そして、始まり

作者:蕾華

モドル
2年ぶりの地上の世界。セシルの戴冠式の日は、とてもいい天気だった。
「良くお似合いですよ」
鏡の向こうにはびっくりするくらいきらきらに着飾ったわたしがいる。着付けてくれた侍女さんは、鏡を見ているわたしと並んで、一緒に鏡を覗いてほめてくれた。
そんな言葉をかけてもらっただけで、わたしは今日何度目かの涙の発作に襲われる。泣いてしまわないようにぐっとこらえて、わたしは一生懸命笑った。こんなお祝いの日に、泣いてしまうなんて変だもの。
2年の間に伸びた髪は、侍女さんが結い上げてくれた。崩れてしまわないように気をつけなくちゃ。
ひよこ色のリボンと、トパーズの髪飾り。確かめるように少しだけ触って。
「ありがとうございました」
侍女さんにお礼を言って、頭を下げた。そしてわたしは広間へと向かう。

ちょっと遅くなってしまった。
支度に時間がかかったというのもある。だけど、それだけが理由じゃなかった。
バロンまでは、リヴァイアサンが送ってくれた。
人気のない海岸で、別れた。
幻界を出る時も、正直ちょっぴり大変だった。たくさんの幻獣たちが、名残を惜しんでくれた。一杯引き止められた。
そんな時に泣いてしまったら、ますます引き止めようとする幻獣たちがヒートアップするのはわかっていたから、わたしは懸命に泣くのを我慢した。
そうやって笑顔で別れたけれど、海岸でリヴァイアサンと別れる時は、もう我慢できなかった。
別れ際、リヴァイアサンは大きな包みを差し出してきた。首を傾げてそれを受け取ったわたしに、リヴァイアサンは言ったのだ。
この包みは、幻界のみんなからの、お餞別で、贈り物なんだって。
包みの中に入っていたのは、ドレスに、靴に、たくさんのアクセサリーだった。みんなが思い思い用意してくれたらしい。
氷の粒のようなダイアモンドが連なったネックレスはシヴァから。エメラルドのアンクレットはタイタンからで、炎の色をしたルビーのブレスレットはもちろんイフリートだ。
羽のように軽い靴はシルフからで、真珠のイヤリングはリヴァイアサンから。ラムウからのトパーズの髪飾りは、チョコボからのひよこ色のリボンと一緒に今わたしの頭を飾っている。
ドレスはアスラからで、みんなが好き勝手に色とりどりの贈り物を持ってきたものだから、地味な色しか選べなかったと嘆いていたってリヴァイアサンは教えてくれた。
贈り物たちを抱きしめて、わたしはわあわあと泣いてしまって、アスラと違って本当はわたしを引き止めたかったらしいリヴァイアサンは、もう少しでわたしを幻界に連れ帰ってしまうところだった。
ひとしきり泣いた後、わたしはちゃんとリヴァイアサンとも笑顔でお別れできたけれど、泣いてしまった跡はなかなか消えてくれなくて、わたしはしばらく海岸でぼんやりする羽目になってしまった。
そうして、バロン城にたどり着くのが遅くなってしまったんだ。

広間の前までたどり着くと「もう皆さんお揃いですよ」そう、扉の傍に控えていた侍女さんが教えてくれた。
そうかもしれないと思ってはいたけれど、やっぱりわたしが一番最後だったらしい。
みんなを待たせてしまっていると思うと少し慌てたけれど、わたしはあまり急げない。久しぶりの地上の世界で、大勢の人たちと会うことに、妙に緊張していた。
衛兵さんが扉を開けてくれる。ざわざわとした空気が扉の向こうから流れ込んできた。
「あ……」
扉が開く瞬間少し緊張に体が硬くなった。けれど、目に飛び込んできた光景に、わたしの肩から力が抜ける。
別に注目を浴びるとか、そんなことはなかった。懐かしい顔ぶれが、楽しげにあちらこちらでおしゃべりをしていて、そうして真正面には、セシルとローザがいた。
自然と、自分の顔が笑顔になるのがわかる。そうだ、久しぶりに会えるのは、大切な仲間たちばかりだ。それなのにひとりでこんなに緊張したりして、馬鹿みたい。
セシルは全然変わってないみたいだった。相変わらず、穏やかな笑みを浮かべている。
隣のローザは、真っ白なウェディングドレスがとてもとても良く似合っていて、夢みたいに綺麗だ。
嘘のように足元が軽くなった気がした。我ながら現金だなあなんてくすりと笑って、軽い足取りで二人の方へ向かいながら、わたしはそっと、一番会いたかった人の姿を探した。
こういう時って、その人が真っ先に目に飛び込んでくるものかと思ったんだけど、そういうことはなかった。
というか、本当に、エッジはどこ……って、あれ。
ようやく見つけて、わたしは内心で首をひねる。
すぐにわからなかったのも仕方ないと思った。エッジはなぜか、ひとり壁の方を向いている。なにしてるんだろう。
そこまで考えた時、セシルたちのところにたどり着いた。わたしは一旦考えるのをやめて、二人に挨拶する。
「セシル、ローザ、おめでとう!
ええと……お久しぶり。今日はお招きありがとう」
こういう時の、ちゃんとした挨拶なんてわからない。わからないから、精一杯わたしはお祝いの気持ちをこめた。二人は笑顔で頷き返してくれる。
「久しぶり。元気そうだね」
セシルは本当に変わらない。表情と同じ、穏やかな声で、わたしにそんな声を掛けてくれる。わたしはこっくり頷いて笑い返した。
「元気そうで良かったわ。また綺麗になったわね」
ローザの言葉には、思わず噴き出した。
「なに言ってるの! ローザに言われても説得力ないよ」
だって、今日のローザには、きっと誰だって敵わない。
「そんなことないわ? もっとよく見せて?」
そう言って微笑むローザに、わたしも笑顔でくるりと回ってみせた。

「エッジ?」
二人に挨拶を済ませた後、相変わらず壁と向かい合っているエッジの方に行って、わたしはそっと声を掛けた。
「どうしたの? 壁に、なにかあるの?」
エッジの背中から、ひょいと壁の方を覗いてみたけれど、何も見当たらない。そしてエッジはばっとわたしにまた背中を向けてしまう。
「エッジ?」
「る、るせーな! 何もねーよ!」
「?」
横顔しか見えないエッジ。ちらっとだけ見えたけど、ほっぺたも耳も赤い? 全然何もないようには見えなかった。
さっぱりわからないけど、セシルの挨拶が始まりそうで、わたしは自分の席に行かなきゃいけなくなった。気になったけど仕方ない。
「よくわからないけど、えっと、またあとでね?」
そう声を掛けて、わたしは自分の席へと向かう。
そうして、戴冠式と、セシルとローザの結婚式が始まった。

わたしは、改まった場所というのに出るのが初めてだ。
それどころか、今までの人生の半分以上を、別の世界で過ごしてきたくらい。
だから、こういう厳かな式典というのがどういうものなのか知らない。だけど、そんなわたしの目にも、これがとても温かくて、一杯の祝福に包まれた、とてもいいお式だということはわかる。
セシルもローザもとても幸せそうで、なんだかわたしの胸の中もほんわりと温かくなった。

式が終わると、パーティーだった。なんだか、旅が終わった日のパーティーを思い出す。
違うのは、今日のみんながそれぞれ着飾っていて、とっても華やかだっていうことくらい。
パーティーは立食式? っていうものらしい。席が決まっていなくて、好きなごちそうを選んで、好きなところで食べていいんだって。
「みんな積もる話もあるだろうしね」ってセシルは笑っていた。
それで、わたしは早速、さっき様子のおかしかったエッジの方に行こうと思ったんだけど……、
「セシル、ギルバート、ちょっと話があるんだけどよ……」
そんなエッジの声が聞こえて、わたしは足を止めた。
エッジも、今日はぴしっとした格好をしている。見たことのない衣装だけど、多分あれがエブラーナの正装なんだと思う。
よく似合っていて、悔しいけどちょっと格好良かった。
そういう風にしていたら、ちゃんと王子様に見えるのね、なんて思ったけど、もちろんエッジに言うつもりはない。
「もちろんいいよ。なんだい?」
応じたギルバートは、正真正銘王子様! って感じがする。あっ、もう王様なのかな?
何かを話し始める三人からは、なんだか少し近寄りがたい雰囲気がした。関係のない話に、首を突っ込むつもりはないし。
別に今すぐ話をしなきゃいけないわけでもないし。……あとでもいいよね。
「リディアさん、こっちにいらっしゃいませんか?」
セシルたちからくるりと背を向けたわたしに声を掛けてくれたのは、ポロムだ。相変わらず礼儀正しくて、ぺこりと頭を下げてからこっちこっちと手招きしてくれる。
「ヤンのかーちゃんがお菓子作ってきてくれてんだ! ファブールのお菓子だってよ!」
そしてパロムの方は、やっぱりこっちも相変わらずだった。両手に見たことのないお菓子を握ってて、あれがヤンの奥さんの作ってきてくれたっていうお菓子なのかな?
ぽかっ!
そしてポロムの拳骨が、パロムの頭に落っこちた。
「言葉を慎みなさい! ヤンさまの奥さま、でしょう!」
「いってえええ!」
そして双子の関係も、相変わらずみたいで、わたしは思わず笑ってしまった。

カインの姿はなかった。
旅が終わったあの日。パーティーの翌朝、姿を消していたカイン。
そんな気はしていたけど、やっぱり残念だった。
地上のあれこれが珍しくて仕方ない様子のルカの話に相槌を打ちながら、わたしはそっと、ここにはいないカインと、そしてテラのことを思った。

結局、エッジと話ができないまま、夜になってしまった。
パーティーのお開きは、今日はパロムの居眠りじゃなくて、酔いつぶれてシドのおじちゃんが寝てしまったからだ。
おじちゃんはきっと、この日のことが嬉しくて仕方なかったんだと思う。その気持ちは来ていたみんなもちろん同じだけど、小さい頃からセシルやローザを可愛がっていたおじちゃんは、みんなよりももっともっとはしゃいでいたみたいだったから。
「気をつけていたつもりだったのだが」なんて、シドの娘さんにヤンが謝っていた。娘さんは笑い飛ばしてたけど。
お風呂を使わせてもらって、普段着に着替えたわたしは、ひとり廊下を歩いていた。
結ってもらっていた髪も、お風呂上りの今はいつものようにおろしている。今までなら、シルフが乾かしてくれたんだけど、もうそういうわけにはいかない。
自分ひとりではあまりうまく乾かせなかった。まだちょっぴり湿っぽい。
さっきまで賑やかだったのが嘘のように、夜の廊下はしんとしている。ゆっくりとわたしは、自分に用意してもらった部屋……ではなくて、別の部屋へと向かっていた。
2年前、わたしはひとつ、約束をした。
「ちゃんとわたし、戻ってくるから。ここに……エッジのとこに、帰ってくる」
考えてみれば、今までエッジと二人で過ごす時、大抵はエッジがわたしのところに来てくれてた。
約束をしたあの夜だって、わたしの部屋の前で、エッジが待ってくれていた。
だから、今日は。エッジが来てくれるのを待ってるんじゃなくて、わたしがエッジに会いに行こう。そう思った。
エッジのところに、帰ろうって。
部屋の場所は、侍女さんに教えてもらっていた。なんだか少し緊張する。一度深呼吸をしてから、わたしは部屋の扉をそっとノックした。
「……?」
返事がない。もう一度ノックしてみたけど、やっぱり返事がない。
部屋に行ってもエッジがいない。その可能性は全然考えてなかった。
「どうしよう……」
待ってたら、戻ってくるかな。
捜しに行って、入れ違いになっちゃうのも困るし。
だけど、ここでずっとじっとしてて、エッジ以外の人に見咎められるのもなんだか決まりが悪い。
どうしようかなあ……。
「あ、てめ。こんなとこにいやがった」
困って立ち尽くしていると、後ろからそんな声が聞こえて、わたしは慌てて振り返る。
見慣れた格好に着替えたエッジが立っていた。ずんずんと大股でこちらに近づいてくる。
「部屋行ってもいねーし、どこに行ったのかと思ったぜ。
まさかと思ってきてみたら、こんなとこにいやがるんだもんな」
「いたっ!」
ぺちっとでこぴんされて、わたしは思わず声を上げておでこを押さえた。
「痛いよ! なにするの」
「おとなしく部屋にいなかったお前が悪い」
「なにそれ理不尽!」
言いがかりだと思う。あんまりなエッジの言い分に、わたしは唇を尖らせる。
「だって、約束、したじゃない」
わたしの抗議に、エッジは不思議そうに片眉を上げた。
「約束?」
「その……エッジのとこに、帰ってくるって。
だからわたし、エッジが来てくれるの、待ってるんじゃなくて、わたしからエッジに会いに行こうって、思ったんだもん」
「…………」
わたしの言葉に、エッジは黙り込んでしまった。そして、口元を手で覆う。なになに? わたし、何かおかしなこと言ったかな?
「エッジ?」
「お前なあ……」
口元を手で隠したエッジは、そのままそっぽを向いてしまった。反則だろとかなんとか呟いたような気がしたけど、ちゃんと聞き取れない。
「ねえ、どうしたの?」
「あー! なんでもねー!」
……絶対なんでもなくはないと思う。
ぶんぶんと頭を振ったエッジは、気を取り直したようにわたしに向き直った。
「あー。それで? どこで話す?」
自己完結しちゃうの、ずるいと思う。だけど確かに、いつまでも廊下で立ち話してるわけにもいかない。
「エッジの部屋じゃダメなの?」
ちょうどエッジの部屋の前にいるんだし。わたしがそう提案すると、エッジは渋い顔をした。
「お前な。あの時といい……」
「?」
あの時ってなんのことだろう? わたしが首を傾げると、エッジは大きくため息をつく。
「けどま、他に場所もねーか。城抜け出すわけにもいかねーしな。
入れよ」
「あの、エッジ。エッジの部屋が都合が悪いんだったら、わたしの部屋でも……」
「同じだっつーの!」
「???」
わたしの提案をエッジはばっさり切り捨てた。そしてさっさと部屋に入っていってしまう。
エッジ、なんだか嫌そうだったし、わたしの部屋でも全然かまわないんだけど……同じってどういうことだろう?
首をひねりながら、結局わたしはエッジの部屋にお邪魔することにした。散らかってるとか、そういうこともないみたい。
「なんか飲むか?」
尋ねられて、そういえばお風呂上りで喉が渇いていることに気づいた。
「お水もらってもいい?」
「あいよ。てきとーに座れよ」
「うん」
ソファに腰掛けると、エッジは水差しからグラスに水を注いで渡してくれる。そしてどかっと隣に腰掛けた。
一杯話したいことがあったはずなのに、うまく言葉が出てこない。お水をゆっくり飲んでいる間に考えて、そういえば、と思い出したことを口にした。
「セシルやギルバートと、何話してたの?」
「あー……」
わたしの質問に、エッジは少し決まり悪そうな顔をした。わたしの視線を避けるように、天井の方を向く。
そんな反応されたら、ますます気になるじゃない。
「わたしが聞いたらいけないような話なの?」
両手で持ったグラスを膝の上に置いたまま、わたしはエッジの方に身を乗り出した。三人とも、国を預かる立場の人なんだし、わたしなんかが首を突っ込んではいけない話なのかもしれない。……その割には、エッジの反応がなんだか変だけど。
「いや、そういうわけじゃなくてな……」
しばらくエッジは言葉を探すように天井に視線をさまよわせていた。やがてため息をひとつつくと、気を取り直したようにわたしに向き直る。
「ミストの再建のことを話してたんだよ」
思わぬ言葉に、わたしは目を瞠った。
「……え」
「なんだかんだ言っても、あそこがお前の故郷だろ? 顔は出しづれーかもしれねえけどよ、それでも気になるだろ?
セシルだって気になってるだろうし、ダムシアンを差し置いて何かするってのも筋違いだしな。
三人で一度話しておいた方がいいと思ったんだよ。
……まあ、エブラーナの復興だって、まだまだこれからだ。大したことがしてやれるわけじゃねえんだけどよ……」
最後の方で少し口ごもって、そしてやっぱり決まり悪そうにそっぽを向いてしまうエッジ。わたしの胸は一杯になる。
エッジ、そんなことまで考えてくれてたんだ。
「ありがとう」
テーブルにグラスを戻して、わたしはそっぽを向いたままのエッジの腕をそっとつかんだ。
隣接してるダムシアン。負い目を感じているバロン。二つの国が、ミストの再建に手を貸そうとしてくれることは、そんな不思議なことじゃない。
だけど、エブラーナは違う。
全く関係のないエッジが気にかけてくれるのは、まぎれもなくわたしのためで。
「そんなことまで、考えてくれてたの、本当に嬉しい。
ありがとう」
心から感謝して、わたしがそう言うと。
「お。珍しく素直じゃねーか。お礼のちゅーでもしてくれていいんだぜ?」
照れてると思ったのに、一転してエッジは路線変更することにしたらしい。冗談めかしてそんなことを言って、わたしの顔を覗き込んできた。
「!! ……しません!」
冗談にしてうやむやにしようとするエッジのいつもの手だ。分かってるのに、分かっててもやっぱりわたしは乗せられてしまう。
ほらほらと自分のほっぺたを示すエッジ。ぺちんとその腕を軽く叩いて。
それから顔を見合わせて、お互いぷっと吹き出すと、笑ってしまった。

「……久しぶり、だね」
それから。今のやり取りでリラックスしたというか、ちょっと緊張していたのも解けて。
さっきまでうまく出てこなかった言葉が、するりと出てきた。
「久しぶり、か。久しぶりだけどよ……」
そう返事して、エッジは何か言いよどむ。その言葉の意味は、多分わかると思う。
わたしの久しぶりと、エッジの久しぶりは、違う。
「お前、いくつになったんだよ」
遠まわしなような、直球なようなエッジの質問にわたしは少し笑ってしまった。
「19歳、だよ」
「2年か」
「うん」
別れたあの日、わたしは17歳だった。
こっちの時間で2ヶ月、あっちの時間で2年。わたしは19歳になった。
まだエッジの歳には追いついてないよ、って言おうかと思ったけど、当たり前だ! って怒られそうな気がしたからやめておく。
「髪伸びたな」
「うん。変かな?」
「……や。そんなことねーよ」
エッジの手が伸びてきて、頭をくしゃくしゃと撫でた。それだけで、何か泣きそうになってしまう。
懐かしい。すごくすごく、懐かしい。
頭を離れた手は、わたしのほっぺたまでおりてくる。そして、エッジの方を向かせようとした。反射的に抵抗してしまう。
「顔、見せろよ」
「やだ」
別に顔を見せたくないわけじゃない。ただ、よりにもよってこのタイミングって。泣きそうな顔は見られたくない。
「リディア」
名前を呼ばれて、結局エッジの方を向かされた。目が合ったエッジはくしゃりと表情を崩して笑う。
「なんて顔してんだよ」
泣くのを我慢しているわたしは、きっとへの字口の変な顔だ。だけど、そんなことは知らない。
「わたしは元々こんな顔だもん」
「そーかいそーかい」
ほっぺたに触れていた手が、素直じゃないわたしのほっぺたをつまむ。
「痛いよ……涙が出ちゃうじゃない」
一粒こぼれた涙を、わたしはエッジにつねられたせいにした。
「お前が悪い」
それなのに、エッジはそんなことを言う。
「俺はたった2ヶ月でもきつかったのに、2年も会えないで平然と重役出勤しやがって」
重役出勤って何のこと? 聞き返そうとして思いついた。多分、戴冠式に到着するのが遅かったことを言われたんだと思う。
だけど、その言い方はあんまりだ。もしかして、わざと言ってるの?
「……平然と、なんかじゃない」
「あ?」
「わたし、全然平気なんかじゃなかった」
あ、ダメだ。泣いちゃう。泣いてる顔は、見られたくない。
とっさにわたしは腕を伸ばして、エッジに抱きついた。そうやってエッジの胸に顔をうずめてしまえば、エッジにはわたしの顔は見えなくなる。
また懐かしい、と思った。懐かしい懐かしい、エッジの体温。
「お、おい」
戸惑ったような声をあげるエッジに、わたしは噛み付くように叫んだ。
「会いたかった! ずっとずっと、会いたかったの!
エッジが、あんなこと、言うから……っ!」
「……あんなことって、なんのことだよ?」
わざとだよね。絶対エッジ、わざと言ってるよね。
だけど、乗せられてるってわかっていても、わたしの口は止まらなかった。
「俺ナシではいられないんだって思い知れって!
思い知った! わたし、すごくすごく寂しかった!」
幻界に戻って2年。幸せじゃなかったなんて言わない。
お友達がたくさんいて、穏やかな時間が流れて、楽しくて。
だけどわたしは、本当はずっと寂しかった。
エッジのいない日常に、慣れる日が来るのかもしれない。そんな風に思ったこともあったのに、わたしはずっと寂しくて。
エッジのいない日々に、慣れることはなくて。
今までの人生の半分以上を過ごした、お友達がたくさんいる幻界での生活と、たった一人のエッジをはかりにかけて、わたしの中で重かったのは、たった一人のエッジの方だった。
だから、わたしはここにいるのに。
「……悪かった」
やがて、ぼそりとそう言って、エッジの腕がわたしの背中に回った。
ぎゅうって抱きしめてくれて、頭を撫でてくれる。
懐かしかった。ずっとこれがほしかった。
ぶわわってまた涙がにじんでくるのがわかって、わたしはエッジが普段着に着替えててよかったと思った。
「ちょっと意地悪言いたくなっちまったんだよ。
俺ばっかり会いたかったみてーでよ。いじけてたんだ」
思春期のガキかよ、って自嘲するみたいにエッジが呟く。わたしは顔をうずめたまま、首を横に振った。
「全然、全然そんなことない。
わたしだって、会いたかった」
「うん」
そうしてエッジは、わたしが落ち着くまで、ずっと頭を撫でてくれていた。

「なあ、リディア」
やがて、わたしが落ち着いて。抱きついた腕は解いたけど、なんだか離れがたくて。わたしはエッジにもたれかかってぼんやりする。
「なに……?」
泣いたら、また喉が少し渇いた気がする。だけどテーブルの上のグラスに手を伸ばすのがどうにもおっくうで、結局わたしは動かないまま。
「エブラーナに来るだろ?」
「うん」
こっくりとわたしは頷く。
「もうどこにも行かねーだろ?」
「うん」
「これからは、ずっと一緒にいるだろ?」
「うん」
「俺のこと好きだろ?」
「う……って!」
どさくさにまぎれてなに言わせようとしてるの!
誘導に引っかからなかったわたしに、エッジはものすごく残念そうな顔をした。
「ちぇー。ダメかよー」
はああ、と大きなため息をついて、ずぶずぶとソファに沈みこむエッジ。本当に油断も隙もない。
こんな大事なこと、誘導に引っかかってどさくさなんかで言わされたくないよ!
だからわたしは、無念そうなエッジにもたれかかったまま、口を開く。努めて何気ない口調で、
「ねえ、エッジ」
「あん?」
「あのね、わたしね」
目を閉じる。そして、この2年で痛感した思いを告げた。
「エッジのことが、好き、だよ」
そう告げると、エッジはがばっと身を起こす。そして少し驚いたように目を瞠った。だんだんその顔が、いたずらが成功した時みたいに得意げな笑顔になる。
「やっと言いやがったな」
そして、意地悪げな声で、そんな憎まれ口を叩いた。
いつもなら、そんな言い方をされたら、ほとんど条件反射みたいに反発してしまうんだけど。
そう言った時のエッジの顔が、本当に嬉しそうだったから、わたしは何も言えなくなってしまう。
そう。ずっと、わたしははっきりエッジにそう伝えてこなかった。長いこと、長いこと、待たせてしまった。
ごめんね。長いこと待っててくれて、ありがとう。
そんな気持ちが浮かんだけれど、多分そんなことエッジには言わなくても伝わっていると思えた。
「リディア」
名前を呼ばれて、くしゃくしゃと髪を乱した後、頭を離れたエッジの手が、わたしの肩を引き寄せる。
吐息がかかる、その意味が今のわたしにはわかるから。
小さく笑って、わたしはそのまま目を閉じた。

「そういえば」
「あん?」
「戴冠式の時、なんで壁の方を向いてたりしたの?」
「あっ、あー……あれはだなー……」
「一人だけ壁の方向いてて、エッジすごく変だったよ」
「あれは! ……その、お前が、あんまり綺麗だったから……」
「は!? なにそれ!?」
「あーもーいいだろ! これ以上聞くな!」
「だって、エッジなにそれ! 変! すごく変!」
「るせー! この話は終わりだ終わり!」


モドル

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そして、始まり