記憶の底に


(一)


朝の日差しは柔らかく、空気は雨の気配を感じさせない。柔らかな風は、髪を乱すほどのものでもなく、心地よい。
広がる空を見上げれば、散り散りになった薄い雲が大分高い位置に見える。
一仕事を終えたルフレは、天幕前で伸びをした。
「うん。今日は降らないようですね」
昨晩野営地に天幕を張ったときに予測した通りだ、とルフレは満足げに口端を緩める。
それから、彼女はぐるりと野営地周辺を見回した。天幕やかまどの近く等で皆思い思いの場所に腰を下ろして、簡素な朝食を味わっている。だが、近い場所にはルフレが探している人物が見当たらなかった。
「えーっと……」
今日のような野営明けの朝は、どこに誰がいるのか把握しづらい。
夜中の見張り役が早朝に眠りに入り、その時間からの見張り役は朝食が遅くなったりと、すべての人間の動きを把握しているのは、おおよそルフレと料理番だけになるのが常だ。
「ブレディさんは、どこにいるのでしょう……」
ブレディは普通に起きて普通に朝食を取るだろう状況だと、皆はわかっていなくてもルフレはわかっている。
しかも、今日の朝食担当はルフレとオリヴィエだから、尚のこと。
起きているだろう人数分用意したパンは、既にかまどの傍からなくなっていた。ということは、きっとルフレがその場を離れている間に、ブレディは朝食を取りに来たに違いない。
自分の分の朝食――今日の朝食は小さなパン二つに、茹でた芋と豆を岩塩・油で和えた、簡素でも腹持ちがするものだ――とブレディのためのスープをトレイに載せて、彼の姿を探すルフレ。
ルフレは、彼女が食事当番の時は必ずブレディのためにスープを作り、そっと彼に届ける。それは、ブレディの偏食による栄養不足を解消するための、彼女特製のスープだ。
開発には丸一晩かかったそのスープも最近は前日の仕込みとやらで短時間で作られるようになった。おかげで、いつ当番になってもルフレはスープをブレディに届けられる。そして、最初はまずいまずいと連呼していたブレディであったが、最近ではそのスープを多少うまいと感じるようになってきたようだ。それは、大進歩と言えるだろう。
料理当番の時にルフレが何かを作っているらしいと知る者はいたけれど、それがブレディのためだと知っている者は軍の中にはまだいないはずだ。
だから、そのスープを渡すときは人に見られぬようにさっさと渡したいとルフレは思う。もちろん、彼女自身は人に知られても構わないけれど、そこはブレディの立場を慮ってのことだ。
(なのに、一体どこに……あっ)
天幕を張った野営地から少し離れた草原の一角に、枯れた倒木がごろごろと並んでいる場所がある。
ルフレはそこにブレディのものらしい姿を発見し、目を細めた。
(うん、後頭部しか見えないけど……間違いないですね)
スープが冷めないうちに、でも、こぼさないように。
ルフレは足元に絡みつく雑草に眉を潜め、幾分いつもより足を高くあげながら歩いていく。
大分接近した辺りで、草を踏みしめる音が耳に届いたのかブレディが振り向いた。
彼は。大きな倒木に隠れるように一回り小さな倒木に座っている。
「あっ」
「ブレディさん、こちらにおいででしたか」
「悪ぃ、今日の料理当番はあんただったのか……もしかして、探したか?」
そう言いながら、ブレディは腰を浮かせて少し横にずれた。
その言葉で、どうやらこの場所があまり目立たない、みつけにくい場所であることを彼がわかっていることにルフレは気付いた。もしかしたら、来ない方がよかったのではないかと一瞬躊躇するが、それを顔には出さないように努める。
「少し。まさか、こんなに目立たない場所にいるとは思いませんでした。芋がお腹にたまるでしょうから、スープは少なめにしておきました。どうぞ」
ブレディにスープを渡してから、彼に倣って倒木に腰掛ける。
隣に座って良いかだとか隣に座れよとか、そんな会話はないけれど、最近こうやってスープを届ける時は、そのまま一緒に食事をすることが当たり前になっていた。
それでも、ルフレは先ほどの彼の様子を幾分気にして、彼の表情をそっと伺った。
「その……いつもありがとな」
ブレディは歯切れ悪く、礼も素っ気無い。けれど、それはルフレを嫌がる風には見えなかった。
「いいえ。ブレディさんはいつもきちんと飲んでくださるので、わたしも作り甲斐があります」
おかしいな、と感じるルフレ。
彼が気にしたように、この場所は実際見つけにくい位置だった。
そのことを最初は、ルフレが食事当番でスープを持ってくるのを人にあまり見られたくないというブレディの心理か、と考えなかったわけでもない。
だが、どうも彼の様子を見ると、ひっそりと彼がここにいることとルフレのスープのことは関係がないようだ。
「それにしても、少しばかり野営地から離れすぎじゃないでしょうか?見えないこともないですけど、ここまで離れた場所に一人でいるなんて珍しいですね」
「お、おう……」
またも、歯切れが悪い返事。
一応耳を澄ませば野営地で人々が動いている音が聞こえないわけでもない。
(でも、探そうと思って探して、ようやく見つけたぐらいだし……)
ブレディは、自分が体力や筋力がないことを気にしている。
だから、訓練を行った後の疲れた自分を見せないように、皆から離れた場所にいることも結構な頻度であることをルフレは知っていた。
しかし、朝食の時間にここまで離れた場所にいるのはおかしい。
第一、彼は賢者という能力柄、何かあれば人々を癒すための杖を使う。リズやマリアベルも杖を使うけれど、未来からやってきた子供達の中で杖を使う能力が高いのは彼だけだ。
どうやら彼自身それを意識しているようで、基本的に共にこの世界にきた仲間達――という表現をすれば、隔たりがあるようでルフレは嫌なのだが――に目が届く場所にいつもはいるように心がけている。
それを「そうでしょう」と言えば、彼は否定するかもしれない。
が、戦場であっても彼はさっさと先に行こうとするシンシアや、群れることを嫌がるジェロームの様子に目を光らせている。
軍師であるルフレがそれに気付かないわけがない。
「どうしたんだよ。あんた、食べないのか」
「あっ、いえ、もちろん食べますよ」
「なんか険しい顔してたぞ」
「えっ、そうですか。気をつけます」
「ははは」
ブレディは小さく笑うと、ルフレが持ってきたスープを口にした。
ルフレは食事と作る途中で何度か味見をしていたし、調理前にパンを先にひとつ食べている。だから、ブレディの食事よりもルフレの朝食はだいぶ量が抑えられていた。
そのせいか、ブレディがスープを飲み終わるのと、ルフレが朝食を平らげるのはほぼ同時で、どちらからともなく食器を足元に置いて「ふう」と一息つく。
と、丁度その時
「……げっ!」
ブレディは何かをみつけたようで、妙な声をあげた。
そちらを見れば、野営地の方からこちらに近づいてくる人影が見える。
「ソールさん?」
なんだろう、とルフレは素直に不思議に思う。
ルフレが困るぐらいにはわかりづらい場所をブレディは選んでいたのだから、明らかな用事がなければこんなところに誰も来るはずがないからだ。
(ブレディさんの様子を見ると……何か、心当たりがあるようですね)
隣のブレディはなんとはなしにそわそわしている。
なんてわかりやすい、とルフレは口端が緩んだけれど、敢えてそれは言葉にしなかった。
ブレディはトレーの上に二人分の食器を重ね、手拭をその上に被せた。それが何故なのかはルフレもわかっていた。
他の人間より食器が一つ多いのを見られたくない、要するにルフレにスープを作ってもらっていることを知られたくないのだ。
そのことも、わざわざルフレは口に出して「別にいいのに」とはブレディに言わない。既に一度それらしきことを言った時、どうやらブレディにとっての「男の沽券」に関わる話らしいことをあれこれ語られたからだ。
確かに、まさかこの軍の軍師である忙しいルフレにスープを作らせているだなんて、しかも、それが「強くなるため」と来ては、誰にも言いたくないという心情も当然と言える。とはいえ、もしもリズがその一部始終を知っていたら「意地っ張りなところが、マリアベルと似てるんだよねぇ〜」と笑われるだろうと想像するぐらい、ルフレにとってはどうでもいいことなのだが。
ルフレは、近づいてきたソールと朝の挨拶を交わした。
そういえばソールに朝食を渡した記憶もない。ということは、ブレディのように、ルフレがかまどの近くにいない時に朝食を取りにきたのだろうと思う。
「珍しいね、二人が一緒にいるなんて」
とのソールの言葉はもっともだ。
隣に座っているブレディがなんと答えて良いか困惑しているように、ルフレには感じられた。
「そうでしょうか?」
と軽くルフレが交わすと、ソールはその件についてはそれ以上追及せず、世間話のような話題をふってきた。
「ねえルフレ、今日のパンは美味しかったよ。いつもと違う粉でも使ったのかい?」
「やはりわかりますか?ええ。今日の粉は先日屍兵を追い払ってあげた村から貰ったもので、昨日セルジュさんと一緒に焼いたんですよ。あんまり味のことを言わないサーリャさんが珍しく褒めてました」
食事の話をするのはソールらしいといえばらしいが、わざわざ野営地からここまで歩いてきて、そんな話題で盛り上がりたかったわけでもあるまい。
いよいよこれは、きっとソールはブレディに何か用事があって来たに違いない、とルフレは予想した。
そして、当のブレディもこれまた、落ち着きが少しずつなくなっていき、ついにトレーを手にしてのそりと立ち上がった。
そのブレディの立ち上がり方があまりに不自然で、ルフレは噴出しそうになったがなんとかそれをこらえた。
早くその場を離れたい、けれど、そういうわけにはいかない。
まるで彼のその心情を表したかのような、いつもの猫背よりも更に前のめりに。しかし、焦って歩き出さないようにと言い聞かせているようで、腰は前に行こうとするが足はその場にぴったりとついている。
「ブ、ブレディさん」
「お、俺食器運んでおくから……」
逃がしてあげたい気持ちもあったけれど、ルフレは好奇心に勝つことが出来ず、ブレディを正論で引き止めた。
「で、でも、わたしが当番なんですから、わざわざブレディさんが持っていかなくても……」
「うっ……」
それへ上手い反論がみつからなかったらしく、ブレディは唇を僅かに突き出してその場で止まった。
すると、まるで今だ!といわんばかりに話をねじ込んでくるソール。
「そうそう!実は少し休んだらティアモと合奏をする約束をしているんだ。よかったら、二人とも聞きに来てよ」
ブレディはそれを聞くと、口端をへの字に曲げた。どうやらソールのそのお誘いは、ブレディにとっては予想されていたことで、それを彼はあまりよく思っていないようだ。
(これが、ソールさんの本題なんでしょうか?)
だが、ルフレはソールのその言葉に素直に興味を奪われたので尋ねた。
「合奏というと、楽器演奏ですよね?それは楽しみです。では、朝食の片づけを終えたらお伺いしますね。みんなを呼ぶんですか?」
「ううん、まだ練習中でね。だけど、誰かに試しに聞いてもらいたいと思って……ね」
ね、と言いながらソールの視線はブレディに向いている。
「わかりました。では、お伺いしますね。お誘いありがとうございます」
ブレディと、とはわざわざ言わなかったけれど、いよいよブレディがどう返事をすればいいのか困った様子だったので、ルフレは話を終わらせようとそう告げた。ソールもまた、わざわざブレディに「来てくれるよね?」などと念押しはしない。
「野営地のすぐ傍にある林の近くで練習をするから」
そう言い残してソールは去っていった。
後ろ姿を見送りながら、ぽつりとルフレは独り言のように呟く。
「……そうですねえ、今日ぐらいはみなさん、少しゆっくり出来ますものね」
今日は近くの村で消耗品を調達するとかで、クロムは早めに朝食を終えた数名をつれて出かけている。その一団が戻ってくるまでは、ひとときの休息というわけだ。
ティアモとソールはいつもならば荷運びに借り出される側だが、荷運びにもローテーションがあって今日は彼らの番ではない。
「ブレディさん」
「おっ、お、おう!」
それから、ソールが去った後も何か考え事をしていたようなブレディに声をかけると、彼は殊更に驚いてびくりと体を震わせた。
「折角ですし、お二人の合奏を聞きに行きますか?」
「あー……うん……まあ、行かないわけには、いかねぇよなあ」
「?」
ブレディは、これまた口端を歪めて大きなため息をついた。
そこまであからさまに嫌がる様子を見せられては、さすがにほうっておくわけにもいかない。ルフレはじっとブレディを見つめた。
それに気づいたブレディは顔を背けたが、さらにルフレはそれを追うように上半身を乗り出し、逸らした彼の顔をじいっと見る。
「あーーー!もう!」
ついに、その視線に負けたようで、ブレディは顔を赤くしながらルフレの方に向き直った。
「降参だよ……話すってば」
「ふふ。ありがとうございます」
「あのよ……誰にも言わないで欲しいんだけど……あんたなら、黙っててくれるとはわかってるんだが……実は昨日、合奏に誘われたんだ。俺はその気はないんだけどよ」
「え?一緒に演奏をする、ということですか?」
「ああ、そういうことになるわな……」
しばらくの間ルフレは考えた。
ブレディが楽器演奏を出来るということには多少驚いたけれど、その驚きが去れば、案外と納得が出来た。
(成るほど。マリアベルさんの息子さんですものね)
「ブレディさん、もしかしてバイオリンが出来るのではないですか」
そうルフレが尋ねると、ブレディは大仰に叫んだ。
「なっ!なななっ、なんでわかるんだ!?っていうか、そんな短絡的なこと、よ、よくも言えるもんだ!」
「短絡的でしょうか?マリアベルさんに言われたことがありますよ。上流階級の者はバイオリンのひとつやふたつ、華麗に弾きこなして当然だと」
「それは確かに言いそうだけどな」
「ですから、ブレディさんが弾けるとしても、何のおかしいこともありません。ああ、もしかしてバイオリンを今お持ちではないから合奏出来ないっていうお話ですか」
「いや、バイオリンは持ってる」
「では、合奏が嫌なんですか?」
まじまじとルフレがそう聞くと、ブレディはこれまた困惑の表情で言い訳をしようと四苦八苦していた。
「うっ……いや、そういうことじゃなくてだな……話せば長くなるような。長くならなような」
「どっちですか」
「仕方ねぇ。あんたには、話してもいいか。なんか、巻き込んだ形になっちまったし」
ブレディは再度観念したように、今度は大きくいけれど、ゆっくりと深い溜息をついた。
 
 

(二)



それは、遡って昨日の話だ。
野営地の天幕の中で、ブレディとティアモは一緒に傷薬等の備品の確認を淡々と行っていた。
ブレディが備品の不備がないか確認をしつつを数え、ティアモがその数を記載しつつ種類別ににしまう。
その作業がもうすぐ終わろうという頃、それまで雑談ひとつもしなかったティアモが、ブレディにまったく予想外の話題を投げかけたのだ。
「そういえばバイオリンが弾けるんですって?」
突然そう言われたブレディは、特効薬の袋を握り締めたまま「あぁ!?」と不機嫌そうな声をあげた。
確かに彼はバイオリンを奏でることが出来る。母親であるマリアベルに一通り教え込まれたし、彼自身音楽や楽器演奏そのものを嫌いではなかった。いや、むしろ好きなのだが、彼の口からそれについて語られることはほぼないと言えた。
彼は自分の顔つきが他人からは「怖い」と思われることを知っていたし、自分が元々持っている気質はその顔つきからは想像出来ない物で、人々にいつも驚かれているという自覚もある。
だから、茶を美味く淹れることが実は得意だとか、バイオリンが弾けるだとか。体が弱いだとか涙もろいだとか。
そういったことを誰かに言って回る気なぞ、彼にはこれっぽっちもないのだ。
もちろん、他者から言い触らされるのは更に迷惑だと思っているため、何かにつけて相手に口止めを頼むことが多い。
少なくとも、同じ世界からやってきた仲間達には殊更、何かにつけて「おい、誰にも言うんじゃねぇぞ」と口にして来た。
それ故、ティアモがその事実を知るに至った、その情報源はと考えれば……。
「母さんか……」
ぽつりと独り言。思い当たったそれはきっと正しい、と彼は確信した。
ティアモは、彼の手に握られたままの特効薬を取り上げると、麻の袋にそれを入れながらもう一度尋ねた。
「ね、バイオリンを弾けるって伺ったのだけど」
「あ、ああ、弾けるけども……それが何か」
似合わないわね、と笑われるのだろうか。そんなことを思いながら、背を丸めたブレディはおどおどとティアモを見上げた。
が、そんな彼へ、ティアモは嬉しそうな笑顔を向ける。
「よかった。もし、時間があればわたしとソールと、たまに一緒に合奏をしないかと思って声をかけたの」
「はぁ!?」
その言葉にブレディは驚き、再度声を荒げた。
が、ティアモはその声を特に気にした風もなく、あっさりと話を続ける。
「わたし達、それぞれで練習をしてたまに空き時間に合奏をしたりするの。誰に聞かせるってわけじゃないけど……音楽って素晴らしいものじゃない?新しい音色が加わったら、また違う音楽になると思って。迷惑かしら?」
「……あー……いや、その……それなら、母さんが……」
バイオリンならば、マリアベルだって弾けるだろうに。
そう思って母親の名を口走ると、ティアモはすぐに察して小さく笑い声をあげた。
「そう思ってわたしも誘ってみたの。でも、断られてしまったわ」
マリアベルもまたブレディと趣は違うが、誤解されやすい人物だ。ブレディはその懸念を僅かに抱いて、ぴくりと眉を動かした。
彼はこの軍の人間関係を完全に把握しているわけではないから、ティアモがどれほどマリアベルのひととなりを知っているかをあまり認識していない。
ブレディの警戒を、天才と呼ばれる天馬騎士はすぐに見透かしたようで
「ああ、彼女に断られた理由はちゃんとわかっているの。悪い理由ではなくて。今、練習している曲があるんですって。それが思いのほか難しくて……それを納得がいくまでは、他の曲を練習する気になれないって」
「へえ」
そのティアモの言葉は、ブレディにとってはあまり意外なことではなかった。なるほど、あの負けず嫌いの母ならば、そんな理由で断ることもわかる。そこで「気分転換に他の曲を合奏するっていうのも、良いものですわね」と言う姿もいくらか想像出来たけれど、どちらかというと「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。ああ、誤解なさらないで。わたくし自身の問題であって、合奏をしたくないという意味ではありませんのよ」と語るマリアベルの方が、なんだかしっくりくる。ブレディはそう思って口端を緩めた。
「確かに母さんなら言いそうだ。で、母さんが駄目だから俺ってことかい」
「そういうことじゃないわ。でも、そう聞こえてもおかしくない流れでごめんなさい。ねえ、どうかしら?」
「いや、俺は、ちょっと……」
自分はそんな腕前もないし、二人の演奏の邪魔になるかもしれないだとか。
上手くなったら合奏ってのも悪くないけどな、とか。
彼ははっきり言ったつもりだったのだが、自分の認識以上に言葉はもごもごと音になっておらず、ティアモにきちんと届かない。
「なあに?」
ええい、どうとでもなれ。
そんな投げやりな気持ちになったブレディは、一度深呼吸をしてから
「えっと、俺のはよう、合奏なんて、そんなのに加われるようなもんじゃねぇから……で、だ。薬の確認は終わったよな?な?じゃ、俺はこれで!」
と、自分の都合ばかりをベラベラとまくしたて、その勢いのまま天幕の外に出ようとした。
それへ、ティアモも負けずと強引に彼の腕を掴んで引き止めた。
「うおっ!?」
「ねえ、明日の朝食後、ソールと練習するの。よかったら聞きに来て頂戴。そしたら、あなたが怖気づくほどの腕前でもないって、わかるでしょうから。ああ、かといって下手だとは自分でも思ってはいないわよ。まだまだだなって思うけど」
まるで売り言葉に買い言葉のように、ティアモも一気にそこまで言うと、ブレディの腕から手を離し、ぽんとその背を押した。
それは、言いたいことを言ったから、天幕から出て行ってもいいという意思表示だ。
いくら自分の親と同年代とはいえ、今のティアモと今のブレディは、そう年齢差があるわけでもない。それでも、なんだか随分年上の女性に軽くあしらわれたような気持ちになるのは、ブレディがきちんとティアモに向き合わずに逃げようとした後ろめたさのせいだろう。
結局、「ああ」とか「うう」とか返事にならない声をあげながら、ブレディは天幕から走り去ってしまった。


 
(三)

「ふうーーーん……」
昨日の顛末をブレディにああだこうだと説明をされたものの、ルフレには幾分理解が出来ない部分があった。
彼はバイオリンは持っているし弾ける。まだまだ未熟だが、彼の世界のマリアベルには「一応人に聞かせられる程度にはなりましたわね」と言われたので、そこまでは下手ではないらしい。
そこまでは良い。
が、何故ブレディが二人との合奏を拒もうとしたのか、その原因に関して、ルフレはさっぱり納得出来なかったのだ。それは多分、音楽という分野のことを自分がよくわかっていないからだとルフレは推測した。そして、自分がよく理解出来ないその世界を、ブレディは体感でわかっているのだろうとも。
話をする間、ブレディは言葉を選ぼうと悩んでいるようで、口を開いては閉じ、ああでもないこうでもないと何度も口ごもっていた。彼のそういう所は好ましいとルフレは思う。
基本的に彼はあまり言葉使いがよくない。人相とあいまって誤解されることが多いため、人にきちんと説明をしなければいけない時は、彼は彼なりの努力をする。それをルフレは根気強く待つことが嫌いではない。
ルフレに彼が説明したことは、要約するとふたつ。
実は、ブレディは既にティアモとソールの合奏を聴いたことがあるということ。
そして、彼は「二人が奏でるような曲が苦手」だということ。
当然のことながら、前者は単なる行為ゆえにルフレにも理解が出来る。問題は後者のことだった。
「……曲の好き嫌いということですか?」
「いや、曲は好きだ。明るい音楽だったり、なんかこう懐かしい気持ちになるような曲だったり。すげえ、あの二人に合う演奏をしてるし、そういう曲は別に嫌いじゃねぇんだ」
「でも、苦手って……」
「なんか、うまくいかねぇんだよ。そういう曲は。しっくりこないっていうか」
そう言ってブレディはばつが悪そうに顔を伏せ、背中を丸めた。
俯いた彼はぶちぶちっと足元の雑草を抜いて、それから「うおっ、抜いちまった、悪ぃ!」と叫んだと思うと、申し訳なさそうに抜いた草をその場にぱらぱらと落とす。
その様子を見たルフレは、彼を落ち着かせるように穏やかに語りかけた。
「ブレディさんに、わたしの秘密を打ち明けましょう」
「えっ?」
一体何を言い出すのか、とブレディは素っ頓狂な声をあげた。ルフレはそっと人差し指を自分の唇にあてると、わざとらしく小声で告げる。
「実はですね。わたしは楽器を奏でることが出来ない上、歌もあまり上手くないんです。内緒ですけど」
「そ、そうなのか?」
「はい。ふふふ、意外ですか?」
ルフレの真意を測りかねて困っているブレディの様子がおかしくて、小さくルフレは笑い声をあげた。
「そ、ういうことじゃねーけど……」
「ふふ、わたしはさまざまな記憶が抜け落ちているのですが、そのせいではないと思います。どうもそもそも音楽というものに、あまり触れて来なかったようなのです」
その言葉を聞いたブレディの表情が僅かに曇った。
そして、 神妙な表情でブレディが漏らした返事は、なんだか気がなさそうなものだった。
「へえ……」
音楽に近しい人間が音楽に触れない人間をどう思うのかルフレは知らない。だから、彼のその表情が何を表すものなのかを想像しようとはしなかった。きっと、それは考えても自分にはわからないことだと思ったからだ。
「だから、ブレディさんが折角打ち明けてくださっても、楽器を演奏する方の気持ちがよくわからないかもしれません。気を悪くされるようなことを言ってしまったら、そう言ってくださいね」
「おう、いや、大丈夫だよ。あんたは、人が気を悪くするようなことを言わない人間だって俺は思っているし」
少しぶっきらぼうなブレディにそう言われては、ルフレとしても悪い気はしない。それへは素直に気持ちを口にした。
「まあ。それは、買いかぶりというものですよ。でも、そう思ってくださっているなら嬉しいです」
「そ、そうか」
「それでですね……わたし自身はわからないんですけど、演奏する方にも曲の相性っていうものがあるんですよね?きっと。でも、それは確かにそうかもしれません。ブレディさんが演奏しているところを見たことはありませんが、マリアベルさんの演奏は存じています。ブレディさんが仲間になる前に、旅芸人の一座が楽器演奏をしているところに出くわしたことがあるのですけど、その時の陽気な音楽は、マリアベルさんが演奏する音楽とはまた違っていました。そういうことでしょうか」
「あんたは……音楽を知らない人間にしては聡いんだな。そうだなあ……」
「そうですか?」
音楽を知らない人間、とずばりと言われると少々寂しい。だが、ブレディが褒めてくれたということは嬉しい。
ルフレがそんな複雑な気持ちで彼を見ると、ブレディはもっともらしく何度も「うんうん」と頷いていた。
「ああ……多分、それに近いことなんだとは思うぜ」
「ブレディさんも、マリアベルさんが奏でられるような、なんというか……綺麗な曲がお好みなんでしょうか?」
「はあ!?ち、ちげぇよ……いや、そういう上品な曲を弾けって、口うるさく言われたけどよ。でも、そいつも俺は苦手なんだ」
「そうですか」
「俺はなんていうか……どっちかっていうと、明るくないっていうか……踊るための曲も弾けるけど、陽気な感じではないっていうか」
説明しづらいことのようで、ブレディは「あー」と困ったような声をあげる。
なるほど、やはり自分の説明は音楽を知らない人間のそれであって、ブレディにとっては答えにくいことなのだろう、とルフレは勝手に納得をして、次の質問に移る。
「うーん、それじゃ、ブレディさんとしては、あのお二人が奏でる曲が自分に合わないから、って正直に言いたくないってことですか?」
「……そういうこと言うと、気ぃ使わせそうだから嫌なんだよ。じゃあ、次は俺が選んだ曲で、とか言い出しそうだろ。あの二人にはあの二人の音のよさがあってしっくりきてる。だから、わざわざそれを生かさない曲を選ぶ必要なんざねぇんだ。金もらって弾いてるわけじゃないんだから」
そう言ってブレディは耳の後ろに手をやって上下にさすった。
彼はきっと気付いていないのだろうが、それは彼の癖だ。アズールが以前そっとルフレに教えてくれたことがある。
ただ、どういう時にそれをするのかはアズールもよくわかっていないらしいし、ルフレも「まただ」と思う程度で、まだそこまでブレディのことを理解しているわけではなかった。
「ブレディさんの方が気をつかっているようにわたしは思いますけど」
「……」
ルフレがそう言うとブレディはぴくりと顔の左側を歪め、小さく舌打ちをした。
そこまで彼がルフレの前で嫌悪感を表に出す様子は初めてだ。少し機嫌が悪かったり照れ隠しの時など、彼が嫌々といった風な表情を見せる時はあるけれど、それとは違う。
ルフレは、自分が彼を何か深く傷つけてしまったのではないか、と焦って名を呼んだ。
「ブレディさん?」
たったそれだけの彼女の呼びかけで、ブレディは自分がいつもより険しい表情をしていることに気付いたか、「ちょっと待て」というかのようなポーズで、軽く手の平をルフレに見せた。
「わり……」
「何か、気に障ることをわたしが」
「そういうわけじゃねぇ。そうじゃないんだ。ただ、多分今俺が言ったことはどいつもこいつも、自分が可愛いだけのかっこつけだ……だから、気なんてつかってないんだ、本当はよ」
「え?」
言いづらそうにブレディはぽつぽつと呟く。
ルフレに伝えるために言葉にしているはずなのに、それはなんだか独り言のようだとルフレには思えた。
「俺は、そういう、明るい曲がしっくりこない自分が、もどかしいっていうか……どうしてなのか、たまにがっかりするんだ。それを、あの二人との合奏で……他人の前であからさまにされるのが、嫌なんだ」




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