恋人宣言-8-

セリス達解放軍がイザークから出立して、既に一年以上。長くもあり、短くもある戦の日々をようやく終えることとなった。
シアルフィ城を後にしてからは、ゆったりとした時間を持つこともままならないままだったが、それは戦いを終えてももちろんのこと。
戦というものは、勝てばいいものではない。
後世において真にその功績が称えられるのは戦の勝敗ではなく、戦後のまつりごとその他残処理であることがほとんどだ。
グランベル王になることが決定したセリスに、グランベル中枢のことを「はい、お任せします」で彼らは解散をするわけにはいかない。
もちろん、だからといって解放軍に所属した者、全員が全員がその場に残って力を貸し続けるわけにはいかない。
特に、イザークに出立しなければいけないシャナン達は、グランベルとの今後の協定についての細かい話のほとんどをオイフェに託して初めに離脱をした。
事実、イザークの現況をセリスもオイフェもよくわかっていたし、グランベル側のことも多少なりと把握していたため、仲介者としてはその二人がいれば事足りたのだ。
その際、セリスとオイフェはもとより、イザークから共に歩んできたラナとデルムッド、そしてレスターとは道をたがえることとなり、シャナンはごく少人数で帰路につくこととなった。
その現実を目の当たりにした人々は、「本当にその時が来たのだ」と実感し、喜びと悲しみがないまぜになった複雑な心境に陥ったものだ。
グランベルにゆかりがあってそのまま残る者やその恋人達、グランベルから更に西へと移動をする者――それの代表はデルムッドやレスターだったが――それらの者達とは一線を画している、レンスターを母国とする者達が、ついに別れを告げる時がきた。
「それでは、我々は明朝出発することにいたします」
リーフ、フィン、ナンナ、アルテナ、リーフの恋人であるティニー、そしてデルムッドとアレスは、別れの挨拶をするためセリスのもとへと訪れた。
とはいえ、実際デルムッドはまだグランベルに留まり、まつりごとを手伝った上でノディオンに行くつもりなのだが。
「とりたてて、何も餞別になるようなものをあげられなくて申し訳ありません」
「こちらこそ、自国への思いに焦り、中途な状態でお暇することをお許しいただき、心底頭の下がる思いです」
既に、セリスもリーフもこの戦いを通して、まだ成長途中の若きその肩に一国を担う覚悟が出来ている。
王子という身分のリーフは、立場上セリスよりも位が上ではあったが、気持ちではセリスを対等のものと思っているし、親の親交を抜いても親友と呼べる仲になった。
一国の復興をめざし、身分ではなく立場が同じ(とリーフは思っている)同年代であるセリスがグランベルでがんばるならば、自分も一日も早くレンスターで復興に着手しなければとリーフには焦る気持ちもあった。
それを鑑みて、時期尚早であれどレンスターへ戻ろうと提案をしたのは、リーフではなくフィンだ。そして、彼の提案に反対する者は誰もいなかった。
一人一人にセリスはねぎらいの言葉――彼としては、自分はそんな大層な身分ではないと思っているようだが――をかけ、短い時間であるが別れを惜しんだ。セリスの側にはオイフェがついているが、彼は分をわきまえて口を挟まない。
「じゃあ、アレス王子はひとまずはデルムッドにノディオンを任せるんですね」
「ああ。むしろ、俺が行くよりはデルムッドに任せたほうがいいだろう。俺はどうも、あまり人当たりがよくないようだし、父親への期待と同じほど期待を寄せられても、苛立って全部放り投げてしまうかもしれない」
それへデルムッドは苦笑をしながら
「とりあえず、アレスが種蒔きを出来るように、耕しておくよ」
と、そうおもしろくもない喩えを口にした。それへはリーフも苦笑をして付け加える。
「アレスが種を蒔いても、きっと水やりはデルムッドの役目になると思うんだけど」
そんなことはない、と誰も言わないことに対して、アレスはさほど気分を害したわけでもなく
「かもしれないな。多分、デルムッドと俺では、得手不得手が違うのだろうし。俺は人々を鼓舞するよう性質でもない。が、デルムッドやデルムッドを支持するものにある程度ノディオンが任せられるようになれば、ノディオンのみならずアグストリア全体のために動き出すことが出来るだろう。俺はまだまつりごとには詳しくもない。暫くはレンスターでリーフやフィンの動向を見つつ、俺なりに少しは考えてみるさ。もし、その間にデルムッドがどうにもならないことになれば、いつでも助けに行くつもりだが」
その言葉にデルムッドはもちろんのこと、リーフやフィン、アルテナも驚き、アレスに視線が集中した。が、彼はそれを気にする風でもなく、セリスとの会話を続ける。
「そう言ってもらえると、頼もしい。あなたがアグストリア再建に取り掛かってくだされば、父上達が果たせなかった夢を実現出来るでしょう。手を取り合って、この世界を導いて行きたいのです」
「それは、俺とて同じだ。セリス王」
アレスは珍しく、わきまえを持ってあるべき地位の人間として振舞った発言をした。
「俺は、父の遺志を継ぎ、アグストリアを再建する。そのために、デルムッドにも、レンスターではリーフ王子達にも世話をかけることになるだろう。そして、これは俺の我侭でもあるが、ナンナと共にイード砂漠へいずれ赴き、伯母上にあたるラケシス姫の行方を探したい。俺の母や伯母上の行方なり末路を正しく知ることは、新しいノディオンを創り上げる際にノディオンの民にとっても俺たちにとっても必要なことではないかと思うし」
セリス、アレス、リーフの三人は、自分達の父親同士が深く交流をしていたことを知っている。
この解放軍での旅で、親のように仲良く、と簡単にはいかなかったけれど、彼らの間にそれなりの絆が生まれたことは事実だ。
アレスのこの発言で、フィンとオイフェは軽く視線を合わせ、口には出さなくともそのことを実感し、喜び合う。
「ティニーは、リーフ王子と共に行くんだね?」
「はい。兄にフリージを任せることになりますが、兄にはフィーさんがいらっしゃいますから心配はしていません。これから、レンスターのことを覚えるのは大変そうですけど、ナンナ様やアルテナ様に助けてもらいながら勉強していくつもりです」
「ふふ、ナンナは姉や妹が出来たようで、これからが賑やかになるね」
そのセリスの言葉にナンナは小さく笑った。
「レンスターにとって、お二人はとても大きな力になっていただけると思っています。わたしがレンスターに思い残すことがなくなり、いつかアグストリアに行くためにも・・・わたしが言うのはおこがましいのですが、お二人のお力を貸していただけると幸いです」
リーフとフィンの表情が僅かに翳る。それをアレスだけではなく、皆、見逃さなかった。
リーフにとってはナンナは幼馴染と呼べる仲であったし、フィンは彼女の義父だ。その複雑な心境は、誰にでも容易に予想出来る。
デルムッドは困ったように
「わかっていても、あれですね。女性の方が強いものなのだなあと時々思うもんです」
と肩を竦めて言うと、リーフは自嘲気味に笑った。
「当たり前だよね。ティニーが僕と一緒にレンスターに行くことに承知してくれた時・・・その決断をティニーが下したことに、尊敬したんだ。だけど、考えれば逆に・・・ナンナのように僕の側から去る決断をする人だっているんだもんね。身勝手だけど、それは寂しいと思ってしまうな」
「リーフ様。すぐにレンスターを離れるわけではありませんよ。まだまだ先のことですし・・・」
ナンナは慌てて補足をしようとしたが、アレスがそれを制した。
「いい。今から覚悟させておかないと、男は未練がましいものだからな」
「うわっ!なんかアレスに言われるとイラっとくるぞ」
「当たり前だ。イラっとさせたんだから」
リーフとアレスのやりとりは、年が近い親しい者同士のそれだ。その様子を見て、フィンが笑みを浮かべながら言葉を発した。
「アレス王子がレンスターに留まっている間にでも、セリス王に是非とも一度くらいレンスターに来ていただきたいものですね。三人が三人とも国の自治を始めれば、そういう機会も減ることでしょうし」
「そうですね。レンスターが変わっていく姿を、この目で見ることが出来れば自分にも良い刺激になるでしょう」
「楽しみにしております」
それからセリスはアルテナに声をかけ、オイフェから何かないか、とお伺いをたてる。長くなるから、と一度は断ったオイフェであったが、彼は彼の立場で思うところもあり、結局ほんの一言ずつではあったが感謝の意を述べ、それぞれへ言葉を贈ることとなった。
この人数で話を始めてしまえば時間がかかるのはわかっていたことだが、ようやく「お別れの挨拶」が終わったのは、ゆうに一刻を過ぎた後だ。
「では、ゆっくり休んで、明朝」
部屋を退出して、リーフがそう言えば皆頷く。
デルムッドも、アーサーと共に明朝は見送るつもりだと言う。
体調を崩さぬようにというフィンのお小言を最後に、おやすみの挨拶をした彼らは、通路で各々の部屋に向かって別れた。
荷造りはみな終えているが、中にはまだ挨拶を済ませていない相手がいる者もいるだろう。
「アレス、ごめんなさい。あの」
部屋に戻ろうとしたアレスに、ナンナが声をかけてきた。
「うん」
「ちょっとだけ、今から、あなたの部屋に行ってもいいかしら?」
「ああ、別に・・・」
「先に、行ってて。わたし、一度部屋に戻るから」
「?・・・わかった」
「すぐ、行くから」
そう言うと、ナンナは珍しく通路を走って、自分があてがわれている部屋へと向かって行った。
部屋は同じ方向だというのに、何を慌てて部屋に戻るのやら、と思いつつ、アレスは心持ゆったりとした歩調で自室に向った。


アレスが部屋に戻ると、ナンナが言ったように確かにすぐに彼女はやってきた。彼は当然のように椅子を勧めたが、ナンナは座らない。
「ナンナ?」
「アレス、これ」
「うん?」
「あなたを雇うのに、これで、足りるのかしら」
「!」
扉を背にして、ナンナは大量の貨幣が入っている袋をアレスに差し出した。
とりあえず受け取ったアレスは、その重さに驚き、袋の中身を見て更に驚いた。
それは、闘技場で稼いだにしてはいささか、いや、予想以上に多い金額が入っていることが一目瞭然だったからだ。
「どうしたんだ、ナンナ、こんなに」
「誤解しないでね。闘技場でしか、稼いでないの。でも、あの・・・その、わたしって、あまり・・・戦い向きには、見えない・・・んでしょう?」
「え?あ、まあ、な」
何の話だ?とアレスは眉根を寄せる。金の話をしているのに、何故ナンナの「見た目」の話になるのか、彼はまったくぴんとこなかったからだ。
「それなのに、その、闘技場で勝ち抜いちゃったからね・・・なんか、知らないけど闘技場の掛け金とは別に、わたしで賭けをしていた人たちがいたみたいで。声をかけられて・・・首飾りとか、耳飾りをいただいたのね」
「それは・・・」
「なんか、お礼を言われてね・・・どこの誰かもわからない人だし、持っていても気持ち悪いから、それも売ったの」
「・・・あー・・・」
聞いた事がある、とアレスは苦笑いをした。
どの地方の闘技場なのかは把握していなかったが、闘技場と出場闘士との間の掛け金のみならず、裏で個人で賭けを取り仕切っている者が時々いるのだと彼は聞いた事があった。
余談だが、もしも彼がオイフェと闘技場の話をすれば、シグルド軍に所属していたホリンという人物の話を聞くことも出来たはずだ。
闘技場で戦っていたホリンも、「どう考えてもこんな巨漢に勝てないだろう」と思われるような挑戦者との勝負の後、見ず知らず――と思っているのはホリンの方だけで、相手は闘技場の常連の中の常連なのだろう――の人間に「儲けさせてもらったから」と、金塊を受け取ったこともあったという。それが、彼らの親の世代のみならず、今でもまだ続いているということらしい。
「そうしたら、びっくりするような値で売れちゃって・・・」
「へえ。俺が知らなかっただけで、ナンナは金儲けの才能があるのかな」
「そんなわけないでしょう。もう、茶化さないで」
「はは」
アレスは笑って、ナンナから受け取ったその袋を、ナンナに勧めた椅子の上に置いた。
「で?これで十分だ、って俺が言ったらどうする?」
「・・・んー」
十分も何も、アレスはそもそも以前自分自身にいかほどの値をつけたことがあったのかすら、あまりよく覚えていない。
彼は日々の生活が出来ればそれで良いと思っていたし、実際にイード砂漠に行くことになれば一体それが何日間かかるのかは、誰もわかりやしない。
ナンナも本当は知っているのだ。
彼とイード砂漠に行くために、彼を雇うのに必要な金額など、すべての行程が終わってからしかわからないのだと。
それでも。
「たくさん、考えたの。お父様を好きだと思う気持ちと、アレスを好きだと思う気持ちは、どれぐらい違いがあるのかな、とか。人を好きになることとか、好きだった気持ちが変わっていくってこととか、色々と」
「・・・」
「お父様を好きだったあの頃の気持ちと、今お父様を思う気持ちは違うの。違うってことはわかるんだけど、その、気持ちの・・・種類って言ったらいいのかしら?間違いなく変わってきたその『何か』が一体何なのかは、よくわからなくて・・・変わったっていうのも・・・アルテナ様がいるせいなのか、アレスがいるせいなのか、その気持ちだけじゃなくてわたしっていう人間そのものが変わったのか、よくわからない。でも、わからないままでもそれは良いのかもってようやく思えるようになった」
ナンナはまっすぐアレスを見上げて笑顔を見せた。
それは、何か心に決めたような晴々としたもので、それだけでアレスに期待を持たせるほどの明るいものだ。
「観念したわ。もう逃げ回らない。でも、それはお金が貯まったからじゃないわ」
「じゃあ、なぜだ?」
「お金が貯まるまでの時間で考えたことが、実はあまり役立ってないって気づいたから」
「・・・本末転倒だ」
金を稼ごうとナンナは思いついたのは、アレスのこと、フィンのこと、その他諸々のことを考える時間が欲しくて、自分に猶予を作るための言い訳だったはずだ。けれど、そのために作った時間で彼女が考えたことは、役立っていないという。
アレスは苦笑いのままそう言ったけれど、それは心底馬鹿にした言葉ではない。多分、彼はそうなることもそれなりにわかっていたのだろう。
「そうでもない。わたしには収穫だったの。わたしがアレスのことを好きだってことも、お父様を好きだったってことも、そのことだけは変わらないんだってわかったから。さっき言ったみたいに・・・何かが変わったと思うし、この先も変わっていっちゃうのかもしれない。でも、気持ちって、時には真中に何か芯のようなものがあって、その部分が揺るがない間柄というのはきっとあるのね」
その気持ちが形を変えても。
たとえば、フィンに対する愛情が本当の父娘としての愛情に近づいただけだとしても、アレスに対する愛情が、秘密を共有する間柄を経て、そんなものがなくても揺るがない愛情に変化しても。
「アレス、わたしを、あなたの恋人にしてくれる?」
「ここで恋人になっても、いつかお前がいうように・・・何か形が変わって、ただの友人なんてものになったら、いくらお前が俺を好きと言っても俺にとっては台無しだ」
「それは、お互いの努力次第ってことでしょ?」
「お前、他に俺にどんな努力をしろっていうんだ」
「アレスが、もっと我侭言ってもいいって、わたしのことを甘やかしたんでしょ」
「・・・なんて、傲慢な告白だ!」
そう言いながらも、アレスは怒ってはいない。
異性への告白のときめきや、告白されたときめきなどというものは、既に彼ら二人の関係にはあまり意味がない。
ナンナの告白は、他者に自分達が恋人同士だと公言してもいい、というそれだけの許可だ。
そして、それによって変わるのは彼ら二人ではなく、彼らを取り巻く環境だと二人はわかっている。
アレスはナンナに覆い被さるように、ゆっくりと唇を重ねた。
扉に背をつけてもたれかかり、ナンナはそれを受け入れる。
そっと唇を離すと、至近距離でナンナの瞳を覗きこみながらアレスはきっぱりと言い放った。
「途中で、やっぱりフィンの方が好き、とか言っても、逃げ道作らないからな」
「そうはならないと思うけど・・・もしそんな時が万が一にでも来たら、逃げ道は自分で作るわ」
「なんだ、その強気は」
「これだって、アレスが悪いのよ。いつまでも、わたしのことを試すようなことを言うから」
「・・・仕方ないだろう。どれだけナンナが、本当にフィンのことを好きだったのか、俺は知ってるんだから」
そう言って、アレスはこつんと額をナンナの頭に当てた。
ナンナはそんなアレスの首に腕を回し、困ったような笑みを浮かべた。
「そうよ。わたし、とてもとても、お父様のことが好きだったわ。ずっとずっと近くにいて、いつまでたっても一人の女の子として見て貰えなくて毎日悲しかったけれど、それでも好きな気持ちは消えなかった」
「・・・」
「そんな気持ちを知ってるわたしが、あなたに告白したのよ。あなたに選ばれたいと思ってるの」
「・・・それは、すごい説得力だな」
本当に甘えているのは、自分の方かもしれない。アレスはそう思ったが、男女というものはおおよそそういうものかもしれないな、と自分に都合の良いことを考えつつ、ナンナに髪に触れた。
「それにしても、闘技場で勝ち抜いたか。それも、驚きだ」
「わたしも自分で驚いてるわ。すごく・・・わたし、頑張ったんだから」
「・・・伸びたな。どこが、あの日切られた場所なのか、わからなくなっている」
そう言うと、アレスはナンナの髪に顔を埋めて、彼女の頭を優しく抱きしめた。
「アレス」
「ん?」
「答えは、髪じゃなくて、もう一度唇に頂戴」
「我侭なだけじゃなくて、なかなかに積極的なお姫様だ」
やはり、恋人でなければ、自分達はそもそもおかしいのだ、とアレスは小さく溜息をついた。
その溜息は幸せから生まれる吐息であり、その吐息が溢れた唇は更に幸せを彼にもたらす。
「本当は、わたしが貪欲な女だって、誰が言ったんだっけ」
「また、俺のせいか」
だが、それは確かなのだろうとアレスは思う。
フィンをそっと思って、陰で泣きながら報われない片恋をしていたナンナに、お前はそうではない、強くて、貪欲で、もっと我侭を言って良い女だと彼女の心の蓋を開けたのはアレスだ。
それに導かれてここに立っているナンナは、アレスからの愛情を受け入れる気持ちもあれば、自分の愛情をアレスに注ぐ心積もりもある、覚悟を決めた強い女性なのだ。
「仕方がない。責任をとるか」
アレスは、ナンナの背を扉に押し当てたまま、もう一度口付けようと顔を近づけた。
少しだけ唇を開いて、ゆっくりと瞳を伏せるナンナは僅かに顎をあげて彼を受け入れる。
もう、何度口付けたのか。そして、何度目で、自分達は恋人になったのか。それすらわからなくなりそうなほど、当たり前に重なる唇と、当たり前に感じるお互いの体温。
どれほど、自分達は近しい関係になったのだろう、とアレスはゆっくりと唇を話した。
(長く待ったような気がするが、本当はとても短かった。俺とナンナがこうなるまでは)
引き寄せられたのは、多分自分のほうだ、とアレスは思う。
「ありがとう、アレス」
彼の腕の中でそう言って微笑んでナンナは、目の端に涙を浮かべていた。
「嬉しくて、泣けることがあるのね」
「そうだな。俺も、泣きそうだ」
「・・・アレスの泣き顔。見てみたいな」
「それはさすがに聞けない我侭だ」
そのアレスの返しに、ナンナは「ふふっ」と可愛らしい声をあげて、涙を見せたままで笑った。



朝陽が僅かにその光を大地に届かせる頃、グランベルから発つ一同は、予想よりもずっと多い人数の見送りに驚いていた。
シャナン達がイザークへと戻る時にも確かにみな早起きはしていたが、その時はまだ戦後の残処理がいささか残っていたため、どうしても早起きする体力のないものも多かったのだ。
それを思えば、彼らがこの地を離れることに、あまり申し訳なさがらなくてもいいほど、戦後のごたごたが収まって来ているのだと判断しても良いと言えよう。
「兄様」
別れを惜しんでいる人々の中、ナンナはデルムッドに声をかけた。
「うん?」
「兄様、わがままを聞いてくださって、ありがとうございます」
「今更、何を。それに、わがままを言ってるのは・・・ナンナじゃなくて、そっちの」
といってデルムッドは笑う。
ナンナの背後に立っていたアレスは、口をへの字に曲げて
「悔しいが、言い返せない。俺としてはナンナの我侭に付き合うという形なんだが、デルムッドからすれば、それは俺の我侭なんだろう」
「そういうことだ」
アグストリアのこと、ノディオンのこと、自分達の今後のことを話すようになって、アレスとデルムッドは以前に比べてかなり親密な関係になった。とはいえ、それはデルムッドがそもそも穏やかな気性だからであり、アレスはそれに感謝しなければいけないほど、相変わらずの人当たりだ。
ナンナも内心「わたしより、アレスの方が兄様と仲良くなってる気がする・・・」と、少しだけ妬ましい気持ちもあるようだが、同性の友情に無理矢理割って入ることが無粋であることは理解している。
「後を頼む、というのは本当に勝手な話だが、期待しているぞ」
アレスがそう言えば、デルムッドは苦笑を返す。
「セリス様のご厚情に預かり、しばらくはグランベルで共に修行の身だ。セリス様と一緒にイザークでは多少帝王学を学んでいたが、まったく知らない土地で直ぐに、というのは難しいし。セリス様が正式に王位についた後にでも、アグストリアに対して書状でノディオン王家についての通達を出してくださることになっている」
「なんだ、そういう話ももうしてるのか」
「そこまで決まらないうちに君たちを見送ることになるのは、俺にとってはかなり厳しい状況だからな。オイフェもあれこれ提案してくれたし、まあ、レンスターに行ってしまう親戚より、近くの幼馴染を頼るさ」
デルムッドのその言葉はおよそ冗談であったが、いくらかは本気も含まれている。そして、アレスもナンナもそれに怒る筋合いはまったくない。むしろ彼らは、ノディオンがグランベル領に近いことを考慮した上でデルムッド一人の肩に荷を負わせるのだし。
「君のお父上がお亡くなりになった顛末についても、バーハラの乱についても、様様な過去への認識がこれから変えられていく。それをうまく使いながら、少しずつやっていくよ。だから、アレスも」
「ああ。レンスターで、リーフ王子のご学友とやらの立場になりながら、あれこれ勉強してみるさ」
リーフは一時期逃亡生活を長くしていたし、トラキアとの小競り合いも多く、王子として学ぶべきことをすべて学んでいるわけではない、とフィンは彼らに話した。また、アルテナは神器の継承者であるが国の継承はリーフに任せたいと申し出た。結果、レンスターに戻ってからリーフは一国の最高責任者になると共に、そのために学ぶべき学問を1から勉強し直さなければいけない。
一応アレスは読み書きには困るほどではないので、リーフに付き合いながら必要であることを吸収しようというわけだ。そして、ナンナは、アルテナやティニーに国のことを教えつつ彼女達の補助に回れば、その経験はノディオンに向かった時にきっと役立つだろう。
後は、イード砂漠での探索が短く済むことを祈るばかりだ。
「レンスターまでの道のりは長い。くれぐれも、気をつけて行くんだぞ」
デルムッドはナンンにそう言って、ぽん、と軽く肩を叩いた。
彼のその兄らしい様子がナンナはうれしいのか、少しばかり照れくさそうな表情を見せて「はい」と返事をする。
「あの、兄様、それで」
「うん?」
話が終わったと勝手に思っていたデルムッドは、驚いたようにぴくりと眉を動かした。
アレスは何もせず、ただナンナの後ろに控えているだけだし、他の面々も最後の別れの言葉を掛け合っている。
思いのほか多い人数が彼らを見送りに出てきてくれたことが、ナンナにとっては幸いになったようだ。
「これを」
「何?」
ナンナは、両手に余るほどの大きさの布袋を差し出した。
動かした時に聞こえた音で、その中には何が入っているのか、見なくともデルムッドは気づく。
むしろ彼は、一体それをナンナはさっきまでどこに隠していたんだ、と、そんなどうでも良いことに気を取られた。
「何だ、一体」
受け取ったその袋はずっしりと重く、キチキチと音を立てる。
わかっている。中身は、銀貨などの貨幣に違いないのだ。
「何も兄様の力になることが出来ないので・・・せめて、これだけでも。もちろん、それは兄様がお困りになっているとか、そういう風に思っているわけではなくて・・・どれほどあっても、これから足りないことになると思うので」
形ばかりではあったが、デルムッドは袋の口を縛っている紐をほどき、中を覗いた。
大方の予想通り、その中にはさまざまな貨幣がつまっている。それに紛れてちらほらと宝飾品も混じっているのを、デルムッドは見つけた。
「なんだ、なんだ、金はわかっていたが、これは」
赤い宝石だ、と思ってずるりと袋から出せば、それはあまり趣味が良いとは言えない首飾りだった。
「それは・・・えっと、闘技場で、見知らぬ方から頂いたんですけれど・・・お返し出来なくて・・・他に頂いたものは売れたのですが、それは値がはるから買い取れないと言われて」
「なんだって?」
「デルムッドの妹君は、どうやら男性からお声をかけられやすいようだ」
アレスがそう言って茶化すと、ナンナは「もう!」と軽く怒ったように振り返る。
「ナンナからの、餞別だ。受け取ってやってくれ」
「ううむ、本当なら、俺の方が」
「申し訳なさがることはない。もう、いらなくなった金だ。俺たちは慣れた場所に戻る身で、デルムッドほどの苦労は当分ないだろうと思うし」
「いらなくなった?」
「察しろ。ナンナが俺を買う為に貯めた金だが、俺はただ働きすることに決めていたんでな」
そのアレスの言葉で、デルムッドは一瞬ぽかんと口を開け、ナンナを見て、アレスを見て、そしてもう一度ナンナを見る。
その時ちょうど リーフが、「出発するぞ!」と声を大きくかけた。それを合図に、アレスもナンナも騎乗する。
見送りの人々が皆一斉に一歩二歩下がり、レンスターに戻る一行を静かに見つめた。
「それでは、セリス王、解放軍のみなさん、長き間、共に戦い、勝利を掌中に収めることが出来たこと、まことに嬉しく思います。またいづれ、お会い出来ることを願って、我らはレンスターに向かいます」
「くれぐれも、道中お気をつけて。ティニーもね」
「はい、ありがとうございます。兄様のことを、よろしくお願いしますね」
馬を操ることが出来ないティニーは、リーフの馬に乗せてもらっていて、慣れない彼女のことを慮って、いつもよりはゆっくりとした旅にすることが決まっていた。恥ずかしそうに小さく笑みを見せるティニーは、見送りに来たアーサーに最後に小さく手を振った。また、リーフもそれに合わせ、アーサーに一礼をする。
アーサーは軽く手をひらひらと振ると、彼らが出かけるよりも先に城内に戻ろうと背を向けた。
見送りは、きっと彼の性に合わないのだろう。
リーフ達のそのやり取りの後、先導することになっていたフィンが一声あげて、真っ先に馬を走らせた。
空には彼らを見守るようにアルテナがドラゴンに乗って悠々と飛んで行く。
本当に、別れの時が来たのだ。
ながきに渡って共に戦ってきた仲間達が、それぞれの道を歩き出すための別れが。
フィンの馬の蹄の音があっさりと遠のき、そのことが残された彼らの背を押した。
「じゃあ、俺たちも行く。世話になったな」
「では、兄様。また、お会いいたしましょう。皆様、ありがとうございます」
アレスとナンナも同時にデルムッドに頭を下げて、それからナンナは他の人々にももう一度頭を下げて、ついに出発をした。
またな、と本当ならば声をかけるべきデルムッドは、一瞬言葉を飲み込んだ。彼は、そこでようやく二人が何故自分に金を渡したのかを気付いたのだ。
「・・・あー・・・あ、ああ、そういうことか!ナンナ、ついにアレスに・・・」
仲良く並んで走る後姿はみるみるうちに遠ざかり、砂煙だけを残して彼らの視界からあっという間に消えてしまう。
既にある程度距離が離れていたため、デルムッドのその声は蹄の音にはかき消されなかった。
「デルムッドさん?」
早起きをして見送りに来たファバルとリーンは、デルムッドが何を叫んだのかと不思議そうに彼を見る。
その視線に気付いて、デルムッドは肩を竦めた。
「あ、いや、なんでもない」
自分の口から皆に言うのも、いささかおかど違いではないかとデルムッドは考え、彼が気付いた「そのこと」は言わずに黙ってしまう。
「・・・ずるいなあ、あいつら。勝手に人を焦らして、勝手にくっついて・・・しかも、みんなに言わずに行ってしまうなんて、本当にずるい。恋人になりました、って一言くらい・・・」
貰ったものは仕方がない、と金がたんまり入った袋を担ぐデルムッド。
自分の妹が稼いだ金を、どんな風に正しく使おうか。
そう思ったけれど、その用途は初めから決まっているのだ。
「・・・式だけは、ノディオンで挙げてもらわないと」
先走りすぎだ、と思っていても、この金はナンナの花嫁衣裳に使いたいものだ、と彼は心の中で呟いた。
それまで持ち歩かなければいけないのが、正直憂鬱ではあるが。
なんにせよ、二人の婚礼を挙げられる程度には、ノディオンが平和にならなければ意味がない。
今更ながら、可愛らしくもさりげなく強気な妹と、マイペースな義弟になる予定の男に振り回されている、と思う。
やっぱり本当は自分はただの貧乏くじなのかもしれない、とデルムッドは肩を落とした。
「あの二人は、ノディオン王家の血を濃く引き過ぎているな。なんであんなにあいつら似た者同士なんだ」
見送っていた仲間達がみな城に戻る中、デルムッドは彼らが走っていった先をまだ見つめていた。
その視界をどんどん朝の陽射しが満たしていき、一日の始まりを彼の体の中にまでも伝えるようにすら感じる。
彼らの行く先にも、自分がこれから進む先にも、その光がいつでも満ちますように。
そんな感傷的なことを願いつつ、デルムッドもようやく背を向け歩き出すのだった。



Fin

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