異国での祝福-1-


もうすぐ春が来るはずのシレジアで、先日ジャムカとエーディンの婚礼が行われた。
城下町の教会で式を挙げ、ラーナ王妃達はもとより、城下町の人々にも祝福をされ、そして彼らを城に招きいれての大きな宴が開かれた。一国の王子の婚礼と考えればそれは小規模なものだったかもしれないが、今の彼らの立場−他国にかくまってもらい、多少の稼ぎはあっても結果的には養ってもらっているという−としては派手と言えるものだった。
が、そこには、ジャムカとエーディンの要望だけではなく、「折角のことだから、憂鬱な冬でも楽しくなるような結婚式に」とラーナ王妃の口添えもあってのことだ。
もともとレックスは、幸せな花婿と花嫁を見て、感動するという柄ではない・・・と、彼自身が思っていた。
よかったな、おめでとう、と、祝福の気持ちはあるけれど、それ以上のものを感じることは、過去に参列した婚礼の場ではなかったし、そういうものだと思い込んでいた。
そこにいる主役達のそれまでの人生だとか、この先の人生だとか。
今祝福されている二人の気持ちだとか。
男は、そんなものを思い描いてそうそう心が揺れるものではないと彼は思っていたし、事実、今までがそうだった。
けれども、参列者で賑わうその会場で、自分の愛する女性に花嫁が告げた言葉は彼の胸を打ち、そして、目の前の主役達を見れば感情がぐらりと動いた。
「みなさんに祝福されることがこんなにも嬉しいものだなんて。予想をしていたけれどそれ以上の幸せをいただいた気がします」
はにかんだエーディンの笑顔。それへ、レックスが愛するアイラもまた、笑顔で返答をした。
「愛する者と共に生きることを第三者に認められるということは、自分達だけでは得ることができない幸せなのだろう。わたしもまた、皆からその幸せをもらっているから、エーディンが言うことは、わかると思う」
その言葉に、隣にいたレックスは驚き、動揺した。
が、花嫁とアイラはそれに気づかないように微笑み合い、アイラが改めて「おめでとう、お幸せに」とエーディンへ手を差し出し、エーディンもまた「ありがとうございます」とその手に自分の手を重ねる。
その姿をみつめる花婿ジャムカの温かな視線の奥に潜んでいる、複雑な心境もレックスは知っていた。
だからこそ。
エーディンとアイラが交わしたその会話は、レックスの心に突き刺さり、そして。
この幸せな新郎新婦が、末永く幸せでありますように、と、彼は生まれて初めて人の婚礼で、深く深く祈った。


その日−エーディンとジャムカの結婚式から10日ほどたった頃だったか−レックスはベッドの縁に腰掛け、鏡台に向かって髪を梳かしているアイラの背中を見つめながら言った。
「アイラ、ちょっと話があるんだけど、いいかな・・・髪、梳いた後で全然構わないから急がなくてもいいんだけどさ。今から、剣の練習やらなにやら、特にあるわけじゃないだろう?」
彼は、彼女の答えを求めているだろうと誰にでもわかる言葉をアイラに投げかけたが、アイラの方は、まるでそれを聞いていなかったかのように、違う話を返す。
「レックス。この前の。エーディンはとても美しかったな」
「ん?あ、ああ」
一瞬何のことかと戸惑ったが、それが婚礼の時のことだとさすがにすぐにレックスは気づいて、曖昧な合槌を返した。一体何をアイラは言い出したんだ?という気持ちが彼の胸中に広がる。
「エーディンが婚礼の時に着ていたドレスは、グランベル式のものか?」
「ああ、そうだな。グランベルやアグストリアでは、白いドレスを着るな。イザークは違うんだろう?」
「違う」
かたり、と櫛を鏡台の引き出しにしまって、アイラは立ち上がった。綺麗に梳かれた黒い長髪が、彼女の動きに従ってかすかに揺れる。
普段、女の髪を見て「綺麗だ」と思うことなんてそうそうなかったな、とレックスは思う。
グランベルでは珍しい、艶やかな黒い長髪。アイラがそれに手を自分でいれるようになったのは、最近のことだ。
ゆっくりとした足取りでアイラはレックスに近付く。
レックスは腰かけているため、アイラを見上げるような形になる。が、アイラの様子がおかしい。いつもならば何も気にせずに彼をわずかに見下ろすように視線を送るはずだ。それなのに、アイラは更に首を傾げて、下から見あげるレックスでも気付くほどに首をすくめたようにあごをひいている。
それが、アイラにとっては照れ臭さと戦っている様子なのだと、次の言葉でようやくレックスは気付いた。
「・・・レックス、わたしが、あのようなグランベル風の、白いドレスを着るのは、おかしいだろうか。この前の、婚礼の儀で着たドレスも、そのう、少しばかり不似合いではないかと思っていたのだが」
レックスは、何度かまばたきをしてアイラを見つめた。
しまった、先に越された・・・そういう気持ちがちらりと蠢いたけれど、彼は慌てずに小さく笑みを浮かべる。
・・・それって、それって、俺と結婚式挙げたいってことか?俺と結婚するってことか?
以前ならば、そんな風に喜び勇んでアイラの手を握ったり、思いが通じたことに舞い上がっていただろう。けれど、少しだけ大人になり、そして、アイラと共に生活を過ごした彼は、お互いの気持ちの確信を既に手にしていたため、穏やかに彼女の問い掛けについて考えることが出来た。
ラーナ王妃に言われて城にやってきた仕立て屋は、アイラとブリギッドに「適当にやってくれ」という情けない注文を受けた。彼女たちの前に注文をしたラケシスは、生地を自分で選び、デザインを選び、なおかつ、そのドレスに合うケープを注文し、その長さまでを自分で決めた。しかし、それを真似をしようとしても、アイラもブリギッドも「なんのことやら」という様子で、生地を選ぶことすら出来なかったのだ。
そんな状態での曖昧な注文だったが、相手はやはりその道のプロフェッショナルなのだろう。
仕立て屋が作り上げたアイラのドレスは、光沢があるネイビーブルーのマーメイドタイプのものだった。
色素の濃い髪の人間に、濃い色のドレスでは暗くないのだろうか?とレックスは少しばかり仕立て屋を疑ったが、アイラが身につけた姿をみた瞬間、前言撤回(口に出してはいないけれど)、おそれいったと思ったものだ。
また、同じような曖昧な注文をしたブリギッドには、深みのあるテラコッタ色のタイトドレスで、スリットが入ったサイドには薄手の布がプリーツ状にはいであり、足は見えないけれど非常に足捌きの良いものだった。こちらも相当に彼女には似合っており、デューなどは「まるで貴族のお姫様みたいだよ、ブリギッドさん!」と微妙な失言をしたものだが。
後日ラーナ王妃にちょっとばかり聞くと−そういうことを話題にするあたりが、やはりレックスもそれ相応の家柄で育った人間だと伺える−その仕立て屋は、シレジアの外から来た人間らしい。
シレジア人だけを相手に生業をしていれば、シレジアの人間の肌の色、髪の色、目の色にあう服を作るだけなのだろうが、他国を放浪してからシレジアに腰を落ち着けたので、様様な国の人間が集まっているシグルド軍にはうってつけの仕立て屋だと思って派遣したらしい。
あの仕立て屋に頼みたいものだ、とレックスは思いつつ、アイラに返事をした。
「アイラは知らないかもしれないが」
「うん」
「エーディンの結婚式の時、出席者にまじっていた、シレジア風のドレスを身に纏ったイザークの王女の姿を見て、その女性に惚れ直した男が少なくとも三人いる。そいつらは、きっと白いドレスを着たその人を見たら、またまた惚れ直すだろうさ」
「・・・三人?」
「ああ」
心当たりがないな・・・とアイラはくすりと小さく笑って、レックスの隣に腰をおろした。
「ホリンと、俺と」
「うん」
「シャナンさ」
あはは、とアイラは笑い声と共に体を動かした。みしりとベッドが音を立てる。
本気で言ってるのに、とレックスは心の中で呟くけれど、明るく笑う彼女の姿をそのまま見ていたくて、それを口には出さなかった。
「似合うさ。俺が保証する。心配しなくちゃいけないのは、アイラじゃなくて俺のほうだ」
「そうか?レックスは白い服も似合うと思うけれど」
白い服「も」か・・・。
そこは特にアイラには何も言わず、心の中だけでにやにやしよう、とレックスは思う。
「そうじゃない。服じゃなくてさ」
「うん?」
「これ以上アイラに惚れ直すと、どうなることやら」
そう言ってレックスはアイラを見た。くくく、とアイラは笑って、少しばかり幼い表情をレックスに見せた。
「じゃあ、白いドレスを着る機会を、なくそうか?」
「いや。どうなるかわからないから、是非、見せてくれ」
そう言ってレックスは、隣に坐っているアイラの肩を抱いて引き寄せた。それから、彼女の顔を覗き込んで、一番大事な言葉を口にした。
言おう言おうと思って、ようやく決心がついた言葉。
「アイラ、俺と、結婚してくれ」
これだけは、アイラに先を越されてはいけないと思い、多少唐突ではあったがレックスは無理矢理会話にねじ込むように、それでも、ゆっくりと力強い声でアイラに告げた。
お互いの気持ちはわかっている。それでも、何かの形に枠にはまるときには、言葉に出しての確認が必要に決まっている。
言われたアイラもまた、レックスと同じように、彼の気持ち、自分の気持ちへの確信が既にあったに間違いない。
そうでなければ、こんな会話を出来るはずなぞないのだ。
「・・・わたしで良いのか、レックス」
「お前がいい。お前はどうなんだ、アイラ。・・・今更だけど、お前は、俺で本当にいいのか」
レックスは、緊張と同時に冷静な部分も持ち合わせているらしく、不思議なものだ、と心の中で呟いた。
あれだけ心の中でお互いの気持ちをわかりあっているつもりだったのに、言葉にすればそれは驚くほどもろく、心もとないものに変化していくなんて。
そして、自分が口にしたことへの返事を、こんなにも鼓動を高鳴らせて待たなければいけないとは・・・。
レックスはアイラを見つめた。
肩をレックスに抱かれながら、アイラは顔をあげ、彼をじっと見据える。
笑顔はない。そこにあるのは、人の気持ちを真剣に受け止めて、それに対して真剣に返そうとしている生真面目なアイラの姿だ。
「レックス。お前以外の誰が、わたしのことを知ってくれるのだ」
「・・・」
「誰よりもわたしを知ってくれるお前の伴侶になれないとしたら、わたしは途方にくれるだろう」
「アイラ・・・」
なんという幸せな言葉だろうか、とレックスは胸の内にじん、と広がる感覚に眉根を寄せた。
せつなさと喜びがないまぜになり、彼はそれ以上の言葉を返せずにアイラを見つめるだけだ。
「レックスは、わたしで良いのか。わたしは、グランベルの女性達のように、華美な容姿もなければ、社交界というのか?あれの経験もなければ、教養も薄い女だ。おまえたちが蛮族と呼ぶ国の女だ」
「・・・本当は、そんなことを口に出したくないくせに、言うな、アイラ」
ようやく落ち着いたように、レックスは小さく首を横に振った。
「ひとつずつ言えば満足なのか?お前は、充分すぎるほど美しいし、そもそも人間は容姿だけに左右されるものじゃあないだろう。社交界なんざ、糞喰らえだし、そんなものに戻れる身分は俺にはない。それに、お前のいう教養がなにかは知らないが、生きる場所が違えば教養と呼ばれるものも姿を変える。それに」
「・・・うん」
「お前の国が、蛮族の国ではないということを、お前が一番よく知っているだろうに。お前が言うように、お前をよく知ってる俺が、それを否定するわけがないだろう」
「・・・レックス」
レックスは目を見張った。
アイラは両頬を紅潮させて、そっとうつむく。初めて見るアイラのその表情。
その頬に長い黒髪がさらりとかかって、彼女の顔をわずかに隠し、レックスを戸惑わせようとしている。
けれど、レックスはそれに惑わされることなく、もう一度繰り返した。
「アイラ、俺と結婚してくれ」
「・・・わたしも・・・」
「うん」
「わたしも、レックスと、結婚したい」
「・・・ありがとう」
「ありがとう、は、わたしこそ言いたいのに」
「何いってんだよ・・・俺のほうだよ」
レックスはそう言って、うつむいたアイラの頭に、自分の頭を軽くこつんと当てた。
「わたしも、エーディン達のように・・・たった一人でもいい。誰かに祝福をされたいと望むのは、高望みだろうか」
「いいや。そんなことはない。それに、祝福してくれる人間が1人なんかじゃないことを、お前は本当は知っているだろう」
肩を抱く腕に力を入れれば、そのままアイラはレックスの胸元に体を寄せて倒れこんでくる。
胸に抱いた恋人が何故泣きそうな顔をしているのか、レックスにはわからなかった。
けれど、それを知らなくても、アイラが言った通り、レックスは誰よりもアイラのことを知っていたし、時には知らなくても良いことがあるのだということも、とうに理解をしていたのだ。
レックスの胸に手を置いて、アイラは彼の顔を下から見上げた。
それから、わずかに瞳の端に涙を残しつつ、彼女は上半身をぐんと伸ばして、レックスの唇を奪った。
いつもの可愛らしい、下唇をついばむだけの口付けをするつもりだったのだろうが、それをレックスは許さなかった。
レックスは大きな手のひらでアイラの髪をかきわけて頭を抑える。
いつもならば嫌がる彼の強引な口付けを、アイラは素直に受け入れ、瞳を閉じるのだった。


結婚式はイザークで、イザークの民の前で行いたい。
以前からのアイラのその思いを、レックスは重々承知していて、彼女の気持ちをいつだって尊重していた。
それでもシレジアでの婚礼をアイラが思い切って承諾したのは、レックスの気持ちを考えてのことだ。
いつでもレックスは、アイラの気持ちを優先させて物事を考えてくれている。それはアイラにも痛いほどわかる。彼にとっては、アイラの故郷であるイザークを騙し、謗り、踏みつけて来たのが自分の父親であり、自分の国だ。その負い目がいつだって彼の背後には離れることなく、彼に陰を落としている。
アイラにとって、どんなにイザークが愛すべき故郷で、その民衆から彼女が愛されていたとしても、彼女の伴侶になる人間がグランベルの者とわかれば、イザークの人々は簡単には心を開いてくれないだろう。それを2人はわかっていた。
レックスは、苦しい、と思い続けてきた。そう思えないほどの楽天家でもなかったし、たとえ楽天家であっても、イザークのことを考えれば、いつだって表情を曇らせることは間違いない。
のしかかるその思いは幾重にもなり、重厚な壁として彼らの前に立ちはだかり続けていた。
けれど、その苦しさが消えることがないとしたって、アイラのことを思えば、イザークで婚礼をあげることが筋だとも思っていた。なんとなれば、彼女はイザーク王族なのだし。
俺のことはいい。アイラがイザークのことを考えれば、それでいい。
何度も何度もレックスが心の中で繰り返していた、自分を抑える言葉。励ましの言葉。
「お前がドズルの男を選んだことを、イザークの民に認めて欲しいという気持ちはわかる。俺自身も、認められたいと思う・・・だから、婚礼はイザークで・・・いつの日かあげよう」
お互いの気持ちが通じた後、早い頃からレックスはアイラにそう言っていた。けれど、2人に圧し掛かっていた現実はそれだけではない。
彼は常に「そうだ」とは言わないけれど、自分自身の血−ドズルの血、ランゴバルトの血−への憤りも含め、アイラとの間柄を考えると、どうしても神経質になりがちだ。いや、彼が周囲に与える印象を考えると「神経質」という言葉はあまりにも不似合いなのだが、言葉にすればそれになるのだろう。
忘れがちになっている現実だけれども、レックスもまた、戻る場所を既に失った立場の人間だ。アイラもまた、レックスを見ていてふとした拍子にそれを思い出す。
いつかグランベルとイザークの間に起きた本当のことが表沙汰になれば、彼が戻るドズルはランゴバルドを失う。その民はアイラを受け入れてくれるだろうか。それを軽く「大丈夫だ」と言うには、彼らの持つしがらみは大きすぎる。
となれば。
結局イザークでもグランベルでも、お互いを同じ立場で受け入れてくれる場所は、彼らにとってはいまだ存在しないし、この先も長い時間をかけて過去の清算をもってしてその場を造るしかないのだ。
それはいつになるのかは、わからない。その時にどちらの国にいるのか−多分イザークなのだとレックスもアイラも思ってはいたが−すら保証はないし、あまりに途方のない話だと思っていた。考えるたびにため息が出そうになり、けれど、自分を愛してくれる、自分が愛している恋人のことを思えば、そのため息すら飲み込んで。
途方もなく長い間苦しんでいたような気がするし、今だってそれらから放たれたわけではないと思う。
たくさんのしがらみ、それに付随してゆく人々の感情。
自分を囲む、そういった重荷に振り回されるだけでは、どんなにもがいても人は生きてはいけない。1人の人間として、自分を生かすために必要な幸せというものがあるという事実に、彼らはとても穏やかな気持ちで向かい合っていた。
シレジアでの婚礼を決断した2人の心は、どこかしら以前とは違う、何かふっきれたものが生まれたように見えた。
2人は式の前夜、シグルドに挨拶をして、部屋へと向かってセイレーン城の通路を歩いていた。
冬のセイレーン城では、夕食後ほんの2刻過ぎただけでも、既に吐く息が白く見える。アイラは肩にショールを巻いており、普段ならばそんな風にはしないけれど、レックスがアイラのその細い肩を抱くように身を寄せて歩いていた。
ふと、通路の先を見れば、角から人影が現れて、2人に向かってくる。
「おっ、明日の主役じゃありませんか。廊下は寒いが、お二人は熱い、ってね」
そう気安く声をかけるのは、アレクだ。それでもレックスはアイラの肩を抱く手を離さないまま、軽く挨拶をした。
「なんだ、珍しいな、アレク。いつもなら女のところにでも行っている時間じゃないのか?」
と冗談めかしてレックスが言えば、アレクはにやにや笑って
「人聞きの悪い。女のところとはご挨拶だ!」
「アレクは、夜は女性のところにいつも行っているのか?」
2人のやりとりを聞いて、まったく悪びれる様子もなくアイラは素直に聞いた。レックスはその問いを聞いて、ぶはっと笑い出した。困惑した表情を見せて、アレクはおおげさに肩をすくめてみせる。
「まあ、そうとも言いますね。金と暇がある時は、今ごろはアーダンが片恋している女の子が働いている食堂で、恋の手引きをしているところでしょう」
「なんだ、本当に人聞きの悪い。レックス」
「ははは、悪い悪い」
「俺は今日はホリンと夜番でしてね。ちょうど、今から交代に行くところです」
え、とアイラが驚きの表情を作る。
ジャムカとエーディンの婚礼の時は、出来る限り夜から早朝番は、もともとのシレジア兵に協力してもらって、見張り当番からシグルド軍は解放されていたはずだが・・・と思ったのだろう。
「俺たちの式は、こじんまりしたものにしてもらったからな。早朝番はシレジア兵に頼んだが、夜番は変わらず出てもらっている」
「ああ、そういうことか・・・アレクとホリンが、明日、参列してくれないのかと思って驚いたぞ」
「まさか。レックス公子の晴れ姿はともかく、あなたの晴れ姿を見逃すわけにはいきませんからね」
「あっはは、減らず口を」
レックスは軽く笑ってそれを流したが、アイラは何度かまばたきをして首を軽く横にかしげた。声に出していないが、「うん?」といいたげな顔つきだ。
「式は昼からだし、早朝番と変わってもらってから眠れるだろう。式の最中に寝ないでくれよ」
「お任せあれ。それでは、おやすみなさい」
アレクは2人に仰々しいほどに深い礼をして、歩いて行った。それを見送ってから、レックスはアイラの肩に軽く手を置いて、彼にしては優しい声でアイラに言う。
「大丈夫だ。アレクもホリンも、午前中一眠りすれば、ちゃんと参列してくれるさ」
「・・・あ、ああ。そんなに、心配しているわけじゃあない」
「そうか」
「早く、部屋に戻ろう。寒いな」
「うん。明日、風邪を引いていたら、シャレにならないぞ」
明日には、肩書きの一部が変わってしまうお互いが、こうやって同じ部屋に戻るというのは、なかなかにいいものだ−−そんなことを思いつつ、レックスは早足で歩くアイラにあわせて、いつもよりわずかに大股に歩いていった。

セイレーン城二階の踊り場から外に出られるバルコニーで、冬に冷たい夜風に吹かれているレックスの背後に、誰かが近づいて来た。
月の位置を見れば、ああ、夜番から早朝番への交代の時間だ・・・そうレックスは気付いて、振り返らずに背後へ声をかける。
「ホリンか」
「言い当てられると、腹立たしいものだな」
そう言って小さく笑い声をあげるのは、やはりホリンだった。彼が夜番でセイレーン城の見張り当番だということを、アレクから聞いていたためレックスは知っていたし、変なところでこの剣士の勘がよく、レックスの居所をなんとなく嗅ぎ付けてしまうんじゃないかとも思っていた。
「明日の花婿が何をやってるんだ、こんなところで。風邪を引くぞ」
ホリンはレックスの隣に並び、バルコニーの手すりに腕を乗せた。
「うん。緊張して眠れなくて。俺はほら、繊細だからな。ノミの心臓ってヤツだ」
「白々しい」
「ははは・・・今日は、思ったより寒くないな。ショール一枚肩にかければ、そんなに辛くないもんだ」
レックスはそう言うと、月に背を向けて、バルコニーの手すりに体重をかけた。その肩には、アイラのものである冬用のショールが、いつもよりもすわりが悪そうな様子でのっかっていた。
ホリンもまた、夜番で場合によっては外に出ることもあるため、室内にいた割には厚着の恰好をしている。
「・・・緊張してるのは、本当だ。わかるだろ」
「酒でもかっくらって眠れ、と言いたいところだが、そういうわけにもいかないだろうしな」
「だろ」
「じゃあ、俺がこれ以上言わないほうがレックスのためかな」
「うん?何を?」
ホリンは苦笑いをレックスに見せた。
「あー、嫌な予感がするー」
おどけてレックスはそう笑ってみせたが、ホリンを見る視線は真剣そのものだし、言うなとは決して言わない。
わからないわけでもないだろうな、とホリンは思いつつ
「嫌になるくらい、承知しているだろうが」
「おう」
「戻れないぞ」
ほら来た、とレックスは心の中で呟いた。
「・・・わかってる」
「覚悟はあるんだろうな」
「シグルド公子とか、アゼルとか、ティルテュにクロード神父に、エーディンにジャムカにラケシスに・・・もちろん俺もさ、身分とかいうものがあったらしい人間は特に、ここに来るまで・・・色んな覚悟があったと思うんだけどさ」
「・・・ああ」
「今までの、どれよりも、なかなかにキツいな」
そう言って、レックスは「ふー」と息を吐いた。
「でも、俺の覚悟より、アイラのほうが、絶対キツいに決まってるんだ。国ってもんをそのまんま背負っている、王族なんだからさ・・・だから、逃げようなんて、思えなかったよ」
「当然だ。そうでなければ、とっくにお前を切っていた」
「うわ、物騒なこと言うな」
そうレックスは言うけれど、ホリンの目も笑っていない。そして、その言葉が本当だということをレックスも知っているのだ。
「ホリン、俺は・・・色んなものからアイラを守りたいと思ってる。でも、残念ながら、俺はドズルの次男坊で、あれやこれや問題を抱えている」
「そうだな」
「だから、もうちょっとだけさ・・・アイラを、助けて欲しい」
「・・・恋敵に言われるのは、嫌な言葉だな」
ホリンが、アイラに思いを寄せていたことを、レックスは知っているし、レックスに知られていることもホリンは重々わかっている。彼らは仲が特別良いわけでも悪いわけでもなかったけれど、お互いがお互いの知らないアイラを知っているのだろうと、常に意識をせずにはいられない間柄ではあった。
アイラがレックスを選んだ時だって、ホリンは泣き言を一つも言わなかった。
レックスも、自分の勝利を誇るような子供ではなかったし、アイラへの態度を変えないホリンのことを、むしろ誇らしく思うことすらある。
男友達というような仲でもないし、今となってはライバルでもないけれど、彼らの関係は独特だ。
婚礼の前夜、どちらともなくこうやって会えたことが、まるで当たり前のように思えるほど。
「お前とシャナンがいてくれるおかげで、どれだけアイラが助かっているのか、お前はわかってるのかもしれないけどさ・・・俺からも、頭を下げなきゃいけないと思ってたんだ。こういう時でもなきゃ言えやしないけど」
ホリンは驚いたように、軽く口を開いてレックスを見た。
「なんだよ。俺がこんな殊勝なこと言うのが珍しいか?」
「・・・違う、そうじゃない」
「なんだ」
「俺は、アイラを、助けているのか」
そう言ったホリンは、なんとなく心もとない、不安げな表情をレックスに見せる。
レックスは「はは」と軽く笑うと、真顔になり
「お前とシャナンが、俺とアイラの結婚を祝ってくれることで、どれだけあいつの肩の荷が楽になるのか、お前は全然想像もしたことがないのか?」
「・・・っ・・・」
「たとえ、お前の髪がイザーク人と違う色でも、アイラはとても、お前のことを、とても近しい、同郷の人間だと思っているぞ。それは、絶対、俺が踏み込めない特別な存在だ」
レックスは肩をすくめた。
「だからって、お前にアイラを譲ろうなんて、今はこれっぽっちも思わないからな」
そう言い放つと、レックスはぷいと向きを変え、バルコニーに腕を乗せて月を見上げた。
冬の澄み切った空気は、彼の瞳にじわりと突き刺さるようだ。
「・・・今は?以前は思っていたのか?」
「思ってた。ちょっとは。俺が、自分の気持ちを押し通すことは、アイラの幸せにはならないと思っていたこともあった」
「何故その時に言わなかった。そうすれば、お前が未練を断ち切れるように、俺がアイラに告白しただろうに」
「だからだよ!そんな相手に言えるわけないだろ!」
それにはさすがにレックスは笑い声をあげた。
ホリンは大真面目で言っているから、尚のこと笑うしかないではないか。
笑われたことに心外だ、といいたげに、ホリンは少しばかりふくれっ面を見せた。
決して他の誰にも見せることがない、ホリンのそういう面を唯一シグルド軍で見ることが出来ているのはレックスかもしれない。
「・・・ふー」
ひとしきり笑ってから、レックスは息を吐いた。月明かりに照らされる白い自分の息を見て、それから、指先がかなり冷たくなっていることに気づいて、話を切り上げるか、とわずかに焦った。
早朝番と交代をする時間はまだまだ真夜中に近い時間で、朝の予兆すらいまだ見せない。
冬でも、夜に鳴く鳥がシレジアにはいる。その声が遠くからか細く2人の耳に入る。
「・・・今日、お前が夜番だって聞いたとき、アイラは動揺していた」
「何?」
「あいつは、一言だって俺にもお前にも言わないけれど、お前とシャナンに、間違いなく自分の婚礼に参列して欲しいんだ」
「・・・」
「それは、俺がどれだけ言い聞かせようがなんだろうが、力になれない部分だって、俺はわかってる」
「レックス」
「だから、何度だって、頭を下げる。かっこ悪くても、さ。身の程を知らないで、愛だの恋だので何もかも解決するとは思ってない。お前が、俺に土下座しろっていうなら、やったっていい」
「・・・そんなことを言わないと知ってるくせに」
「ばれたか」
あっさりとレックスがそう言えば、ホリンは笑い出した。
「俺が思っていたより」
「なんだよ」
「レックスは、大人で、いい男なのかもしれない」
「今更わかったか」
「今更、ようやくいい男になったんだろう、きっと」
「ぬかせ!」
レックスも笑い出した。
どうしようもなく、アイラに首ったけになってしまった男たち2人は、普段ならば絶対に起きていないような時間に、冬の外気に身を晒しながらどうしようもない笑い声をあげていた。
やがて、ホリンは息を整えて、何も言わずにレックスに手を差し出した。
それをしばしの間レックスは見つめ、わずかに震える手で、渾身の力を込めて握った。それでも、寒さのため、ホリンの顔色を変えるほどの力は発揮できなかったけれども。



唇にさす薄い紅は、イザークのものとは違う。
髪をあげて、整えるための香油も、何もかも違う。
鏡に映る、変わっていく自分の姿を見ながら、アイラは感慨深い気持ちになっていた。
彼女は一度たりと、異国で自分が婚礼をあげるなど−イザークにいた頃は既にイザーク人の適齢期でもあったから、婚礼の話がいつでてもおかしくなかったのだ−想像したこともなかった。
その上、たとえシレジアで式をあげても、シレジアに嫁ぐわけではない。この、自分達が置かれた数奇な運命を、こんな形で再認識するとはな、とアイラは鏡に向かって、苦笑いを見せた。
イザークの花嫁は、自分の髪で冠をつくるように結い上げ、大きな花をあしらうものだ。
用意をしてもらったドレスはグランベル風だったけれど、それだけはアイラは譲ることが出来ず、結い上げることに慣れないシレジアの女中達を少々困らせていた。
「あっ、何か不手際がございましたでしょうか」
鏡に映ったアイラの苦笑に気付き、結い上げた髪に花を挿す手を止め、女中は慌てて尋ねた。
「いいや、大丈夫だ。ありがとう。綺麗に結えている」
察してアイラはそう言って、顔を動かさないまま微笑んだ。
「出来上がりました。アイラ様、立っていただけますか」
「ああ」
女中に手をとってもらい、ドレスの裾を持ってもらい、アイラは椅子から立ち上がった。
鎖骨を見せた広い襟ぐりに、体のラインにそって膝まで流れる光沢がある白いドレスは、裾が大きく広がっていた。床に大きな柔らかい曲線を描き、まるで丸みを帯びた白い花を咲かせている。
決して太くはないけれど、筋肉質の腕を隠したいという彼女の要望から、仕立て屋は、ちょこんと肩にのる程度の袖をデザインした。それだけでは腕が目立つのではと臆したアイラだが、肘上まで白いレースで覆うグローブに袖を通せば、想像以上に二の腕から手首までの形が気にならなくなる。
ドレスも、グローブも、何もかも、それらはまさしく、イザークではありえないものだ。
鏡に映った姿を驚きつつ眺めるアイラの耳に、まるで測っていたかのようなタイミングでノックの音が聞こえた。
扉を少しだけあけて、女中が御用聞きに半身だけ見せているようだ。
やがて、その女中がアイラのもとにやってきて、一礼をした。
「アイラ様。シャナン様が、様子を見にいらっしゃいました。どうなさいますか?」
「ああ、用意はこれで出来たのだろう?通してくれ」
「かしこまりました」
女中はもう一度うやうやしく一礼をして、扉に向かって歩いていった。


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