恋人宣言-6-


「意地だけで、戦に出ようとするな」
ぶっきらぼうに言い放つアレスに対して、ナンナはむきにならずに、けれども強い気持ちのこもった声音で返した。
「・・・それも、わかっているわ。だから、軽傷だったんだけど、万が一を考えてラナにお願いしたの・・・ありがとう、ラナ。もう大丈夫。後は、影響ない程度だから」
「お気をつけて」
ラナは多くを言わず、ぺこりと頭を下げると城の玄関口の方へと回っていった。
馬を扱う人間のそばに纏わりついていると、迷惑がかかるということを彼女は知っているのだ。
ナンナもアレスに負けないほどに手早く馬具を着ける。
既に用意が終わっていたアレスは、そんなナンナの様子を見ていた。
鎧が、少し傷ついている。
それから、昨日彼が触れた髪が。
(切れて、いる)
それはきっと誰もが気付かない程度のもの。もし、切ったのがナンナ本人でなければ、彼女が鏡を見ても一瞬ではわからないかもしれない。
けれども、ナンナの髪の一部が切られていることは間違いなく、僅かな時間でアレスは見抜いていた。
昨日、自分が触れた場所。よく見なければわからないほどに、けれど、じっと見れば気付く程度には不自然に。
(切った・・・のか?)
アレスの胸の奥に苛立ちが生まれては、じわじわと彼の体の内部に広がっていく。
それを抑えるために、アレスは強く拳を握り締めた。そうでもしないと、その苛立ちは手足の爪先、頭のてっぺんからでも外に迸り出て、八つ当たりにも似た言葉を放ちそうだ。
(いや、そうじゃない。ナンナは他に傷を負っている。切られたのか。切れたのか)
そのどれかによって、まったく意味合いは変わってくるように思う。けれど、どれなのかをここで知っても、アレスの苛立ちが爆発する答えが返ってくるような気がした。
アレスは自分のその思いを口に出さずに、辛抱強くナンナの準備を待った。ほどなくして、ナンナも馬の手綱を引いて馬舎から出す。
「ありがとう。待ってくれて。もう、出られるわ」
「行くぞ。ついてこられるな?」
「アレスの荒い手綱捌き、わたしは結構知っている方だと思うわ」
「確かにな」
そのナンナの答えは、アレスの気に触るものではない。むしろ、普段ならば心地よいとすら思うものだ。
アレスがいつも荒く乗りこなしているわけではないということも、ナンナは知っているはずだ。
わかっていても、そう答える。
そのやりとりを心地よく感じる、そのやりとりが許されていると思う、その自分達の間柄。
それを、まだ彼らは言葉にすることが出来ない。
きっと、言葉にすることが出来るならば、こんなに苛立たなくても良いはずなのに。
アレスは、ナンナには気付かれないように深呼吸をひとつした。
それから彼は、ナンナを導くように先に馬を走らせる。ナンナもそれにぴったりとついていく。
そんな二人が城門を通って出て行く様子を、ラナは静かに遠くから見守っていた。


アレスとナンナが駆けつけた時、既に山賊との戦闘は始まっていた。
まずは、騎馬兵でもあり弓兵という特性を持つレスターの脇をアレスはすり抜け、自分達の到着を知らせる。
空にいるフィーとアルテナはとうに2人の到着を知っていたようだが、セリス達に伝えるには至らなかったようだ。
近くに城下町の市民が居合わせたのを、飛行部隊である2人は避難させていたらしい。
リーフとデルムッドの背後に飛び出てきた山賊を、横から走りこんできたアレスが薙ぎ払う。
セリスを援護しながら戦っているオイフェに、ナンナは癒しの杖の力を行使した。
「待ってたよ」
戦いの中でもさらりとそう言って笑うのはセリスだ。遅くなってごめんなさい、とはにかみながらナンナが言えば、フィンが山賊を蹴散らしながらも手早く戦況を説明する。
「陽動ではなさそうだ。城への心配はない。あまり指揮系統が機能している一団ではないから、ほどなく終わるだろう」
その彼の言葉に間違いはなく、実際に交戦した山賊達は一定の数になって敗戦の色を見るやいなや、ちりぢりになっていった。その逃げ足はなかなかのもので、付近の地理に長けていることが伺われた。
セリス達は数人の山賊を捕獲して話を聞いたものの埒があかず、これといった収穫らしい収穫がない。
山賊達は急に頭領に呼ばれてやってきたが、当の頭領は逃げ帰ってしまったという。
不明瞭な襲撃意図と普段の仕事の請負いかたなどから考え、グランベル側の様子見に使われた捨て駒なのだろう、と彼らは判断した。
何を今更、と言いたいところだが、小さな戦闘でもこういう形で回数を重ねられると、折角彼らに心を開いてくれたシアルフィの人々からの不信が膨らむ。
なんといっても、今回の相手は山賊であり、グランベル中枢からの差し金だと断定が出来ないのだし。
傭兵部隊を雇い出したということは、外部への依頼が他にもあると疑ってもおかしくない。
とりあえず山賊を蹴散らして一息ついた一行は、最初に城下町にいたセリス達を残してシアルフィ城へと戻ることにした。
「それにしても、どこにいってたんだ、2人ともさ。遅かったじゃあないか」
馬を走らせる前のゆったりした歩行の最中、レスターがそう言いながらアレスの隣りに馬を寄せてきた。
きっとそれは、前を歩くデルムッドも知りたいことなのだろうが、デルムッドはあえて聞かないのだろう。
そして、フィーが操るのが天馬ではなくて騎馬であれば、きっとそれを聞く役目だって、レスターではなくてフィーだったに違いない。
「デート?」
「シアルフィ城の、上の方にある・・・見張り台にもならない見張り台に」
それへはデルムッドが振り向いて「そういや、そんな場所もあったな」と返事をした。
聞かないふりをしたいわけではなかったのか、とアレスは心の中で苦笑をする。
アレスの逆隣りで足並みを揃えていたナンナは、アレスが「デート」を否定しないことも、2人で一緒にいたのかどうかを明言しないことに気付きつつも、何も言わない。
やがて、みなを率いる形でデルムッドの馬の歩みがわずかに速まる。
いつもはそんな風に加速をするような歩かせ方をしないのだが、彼がそうすることで言葉にしなくとも「あ、走るな」と皆には伝わった。
立場としてはアレスの方が上位かもしれないが、集団を率いる才覚は間違いなくデルムッドや、彼と並んでイザーク年長組だったレスターの方が優れている。
「城へ、戻るぞ!」
「おう!」
それを証拠に、デルムッドの一声でみな馬を走らせた。また、デルムッドの合図である腕の振りを見て、上空にいるアルテナとフィーも、彼らよりも先へ城に戻ろうと速度をあげた。
普段はあまり「自分が」と突出したがらないデルムッドではあるが、彼のこういう姿を見たときのナンナが嬉しそうなことを、アレスは知っている。
(阿呆だな、俺は)
他人に興味がない人間なのだと自分で信じていた今までの人生はなんだったんだ。
そんな大げさなことを考えながら、アレスは馬を走らせた。
ほとほと、呆れ果てた。自覚がなかった。
自分がこんなに、恋愛体質だったことに。


騎馬隊がシアルフィ城に戻ると、先に帰っていたアルテナとフィーが彼らを出迎え、城内に残っていた仲間に報告は終えてあることを伝えた。
彼らは各々の馬をねぎらいつつ馬舎に戻す。
レスターは「やば、俺夜番だから、夕食前に仮眠しないと」と慌ただしく走っていき、デルムッドはその後を追うように、ゆったりとした足取りで馬舎を去っていった。
「アレス」
「何」
「ありがとう」
みなが城内に戻っていく中、ナンナはアレスに声をかけた。
わかっていた。ナンナならば、きっと声をかけてくるだろうと。わかっていて、アレスは珍しくゆっくり片付けをしていたのだ。
「何に、礼を言ってる」
「出発前に・・・あれこれ、聞き出そうとしないで・・・それから、待ってくれて・・・う、うん、違う」
言葉を選ぼうと必死になっているその様子を、素直にアレスは可愛らしいと思う。
以前ならば、相手が言葉を選ぶ様子を見るのも苛立っていたけれど、その行為が実は大切なことなのだと知ったのは、彼にとってはつい最近のことだ。
今までの自分は、相手に伝えようという誠意が足りなかった。この軍での集団生活はそれをアレスに教えてくれたし、思い出せばいつもリーンに「言葉が足りない」やら「それじゃ他の人にはわからないわよ」と言われていたことも関係があると、今は彼にも理解出来る。
そして、不思議なことに、ナンナのその様子を待つことも、今はそう面倒くさいと思わなくなっている。
「違うわ。そうじゃない」
「だから、何が」
「怒らないでくれてありがとう」
アレスは一瞬目を見開き、それから小さく息を吐き出した。
もう、誰もいない――正確には馬達がいるのだが――馬舎の前で、まっすぐにアレスを見上げるナンナ。
なんと言えばいいのだろうか。
ふっとアレスは一度ナンナから視線を逸らして、それから彼女に数歩近づいた。
ナンナの方へとゆっくり差し出されるアレスの手。
「どこに、落としてきたんだ。昨日俺が触った場所は」
「え」
「それとも、切り捨てたいと思って切ったのか?」
昨晩と同じようにアレスがナンナの髪に触れると、昨晩とはうってかわって、ナンナは慌てて身を引いた。
「今日は、お許しをもらえないのか」
「ち、違っ・・・その・・・誰かに、見られたら恥ずかしいじゃない」
「二人きりならいいのか」
意地が悪いことを言っている。その自覚がアレスにはある。
ナンナは怒るかもしれない。そう思っていても、歯止めが利かなかった。
彼にとってどれほどの制御が必要だったのか、目の前の彼女はきっとこれっぽっちもわかっていないことだろう。
だから、少しだけの意地悪をしても自分は悪くない・・・アレスのそういう気持ちは少しばかり子供じみている。
しかし、ナンナもまた彼の意地の悪さをとうに知っており、彼が考えもしない言葉で彼の意地悪を跳ね退ける。
「・・・そう言ったら、アレスは軽蔑しないの?わたしを」
「軽蔑?」
「二人だけの時なら触っていいなんて・・・あなたにそんなことを言う権利がわたしにあると思うのは、傲慢さだわ」
「・・・」
強い視線。
それは、意地悪を通りこして、彼の言葉がナンナを傷つけたことを十二分に彼に伝えた。
アレスは僅かに肩を落として、容易に降参をした。
「・・・悪かった」
「謝らなくても、いい」
「でも、傲慢じゃない。ナンナには、俺にそう言う権利がある」
「・・・わたしに?権利?」
「まあ、それは、置いといて・・・で、どうしたって?何で、出発前にあんなあちこち怪我してたんだ?それを聞く権利は、俺にはないかな」
ナンナは、自分に話が戻ってきたことに一瞬で気付き、アレスに追求をすることもなくばつの悪そうな表情を見せた。
ここで「アレス、ずるい!」とムキになることも出来るはずだが、ナンナは素直にアレスの言葉に従って話題を戻す。
「闘技場に、行ってきたの」
「・・・は?」
「慎重に、ちょっとだけ、って決めていたんだけど・・・ああ、でも、ちゃんと数回は勝ったのよ。髪が切れちゃったのは試合中に気付いてたけど、それどころじゃなくて忘れていたわ」
そういってナンナは、髪が短くなった部分にそっと手をやった。彼女が間違いなくそこに触れたのを見て、確かに切られたことを試合中に気づいていたのだろうとアレスには伝わる。
「・・・闘技場に、お前が行く理由はないだろう。いつもなら」
「そうね」
何故、行った。
そう聞きたい気持ちはいっぱいあったけれど、アレスはそれを抑えようと唇を引き結んだ。
「・・・・あー」
「アレス?」
彼の唇から漏れた音は、何か苦しみを耐えるような声だ。ナンナは驚いて眉を寄せた。
が、次に彼が発した言葉は、苦しみを訴えたものではなかった。
いつも手綱を握っている手でアレスは自分の顔を覆い、軽く俯きながら横を向く。
「なんだ、俺は」
「アレス?」
「どっちが、俺らしい?」
そう言うと、覚悟を決めたようにアレスは手をどけて、ゆっくりと顔をあげた。
「え?」
「ナンナに、なんで闘技場に行ったのかって聞くのと、聞かないのと。どっちが、普段の俺らしい?」
そのアレスの質問があまりに突拍子がないものだったので、ナンナは珍しく口を半開きにしてぽかんとアレスを見上げた。
が、情けない質問をしたアレスの方は視線を逸らしていたので、ナンナのその表情を見ることが出来ない。
「どうして、そんなことを聞くの?」
「自分で、よくわからなくなってるからだ」
アレスは白状した。
情けないという思いはあったけれど、これ以上意地を張る必要もないと彼は心の中で白旗をあげたのだ。
言ってはみたものの、「普段の俺」とやらを気にすること自体、アレスにとっては異常事態だ。
そんな彼の心境をどこまで感づいているのか、ナンナはようやく唇を閉じ合わせると、未だ彼女の方を見ない従兄妹をじっとみつめる。
僅かな沈黙の時間。
どうやらアレスはナンナからの返事をただひたすら待っているようだった。
やがて、ナンナはそんな彼に穏やかに問い掛ける。
「アレスは、自分でどう思われたいの?」
「・・・俺が?」
「アレスは、わたしのことを心配してくれてる。闘技場に行った理由だって、きっと聞きたいと思ってくれてる。それを言わないのが自分らしいって思うのは、どうして?わたしを心配してる素振りを見せるのが、恥ずかしいの?人に関心がないように見せたいの?」
アレスは「ううん」と小さく唸ってから、考える素振りを見せた。
言いたくないこと、隠しておきたいことを、その本人に向けて発信することは息苦しいものだ。
ナンナからそれ以上の言葉がないことにようやく観念して、アレスは軽く両手をあげて降参をした。
「ナンナの行動にあれこれ首を突っ込みたくなって、普段の自分なら聞かないことまで聞き出そうとして、嫌われたくないからだ。そんな心配するぐらい、好きになっちまった」
嫌われたくない。
好きになった。
そんな告白をしみじみすることは、アレスにとっては初めてのことだ。
覚悟を決めてナンナを見れば、告白されたナンナはまたも唇を半開きにしてアレスを見上げるばかり。
ナンナの様子が思ったような反応ではないことに気付き、アレスはすぐに付け足した。
「・・・悪い。困ったなら、困ったって言ってくれ。多分・・・多分だけど、俺は、そうしつこくないと思うから」
きっとそこに第三者がいれば「いや、アレスは外に出さないだけで、かなりしつこい男だろ!」なんていう野次が飛んできそうな台詞だ。
けれど、その言葉を発している間中、アレスの心は痛み、大声で謝ってその場から駆け出したような衝動にすら駆られていた。
それをどうにか持ちこたえたのは、ナンナが彼からまったく視線を外さなかったからだ。
長時間真っ向から目を見られることなぞ、そうそうない。けれど、ナンナはいつどうやって目を逸らしていいのかを忘れたように、少しおどおどしながらもアレスと視線を合わせたままだ。
「そうじゃなくて・・・あの・・・困ったは、困った、んだけど」
「・・・困らせたか」
「違う。そういう風に困ったんじゃなくてね・・・先に、そんな告白されちゃうなんて、困ったわ」
そう言った途端、ナンナの頬はアレスが見てもわかるぐらいに突然紅潮し、それから周囲をちらりと伺った。
ようやく彼女が視線を外してくれたことに安堵して、アレスは息を軽くつく。
それと同時にナンナは言葉を続けた。
「わたし、お金を稼ごうと思って、闘技場に行ったの」
「金?どうしたんだ。剣でも壊れたのか。それとも」
「・・・違うの。アレスは、傭兵だったのよね?」
「?・・・ああ、そうだが」
ナンナが彼の過去、解放軍に入るまでの立場を口にしたことは、もしかしてこれがはじめてだったかもしれない。
そう思えるほどに、彼女がそれを言うことにアレスは違和感を感じた。
何故、こんな時にそんな話題になるのか、まったく彼には見当がつかない。
と、ついにナンナは軽い落胆の溜息をついて、白状し出した。
「アレスを雇えるぐらい、お金が欲しいなって思いついて」
「は!?」
彼女の発言にアレスは素っ頓狂な声をあげてしまった。けれど、誰が聞いていようと、それは仕方がないことだと言うに違いない。それほどまでに、ナンナの発言は予想を遥かに上回るものだった。


その日の夕食時、アレスとナンナの姿は見当たらなかった。そして、夕食を皆が食べ終えた頃、先日と同じように遅い夕食を手に、アレスは談話室に現れた。
「デルムッドは、いるか?」
見張り当番ではないことはわかっていた。そして、馬舎傍にも既にいなかったし、自室にもいない。
となれば、あとは談話室か他の誰かの部屋を回るしかない。
そう当たりをつけて、アレスは談話室にやってきて、入り口近くに座っていたスカサハに尋ねた。
が、スカサハは無言で後ろを向き、その方向を見ると談話室の奥でデルムッドと、リーンの弟であるコープルがボードゲームをしている姿が見えた。
その組み合わせに一瞬アレスは戸惑ったけれど、考えてみればデルムッドはアレスに比べて余程人当たり良く、ふと見た時にはいつも誰かが近くにいる。
その才ひとつとっても、ノディオンに戻るべき人間は本当はアレスではなくデルムッドではないかとすら思えるというものだ。
「ん?呼んだかい?」
「ああ」
「コープル、ごめん、ちょっとこのままで」
「あ、はい」
デルムッドはボードゲームの手を止めることをコープルに詫びた。それを特に気にもしないようにコープルは返事をすると、サイドテーブルに置いてあった書物に手を伸ばした。
「いい、そこで」
「うん?大した話じゃないのかな」
「そうだ」
アレスはトレイを持って、デルムッドに近づいた。
「なんだい?」
デルムッドはアレスが座るための椅子をひっぱって用意をした。
そして、大した話ではない、と言われたため気楽に尋ねれば、返されたアレスからの問い掛けは予想以上に「大した」ものだった。
「悪いんだが、先にノディオンに行ってくれないか?」
突然のそのアレスの発言に、デルムッドは数回瞬きをして、その場で立ち尽くす。
ここ数日の会話を思い返せば、その意味がわからないわけではない。
驚いているのはデルムッドではなく、聞いてしまった談話室にいるほかの者達だ。
ノディオン?先に?何が?
みなが口に出さなくても、心の中でそう呟いていることを、アレスもデルムッドもわかっていた。
デルムッドは場所を変えようとは提案しない。それは、彼には覚悟が既に決まっており、他の誰に聞かれても良いと既に思っていることを表している
「それは・・・聞いてるよ。君はレンスターにひとまず・・・」
「その後も。俺はナンナと、イード砂漠に行く」
「・・・!・・・」
デルムッドは、瞳を見開き、すぐ目の前までやってきたアレスに椅子を勧めることすら出来ない。
イード砂漠のことをアレスがナンナに聞いた時と同じくらい、デルムッドからすればその言葉は突拍子もないことだったのだろう。いや、ナンナの口から出たならばそこまでは思わない。アレスだからこそ、驚いたのだ。
「正気か」
「正気だ」
「君は、我々の母上のことを、そんなに・・・」
そこまで声に出してから、デルムッドは僅かに唇を開いたまま、まるで何かを飲み込んだかのように言葉を止めた。
デルムッドが続けたかった言葉をアレスは理解していて、先回りをする。
「残念ながら、俺は伯母上のことには詳しくないし、個人的にそう興味もない。冷たい男だと思われるだろうが」
「・・・そうだな。君が興味があるのは・・・おっと、すまない。下世話な男だと思わないで欲しいんだけど、つい、ね」
「・・・ナンナには、振られた」
「「「えっ!?」」」
アレスの言葉に、デルムッドばかりではなく聞き耳をそばだてていた人々は声をあげた。
むしろ、二人の一番近くにいたコープルは、聞いてはいけないことを聞かされてしまっている気がして、ぎゅっと唇を引き結んでいたのだが。
デルムッドは信じられない、という顔でアレスを見て、そしてようやく
「と、とにかく・・・座って、夕食を食べたらどうかな?」
と、椅子を勧める。
アレスも「ああ」と小さく呟き、ボードゲームの邪魔にならないように、もうひとつ近くにあったサイドテーブルにトレイを置いた。
コープルに「悪いな」と軽く言えば、姉の気性とまったく異なる物静かな少年は、「気にしないでください」と微笑を浮かべた。


さて、遡ること二刻ほど前。
馬舎の前で長話をしているときっとセリス達が戻ってくるだろう、ということでアレスとナンナはまたも場所を移した。
といっても厨房では夕食の支度が始まり、城の一階では人々がひっきりなしに行き交っている。
まだ「夜ではない」という言い訳をしつつ、アレスはナンナを自分の部屋に招いた。
それは「この時間ならばまだ、夜、男の誘いに応じる女だと思われなくて済む」という体裁をナンナに提供し、また、周囲を気にせずに話を出来る場をも提供することとなった。
何より、「アレスは、1日幾らなの?」なんて意味のことをナンナが今にも口走りそうな様子を見て、「こんなところを誰かに見られたら」と彼は内心焦った。そんなことになっては、たまったものではない。どんなに気持ちが通じ合っている仲間でさえ、不名誉な噂というものはたつし、その種の噂は最も早く広まるものだ。
話を早くはっきりさせたい気持ちはあったものの、だからといってあの場で話を続ける勇気もアレスにはなかった。
それについては、誰に謗られても「俺はいくじなしで結構だ」とアレスは断言するだろう。
もちろん、彼のその態度はまったくもって意気地なしとは正反対ものだが。
一時身を寄せるだけの城では、誰の部屋に行っても生活の匂いはしない。
アレスの部屋はそうだったし、きっとナンナの部屋もそうなのだろう。
彼らはその身分のおかげで一部屋ずつあてがわれてはいたけれど、時には他の仲間達と相部屋になったり、床に皆で毛布ひとつで横になるだけの砦で過ごすこともある。
それを考えれば、こうやって落ち着いて話せる場所があってありがたいと思える。
「闘技場、一人で行ったのか」
「ええ」
誰に、言えるわけがない。
きっとナンナが闘技場に行くなんて言えば、周囲はその理由を問うに違いない。
それに対していちいち誤魔化さなければいけないと考えれば、言わない方が余程良い。
お金が欲しいと言えばその理由を問われるし、自らの腕を知りたいと嘘をつけば、それは闘技場でなくてもいいだろうと言われる。かといって、軍資金のためと言えば、折角彼女が稼いだ金は彼女の物にならない。武器の修理代にと言っても、それはたかだかしれていて、今彼女が焦って金を稼ぐ理由にはしづらい。
アレスとナンナは、小振りながら窮屈ではない一人用のソファに座って向かい合った。
部屋に招いたからといって、わざわざ茶を飲みながら話すような内容ではないことは、お互いわかっている。
早速アレスは本題に入った。
「俺を、買おうとしたのか?お前には、傭兵である俺が必要なのか?」
アレスは少し怒っている。そして、それをナンナは知っている。いや、もともとこの話をすれば、アレスの機嫌を損ねることはナンナ自身薄々勘付いてもいたに違いない。
「俺が一日幾らで雇われるかはともかく、何故だ」
あからさまにむっつりとしてアレスは聞く。最早、どう振舞うのが自分らしいとか、そんな体面を取り繕う気なぞ彼にはない。むしろ、聞かないほうが不自然なほど、ナンナは突拍子もないことを言い出したのだし。
彼のその苛立ちを当然のものを受け止め、ナンナは答えた。
「どこから話せばいいのかしら・・・あのね、わたしと一緒に、イード砂漠に行ってもらいたくて」
どうせ、言わなければいけなかったことだ、と観念したように、ナンナの口調は静かだ。
腹を括ったのか、おどおどとしたところもなければ、アレスの顔色を伺う素振りも無い。
そんなナンナへ、アレスはもう一度苛立ちに任せて質問を返した。
「だから、何故だって言ってるんだ。ああ、イード砂漠に行く理由ではなくて。なんで、そこで金が必要になる」
イード砂漠に一緒に。
そのナンナの思いなぞ、アレスを雇いたい意志をナンナが見せた時に、とっくに看破していた。
だからこそ、今更のそのことに苛立って、感情を抑えきれなくて。
「どうして、そんな形で、俺と取引しようとするんだ」
アレスは、僅かであったが声を荒げた。
彼は、自分が発した声のトーンに自分で驚き、こめかみにそっと手をあてた。気付けば、自分はソファから身を乗り出そうとしている。
「悪い。威圧的に、なりたいわけじゃないんだ」
前のめりだったアレスは思い切ってソファに体重をかけた。軽くぽふんと空気が圧される音がかすかにナンナにも届く。
「なんでそう、お姫様は、俺を振り回すんだ?」
何故、なんで、どうして。
アレスからそれらの言葉を投げつけられていたナンナは、ようやくゆっくり唇を開いた。
「・・・イード砂漠に一緒に行って、ってお願いしたら、アレスはきっとわたしの我侭を聞いてくれると思ったの。それは、わたしの思い上がり?」
「・・・」
「アレスがわたしの髪に触れるのは、気まぐれ?なんとなく?」
その呟きには答えたほうが良いのかどうなのか、アレスは判断が一瞬出来なかった。
彼が戸惑うほど、ナンナのその言葉は少しずつ熱を帯び、その強い視線が訴えようとしている感情が、軽はずみなものではないことを訴えている。
「わたしが、アレスに髪を触れられるのが嫌じゃないのは、なんとなくじゃあないわ。それはきっと、アレスがわたしの頭を撫でた理由と一緒だし、アレスがわたしといるとよく話すっていう理由とも一緒だし、わたしもアレスの側にいるときによく話すのと、きっと同じ理由だと・・・そうだといいなってわたしも思っていたの。勝手に」
「・・・!」
アレスは、ゆっくりとソファから身を起こし、二人を隔てるローテーブルに肘を置いた。
それは、紛れもないナンナからの告白だ。
本当はお互いにとっくにわかっている。彼らの周囲が、彼らが既に恋人同士ではないかと思うほどに、アレスとナンナの気持ちは近しい。
けれども、お互いが「そう」であることをナンナが口にしたのは、これが初めてのことだった。
たとえ、アレスのように「好き」と直接言葉に出さなくても。
「だからって、その思い上がりに乗じて、一緒にイード砂漠まで行って、なんて簡単に言えない。わたし、アレスへの気持ちは本気だから、少しでも疑われたくない。ただでさえわたし、お父様のことをあれだけ好きで・・・あれだけ好きだった自分をアレスに見られているんですもの。それに、わたしにはまだ、アレスとの関係が変わるためのきっかけとか・・・ずっと引きずってたお父様への気持ちの区切りが足りなくて、それも欲しかったの」
「・・・ナンナ」
ナンナの目線が動く。その視線の先にはアレスの手があり、その手が静かにナンナに向かって来る様子を彼女は静かに見て、そしてその手が自分の髪に触れると同時に、彼女は瞳を伏せた。アレスの手は、彼女に許しを得たのだ。
「疑われたくないのよ。アレスに我侭を言うために、力を貸してもらうために、わたしがこうやってあなたの手を受け入れるって。そんな取引のために、傲慢にあなたの手を受け入れてるなんて、思って欲しくないの」
瞳を閉じたまま、自分の髪に触れるアレスの手に、そっとナンナは自分の手を重ねた。
「思うわけが、ない」
「それも、信じてた。でも」
「・・・えらい武装だな」
アレスは、左手をローテーブルについて身を乗り出した。
「取引だと思われたくなくて、わざわざ別の取引材料を考えたってわけか」
「そんな大層なものじゃないわ」
ナンナの言葉を聞きつつ、アレスの指は彼女の髪と髪の間にするりと入っていく。
それはまるで、彼女が静かに思い続けていた心の奥底を探り当てるように、何度も優しく。
彼女はそれを止めないけれど、決してどこまでもを許しているわけではない。それは、彼女の許しを得ずに彼女の心を暴けぬように。
「もしアレスがわたしに手を差し伸べてくれなくても。イード砂漠には一緒に行かないって突っぱねても」
そんなことは、あるはずがない。
そう言おうとしてアレスは黙った。
いや、多分自分はナンナが思うように、必要だと思えば彼女の手を振り払うことも辞さない人間なのだと思う。人はそれを冷たいだとか厳しいだとか言うかもしれないが、自分にはそういうやり方でしか人に接することが出来ない。それを彼は重々承知している。
だから、ナンナのその懸念を、真っ向から否定することは出来ない。
「そのお金で、本気であなたを雇おうと思ってるわけじゃないの。言ったでしょ。ただ、欲しかったの。自分へのきっかけとか区切りが。それに、内緒で貯めたらアレスも驚くかしらって、ちょっとだけわくわくしてたんだから」
ナンナは少し唇を尖らせて、自分の髪をかきわけるアレスの手をとり、そっと離した。
自分の思いを疑われたくない。でも、嫌われてもいい。
それはなんという強さなのだろうか、とアレスはナンナを見つめた。
疑われたくない、理解されたいと簡単に口に出すのは、他者への押し付けの自己愛だ。それでも、ナンナはそのために今の自分が思いつく限りのことをしようとした。
多分、短絡だとナンナもわかっている。わかっていても、何かをせずにはいられなかったのだろう。
ナンナに離されたアレスの手は、次は許可もなく彼女の頬に触れた。
彼がやろうとしている次の行為に気づいたナンナは
「駄目」
「・・・嫌なのか?」
「恋人同士じゃないもの」
「・・・なるほど」
潔くアレスは手を離し、再びソファに体をうずめ、わずかに頭をのけぞらせて顔を片手で覆った。
彼が不貞腐れている姿を手放しで見せるのはナンナにだけなのだが、彼はそれには気づいていない。
「はー・・・お姫様は面倒だ」
「アレスは、言わないのね。『じゃあ、恋人になろう』って」
「同じだろ。こんなタイミングで恋人になろうって言ったら、今度は俺がナンナに疑われる」
「ふふっ」
「でも、俺は本当は、そんなのは疑われたっていいんだ。ナンナと違ってさ。だから・・・」
だから、言ってしまおうか。
顔を覆った指の間から垣間見えたアレスのその表情に気付き、ナンナは苦笑いを浮かべた。
困ったようなその笑みすら可愛らしいと思う自分は、末期症状だとアレスは愕然とした。
意識しなければ、よかった。そうすれば、こんな駄目な自分を知らずに済んだし、いちいちナンナを心配することも、ナンナを可愛らしいと感じるたびに敗北感に苛まされることもなかったのに。
たとえ、ナンナがアレスのことを同じように恋愛感情で見ていてくれるのだとしても――それはもう、間違いのない事実だろうが――それでも、この「まいったな」というアレスの実感を拭い去ることは出来ないのだろう。
振り回されっぱなしだ、とアレスは深く息を吐いた。
ナンナ本人は、まったくアレスを振り回そうなんていう気で行動しているわけではないというのに。
(ミイラ獲りがミイラに、ではなくて、なんというんだっけな、これは)
あるのかないのかわからない、喩えの言葉を探してしまうほど、アレスは色々と「やられて」いるようだった。


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モドル