるものを貫く)
ホリンの言葉を脳内で反芻しながら、ジャムカ達に促されて再び走り出す。
「……雪が、降ってきたね」
忌々しそうにブリギッドが呟いた。
気付けば、彼らを嘲うように、ちらりちらりと雪が空から舞い降りてくる。雪の粒は大きくはないし、その勢いも穏やかだ。
自分達の足に負担にならない程度のままであってくれれば、とみなは思ったに違いない。
けれども、アイラは違うことを考えていた。
彼らが戻る時、あるいは、シグルド達が彼らを追いかけてくるとしたら、その時。
あの天馬騎士の遺体はどうなっているのだろうか。
アイラは、雪に足を取られそうになって、はっとバランスをとった。
(そんなことを考えている場合じゃない)
と思っても、考えずにはいられないのだから、仕方がない。
(わたしには、イザークの王族という誇りがある。イザークの民を守ろうという思いは、今でも変わりはない。けれど)
けれど。
今、自分が貫きたい思いは、もう一つ。
(……わたしは、シグルド公子の剣として、彼に貢献したい)
それは、何度となく自分に言い聞かせてきたこと。
彼の傍らに自分を置くための言い訳でもあり、女として彼にこの先一生受け入れられずとも諦めきれない自分の精一杯の愛情表現であり。
また、彼女の心を縛る、呪いの言葉のようでもあり。
たとえば。
己のその想いに忠実であろうとして。
その結果、あの天馬騎士のように命を失ったとしたら。
やはりそれは、イザークの民に対する裏切りになるのだろうか?
瞳に容赦なく入り込んでくる冷気のせいで、アイラの両眼にじんわりと涙が浮かびあがった。
下まぶたから零れた一瞬だけその涙の熱さを感じるが、次の瞬間にはその温度を失い、更には冷気によって肌に張り付く。
あの天馬騎士も先ほどまでは温もりのある生きた人間だったのに、今はもうその温もりを二度と持たない物になってしまっている。
それでも、ホリンが言うように。
自分の思いを貫いた結果命を失った後に、誰かがその気持ちを酌んでもらえるとしたら。
(それは、幸せなことなのだろうか)
生きている間には、決して口に出すことが出来ない自分の想い。
その想いを、自分が死んだ後に誰かが気遣ってくれるとしたら。
(いいや、幸せではない。こんな気持ちを、もしもシグルド公子が知ることになったら)
走って体の中は温まっているのに、外気に触れる肌は冷えたまま。
はっはっ、と白い息を吐き出しながら、そんな思いを抱えていることをみなに気付かれないようにと走りつつ、アイラは眉根を寄せた。
シグルドのことを考えて、胸の奥がちりちりと痛む。
今までは、それがつらくて、何故そんな風に痛むのかと忌々しくも思ったけれど。
(きっと心も、泣くことがあるのだろう。ならば、泣き疲れるまで痛めばいい)
こんな時ですらシグルドのことを思う、どうしようもない自分、情けない自分に絶望しながら。
それでも、彼のことを思いながら痛めばいい。
生きている間しか、その痛みは感じられないのだから。
そして、その痛みから解放されたあの天馬騎士が、安らかに眠りますように。
 
 
彼らの予想通りシレジア城は陥落、出撃した天馬騎士団も全滅という状況に直面することとなった。
ジャムカ達の思惑通り、シグルド達はセイレーン城からの使いに話を聞くや否や、シレジア城にそのまま向かい、ジャムカ達と合流。
そしてシレジア城を奪回した後に、休むまもなくダッカー公の拠点れあるザクソン城へと向かった。
慣れぬ雪原での戦は彼らにとっては著しい消耗を強いられる苦しいものだった。しかし、彼らはラーナ王妃への恩義、そして自分達を受け入れてくれたシレジアの民達のため、ダッカー公を討ち破った。
全てが終わってシレジアを見渡すと、本来国のために力を合わせなければいけなかったマイオス公にダッカー公、そしてそれぞれの天馬騎士団に更にはラーナ直属の天馬騎士団。すべてが失われた、いわばシレジア史上最悪の壊滅的な状態になっていた。
シグルド達は、本当ならばこんな状況でシレジアを離れるような恩知らずではない。
けれども、ザクソン城制圧直後、彼らの耳に入った情報は、それを余儀なくされるものだった。
グランベルのランゴバルトが大軍を引き連れ、ザクソン城の東に位置するリューベック城を制圧したという。
話によると、天馬騎士団を屠るためにダッカー公はグランベルの弓騎士団バイゲリッターを呼び寄せていたらしい。
既にシレジアにまでグランベルの手は伸び――それを招き寄せたのはシグルド達だとしても、決定打はダッカーの愚行だろう――いつ国家間の戦が起きてもおかしくない状況になってしまった。
シグルド達は、グランベル軍と激突することを選ぶ以外に既に道がないことを知り、自分達の方から迎え撃とうと決めたのだった。
自分達が動く分には、シレジアを巻き込まなくて済むだろう。
シレジアの建て直しに尽力することは出来ないが、これ以上の被害を未然に防ぐには、それしか選択肢がないのだ。
 
 
「どうも話によると、イザークに駐留しているのは、ランゴバルト卿の息子である……」
シグルドの言葉の先を読んで、レックスが遮る。
「ダナンの兄貴か?」
ザクソン城の一室でシグルドを中心に、現在の状況の話し合いが行われていた。
「どうやら、ね」
「それは、イザークの人々も可哀想だな。せめて、もう少しまともなやつがいれば待遇もよかろうが……ああ、でも、ブリアン兄貴よりはいいのか。あの人は、あんまり細かいところに気が利く性質じゃないから、いざという時にアイラ達はイザークに戻りやすいと思うけど」
「何を根拠に」
動揺を見せないようにか、レックスはいつもよりも饒舌だ。
彼の話の内容は確かに役立つ情報には聞こえるが、彼がそのようにシグルドの話を途中でもぎとっていくことなぞ、以前はともかくここ最近はない。
それが、いくらか普段と彼の精神状態が違うことを物語っている。
おぼろげながらアイラもそれに気付いていたが、それでも彼の言葉に反応せざるを得ない。
「親父……ランゴバルトは大雑把で豪胆な人間に見えて、実はかなり細かいところまで行き届く面倒な男だよ。小悪党は自分の保身に走ってあたふたとするもんだが、ランゴバルトは違う。保身のために、何もかも徹底しつくして、計算づくで人を欺く人間だ。そういう人間に見せないところがやつの作戦なんだ。でも、同じことを誰もが出来るもんじゃないし、残念ながらランゴバルトほどダナンは頭がよくない」
そう言ってレックスは肩をすくめて見せた。
「ダナンの保身は、小悪党のそれと一緒だと俺は思うぜ。イザークの統治を任せられたって、グランベルから役人がやってきてそれなりにやらせて、自分はおいしいところだけとるっていうやり方をすると思う。表向きが整えばいいんだ、兄貴みたいなやつは。だから、イザークはイザークでも、いくらか王都から離れちまえば、そこまで手をうちやしない。これがランゴバルトだったらそうはいかないと俺は思ってる」
レックスのその言葉に、アゼルが深く頷いた。
「そうだね。ランゴバルト卿は、蟻の一匹や二匹見逃して構わない、なんて口でいいながら、その一匹二匹が出られないような牙城を築いているタイプだもんね」
「うちのお父様なんて、口では逃がすなっていっときながら、大工達の機嫌損ねて城に隙間を開けられちゃうようなタイプよ」
ティルテュがそう言うと、場にいた人々はみな失笑を見せた。
ティルテュの父親もレックスの父親も、シグルド達を陥れた張本人、グランベルのクルト王子殺害やイザークへの濡れ衣を着せた張本人達だ。
クロード神父がブラギの塔での祈りでそのことをみなに告げてから、彼らは一時期相当にへこたれ、人々の間でも腫れものに触るような扱いをいささか受けていた。
が、当人たちが深く傷ついた素振りを見せれば見せるほどに周囲が困ることを彼らは身にしみたし、シレジアの一年は事実を受け入れられるようになるのに十分な時間だったのだろう。
「親父……っと、ランゴバルトとの戦いは避けられないだろう。でも、リューベックさえ取り戻せば、イザーク領地にぐんと入りやすくなる。アイラさえよければ、シャナンとアイラは、イザークに戻って身を隠すことも出来るんじゃないかな……ああ、いや、アイラの腕は高く評価している。ただ、そういう選択肢もある、ということだからな。変に勘繰るなよ。お前が戦力外とかそういう意味じゃないからな」
シグルドはレックスの言葉に小さく笑って
「わたしが言いたいことは、レックスが全部言ってくれたようだな。戦況と別の話にはなるが」
「公子」
アイラは驚いてシグルドを見る。
「レックスの言う通り、そういう選択肢もある、ということだ。だが、兎にも角にもランゴバルトを打倒してからだ。レックスにはもう覚悟を決めてもらっている。余計な詮索や余計な同情は、彼にしないで欲しい」
毅然としたシグルドの物言いで、話は本題に戻り、人々は頷きあった。
アイラもまた、本題に集中をしようと意識を戻した。いや、戻そうとした。
しかし、どうにも身が入らない。
頭のどこかに、先ほどのレックスやシグルドの言葉が残り、ひとまず忘れようと思っても忘れることが出来ないのだ。

 
ついに、その時が来たのだ。
 
アイラは、ぶるりとわずかに震えた。
 
多分、シグルドは本気だろう。
アイラの腕が欲しいと思いつつも、アイラの立場、この先のグランベルまでの道のりの険しさを思えば、シャナンを連れて行くのも難しいと思っているに違いない。
「数少なくなった天馬騎士を、ラーナ様が数名我々のために貸してくださった。今、斥候に出てもらっている」
シグルドの言葉を聞きながらも、アイラは自分の物思いから完全に抜けることが出来ない。
「みんなには、天馬騎士が戻るまでには、リューベック周辺の地形を頭に叩き込んで置いてもらいたい」
一同の声。
アイラも、それに遅れぬように頷いた。
「ランゴバルトは聖斧スワンチカを操る神器継承者だ。レヴィン、レックス、アゼル、それから……フュリー、ホリン、ベオウルフ。ここに残ってくれ。我々でひとまず話し合って、方針を迅速に決めよう」
「ああ」
「わかりました」
「他のみんなは解散して、各自休んで欲しい。ザクソン城の女中達は大丈夫だとは思うが……まだ、誰がどんな思惑を持っているかはわからないから、くれぐれも信用しすぎないように」
シグルドのその言葉で、人々は席から立ち、がやがやと広間から出て行った。
アイラは、何故自分が呼ばれずにホリンが呼ばれたのかを不思議に思いつつも、突きつけられた選択肢への動揺を隠すことに集中をして、みなの後をついて広間から出て行った。
「アイラ」
と、その時、後ろから声をかけられる。
「何……?」
声の主は、レックス。
「何だ。レックスは残って話し合いが」
「そうなんだけど、ちょっと」
レックスは通路にするりと出て、人々が歩いていく方向と逆に数歩歩いて、アイラを手招いた。
「一体、何だ」
「シグルド公子から、後で話があると思うんだけど」
「?」
「リューベック制圧してからじゃ、もしかしてバタバタするかもしれないから、先に言っておいた方がいいかと」
「だから、一体」
レックスは声を潜めた。
周囲には既に誰もいなかったし、室内の声も漏れてこないから、彼らの会話が誰かに聞かれる心配はなさそうだ。
それでも彼が囁いたのは、秘密にしたいから、という意味ではなく、彼の言葉がアイラにとっては重要なことだと悟っていたからだ。
「公子は、オイフェとシャナンを、イザークに避難させようと思っているようだ」
「!」
アイラは眉根を寄せる。
「俺もそれには賛成なんだ。イード砂漠は……アイラだって、一度シャナンと渡ったんだろう?あそこを、戦いながら南下していくのは、大人でも骨が折れる。しかも、相手はグランベルで、こちらは人数が人数だけに、いつでもどこにいるのか把握されちまうわけだしな。それに、グランベルに近づけば近づくほど、戦局が厳しくなるだろうことは、お前も予想出来るだろう」
「わかっている。だからこそ……わたしは力になりたいと思っているし……グランベルで真実を突き止めることが、イザークの汚名を晴らすことだ。だから、わたしは」
「アイラが、俺達と一緒に行きたいのは、わかってる。公子の力になりたいことも、知っている」
レックスは、アイラをまっすぐ見下ろして、今度はいくらか力強く言い放った。
その言葉の意味をどこまで推測すれば良いのか、アイラは戸惑う。
彼女のその戸惑いの表情にレックスは気付かぬように、声音を変えずに言葉を続ける。
「難しいところなのはわかる。シャナンがイザークに帰ったからといって、誰かが守れるわけではない。同じく、セリスにオイフェがついていこうと、見知らぬ異国の地にあの子達が放り出されてどうにかなるわけでもない。ジャムカがエーディンを説得して、イザークに共に向かわせようとはしているんだが」
「そうなのか」
「でも、もっと、イザークのことに詳しい人間がいる方が、危険度は低くなる」
「……レックスは、何故わたしを説得するんだ」
「説得じゃない。そういう風に、みんなは思うだろうし、アイラに期待をするだろうということだ」
「その期待は、わたしの剣の腕に対する期待よりも、大きいということか」
「そういう意味じゃない……それに俺が言いたいのは」
「……なんだ」
アイラは、胸元で右手をぎゅっと握り締めた。
彼女は、自分の心臓の音が少しずつ大きくなっていくのを聞いた。
いや、大きくなっているのではない。
鼓動の速度があがっているのだ。
けれど、彼女の体感ではそれよりも、まるで今でも自分の心臓が胸を突き破ってしまいそうな。
そう感じるほどの、体の内側からの圧迫感と戦っていた。
レックスが言葉を切って、ほんの一拍をおく間。
それだけでも、アイラにとっては凄まじい労力で自分を律しなければいけない。
聞きたくない、とか。
何をどう考えているんだ、とか。
怖くて耐えられなくて、全てを無意味な言葉にしてレックスにぶつけそうになる。
それは、目の前にいるレックスに対して、アイラが抱いた猜疑心。
もしかして、レックスは、わたしの気持ちを知っているのでは。
それと共に、彼の情報によってもたらされてしまった、逃げ場を失っていく感触。
「オイフェとセリスがイザークに行くことで、余計アイラのイザーク行きは期待されやすくなってしまうのは、わかっただろう?第三者が聞く分には、アイラがイザークに行く、っていうのが、一番理解しやすい選択肢だ。多分、アイラが考えていた以上に、アイラがどう動くかっていうその選択肢は偏っている。50%同士じゃない。もっと極端だ。それを踏まえて、アイラは選ばなきゃいけない……何を選ぶにしても、リューベックを落とした後では、考える時間も足りないかもしれないから、今、話した」
レックスは一気にそう言うと、ふー、とため息を深くついた。
アイラは何も言葉を返すことが出来ぬまま、息を飲み、それから、視線を床に落としてうつむく。
(ああ、やはり、そういうことか……)
先ほどレックスとシグルドは「選択肢」と口に出したが、このレックスの説明を聞く限り、アイラの選択肢はないように思える。
アイラには、シグルド達についていく、決定的な理由がない。
イザークの無実を自分の手で晴らすことと、シャナンを守ること、どちらを優先するか。
決まっている。シャナンを守ることだ。
イザークの無実を証明した時に、なんらかの事故でシャナンの命が失われたら。
最後の王族は自分自身となるだろうし、それではイザークが侵略された時にシャナンを逃そうとした人々に立つ瀬がない。
それに、オイフェとセリスがイザークに行くとなれば、シャナンはセリスを自分が守ると言い出すだろう。
ディアドラを失った時にシャナンは深く傷つき、己を責めた。
その傷は今も癒えることがないし、そんな彼が誰よりもセリスのことを大切に思って、心から護ろうと誓っていることをアイラは知っている。
シャナンをイザークに返して、自分はシグルド達と行く。
そんなことが叶うわけがない。
(そんなことが、叶うわけが……?わたしは?わたしは、そうしようと、思っていたのか?)
自分の想いを知り、その想いの出所を手繰り寄せていけば。
(そうだ、わかっている。わたしは、もう、随分前から……)
本当は。
シャナンを。
イザークの民を、裏切っていたのだ。
(わたしは、シグルド公子と、共に行きたい……!)
レックスは、アイラが何を思っているのかをどこまで把握しているのか、ぽん、と彼女の肩を叩いてから、部屋に戻ろうと歩き出した。
はっ、とアイラは彼の背に声をかける。
「レックス!」
「……なんだ」
「それどころでは、ないだろう。お前は、自分の父親を」
「さっきもシグルド公子が言っただろう。俺は、もう覚悟が出来てんだよ。ブラギの塔のお告げとやらを、クロード神父から聞いてからな」
「しかし……何故、わたしに……」
聞きたくない。
怖い。
その思いはあったけれど、アイラは聞かずにはいられなかった。
どこまで、気付いているのだろう。
どこまで、見透かされているのだろう。
そして、もしもレックスがアイラの思いに気付いているのならば。
もしかしたら、シグルドにすら、それは気付かれてしまうほどなのだろうか?
あくまでも自分本位の思いに急かされて、アイラはレックスの足を留めた。
「そんな、情けなくなるようなことを聞くな」
「レックス?」
レックスは振り返らずに、うめくように言葉を出した。それは、今までアイラが聞いたことのない、低く、搾り出すような声だった。
「お前が、俺なんかの事をこれっぽっちも気にしてないことは、ようくわかってる。それがわかるぐらいには、俺は、お前のことを気にしていたんだから」
「……」
「俺は、お前のろくでもない恋愛なんかには興味はない。だけど、そのせいで一生を間違えたり、そのせいで失わなくてもいいものを失うんだったら、耳に痛いことを言ってやる。そういう関わりが疎ましいと言われても、もう、こうやって手ぇ出した以上は俺も引き下がれない」
「レックス……」
「言う気はなかった。最後まで……グランベルで決着を付けて、お前がイザークに戻るまで。俺も、それぐらいのんびりしたことを考えるほど、阿呆だった。こんな形でお前に選択肢が生まれることなんて、これっぽっちも考えたこともなかったし、運がよければシレジアに滞在している間、多少はお前の病気もどうにかなるんじゃないかとも思ってた。ま、無理みたいだったが」
「そ、れは……」
「話し合いにお前が選ばれないのは、ランゴバルトの強さが半端ないからだ。そして、どんなにシグルド公子がその剣の腕を信頼していても、神器持ち相手の戦は計り知れない。お前は強いが、女だ。スワンチカを持ったランゴバルトは女一人の体を、一太刀で吹き飛ばせるぐらいの威力がある。あいつの一太刀をお前が避けるかどうかなんて、誰にもわからない。一太刀を受けることを覚悟で立ち向かわなきゃいけないから、お前ではなくホリンが選ばれた。そして、ベオウルフは傭兵だ。そういう死線を誰よりもかいくぐってきた男の目線が必要な戦いだ。こんな話を聞いたからって、動揺してヘマはするなよ」
レックスはそれだけ言い放つと、さっさと歩き出して、部屋の扉を開けた。遅くなって悪い、という声。そして再び閉められた扉。
アイラは通路で立ち尽くしたまま、自分の鼓動が未だ静まらないことに恐れを抱いていた。
 
 
――お前が、俺なんかの事をこれっぽっちも気にしてないことは、ようくわかってる――
――それがわかるぐらいには、俺は、お前のことを気にしていたんだから――
 
与えられた部屋で椅子に座り、アイラはぼんやりと窓の外を見ていた。
一体何度目の溜息か。
アイラは、レックスの言葉を反芻して、深く息を吐き出した。
どうして、わからなかったのか。
レックスが、アイラを恋愛対象としてみていたことを。
少し考えればわかるはずなのに。
突然、名剣をくれたレックス。
誰もが気付かないだろう自分とシグルドとの間のことを、勘付いたレックス。
それが、どういうことか、何故、今の今まで考えられなかったのか。
(レックスは、正しい。多分、わたしのこれは、病気なのだろう)
 
――俺は、お前のろくでもない恋愛なんかには興味はない――
  
(ろくでもない恋愛とは、恐れ入った)
アイラは、口端を歪める。泣き笑いの表情に自分がなっていることを、きっと彼女は気付いていないだろう。
確かに、レックスが言うように、自分がシグルドを思っているこの感情は、一種の病気なのかもしれない。
妻子のある男性を思って、国を裏切る。
それは情熱的な恋愛のように聞こえて、本当はそうではない。
勝手な自己陶酔だ。
アイラは、それに気付かないほど阿呆ではない。
けれど。
けれど、戻れないのだ。
自分は、シグルドに出会う前の自分を思い出せないし、シグルドへの恋心を自覚する前の自分も思い出せない。
シャナンのことばかり、イザークのことばかり、ただそれだけを貫こうと生きていた自分が、なんだかあまりにも遠くにかすんで見える。
記憶というもの。思い出というもの。
それらは確かに薄れゆくものかもしれない。
けれど、自分の「それ」は、そんなにちっぽけな、薄れてしまっても良い程度の思いだったのだろうか。
そうであれば、それはなんと悲しいことだろう。
そして。
(公子の剣になりたいと、そう思っていたのに)
女ではないもの。
ディアドラと比較されないもの。
恋愛感情を公子から与えられなくても、それ相応の信頼関係を築くことが出来るもの。
わたしは、彼に信頼される剣になりたい。
そう思っていたけれど。
 
――お前は強いが、女だ――
 
――スワンチカを持ったランゴバルトは女一人の体を、一太刀で吹き飛ばせるぐらいの威力がある――
 
避けてみせる、と言い張れば良い。
避けて、レックスの父親を自分が殺すと言えば良い。
けれども、そういうことではないのだ。
女である自分を疎ましく思い、そうであることも悟られたくないと思っていたのに。
自分は悲しいことに心だけではなく、当然体も女で。
こんな時に、仲間でありながら護られなければいけないなんて。
(まるで、あの天馬騎士のようだ)
実戦経験が浅いし、ラーナ王妃のために一人でも多くの天馬騎士を残さなければ。
共に出陣する仲間となりつつも、みなから庇われ、護られるはずだったあの天馬騎士。
結局彼女は、自分から死地に飛び込み、己を貫いて命を落としてしまったけれど。
アイラは、あのように自分からランゴバルトを倒すために飛び込むことは出来ない。
シグルドに、自分が役立つ剣なのだということを知らしめるために。
こんな時に胸のうちを知らせてくれたレックスを思えば、そんな理由のためにレックスの父親と対峙をするのは、あまりにも申し訳ないことだと思える。
(本当ならば、そんなことも考えず、ただ、自分は自分の役目を果たそうとすれば良いだけのものを)
それが出来ないのが、レックス言うところの『病気』である証拠かもしれない。
「疲れたな……」
アイラは呟いて、椅子の背にもたれて瞳を閉じた。
その言葉は、体のことか、心のことか。
先ほどの時間のことか、今日のことなのか、それとも。
こんなどうしようもない恋愛に振り回されていることへの、本心なのか。
それは、彼女自身もわかるはずもなかった。



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