背中-2-

やがて、アイラは軽く皿の片付けを終えて、シャナンのもとに戻ってきた。テーブルに突っ伏していたシャナンは、アイラの足音で慌てて起き上がり、少し乱れた髪を直した。どういう形であれ、アイラに心配をさせたくないという気持ちからだ。
「シャナンも疲れただろう。いつも、ありがとう」
「ううん、これくらい、疲れたうちに入らないよ」
「そうか。シャナンは強くなったな」
そう言いながら、アイラは双子達のベッドに近付いて、毛布から半分はみ出してしまっているラクチェの体に、優しく毛布をかけ直した。
シャナンはとうにスープを飲み終えていたが、何故かその場を離れる気にいつまでもなれず、とはいえ、夜も深い時間だったので、あれこれと言葉多く騒がしく話す気にもなれない。
だからなのだろうか。
ふと、一番気になったことを口にしてしまう。それは、「迂闊にも」という言葉があまりにもぴったりな言葉だ。
「アイラ」
「ん?」
「アイラとレックスは、二人の側から、離れないよね?」
その問い掛けに驚いて、アイラはシャナンを見つめた。
シャナンも、それを見つめ返し、その不思議な間で彼は答えを得ることが出来た。

そうなんだ。
それは、誰も、約束が出来ないことなんだ。
わかっていても、それを聞いてしまったのは。

「アイラ、ごめん。僕は、ラクチェとスカサハが大好きなんだ」
シャナンは、悲しげな表情で俯きつつ、静かに言う。アイラの顔を直視出来ない、と思う。
その無礼な行為に対して、「イザーク王族ともあろうものが」などと声高に言うこともなく、アイラは優しい言葉を返した。
「うん。わかっている。シャナンは、いつも、二人によくしてくれている。感謝している」
「だから、アイラとレックスが、ずっと、二人の側にいてくれると、嬉しいと思ったんだ」
「うん」
「だから、いかないで」
「何故、そう思う?」
「・・・だって、僕は知ってるから」
アイラとレックスが、本当は。
子育てが一段落ついたら、旅に出てしまうことを。
エーディンを一人にしてしまった、彼女の伴侶を奪った、あの日の戦い。
そこで、離れ離れになってしまった仲間達、それから、神器。
それらのものを探すために、いつか二人はイザークを後にする。その時、多分自分は一緒には行けないだろうし、二人は双子を置いていくのだとわかっていた。
わかっていても、言わずにはいられなかったのだ。
室内には、灯火のお陰で温かくなった空気と、壁側にはりついているようなひんやりとした空気が、境目で相手を温め、冷やし、混在している。まるでそれに似ているように、シャナンの心の中では、言わなければよかった、けれど、聞きたかった、その気持ちがお互いの場所を浸食しあって、また、言葉に出来ない複雑な感情を作り上げているようだ。
子供達が大事じゃないの?
そんな質問は、馬鹿馬鹿しい。
大事ではないはずがない。そんなことは、一緒にいるシャナンが誰よりも一番よくわかっている。
けれど、世の中には、譲れないものがあるのだということを、シャナンは幼くして理解をしていた。

たとえば。

もし、今、「あの時」がまた来れば。
自分の目の前で、シグルド公子の妻、セリスの母であるディアドラが、何者かにさらわれた、忌まわしきあの時に、今の自分が戻れるとしたら。
そのためならば、シャナンは、この今の幸せな日々を捨ててでも良いと思える。
自分がやらなければいけなかったことへの悔恨や、二度と繰り返さないために手に入れようとしている強さ。例え、今の自分ではまだ防ぎようがないとしても、それでも何度でも何度でも・・・。
それは、シャナンにとって「譲れないこと」だからだ。
それが、アイラにもレックスにもあるのだと、痛いほどに知っており、その幼い心は、それを思うためにしめつけられて軽い痛みを感じる。
それから、どれくらいの沈黙が流れただろうか。
アイラからは何の問い掛けももらえないままの時間が過ぎた。けれど、それは、シャナンにとっては必要な時間だったに違いない。
「ごめん、アイラ、嘘だ」
「うん?」
「僕は、レックスのことも、アイラのことも、大好きなんだ」
「知っているよ。わたしも、シャナンのことが、大好きだ」
「だから、僕もまだ、二人に、行かないで欲しいんだ」
「シャナン」
「また、無くす準備が、まだ出来ていないんだ」
また無くす。
シャナンのその言葉を聞いて、アイラは軽く眉を寄せて、小さく息を吐き出した。
アイラにとっても、懸念が多少あったことだったのだろうか。
シャナンは、アイラの嘆息を聞いて、「わかってくれているのかもしれない」とふと感じた。
あの、イザークを追われてグランベルに辿り着いた苦い日々。
家族を失い、幸せな家を、国を失い、お互いだけがお互いの拠り所になっていた日々。
その後シグルド公子と出会い、仲間達と旅をして、知らない国々を渡り歩いた日々。
追われるままにシレジアに落ちのびて、ラーナ王妃の温情にすがって暮らしたわずかな日々。
そして、それすら許されず、再び戦いに身を投じることになった春。
まだ少年であるシャナンにとっては、あまりにも激動の時期だった。
そして、どれほど幸せな時間が続こうと、ほんの一日で、それら全ては奪われてしまう。そうとわからされた過去だ。
そうだ。
イザークを捨てて、逃げ落ちなければいけなくなったあの日のように。
何度も何度も、慈しんで大事にしたいものを「手に入れた」と思えば、それを呆気なく誰かにもぎ取られ、床に叩きつけて踏みにじられてしまう。
シャナンは、そのことをもはや嫌というほど知っているのだ。
繰り返される、「無くす」喪失感。
いつだって。次は、絶対にそうはさせない、と思っているのに。
シャナンは、アイラからの返事を待たずに、テーブルに上半身を突っ伏して黙った。
泣いてしまいそうだった。

次にシャナンが気付いた時、彼は自分が一体どうなっているのか、状況を把握するのにやたらと時間がかかった。
軽く上下に揺れる感覚にうっすらと瞳をあけ、何度か瞬きをする。
温かい。けれど、寒い、とも思う。
なんだ。自分はどうしたんだ。
アイラと話していて、それから。
「ん?起きたか?」
問い掛ける人物は、シャナンを背負っている。
その声は聞き慣れたものだったし、移動しているのは、先ほど食事をした部屋からシャナンの寝室までの、ほんの短い間の通路だ。
子供のように自分はおぶさっており、触れた部分は温かく、背は冷たい空気に晒されているのだ。
起きたよ、と言葉にすることが出来ず、シャナンは黙った。
それをどうとったのかはわからないが、シャナンを背負った彼は、黙ったままだ。
昔、遠い昔、誰かの背で、眠ったことがある。
それが、誰だったのかはシャナンには思い出せない。
母ではない、アイラではない、女性ではない、と思う。
であれば。
あれは、父親ではなかったか。そうだ。他の、どんな臣下も兵士達も、シャナンを背負うことなんてありやしないのだし。
「相当、重くなったな。アイラじゃあ、もうお前を背負えないぞ」
シャナンの寝室に到着すると、そのままシャナンを寝かせようと思っているのか、灯りは灯さず背中側をベッドに向けて、ゆっくりと腰を落とした。
開いた扉から光が入っているけれど、室内は薄暗いままだ。
「ほら、もう起きてるんだろう。ベッドに入れ。靴脱がせてあるから」
返事をしたくない、とシャナンは下唇を噛み締めて、ぎゅ、と瞳を強くつぶる。
「シャナン」
「レックス。明日、起きたら、レックスは僕に、おはようって言ってくれるんだよね」
「え?」
シャナンを背負っていたレックスは、背中から離れようとしないシャナンと一緒にベッドに腰をおろした。
「おはようって、言うよね」
「だな?何言ってるんだ、お前は」
「いなくならないよね」
早く降りろ。
そうレックスが言うとシャナンは思っていたが、予想外にもレックスは黙ったままだ。
負ぶさった形なので、お互いのお互いの顔をきちんと正面から見ることは出来ない。
「馬鹿だな、シャナンは」
「・・・」
「誰も、永遠に、近くにはいられないんだぞ」
そのレックスの、あまりに現実的な言葉に、シャナンはむきになって声をあげた。
「・・・知ってるよ!知ってるから・・・知ってるから、今だけでも、一緒にまだいて欲しいんじゃあないか!」
いつか二人がいなくなることを、僕は知っているんだ。その気持ちをそのまま言葉にして、シャナンはレックスにぶつける。
それに対するレックスの答えは、少しだけ間を置いて、ゆっくりと言い聞かせるように返って来る。
「・・・そうだ。だから、俺もアイラも」
「・・・うん」
「双子はもちろんのこと、お前と一緒にいる、この時間が大事で大事で仕方がなくて」
「・・・」
「決心が、鈍る」
「!」
思いがけない言葉にシャナンは驚き、戸惑う。
それ以上、レックスからの言葉はなく、けれど、背中にシャナンがぴったりとくっついたままでも、それを離そうとする動きもみせなかった。
シャナンは言葉にならない心の内を持て余すように、ぎゅっとレックスの首にしがみつき、その広い背中に頬や耳をぐいぐいと押し付ける。ベッドの上に腰は既に下ろしているけれど、まるでレックスにまだおぶさっているように、両足でレックスの体を挟んだまま、離れようとしない。
「シャナンは、ちっと大人になったと思ったけど、まだまだ、子供か?」
「そうだよ・・・僕は、まだ子供だよ・・・」
広い背を仲介して、シャナンの耳に響いてくる、くぐもったレックスの声。
決して、自分はレックスのように体は大きくならないだろうな、なんてことをシャナンは何故か考えた。
「本当に、そうか?」
「・・・」
そうだ、と言えずにシャナンは黙る。
もしも、この問いをアイラからされれば、最後まで「まだ僕は子供だもん」と、無理矢理言い通したかもしれない。
いつもは、大人扱いをして欲しくて、背伸びをして、双子がいる時は聞き分けが良い兄のようなふりをしていたけれど。
自分がまだ子供だと言い張れば、アイラとレックスは、まだここにいてくれるのではないかと、そう思うからだ。
けれども。
シャナンはそっとレックスの背から体を離した。
自分がしがみついていたその背は本当に広く、逞しく、そして、素直に憧れる。
アイラとレックスがバーハラでの惨劇で戦い抜いた時、逃げられるはずだったレックスは、危険を冒してまでも、離れ離れになってしまったアイラを探して、彼女を守り抜いて多くの怪我を負ったという。
その傷痕が、体のあちこちに残っていることをシャナンは知っている。
父との最後の日「お前は、生きることでイザークを守れ」といった父マリクルは、自分は自分がしなければいけない方法で国を守ると言った。そして、父はシャナンに背を向け、戦の準備に取り掛かるために部屋を出て行った。その時の、最後の勇ましい後姿は、今でも思い出すことが出来る。
「シャナン、本当に、お前は、まだ子供か?」
二度目のレックスの質問は、今度は、通る声でシャナンには聞こえた。
その問い掛けに、嘘や、適当な言葉を返すことなぞ、出来ない、とシャナンには思える。

−−あなたが、あなたのお父様を誇りに思うように−−

シャナンは目を閉じた。

−−この子達にも、ジャムカのことを誇りに思ってくれる日がくるように、願っているわ。わたしが愛したあの人は、真実を信じて、守るために命を落としたのだと・・・そう思っているから−−

けれど、過去の真実というものは、誰かが伝えなければいけないのだ。
エーディンが、レスター達にジャムカの気持ちを伝えたいと思うように。
アイラがシグルド達に、イザークの無罪を証明しようとしたように。
シャナンが、自分の父を誇りに思うと、言葉にするように。
それから、それから。
たとえ、この地を離れ、双子のもとを、アイラとレックスが離れたとしても。

「・・・まだ、大人だと、胸を張ってはいえないけど・・・でも・・・」
「ああ」
「過ちは、二度と繰り返したくないし、そのために、努力する。だから、レックス」
シャナンは、ベッドの上に座り込んだままで、唇を震わせた。突然、我慢しきれない涙が溢れてきて、しゃくりあげる。
暗くて、よかった。
灯りがついていたら、このヘンな顔をレックスに見られてしまう・・・。
そう思うものの、しゃくりあげる声だけは、何にもかき消されることはない。
「もう少しだけ、待って。頑張るから。僕、頑張るから・・・」
泣くのは、恥ずかしいことだ。
シャナンは少しだけそう思ったが、どんなに気を紛らわそうとしても、その涙は止めようがなかった。
頭を、ぽんぽんと叩かなくなったレックス。
力仕事も、少しずつ任せてくれるようになったレックス。
自分の父親から教えられたことを、シャナンに教えてくれるレックス。
目の前にいる、この男性が、自分をもう子供扱いしないように努めていることを、本当は知っていた。
けれど、こうやって背負われては、とても容易に自分は子供に戻ってしまい、甘えたくなるのだ。
いつもならばそれをどうとも思わないけれど、その自覚を、シャナンはとても恥ずべきことだと思えた。
自分が大人ではないと自覚することは、恥ずかしくはない。
大人だと主張しつつ、甘やかされたいと思ったり、子供の特権を振りかざしながら大人扱いされたいと思う心が、恥ずかしいものなのだ。
レックスは、ベッドの上に座り込んでいるシャナンに向き直る。
「ああ。待てる。急がなくていい。俺達は、お前に背伸びさせたいわけじゃあない」
そう言って、レックスは、小刻みに震えているシャナンの肩を、二度軽く叩いた。
それへ、何度も何度もシャナンは、顔を上下させて頷くことが精一杯だった。

翌日、朝から双子達は元気よく、奇声をあげていた。
最近、双子は言葉を口にしそうになってきたが、それはとても、勝手な大人達からすれば「どうでもいい」ことが多く、アイラが呆れかえっていた。
「最初は、親を呼んだり、動くものを呼ぶものだと思っていたが」
と呆れれば、使用人達も「うちの孫は、最初に「ばーば」と呼んでくれました」などと言うものだから、尚更アイラの失望は深い。
なんと、ラクチェが最初に覚えた言葉は「アッチー」で、かまどの火に手をかざした時に繰り返していたらしい。
聞けば、よく飯炊きの時に厨房にラクチェがやってきて、火の近くは危ないので「ここに来ると、アチチってなって火傷しますよ!」と使用人達が繰り返し言っていたのを覚えてしまったらしい。
「まあ、そりゃー、誰もお前のことを「お母さん」とは呼んでないんだから、言葉を覚えるわけがない」
「そう言われればそうか」
レックスに冷静にそう言われて、けろっと答えるアイラの様子がおかしくて、シャナンは大笑いしてしまったものだ。
「ああーー・・・うるさいなぁ」
ベッドから起き上がって、シャナンは目をこすった。眠たい。
窓から差し込む陽射しが目に痛く、いつもより目を開けるのが億劫に思える。
そう思っていると、ドンドンと扉を叩く音が聞こえた。いや、正確には「ガツガツ」と何かをぶつけている音だ。
「なんだい・・・」
ベッドから降りて、靴を履く。
かかとを潰したまま−アイラに怒られるのだが、室内ではたまにそうしている−ぺたぺた歩いて、扉を開けた。
「アーイ!アー!」
「ああ、おはよう、ラクチェ」
小さな訪問者の手には、木の人形が握り締められていた。それを扉に叩きつけていたのだろう。
ぐるぐるとシャナンの部屋を歩き回ると気が済んだのか、ラクチェは奇声を発しながら部屋から出て行く。
「お腹減ったなぁ。昨日、食べてからすぐ寝たのに」
慌てて服を着替えて、前身ごろのボタンを1つずつ留めていく。
と、その時、もう一人の訪問者がやってきた。
「アー」
ちょこちょこと室内に入ってきたその様子は、気まぐれでやってきただけで、シャナンを探しに来たとは到底思えない、勝手な動きを見せる。
「あれ。スカサハ。おはようー」
シャナンは右手をあげてもじゃもじゃに絡んでいる後頭部の髪を梳きながら、スカサハに挨拶をする。
「アヨー」
「うん?」
「アヨー」
声をあげながら、幼いスカサハは左手を上げて見せた。
シャナンは驚きで目を大きく見開く。
「・・・おはよう、スカサハ」
「アヨー」
最後にもう一度だけそう言うと、最近覚えた手叩きをして−双子達によく出来ました、と言うときに皆が手を叩いているのを真似するようになったのだ−スカサハは室内をうろうろする。
「・・・ちょっと、スカサハ」
「アー」
「もう一回」
「アー」
「あー、じゃなくて。おはよう」
「アオー」
「あおーじゃなくて・・・」
開きっぱなしの扉から、朝食の美味しそうな匂いが漂ってきて、シャナンの鼻をくすぐる。
スカサハは、シャナンの問い掛けは上の空で、ちょこちょこと部屋から出て行ってしまった。漂ってきた食事の匂いに目を輝かせて。
「今のって・・・」
シャナンも、まだ留めていない上着のボタンをもぞもぞといじりながら部屋を出て、スカサハの後を追って行った。
大方の予想通り、食事をするテーブルへとスカサハは向かっているようだ。その後ろについて、スカサハも部屋に入って行く。
「アイラ、おはよう」
「ああ、おはよう、スカサハ」
アイラは、使用人と共にテーブルの上に皿を運んでいるところだった。
ラクチェとスカサハは我慢出来ないように、何度も何度も背伸びをして手を出そうとしては、アイラに怒られている。
「僕が運ぶから、アイラは」
「ああ、悪いな。ありがとう」
アイラはよく働く、とシャナンは思う。
昔は、大人が子供のためにあれこれをしてくれることは、当たり前だとシャナンは思っていた。
しかし、双子が生まれたことで、自分よりも世話がかかる存在が近くにいることで、自分には色々なことが見えてきた、と感じる。
アイラは、剣の腕が鈍ることを恐れ、朝の鍛錬を欠かさない。
その時間だけは、どんなに双子達が暴れていようがなんだろうが、アイラは決してそれを怠ることが無い。
もちろんその間は使用人達がそれなりに手を焼いてしまうのだが、イザーク王家の血を引くあの子供達の世話をすることは名誉なことなのだと、使用人達は口をそろえて言う。そういうものなのか、とシャナンは理解し難いその感情について、それ以上深い追求をしようとは思わない。
双子も少しずつ「母親が決して自分達の元に来てくれない時間」というものが毎日必ず存在するのだということを、それなりに認識をしているようだ。
大人と子供は、折り合いをつけなければいけない、とアイラは言う。
人と人の間には、常に、お互いを尊重しつつも、譲れないものがあるのだと、幼い頃から覚えさせたいと彼女は言っていた。
泣けば、必ず誰かが来る。その安心感を子供は母親に求めているものだが、どうしてもそれが叶わない時もある。
それを、愛情が薄いからだと思われるのはごめんだ、とアイラは肩をすくめて見せたものだ。
その代わり、鍛錬を終えればすぐに双子の下に戻り、食事は出来る限りはアイラの手で作ったものをアイラが食べさせる。
使用人が作る料理の方がおいしいことは残念ではあるが、アイラは、自分が出来る限りのことはすべて自分でやろうとしている。
レックスやシャナンの食事を運び、後片付けを使用人達とやって。
家の掃除や買出しなどは使用人に任せてはいるけれど、それを差し引いても、とてもアイラはよく働いている。
大人達が働くのは当たり前。
みなが自分に食事を作ってくれるのも当たり前。
そう思っていた幼い自分を既に恥じるほどに、シャナンはここの生活で多くのものを感じ取っていた。
これは、大人になるということなんだろうか。
そう思いつつ、相変わらず忙しそうなアイラを、労わろうと思える。
「おっす、おはよう、シャナン」
そのとき、レックスが軽く右手をあげて、室内に入ってきた。シャナンの名を呼ぶということは、アイラには既に朝の挨拶は済んでいるということだ。
「おはよう」
シャナンが明るく返事をする。
「ラクチェも、スカサハも、おはよう」
その挨拶はどうでも良いらしく、ラクチェは「アー」と何かをいいながら、レックスの元へ走っていく。
が、スカサハは。
「アヨー」
「・・・ん?スカサハ、もう一度。なんだ、それ」
レックスがそう言うと、アイラも「ん?」とスカサハの様子をよく見ようと真面目な顔になる。
「アヨー」
スカサハは、先ほどシャナンに見せたように左手をあげ、それから、また自分で「よく出来ました」手叩きをして嬉しそうにぐるぐるその場で廻る。
その様子を見て、アイラとレックスは嬉しそうに
「おい、アイラ、それ、朝の挨拶じゃないか」
「ああ、そのようだ。覚えたんだな。スカサハ、もう一度、レックスにおはよう、って言ってごらん。おはよう、って」
しかし、そう言われても、「よく出来ました」手叩きではしゃいでいるスカサハは、アイラの言葉に耳を貸さない。
「アイラ、あれ、多分、レックスの真似だよ」
「シャナン?」
シャナンは、使用人から受け取ったスープ皿を二つテーブルに運んで、にやにやと笑った。レックスは、ラクチェを抱き上げてあやしながら話を聞く。
「スカサハ、手をあげるでしょ。あれ、レックスの癖だよね」
「お?俺?」
「レックス、最近おはようって言うとき、よく手をあげるよね」
そのシャナンの指摘に、レックスとアイラは顔を合わせた。少しばかり間抜けな表情で、レックスは苦々しく答える。
「あ、あ、あ、あー。そうかもしれないな・・・」
その曖昧な言葉に、アイラは声を出して笑った。
「それ見てるから、スカサハはさ・・・逆の手、見たままの方の手、あげるみたいだよ。さっき、僕のところに来て、あよーってやってたもん」
「あっはは、じゃあ、最初にスカサハが挨拶をしたのは、シャナンか」
「多分ね。スカサハ。おはようー」
シャナンはレックスの真似をして、右手をあげてスカサハに挨拶をした。それに反応をして、スカサハはもう一度
「アヨー」
といいつつ左手をあげ、親2人の親馬鹿心を刺激する。スカサハの様子を見て始終にやけっぱなしのレックスはもとより、アイラもまた、頬をわずかに染めて嬉しそうに笑顔を見せる。
「なんか、あれだな。芸を仕込んだみたいだな」
「バカ。レックスのせいで、余計な癖までついてしまったではないか」
「ラクチェには覚えさせないようにしたいもんだ」
レックスは片腕でラクチェを支えたまま、もう片方の手でスカサハの頭を何度か撫でた。が、当のスカサハは、それの意味がわからず、また「アー」と奇声を発しながらアイラのもとに歩いていく。
「はい、これで全部です」
廊下から使用人が、固いパンが入っているかごを持ってきて差し出す。シャナンはそれを受け取って、食卓に並べた。
「連日、悪いな、シャナン」
レックスはそういいながら、椅子に座る。
今日は、セリスとオイフェに会いに行く予定になっているため、昨日今日と少しばかり体力的には厳しいのだ。それをレックスは言っているのだろう。
「ううん。僕より・・・アイラの方が大変じゃないの。2人相手にして」
「はは、そうだな。でも、これはこれで楽しみでもあるしな・・・スカサハが覚えたご挨拶を、最初にシャナンが聞いたのが、ちょっとうらめしい。次に覚える言葉は、2人がいない間に披露してもらいたいものだ」
そう冗談めかして言って、アイラは笑顔を見せた。


朝食を終えて、出かける準備をシャナンがしていると、レックスが様子を見に来た。
「どうだ」
「うん。もう大丈夫。出かけられるよ」
「よし、行くか」
前日と同じように、アイラに見送られて二人は出発をした。エーディンがいる修道院に比べればかなり近場にセリスとオイフェはいるため、徒歩で移動することが出来る。
手土産に麻袋に放り込んだ乾物や衣類を持って、草が少ない砂地を歩いて行く。
空はちょうどいいくらいの弱い日差しで、風が多少ある。体を動かすには、かなり楽な天気だということはお互いわかっている。
他愛のない会話をしながら二人の歩みは進み、一刻過ぎた頃に軽く休憩をとった。
風に吹かれた砂が舞い上がって、草の上にかぶさる様子が見える。もう少し進めばもっと草地が多い場所に出るのだが、砂漠ではない乾燥地に腰をかけ、荒涼とした風景を見るのがシャナンは嫌いではなかった。
「ねえ、レックス」
「うん?」
丁度よくあった小さな岩に背をもたれかけながら、シャナンは皮袋に入れてきた水に口をつけるレックスに言った。
「赤ん坊が、言葉を覚えるのって、すごいね」
「すごいだろう?」
「ああやって、進化してくんだねぇ。おもしろいね」
「だな。親にならなきゃあ、そんなもの見る機会もないしな・・・子育ての醍醐味なのかな。こういうのが。子供っていうものは、あんまりにも多くの可能性があって、見ていて眩しく見えるものだな」
レックスはそう言って明るい笑顔を見せる。その笑顔を消さないまま、シャナンに優しく問い掛けた。
「俺たちは、途中までしか、見られないかもしれないけど・・・俺たちの代わりにシャナンが、見守ってくれるんだろう?」
「・・・え」
「シャナンの親御さんが、シャナンがこんなに立派になったのを見られなかったけれど、アイラが見守ってくれていた。それと同じで、あの2人を・・・シャナンに託したいと思ってる」
「レックス」
「それは、俺たちの勝手な気持ちだ、言い分だ。シャナンにその気がなければ、それまでの話、使用人達に任せる以外どうしようも出来ない。シャナンに断られたって、俺とアイラは、折れるわけにいかないからな」
そう言ってレックスは立ち上がった。
「さ、いくか。もうひと踏ん張りだ。オイフェはアイラと違って料理がうまいからな。甘いもんでも焼いててくれると思うぞ」
「うん。僕、オイフェが焼いてくれるお菓子好きだよ。グランベル風のお菓子だよね。誰にならったんだろう」
「エスリンだって言ってたな。シレジアで覚えたらしいぞ。キュアンもフィンも、レンスアター風のものよりグランベルの菓子の方が好きだったらしいし、シグルドもああ見えて甘党だったからなぁ」
懐かしい人の名前、懐かしい国の名前、それらを一つずつレックスが口にする。それが感傷的ではないのは、レックスが大人だからなのだろう、とシャナンは思う。
心が揺れて、目を細めてシャナンはレックスを見るが、レックスは気にした風もなく麻袋を担いで歩き出す。
女手一つで2人を育てるエーディン。父を失ったセリスを見守るオイフェ。レンスターでは、両親を失ったリーフ王子をフィンが見守っていることだろう。
歩き出したレックスを見れば、重い麻袋を背負っているはずなのに、その重さを感じさせず、逞しくもあり、温かくもあるいつもの彼の姿がある。
いつか、双子が、次は自分の背を見て何かを感じるのだろうか。
そう思いながら、シャナンは歩き出した。


Fin

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