恋人宣言-1-

セリス王子がアルヴィスを討ったことで解放軍の面々は、「ついに自分達はここまで来たのか」という実感を、ようやく胸に抱き始めた。
その実感と共に訪れるのは、自分達の旅がもうすぐ終わるのではないかという感慨。
次にやってくる想いは、では、戦いを終えた後自分達はどうするのだろう、という当然の疑問と苦悩。
特に、長い旅の中で自分の傍らに寄り添う想い人を手に入れた者は、眉間にしわを寄せて悩むべきことも増えているに違いない。
解放軍の中には、お互いの思いを通じ合わせることが出来た若き恋人達が、特に最近増えたようだ。
先日、ついにファバルは踊り子リーンに告白をして、その場で快い返事を貰うことに成功した。
とはいえ、本当のところ、不安がっていたのは当人同士だけだったのだが。
ファバルがリーンを好いていることをアレスは知っていたし、アレスからそのことを聞いていたナンナの方は、リーンがファバルを好いていることを聞く機会にも恵まれた。
少なくともアレスとナンナだけは、ファバルとリーンがお互い好き合っていることを事前に知っていたわけだ。
それから、リーフとティニー。
それから・・・。
「アレスは、どうするんだい」
ふとした話の流れで、城の談話室でくつろいでいたデルムッドは、アレスに問い掛けた。
彼らはアルヴィスを倒した直後、セリスの父親であるシグルド公子の故郷であるシアルフィ城を拠点とし、ここ数日は戦の疲れを癒しつつ体勢を整えているところだ。
シアルフィ領地は広い草地に囲まれており、森すら少ないのどかな地域だ。北にはそれなりの高さの山が連なっているものの、南に面している海は内海で穏やかで、西のユングヴィ領近くの海峡を越えるとミレトス地方がある。
ミレトス側から北上してきた彼らは、王都バーハラに向けて出発をする予定ではあるが、このシアルフィは非常に微妙な位置にある。
このまま北西へと向かえばアグストリアへ近づき、その最もグランベルに近い場所がノディオン王国だ。
デルムッドとナンナは、ノディオン王国故エルトシャン王の妹であるラケシスが産み落とした兄妹。そして、今めずらしくデルムッドと向かい合って茶を飲んでいるアレスは、エルトシャン王の唯一の忘れ形見。
この場で「これからの自分達」について、ついデルムッドが問い掛けてもおかしくない間柄だ。
「俺?俺は別に・・・もう少し、ナンナと一緒にいる約束をしたんだが」
「・・・うーん、えっと、それは」
「ナンナは、フィンが生きる場所についていくつもりらしいからな。またレンスターに戻るつもりだろう」
「・・・そこではなくて」
「ん?」
「もう少し一緒にって・・・それは、逆にいったら」
もう少し、しか一緒にいないつもりなのか。
そうデルムッドが問おうとした瞬間、談話室に誰かが入ってきた。
このシアルフィ城にある「談話室」というものは、なかなかに他の城にはない、不思議な趣を持った場所だ。
オイフェに尋ねたところ、「先代シグルド様も、そのお父上バイロン様も、シアルフィの騎士達と気軽にここでよく茶飲み話をしていたものだ」と、懐かしげに皆に教えてくれた。
「おや?セティはここにいないのかな?」
談話室に顔を覗かせたのは、先ほど名が出たばかりのフィンだ。
彼が忙しなく急いでいる様子は、わずかに乱れた髪や頬の紅潮で、アレス達にも容易に気付くことが出来た。
「セティは、さっきフィーと一緒に中庭に出て行った」
無愛想にアレスがそう答えると、フィンは軽く微笑んで礼を言ってすぐに出て行く。素っ気無いわけではなく、実際に急ぎの用があるのだろうということは間違いがない。
フィンのその様子を見送って、デルムッドは苦笑を見せた。
「どこにいっても、フィンとオイフェは、大忙しだ」
「そのようだな。大人がやった方がいいことは案外多いものだ」
「・・・アレスはもう少し背伸びをしているのかと思ったけれど、そうでもないんだな。見損なっていた。謝るよ」
「?意味がわからない」
「君がもっと、自分は大人だ、と主張をするような人なのかと思っていた」
デルムッドはそういうけれど、アレスは何故デルムッドが謝るのか、いまひとつその意味がわからない。その程度のことを誤解していたからといって、アレスは別段「ふうん」程度にしか思わないからだ。
「話を元に戻してもいいかな」
デルムッドは茶を一口飲んで、穏やかな笑みを見せる。
初めて足を踏み入れたシアルフィ城であるが、居心地良いゆったりとした時間が談話室では流れている。
オイフェが言うには、先代シグルドと共にこのシアルフィ城にいた時よりは、城周辺はいささか荒れており、城の老朽化した部分も放置されていたという。
しかし、そもそも「貴族の生活」を経験したことがないアレスにもデルムッドにも、このシアルフィ城は無駄な豪奢さがなく、居心地よく感じるほどだ。
「なんだったか。ああ、デルムッドは、戦が終わったら、どうする気なんだ?もともとは、あれだろう・・・シャナン王子と共に、イザークにいたんだろう?」
「うん。けれど、その時から・・・解放軍として、いつか動く時がくれば・・・いずれはグランベルに来ることになるだろうし、グランベルに来ればノディオンに近づくことも・・・ずっと、オイフェと話はしていた」
そのデルムッドの言葉に驚いたというよりも、なんとなく腑に落ちない、という気分になってアレスは眉根を寄せた。
デルムッドとナンナは、長い間離れ離れで暮らしていた兄妹だ。
二人は父親のことも母親のこともほとんど記憶にないまま、ただ、お互いに兄と妹がいるのだということを知っているだけで、何の触れ合いもなく育った。
そんな生い立ちの彼が、己の血を重んじてノディオンのことを考えている、ということが、アレスには不思議に思えてならない。
何故ならば、アレス自身も幼い頃に母グラーニェと共にレンスターに身を寄せたため、ノディオンやらアグストリアの大地を覚えているはずもなく、郷愁を感じることもあまりない。
彼の中に残っているノディオンといえば、単語すらまだ多く口に出来ないほど言葉がおぼつかぬ幼い頃、レンスターに出立する以前の記憶のみ。
そして、それの主なるものは、父エルトシャンの留守時に、ラケシスの肖像画をみつめながら恨み言を呟く母親の姿。
そのことを周囲に打ち明ければ、きっと皆は彼に同情するだろう。
本来ならば親の記憶どころか自分の記憶も曖昧になる赤子の頃の、そんな記憶が残っているとは。
もっと、発育が悪ければ、そんな思いもしなくて済んだろうに、と。
アレスは知るはずもないが、そこまで幼い頃の記憶を鮮明に残していることは、相当に稀なことだ。それを思えば、どれほど彼の母親がエルトシャンを愛し、恨み、ラケシスを恨んでいたかが伺える。
レンスターではシグルドをエルトシャンの仇として怨み続けていたけれど、アレスの記憶巣には更に遡った、人に伝えることも憚るような、そんな母親の姿が残っているのだ。
もちろん、それとこれとはアグストリア再建についての思いとは関係がない話だが。
(そうだな・・・デルムッドは何かと生真面目なところがあるからな・・・)
アレスは、デルムッドと「仲良し」というほどの間柄ではない。
しかし、日々共に生活をしているだけではなく、同じ立場で何度も共に戦に赴けば、自ずとその人間のひととなりというものは見えてくる。
少なくともアレスはデルムッドを嫌いではなかった。
きっとセリス軍に加わらなければ、知り合いにもならなかったような相手だとは思うけれど。
そして、一方のデルムッドとはいうと、アレスという人物は戦に置いては信頼出来る人間だけれど、人に対してあまりオープンではないという印象を持っていた。
だが、それは一概に短所と言うべき部分ではないと、若くしてデルムッドは理解している。
デルムッドは他人に対して相当に公平に接することが出来る人間であり、どんな人間のどんな突出した癖であっても、彼は「この人はそういう人間なのだ」と受け入れることが出来る寛容な人物だ。
最も、彼のその性質を「曖昧だ」とか「自己主張がない」と非難する人間も周囲にはいたし、そのせいで異性からは「いい人」をなかなか越えることが出来ないことも事実だったが。
知らない人間が見れば、アレスとデルムッドが同じ血族の人間だとはわからないだろうほど、二人には共通点がない。
そんな彼らが呑気に茶を飲みながら何を話しているのか、この様子を見れば仲間たちも、きっと何の話題なのかといぶかしむに違いない。
アレスは眉根を軽く寄せて
「アグストリアを、立派な国として立て直すのは、お前の役目ではないだろう」
「・・・では」
誰の役目だというのだ、という言葉をデルムッドは飲み込んだ。
その問い掛けの真意は、「お前が、立ってくれるというのか」という意味だ。
もしも、アレスがアグストリアの再建に携わろうと言うならば、デルムッドにも心積もりは出来ていた。
アレスはエルトシャン王の正当な後継ぎだ。彼が「そう」することは、相当にまっとうなことだと思える。そして、デルムッドもまた、自分に流れる血の力か、生まれてこのかた一度も足を踏み入れたことのないアグストリアのことを、強く思う気持ちがあった。
アレスが立つならば、尽力を惜しまない。口には出さずとも、デルムッドが抱いていた思いは、それだ。
けれど。
「本当は、俺の役目なのだろうな」
「アレス」
「まっぴらごめんだ、とも思ったが・・・だが、それでは、自分がやったことの始末にならない」
「自分がやったこと?」
「俺は、セリスを父の仇の息子だと信じていた。そして、父の仇をとろうと、シグルド公子を怨み続けた母親の無念を晴らそうと思っていた。そう思って生きてきたというのに、父の願いであったアグストリアの統一に関してだけ目を背けるわけにもいかないだろうな」
そうは言っていても、アレスはあまり浮かない顔だ。
アレスは、話はここまでだ、と言葉にする代わりに、何も言わずに椅子から立ち上がった。
まだ茶が底の方に残っているカップを持って扉に近づき、デルムッドに背を向けたまま「じゃあな」と軽く告げるアレス。
閉まる扉を見つめながら、デルムッドは小さく溜息をついた。


アレスとデルムッドに限らず、解放軍の一部では自分達の今後の身の振り方が時折話題にはなっていたものの、それらはおおっぴらに話し合われているわけではない。
戦いはまだ終わったわけではなく、むしろ戦火は今まで以上に激しく、一時も気の抜けない状況に追い込まれる可能性も高いのだ。
ユリウスとイシュタルという強敵を残しているだけでなく、ベルルーク城から姿を消したユリアの消息がわからぬ今、安易に浮かれた態度をとる者はいない。
しかし、特にセリス達イザークから出立した者からすれば、このシアルフィ城にたどり着いたことは感慨深いし、アルヴィスを倒したことは一つの節目といってもよいほどの偉業だ。
そんな彼らが、戦が終わった後のことを多少口に出しても、それは誰にも責められないことだろう。
その上、解放軍の中にはアーサーとティニーのように、相当に複雑な者達もいる。
父アゼルと母ティルテュの間に生まれた二人は、ヴェルトマーとフリージ、二つの血を受け継いでいる。
アルヴィス、レプトールと、いわばシグルド公子を陥れた戦犯の血筋であることは、彼らも目を背けることが出来ない。
しかし、ティニーはレンスターのリーフ王子と恋仲になっている。それは今や解放軍の誰もが認める、可愛らしい恋人同士だ。
となれば、アーサーとティニーそれぞれどちらかがヴェルトマー、どちらかがフリージを担うという可能性は極めて低い。
正直なところ、この解放軍を事実上率いているセリスも、聖戦士の血統を持つ者が必ずしも己のいるべき場所に戻る義務はないと思っている。それでも、デルムッドのように、己の血に従いたいと思っている者は多いはずだ。
そして、それゆえに、今の時点で葛藤を抱えている者が多いことは仕方がないことだろう。
「ここから、西に行って、ここが・・・ユ、ング・・・ヴィ」
シアルフィ城の2階への階段踊り場には、グランベル周辺の地図がある。
城のこういった場所には城主の肖像画が飾られていることも多いが、正しき血統の主を失っていたこの城には、何故か地図が飾られていた。それが、アルヴィスが設置したものなのかは、今となっては誰も知ることは出来ない。
その大きな地図を見ながら、リーンがたどたどしく地名を口にした。
「もっと西に行くと、アグストリアと、旧ヴェルダンだ」
階段を丁度あがってきたアレスは、珍しい組み合わせを見て目を丸くした。
リーンの隣には、ラナの兄レスターがいる。彼は、セリスと共に育った解放軍の面々の中では年長組であり、デルムッドと仲がよい青年だ。
「旧ヴェルダンって?」
「俺の、父親の国だな」
「そうなの・・・あっ、アレス」
「なんだ。二人で、地図でお勉強か」
「お勉強、か。まー、確かに俺も・・・あまり、各国のことは詳しくないからなあ・・・ここには書いてないが、この更に北にはシレジアがあって・・・イザークも書かれていないが、こっちにあるってことだよな?」
「多分な」
アレスはちらりとリーンを見た。
リーンの視線は、先ほど彼女が呟いていた、ユングヴィ方面に注がれている。それに気付いたアレスは
「・・・ファバルは、ユングヴィ家の人間だったな」
と、ずばり彼女の心を見透かしたように言った。
「うん。そうね」
「ファバルの母親は、レスターの母親と、姉妹だったとか?」
「ああ、そうだな。俺の母さんは、ファバルのお母さんの妹だ。だから、ユングヴィはファバルに任せられる」
そのレスターの言葉にリーンは反応して、はっと彼を見た。
「・・・それは、えっと、レスター・・・」
「あぁ、別にそういう話をファバルとしたことは、まだないよ。全然、さ。だけど、ファバルはイチイバルを扱えるだろう。そうしたら、誰がどう見たって、ユングヴィで最も歓迎されるのは俺じゃなくてファバルだろう?」
レスターは同じ弓使いでありながら、自分よりもその才能が高いファバルを、多少ライバル視をしていた。が、彼もまた相手を受け入れる器量があるため――それは、長年イザークにいた子供達の中で年長組という役割だったからか――それへどうこう皮肉を言うわけでもなく、素直にそう言った。
彼の声音から、本当に彼がファバルを妬んでいるわけでもなく、正しく評価した結果の言葉だとアレスとリーンに伝わる。
「歓迎、ってのは関係ないと思うが」
「そうかな?いや、関係があると俺は思うんだ。人の上に立つっていうのは、いくつ武器があっても足りない。正当な血筋、神器の継承者というのは、それだけで武器になるだろう。あ、アレスのことを、ノディオンにゴリ押ししようと思って言っているわけじゃあないよ。気に触ったら、謝る」
「・・・ああ、大丈夫だ。ゴリ押しされても、別に他人からの言葉は、どうとも」
さらりとそう言ってかわすアレス。それへレスターは苦笑を見せた。
「第一、俺の弓の腕は、母さんというよりは父さん譲りらしいからな。ファバルがいるとか、イチイバルがどうの、というより、そこらへんなんだと思うんだ」
「そこらへん?何が?」
「俺は、ヴェルダンに行きたいと思っているんだ」
きっぱりと言い放ったそのレスターの言葉に、リーンは軽く「えっ」と声をあげた。
レスターの父親は、旧ヴェルダン王子のジャムカだ。
彼もまた複雑な生い立ちを持っている。そして、彼は母親であるエーディンをイザークの修道院に置いて、解放軍活動をしていた。
そんな彼がはっきりと、イザークに戻るつもりがないという意味の言葉を発するとは、リーンには想像出来なかったのだろう。
一方アレスは、実はレスターの母親である、ユングヴィ公女エーディンがイザークにいるとかどうとかいう話すらはっきりとは知らなかったため、リーンほどは驚いてはいなかった。
ただ、ヴェルダン王国は滅亡し、今はすっかり荒んで山賊が支配している。
その再建は、どの国よりもきっと骨が折れるに違いない。
「さすがに、パティを一緒に連れて行くわけにはいかないから、一人で行くつもりだよ」
「パティには、そのことは?」
リーンが心配そうにレスターに尋ねる。そこでもアレスはまた「へえ、パティと付き合っていたのか」と、大層ひとごとのように、彼にとって初めての情報に軽く驚く程度だ。
「言ってない。まだ、言うべき時じゃあないと思うしね。ああ、思ったより長話をしてしまった。じゃあね、二人共」
これ以上、こういった話をするのも。
言葉にはしていないものの、その場を離れたレスターからは、そういった表情が見られた。
残されたアレスとリーンは、目の前の地図をしみじみと眺めた。
グランベル周辺の地図なので、マンスター地方でもコノート付近は描かれていないし、イード砂漠は描かれていてもイザークまでは描かれていない。それがまた、グランベル人がイザークを「辺境」と呼ぶ理由なのかもしれないが、二人はそんなこともあまりよく知らない。
「こうやってみると、とても長い旅をしているのね、あたし達」
「そうだな」
「遠くに、来ちゃったね」
にこ、とリーンは笑みを見せた。けれど、その笑みがいつもの彼女らしいものではないと、長い間共にいたアレスにはすぐにわかる。
「俺の前で、無理をする必要はないだろう、リーン」
「・・・ふふ、アレスは、やっぱり、わかっちゃう?」
「当然だ。いくら、お前が今はファバルと付き合っていても、どれだけ一緒にいたと思ってる」
二人が交わす会話は、今も愛情に満ちている。
既にお互い他の異性に恋をして――少なくともリーンはそう思っている――いるとしても、頼る者がまったくなかった日々、似た境遇の二人は身を寄せ合い、お互いがいることを生きる糧として過ごしていた。
その絆は、この先も消えることはないとどちらも信じている。
たとえ、生きる場所が違っても。
「もし、アレスがノディオンに行けば、ユングヴィなら、まあまあ近いよね。でも、アレスがレンスターに戻ったら、ちょっと寂しいかな」
「・・・ファバルと、ユングヴィに行くのか」
「それは、あたしが勝手に思ってるだけ。レスターと逆よ。あたしはそう思ってるけど、まだ、言わない。レスターはさ、ずっと、自分がヴェルダンとユングヴィの血を引いてるって知ってたみたいだけど、ファバルとパティはそうじゃあなかったって聞いたの」
「そうなのか」
「うん。解放軍に入って、レヴィンさんから初めて聞いたんだって。それに、ファバルのお父さんのことはレヴィンさんも知ってるみたいだけど、パティのお父さんも同じかどうかは、正直言うとわからないって言ってた。別れた後の話らしくって・・・だから、ファバルもパティも・・・特にパティはレスターほどの・・・なんていうのかな。ユングヴィの血を引いてることへの、覚悟っていうの?そういうのって、多分まだ、ないんじゃないかなあ・・・あっ、これは、あたしの予想なんだけどね」
「それでも、リーンは、ファバルのことを考えて、ユングヴィのことも考えてるんだろう」
「そりゃ、考えるわよ。だって、たとえわかったのが最近だっていったって、ファバルは間違いなく、えーっと、なんだっけ?あの弓…」
「イチイバル」
「そう。それ。それの、継承者なんでしょう?それ以上に、自分のその・・・うーん・・・なんていうか・・・自分が誰なのか、みたいな。そういうのを感じられるものは、他にないと思うから・・・ファバル自身が一番実感してるんじゃあないかと思う」
「・・・それは、少しわかるな・・・俺も、ミストルティンを手にする時は・・・」
アレスは、ふと自分の手の平を見る。
と、その時階下からフィンの声が聞こえた。
「手配していた荷が届いたぞ!!男性は城門まで来て、力を貸してくれ!」
肩をすくめてからアレスは「じゃ」とリーンに軽く片手をあげた。
それへリーンは、今度は満面の笑みで「いってらっしゃい!」と返す。
リーンの声に僅かな笑みを見せてから、そう急ぎ足でもなくアレスはぐるりと曲線を描く階段を降りて行った。
と、その途中で、踊り場の手すりからリーンが身を乗り出す姿に気付いて、彼はリーンを見上げた。
すると、彼女は少し恥ずかしげに頬を染めつつ
「アレス、ありがとう!」
と、照れのためかかすかにくぐもった声を彼に投げかける。
自分は、一体何故リーンに礼を言われたのか、とアレスは一瞬戸惑い、それへ言葉を返せなかった。
しかし、そこでそれを彼女に追求するのは時間の無駄だし、自分とリーンの間柄を思えば、少し冷静に考えれば彼女の言葉の意味もわかろう、とアレスは瞬時に判断した。
もう一度リーンに軽く手をあげ、アレスは再び階段を降りていく。
自分のその思いは、なんという思い込みなのか、とかすかに自嘲気味に口元を歪めながら。


シアルフィ城を出ると、外は曇り空。暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい気候だ。
荷馬車が三台。それを御してきた者は立ったまま手にグラスを持ち、何か飲んでいる。それらはきっと、ほんのわずかなねぎらいなのだろうとアレスは判断した。
ぐるりと見れば、フィンとオイフェ、それからシャナンがそれぞれの荷台から荷を降ろしている。
「来たぞ」
一番城に近い側にいたシャナンに声をかけた。シャナンが降ろした荷をラナが紙を見ながらてきぱきと選り分けて、どこに運ぶとか、誰に渡すなどと指示を出している。
「ああ、アレス。ありがたい。あっちでフィンが受け持っている荷を運んでもらいたいのだが。こちらは城内に運ばないものだから」
「わかった」
シャナンに言われて、アレスは素直にフィンの元へと行く。見れば、フィンの傍にはナンナがいて、ラナと同じように荷を選り分けているようだ。
城内にいた人間の中では一番アレスが外に近かったのか、まだ誰もやってくる気配がない。
「ナンナ。運びに来た」
「ありがとう。えっと、ひとまず、こっちにまとめてる荷物をね、一階の厨房前・・・入って、右の通路の先だけど、わかるかしら。そこに積んでいって欲しいの」
「これ全部か」
「ええ。ちょっと待って。数を控えておくから・・・あ、お父様、軽い物はそっちに残しておいていいわ。多分ラクチェが来るだろうから、軽いものを運んでもらおうかと思って」
そのナンナの言葉に、フィンは不思議そうな表情で返す。
「ラクチェが?男性にしか、声をかけていないぞ?」
「ええ。でも、きっとスカサハと一緒に来ると思うの」
「ああ、なるほど。わかった。しかし、彼女のことだから、軽い荷では我慢しないかもしれないな」
フィンのその言葉を聞いて、アレスは「なかなかわかっているな」と内心思ったが、何も言わずに父娘の会話に横槍は入れなかった。
もちろん、ナンナもフィンの言葉の意味はわかっているだろう。
呼んでなくとも「役に立てる」とラクチェは言い張って、きっとスカサハと共に来るだろう。だからといって、「じゃあ、女の子だから」とあからさまに軽い荷を渡せば、彼女はご機嫌を損ねるに違いない。
「大丈夫。シャナン様がいらっしゃるから、そういう意地はきっと張らないわ」
そう言ってナンナは可愛らしく微笑んだ。
そんな彼女を見るフィンの表情は穏やかで、優しい目つきをしている、とアレスは思う。
アレスの思いなぞ知るはずもなく、ナンナはまとめた荷の数を丁寧に二度数えた。
「うん、これで大丈夫ね・・・じゃあ、運んでくれる?」
「わかった。積み上げてはまずいものとかはないんだな?」
「ええ。通路を塞がない程度に置いてくれれば、それで」
ナンナの言葉に頷いて、アレスは大きな麻袋を背負う。
フィンがナンナに荷のことで何か問い掛けている様子を後に、アレスはかなりの重さがある荷を持って歩き出した。
前方を見ると、荷を運ぶために次々に仲間達が城から出てくる姿が見える。
その中には僧侶であるコープルの姿も見えたが、アレスは内心「どれほどの荷が運べるやら」と思う。それは皮肉を含んでいるわけではなく、正直でまっとうな感想だと誰もが感じるだろう。
先ほどのフィンの呼びかけは「男性は城門まで」という言葉だったが、実際のところ、コープルよりも余程ラクチェあたりの方が役立つように彼には思える。
もしかしたら、ナンナが「ラクチェに運んでもらう」と言っていた荷は、結局はコープルが運ぶことになるかもしれない、と少しだけ意地の悪いことを考えた。が、それはむしろ正しいような気もして、少しばかりアレスの口元が緩んだ。



アレスが三度の往復をしたところで、ちょうど全ての荷がなくなった。仲間達が分担して荷を運んだことで、案外と早く作業が終わったようで、オイフェが嬉しそうに「後回しにする用も、もう少し片付けてしまえそうだ」と口にしていた。
あらかたの予想通り、コープルは「ラクチェ用」の荷をほとんど運び、ラクチェは「それなりには重さがある」荷を運んだようだった。
「ナンナ、これも厨房前か」
最後に残った麻袋二つを持って、アレスはナンナに聞く。見ればナンナも小振りの木箱を両手で持っている。
「ええ。一緒に行くわ・・・お父様、厨房前の荷の仕分けに入りますね」
「ああ。悪いな。面倒を押し付けて」
「いいえ。じゃ、馬は任せます。シャナン様の荷台を引いてきた馬も・・・」
「大丈夫だ。わたしとオイフェで、厩に戻すよ」
「お願いします」
シャナンとて馬の扱いがまったく出来ない、というわけではないが、フィンやオイフェの扱いにはまったく及ぶはずもない。
もちろん、当人もそれに関して意地を張ることもなく、フィン達の厚意に素直に感謝をする。
アレスはナンナと並んで、彼女の歩調に合わせて歩き出した。
「もう、すっかり大丈夫のようだな」
さらりと彼が発した言葉の意味を、ナンナは最初わからなかったようで、「え?」と軽く聞き返す。
それへの返事をせずにアレスが黙っていると、ようやくナンナははっと気付いたようだった。
「お父様との、こと?」
「ああ」
「そうね」
ナンナは苦笑を見せた。
ミレトス地方に入る少し前、ナンナは義父であるフィンに対する恋情の強さで、自分で自分を追い詰めていた。それは、解放軍に加わったアルテナに対して、フィンの中に生まれた恋情を感じ取ってしまったからに他ならない。
その時、解放軍の中で唯一アレスだけが、彼女のそんな状態を察して誰よりも早く手を差し伸べた。
アレスとナンナはそれまでは、従兄弟でありながらそう深い仲でもなく、しみじみ二人きりで話すこともなかった。けれども、その顛末の際、二人の距離は急速に近づき、解放軍でも「あの二人はそういう関係だ」と一時期は噂になった。
アレスは、ナンナが嫌いではない。いや、むしろ好きだと思う。
ナンナもまあ、はっきりと口にしていないものの、アレスに対する態度は他の男性への態度と異なり、かなり自分を曝け出していると自覚はあるようだし、周囲からもそのように見えているようだ。
けれど、「お前達は付き合っているのか」とか「恋人同士なのか」と言われれば、「そうかもしれない」とか「そういうものなのかな」といった、曖昧な返事しか彼らは出来ない。
二人には、今の自分達の距離感に対しての問題意識なぞ、これっぽっちもない。
ミレトス地方に入る頃、つまりは、ナンナの気持ちが少しずつ快方してきた頃。
時にはアレスは彼女を抱きしめ、時にはナンナもその腕に体を委ねたりもした。
ナンナのように貞淑で慎ましやかな女性が男性の腕に抱かれるということは、多分「そういうこと」なのだと、誰もが思ってもおかしくない。フィンも、アレスも、幼い頃から一緒に育っていたリーフも、そして、ナンナ自身も。
けれど、そういった状況でも彼らがお互い恋人というものなのかいまひとつ認識していないのは、やはり「当時、ナンナは少しばかり心の病にかかっていた」という事実があるからだ。
その病からの快方への途中で、手を貸したアレスへの思いを勘違いしてもおかしくはない。また、彼を頼り、自分を曝け出してくれたナンナへの思いを、アレスが勘違いしてもおかしくはない。どちらもあり得ることだ。
解放軍の仲間達も「多分、あの二人は恋人同士だろう」と思いつつ、ミレトス地方からグランベルに入国した付近は相当に忙しかったため、わざわざ二人の関係を問いただす者もいなかった。
そういったわけで、今ですら二人は曖昧な関係であり、そして、更に言えば仲間達も「今更聞くほどのことでもない、きっと付き合ってるんだよ」と誰もが勝手に納得している、という不思議な構図が出来上がった。
アレスからの問いにナンナが答えた後、肩を並べて歩きながらも特に会話はない。
城内に入ると、厨房方向に荷を運んでいたらしいアーサーが軽く二人に手をあげてすれ違う。
厨房へ続く通路へと向い、積み上がった荷が視界に入った頃、ナンナはぽつりとアレスに言った。
「大丈夫だといえば、大丈夫なの。でも、わたし、ちょっとだけ心配していることがあって」
「心配?なんだ?フィンのことか。それとも、自分のことか」
「ん・・・お父様のこと、かしら」
「歯切れが、悪いな。まあ、あれか・・・フィンのことになると、いつもそうかな、お前は」
「いつも、で悪かったわね」
「おいおい。別に悪い意味で言ったわけじゃないぞ・・・といっても、別段良い意味でいうようなことでもないが・・・っと、よいしょ」
アレスは肩に背負った袋を下ろして、通路にどさりと置いた。
ナンナも運んできた箱を床に降ろして、ふう、と小さく息をつく。
「まあ、はっきり言っちゃうと、お父様だけの話じゃあないんだけど。リーフ様も、アルテナ様も」
「ああ、レンスターのことか」
ここでも、そういった話題か。
そう思ってアレスは軽く肩をすくめてみたが、ナンナは積み上がった荷に視線を移しており、彼のそんな様子には気付いていないようだった。
「ずっと、レンスターの人たちは、リーフ様が唯一のレンスター王家の血筋だと思っていた。たとえ、ゲイ・ボルグが使えなくても、リーフ様の子孫にはそのうち聖痕が出て、ノヴァの血がいつかまた覚醒するって信じていたのよ。でも、実際は、死んだと思われていたアルテナ様がいらして、ゲイ・ボルグを携えていらっしゃる」
「・・・」
「レンスターの人々にとっては、それは歓迎することなんでしょうね。ことと次第によっては、レンスターに戻ればアルテナ様がレンスター王家の長として立つことにもなると思うし」
そう言ってナンナはアレスをようやく見た。
「で、なんだ?それの何が心配だ。そのことなら、リーフの心配をするべきなんじゃないか。今までリーフ王子は、レンスターの民の希望として王子という役割を彼なりにこなしていたようだし。その役回りをアルテナがかっさらっていくような形になるんだし」
「そのあたりのことは、リーフ様もアルテナ様もお互いのことを尊重しているし、わたしが心配するべきところではないと思うわ」
「じゃ、何。それのどこにフィンが」
絡んでくるんだ、と言おうとして、アレスは不意に目を見開いた。
ナンナが言おうとしていることが、少しだけ彼にも思い当たったのだ。
「アルテナが、リーフを差し置いて上に立ったら・・・フィンは、身を引くのか」
「・・・わからないし、聞いてない。そんなこと、今聞くことじゃないから。でも、あのね、アレス」
「ああ」
「気のせいか、一時期より、アルテナ様に対するお父様の態度が、素っ気無いというか・・・なんていうのかしら・・・そう・・・本当に・・・臣下と主のようで」
「・・・その方が、お前は嬉しいか?」
アレスのその言葉はかすかな意地悪心からのもので、ナンナを追い詰めるものではない。けれども、ナンナはその言葉を信じられないという風に眉根を寄せ、責めるような視線で彼を見上げる。
受け入れつつも抑えようと試みて、そして今はようやく静かな気持ちへと変わり行こうとしている感情。それが、ナンナの、フィンに対する恋情だ。アレスにそれを茶化されたことで、ナンナは傷ついた表情を見せた。
「嬉しいわけ、ないでしょう。アレスの、バカ」
そういってナンナは唇を僅かに尖らせてみた。
きっと、他の仲間達がナンナのその姿を見れば、彼女がそのような、年齢相応の村娘のような素振りを見せることに驚くだろう。
それは、アレスだけが知っている、ナンナの素の少女らしい面だ。
けれど、こんな形で彼女からの特別を欲しいとは、、アレスは思っていない。
アレスは「悪かった」と呟いて、無防備に自分を見上げるナンナの頭を軽く撫でた。
まだ完全に、フィンへの恋情から回復していない彼女の心を、いたずらに試すように揺らしてしまった。
そのことを、心の内で後悔しながら。

Next→


モドル