異国での祝福-2-


ドアを開けて入ってきたシャナンは、参列のための衣装に既に着替えていた。
ジャムカとエーディンの婚礼時に着ていたものと同じもので、それも当然イザーク風ではない。
「わあ、アイラ!すごい!綺麗!」
シャナンの第一声はとても素直なもので、その言葉にアイラばかりでなく周囲の女中達も口元をほころばせた。
「ありがとう」
「すっごい。よく似合ってるよ」
「そうか。シャナンにそう言ってもらえると、安心出来る」
「アイラが、白い服を着ているところ、初めて見た」
「そうかもしれないな。シャナンも、その服がなかなか板についてきたではないか」
「かな?」
シャナン相手でも、普段褒められ慣れていないアイラは、わずかに頬を紅潮させた。
以前ならば、誰かに褒められても、それを素直に受け入れることが出来なかったかもしれない。
そんなことをアイラは思いつき、今更ながら自分の心の成長に気付いた。
それらは、否応なく彼女が重ねずにはいられなかった多くの経験と周囲の人々、とりわけ、レックスのおかげなのだと心の端でアイラは感じる。
飾り気もなく、女性としての身だしなみすらよくわかってもいなかった自分が、人に姿形を褒められて喜び、ドレスを身に纏って気分を高揚させるようになったのは、このシレジアの地での平和な日々のおかげだ。
たとえそれがかりそめの、いつかは消えてなくなることだとわかっていても、それらはイザークやグランベルでは手に入れることが出来ない、アイラにとってかけがえの無いものだ。
ここは、異国なのに、身に纏う服ですらこの国のものなのに。
それら1つ1つがいとおしく、また、そこにいられることすら愛しいと思える。
心が安らぐ場所を、人は故郷と呼ぶのだろうが、それならば・・・。
珍しくアイラは突然物思いにふけりそうになったが、シャナンがそれから呼び戻してくれた。
「ねえ、まだ時間ある?」
「うん?ああ、思ったより支度が早く終わったからな」
「じゃ、ちょっと待ってて!」
シャナンは身を翻して、慌しくドアを開けて通路に出た。
アイラの周りの女中は、髪結いの道具など細細とした支度道具を片付けたり、緊張で喉が渇きがちな花嫁のために、注ぎ口のついた小さなグラス−通常のグラスでは、注した紅が取れてしまうので−を持ってきたりと働いている。
「アイラー、入るよー」
再び通路からシャナンの声。
アイラがそれに返事をするよりも先に、ドアが開く。
が、ドアから入ってきた人物は、シャナンだけではなかった。
「失礼する。花婿より先に、花嫁にお目通りするのもどうかとは思ったが」
「・・・ホリン!」
「・・・元気そうだな」
ホリンは、他の人間がいれば「何を阿呆なことを」と言われそうな、間抜な挨拶をアイラに発した。
彼もまた参列のために服を着替えていた。それなりに上質な衣類に身を包めば、闘技場で金稼ぎをしていた男には見えない。人の目には、なかなかに育ちの良い人間に見えることだろう。
「夜番だったのだろう。よく眠れたか?少しばかり、疲れているように見えるが」
「馬鹿だな、お前は・・・。睡眠不足を心配されるのは、普通は主役達だろう」
はは、とホリンは小さく声をあげて笑った。
アイラもシャナンも、また、ホリン自身も知るはずはなかったけれど、アイラ付きの女中達がみな心の中で「この方が声をあげて笑う姿なんて、滅多に見ないものだ」と、珍しく思った瞬間だった。
それほどに、普段ホリンは会話も多くなく、笑うにしても声をあげない(そもそも、人と一緒にいることも少ないのだが)人物だった。そんな彼でも今日は饒舌で、なにかしらを伝えるためにここに来たのだと言う事を、アイラも気付いていた。
「俺は普段、女性を褒めることはあまり得意ではないのだけれど」
「うん」
「よく似合う。シグルド軍に参軍して、ここまで共に来てよかったと思える」
「ホリン・・・」
「そうだよ!アイラ、すごくよく似合ってるよ!」
シャナンはもう一度そう言って念押しをした。
それへ「ありがとう」と小さく笑いかけて、アイラはホリンへ視線を移した。
それを真正面から受け止め
「お前が剣を振るっている姿が、好きだった。けれど、剣を振るっていない時だって、それは美しいと思っていた。幼い頃から男勝りだったようだが、その魅力に気付かない男どもはみな阿呆だと思っていた」
そう言ってホリンは苦笑いを見せた。
「グランベルの男でもお前の良さをこれほどにわかるのだと思えば、俺はレックスを称えなくちゃいけないな」
「なんだ、ホリン、それは褒めているのか、けなしているのか」
「言っただろう、女性を褒めるのは、得意ではないって」
「もしかして、今不得意なことをしているのか?」
「まあ、そういうことだ」
「・・・ありがとう。ホリンに褒められるのは嬉しいし、ホリンが、レックスを褒めてくれることも嬉しい」
「そう言われては、かなわないな」
「?何故だ?」
それは、と言いそうになって、ホリンはすんでのところで声にせずに押し留めた。
本当は、お前を諦めきれないからだ。
そう言ってしまいたかった。
が、彼は彼自身が驚くほどの自制心で言葉を封じ、その場に膝を折った。
「アイラ王女、おめでとうございます。あなたの婚礼の儀に参列させていただける光栄、深く痛み入ります」
その様子に驚いて、アイラは素っ頓狂な声をあげた。
国にいるときに、誰かにそのようなことをされれば、彼女は軽く「そのような面倒なことはいい」とあしらったものだが、あまりに予想外の行為で、以前のように振舞うことすら一瞬忘れてしまったようだ。
「ホリン!なんだ、急に・・・」
「イザークの民として、あなたの婚礼に心よりの祝福を」
そういうと、ホリンは胸ポケットから、小さな紫色の紐で編まれた、ブレスレットのようなものを二本取り出した。
アイラは目を細めて、彼の手の中にあるそれを見た。
「・・・ホリン」
シャナンはそれを覗き込み
「これ、なに?」
と無邪気にホリンに聞いた。アイラは既にその紐の存在を知っているようで、それ以上何も問い掛けない。
「イザークに戻れば、正式な式を行うだろうけれど。あなたにこれを与える親族は、シャナンしか残っていないでしょうから。シャナン。これを。アイラ王女さえよければ、そのおみ足に」
アイラは黙ったままホリンを見つめていた。
ホリンから二本の紐を受け取ったシャナンは、その使い道がよくわからないようで、ホリンとアイラを交互に見ている。
やがて、アイラは静かに椅子に座り、長いドレスの裾を自分でめくりあげて、美しい足をシャナンに向けて見せた。
それを見て女中が慌てたけれど、アイラは無言で手のひらを向けて、女中を制した。
「シャナン。その紐を、わたしの足首に縛ってくれないか」
「えっ?これを?ねえ、これ、何?」
「イザークでは、両親が、両親がいなければ兄弟やその他親族が、花嫁の足首に飾り紐を結んで送り出すならわしがある。幸せに嫁ぐ花嫁の足を引っ張る、意地の悪い悪霊を祓うためといわれている」
「そうなんだ」
知らなかった、とシャナンは言いながらしゃがみこみ、アイラの左足首を掴む。
その様子をホリンはじっと見ていたが、ふとシャナンが
「だったら、もう片方はホリンが結んだらいいじゃないか。だって、ここにいるみんなって、シグルドも含めて、みんな、家族みたいなものだし」
と、邪気が無い笑顔を向けられ、眉根を寄せる。
「そういうわけには」
いかない、とホリンが言おうとしたところを、アイラは遮った。
「わたしからも、頼む。ホリン、これを結んでくれないか」
「アイラ王女」
「今更、かしこまらなくていい。わかってる。そんな、形式ばったことをしなくたって、ホリンはわたしをイザークの王女としてずっと見守ってくれていたのだし、そんなホリンが、気安く話し掛けてくれることで、わたしはとても楽になれていたのだし」
そういいながら、アイラはそっと右手で自分の顔を覆った。
「アイラ様、せっかくのお化粧が」
女中の1人がその様子を見て声をかけた。けれども、その声は既に遅かった。
「ありがとう、ホリン。ありがとう、シャナン。うまく言葉に出来ないけれど、シレジアはわたしにとって異国ではあるが、心が安らぐ場所だ。けれど、それは、シレジアだけのおかげではない。ここにわたしがいることを許してくれる、あなた達2人が側にいてくれて、そして、折れそうな心を支えてくれるレックスがいてくれて、みんながいてくれて、初めてこの地が安住の地になっているのだろう。誰が許してくれなくとも、あなた達2人が許してくれることで、わたしはイザークに恥じぬ行いをしていると自分を奮い立たせることが出来る。そのことに、どれほどの感謝の言葉を言ったところで、きりがない」
「いいんだ、アイラ」
ホリンは、アイラの足首−おそらく、人前で彼が彼女の体に触れる、最初で最後のことだったのだろうが−を自分の膝の上に置き、器用に結びながら呟いた。
それから、そっとその足を床に戻してやり、今度は幾分力強い声で、同じ言葉を繰り返す。
「いいんだ、アイラ。感謝の言葉なんて欲しくない。お前が選んだ道を、俺もシャナンも信じているだけなのだから」
アイラは両手で顔を覆ってうつむいた。
指の間からぽたりと涙が零れ落ち、白い婚礼衣装に染みを作る。慌てて女中は布を太もも付近にかけてやり、顔を拭くための柔らかいハンカチーフを用意してアイラの側に控えた。
ホリンは立ち上がると、シャナンの肩を軽く叩き「任せたぞ」と小声で伝えて、挨拶1つもなしに部屋から出て行った。

「おや、今日の主役がどうしたんだい」
「シグルド公子」
「花嫁の部屋の前で、待ちぼうけかい?あまり待っていると、体が冷えるよ」
アイラの部屋の前で、聞き耳を立てるでもなく待っていたレックスは、通りがかったシグルドに声をかけられた。
レックスは既に花婿装束に身を包んでおり、シグルドもまた列席のための衣装に身を包んでいた。
「ちょっとね。イザークの人間同士の、つもる話もあるだろうから」
「・・・ホリンか」
「ああ、シャナンも」
察しがいいな、とレックスは苦笑をした。
ホリンは、ソファラの領主の息子という素性をずっとひた隠しにしていた。
その事実を隠していたほうが、意識させることなくアイラを守れると彼は思っていたのだろう。
けれど、異国での多くの重責に晒されるアイラの姿を見かねて、ある日、そっとホリンはシグルドに真実を告げた。
シグルドの回答はとてもあっさりしたものだったけれど、彼の一言のおかげでホリンはアイラに素性を明らかにしたし、それはレックスにとっても−ライバルとしては厄介だったが−ありがたいことだった。
レックスがホリンに言った通り、アイラにとっては、自分が捨ててしまった国の民が、自分を許し、見守ってくれているというだけで救いになったのではないかと思う。
「心が」
シグルドは小さく笑みを浮かべて、唐突な言葉を発した。
「ん?」
「心が、強くなったように思う。レックスの」
「俺の?はは、よしてくれ」
「幼い頃から知っているし、離れていても噂もよく耳にした。わたしが知っている、噂の中のドズルの二男は、今のレックスのような強さを持つ少年じゃあなかった」
「公子だってそうだ。シアルフィの跡取は、どうも日和見でぼんやりしているってな。蓋を開けてみれば、ぼんやりどころじゃない。いつも動じないように物事を受け止めようと努力する、落ち着いた気性の持ち主になったな。幼い頃の噂なんてあてにはならない」
レックスがにやりと笑って見せると、シグルドは軽く声をあげて笑い、手を差し出した。
「改めて。結婚おめでとう。今日の日を待っていたよ」
「ありがとう。それから・・・今更だけど、あのとき、アイラを助けることを選択してくれて・・・感謝している」
レックスはシグルドの手を、それよりわずかに大きい自分の手で強く握った。
「感謝するのは、わたしのほうだ。ここまで君と一緒に来ることが出来て、本当に心強くてありがたかった」
「そうか。そう言ってもらえると、嬉しいな」
「不思議なことだよ、レックス」
「ん?」
「この国で、君達を祝福することが」
「うん」
「とても嬉しい」
レックスは、シグルドが何を言っているのか理解できずに、眉根を寄せながら手を放した。
「何故かわかるかい」
「わからない」
「人が人を思う心の前では、領地だとか、国だとか、人が無理矢理決めた線なぞ無意味で、それらを容易く越えるのだと実感が出来るからだよ」
「・・・」
「わたしの故郷はグランベルでシアルフィだけれど。君の故郷はドズルではあるけれど。それは必ずしも、自分が自分らしくいられる場所ではないのだろうと思う。でも」
「ああ、ちょっと、わかる」
「わたし達は、ここで、とてもわたし達らしく生きることを許してもらっている。ラーナ王妃のおかげと」
「うん」
「わたしを信じてついてきてくれた、君達のおかげで」
シグルドが言葉を続けようと思ったその時、不意に部屋の扉が開いた。
室内から出てきたホリンは、男2人を見つけて、ぎょっとした表情になる。
「うん?ああ、シグルド公子。もしかして、順番待ちですか」
「そういうわけではないんだけど。暇を持て余しているらしい花婿がいたもので、たまには男同士の立ち話も」
なーにが、とレックスが言おうとすると、ホリンは「それはそれは」と気のなさそうな言葉を返し、それから、わざと顔をしかめて肩をすくめてみせた。
「おやおや、花婿ともあろうものが、こんなところで立ち聞きとは」
以前の彼ならばそういった大袈裟な素振りは見せなかっただろうが、それは長い期間シグルド軍にいたおかげ、彼が少しばかり覚えた「悪ふざけ」の一種だ。
「ぬかせ。そうするように仕向けたのはお前だろ」
「そういうつもりじゃなかったが」
ホリンは照れ隠しのためか、いつもより幾分刺々しい物言いで声をかけたけれど、レックスは普段通りの受け答えをするだけだ。
「公子、よかったらアイラに顔を見せてやってくれ。あいつは公子のことがなかなか好きだからな。喜ぶぞ」
「ははは、嬉しいね」
軽く手をあげて二人に挨拶をすると、シグルドはコンコン、と扉をノックした。
中からは女中ではなくシャナンの声が聞こえ、やがてドアを開け閉めする音が、通路に小さく響いた。
ホリンとレックスは、わずかに離れた場所でこそこそと話を続ける。
「まったく、なんだよ、俺より先にアイラを見る栄誉を与えたってのに、泣かすな」
「すまん。泣くとは思わなかったんだ。聞こえたか」
「すまん、ですむか。女中の声が聞こえただけだ。化粧がどうのといってたから、このやろ、泣かせたな、と思った。しかもアイラより先に俺のこの姿を見る栄誉も与えたってのに」
「別にそれは欲しかったわけじゃない」
「素直に喜べ」
「そんなことで喜んでしたら、ただの変態だ」
へらず口の応酬が一通り済んだ後、レックスは首を軽く傾げた。
「何か、アイラにやったんだろ?よく聞こえなかったからわからないけど」
「ああ、足に結ぶ紐をな。編んだんだ」
「そんな暇があったのか?大層用意がいいな」
「今朝編んだ」
「えっ、寝たのか」
「寝てない」
ぶっきらぼうに言い放つホリンをじっと見つめて、レックスはしみじみと間抜なことを言った。
「・・・ホリンは、本当に、アイラのことが好きなんだな」
それに対して、ホリンは忌々しそうに口を歪めた。きっと、シャナンがそんな彼を見たら「ホリンがそんな顔してるなんて、初めて見た」と驚くだろうほど、いつもの彼からは想像しがたい表情だ。
「・・・は・・・ら立つ!!どういう神経でこんな状況でそんなこと言えるんだ。お前は、アイラに似てきたな!」
「それは全然嬉しくないな」
「当たり前だ、褒めてない」
「だよな」
そういいながらレックスは、ホリンの手を見た。
ホリンとアイラの剣は片手剣でありながら、盾をもたない。その時その時の判断で片手で、両手で、その剣を振るう。
それらの一連の動きに、どことなく共通点があるから騙されているのか、なにやら、男女の差はあるけれど、ホリンの手はアイラの手とどことなく似ている、と思う。
その、どことなくアイラの手を彷彿させる−とはいえ、きっとそれは誰に見せたって「どこが似てるんだよ!」と怒られるほどだったのだが−男の手が、アイラの足に結ばれたらしい紐細工を作っていたのかと思うと、どことなく微笑ましく思えてしまう。
「ありがとう、ホリン」
「やめろ」
礼を言ったレックスに対して、ホリンはあっさりと言い放った。
「お前にも、感謝なぞされたくない」
「そうか。悪かった」
素直なレックスの返事に、苦笑するホリン。
以前なら、もうちょっとむきになる姿も見られたのにな・・・とホリンが考えていることなぞ、レックスにはわかるはずがない。
その、あまりにあっけない「そうか。悪かった」という言葉は、茶化しでもなく、レックスの心からの言葉だ。
そして、それはとてもアイラ的だとホリンは思うが、それ以上「アイラに似てきた」とは言うまい、と胸の内で呟く。
「謝るほどのことでもない。じゃあな、先に行くぞ。お前がどんな顔で式に出るのか、楽しみだ」
「ホリンも、俺の晴れ姿見ずに、鼻ちょうちんだしてんじゃないぞ」
どこまでもお互い憎まれ口になってしまうが、それもまた心地よいと思える。
軽くホリンが手をあげて歩き出すと、レックスは、ホリンが角を曲がるまでじっと見送っていた。
そして、ホリンが角を曲がったことを確認して、頭を深く下げる。
ありがとうと言えばきっとまたホリンは嫌がるだろうし、彼の前で頭を下げても煙たがられるに違いない。
けれど。
どれほど自己満足と言われようと、レックスに出来ることは、そうやってホリンへの感謝の意を何かに示すことしかないのだった。

さて。
軽く化粧直しを終えたところでシグルドがやってきて、そして、わずかな会話の後にシャナンと共に出て行った。最初は案外と落ち着いていたアイラだったが、時間がたつにつれてそわそわしだした。
(もうすぐ時間だ。レックスが来る頃合だろう)
仰々しい式ではないから、2人そろってセイレーン城の一室に行くことになっている。そのために、レックスが迎えに来るはずだ。
本当はとっくにレックスは部屋の外にまで来ていたのだが、やれホリンが、やれシグルドが、シャナンが、と慌しさにアイラも落ち着かないだろう、と、気を遣ってもう一休みをしていたのだが、当然アイラはそれを知らない。
これから、みなの立会いのもと婚礼の儀を行い、その後セイレーン城の広間で食事会を行う。
そこには、ラーナ王妃や、いつも世話になっているセイレーン城の兵士や女中も交代で招いている。
ジャムカ達の婚礼のように城下町の人達を招くことも悪くはなかったが、それよりなにより、普段共にこの城で生活をしている使用人達に祝って欲しいと言う気持ちがあったからだ。
早朝番でどうしても出席できない兵士のもとへは、食事会で出されたメニューが後から届けられるようになっている。
また、女中達数名が集まってシレジアのダンスを披露してくれるとのことだったし、当然最後にはシルヴィアも踊るとはりきってくれたから、こじんまりとはしていたが、明るく穏やかな席になるだろうと予測は出来ていた。
ジャムカ達の婚礼時に城下町の人々が踊っていたシレジアのダンスを、ティルテュはフュリーに教えてもらっていたから、飛び入りで一緒に踊るとか踊らないとか言っているのを、アイラは小耳に挟んでいた。
そわそわしながらも、そんなことを思い出して、ふ、とアイラの口元がほころぶ。と、その時
「アイラ様、お迎えがいらっしゃいましたよ」
扉を開けた女中に声をかけられ、アイラははっと顔を上げた。
「失礼」
レックスは、いつもの彼らしくもなく、うやうやしく一礼をして室内に入ってきた。
「花嫁を迎えに来た。準備はお済みかな」
「なんだ、その話し方は」
アイラは小さく笑い声をあげて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。その艶やかな姿を見てレックスは満面の笑みを浮かべた。花嫁の顔には、泣いた跡がどこにも残っていない。
「綺麗だ。似合ってる。俺は、幸せもんだ」
彼の手放しの賞賛にアイラは頬を染めながら、たどたどしく言葉を返す。
「レックスも、その、なんだ・・・よく似合ってる」
「そうか?」
「ああ・・・恰好いいぞ」
それは、社交辞令でもなんでもない。
ジャムカの結婚衣裳は、襟が高い白い服で、前中心の服の合わせ目がアクセントのように、縦にぴっちり閉じられたものだった。同じ白い衣装でも、レックスのそれは、高い襟を開けて、胸元に白い柔らかいレースのスカーフをあしらっていた。左肩だけに金糸銀糸の刺繍が入ったケープをかけていたが、それはグランベル風の着こなしだ。
また、ケープとあわせたように、白地に銀の糸で刺繍がほどこされたブーツは、履き口の折り返しに白いレースが縫い付けられていた。そのレースはシレジアのもので、冬の間は暖かな毛織物を織る職人たちが、温かい時期に飾り糸の技術を応用させて織り上げる特産物だった。
「・・・よーーーーし、よしよし!」
「?」
「ようやく、アイラの口からそんな言葉を聞けた。いやあ、長かったぞ。嬉しいな」
「そ、そうか・・・」
「抱きしめたいが、残念ながら、お前の化粧で服が汚れる。許してくれ」
「許すも何も・・・」
そうアイラは言ったが、ほんの少しだけ何かを考える表情を見せた。
それから、サイドテーブルに置いてあった、涙を抑えるためのハンカチーフを手にすると
「・・・アイラ!?」
まるでドレスの裾につまずいたように、アイラはそのままレックスの腕の中に倒れこんでいった。
慌ててレックスが抱きとめると、いつもより踵のある靴を履いているアイラは−花婿と花嫁の身長差を考慮され、踵のある靴を履かされたのだろう−前かがみになったレックスの肩にあごを乗せる形にすっぽりおさまった。
手にしたハンカチーフは、アイラの顎の下にひかれており、お世辞にも良い姿とは言えない状態だ。
「なんだ、どうした」
「こうやっていると、赤子のよだれかけのようだが」
「あはは。何、顔の化粧、気にしてくれたのか」
「こうしてでも、レックスに抱きしめて欲しかったんだ」
「・・・そうか」
「わがままですまない」
「いや、そんなことはない」
レックスは、ドレスにしわが寄らないだろうか、自分の衣装も必要以上にくたびれたように見えやしないだろうかと、ほんの一瞬だけ気にしたが、アイラを抱きしめる腕に僅かに力を入れて答えた。
「俺も、お前を抱きしめたいと思ったから」
「そうか。よかった」
アイラもまた、レックスの背中に回した手に少しばかり力を入れて、言葉を繰り返した。
「本当に、よかった」
その言葉は、最初に口に出した「よかった」と意味が違うようにレックスの耳には届いた。
何に対するよかったなのかは、レックスにはよくわからない。
ホリンのことだろうか。イザークのならわしのことだろうか。何のことだろうか。
細かいことはまったくわからないけれど、やはりまた「わからなくても、良い」という結論に達し、彼はわずかにアイラの頬に自分の頬を寄せた。
擦ってはいけない、と恐る恐るレックスは顔を傾ける。
腕で相手の体を支え、こんなにも触れ合っているのに、まるで初恋の相手に触れるかのような、ぎこちない動き。
そっと触れては、擦りあうことも出来ずに離れる一瞬だけの感触。
抱き合っている体よりも余程、僅かに触れた頬が熱いような気がする。
ああ、俺は、こいつのことが本当に好きなんだ。
深い思いを感じて、レックスは瞳を閉じた。
自分が
踏み込むことの出来ない、イザークの人間同士の絆を見せ付けられたとしても、自分一人では彼女の肩の荷を背負い切れないとしても。
俺は、本当に、こいつが好きだ。
自分が好きな女が、自分以外の男に助けられながら生きていることに、苛立ちを覚えられないほど。
己の無力さを嘆くくらいなら、ライバルに頭をいくらさげたって恥ずかしいと思わないほど。
「レックス」
「ん?」
アイラはそっと体を自分から離して、ドレスの裾回りを蹴り上げて形を整えた。
レックスもまた、アイラを抱きしめておかげで、わずかによってしまった服の前中心を合わせようと、上着の裾を持って下に引っ張る。
その様子を見た女中達は慌てて2人に殺到して、上から下まで再度整えてくれた。すまなかった、もうやらない、とアイラが言えば、女中達も「出来ればそうしてください」と率直に答える。
その女中達が動き回る中、アイラはもう一度レックスの名を呼んだ。
「レックス」
「うん」
「わたしは、レックスのことが、本当に好きだ」
レックスは、眉根を強く寄せた。
本当ならば、花嫁が婚礼前に花婿にそんなことを言おうものなら、その幸せに舞い上がってたがが外れてしまうのではないかと思うストレートな言葉だ。しかも、花婿であるレックスがまさに、今、花嫁に対して思っていたことそのままなのだから「俺たちは相思相愛だ!」と感動をしてしまってもいい状態だろう。
けれども、レックスはそうすることが出来ない。
目の前のアイラは、手放しの喜びに浸る花嫁の表情をしていない。
そこにいる彼女は、とても静かで。
「ずっと、ずっと、言葉にしようと思っていた」
「アイラ」
「言葉にしてしまったら、嘘のように聞こえるかもしれないと、ずっと恐れていた言葉だ」
「・・・そうか」
「言葉にしてしまえば、自分でそれに怯えて、許されないのではないかとも恐れていた言葉だ」
「・・・」
「なのに、何故だろうな。シレジアに来て、お前と共に生活をして、何度も何度も言葉にしたくて・・・ようやく、今、言えたような気がする」
「そうか。ありがとう」
レックスは、アイラの肩を軽くぽんぽん、と、その大きな手で叩いた。
アイラは、化粧で僅かに顔を白く塗っていたけれど、紅潮した頬の色が内側から美しく彼女の毅然とした表情を彩る。
心の昂ぶりがないわけではない。けれど、アイラは足元が疎かになるほどに浮かれているわけでも、婚礼の儀という初めてのことに緊張をし過ぎているわけでもなかった。
ああ、とレックスは何か、心の中にある何かが、あるべき場所に落ち着いたような気持ちになった。
幸せを、噛み締めるとは、こういうことなのだろうか。
胸の奥に広がる、あまりにも大きな幸福感の背後に、たくさんのしがらみが未だちらちらと見えるけれど、それを上回るほどに、今だけは許してもらえるように。
たくさんの人々が、自分達を待っている。
自分達がいるべき、と。あるべき、と信じていた場所ではないはずの、この地に。
それもまた、人の幸福なのだ、とレックスは思う。
婚礼というものは、面倒なものだと思っていたし、やらなくて済むならばそれでも良いと彼は幼い頃から思っていた。
けれど。


「人が人を思う心の前では、領地だとか、国だとか、人が無理矢理決めた線なぞ無意味で、それらを容易く越えるのだと実感が出来るからだよ」


シグルドの言葉が胸に染み入る、とレックスは小さく息をついた。
婚礼が終わったら、彼の言葉をアイラに伝えよう・・・彼はそう思う。
100の人が、1000の人が、いや、イザークの民全員、グランベルの民全員が、この婚礼を反対したとしても、そんな自分達を許してくれる人々と、許してくれる場所がこの世界に残っている。
ジャムカとエーディンが、あの日、あまりにも幸せに見えたのが何故なのか。
そして、自分がまた、彼らの幸せを更に祈ったのが何故なのか、レックスはわかった気がした。
まさしく、シグルドの言うとおり、人が人を思う心は縛ることは出来ないし、何物にも屈することがない。
けれど、それを貫くためには、何度も何度も思い悩み、苦しみ、心許ない足取りで歩き続けなければいけないことだってある。
ジャムカも、彼を愛したエーディンも、そしてアイラも、レックス自身も。
彼らが最も祝福して欲しいはずの自国の民。その人々にそしりを受けるかもしれないとわかっていながら、貫くことを選び、そのために更にお互いに寄り添おうとしている。
婚礼は、その証なのだ。
今まで「婚礼の意味」を考えたこともなかった自分をレックスは恥じた。いや、しかし、もしも自分がずっとドズルにいて、父が決めた婚約者や、条件になんら問題のない花嫁を娶ることになっていれば、一生知ることも考えることもなかったことだろう。
この異国の地でも、自分達を祝福してくれる人間がいる。
それもまた、人が人を思う心なのだと思うと、ホリンやシャナンだけではなく、シグルド、ラーナ王妃、ありとあらゆる参列者への感謝の念で、心の中が熱くなる。
「行こう、アイラ。みんな待っていてくれてるだろう」
レックスは物思いを自ら破り、腰に手をあてて立てた肘をアイラにを差し出した。
「ああ」
そして、レックスの肘に、アイラは片手をそっと絡ませた。
「式に出向く」
レックスが一声かけると、室内にいた女中はみな一礼をし、2人はアイラのドレスの裾を手に持ち、1人はアイラに花束を渡した。
アイラの髪に飾られた花も、手に持った花も、シレジアの冬を、室内であればなんとか越せる強い花だ。
彼女の髪型がイザーク風のものだということをレックスは知らないが、とても似合っていると思う。
女中には頼まずに、レックスは自分で扉を開けた。
そして。
幸せな二人は控え室を後にして、皆が待つ部屋へと第一歩を踏み出した。

Fin

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