春の夜

約束を、守れなかった。
エッジは執務室の窓からぼんやりと外を見ていた。
再建したエブラーナ城の執務室で、彼は山ほどの書類と格闘をしている。
広い部屋で壁を背にして座り、大きな机に向かえば溜息ばかり。
来客用の小さな応接セットが籐で作られたスクリーンの向こうにあるが、部屋の中央はがらんとしている。
今はそこに誰かが報告にくることもないし、来客が来る予定もない。そもそも、執務用の部屋に来る来客なぞ、城に従事していた人間やエッジの血縁だった人間が劇的に減ったエブラーナには今はいない。
国が普通の状態であれば、毎日執務を着実にこなしていれば、こんな風に机の上に山積みの書類が乗せられることはありえない。
しかし、今のエブラーナは「普通」ではない。
復興も着々と進んではいるものの、エッジ自らが足を運んで視察をしなければいけない場所は、それこそ山ほどある。
昨日は、他国からやってきた商人の謁見の申し出を受けたり、各国に派遣していた忍者達の報告を受けて一日が終わった。
その前は、2日かけて、島の端っこと言える場所にある農園に視察にいったし、その前はまだ年若い忍者達の訓練所を新しく建て直すための会議や視察、その前は、自給率を以前と同じくらいに戻すための牧場視察。
数えれば、最後に執務室で書類とにらめっこしたのは、既に10日も前のことだった。
「くそー」
椅子に座っての執務は、エッジは得意ではない。
おおまかなことは爺がやってくれるが、他国かtらの書状や最終的な決議印を押すのはエッジが全て一任されている。
いつもならば、気分転換で大きな窓を開けて空気を入れ替えるところだが、今日はそれがかなわない。
エッジの執務室の窓を開けると、外にはエブラーナの名物とも言える大きな桜の木が立っている。
城を破壊された時に、城近辺の植物達のほとんどが焼き払われてしまった。それゆえ、再建する時に「以前通りではなくともいいが、せめて季節を知ることが出来る花木をいくらかは」と爺がどこかからか運んで植え直したものだ。
エッジが執務をしているときにも見られるように、と配置してくれたのはありがたいが、花が咲く時期は風も強い。
風向きが悪い時に窓を開ければ、すさまじい勢いでその花びらが風に舞い、あっという間に執務室の床にとんでもないほど入り込んでくる。
せめてバルコニーがある窓ならば、バルコニーに散らばるだけで済んだのに。
エッジはそう思うが、そもそもエブラーナの建築物にはあまりバルコニーは使われない。
城を建て直す際に、あまりエッジは注文をつけなかったし、まさかこんなことになるとは本人も思ってはいなかったに違いない。
窓の外。
大きな桜の木が、季節の移り変わりをエッジに見せてくれている。
枝には既に生命力溢れる若芽がつき、美しい緑色が輝いていた。
花はまだついているが、見た者はみな「もうこの花の季節も終わりだね」といわずにはいられないほど、花びらが散ってしまった。
「ほんとは・・・」
(本当は、リディアを呼んで、見せるつもりだったのに)
エッジは、大きな机に上半身を突っ伏した。
彼が動かした空気のせいでひらひらと何枚かの書類が机の反対側に落ちていくが、エッジは放っておいた。
彼はいつも出来る限り、可愛らしい恋人との約束は守っていた。
何があろうと守ろうとして、爺に怒られながらこの城を出て行ったこともある。
しかし、今回ばかりはどうにもならなかった。
(あいつ、怒ってねーかな)

――もうすぐ春だからよ、エブラーナに来いよ――

――春だと、何があるの?あっ、お花畑とか?――

――エブラーナにしかない、綺麗な花が咲く木があるんだ。俺の執務室の前の木、覚えてるか?――

――あっ、この前、木見た。あの木、綺麗なお花が咲くの?――

――おう。しかも、咲いてる期間が短いからな・・・咲きそうになったら、お前のこと、迎えにいってやるよ――

――本当!?楽しみ!綺麗?綺麗?――

――ああ。すっげ、綺麗だぜ――

ひとつき前の約束。
久しぶりに会ったリディアは、少しだけ大人びた表情を見せるようになっていた、とエッジは思う。
幻界と地上では時間の進み方が違う。とはいえ、ある程度の年齢になったリディアの体に及ぼす影響は、成長期のピークほどではない、と幻獣王リヴァイアサンが言っていた。
なのに、そのリディアの「成長」を感じて、エッジは胸が痛んだ。
(早くエブラーナをどーにかして、こいつを・・・)
リディアを、エブラーナに連れて来たい。
しかし、今のごたごたした状態で連れてきても、エッジはリディアの面倒を見ている暇はない。
だから、頑張ろうと思った。
頑張ろうと思って復興に本腰を入れたら、まるで彼のその行動を見透かしたように、あちこちから予想以上の執務がやってきた。
そして、このひとつき、リディアに手紙を書くことも出来ないまま。
桜の花は既に散り始め、お世辞にも「綺麗」とはいえない状態だ。
ただ、風と共に舞い散る花びらだけが、それなりの風情を感じさせる。
「いかん、いかん」
頭を振って上半身を起こす。
椅子に座りなおして、書類を手にとって読み始めると、みるみるうちにエッジの眉間には深い皺が現れる。
「・・・やべー」
思い出したら。

会いてぇよ、リディア。

エッジは、半分くらいしか読まないで、その書類にサインをしそうになった。
そのいい加減さにはっと気付いて、こつん、と自分の頭を叩く。
「駄目だっつーの!これじゃ、なんのためにやってんのかわかんねぇだろ!」
ここでズルをしては、いけない。
エッジはそれまでに自分だったら絶対に我慢出来ないこの書類の山を見て、苦笑を浮かべた。
(なんだ、俺・・・ほんとに、あいつのことが好きなんだな)
今更そんなことを思うなんて。
それは、少しだけ呆れて、少しだけそれは嬉しい。
ちらりと窓の外を見ると、風に吹かれて桜の枝が揺れる姿が見えた。


夕食を終えた後でも、エッジは執務室に篭っていた。
今日中に、出来る限り終えよう。
明日はどうしようもないほど忙しい予定が入っていて、動かしようもない。
だけど、明後日の午前中は無理矢理時間を空けよう・・・そればかりをずっと考えて、書類を処理し続けている。
室内を照らす灯りは明るく、外の月明かりが窓から入ってきてもそれとはわからない。
と、エッジはぴくりと体を起こした。
「・・・ん?どうした?」
「若様」
護衛忍者の気配を感じて、エッジは声をかけた。それは、姿を見せても良いという許しでもある。
その呼びかけをうけて、エッジの机の前に一人の青年が姿を現した。
「ハヤタ。今日の夜番はお前か。で、なんだ?」
「若様、こんな時刻なのに、城への来客が」
「なんだなんだ、門はもう閉じてあるんだろ」
「それが・・・門から入れないとわかったのか、空から」
「はあ!?そりゃ来客じゃなくて侵入者だろ!?」
「多分、もうすぐ」
「ん?」
青年の報告は的を射ていない。普段はそういうことがない人物だということをエッジは知っている。それがゆえに、エッジは軽く苛立ちながら追求しようと腰を浮かそうとした。
そのとき。

こつん。

窓に、何かがぶつかる音。
怪訝な顔をしてエッジは護衛忍者を見た。彼は、穏やかに答える。
「若様に、会いにいらしたのでしょう」
「・・・!」
その言葉に驚いて、エッジは椅子を倒すほどの勢いで完全に腰を浮かせた。
ガタンと大きな音をたてて、エッジの椅子は床に倒れる。
「去ね!」
エッジは珍しく、王族だけが忍者達に使える命令の言葉を口走った。
それと同時に、護衛忍者は姿を消し、室内のどこにも気配を残さずに去っていったようだ。
エッジは、大股で窓に近づき、鍵を素早く開けて取っ手を握る。
彼の腰ぐらいから上にある、両側に押して開く大きな窓。
ぐい、とその取っ手を押して窓を開けた途端。
「・・・うわっぷ!!」
ざざっと強い風が室内に入ってきた。
そのおかげで、室内を照らしていた二つのランプのうち、窓に近い一つの灯りが消される。
エッジは、その風と共に室内に流れ込んできた花びらから目を守るように手でひさしを作った。
そんな彼の目の前には。
「エッジ・・・来ちゃった」
「・・・!!」
「灯りがついてたから、まだ起きているんだって思って・・・
可愛らしい声。
エッジが愛しくて愛しくて仕方がない恋人が、桜の花びらと共に窓からするりと入ってきて、窓枠に腰をかけていた。
「シルフ達に手伝ってもらって、お城に入ってきちゃった・・・怒る?」
風に煽られて髪を抑えるリディアは、エッジの言葉を待っているようだ。
その間にも、彼女の後ろから花びらは室内にちらちらと入り込んで、エッジの足元に纏わりついている。
「・・・今日は、月が明るいんだな」
エッジはそう言うと、両腕を伸ばしてリディアの体を掴んだ。
彼女の服の表面は、夜の空気のせいか少しひんやりとしていた。
まるで子供を抱きかかえる父親のようにそっと窓枠から彼女を下ろしてやると、開いたままの窓からエッジの足元へと美しい月明かりが差し込む。
「怒らない?」
「バカ。なんで俺が、お前のこと怒らないと」
「よかったぁ」
そう言って、リディアは愛らしい笑顔を向けた。
少し離れた場所で温かい灯りが、わずかにリディアの表情を照らす。
その灯り以外に頼るものがない薄暗い室内にいる二人を、窓からの月明かりもまた照らそうとしていた。
「エッジ忙しそうだから、わたしが会いに来たの」
「こんな夜にかよ」
「夜なら、ちょっとは会えるかなって」
「・・・ごめん」
うまく言葉にならない、とエッジはもどかしい気持ちになった。
嬉しい。嬉しくてどうしようもない。
でも、今自分の心の中に満ちてくるこの気持ちはは、そんな単純な感情だけではないのだ。
「これが、エッジの言っていた花なのね!綺麗」
「本当は、もっと綺麗だったんだ。もう、ほとんど散ったからさ・・・一番良い時期は・・・」
そこまで言って、エッジは言葉を詰まらせた。
たとえ、リディアの表情が無邪気な笑顔に見えても、本当は違うのだ、と彼は気付いている。
心配させた。
そして、自分のことを深く考えてくれた。
そのことが、たったこれだけの会話でこんなに伝わるなんて。
「きゃっ!何!?」
エッジは、たまらずにリディアを強引に抱きしめた。
突然のことで彼女は驚きの声をあげたが、特に抵抗はない。
「エッジ」
「来てくれて、ありがとな、リディア」
「うん」
「俺のこと、考えてくれて、ありがとな」
「うん」
「ちょっとしか、会えなくて、ごめんな」
「うん」
「約束、守れなかった。ごめんな」
「ううん」
リディアは、そっとエッジの胸元に手を置いて、軽く押した。
それを合図に、エッジは静かにリディアの体を解放する。
目の前にいる可愛らしい恋人は、彼に微笑みかけた。
「いいよ。次の春は、見せてくれるんでしょ?」
「・・・ああ。今度こそ、約束する」
再び、風に運ばれて桜の花びらがちらちらと入り込み、月明かりに照らし出される。
エッジは、花びらをあちこちにつけているリディアの髪に、手をそっと差し込んだ。
すると、リディアは自然にエッジの手に擦り寄るように、顔を少し横に倒して瞳を閉じる。
(ああ、そうか。嬉しい、じゃないんだ)
エッジは目を細めてリディアをみつめ、初めて知った感情を静かに受け入れた。。

愛しくて泣きたくなることがあるなんて。

風に吹かれてリディアの髪が揺れ、月は彼女とちらちらと舞い散る花びらを照らし出している。
(いい年して、これかよ)
エッジは心の中で悪態をつきながら、目頭に湧き上がってくる熱を堪えることに必死だった。



Fin



モドル