ピクニック

城の守りは頼んだ、とシグルドに言われ、アーダンは皆を見送る。
城近辺の戦いであれば彼もまた出陣するけれど、重い甲冑を身にまとい、鉄壁の防御を手に入れる代わりに、彼には機動力がない。
それゆえ、遠征時にはなかなかには主は彼を伴えず、留守を任せることになってしまう。
そういう自分は、そんなには嫌いではない。
ただ、明らかに実戦経験が不足してしまうということだけは彼はわかっていたから、休みの日でもいつでも、鍛練だけは事欠かないようにと、とても自らを高めることに彼は貪欲だった。
シアルフィにいた頃は自分以下城の守備を行う騎士が多くいたけれど、今のシグルド軍はそうそう人数もいない。
ただし、以前と違うことはそれだけではない。
彼には城そのものではなく、守らなければいけない主君の妻や、シグルドが時折遠征に伴わずに駐在を申し付けられるオイフェ、そして今はシャナンがいる。
小さな内紛が勃発したという知らせをうけて、シグルドは朝から皆と城を出た。
もうすぐ彼の妻、ディアドラは出産予定である。
シグルドは重々アーダンに「ディアドラを頼む」と言い聞かせ、それを聞いてシャナンが「僕に任せて!」と意気揚揚としゃしゃり出る様が、また可愛らしいとアーダンは大らかに思っていた。

「お役目、いつもご苦労様です」
アーダンは城の高台になっている見張り台に立っていた。
そこに、既に腹部を大きくして動きづらそうなディアドラが歩いて登ってくる。
「デ、ディ、ディアドラ様!そんなお体で、わざわざこんなところに!」
驚いてアーダンは彼女の名前を正確に発音が出来なかった。
それを咎めることもなくディアドラは「うふふ」と笑って、見張り台に上がってくる。
見張り台は頑丈なのぼりはしごがついており、円形の小さな詰め所の周囲にぐるりと石レンガが積み上がっていて展望所になっている。
「退屈でしょう、ここでお一人でいても」
「えー・・・」
まあ、そうですが、と言おうとしてアーダンは咳払いを一つした。
「退屈ではございません。ええ、ここで、城の守りを固めることが、わたくしの仕事ですからして、はい」
「アーダンさんたら」
ディアドラはくすくすと笑った。
「あの人にも「俺」っておっしゃっているのに、わたしには「わたくし」なんですね」
その指摘にアーダンは狼狽して頬を染めた。
彼は元来、女性と話をすることがあまり得意ではない。
いや、彼は自分がいつも「ちょっと気のきいた」ことが言えないことを残念に思っていて、その気負いのせいであり、実際の素の彼は、まったくもって女性と話すのに何一つ困るはずもなかったのだが。
「いえいえ、ディアドラ様のお聞き間違いでしょう!」
「アレクさんとノイッシュさん、それにアーダンさんは、あの人にとても近しい人ですもの。時々地が出て「俺」って、ぽろっとおっしゃること、存じてます」
ディアドラはシグルド達のもとに来た当時に比べて、とてもよく話をするようになった、とアーダンは思っていた。
もちろんそれは彼だけではなく、皆が思っていることだ。
そういった、人の変化を見ることは、とてもおもしろいことだ、と、彼は誰にも言わないけれど心の中で思っていた。
残念ながらあまり変化が見られない、アイラのような人間もいる。
初めはアイラは人見知りで、態度がなかなか軟化しなかったのだと思っていたが、どうもそれは彼女のもともとの気質だったらしく、皆を苦笑いさせたものだ。
「ディアドラ様、どうして、こちらに」
「シャナンに本を読み聞かせながら、オイフェは一緒にお昼寝してしまったようで。一緒にお茶を飲んでくれる人がいなかったものだから、アーダンさんは、どうかと思って」
とはいえ、城には女中達が幾人もいるのに、とアーダンは言おうとした。
が、その言葉はディアドラが手にしている袋を見て止まる。
「それは?」
「ええ、だから、お茶を、と思って。こちらに失礼しますわね」
ディアドラは、ちょっとだけ荒く息をついて、詰め所外の見張り台の一角にある椅子に座った。
「久しぶりに、ケーキなんていうものを焼いたのに、みんな焼きあがる前に眠ってしまって」
「はあ。しかし、わたくしは見張り中なので」
「大丈夫」
ディアドラは目を細めて、さわやかな風をうけながら言った。
「とても、今は穏やかな風が吹いていますし、木々もそうそうざわめいていませんもの」
「は、はあ?そ、そうですか」
言っていることがよくわからない、と思ったけれど、アーダンは曖昧な返事をした。風だとか木々だとかで様子がわかるものは、天気程度だと彼は思っていたし、もしもディアドラが言うようにそれらのもので敵と見なす者達の動きがわかるくらいなら、見張りなんてものはいらない。そういう気持ちがないわけではなかった。
ディアドラはトレーに小さなケーキと小さなカップをのせて、布で包んで持ってきていた。持ち運び出来る、ふたがしっかり閉まる携帯用のポットに茶を注いでわざわざ来てくれたのだと気付き、アーダンは恐縮した。
見張り台で、お茶の時間、か。
彼は憮然とした表情でディアドラを見て、それから、ぐるりと城の四方の景色を眺めた。
晴れ渡った空にはとこどころ雲が流れている。
時折鳥たちが高く飛び立つ姿が見え、近くの森は明るい色の緑に覆われている。
ああ、ピクニックなんてものをするのも悪くない天気だ。
こんな日にわざわざ諍いを起こす人間の気がしれない。
「はい、アーダンさん」
「あ、は、ありがとうございます」
アーダンは立ったまま、ディアドラが渡した小さなカップを受け取る。
少しだけ温くなっていたけれど、それが返って飲みやすくてありがたいと思える。
「よかったら、これも。世の中には、こんなに良い粉があるんですものね。おいしいケーキが出来て当たり前だわ」
「粉?」
「森にいた頃は、こんな上質な粉なんて、手に入らなかったものですから」
ディアドラは小さく微笑んで、アーダンのもう片方の手に、小さなケーキを渡した。それは見るからに美味しそうな焼き色がついていて、長方形に焼いたものを薄くカットしたように見える。
「ディアドラ様が焼いたのですか」
「はい」
「うん、美味しいです、とても。とても、美味しいです、うまい」
同じ意味の言葉を繰り返すアーダンを見て、ディアドラは嬉しそうに、声を出さずに小さく笑って見せた。
アーダンはもしゃもしゃとあっという間にケーキを平らげ、口元についた欠片を行儀悪く舌で舐め取った。
それから、ずずっと残りの茶を飲み干して、床に置いてある、ディアドラが持ってきたトレーに戻す。
居心地の悪さ、とは少しだけ違うとまどい。
ディアドラと二人になることなんて、今までそうそうなかったことではあった。
彼女はケーキを指で小さくちぎって口元に運んだ。
なるほど、女性はがぶがぶ食べずにそうやって食するものらしい。
アーダンは妙なところに感心しながらその仕草をちらちらと眺めては、辺りを見て、またディアドラを眺めては辺りを見て、と繰り返していた。
「みんなで、森に行きたいと思って」
不意にディアドラが手を止めてアーダンに言った。
ピクニック、なんて思っていた自分の心を見透かしたのだろうか、とアーダンは驚いてディアドラを見る。
「こんな晴れた日には、みんなで森を散歩して、太陽の光を浴びて、楽しく過ごしたいと思って」
「お子様がお産まれになれば、すぐいけますよ。もうすぐです」
「シグルド様は、お腹が大きくなってから、なかなかわたしを外に出してくださらないから」
少しだけはにかんだようにディアドラはそう言った。
シグルドはディアドラのことになると、心配症になりすぎるきらいがある。
それはアーダンもわかっていた。
一時も本当はディアドラの傍から離れたくない、という素振りを見せるときすらあるし、心から彼女のことを愛しんでいるその様子は誰の目にも明らかだ。
それでも、こんな日は。
「だから、アーダンさんと、外を見ながらお茶を飲もうと思って」
「光栄です」
「森に、閉じ込められていた頃は、森の外に出たくて仕方がなかったのだけれど」
ディアドラはそう言いながら、そっと自分の腹部をなでた。
「みんなで、森に行きたいと思って。今行けば、きっと違う気持ちになると思うんです」
「わたくしはあんまり森は」
アーダンはそういってにやにやと笑った。その言葉の真意に気付いて、ディアドラは「うふふ」と声を出した。
「そんな重たい甲冑は、その日は脱いでください。アーダンさんは、その日はお休みです」
「だとありがたいですね」
「こんな晴れた日に、城に居残りなんですもの。それくらいはしてもらわなくっちゃ」
そう言って目を細めるディアドラは、少しだけ寂しそうだった。
ああ、この表情は時々俺は見る。
アーダンはそう思いながら、僅かに伏せた長いまつげを見つめて、余計なことを口走った。
「シグルド様がいらっしゃらないと、お寂しいですか」
「え」
「や、あの、えっと、そうなのかなあ、と思って」
驚いた表情でディアドラはアーダンを見上げて、しばらくの間しどろもどろで狼狽している彼を見つめた。
ディアドラに見つめられると、なんだか心の奥底まで見通されてしまいそうだ、とアーダンは思いつつも、その目をそらすことはできなかった。
やがてディアドラは、また声もなく笑って
「寂しくありません。森にいた頃に比べれば、みなさんに囲まれて、シグルド様の子供もこうやって授かって、本当にわたしは幸せです」
そういうことではないんだが、とアーダンは困った表情を浮かべた。
「それに、アーダンさんがいらっしゃるし」
「はあ」
ただのつけたしにしか聞こえないその言葉も、それでも、アーダンにはかなりの殺し文句に思える。
それに「寂しい」と思っているのは、シグルドと共に遠征に出ることが出来ない、自分の気持ちでもあるのだと彼は気付いて、深く恥じた。
無骨な外見とは裏腹に、彼は繊細な面をかなり持ち合わせていたし、そして彼もまた、根っからの騎士だったのだ。
「差し出がましいことを申しました。お許しください!」
アーダンは深く頭を下げた。
一方、そう言われたディアドラは一体何を彼が言っているのかまったく理解できず、目を丸くしている。
アーダンは頭をさげたまま、彼女からの言葉を待った。
しかし、次に彼に聞こえたのは「頭をあげてください」でも「気になさらないで」でもなく、ディアドラのくすくす、と押し殺した笑い声だった。
「・・・?・・・ディアドラ様・・・?」
「うふふ、ご、ごめんなさい、アーダンさん。アーダンさんって、不思議な髪型をなさっているから、頭を下げると、とっても可愛らしいのね」
「!!」
アーダンは顔を真っ赤にして頭をあげた。頭の中央の毛だけを残して、残りを綺麗に刈っている彼の髪型は独特で、アレクには「趣味が悪い」とよくからかわれるものだった。それをまた、可愛いとは。
そんな彼の様子を見てディアドラは
「もう一杯、お茶いかがですか」
と小首を傾げて勧める。
ああ、まいったな、この不思議な奥方は。
アーダンはトレーに一度おいたカップを手にして、ディアドラに差し出した。
とくとく、と音をたててポットから液体が注がれる。
かなり温度がさがってしまっているけれど、飲むには何の問題もない。
「そうですね。みんなで森に行きましょうか」
「ええ。その時は、誰に城の守備を頼もうかしら」
「誰でも・・・」
いいでしょう、と言いかけてアーダンは難しい顔をした。そして
「やっぱり自分が、残りましょう」
「アーダンさん?」
「シグルド様に、城を任せてもらえることはとても名誉だと思っていますし、それに・・・」
「それに?」
かはは、と照れ笑いをひとつして、アーダンは茶をぐいっと飲み干した。
「その代わり、ここでディアドラ様とお茶を飲む権利があるのは、俺だけですからね」
「また、来ても良いでしょうか?」
ディアドラはあえて「そんなこと言わずに、一緒に」なんてことはいわずに、微笑しながらアーダンに尋ねた。
もちろん、答えは決まっている。
「ええ、いつでも」

End


モドル
まったり話。
実はあたくしはかなりアーダンが好きで、バーハラを書くときもアーダンをかっこよく戦わせたいと思っていました。(ページ数の都合でちょっとしか書けなかったけど)
一方ディアドラ、どうもあたくしのディアドラは電波っぽい・・・。