柔らかな磨耗-1-

「あー、疲れたぁ」
リディアは魔導船の一角でほっと一息をつき、壁にもたれかかったまま腰を降ろした。
彼らは月の地下渓谷への探索をしていたが、消耗が激しかったため一度地表に戻ってきたばかりだ。、
「もう弱音か?やっぱ、残ってた方が良かったんじゃねえの?」
そんな彼女を見下ろしながら、少しばかりエッジは意地悪そうに言う。
慌ててリディアは可愛らしい仕草で口を抑え、それから唇を尖らせて彼を見上げた。
「もう。そういうこと言わないでよ!大体みんなひどいわよ。わたしのこともローザのことも、仲間ハズレにして!」
それは、セシルとカイン、そしてエッジの三人が、ゼムスを追って月に出発する際に女性二人の同行を拒んだ話のことだ。
五人中二人、という人数では、それは「仲間外れ」というわけでもない気がする・・・とエッジは心の中で苦々しく思ったが、あえてそのことについては何も言わない。
「まあ、そう言うなや。男には男の沽券に関わることがあんの」
「コケン?何それ」
「なんつーの・・・体面つーか。ううん、面目っての?」
「メンボク?わかんないよ」
「それは、あれだ、後でセシルに教えて貰え」
「ずるーい」
そのセシルはカインと共に魔導船の外に出て、月の地表を探索に出かけた。
魔導船の一部には小さなキッチンがついており、ローザはそこで簡単な料理を作っている。
本当は、魔導船のシェルターや月の民の館にある不思議な力に満ちた場所で体力は魔法力の回復は出来るし、実のところ空腹もそう多く感じずに動くことが出来るようになっている。その仕組みはわからないながらも、彼らはそれらを使った後、「そういえばさっきまで腹が減っていたのに、解消したようだ」という体感を得ている。
とはいえ、その「食事をする」という日常の行為を完全に失うことは、なんとなくお互いに不安があった。
よって、多少の煩わしさはあったが、一度彼らは魔導船まで戻ってきたというわけだ。
そして、魔導船のキッチンは狭いため、いつもならば多少の手伝いをするリディアも何もすることが出来ず、静かに待つだけというわけだ。
「しかし、ほんと・・・お前もローザも、たまんないな」
「たまんない?」
「んー。いや、なんていうの。いい意味で・・・よくもまあ、頑張ってついてきたな、と思って」
そう言うとエッジは軽く屈んで、リディアの緑の髪をくしゃりと撫でる。
それを嫌がるわけでも、とはいえ喜ぶわけでもなくリディアは受け入れ、不思議そうに彼を見上げた。

――あなたの傍にいられるのなら、どうなっても・・・いいえ、あなたと一緒なら、どんな危険なことだって・・・――

それは、男三人に内緒で魔導船に身を潜めていたローザが、セシルに放った言葉だ。
彼女が情熱的な女なのだ、とエッジは薄々気付いていた。
セシルとカインがバロンを出た後、ローザは女の身一つでセシルを追いかけてきたのだと聞いたし。
エブラーナは女性のニンジャもいて、国を出て任務をこなしている者もいる。が、各国を見る限りにはそれは相当に珍しいことなのだと彼も知っている。
(そりゃ、多少弓を使うっつっても、女の一人旅はキツイだろうによ)
そういう女性だ。
だから、ここに彼女はいるのだ、とエッジは思う。
(まあ、こいつはもっと単純に・・・仲間だもん、とかそんななんだろうーけどよ)
エッジがそんなことを考えて黙り込んでいると、まったく予期せぬ一言をリディアが漏らした。
「そりゃわたしも、みんなの役に立ちたかったけど・・・でも、ローザの役に立ちたかったんだもん」
「・・・は?・・・ああ、ローザが、先に俺たちと一緒にきたいって言ってたってことな?」
ゆっくりとリディアは顔をあげてエッジを見て、どうやら彼の発言を1回咀嚼しているようだ。
やや遅れてから彼女は困ったように
「んーん・・・ローザは・・・ついて行こうって、言わなかった」
とぽつりと返事をした。
それじゃあ、お前が言い出したんじゃねぇか。
エッジはそう言おうとして、一瞬戸惑った。
普段はお互いぽんぽん言い合いをしているエッジとリディアだが、だからこそいつもとリディアの様子が違うことはすぐに彼も感づく。
減らず口を言ってからの後悔はよくあるが、今日のエッジは運良く、余計なことを言う前にそれを察知したのだ。
「だけど、ついて行きたいんだろうなーって思って、わたしが言い出したの」
「ああ、そういうこと。なんだ、別にどうってことない話じゃねぇか」
少し安心したように、エッジはほうっと軽く息を吐いた。
しかし、座り込んでいるリディアの表情は芳しくない。
「ん?どうした?まだなんか言いたいことあんのか?」
「・・・ねー、エッジ、笑わない?」
「そ、そんなこと言われても・・・うーんと」
「笑わないって、約束して!」
「お前それ、無茶な・・・んー、わかった、笑わない。で、なんだよ?」
エッジは壁に背をつけたまま、ずるずるとその場で床に腰をおろし、リディアの隣に座った。
壁との摩擦でよれたマントを引っ張りながらリディアの様子を伺う。
リディアは青い星にはない材質で作られた魔導船の床の上で膝を抱え、まだ「どうしよう」と思っているような、少しばかり難しげな表情でもじもじとしている。
奥のキッチンでローザが何かを切っている音がかすかに二人の耳に届いた。
「急がねーと、二人も帰ってくっぞ。ローザにも・・・聞かれたくないことなんだろ?」
エッジは、小声で話すためにリディアの横に座り込んだのだが、それを彼女は特に気付いていない。
やがて、意を決したようにリディアはエッジに向き直った。
「ここ(月)に来てから、時々、ローザがセシルを見てるの」
「?うん?まあ、そりゃ・・・あいつら、なんていうの。ラブラブっての。こっぱずかしいけどよ・・・それだから、そんなのよくあることだろ」
「そうじゃないの」
「・・・」
「そうじゃないんだよ。三人に置いてかれそうになった後に見たローザと・・・一緒なんだもん」
それがどういうローザのことを指しているのかはエッジにはもちろんわからない。
わからないし、そもそもリディアはそういう、人の心の機微を言葉で表現したり、感じたことをうまく人に説明をすることが苦手だ。
だから、彼女の精一杯はそれだけの言葉で、あまりに簡単にエッジに丸ごと委ねることになってしまう。
「あー、えーと。俺たちに置いていかれることになった時のローザの表情が・・・ここに来てからセシルを見てる表情と一緒っていうわけ?」
「うーん。表情。表情って、顔、のことよね」
「だな」
「それもそうなんだけど・・・なんだろう。顔っていうか。うーん。目?目っていうか。よくわからないけど」
「お前がよくわからないなら、俺もよくわかんねーよ」
「ただ、二人になった時にローザを見たらね。最初は・・・ほんとは・・・『もー、みんな置いてってひどいよ!わたし達だって役に立てるし、ここまで一緒に来た仲間なのに!』みたいに言おうとしたんだけど・・・言葉が出なくなっちゃって」
エッジはそのリディアの説明に驚いた。
人が誰かの様子を見て言葉を飲み込むのは、もちろん何かを察知した時だと彼は知っている。
同じ立場だったはずのローザを見てリディアがその言葉を引っ込めた、ということは、「ローザは違」ったのだろう。
ローザは、リディアのように『役に立てるし、仲間なのに』と考えていたのではないのだろう。
もちろん、彼女の真意はわからないし、リディアの勘違いということもあるけれど・・・。
「時々、ローザがセシルを見ていて、その時、わたし、同じような気持ちになるの。言葉が何も出なくなっちゃって、声もかけちゃいけないような気がして。前からローザは時々セシルのこと見てること多かったけど、なんか、それと違うの」


セシルとカインが魔導船に戻って来てからほどなく、ローザが作ってくれた軽食をみなで食べた。
体力を回復してから魔導船に戻ったはずなのだが、こうやって日常に近い位置に戻ると、なんだか疲れがどっと体の芯から沸いてきたように誰にも思えた。
「少し、ここで休んで行こう。逸る気持ちはあるけれど、なんていうのかな・・・気持ちが、磨り減るね」
とのセシルの言葉は、かなり的を射ていた。
いつもならば誰かが「でも、一刻も早く」なんてことを言い出すはずだが、誰もそれを口にしないのが、その証拠だ。
食事の後はそれぞれ、魔導船に設置されている回復シェルターに入り、ゆっくりと睡眠をとることにした。
さすがに後片付けまでローザにやらせるのは、とリディアは皿洗いをする。
彼女一人にすると寂しがるだろう、と皆は思っていたようで
「終わったー」
と、水のついた手を無造作に振りながら戻ってくるリディアの姿を確認してから、各々の決められたシェルターに入って行く。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おー、おやすみ」
「みんな、おやすみ」
それぞれ軽く声をかけあうが、お互いの声にはやはり疲労がちらりと見える。
何も操作をせずにシェルターに入ると、月の民のどういう文明のおかげか、「その個体の疲労度に合わせた回復時間」をシェルターが検知し、睡眠時間を調整してくれるようになっているらしい。
が、それでは起きる時刻がまちまちになってしまうため、ひとまず5時間後に起きるように設定しよう、とセシルが決定した。
そういったことまでも対応出来るようになっていることは、まったくもって不可思議なのだが、そもそも自分達の星から月まであっという間にやってくるこの船を作った文明だ。何があっても驚く必要もない。
最初はローザはしきりに「どこかだ水が供給されているのかわからないのに、ここを押すと水が出るの」と言っていたし、セシルも「飛空艇みたいに操縦する概念がないみたいだ」と驚いていた。けれど、既に彼らは「わからないけど、なんだか凄い」この魔導船に順応していた。
全員がシェルターに入った後の魔導船は、しんと静まり返る。
月の表面には生き物が生息しているし、それなりに鳴き声をあげる物も中にはいる。
けれど、魔導船は装甲の厚さか何かはわからないが、外部の音を中に響かせないし、逆もまたそうだ。
最後部には、彼らのアイテム類を管理してくれている「でぶチョコボ」という不思議な鳥が常時眠っているが、その寝息とてもそうそう魔導船内全てに響いているわけではない。
彼らの中でもともと睡眠時間が短いエッジは、いつも皆よりも先に起きて、その静けさに直面する。
もちろん、それは今日も同じだ。
(まったくよー、セシルは5時間とかいいやがるけど、そんな長く寝てらんねっつーの。出かける前だってゆっくり眠らされたんだし)
ありがたいことに、と言うか残念ながら、というか、エブラーナのニンジャ達は短い睡眠時間を常とする訓練を幼少の頃から行われる。もちろんそれは、王子である彼とて例外ではない。
エッジは静まり返った魔導船の中で目覚めると、シェルターから出た。
「これは、喉がちと渇くのが難点だなぁ」
そんなことをぽつりと呟いて、水飲み場へと足を運ぶ。
と、その途中で、彼はローザが使っているはずのシェルターが、既に空いていることに気付いた。
「ん?ローザ?」
遠方か?と思いつつ、エッジは軽く声をあげた。
しかし、魔導船の中には彼の声が軽く響くだけで、他の人がいる気配もまったくない。
見れば、ローザが最近いつも使っている弓矢も持ち出されている。
「・・・んだよ・・・」
ローザは、いつでも仲間を気遣っているから、こういう形で無茶をする人間ではない、とエッジは思う。
だから、彼女がいないからといって、遠くへいっているわけではないと判断した。
(つっても、ローザがこんな風に・・・そんなに体丈夫ってわけじゃあねぇのに、休まないで動くって珍しいもんな)
それは、月だろうが、青き星であろうが。
しかも、エッジは食事前にリディアからあんな話を聞いたばかりなのだから、気にするなという方が無理な話だ。
喉を湿らせる程度に僅かな水を飲んでから、エッジは自分の武器を間違いなく身につけ、魔導船から出た。


月の表面は、なんだか寂しいだけではなく、恐いと思える時がある。
それは、建物がないから、緑がないから、水がないから、色々な理由が考えられるが、エッジがあえて理由を一つに絞るならば「生きていけない気がする」からだ。
砂漠を歩けば、その砂漠に適した生態系の生物も植物も、多少なりと出会うことがある。
しかし、この月面で出会う植物はなく、生物は今まで彼らが見たこともない、奇形と言わざるを得ない不思議な形のものばかり。
そうであれば余計に「ここは自分達が生きていく場所ではない」と実感してしまうのかもしれない。
魔導船を降りると、そんな場所にぽつりと立っているローザの姿を、すぐにエッジは見つけることが出来た。
ローザの顔を向いている方角には、彼らが今日赴いた、月の民の館があった。
無機質な材質で作られた、エッジ達の星では決してありえぬその姿は、この月の表面では明らかに異質な存在だ。
それを、ローザは見つめているのだろうか。それとも、それではない、目に見えないものを宙に見出しているのだろうか。
「ローザ」
「・・・エッジ。また、早く起きたのね」
ゆっくりとローザは振り返って、エッジに小さく微笑んで見せた。
「おう。俺がこれくらいに起きるって、わかってんだろ?そしたら、心配するだろうってことも知ってるんじゃねえの」
それは、エッジなりの「俺に何か言いたいことでもあるの?」という探りだ。
けれど、ローザはそれを軽く流そうとした。
「わかってたんだけど、ちょっと考えたいことがあってね・・・今から寝るの。エッジが起きる前には寝ようと思ったんだけど、案外長くここにいたみたい」
「長くって・・・おい、みんながシェルター入った後、全然寝ないですぐに出てきたのか?」
「ううん、違うわ。しばらくは魔導船の中にいたんだけど。ああ、そんな大したことじゃないのよ?なんかこう、しみじみ、遠いところに来たなぁって思ったら・・・」
エッジは、直感的に「それは嘘だ」と思った。
多分彼がその直感に頼らずに冷静に考えようとしたって、彼女の言葉が嘘だということは明白だ。
月に来たのが初めての経験であれば、それもわからなくもない。
けれど、もうこうやって、一人で地表に出ても問題ない、と慣れてしまうほどに、ローザも皆も、何度もこの場を訪れている。
ゼムスを追って、最終決戦と思われる闘いに挑むから?
いや、ならば、ローザは尚のこと、どんなに気持ちが落ち着かなくとも、足手まといになりたくない、と睡眠を優先する。そういう女性なのは、みなへの気配りから既にエッジにはわかっていた。
エッジは、思い切って尋ねた。
「・・・あれを見ながらよ・・・セシルのこと、考えていたのか?」
その彼の言葉に、ぴくりとローザは反応をする。
エッジの方はといえば、「なんであれを見ながらセシルのことを?」と、自分で言ったその言葉の繋がりがぴんと来ていなかったのだが。
「なんでそう思うの?」
「・・・ローザがそういう返しをする時ってのは、図星のような気がする」
「そこらへんは、やっぱり年の功なのかしら?少ししか年齢離れていなくても」
「あのなぁ。一応俺も、人の上に立つ人間よ?」
「ふふっ、そうよね?ごめんなさい」
冗談めかしてエッジが言えば、ローザも苦笑いを見せる。
その彼女の横顔を見て、素直にエッジは「美人だよな」と心の中で呟いた。
以前の自分ならば、たとえローザがセシルの恋人であろうと、相当に好みのタイプであったことは自覚している。
面倒ではない女は好きだ、とエッジは前々から思っていた。
ローザはいつも察しが良い。
あれこれこちらから言わなくても気付いてくれたり、言葉にしないまま皆に内緒で気を回していたり。
それはありがたいと思うし、あれこれ言わなくともそうやってくれて、且つそれを押し付けようとしない女性を「面倒がなくて、楽」な相手として、エッジは好んでいた。
もちろん、それとは別に、彼は父王達の目の届かないところで遊んで――まあ、若気の至りというやつだ――もいたが、それも相当にわかりやすく、「面倒な後腐れのない、束縛しない女」以外は、まったく相手にする気もなかった。
彼にしてみればどういう意味でも「面倒ではない女」が好きで、ローザはそれに関しては相当に優れた女性だと認識している。
ただ、彼も過去の経験からいくばくか学習はしていた。
面倒ではない、といいつつ、それはただ大らかであることを望んでいるわけではない。
察しがよく、それなりにかいがいしくしてくれる女。
しかし、そういう人間は、「そうする」ためにいつも気を回しているのが常だと、もうエッジはわかっている。
そして、人に気を遣わせまいとして笑顔で嘘を優しい嘘をつく。
(誰よりもたくさん、誰かのことを考えて、最初から多くの可能性を見つけるんだ。こういう女は)

いつもは熱いお茶を飲まないけれど、今日は少し気温が低いから、熱くしてあげたほうがいいかしら。
新しい鎧が結構重いっていってたから、逆に喉が渇いているかも。そしたら、熱くないお茶がいいものね。
ああ、でも、疲れ気味だっていうから、お茶よりも甘いものを欲しがるかもしれないわね。

そんなことを考えて、言われればすぐにそのどれをも提供出来るように。けれど、誰にもそれを言わずに。
今のローザもそれと同じなんじゃないか、なんて思い当たる。
月の民の館を見つめながらセシルのことを考えていたローザ。
青き星に残されることになったとき、リディアが戸惑うような表情を見せていたローザ。
その時に彼女が一体何を考えていたのか、エッジには皆目見当がつかない。
つかないけれどきっと、たくさんのこと、たくさんの可能性に思い当たって、それゆえに何か心に抱えているのだろう。
「セシルを見てる、ローザの様子がちょっと気になって、さ」
エッジは、リディアに言われた、とは一言も告げず、そんなことを口にした。
彼のその言葉にローザは軽く眉根を寄せ、顔を向ける。
「・・・わたし、どんな顔でセシルを見てる?」
「以前は、よ、ローザがセシルを見ていても、別に気にもしなかったんだけど・・・なんか、違うんだよな」
間違いなくそれらはリディアの受け売りだ。
そのエッジの言葉に、ローザはふっと表情を和らげた。
「驚いた。そんなにエッジ、わたしのこと見てる?」
「そりゃあ、まあ、いつだって美人のことは気になるもんだからなあ」
「嘘。あなた、リディアのことばっかり見てるくせに」
「なっ・・・!」
やぶへびだ。
エッジはローザの言葉に動揺して、情けない声をあげてしまう。
その様子がおかしかったようで、ローザはくすくすと声をあげて笑った。
彼女のその笑い声は、まったくこの荒涼とした月の様子とそぐわない。
けれど、そのおかげで少しばかり、二人はお互い肩の力を抜くことが出来たのか、緩んだ空気をエッジは感じる。
「うふふ、ごめんなさい。ちょっとからかいたくなっただけ」
「傷つきやすいお年頃なんだ。あんまり突付くなよ」
「あら?なかなか長い思春期なのね。何年続いているの」
「思春期!どういう恥ずかしい単語出してんだ!」
そのやりとりで、今度はエッジが笑い出した。
頭が良い女は、好きだ。
こういったどうでも良い掛け合い、どうでもいい会話で笑いあえる。
綺麗に着飾って男の気をひこうという女達は、それはそれで可愛らしい。
女は別に政治を知る必要もないし、知識を持ち過ぎる必要だってない。第一男達と考えていることが普段から違うのだし、男と出来る会話は男とすればいい。
けれど、こういう機知の効く、言葉遊びが出来る女は相当にエッジの好みだ。
そのうえ、セシルには申し訳ないとは時々思うが、多少「エグいかな」と思う、色の入った会話、同性でしかすることの出来ないような性的な話題をほのめかしても、ローザは時々顔をしかめつつ、気持ち良いかわし方をする。
(あれが、なんつーか、逆に)
そうやってかわしてしまう女が、本当はどう思っているのか知りたい、と「そそる」のだとエッジは思う。
あ、いや、今ローザと話したいことはそんなことではない、とエッジは改めた。
「さ、そろそろ寝ようかしら。ごめんなさいね、心配かけて」
「あ、いや」
「エッジはこんな時間に起きて、わたし達が起きるまで何をしてるの?町の宿屋とかじゃあ別だろうけど、ここじゃ暇じゃあない?」
「だなぁ。でもまあ、今日はホレ。予想外の美女に会えたことだし、いいこともあるぜ?」
「ふふ、美女美女って。冗談でも嬉しいわよ」
「冗談じゃないっての。どうせバロンの男共は、こういうこと言いやしないだろ?あいつら、女性を褒めんのも口下手で見てらんないんだよ。セシルなんざ、ローザのお茶はおいしいなあ、とか言うのが精一杯じゃねーか。こんなとこまできて、身だしなみ整えて女らしくしてんのが、どんだけ大変なのかも考えたこともないんじゃね?お前、料理すっときも気をつけてくれてるし」
そのエッジの言葉に、ローザはまばたきをした。
「やっぱり、わかってくれてたの?」
確かにそれはローザにとって、「わかってくれる人がいたのね」と驚くべきことだった。
慣れない場所で、限られた時間で、女が女らしくいるための身だしなみを整えることは案外と面倒で煩わしい。
しかも、余計な世話と思いつつ、髪が絡みやすいリディアのことも気遣って、ローザは毎朝自分の支度を済ませるとリディアの後ろ髪を梳いてやっているのだ。
エッジが言っているのはそれだけではない。
洞窟などで戦っている最中に手甲をしていても、男達の爪の間は黒く汚れることが多い。それは、ローザもリディアも同じことだ。
転んだり、足場の危ないところで岩を掴んだり、あれこれやっていれば当然のことだ。
けれど、ローザは食事の用意をする前にそれらを軽く取り除く。
男達は気にせず汚れたまま食事をするが、それを作る彼女はそれに気を使う。
ある日、軽くエッジが「爪、綺麗だよな」とさりげなく食事後に言ったことがあったのを、ローザは覚えている。
「ありがとう。エッジは、思春期でも、わたし達よりちょっぴり年上なのね」
「ちょっとじゃねーよ!何歳年上かちゃんと数えろ」
「もっと素直にリディアに色々言ってあげれば?」
「俺は、褒め言葉をちゃんと受け取ってくれる、ローザみたいな女には率直だぞ」
「率直、ね。それはそうみたい」
「もう寝ろ。体調は大丈夫なのか。あれは。女の月のものは?」
「大丈夫。終わったばかりなの」
そんな言葉を交わせるのも、ローザにとってはエッジだけだし、それをわかっていてエッジは言う。エッジにしてみれば、エブラーナには女性ニンジャが多いので、そういったことの管理は当然で、恥ずかしいだのなんだの言われることには苛立ちする覚えるのだ。
ローザとリディアは同性であっても、リディアが一人でローザのことを気遣っているだけではしょうがないことがある。
もちろんセシルとローザは恋人同士だから、必要であればセシルだってそのことを気遣うわけだが、こんな風に環境が変わった時というのは、誰もがその順応に手一杯になって他の人間のことが疎かになりがちだ。
それに、セシルにとってはあれこれと思い煩うことが多すぎるのだし。
自分の出生のこと、兄のこと、その他諸々。
そう思えば、ローザのことを思いやりつつも、どこかで行き届かない部分があってもいたしかたないのかもしれない。
(・・・だから、ローザも何か、揺れてるのか?)
セシルが思い煩うことが多いから。
そのことを考えて、ローザもまた。
「ローザ」
「ん?」
「セシルがいろんなこと抱えてるときに、それを全部お前も抱えちゃ、駄目だぞ」
「・・・」
「頭がいい女ならわかるだろ。考えすぎるとろくなこともないって」
「・・・そうなのよね、でも、性分よ」
「・・・だな」
なるほど、やはりセシルのことか。
エッジがそれ以上追求するのを阻むように、ローザはもう一度笑って言った。
「眠るわね。おやすみなさい」
「・・・おう」
それは、少しばかり疲れていたけれど、とても穏やかで綺麗な笑顔だった。


フースーヤとゴルベーザの力でも、そうそう簡単に月の地下渓谷を進んでいっているとは思えない。
洞窟に時々ある結界で、セシルはそう言った。
「彼らも、時々月の民の館に戻っているのかもしらんな」
とカインが言う。確かにそれは考えられる。
たまたま遭遇はしていないけれど、自分達が一度地下渓谷を脱出して体を休めて戻ってくると、時折魔物の死骸がある。
最初は、それが自分達が倒したものだと思って気にしなかった。
けれど、ふと気になって調べると、それらのほとんどは黒魔法によって葬られたのだということがわかった。
それが出来るのはリディアと。
もちろん、フースーヤとゴルベーザだ。
彼らとて、セシル達がここに侵入していることに気付いていないわけがない。
合流してから進めばいいのだとわかっているが、多分フースーヤは「純粋に月の血を引いた自分がゼムスを止めなければいけない」と思っているのだろうし、ゴルベーザからしても、今更セシル達と手を組むということは出来かねるのだろう。そして、そんな彼をフースーヤが気遣っているのだろうとも思える。
それは、仕方がないことだ。
仕方がないが、セシルからすれば、自分も月の民の血が流れているのだから、彼らからどこかしら拒絶された形で別働していることを、多少哀しくも思えるのだろう。
地下渓谷の気温は低い。
体を温めようと焚いた火をセシルは黙って見つめている。
カインは、多くの竜との戦いで活躍している自分の槍の手入れを始めた。
リディアは少し魔力を使いすぎて疲れていたため、ごろりと横になって瞳を閉じている。
そして、ローザは・・・とエッジはちらりと視界にローザを入れた。
(じっと、じゃない。でも)
茶をいれて、セシルに渡すローザ。
ありがとう、とセシルはそれを受け取り、一口飲む。そして、またちらちらと揺れる炎を彼は見つめた。
そして、その様子を、ローザはほんの4,5秒。
物思いに落ちるセシルの横顔を、彼女は確かに静かに見つめていた。



「ここ(月)に来てから、時々、ローザがセシルを見てるの」


「なんだろう。顔っていうか。うーん。目?目っていうか。よくわからないけど」


エッジは、ごろりと横になった。
地面はごつごつとしているため、丁度いい場所を探るように体をもぞもぞと動かした。
見ないでおいてやろう、見ていないから、とローザを安心させてやろう。
そんな思いが胸の奥に湧き上がってきた。
(リディアが言ってたことは、間違ってない)
なんで、あんなに今にも泣きそうな顔をしているんだ。
ただそこに愛しい男がいて、苦しんでいるだけで。
そのローザの表情の意味をエッジは理解出来なかった。そもそも、他人を見ている人の表情を見ただけでそうそう、心の内を把握出来るわけでもない。
それでも、エッジは彼の記憶のとある一点を突然思い出して、小さく溜息をついた。
泣きながら、自分を好きだと訴える女が過去にいた。
決してその女を邪険にして、別れたわけではない。
最初から一緒に生きるつもりもなかったし、それは相手もわかっていたはずのことだ。
(頭がいい女は、なんでもかんでも見透かして、わかってくれる)
それはとてもありがたくて面倒でない。けれど。
(そういや、そんな風に泣くほど俺のことが好きだったのかって・・・驚いたもんだな)
クールな女だと思っていた。多分、彼女も最後までそういう自分でいたいと思っていたに違いない。
年下であるエッジの、若さゆえの暴走だとか、王族という戒めへの反抗、それらを茶化すわけでもなく、ただ受け止めて、彼を楽にしてくれていた、行きずりと言っても差し支えがないほどの女性。
(ああいう女が好きだったっつーのに・・・今は、感情そのまんま漏らしまくりの女に惚れてるんだから、俺もしょーがねえなあ)
苦々しく思いつつ、エッジは軽く瞳を閉じる。
彼から少し離れた場所に横たわっている、リディアの軽い寝息が彼の耳に届いた。


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