背中-1-

赤ん坊は、不思議な時間に眠るのだとシャナンが知ったのは、ディアドラがセリスを産んでからのことだった。
そして、赤ん坊が寝ている間、母親、あるいは乳母役はほっと一息つけるのだと、そこまで理解が出来たのはイザークに戻ってからのことだ。

昼寝の時間になると、いつもラクチェとスカサハは一緒に眠る。
片方が寝て、片方が起きていることは稀なことだ。
生活のサイクルが正しいからな、とアイラは言うけれど、それへレックスは「双子だからな」と、まったく意味が違う言葉を返す。
シャナンはどちらかというとレックスの意見に賛成であったが、そのことをもっと追及されては答えに窮するため、賛同の言葉を口には出さなかった。
ラクチェとスカサハの寝顔を見ていると、時々、昔、アイラは自分のことをこんな風に見ていたのかな・・・と思う。
2人はそろそろ2歳になる頃で、かなり自我が発達してきたとシャナンですら思う。
以前は人見知りしていたスカサハが人に馴れたり、逆に、ラクチェが人見知りし始めたり。
双子がおとなしくない時の食事は、シャナンが手伝わなければ、アイラはほとんど口に物を入れている暇がない。比較的その時おとなしい方をレックス1人が面倒を見ているが、時々2人そろって遊びだす食卓も多い。
冷めたスープの中に手を入れてかき混ぜることなぞ日常茶飯事であるし、相手の分のパンを横取りし、ちぎって丸めて、ぽいぽいと投げることも最近は覚えた。自分のパンではないからたちが悪い。
しかも、食事を終えればすぐに走り出して−これがまた、最近はありがたいやらせつないやら、上手に走れるようになってしまったのだ−シャナンに「遊ぼう」と意思表示をする。
多分、あともう少しだけシャナンの年齢が幼ければ、その二人のことをうとましく思うのだろう。
が、年上の自覚もあり、それなりにアイラへの気遣いもある彼は、いつも出来る限り、双子の要望に答えようとする。
けれど、さすがに食事の途中、それもまだ半分も食べ終えていない時には、もうちょっと待っていてね、と二人に言い聞かせるしかない。
「いい、シャナンは、食べてくれ」
そういってアイラはシャナンに食事を優先させ、あまり自分は食べていないうちから双子のもとへと行ってしまう。
「アイラ、お前も放っとけ」
レックスが時々それを止めると、そのうち双子達は2人で遊びだすのだが、毎回そういうわけにもいかないものだ。
「エーディンとこのレスターは、おとなしいんだけどな。セリスだって、おとなしかったしなあ」
呆れたようにそのことをよく口に出すのはレックスだ。
エーディンはイザークに逃れてからほどなく、レスターの妹のラナを産んだ。
あのバーハラの戦いの時に失ってしまった、愛しい伴侶であるジャムカは、その時既に、エーディンの中にもうひとつの命を授けてくれていたのだ。
長男であるレスターは、双子とそんなに生まれ月が変わっていない。
また、ほんの少しだけ離れたところでオイフェと共に生活をしている、亡きシグルド公子の忘れ形見セリスは、更に1年近く生まれが早い。時々オイフェがセリスを預けに来るけれど、セリスは双子より随分大人だなあとレックス達は思わずにはいられないほどだ。
シャナンは、時々アイラに連れられて、イザーク辺境も辺境、あまりに遠くてたどり着くだけで疲れる、離れた場所に位置する修道院を訪ねる。
そこでエーディンは働いており、見習い修道尼達が交代でレスターの面倒も見ているのだ。
あの「バーハラの戦い」で愛する伴侶を失ったエーディンの心の傷は、彼らには想像もつかないほど大きかったのだろう。
それでも、イザークの人々のために自分が出来ることを、と、自らの心の傷を癒しながら、辺境の地の人々の体の傷を彼女は癒そうとしている。今はまだ、戦が近い場所に身を置く勇気がもてない、とエーディンは言うが、それはとても当たり前であり、誰一人それを非難するつもりもない。
双子を連れて行くには、その道中は危険も多い。よって、双子は連れて行かない。稀に、オイフェも同行することがあるが、そうなればセリスの面倒も誰かが見なければいけない。
そもそもレックスだけでは、双子だけの面倒だって見きれない・・・となれば、いつも残るのはレックスではなくアイラだ。そして、その危険な道のりで、シャナンやオイフェに「おつかい」を頼むわけにもいかないため、常にレックスが行き来することになる。
もう少しばかり双子が聞き分けがよくなるまで、アイラはエーディンの元に行くことがままならない。
本当は、アイラもエーディンもお互い会いたいのだろうと、シャナンは思う。
シャナンの目から見ても二人は親交が深かったわけではないのだが、それでも、あのシレジアの幸せな日々を過ごした者同士が、同じ国に生き延びたのに会えないということはもどかしいだろう。
それに、エーディンにとって、亡き夫ジャムカのことを知ってくれている、数少ない人間なのだし。
女の人には女の人の話があるのだということも、シャナンは最近知った。
男には男同士の話がある。
修道院までの道中を何度か行き来する間に、それを彼はよくわかったからだ。
「ごちそうさま」
「お、シャナン早いな」
「レックスも早く食べて、アイラを手伝ってあげなよ」
「放っとけばいいんだよ、アイラも、お前も」
「だって」
「大人には、大人の事情があるってこと、小さいうちから知ってた方がいい」
「じゃ、アイラをもっとちゃんと止めれば」
「あいつが、言って聞くか」
そう言ってレックスは笑った。
レックスの発言は無責任だ、とシャナンは少しばかりかちんと来たけれど、それは、大人の男の道理なのかもしれない。
レックスの親は、そういう風にレックスを育てたのかもしれない。
それで、今のレックスがいるのなら、それも確かに悪くないのかもしれない・・・。
シャナンはそう思いつつ、双子と遊んでいるアイラの元へ行った。
アイラは床に座り、ぐるぐると室内を走っている二人を見ているだけだった。
「アイラ、僕、食べ終わったから、いいよ」
「ああ、ありがとう。こら、ラクチェ。わたしは食事の途中なんだ。あとはシャナンに遊んでもらえ」
そう言ってアイラが立ち上がろうとすると、目ざとくみつけたラクチェがやってきて、アイラの服をひっぱる。
「同じ部屋で食事しているんだ。いなくなるわけじゃあないだろう」
そう言い聞かせても、ラクチェは許してはくれないらしい。
「はあーあ」
アイラは困惑の表情を浮かべ、また床に座りなおす。シャナンはその隣に腰をおろして、走り回っている双子を、アイラと二人で見ていた。


「いらっしゃい、レックスさん。シャナンも」
修道院の尼僧達が頭を下げる。
その修道院は、乾いた風が吹く、草木が少ない地に、そうっとあった。
ちょうどその辺りから更に歩いて一刻ほどで、いくつかの小さな集落が点々とある。
集落には医者や、癒しの杖の使い手がいないため、何かとこの修道院に駆け込まれることが多いようだ。
数日に一度、集落の子供達相手に教育の場をもうけているのだが、今まで子供達に教育を施してきた年老いた尼僧が数ヶ月前に亡くなった。その代わりになって指導をしているのは、エーディンだ。
例え他国から来た人間とはいえ、子供達を育てる心持ちに変わりはない。
初めの頃は、集落の人々からの偏見に苦しんだ時期もあったが、今となってはそれも笑って話せる、とエーディンは言う。
「エーディン」
「レックス。こんにちは。いらっしゃい」
石造りの簡素な修道院の、ひんやりとした一室にエーディンは子供達と共にいた。
髪を後ろで一まとめにしていると、彼女の双子の姉であるブリギッドと、いっそうよく似ている、とレックスは思う。
「シャナン、久しぶりね」
「エーディン、久しぶり!」
「また背が伸びたのね。びっくりしたわ。そういえば、この前来た時、オイフェはもうすぐわたしを抜きそうだったわね」
「エーディンは、結構小柄だもん」
「そうね。レスターが、わたしに似ないといいのだけど」
そう言ってエーディンは寂しげに微笑んだ。
「レスター、こんにちは」
「・・・」
エーディンの側で一人遊びをしていた幼児、レスターは一行をじっとみつめた。
一月に一度来るか来ないかなので、オイフェとシャナンのことはすぐに忘れてしまうらしい。
かろうじてレックスが覚えてもらえているのは、レックスが既に大人で、成長をしなくなったからだろう。
「レスター、忘れちゃったかしら?シャナンよ」
よいしょ、とレスターを抱き上げてエーディンは語りかける。
「一緒に枯葉をちぎってたでしょ?オイフェはこの前、わたしとお話していたから、覚えていないでしょうけどね。シャナンはその間中遊んでくれてたんですもの。思い出せるでしょ?」
「あーー、あいー」
返事でもない返事をして、レスターは口をぽかりと開けたまま一行を見て、エーディンを見て、また一行を見る。
「あっはっは、覚えろつっても無理な話だよな。もっと頻繁に来ないとな。お、ラナは、顔つきが変わったな」
レスターの妹のラナは、小さなベッドで毛布に包まれて寝息を立てている。それを覗き込んでレックスはにやにやと笑った。
「目を閉じててもわかる?」
「わかるわかる。開けたらもっと違うんだろうな。レスターの顔は、今のところはどっちにも似てるけど」
「女の子は男親に似るって聞くけど、どうかしらね、ラナは」
「うーん、俺としては、ラナはエーディンに似てくれたほうが・・・」
と、苦々しげにレックスは言う。
「ああ、でもなあ。ヴェルダンの顔立ちの女の子ってのも、なんていうのか、それはそれで」
「もう、レックスったら」
咎めるような表情でエーディンは言う。
レックスとシャナンは、たいそう古くてきしみがひどい椅子に座り、尼僧が持ってきてくれた茶をすすった。
修道院で出される茶は、あまり上等なものではなかったけれど、シャナンは何故かそれが好きだった。
普段と違う場所で口にするものは、何故か特別なものに感じるからなのかもしれない。
と、その時、誰かが扉を軽くノックして入ってきた。
腰が少し曲がって、わずかに前傾姿勢になっている老婆だ。それは、集落とこの修道院を何度も重い荷物を抱えて往復をした、何十年も昔からの蓄積によるものらしい。しわだらけの顔で柔和な表情をレックスに向ける。
「失礼いたします。こんにちは、レックスさん。不躾で申し訳ないのですが、ちょっと、お願いがあるんですけれど」
「尼僧長。お邪魔しています」
レックスは立ち上がって、丁寧に一礼をする。
「シャナン様、お元気そうで、なによりです」
「こんにちは。お邪魔しています。シスターもお元気そうで」
「あらあら、そんなご挨拶も覚えてしまって。シャナン様は大人になるところなのですね。イザークの民として、嬉しく思います」
そう言うと、イザーク流の祈りの印の形で、尼僧長は空間を指で切った。
「何か、俺がお役に立てますか」
「ええ、ええ。女手だけでは、ときたま不自由になるものですから。カラートフの集落からたくさんの干した果物やら穀物をいただいたのですけれど、男たちと馬が運んできたものでしてね。わたし達ではちょっと、移動させるのもやっとで困っておりますの」
「ああ、だったら、お役に立てそうですね」
「レックス、僕も」
「いや、お前は、お前の大事な役目があるだろ」
「え」
「エーディンに、セリスやオイフェや、アイラのこと。スカサハ達のこと。いっぱい話してやってくれ。それから、エーディンから、いっぱい話を聞いてやってくれ」
レックスは、ぽんぽん、とシャナンの頭を軽く叩いた。
時々レックスはこうやってシャナンの頭を叩く。以前はなんとも思わなかったけれど、最近シャナンは、それがちょっとだけ嫌だった。いつまでも自分は子供扱いをされているのだ、と思うことは、なんとなく悔しく思えてきたからだ。
が、それをいちいち「やめてよ」と振り払う気にもなれず、わずかに表情を曇らせるだけだ。
「じゃ、行ってくるな」
レックスは悪びれずにそう言うと、エーディンに軽く手を振って、尼僧長と共に部屋を出て行った。

いっぱい話してやってくれ。いっぱい話を聞いてやってくれ。
レックスにそう言われなくても、シャナンはいつもエーディンに、あれやこれやと話をする。
彼女は、レックスからの話、オイフェからの話はもちろん笑顔でいつも聞いていたけれど、間違いなくシャナンの話を一番楽しみにしている。それは、レックスだけではなく、シャナン本人もよく知っていた。
それが何故なのかと考えると、思い当たることは二つ。
エーディンは、シャナンの、未だ子供らしい喜怒哀楽がまじった語り口調が好きなのだ。
そして。
レックスがアイラのこと、双子のことを語る都度。
多分彼女は、亡き夫が生きていたら、と、ふと思い巡らせるのだろうと思う。
レックスが家族のことを語れば、ジャムカもそんな風に自分達を見てくれたのだろうか。
それを感じてしまう彼女には何の罪もない。人であればいたしかたがないことなのだろうと思う。
誰もそれを口にはしないし、エーディンも一言だってそうとは言わない。
けれど、子供ながらにシャナンは、それを感じ取っていた。
シャナンは、レックスと仲は決して悪くないけれど、当然のようにアイラとよりいっそう仲が良い。
そうであれば、双子とアイラのことを語る分量がいささか多くなる。
それも、エーディンにとっては「自分と同じような、母親と子供」の話を聞くことになって、嬉しいのだろう。
何もかも推測の域を出ないけれど、シャナンはシャナンなりにエーディンを気遣って、そう考えていた。
そして、そんな気遣いが出来る自分が、少しばかり大人になった−尼僧長が言うように−のだとも、ふと思うのだ。
「大変そう。レスターは気性が穏やかだし、今のところラナを苛めたりしないし・・・スカサハとラクチェのように、元気すぎる子供が二人と思うと、ちょっとぞっとするわね」
「スカサハとラクチェがここにきたら、シスター達は祈ってる暇が多分ないよ!」
「うふふ、そうかもね!シャナンの言うとおりだわ。ラナがもう少し大きくなったら、一度二人を連れて遊びに行こうと思っているけれど、レスターったら年上でも泣かされそうよね」
「そうかも。覚悟しておいたほうがいいよー。特にラクチェは暴れん坊で、僕なんて、あちこちつねられて痣ばっかり」
「まあ。大丈夫?」
「あ、うん。慣れっこだよ」
「男親がいると、元気に育つのかしらねぇ。ここは、ほら、女性ばかりでしょう。だからレスターも元気が足りないのかしら?」
「・・・でも、僕が王宮にいた時はね。みんな、僕が、アイラの後ばかりついていくから、活発になったんだって言ってたよ」
「あら」
シャナンは珍しく、イザーク王子として王宮にいた頃の話を口にした。
エーディンはそれに驚き、また、(そうだった。シャナンも、お父様を亡くしているのだわ)と、軽はずみに口走った自分の言葉に悔いた。が、シャナンはそれを気にしたようでもなく
「エーディンが元気なら、レスターもきっと元気だよ。僕の父様は優しい人だったし、母様も優しかった。でも、僕はアイラに似てるんだって。僕はアイラのこと、姉さんだと思ってたし、アイラがどこかに出かける時は、連れて行って欲しくて駄々をこねてたよ。だって、父様は仕事が忙しくて、ちっとも一緒に遊べなかったんだ」
「そうなの」
「でも、僕、父様がグランベルと戦争をするって決めたとき、ああ、僕は父様の子供だったんだ、って思ったよ」
エーディンは静かにシャナンの言葉を聞いている。
「グランベルに勝てるとは父様も思っていなかったけど、でも、おじいさまが殺された以上は、やっぱり、戦争しかなかったんだと思う。僕も、父様が選んだことを誇りに思ってる・・・あれ?何の話してたんだっけ」
「いいのよ、シャナン」
そういいながらエーディンは、床の上で小さな板きれを転がして遊んでいるレスターに目をやった。
「あなたが、あなたのお父様を誇りに思うように」
「・・・」
「この子達にも、ジャムカのことを誇りに思ってくれる日がくるように、願っているわ。わたしが愛したあの人は、決して、間違ったことをしてヴェルダンを離れたわけではない。真実を信じて、守るために命を落としたのだと・・・そう思っているから」
ちょうど、その時、毛布に包まれていたラナがごそごそと手を動かし、泣き声をあげた。
慌ててエーディンは腕を伸ばして、生後そう間もない娘を抱き起こす。
レスターはそれが気にならないようで、しきりに板切れを引きずったり、床にガンガン叩きつけたりしている。
その親子の様子をシャナンは不思議そうに見ていた。
父親を知らない娘。父親をほとんど知らない息子。
父も母も記憶にはあるけれど、この世から失ってしまったシャナン。
シャナンの力不足で、母親を失い、更には、父親を失ったセリス。
そして、両親に囲まれてとてもとても幸せな、あの双子。
あの子達も、いつか親を亡くすことがあるのだろうか。
当たり前であれば当たり前で、不吉といえば不吉な、そんなことをふとシャナンは思った。
そして、それは、自分もまた、二人を失うということなのではないか。
室内には、ラナの泣き声が響き、それをあやすエーディンの声がかき消されていた。

茶器を下げようと通路に出たシャナンは、尼僧長から礼を言われているレックスの様子をちょうどみかけた。
「レックス、終わったの」
「お、シャナン、いいところに。最後の一仕事が残っててな。手伝ってくれるか」
「うん」
「シャナン様、よろしくお願いいたします」
尼僧長は、シャナンから茶器を受け取った。
「外にある薪を運びたいんだけどな、縄でくくるところから始めなきゃいけないんだ」
そう言いながらレックスは、先に歩いていってしまう。慌ててシャナンは尼僧長に軽く一礼をして後をついていく。
レックスの背は、広い。
それが、イザーク人にはめずらしい骨格なのだと、最近シャナンは知った。それには、嫌悪の感覚はない。むしろ、羨望に近い感情がシャナンの中にある。
レックスの髪の色や言葉の癖が、グランベルの人間だとわからせてしまうのは仕方がないと思っていたけれど、実は、そんな、生まれもった部分までもが、彼と自分達イザーク人の違いとなって現れているのだ。
とはいえ、それを口に出して言う人間は、もはやほとんどいないし、むしろ、最初からイザーク人なのではないかと思えるように、彼は既に馴染んでいるのだが。
イザーク人のようなしなやかさは感じさせない、むしろ、がっしりとしていて骨太なレックス。
その両肩に乗っているものは、家族だけではなく、過去のしがらみやなにやら、目には見えない数多くのものなのだろう。
異国の地で、レックスは毎日笑顔で過ごしているけれど、それは間違いない、とシャナンは思う。
シャナンはまだ「少年」と言われる年齢ではあったけれど、レックスの背に見えるものを「知っている」と思う。
そうだ、こうやって彼の背を見ると時々、どうしようもないほどに思い出されることがあるのだ。
「どうした、シャナン」
「あ、ううん」
知らず知らずのうちに止まっていた足。
振り向いたレックスは、いぶかしげな表情でシャナンを見た。慌ててシャナンはレックスのもとに駆け寄った。
「なんか、具合悪いか。ああ、疲れたか?もしそうなら、休んでいていいぞ」
「ううん、大丈夫。違うんだ。ちょっと考え事していて」
「そうか?無理するなよ。帰る体力のことも考えとけ」
そう言うと、ぽんぽん、とレックスはシャナンの肩を叩き、また歩き出す。
以前は、彼の手が同じように置かれるのは、シャナンの頭だった。
それが、いつの頃からから、その手は肩を叩くことが増えた気がする、とシャナンは思う。
「縄の結び方、知ってるか」
建物の外に出ると、やたらと太陽の陽射しを眩しく感じる。それほどに、建物の中は薄暗いということだろう。
砂地の上にどさどさと置かれた薪は、煮炊きの時などに使われるものではなく、寒い日に暖炉にくべるものらしい。
イザークは、シレジアに比べれば冬はああも長くないし降雪量は少ないが、冷えるときはかなり冷え込んで、火をなくしては生活がままならない。その冬への準備だろう。
「ううん、知らない」
「鞍につける荷物を結わえる時とあまり変わらないんだけどな。まだ、割らなきゃいけない薪があるから、それは俺がやる。シャナンは縄でくくってくれ」
そう言って、レックスは、薪の側にある縄を手にした。
「わかった。レックスは誰に習ったの」
「あー・・・俺の昔の家のな、使用人というか、親父というか」
「?」
いいながら、レックスは膝を砂につけ、手近な薪をちょうどいい束にまとめた。別段、ご大層な昔話、というわけでもなく、世間話をするような口調でレックスは話を続けた。
「習ったっていうよりな・・・あれも、俺がシャナンくらいの時だなぁ。ちょっとばかしハメを外して、罰として使用人と一緒に薪割することになって。最初に結び方は使用人に教わったんだけど、ほら、結局使用人は俺には甘いじゃないか?」
「あはは」
「で、使用人に習ったんだけど、ちゃんと結んでなくてさ・・・緩んだ縄で運んでいたら、通りかかった親父に、更に怒られて、その場で全部結び直し」
「へえ」
「あんときゃ、このヤロー殺すぞって思ってたけど、本当に殺すことになるとはなぁ」
さらっとレックスはそう言って、縄を薪の束にくるくると巻き付け始めた。
シャナンはそれに対してどう答えていいか戸惑う。
「・・・レックス」
「ああ、気にすんな。今更しんみりする話じゃあ、ない。ほら、やるから見てろよ」
「うん」
手際よくレックスは縄で薪をくくって、ぎゅっとその輪をしぼった。隣でシャナンも座り込んで、彼の手元をよく観察する。
まだシャナンは成長期で、上背だけではなく手の大きさですらレックスには及ばない。大きな手は一見すると不器用に見えがちだが、実際は目の前のレックスの手の動きはそうは見えない。それを、不思議だなぁ、と思う。
「根本で緩まないようにな、ここで一度こっちとこっちをひっぱるんだ」
「うん」
「実際に運ぶのはシスター達だから、薪は心持ち少なめにな。持ち手まではあまり長くしないで、短めにするんだ」
「やってみる」
レックスが見ている前で、シャナンは言われた通りのことをやってみせた。レックスが見せてくれたお手本と比べると、括った輪にわずかな隙間が出来てしまったけれど、持ってみればそれなりに安定はしている。
まあ、初めてでこれなら、上出来だ、とレックスはシャナンを褒めた。
ちょっとのことだが、それがどうにもならないほど嬉しく、シャナンの口元はにやつき、「どんどんやるよ!」とやる気になるのだった。


レックスとシャナンが家に戻ったのは、既に月が真上に上がる頃だった。
部屋の隅のベッドで双子達は仲良く眠っていて、アイラと、数人の女中だけがまだ起きて彼らを待っていた。
狭い屋敷の一室に、レックスとアイラ、そして双子は生活をしている。
食堂は別にあるけれど、夜遅くになった時は、こうして部屋にある小さなテーブルで夜食を手早く胃に収めることが多い。
テーブルの中央に置かれた小さなランプの灯りは、充分すぎるほどに室内を照らしており、何の不自由もない。
腹ぺこだ、というレックスの訴えに、女中が野菜スープを温めて出してくれた。
それを胃に注ぎ込みながら、レックスはアイラに今日のエーディンの様子などを話した。
それから、砂地で風が吹いていたおかげで髪の毛と毛の間に砂がたまっている、とレックスは不満そうに言う。
「頭だけでも洗えばいいだろう。冷えるほどの気温ではない」
アイラがそう言えばレックスは素直に頷いて、近くに置いてあったタオルを一枚手にして立ち上がった。そして、部屋を出る前に、眠っている双子を覗き込む。
「おーお、すやすや寝てるな」
「わたしも、くたくただ。今日は一日二人に振り回された」
そう言ってアイラは小さく息をついた。
「いつも悪いな」
「悪くない。わたしの役目だ。二人に振り回されている間は、外に出なくとも太らずに済むってことは利点だな」
「わはは、そりゃ確かだ」
レックスはおおらかに笑った。が、当のアイラは冗談でもなんでもなかったらしく、肩を軽くすくめて見せるだけだ。
その様子を特に気にせず、レックスはようやく部屋から出て行く。その後姿をちらりと見送ってから、アイラはシャナンに声をかけた。
「シャナンも疲れているだろう。早く休むといい」
「うん。でも、もう一休みしてから・・・なんとなく、動くのがだるくて」
「ああ、そういう時もあるな。じゃあ、急かさない」
シャナンの前に置きっぱなしの食器をアイラは重ね、ひとまずはそれらを片付けに出て行った。
残されたシャナンは、テーブルの上に上体をつっぷして、「ふー」と息をつく。
慣れない仕事に、確かに疲れた感じはする。でも、何故か睡魔は襲ってこない。
どちらかというと、「眠りたくない」気がする、とシャナンは思った。


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