恋人宣言-3-

「おはようございます」
「ああ、おはよう」
最悪だ。
アレスはいささか不機嫌そうな顔だったが、それは何も寝起きだからではない。
早朝番として彼が指示されて向かった見張り台には、既にフィンが居たからだ。
もちろん、それは誰かに謀られたとか、そういった類のことではない。そもそも早朝番は四人。アレスと組む相手がフィンになる確率だって別段低いわけではない。
それに、こういった時にフィンと組になったことが今までアレスにはないのだ。
そう思えば、今日このような状態になったのは全くの偶然でもあり、統計的には何の文句もつけようがないことだ。
だからといって何故今日に限って、という恨み言が一瞬心をよぎったのは確かだが。
「起きられたようだね」
「早起きは、そう苦手ではないんで」
月はぐんと傾いているけれど、空はまだ白んでいない。
けれども、夜中に木々の間で鳴いていた夜の鳥達の声は既になく、昼に生きる物と交替をする時間が迫っていることを感じ取らせる。
「風がない日ですね」
「ああ。物音が聞こえやすくて、助かる」
二人はしばらくの間、特に何を会話するわけでもなく己の職務に忠実に、周囲を監視していた。
長い間共に旅をしていた彼らは、今更、何をどうするとか、見張りという役割に関する説明をお互いに必要としない。
二人で同じ方角を向いていては見張りにならないため、基本的にはそれぞれ背を合わせた状態になり、二人で180度の視界を見渡す。もう一つの見張り台でも同じように、彼らとは逆の方角を見ているに違いない。
やがて、フィンはまだ暗い空を見上げてから軽く振り返り
「天気は、悪くなさそうだな」
とアレスに小さく笑みを見せた。
アレスは「それが何か」と言いそうになったものの、すぐさまフィンの真意に気が付いた。
セリスとオイフェのことはともかく、きっとフィンはファバルのことを心配したのだろう。
ユングヴィまで足を運ぶのに、あいにくの雨では苦労の割に様子もわからないに違いない。天気が良いことは、ファバルにとってきっと、この上もない幸いだ。
と、まるでそんな二人の思いを受けたかのように、城門が僅かに開くのが二人の視界に見えた。
門の見張りはこれはまた別に立っており、解放軍がアルヴィスを倒した後にも、もともとシアルフィ城にいた兵士が引き続き行っている。それは、城下町との接点として最も外界に近い場所だけに、シアルフィ城付近のことを良く知った者が担うほうが良い仕事であるからだ。
万が一にでもその兵士達が敵に寝返ったとしても、城門の動きは当然のように見張り台から見えるので、つまりは城門の兵士もまた見張られている立場だ。
城門を潜って入ってきたのは、二人ほど。
きっと、荷を城門の外に置いて、ファバルを迎えに着たのに違いない。彼らは城門からゆっくりと城に近づいていく。
暫くするとファバルらしき人影が城の出入り口付近に姿を現したが、アレスとフィンが立っている見張り台は、もともとその方角を見るのに適していない。
遠い場所は東西南までは見られるが、いささか北側の、しかも足下を見るには張り出した二階の一角が邪魔をする。
だから、ファバルや彼を迎えに来た人々の様子を次に確認出来たのは、相当城門に近い位置だった。
「ん?」
フィンが眉根を細めた。それは、ファバル以外にも誰かがその一群に加わった、と人数でわかったからだ。
人数をついつい数えてしまうのは、見張り台に上る人間にとっては当たり前のことで、ちらちらと肩越しで様子を伺っていたアレスも、逆側の見張りを放棄し、怪訝そうに人々を眺めた。
「・・・リーンが、いる」
アレスは驚きのため、叫ぶことも出来ずに間が抜けた声を出した。
フィンはそれに驚いて、目を細めて城門付近の一群を見、それから望遠鏡――とはいえ、それで見るにも適さない距離だったのだが――で確認をしようとした。
が、その時、ファバルの隣に立っていた小柄な人物が、ととっと軽い足取りで城門を抜けようとする。
明け方の湿った空気を嫌ってか、彼女はフードをかぶっていたけれど、そんなことではアレスは騙されない。
それは、リーンの動きだ。
「確かに、リーンだな」
「だろう?」
フィンは小さく息をついた。
「一声、かけて欲しいものだが・・・セリス様かオイフェあたりには言ったのかな」
そのフィンのつぶやきは当然のことだ。
眠る前に談話室で話していたように、明日――まあ、既に今日、になっているが――シアルフィ城は手薄だ。
不意の何かがあった時に、人数が少ない時に活躍するのは、実は踊り子であるリーンなのだ。
それを彼女は知らないわけでもないし、ファバルだってそうだ。少なくとも、ファバルはリーンを連れていくつもりなぞ、昨晩の時点ではなかったに違いない。
フィンは、リーンがついていくことは怒ってはいない。きっと、怒るとしたら、朝になって「誰にも告げていない」ということが発覚したら、だろう。
アレスの方は、フィンが考えているようなことと自分は無関係、とばかりに、ふっと口をついて人様のことを話し出した。
「さっきは・・・寝る前、談話室で。その時は特に言う必要もないと思ったが」
「うん?」
「リーンは、ファバルについていく覚悟が出来ている。多分」
アレスは彼にしては珍しく、そんなことを口にした。
リーンはアレスに口止めをしなかったけれど、だからと言ってアレスに言いふらされるのもありがたくないに違いない。
アレス自身も、相手がフィンでなければ、絶対に言わないだろうことを自分でわかっていた。そしてまた、フィンも。
「以前、リーンと少し話したことがあってね」
「・・・フィンが?リーンと?」
「ああ」
「なんで」
「リーンが、少しでも母親のことを知りたい、と言って。残念ながらわたしは、あまりリーンの母親のことも父親のことも知らなくて・・・いや、まったく知らないわけではないのだけれど、一緒にいた期間は短かったし・・・特にわたしが知っている、リーンの母親は、その当時違う男性に恋をしていたので、あまりリーンに話してあげられることもなかったんだ」
「へえ」
「その時に少し話しただけなんだが・・・あの子は、故郷らしい故郷のない、何にも縛られていない人間なのだね」
フィンはそういって穏やかな表情を見せた。アレスは眉間に皺を寄せてフィンの視線を受け、それからふいと周囲を見張るようにぐるりと見渡した。
「多分、そうなんだろうな。あえて言えば、ダーナの教会だとは言っていたが・・・弟のコープルほど、誰かに保護されてひとところにいた記憶なぞないと言っていた」
「きっと、彼女にとっては、今想いを寄せている男性の傍が、一番の拠り所なのだろう。
そんな会話をしている間に、ファバルとリーンを加えた一行は城門を通り、出かけていった。
彼らはきっと、生まれて初めてユングヴィ領地に足を運び、何かを感じることだろう。
もしかしたら、「なんだ、別にどうってことないな」とか「初めての土地だ。懐かしさとか感じるわけもないな」というような、薄情な気持ちになるかもしれない。
けれど、もしかしたらそれは本当はどうでもいいのかもしれない、とアレスは思った。
「そんなことは、いちいち言葉にするもんでもないけど、きっとそうなんだろうさ。血に縛られるより、俺にはリーンのそれの方が、ずっとずっと理解出来ますよ」
「そうなのかな?」
フィンはいささか不思議そうな表情でアレスを見た。
「・・・おかしいですか?」
「あ・・・いや。意外だな、と思って。話に聞くところによれば、アレスは、シグルド公子をエルトシャン王の仇だと思って、セリス王子のことを憎んでいたんだろう?」
「・・・ええ」
「それは、君が君に流れる血に対して、まっとうに向かい合っているからではないのかと思って」
「親の生死に関したことと、親が生きていた土地を自分の故郷として執着することは、違うと思いますけどね」
そのアレスの言葉に、一瞬フィンの表情が翳った。
が、フィンは自分の心の動きが表面に出たことに気付いたのか、すっと視線をはずし、まだ朝のこないシアルフィ領地を見渡すようにアレスに背を向けた。
言ってはいけないことを言ったのだろうか、とアレスは一瞬、フィンに声をかけようとした。
が、なんと言えば良いのか、これ以上何を深入りして話して良いものか、と考えあぐねてそれを止めた。
(最悪だ)
もう一度、見張り台に来た時と同じことを心の中で呟く。
(色々、言いたいことも聞きたいこともある。ナンナが心配していた、とか、アルテナとは、どうなってるんだ、とか。でも、そんなことはどいつもこいつも、そこらで女共が騒ぎ立ててるようなことと変わりがない。いざ口に出そうとすると、馬鹿馬鹿しかったり、むしろ、聞くべきことではなかったり。それに)
薮蛇になりそうだ、ともアレスは思う。
それは具体的に何がどう、と彼の頭に浮かんだわけではないけれど、なんとなく自分がフィンに追求される立場になりそうな気がして、そして、それはあまり今の彼にとっては歓迎出来ないことのような気がして、アレスは押し黙る。
それから暫くの間、二人は何も会話もせず、周辺の見張りを続けた。
空に朝の兆しが見えれば、そこから日が昇るまではあっという間だ。
早朝番はいつも、肌では朝に近づく空気を感じつつも、なかなかその空に現れるはずの兆しが見えずにもどかしくなる、とアレスは思う。
と、その時
「お疲れ様です」
聞きなれた可愛らしい声が背後からして、アレスとフィンは振り向いた。
見れば、トレイに茶を乗せてナンナが城の中から姿を現す。
ナンナは、それなりの姿に身支度は整えていたけれど、それは「寝間着ではなく、部屋着でもない」といった程度のものだ。
まだ朝を迎えていない肌寒さを凌ぐために、肩には腕を通すだけの簡易的な羽織物を乗せていた。
「どうしたんだい、ナンナ」
「ナンナ」
フィンがいることは知っていたようだったが、アレスを見てナンナは僅かに目を見開き、それから小さく微笑んだ。
様子を見れば、きっと起きたばかりだろうというのに、彼女は髪の乱れもない。
それは、とても彼女らしいとアレスは思ったが、起きぬけに関わらず身だしなみが整っているのは「見張り台にいるフィンのもとに行くから」なのかもしれない、とも思いつき、小さく息を吐いた。
そうではない。ナンナはそういう女の子ではない。それを知っているのに、そんな自虐的なことを考えてしまう自分。
(・・・なんだ、これは。ひねている。嫉んでいる。情けない)
アレスのそれらの感情のほとんどは、ナンナにとって理不尽なことに違いない。
「あら。アレスが一緒だったのね。お疲れ様」
「・・・ああ」
「あのね、リーンが起きてごそごそやってて、その物音でわたしも起きちゃったの」
「うん?リーンと同室だったかな?」
「いいえ。個室をいただいていたんだけど、隣の部屋でね・・・どうぞ。少し熱めに淹れて来たの。アレスも」
見張り台に立つと、寒い時期には体が冷える。
それゆえに、交替で暖を取れるように、小さな詰め所のようなものが設置されており、狭いながらも座ったり飲み食い出来るほどのスペースがある。
そこにトレイを置いて、ナンナはフィンとアレスにカップを手渡した。
「ありがたい。ナンナは寒くないかな?」
「ええ。大丈夫。はい、アレス」
「ああ・・・ありがとう」
「それでね、リーンから伝言を言付かってきて」
ナンナが何を託ってきたのかは、おおよそ二人には予想が出来ていた。
「うん。ファバルと、出かけたんだろう」
「見えていた?ファバルは、どこに出かけるのかはリーンに言ってなかったみたいなんだけど、薄々気付いていたみたいで・・・一応ね、引き止めたんだけど・・・リーンに言わなかったっていうことは、やっぱり・・・ついてきて欲しくなかったんじゃないかなあと思って・・・」
ナンナは少し困った表情でアレスを見た。が、それに返事をしたのはアレスではなくてフィンだ。
「そうだろうな。でなければ、リーンに黙っている必要もないだろうから・・・まあ、済んでしまったことは仕方がないし、ファバルも無下にしなかったんだろう、一緒に行ったっていうことは」
そう言うと、フィンはカップに口をつけて、ナンナが淹れて来た茶を飲んだ。
どうやらナンナが言うように相当に熱いようで、僅かに口に含んだ後、フィンは温度を冷ます為に軽く息を吹きかける。
その時、カップを持ったまま城の周辺をぐるりと見渡し、アレスがぶっきらぼうに言葉を発した。
「・・・リーンは、相手の気持ちを優先する人間だ」
「アレス」
「それなのにあいつが無理矢理ついていったならば、それはきっと間違いじゃない」
そう言いながらも、アレスはナンナを見ずに、周囲の様子を伺っている。
「そうなのかしら」
「リーンは、ファバルが思っているよりも余程早く覚悟が決まっていたんだろう。それをファバルが知らなかっただけだ。たとえ、あいつらが今付き合っていて、俺が知らないリーンのことをファバルが知ってても、ファバルがまだ知らないリーンのことを俺は知っているんだと思う」
僅かに、ナンナの表情が曇ったけれど、アレスはそれを見ていなかった。むしろ、ナンナを見ていたのはフィンの方だ。
いつもアレスはぶっきらぼうに自分の思いを口に出すけれど、それらが時折とても優しい言葉に聞こえることを、ナンナはよく知っている。
今の彼が発した言葉達は、解放軍に入る前から共にいたリーンへの、アレスからの愛情に満ちたものだ。
たとえ、アレス自身がそうとは思っていなくても。
「アレスがそう言うなら、そうなのかもしれないわね。二人のことは、二人にしかわからないだろうし、わたしの余計な詮索は無用だったわ」
ふっと息を吐きながら、ナンナは表情を緩和させた。その彼女の言葉じりが気になったか、アレスは慌ててちらりとナンナへ視線を送った。
「余計、とは言ってない。悪い意味にとるな」
「うん。わかってるのよ、本当に。そっか。リーンは、芯が強い人なのね、きっと」
「・・・」
お前も、そうだろう。
そう言おうとしたアレスは、フィンの存在に気を使って言葉を止めた。
何かを言おうとしたアレスの素振りに気付いたか気付かなかったか、ナンナは首を軽くかしげ
「じゃあ、わたし、もう一度ベッドに戻るわね。二人共、お役目大変でしょうけど、頑張って」
と明るく退出の言葉を告げた。
そんな義娘の可愛らしい仕草にフィンは目を細め、優しい笑みを向ける。
「ああ、そうするといい。おやすみ、ナンナ」
「おやすみなさい、お父様」
フィンは眠るわけではないのだが、形式的にナンナはそう言った。アレスももごもごと「おやすみ」と言い、それへナンナは「お先に失礼するわね」と軽く返して歩き出した。
と、その足が止まる。
「あっ、そういえば、アレス」
二人に見守られながら城の中に戻ろうとしたナンナは、突然思い出したように振り返った。
「なんだ」
「アルテナ様に、わたしのこと、何か言ったでしょう」
「ん?」
そう言われて、アレスはすぐには思い出せずに眉間に皺を寄せる。
フィンはアルテナの名にぴくりと反応したが、敢えてその会話に入らぬように背を向け、早朝番の任務に励むかのように周囲を見ている。実際には聞き耳をたてて、見張りに気が入っていないのかもしれないけれど、彼にも彼の体裁があるというものだ。
「えーと。あれか。馬」
いささか呑気にアレスは言ったが、ナンナからの返事は即答だ。
「そう」
「嫌か。アルテナに教えるのは」
フィンがいるというのにそういった言い回しでずばりと言い放つアレスに、ナンナは肩をすくめた。
「そんなわけないでしょう。ただ、どうしてわたしを勧めたのかなって思って。ほら、わたしは槍を使うわけじゃあないから、馬に乗ることはお教え出来ても、それ以上は適した先生にはならないわ。お父様のほうがよっぽど・・・」
「どうしてだと思う?」
「・・・気を、利かせてくれたの?アルテナ様と、その・・・仲良くなるのに」
「はずれ」
「えっ!違ったの!?」
ナンナは頬を紅潮させて、彼女にしては珍しい、少し頓狂な声をあげる。その様子を見て、アレスはくくっと喉で笑い、口端を緩ませた。
きっとナンナはアレスにそっと問い掛けたように、アルテナと自分の仲をアレスが心配して、取り持つために助言をしてくれたのだと思っていたのだろう。
が、確かに否定されたら否定されたで、ナンナ自身「アレスはそういった面倒なことに自分からあれこれ世話を焼く人間ではないから、やっぱり違うのか」という思いもなかったわけではないようだ。
「そうなのね。もしかしたら・・・って思ったんだけど、確かにそんなの、アレスらしくないものね」
「ふん、俺らしくないか」
たいそうな言い草だとアレスは思ったけれど、ナンナにそう言われることは別に嫌ではなかった。
彼を見上げるナンナは、「どうして自分を」という問いへの回答を待っている。アレスは、それを焦らす権利が自分にあるのだと思うと、人の悪い笑みをちらりと浮かべた。昨日の苛立ちもどこへやら、優位に立ったような気分なのか、ナンナの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「アルテナに聞けば、教えてくれるさ」
「そうなの?」
「ああ。そう、大した理由じゃないからな」
「じゃあ、今教えてくれたっていいじゃない?」
「フィンの前で、言いたくない」
そのアレスの言葉を聞いて、ナンナはぎゅっと唇を噛み締めた。
そうしなければ、息を呑む音を、近くにいるフィンに聞かれてしまうのではないか、と思ったからだ。
彼女は上目遣いの瞳でアレスに対して抗議をしている。意地悪。どうして、アルテナ様とお父様が関係しているみたいなことを、口に出すの。
いつもならば、そこで「悪かった」と両手をあげて譲歩するアレスだが、今日はどうもむくむくと意地悪な気持ちが首をもたげているようで、ナンナの非難の視線に降伏はしなかった。
やがて、観念したように
「・・・じゃ、アルテナ様に、聞くわ」
「そうしてくれ。早く戻らないと、風邪をひくぞ。それに、起きてからのお楽しみが増えただろ?」
「・・・」
「じゃあな」
「おやすみなさい」
いささか不満顔のままではあったが、ナンナは潔く引き下がって、見張り台から立ち去った。
アレスは彼女の背を見送りたいとも思ったが、そこまでうつつを抜かして良い状況ではないことを思い出す。
見張り台の手すりに手を置いて周囲を見渡すと、そろそろと空が白んで来る様子が見えた。
朝日を浴びる方角ではないから、やんわりとした光がシアルフィの自然を包んでいく。
ここまで明るくなってから、ナンナはもう一度眠れるのだろうか。
そんなことをふと思い、彼女が出て行った先をちらりと見やるアレス。
「君といるナンナは、案外とよくしゃべる」
不意にフィンのつぶやきが耳に飛び込んだ。
「・・・そうですか」
「少しばかり、親としてはねたましい気持ちもあるかな」
「はは。俺は親ってものはよく知らないですけどね・・・俺達ぐらいの年になれば、親ともそう話さないもんじゃないかな」
口をついて出たのは、社交辞令だ。しかし、自分が咄嗟に言ったその社交辞令は、案外とフィンを傷つける言葉になったのかもしれない、とアレスは心の中にちりっとした痛みを感じた。
フィンの言葉の真意はわからない。
彼が言うように父親としての妬みなのか、ナンナとアレスの関係に対する探りなのか、それとも。
もし、それが1人の男としての独占欲ならば、ナンナは喜ぶだろうか。
少しの間をおいて、アレスはわずかにうんざりしながらも更に社交辞令を言い放った。
「年が近い従兄弟だからかもしれないですね」
「デルムッドと話す方が、苦手そうな気がするな」
「兄弟は、近すぎる。俺もきっと、生き別れの兄弟なんぞに再会したら、男女関係なく話しづらいだろうな」
確かにな、と言って、フィンは小さく笑い声を上げる。
優しい声。
アレスは、フィンと自分の年令差がいくつなのかをよく知らない。
自分の父エルトシャンと同じほどの年令だったレンスターのキュアン王子に、若かりし見習い騎士だったフィンは仕えていたと聞いた。
それを思えば、フィンは父としては若く、そして、友人としては年上、つまるところ兄という存在に一番近いのかもしれない。
どちらにせよ、フィンのその優しい笑い声は、間違いなくアレスよりも遥かに大人の男が発する、落ち着きのある声だった。それは、異性でなくとも感じ取ることが出来る、圧倒的な何かだ。アレスが持ち得ないものを間違いなくフィンは持っている。そして、フィンが既に持たないものを、アレスは持っているに違いない。もちろん、今ここで話をしている当人達は、そんなことはちらりとも思ってもみないが。
アレスはフィンの声を聞いて、恥じた。
自分のちょっとした意地悪な気持ちなぞ、目の前にいる男から見ればそれはあんまりにもちっぽけで、どうしようもないことだ。ふっとその思いに駆られて、アレスは「あー」と所在ない声を出す。
彼はナンナに意地悪をしたつもりだったけれど、それは同時にフィンへの意地悪にもなってしまったような気がして
「さっきのは、嘘です」
と打ち明けた。
「何が?」
「フィンの前では、言いたくないって話」
「・・・そうか。うん。ちょっと、安心した」
「すみません。ナンナに、意地悪したくなって」
「それは、聞き捨てならないな」
そうは言っても、フィンの声音は穏やかだ。
アレスの意地悪は悪意がないだろうと決めてかかっているからだろう。
そんなフィンの態度にアレスはわずかに苛立ちを感じ、言わないでおこうと決めていた言葉をするりと放った。
「フィンのことで傷つく顔を俺に見せてもいいなんて、そんな信頼はちょっと苛立つんでね。つい」
「どういうことだい。意味が、ちょっとわかりかねる」
「誰の前でも、そういう顔はしない。ナンナは、よく出来た娘でしょう。あなたにとって」
口から出た言葉達が耳の奥で響き、自らを苛む。
きっとフィンは勘違いをするだろうと、言った瞬間にわかった。
俺の前でだけ、そういう顔をする。それはどことなく優越感を含んだ発言だ。
本当の問題はそれだけではないけれど、きっとフィンはアレスの優越感を感じ取るに違いない。
フィンは、あまり人の気持ちに敏感ではない。これ以上敏感になられても、彼は気苦労がもともと多い性質だからそれは困ることだとも思える。
けれども、時には汲み取って欲しくない気持ちも、フィンはふっと気づいてしまうのだ。
それがナンナの気持ちであれば、自分達の関係も変わっていたのだろう、とアレスが思いつくのは相当後のことであるが。
残念ながら、アレスの言葉を聞いたフィンは、何故かその言葉の奥に潜むアレスの声を聞き取ったように、アレスにとって予想外の返事をした。
「よく出来すぎている娘だよ。そうさせてしまったわたし自身の力で、もっとあの子を楽にさせてあげたいが・・・わたしのせいで彼女が傷つくことがあっても、それはわたしが回避出来ないことや助けられないことが多いのだろうと思う。長い時間供にいた関係で・・・相手のせいで何かしら心に傷がつくというのはそういうものだろう」
言葉を選びながらではあったが、あまりにも的確なそのフィンのつぶやきに、アレスは言葉を返せなかった。
どこまで、彼は知っているのだろうか。
いや、やはり、彼は何も知らないのかもしれない。
もしも彼がナンナの思いを知らずにそんな言葉をつむぎ出したのであれば、それはまさしく、フィンとナンナの2人の長い時間によって導き出された何か。
アレスが知ることが出来ない、父と娘、あるいは、思われてしまった男と思ってしまった女、お互いの時間が積み上げたもの。
勝てない。
勝てるわけがない。
(何に。フィンは、俺と勝負しているわけじゃあない)
そして、俺もフィンと勝負を。


しているのか。

真っ向勝負では勝てるはずもない――何せ、相手は長年共にいた間柄の上、ナンナ自身はフィンへの感情に嫌と言うほど自覚があるのだし――その相手に、自分はどうなろうと思っているのか。
(恋愛というもんは、病気だ。しかも、医者も薬もない)
ありきたりな言い回しをすれば、自分が陥っている病は恋愛だ。今まで無自覚のままナンナの傍にいたけれど、きっとこれからはそういうわけにはいかないのだろう、とアレスは覚悟を決めた。
彼は肩をすくめて、遠くの空を見た。気付けば、空の端が夜の色を失い始めている。
「そろそろ朝が来る」
お互いの背と背を向けながら、アレスはフィンの声を聞いた。
宙に浮いたままの会話は保留になったようで
「早朝番は、明るくなると気を緩めてしまいがちだな」
と、まるで何もなかったような言葉。そして、それに返すアレスの言葉も、まったく当たり前の受け答えだ。
「気をつけます。瞼に朝陽を感じる寸前が、一番気が緩む」
なんと適当なことを、とアレスは自嘲気味に口端を歪める。
その後、結局アレスが早朝番の間にフィンと話したことといったら、他にはセリスのこと、その父親であるシグルドのこと。この城のこと、今後の進軍のこと、それから・・・
なんにせよ、それ以上にアレスの心を逆撫でることは何もなかった。
セリスとその父についての話は実のところ、大分前に何度もフィンに話して貰っていたから、最早父エルトシャンのことを思って気持ちが乱れるようなことはない。
二人は朝の空気の中、建設的な会話を時折交えながら、その日の早朝番をつつがなく終えた。



早朝番を終えた人間は、大抵は午前中仮眠を取る。
フィンは立場上仮眠といっても一刻程度のたかだか知れてるほどしか体を休めない。
アレスはそんな彼に何の遠慮もなく、昼近くまで眠りについた。
とはいえ、彼も傭兵のはしくれ。
シアルフィは手薄だから、とフィンに言われたことを忘れれることなく、いつでも戦える状態で、靴すら履いたままで床に尻をつけてベッドにもたれて眠りについた。
慣れない人間がやれば、首や腰を傷めるか、逆に疲れてしまう体勢だ。けれど、そうやって眠ることで、部屋の外を行き交う人間の足取りは床を通して振動で伝わるし、完全には眠りにつかないため、目覚めの覚醒は早い。
一定以上長い時間やってしまうと、逆効果ではあるが。
昼頃起き出したアレスは、前日と同じように厨房に向かった。が、昼とはいえまだ食事の支度をしている時間だったようで、「もう少しよ」とラナに追い返されてしまう。
談話室に行くと、誰もそこにはいない。
が、それが逆にありがたい、とぽつんと一人で腰をかけ、アレスはぼんやりとしていた。
フィンと見張り台にいた時に、ファバルとリーンの話をした。
リーンは、好きな男と共にいることを「拠り所」にしているのだろうとフィンは言った。
では、ファバルは?
ファバルもまた、リーンが自分の横にいる、それが拠り所になるのだろうか。
それは、矛盾する事柄だ。
お互いがお互いの側にいる。それ自体はおかしくない。
では、寄り添いあって、なぜ「その場所」に二人はいるのか。そう問えば、答えはひとつだ。
ファバルは、ユングヴィの正当な継承者だから。
きっと、誰もがそう思っているのだろう。
もしかしたら、リーンも。
そして、それを当然だと思っている人間は、アレスがアグストリアに行き、ノディオン復興につとめることを当然だとも思うに違いない。
ナンナは、本当はどう思っているのだろうか。
(んなことは、本人に聞けばいいだけだ)
聞いて、どうする。
聞けばきっと「アレス自身は、どうするの?」と逆に問い返されてしまうに違いない。
「あー・・・」
女々しい。
まったく、こんなことをぐだぐだと悩んでいるのは男らしくない。
誰かに言えば逆に怒られそうな、そんなことを考えながら、アレスは談話室のテーブルに突っ伏した。きっと誰かがそれを見れば「アレスはどうしたんだ!」と驚くだろう。それほど、その行為は普段の彼からは想像もつかないものだ。
今頃、ファバルとリーンはどうしているだろうか。
リーンと共に過ごした時間は「長年」というには短い。
けれど、フィンとナンナが共に過ごした時間で裏打ちされているように、深くお互いに通じ合っているように、アレスとリーンもまた、どこか深い繋がりがある。それは、アレスもわかっているし、リーンもわかっている。


こうやってみると、とても長い旅をしているのね、あたし達


リーンとの会話が、ふっとアレスの脳裏に浮かんだ。
そうだ。人生においてその時間は短いだろうが、距離は長く、心が揺れ動いた幅も長く。


もし、アレスがノディオンに行けば、ユングヴィなら、まあまあ近いよね。でも、アレスがレンスターに戻ったら、ちょっと寂しいかな。


リーンは、ファバルについていく覚悟と共に、既にアレスのことを考えていたのだ。
そう思うと、それがとても嬉しくて、胸には小さな痛みと温かい気持ちが満ちていく。
そんな感覚は今まで味わったことがなかった。いや、味わっていても、感じとる力がアレスにはなかったのかもしれない。
自分の行く末を気にしてくれている人間がいても、それは自分には関係がないし、むしろ考えられたら迷惑だと思っていた。
けれど、今は。
(俺も、そこまでは馬鹿じゃない・・・馬鹿じゃないが・・・馬鹿なのかもしれんなあ・・・)


ナンナに、それを思って欲しくて、けれど、思ってもらえなくて。
それに苛立っていたから、リーンのその言葉が沁みたのだ。


自分が誰なのか、みたいな。そういうのを感じられるものは、他にないと思うから・・・ファバル自身が一番実感してるんじゃあないかと思う。


そうだ。
自分はミストルティンを手に持って振るう時に、それがあまりに自分に近しいものであることを感じて、ずっとずっと「こうだった」ものだと信頼をしている。
それは、己の血が呼び覚ます感覚だ。
そんなものすら感じ取るリーンは、やはり優れた踊り子なのかもしれない。
体の内側にある何かを外に放って、人の心を動かすリーン。
彼女は神器を受け継ぐ者でもないけれど、生まれ持ってのその力に対してきっと誰よりも素直に受け入れているに違いない。彼女にとっての神器は、武器ではなく、自分自身の才覚だ。
リーンは誰よりも己の血に忠実で、だからこそファバルがユングヴィに戻ることに気付き、覚悟を誰よりも先に決めたのかもしれない。それは、なんという強さなのだろうか。
(一緒にいたのに、今更にあいつの凄さを実感するなんてな)
そう思えば、それと同じことをナンナに期待をするのは間違っているのかもしれない。
いや。
「期待する俺が、馬鹿なんだ」
他の男を見ていた女に、何を期待出来るというんだ。
その言い草――実際には、心の中で思っただけのことだが――はいささか乱暴ではあったが、間違っては居ない。
ふと談話室の窓から外を見ると、遠くでアルテナが歩く姿が見えた。
(あ、やばい)
今は、見たくない。
そう思ってアレスは、再びテーブルに突っ伏した。
彼が見たくなかったのはアルテナではなく、アルテナに馬術を教えようと、今から共に厩に向かうナンナの姿だった。



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