恋人宣言-2-

フィンがアルテナに好意を寄せている。そしてまた、アルテナも。
誰が知らなくとも、アレスとナンナは知っている明白な感情だ。
ベルルーク城前での攻防でアルテナが乗ったドラゴンが墜落した時、血相を変えてアルテナのもとに駆けつけたフィン。
そして、そのフィンに抱き上げられたアルテナ。
その二人の会話やその場に流れていた空気を、たとえアレスが忘れようとも、きっとナンナは忘れないだろう。
長年共に生きてきた男性が、慈しみを込めて愛しい女性を抱き上げるその様子。
そして、自分が愛した男性のために、恋敵とも言える女性を救ったナンナは、悟った。
命の危険に晒されながら剣を抜いてアルテナを護って。
けれど、死と背中合わせの僅かな時間――それは、実際にはほんの数十秒なのだろうが――脳裏に浮かんだのがフィンではなかったという事実。
たとえ、心が弱っていたその時期、自分を助けてくれているのがアレスだったとしても、事実は事実だ。


――わたしは、死ぬかも、と思ったけれど・・・お父様のことなんて、思い出さなかったわ・・・――


――わたし、あなたを思い出していたんだわ――


アレスの抱擁を受けながら、ナンナは静かに己の思いを口にした。
何故俺を、とか、お前は俺が好きなのか、とか。
もしも、アレスがそう問い掛けたら、ナンナはどう返事をしたのだろうか。それは、今のアレスでも想像をすることが難しい。
実際には、彼はナンナのその言葉に驚き、けれども胸に込み上げた愛しさに逆らうことが出来ず、ただ「そうか」と呟くことが精一杯だった。
労いのために、ナンナの髪をなで、抱きしめ。
そして、ためらいの後にアレスの背に腕を回すナンナを、もっと抱きしめた。
鎧越しで苦しそうなナンナの吐息を無視して、頬に触れる彼女の髪、引き寄せた細い腰、それらを「気持ちが良い」とアレスは思った。
彼の中では、その記憶はある。
けれども、ナンナを「好きだ」などとしみじみ自覚したことはない。
今ですら、彼女のことをどう思っているのか、こうやって考えれば彼は自分の気持ちを持て余し、答えが出ないまま放る。
そういったことを考えるのは、あまり得意ではない。
とはいえ、アグストリアのことやらノディオンのことを考えるのも、あまり得意とはいえないのだが。


解放軍の面々が先々のことをついつい思い描くのも、ここがシアルフィ城だからだろう。
彼らの目標はシアルフィ城の到達ではなく、むしろこの先が正念場だ。
けれども、オイフェのように「戻ってきた」立場の人間がいて、「あるべき場所にあるべき人間が戻った」ことを目の当たりにすることは、わずかな波紋を人々の胸に起こした。
オイフェは己の立場を忘れることなく、シアルフィのことではなく解放軍のことを当然のように優先させている。
その一方でシアルフィに生きている民衆の多くは、シグルド公子の愛息セリスがこの土地にバルドの血族として戻ってきたことを、大いに祝福しているようだ。
シアルフィの民たちは、長い間「反逆人が治めていた土地」として周囲に嘲られ罵られ、いくらでもシグルドやその父バイロンを呪っても良いほどの生活だったに違いない。
けれども、シアルフィの民が知っているバイロン、シグルドという主のひととなり、今のグランベルが狂気の政治を行っていること、それらのことを考えれば、解放軍を快く受け入れることも当然と言えよう。
グランベルの人々の多くは「どこか不明瞭で、それを境にして国の何かが変わってしまった」過去のバーハラの惨劇への疑心を持ち始めていたのだし。
そういったわけで、「あるべき場所に戻った人間」をその土地の人間が祝福する姿は感銘を呼んだし、それは逆に「戻っても祝福されないだろう」とわかっている人間に関しては、強い覚悟が促された。
戦いのことを考えろ。その先のことは、後回しに。そんな風に、誰も声高には言えないのは、やはり「ここがシアルフィだから」だろう。
(しかし、ナンナのやつ)
荷を運び終わったアレスは、馬に乗ってシアルフィ城付近の様子を見てこようか、と再び城の外に出た。
シアルフィ城を拠点に再び進軍する予定の彼らは、戦の準備に忙しい。
けれど、知らぬ土地での準備はある程度まで主だった人間の手配が必要だ。そして、もともと傭兵として各地を点点としていたアレスは、そういった「軍としての準備」というものなどに無頓着で、自分から進んで何かをしようとはあまり思えない。
彼の父エルトシャンを良く知る者がいれば、きっと「嘆かわしい」といわれたりするのだろうが。
(まあ、あいつは戦が終わってもフィンの傍を離れる気がないんだから、俺たちのように先々のことを悩む必要はないんだろうがな・・・)
この戦いが終わっても、もう少しだけ、一緒にいて。
それは、ナンナがアレスに申し出た、可愛らしいけれどもアレスの人生を変えるわがままだ。
フィンとアルテナが思いあって、そしていつか結婚する。それを、ナンナは見届けたいと思っている。
それに、アレスに付き合えと言うのは、プロポーズにも似ているとアレスは思う。
(その後、どうすると思ってるんだ。俺が。確かに俺は、この戦が終わってのことなんて、てんで考えていなかった。だけど)
フィンのこと、アルテナのこと以外に、心配しても良いだろう。
アレスは少しばかり苛立ちを感じつつ、シアルフィ城で馬が繋がれている裏庭に足を運んだ。
「お」
馬たちが並んでいる厩舎が視界に入ると同時に、一人の女性の姿も共に視界に入ってきた。
奇遇な、というべきなのか、どうなのか。
それは、アルテナだった。
「アレス殿」
アレスが声をかける前に、アルテナは彼に気付いた。
それへ軽く頷いてアレスは近づく。
「珍しい。馬には、乗るのか」
アレスは、アルテナに対してもぶっきらぼうな言葉遣いで接する。
それは、いまひとつアルテナの年齢をよくわかっていないからでもあるが、この軍において、彼はフィンやオイフェのような明らかに「尊敬すべき大人」以外には誰だろうと彼はそういった口利きをするのだ。
「いや、そういうわけでは」
アルテナは軽く手を横に振った。
「けれど、レンスターに戻るとなれば、乗れるようになるに越したことはないでしょう。レンスターは馬を操る騎士の国。それを欲されることになるのは、レンスターに疎いわたしでもわかる」
「・・・ああ、そうか、トラキアで、育ったのだったな」
アルテナは幼い頃、イード砂漠を北上しようとした父キュアンと母エスリンと共に、トラキアのトラバント王率いる竜騎士部隊に襲われ、そこで両親を失った。
レンスターに伝わる、父キュアンの形見である聖槍ゲイ・ボルグと共にトラキアに連れて行かれたアルテナは、トラバント王の娘として育てられたのだ。
その悲劇が起きた頃は、まだ一人で馬に乗れるような年ではなかったはずだ。
「ええ。トラキアは竜騎士ダインの国。そう言うと聞こえは良いが、実際には荒れた大地や乾いた丘陵が多く、陸路が整っていないという欠点を補うため、移動を竜で行うのです。それに、空はどこまでも空で、阻む物はない。他国への出稼ぎをするにも、空を飛ぶ方が早く、現実的」
そういいながら、厩で大人しくしている馬達へとアルテナは視線を向けた。
馬達にとって、このシアルフィ城の厩は、個々がつながれる場所が広く快適だ。どの馬も大層大人しくしている。
「確かにな。大地が荒れているから竜を使うのか、竜を使うから大地がいつまでも荒れたままなのか」
「土地は、痩せているのです。農作物の収穫量は微々たるもの」
そう言ってからアルテナは「そういう話では、ありませんでしたね」と苦笑を見せた。
「別にいいだろう。お姫様は馬に乗れなくとも、馬車やら、臣下と相乗りしていれば」
「そういうわけにもいきません。馬上でゲイボルグを使えるようになるのは、なかなか遠い話でしょうが・・・ああ、でも、誤解しないで欲しい。わたしは、竜騎士であることを捨てるつもりはない」
そう言い放ったアルテナの表情は凛としており、芯の強さをアレスに伝えるに十分だった。
トラキアのトラバント王は、ハイエナだと囁かれるように悪い噂が付きまとう。しかし、この女性を娘として育てた人物だと思えば、噂はあてにならないな、とアレスは思う。
「その方が良い。レンスターの人間の中には、それをよく思わぬものも出てくるかもしれないが、これからリーフ王子が取り組もうと思っているのは、マンスター地方に留まらず、トラキア半島をも統一した再建だろう」
「アレス殿は、リーフの思惑を御存知か」
「父親であるキュアン殿の悲願でもあるのだと聞いた。といっても、俺に話していたのではなく、セリスと話していただけだが。たまたま俺が近くにいた、というだけだ」
「・・・ええ。父の・・・キュアン王子の一生の願いだったと、わたしもフィンから聞いています。正直なところ、兄として共に育ったアリオーンの所在が今は不明のため、わたしとしては容易にそのことを・・・国の統合についてなどには、口を挟みたくはないのだけれど」
「ああ、そうだったな・・・だが、トラキアのアリオーン王子が生きていようと生きていまいと、この戦いに俺たちが勝利すれば、次にリーフが手をかけるのは間違いなく自国の再建だ。トラキア半島も含めてな。その時、竜騎士であることにあなたが誇りを持ち続けていれば、トラキアの民達も報われるというものだ。まあ、精神論だが」
アレスはそういいながら、愛馬が大人しくしている厩の個室の鍵を開けた。それから、繋ぎ棒の縄を解きながら言葉を続ける。
「で、乗馬はどうだ。どの程度覚えたんだ」
「まだ、ほとんど。この軍に入って、人々に慣れることにばかり気をとられて、そういったことを全然考えられなかったので」
「そりゃそうだな」
「・・・ふふっ」
「ん?」
「アレス殿は気難しい方だと思っていたが、わたしの勘違いだったようだ」
「よく言われるが、気難しくは、ないのか?俺は」
「ええ。そう思う。あなたは、相手が期待するような言葉で返さないだけで、実際はとても相手のことを思いやっている。そう言ったら、多分買いかぶりだとおっしゃるのだろうけれど」
「そうだな。買いかぶりだ」
あっさりとそう言いながら、アレスは馬を引いて出てくる。
彼が引いた馬をアルテナは見上げ、口元を緩めた。
「戦の時には相当荒々しく見えるのに、こうやって見ると穏やかですね。竜は空を舞う生き物。体が大きく外見が恐ろしくても、主を乗せていれば荒々しい動きをするわけではない。空から落ちれば主が死ぬことを、竜は知っている」
その言葉にすぐには返事をせずに、アレスは馬具の名を呟きつつ愛馬にとりつける。その間、馬はおとなしく主のなすがままになっていた。
繋ぎ棒に繋いだままでそういったことをする人間もいるが、少なくともアレスはそうはしない。
彼のように傭兵として渡り歩いてきた人間は馬を厩舎にいれることすらない生活が多かったし、繋ぐのに手ごろな木すらない状態も多い。
それゆえに、アレスは整った環境であっても、ついつい馬を野放しにしがちだ。もちろん、彼は野放しにしても大人しく、戦では荒々しい馬を感覚で選ぶことにも長けていたのだが。
ひとつひとつ馬に着けるごとに馬具の名を口にするのは、アルテナに対する配慮なのだろう。
気付かない人間はきっと「もう遠乗りに行くのだろう」とその場を去るかもしれない。それほどにアレスはぶっきらぼうにそれらのことを行った。
アルテナは聡明な女性だったので、アレスのそういった彼流の気遣いを気付き、彼の一挙一動を見逃さないようにと真剣に見ている。
「アルテナ。あなたは、竜は人の言葉を解すると思うか」
「・・・ええ。完全にわからなくとも、雰囲気は察知して時に人を思いやることもある。心が疲れた時に共にいれば、静かに寄り添ったまま動かず、放ってくれる。あれは、ああ見えても慣れた人間には優しい生き物なのだと思います」
「そうか。そう思う人間なら、あなたはナンナから馬術を習うといい」
「え?ナンナ殿?」
アレスは馬をひいて城門の方へとゆっくり進む。主に従順に従う馬と共に、話が終わっていないことを察したアルテナもまた、ゆっくりとした彼の歩調に合わせて動く。
「しかし、ナンナ殿は槍を使わない」
「大丈夫だ。俺は荒々しい乗りこなししか出来ぬ。フィンは槍騎士だろうが、あなたを教えるに向いていない」
「何故そう言いきれるか」
「男女としてお互いを思っているだけでなく、あなたが彼にとって主であるからだ」
アレスは、アルテナの表情を伺った。
彼のその言葉で、それまで穏やかだった彼女は僅かな眉根を寄せる。
ほんの一瞬の表情の硬化を、アレスは見逃さなかった。
「もちろん、槍騎士ではないという前提であれば、デルムッドやレスター達も同じだが。ナンナはやつらよりもレンスターの地を知っている。そういう人間から習うがいいだろう」
「・・・確かに。あなたは、思いのほか、優しい御仁だ」
「俺が?はは、そりゃあお褒めに預かって光栄だ」
「茶化さないで」
「茶化していない。レンスターのお姫様にそういわれれば、そりゃ、光栄ってもんだろう?といっても、俺は騎士ではないから、その光栄ってやつがどれほどのものか、まったくわからん」
アレスはそう言い放つと、愛馬にようやく乗った。
話は終わり。
それが彼の合図だった。
アルテナも、あえて彼が言い放ったその言葉に反論その他を返さずに、表情を緩和させる。
「遠乗りですか?お気をつけて」
「ああ」
立ち止まったアルテナをその場に残し、アレスはゆっくりと馬を進めた。そして、数メートルほど離れたところから、馬の歩調はあがっていく。
アルテナに見守られながら、アレスは遠乗りに出かけた。


シアルフィの平原は広く、穏やかな気候が心地よい。
あまり城から離れることは禁じられていたけれど、彼らはミレトス地方から北上してきたのだから、南西の方角ならばそうそう敵も現れることがないだろうと、暗黙の了解はあった。
リーンとレスターが地図を見ていたとおり、シアルフィから西へと行けばユングヴィ。
更に西へ行けば、レスターの父親の故郷である旧ヴェルダン。北西に行けば、アグストリア。
そう思えば、自分達親が巻き込まれてしまった戦はそれほどに規模が大きく、この世界を十分に揺るがすものだったのだろう。
アルテナが言うように、空はどこまでも空で、遠くまで続いている。視界の先の先までも。
陸地は海によって隔てられ、大陸も山によって谷によって分断され、断ち切られているように感じさせる。しかし、本当はそれも繋がっているのだとアレスは知っている。
海の底には地面と変わらぬものがあるのだし、山も谷も、険しくとも人々が踏みしめる大地の一部だ。
行く手を阻むそれらのものを克服することは、人間には相当に難しい。それでも進まなければいけなかった彼らにとって、あまりにもこの旅は長く、遠く、終わりがないように思えていた。
いつの日か、こうやって「終わり」が見える時が来るなんて、いや、それを目指していたのだろうが、どこかではそれを夢物語のようにすら思っていたのかもしれない。
(聖戦士達の血統は、人が生きる足枷になる。それだけならば、多少の意味はわかるけれど)
馬を走らせながら、アレスはそんなことを思っていた。
少なくとも、アルテナがゲイボルグを扱えなければ、彼女はもう少し楽なのだろうと思える。
聖槍ゲイボルグを使えることで、彼女の血統は証明され、レンスターの人々はきっと彼女を歓迎するだろう。
もし、それがなければ、彼女が彼女であることを人々に証明するものはない。
「アルテナ様が生きていてよかった」と思う者がいても、反面「作り話かもしれない。トラキアがレンスターを手に入れるためにでっちあげているのでは」と疑われるのも当然と思える。
しかし、ゲイボルグによってその身分を保証されてしまっているアルテナは、それゆえに「今までリーフがレンスターすべてを背負っていたが、血統的にはアルテナが上」とみなされ、これから過度の期待を寄せられるに違いない。
(俺ならば、それだけでうんざりするのに、どうしてデルムッドやレスターは)
レスターは、聖戦士の血統でもない。そもそもヴェルダンは聖戦士の血が流れていない者が統一した王国で、たびたび国境付近を荒らすため「蛮族」とグランベルからは呼ばれていた国だ。
レスターの父親は、祖国を裏切った男だ。レスターが父親の罪を償うために戻る必要があるのか、とアレスは思う。
そしてまた、デルムッドも。
確かにデルムッドは、エルトシャン王の妹であるラケシスの息子であり、ノディオンの血統だ。
しかし、黒騎士ヘズルの力を引き継いだのはデルムッドではなく、アレスだ。
生れ落ちてから等しくノディオンの地に足を踏み入れていないのならば、その責を感じるのはデルムッドではなくアレスであるはずだ。それは、アレスがそう感じただけではなく、人々もそう思っているのだろう、と彼は感じ取っていた。
デルムッドは、もうノディオンに行く覚悟が出来ているのだろう。
では、妹のナンナは、どう思っているのだろうか?
デルムッドは、共にイザークで育った仲間たちがいるが、オイフェはきっとシアルフィに留まるだろうし、レスターだってヴェルダンに行く可能性が出てきた。当然セリスの所在も変わるだろうし、セリスと恋仲であるラナの身の振りもある。
家族同様の者達が、きっとそれぞれの道を歩み出し、分かれるのだ。
しかし、ナンナはそうではない。
レンスターに戻れば、以前と変わらずにリーフがいて、フィンがいて。
そんな彼女に、デルムッドと同じように、己の血について考えろと言う気はアレスにはない。
「ったく!あいつは!」
アレスは、馬上で舌打ちをした。
彼は苛立ちにまかせ、いつもより少しばかり手綱使いが荒っぽくなっている。けれど、それすら彼の馬は既に知っているようで、その荒い制御にあわせて存分に力強く走る。
(フィンとアルテナのことなんざ、当人同士に任せておけ。あいつは、もう少し、俺のことでも)
「!」
アレスは、己の中で形がはっきりと浮き出てきたその思いに気付いて、反射的に手綱を強く引いた。
突然の強い力に驚いた愛馬は、いつもならば荒い主に対して文句を言わないのだけれど、ひとついなないて、大きく、背に乗せた人間の体の負担なぞ気にもせず、跳躍した。
「うわっ!・・・っと!!ととと!」
馬上から投げ出されそうになるような衝撃に、アレスはなんとか耐えた。いや、もしかすると彼の愛馬はそれすらも心得ており、感情にまかせていた主へのいましめで、彼が耐え得るぎりぎりで飛んだのかもしれない。着地した後には、何事もなかったように少しだけ走り、やがてゆっくりと歩みへ変えて、最後に立ち止まった。
アレスの方はしたたか体を鞍にも打ち付け、さすがにぐったりと馬の首につかまっているような状態だ。
「・・・悪かった。悪かった、悪かった」
そう繰り返し、馬の首筋を繰り返し撫でるアレス。
彼は、荒々しい走りを見せる馬は好きだったが、それは暴れ馬が好きということではない。
だからこそ、今の愛馬の暴走は自分の責任だとわきまえている。
「それにしたって・・・なんだ、まったく・・・俺は・・・いてて・・・」
振り回されている。それは、馬ではなくて。
そのことに気付いて、アレスは馬から下りた。
あたりはぐるりと広い平原で、遠くにぽつりぽつりと小さな小屋がある。
人間が住んでいる城下町や集落とは離れているので、近くの街道を通る人間相手に商売でもやっている者が建てた小屋なのかもしれない。
近くに木々が密集して生えていた。が、それは林というほどのものでも、当然森というほどのものでもない。
そこへ馬を引いて近づいて、アレスは木の下で横たわった。
とうに頂点から傾いている、雲に阻まれている薄い日光。
目を細めてそれを見ながら、アレスはついに観念した。
苛立っているのは、ナンナのことを考えているからだ。ナンナが、相変わらずフィンの心配ばかり――たとえ、それがアルテナに対することだとしても――しているからだ。いくらなんでも、それに気付かないほどアレスも阿呆ではない。
ナンナは、フィンの義娘であり、そしてフィンを一人の男性として想いを寄せていた。それを考えれば、相変わらずのそういったナンナの気持ちは当然なのだと思う。
けれど。
「・・・ちっ」
アレスはまた舌打ちをして、ごろりと体を横にした。
彼の馬がかつかつと辺りを歩き回り、時折草を食べている姿が見える。
それを見ているようで、アレスはしっかり見ていない。単に視界に入ってくる、といった風で、彼の瞳の焦点はあっていなかった。
もう、曖昧には出来ない。
本当は、とっくに、そうだと自分でもわかっているのだ。
自分は、ナンナのことを、従兄妹以上の感情で見ている。一緒にいて、見守りたいと思っている。
その自覚は本当はずっとずっと彼の心の奥底にはあったものだ。
そこにあったのに、それをそうだと認めることが気恥ずかしくて、見ぬ振りをしていた。
(俺は、ナンナと共にレンスターに戻ることを約束しているも同然だ。けれど)
けれども、ナンナが抱いていたフィンへの恋情が落ち着き、フィンとアルテナが結婚したら。
ナンナがそれを見届けるまで共にいる、と約束していたアレスは、その後どうなるのか。
いや、どうするとナンナは思っているのだろうか。
それをアレスに聞かないほど、ナンナは彼の未来に関心がないのかもしれない。
(確かに、俺は、まだ全然考えていない、と言った。だから、ナンナは俺に我侭をいって、一緒にいて欲しいと言い出したんだ。そう思えば、ナンナが俺のその先のことを口にしなくたっておかしくない。ナンナからすれば、俺は『どうするか考えていない』人間なんだし)
だから、解放軍の仲間たちがあれこれ未来の不安について考え出しても、ナンナは揺れない。
そうわかっていても、アレスは自分に言い聞かせるように「仕方がないことだ」と何度も堂堂巡りで繰り返し思った。
自らにそうやって言い聞かせること自体、もう抗えぬほどの恋の病に陥っているのだと、彼は本当は知っている。知っているからといって、自分のその物想いを止めることは出来ないのだろう。


その日の夕食は、大鍋いっぱいに作られた野菜スープを、無造作に丸めて蒸した肉団子にかけたものだった。
スープの量も肉団子の量も、どちらも適当だ。
不足がないように作り、余れば翌日スープは再び薄めたり、新しい料理に無理矢理加える。
肉団子も余れば小さくちぎって、翌日の料理に混ぜる。
そうでもしなければ、誰がどれだけ食べるとか、誰がまだ食べていないとか、管理をするのも面倒だ。
ありがたいことに、シアルフィ城下町で暮らしていた人々が彼らのために働いてくれて、炊事に関しては彼らが煩わされることはない。
そのかわり、きっと明日もセリスは「シグルド公子の子息」として「シアルフィ領視察」を行い、人々に顔をお披露目するために出かけなければいけないだろう。
それらは、彼らにとって一見必要ではないようにも思えたが、このグランベル領で一人でも多くの味方を作ることは、グランベルにゆかりのものがやらなければいけない大切な仕事だ。
もちろん、逆に敵も現れる可能性が高いけれど、そのことを考えていてはなにも出来やしない。
「アレス、遅かったな。出かけてたんだろ?」
「ああ、少し、遠くへ行き過ぎた」
アレスが遠乗りから戻ってくる頃には日が暮れており、城の見張りとして明朝早く見張り台に立つ者や、夜番の者と交替した昼番は既に食事を終えていた。
彼は残った夕食を腹にいれようと慌てて厨房に向かった。そこには、丁度皿に肉団子をよそっているアーサーが居た。
「フィンが探していたよ」
「アルテナには、出かけることを知らせてあったはずだ」
「アレスのことを、アルテナ姫に聞くと思う?」
「・・・確かに」
「早朝番になって欲しい、と言ってた」
「そうか、じゃあ、さっさと食ってさっさと寝ないといかんな」
「だな。いいぜ、これ先に持っていけよ。足りる?」
「ありがとう。十分だ」
アレスは無駄なことを言わない。
アーサーから「フィンが早朝番になって欲しいといっていた」と情報を貰っても、彼に対して「何故」とは問い掛けない。
そして、早朝番を受けようという素振りを見せたアレスを思いやったアーサーは、自分の分として皿に盛った料理をアレスに渡した。それに対しても、アレスは無駄な遠慮は見せない。
「じゃあ、逆に俺はフィンを探さないと」
「ここに来る前に、見たぜ。談話室でリーフ王子と話していた」
「そうか。何から何まですまない」
アレスは、厨房のテーブルのかごに山になっているパン――それは、少しぱさついて固いものだったが、彼は料理に文句を言うことなぞまったくなかった――を二つつかみ、スプーンを皿の上に乗せて厨房を出て行った。
談話室に向かう途中にラクチェと出会い、「それしか食べないの」と驚かれたが、アレスからすれば「どれだけ食べるんだ、お前は」と言いたいところだろう。
それに、肉団子をよそったのはアーサーだから、きっとアーサーが食べる量もそう変わらないに違いない。
(ラクチェは、よく食う女だ)
その分、戦で人一倍動き回ることを、当然アレスは知っている。
馬に乗るわけでもなく、甲冑を着込んで拠点を護るために待機しているわけでもなく、ラクチェもスカサハも自分の足一つで走り、ひたすらに敵を切り伏せる。同じ歩兵であっても立場上そこまで前に出られないシャナンや、後方支援に回りがちな弓兵、魔道師は、みなそんな二人を見て感心をするものだ。
スカサハも細身ではあるが、相当に食事量は多い。かと思えば、食糧調達がうまくいかなかった時は、文句も言わずにわずかな食事でけろりとしている。
セリスに聞いたところによると、スカサハとラクチェ、つまりはイザークでセリスと共に育った者たちは「食べられる時には、存分に食べる」のだという。それにしたって、スカサハとラクチェの食事量はすごいと思う。特に、ラクチェは。
(あれぐらい食べろとはいわないが、ナンナももう少し食べてよいだろうに)
そんなことを自分が思ったことに気付き、もう誰もいない通路でアレスは嫌そうに眉根を寄せた。
また、こうやって不意にナンナのことを考えている。
きっとそれは、今までにもあったことだ。けれども、「まただ」という呆れた自覚は、きっとなかったのだろう。
アレスが談話室に着くと、扉は開け放たれていた。
当然ノックもしないで入って行くと、思いのほか人数がいる。二つのグループに分かれているようだが、片方のグループにはフィンとリーフ、ファバルがいた。一体何を話しているのかアレスにはわからない組み合わせだ。
3人がアレスに気付いたことを確認して、アレスは声をかけた。
「フィン、早朝番を代わる話を聞いたのだが」
アレスのその言葉とほぼ同時にファバルが「じゃあ、先に休ませてもらうから」と言いながら椅子から立った。それへ、リーフもフィンも「おやすみ」と返す。
「申し訳ないんだが、早朝番、代わってもらえないだろうか」
「ああ、アーサーから聞いた。そのつもりだが」
「感謝する。そのうち、借りは返す」
「こんなもの、借りのうちに入らん」
「ありがとう」
ファバルはアレスに微笑んで、軽く手をあげると、談話室から出て行った。
そこで話がついてしまったので、アレスは食事をどこでとろうかと、周囲を軽く伺う。
それへリーフが
「アレス、ここで食べたらいいじゃないか。折角だし、たまには話でも」
と声をかける。
「話してる暇はない。さっさと食べて寝ないと、早朝起きられないだろう」
そういいつつもアレスは観念して、ファバルが座っていた椅子に腰かけた。
談話室は、ティータイムに使われることが多いため、ちょっとした食事くらいは出来る小さなテーブルがいくつも置いてある。実際、今リーフとフィンも、テーブルを囲んで温かい茶を飲んでいるようだった。
アレスは傍にあったもうひとつのテーブルに皿を置き、まずはパンと一口かじる。
と、フィンが咎めるようでもない声音で、アレスに向かって話し出した。
「ゆっくりな遠乗りだったようだね。一声かけて欲しかったが」
「申し訳ない。俺も、ゆっくりになるつもりはなかったんですけどね」
「いい。次から気をつけてくれれば。その代わり、明日はずっとこの城にいてくれるかな。ちょっと、手薄になりそうだから、アレスが間違いなくいてくれれば心強い」
「手薄に?」
「セリス様とオイフェが出かけることは知っているだろう?他に、城下町の者が数人ユングヴィ方面に荷を運ぶらしくて、そこにファバルが同行することになってね」
「ユングヴィに」
「ユングヴィ領内に僅かに入る、というだけで、実際にはユングヴィ城にすら行きはしないのだけれどね」
アレスは眉根を寄せて、それから、特に何も言葉にせずに肉団子をひとつ頬張った。
少しだけ話が見えたと思う。
どうしてそんな話がやってきたかはともかく、早朝番だったファバルは、ユングヴィ領を見たいと思ったのだろう。それぐらいはさすがに、アレスにだって理解が出来た。
反面、そんな個人的な感情で、一日であろうと解放軍と別働になることはどうなのかとも思う。
が、それを言えば誰にも断らずに勝手に長時間遠乗りをしてしまった自分は、薮蛇になるということにも彼は気付き、黙っていた。
「わたしも早朝番だから、そろそろ寝ないといけません」
フィンがそうリーフに言うと、リーフは
「フィンこそ、早朝番を代わってもらったほうが良い。なんなら、僕が代わってもいいのに。働きすぎだぞ」
「大丈夫ですよ、これぐらい。それに、リーフ様は明日の昼間、見張り台に立ってくださるのでしょう」
「そりゃそうだけど」
シアルフィ城の見張り台は2箇所にある。
二人組みで立つことになっているため、早朝番もアレスとフィンのほかにあと二人いるはずだった。
フィンとリーフの会話を聞き流しながらアレスは
(フィンと組まされたら、見張りどころじゃあなくなりそうだ)
と、苦々しく思う。
今は、ナンナのこと、アルテナのことと、フィンに対してあれこれ余計なことを口に出したくない。
何かにつけてナンナのことを考えてしまっている自覚に、いちいち苛立っている間は。
それがアレスの本音だ。だからといって自分から「フィンと組みたくない」と言うわけにはいかないが。
「・・・そういえば」
ふと気付いて、食事の手をアレスは止めた。
「明日は、リーンも一緒に行くのか。ファバルと」
「え?ファバルは一人で行くはずだけど」
彼の問いにはリーフが応え、「ね」といいたげにフィンを見る。苦々しい表情でフィンは少し考えてから言葉を出す。
「・・・リーンには、特に話していないのかもしれないな」
「特にっていうのは、あれか。ユングヴィに戻るとか戻らないとか」
「そういうことだ。ファバルの中でも、そういう話はまだ確定していないのだろうし。だから、余計足を運びたいんじゃないかな・・・勝手な推測だけれど」
「なるほど」
それは間違いではないような気がして、アレスはもうひとつ肉団子を頬張った。
そんな彼にリーフは呑気に――とアレスが感じるだけで、リーフ自身は呑気なわけではない――軽く
「さすがに、アレスもリーンのことは心配なんだな」
と言い放つ。
さすがに、とはどういう意味だ、と言おうとして、肉団子がうまく飲み込めずにアレスはむせた。
それを見ながらリーフはまた「何慌てているんだい」と苦笑を見せる。
咳き込みながらアレスは、「なるほど、この王子と一緒に育てば、ナンナもああ育つわけだ」と、いいがかりにも近いことを思っていたのだが、それは彼の胸のうちにしまわれた。


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モドル