柔らかな磨耗-2-

情熱的な女とは、いつでも外側にそれを迸らせているわけではない。
多分、ローザはそういう女なのだろう、とエッジはふと思った。
炎を見つめながら物思いに落ちたセシルを見つめる、あのローザの視線からは、必死に彼女が内側に留めようとしている「それ」が溢れ出てしまっているのだと思う。
それを見れば、確かにリディアは声をかけることは出来ないだろうな、とエッジは心の中で苦笑をした。
きっと、リディアは情熱的な女というものを、知らないのだと思う。
女子同士の会話の中で、もしかしたら時々「うわぁ、ローザって、情熱的!」なんて彼女が言ったとしても、ローザは小さな笑みを返すだけで「そうでもないわよ」なんて答えるのだろう。
だって、リディアの知っている「それ」は、ローザの内側にあるものの、ほんの一欠けら。人に見せても恥ずかしいと思うこともない、僅かなものに過ぎないのだし。
休憩を終えようとセシルが動く気配を感じて、エッジは起き上がった。
ローザはセシル達が飲み干した茶が入っていた器を片付けるため、手洗い用に持ち歩いている水に浸した布で、それらを拭いていた。彼女はいつもそうやって外では簡易的に洗浄をして、戻ってから再び綺麗に洗う。
何度も茶を飲むときは、飲むたびに僅かな水で軽く濯ぐ。
各人の飲み水以外に水を持ち歩くのは相当に苦労であり、それらを持つのは男達の役目だ。
だから、あまり多くなくてもいいように、試行錯誤を重ねてローザは最低限の水を皮袋に入れる。
細かすぎやしないかとエッジは思うけれど、それをローザに言えば「ただでさえ甲冑は重いんですもの。あっ、エッジは軽いけど」と、憎まれ口までおまけにつけて、エッジの気を逸らす。
そういう女だ。
「おい、エッジ」
と、突然カインから声をかけられて、エッジは目をしばたかせた。
「なんだよ」
「お前、何、ローザをじろじろ見てるんだ」
「・・・あー」
そのカインの問いに、エッジはあんぐりと口を開ける。
「カイン、お前が気付くのかよ、それを!」
「何故」
「そういうのは・・・」
セシルが気付けばいい話だろうよ、と続けようとして、エッジは口篭もった。
カインがローザを好きだったことは周知の事実だし、実際エッジもそれを茶化すようにカインに言う時だってある。けれど、そこで彼が口篭もったのは、それなりにエッジが「真面目な理由」でローザを見ていたからだ。
エッジの言葉をカインがどう受け取ったのかは、既に兜を被っている彼の表情を読み取ることなぞ出来るはずもなく、エッジは軽く眉根を寄せてカインを見る。
「セシルが気付くわけがないだろう。あいつは、鈍いんだ。そして、その鈍いセシルを見てるのが、ローザは好きなんだろう」
「・・・お前、言うなぁ」
「悪いか?」
「いや、悪くない」
「どっちにしても、今のセシルは、なにやら色々考え込んでいるようだからな。戦闘に支障はないが、ゴルベーザの意識が戻ってからは何を考えているやら、時々呆けている」
カインが言う「呆けている」があまりにもひどい言い草だったので、エッジは軽く噴出してしまう。
そんな風にカインの方から話が出たなら、と、エッジはカマをかけるように聞いてみた。
「セシルは呆けてるか。で、ローザはどうだよ?」
しかし、そのエッジの問いの意味がカインにはわからなかったようで、しばしの間が空く。
空いた挙句のカインの答えは、なかなか彼にしては気が利いていた。
「ローザは、いつだってセシル相手に呆けているだろうさ」
もちろん、カインのそれは、セシルに対しての負け惜しみに決まっている。
普段セシルへの嫉妬などを外に出さないように振舞っているカインが、珍しく自らエッジの口車に乗った結果がこれだ。
「ははは、違いねぇな」
それへの気遣いは、受け流すことだ、とエッジは踏んで、軽く笑った。
なるほど、どうやらカインもまたローザのように、セシルを心配過ぎている人間の一人らしい、とエッジは心の中で呟いた。
セシルの変化に気がついて、エッジがローザを見ていることに気が付くのに、ローザから発されるサインにまったくカインは気が付いていないのだろう。
それが彼らしくもあって、エッジはただ苦笑するしかなかった。
とはいえ、カインはカインで、エッジからの問いになんらかの意図があることは当然感じ取っていたから
「俺には、わからぬことが多すぎる。あの二人とは幼馴染といっても過言ではないが、男女の仲というやつは、他の人間からではわからんことが多いものなんだろう?」
と、兜の下からでもわかるほど、戸惑いがちに問う。
エッジが笑いをこらえるのが難しいほどに、カインのその言葉はあまりにもひとごとだ。
(しゃあないな。こいつ、どうせローザに何年越しの片思い、ってやつで、それ以外のことはからっきしみてえだし)
「だな。それは、お前が正しいさ」
エッジは泣き笑いに似た表情を見せて、カインの肩にぽんと軽く手を置いてから歩き出す。
起きたリディアが二人の様子を、ちらちらと遠くから見ている姿が見えたからだ。
カインはそれ以上エッジに追求はせず、無言でエッジの後を追うように歩き出した。


その日、彼らは相当に長い時間、地下渓谷に降りて戦いを続けていた。
明らかにそれまでとは違う魔物が出没するフロアまで足を伸ばすことが出来たが、これがまた厄介な魔物もいて、彼らはまたも消耗して地上に戻ってきた。
リディアは魔導船での食事中に
「あのでっかい顔のお化け、嫌い〜!」
と、今日会ったばかりの異形の魔物の話題を出し、それをうけてセシルが笑いながら
「首の下、どうなってるんだろうね、あれって」
と呑気な口調で、何故かカインに話を振っていた。もちろん、カインが知るはずもなければ、皆を笑わせるような答えをするわけでもない。が、どうもセシルは「どうということない問い掛けを、カインにわざわざする」癖があるのだとういことに、最近エッジは気付いており、そんな二人のやりとりを聞きながら内心笑っていた。
その、何もおかしくないいつも通りの明るい食事風景は、彼らがこの月に慣れたおかげだろうとエッジは思う。
前回までは疲れきって、食事時にそうそう会話も弾まなかった気がする。
でも。
慣れたと思っても、ここにいるのはあと少しの間だ、とエッジは思った。彼らの旅は、先延ばしをするようなものではないのだから、あと少しでなければ逆に困る。
そのあと少しの間、ローザはずっと思い悩んでいるのだろうか、とちらりとローザの方を見ると、敏感にそれを察知したローザと視線があってしまう。
ローザは、ふっと柔らかい笑みをエッジに返した。
それは、いつも通りのローザの笑みに見えるが、きっと本当は違う。
エッジは返事代わりに口端をあげて見せると、パンを口に運びながらそっと心の中で独りごつ。
敢えて言うならば、「いつも通りに見せたい」ローザの笑みなのだろう。


これもまた、「いつも通り」に。
エッジは皆よりも相当に早い時刻に起き出して、また魔導船の中で独りでぼんやりとしていた。
(あー、かったりー。第一、ローザがいうようにここにゃ娯楽がねぇもんなぁ。だからって、そんなこと理由にして長々と寝てられねえっつうの、俺は)
以前セシルから「早く起きたら武器の手入れをするぐらいしかやることないだろう?」なんて言われたことがある。しかし、それは「手入れをせずに寝る」ことであり、不測の事態を考えるとそれは彼には許せないことだった。セシルだって自分がその立場になれば、きっと眠る前にやらずにはいられないに違いない。
エッジは、「そういえば」と思いついて、魔導船を抜け出した。
もちろん、武器は間違いなく身につけている。
月地表の相変わらずの寂しい光景は、出かける時に見ようと、帰ってくる時にみようと、なんの変化もない。
この地に生息しているハミングウェイ達は、この光景を見てどう思うのだろう?
(でも、多分あいつらだって、寂しいんじゃねぇのかな。だから、一族があんないっぱいいるんじゃねえ?)
答えを誰も知らないそんなことを思いつく。
それは大層なこじつけではあったけれど、大きくもない洞窟で所狭しと同じ一族が住んでいるハミングウェイ達。
彼らは人間に限りなく近い生き物であり、いや、自分達と同じ人間と言っても差し支えがないだろう。
そんな彼らが、この寂しい月面で生きるには、多くの同族達がいるということが必要なのかもしれない。
エッジがそういうことを考えるのは、実はそんなに珍しいことではない。
彼は王族としての執務はからきし苦手というか、既に嫌悪の域に達しているほどだが、土地と「その土地に生きている人間」について考えることは好きだ。もちろん、それは考えるだけで、何の役にも立たないことがほとんどなのだが。
「うーん。なんつーか、ゴージャスだな」
エッジは、月面にあまりにも不似合いなほどに目立つ、フースーヤが暮らしていた、縦に伸びた大きな館を遠目に見た。それは、彼らが「月の民の館」と呼んでいる場所だ。
クリスタルに似た材質に覆われて、暗い月の表面でも僅かな光を反射しているのかなんなのか、ぼんやり青白く光っているようにいつも見える。
月に来てあれを見た瞬間に、「人が住む場所がある!」と皆で驚きつつも、安心したものだ。
今、あの建物を見て思うのは、終わりに近づいた自分達の旅のこと。
それから、そのまますぎるけれど、やはりフースーヤのことだ。
自分はそこまでしか考えられないが、あれほどにセシルのことを好きなローザであれば、月の民のことについて、セシルのことについて、考えが広がっていってもおかしくはないのかもしれない。
(多分、その辺のことなんだろうなあ。俺にはさっぱり想像出来ないけどな)
と、彼はゆらりと空気が動いて、誰かが魔導船から出てきたことを感じ取った。
もちろん、それが誰なのかは推測出来る。
ローザか、百歩譲ってカイン。いや、百歩では追いつかないかもしれない。
そんなことを考えながら振り向けば、何の意外性もない人物が彼に向かって歩いていた。
「よ」
「おはよう、エッジ」
「どーした。まさか、俺に合わせて起きたのか?変な期待しちゃうぜ?」
「あなたに合わせて起きたのよ。でも、期待はしないで欲しいわ」
「あ、そ」
あっさりとエッジの茶化しをかわして、ローザは彼の隣までやってきた。
そして、すっと腕をあげると、月の民の館を指差す。
「あそこに、セシルのお父さんも、昔いらしたのよね」
「・・・だろうな。フースーヤの話だと、ずっと一緒にいて・・・ある日、俺たちの星に降りたっていうもんな」
静かにローザは腕を下げたが、その視線は一点に注がれているままだった。
「ミシディアの、試練の山の頂上で、セシルは聖騎士になったの」
「へえ?ああ、そういや聞いたかな。以前は暗黒騎士だったって話だよな」
「そう。魔導船をミシディアの、竜の口に沈めて、デビルロードを作ったのもセシルのお父さん。そして、いつの日か、試練の山の頂上に自分の息子が辿り付くことがあれば、力を与えようと思っていたのかしらね。あの山は、セシルにとって間違いなく試練の山だったのかもしれないけど、他の人々にとってはどういう試練なのかしらね」
もちろん、その答えはエッジは持っていないし、セシルが聖騎士になったいきさつすらあまりよく知らない。
それをローザも知らないわけでもないのに口にするのは、多分、その呟きをずっと、誰かに聞いて欲しかったのだろう。
「セシルの、オヤジさんのことを考えていたのか?」
「正確には、セシルの、本当の血縁の人達のこと、かしら。フースーヤはセシルの伯父さんでしょう?ゴルベーザはお兄さんだし」
「だな」
「家族というか・・・自分のルーツを知るっていうのは、どういう気持ちなのかしらね」
ルーツ。
耳慣れない言葉を使うな、とエッジはローザの横顔を見つめた。
祖先、という意味であることはエッジにもわかっている。けれど、自分達と同じではなく、月の民の血族、いや、本来は月の民というのも後付けの名称であり、どこか遠く遠くにあった、今は滅びてしまった星に生きていた人々。
そう考えると、毎日おはようと挨拶を交わし、おやすみと挨拶を交わし、当たり前のようにそこにいるセシルのことが不思議にも思えてくる。
と、エッジは突拍子もないことをローザに言った。
「月の民でも、フツーにガキを作れるって立証されてんだから、安心していーんだぜ?」
「・・・ちょっと、何それ!そんなこと、思ってもみやしなかったわ!」
そのエッジの言葉にローザは笑い出す。ようやくエッジの方を見て、素直な笑顔を見せた。
「いやいや、大事なところだろ。その・・・セシルが、俺たちと完全に同じ体の構造なのか・・・わかんねぇしよ」
「そうね。それは、ちらっと考えたことがある」
「だろ・・・でも、お前がなんだか悩んでるのは、そのことじゃねーんだろ?」
ローザは軽く肩を竦めて、その場に腰をおろした。
おいおい、服が汚れるだろ・・・とエッジは思うが、付き合ってしゃがみこんだ。
「セシルは幼い頃からバロン王によくしていただいていたの。でも、そんな彼をやっぱり妬ましく思う人間もいたし、最初は親なし子として、よく苛められていた」
「へえ」
「だけど、あんまり弱音を吐かなかったし、人からの単純な悪意は、じっと我慢して隠してた。わたしも、子供心にそれを感じてね、ものすごくセシルのことは・・・あれこれ、色んな予測を立てるのが、その、小さな頃からの習慣っていうか。黙っている彼のことを理解したかったのかなあ。よく、小さい頃から、ローザはなんでもお見通しだねって言われることが多かった」
「小さい頃から、セシルが好きだったのか」
「ううん、そうじゃない。そんな意識はなかったんだけど・・・いつからかしらね。暗黒騎士の力を身につけてからは尚更、彼を否定的に見る人間もいたし・・・それを嗅ぎつけて、少しでも彼の障害が減るように、気にはしていたわ。カインに言わせれば、実力がある人間は一方で疎まれるものだって話らしいけど、それでも、理不尽な思いをセシルがすることは多かったと思う」
エッジは心の中で、カインの意見に賛同をした。
ローザだってそれをわからないわけがない。それでもセシルのことを深く気に止めるのは、やはり男女の恋愛感情のおかげに違いない。それがいつからなのか、はっきりとした境を彼女がわからなくとも。
「だから、気が付いたら、わたし、セシルのことをね・・・いっつもなんでも先回りして考えないと、気が済まない女になってたのね。先回りしておいて、ローザはなんでもお見通しだな、とか、ローザは僕のことをわかってくれているんだね、とか、そういう彼の言葉に、どこか優越感を感じてるんだと思う」
「・・・あー・・・」
一拍遅れたエッジのその声は、意味を理解したからこその、失望も含んだ曖昧な声音だった。
確かにローザは、エッジも知っての通り、何についても先回りをして予測をする女性だ。
だが、それは単純に常に最初から正解を導き出しているのではなく、たくさんの予測を立てるところから始まる、大層煩わしい作業だとエッジは思う。
予測した上で、一秒一秒の環境の変化で、その予測をどんどんふるいにかけていく作業やら、予測を絞り込むために周囲の動きに過敏になったりと、いちいち面倒に違いない。
ローザ本人はそれを面倒と思わないのかもしれないが。いや、そう考えれば、「そう」であることが問題なのかもしれない。
そんなエッジの思いを肯定するかのように、ローザは泣き笑いの表情をエッジに見せた。
「自然に、それをやっちゃうの。考えずにいられないの。言ったわよね、性分だって」
「ああ。多分、止めろっつっても止められないんだろうなあ、お前は」
「ええ。そうみたい。不安なのね、きっと。自分の予想外のことをセシルが言ったり、やったりすることが怖いんだと思う・・・」
恥ずかしそうにそう言って、ローザはそっと目を伏せた。
案外とローザは素直に、自分を曝け出すのだな、とエッジは驚いてその様子を見ていた。
(ほんと、間違いなく、ちょっと前だったらドストライクだよなあ、こういう女は)
でも、今は違う。
それは、「理想と現実は違う」という意味ではない。
多分、エッジにとってローザは、「知っている」タイプの女性なのだ。だから、彼も自分で意識出来るではないか。こういうタイプの女は好きだ、と。
そして、リディアはエッジにとっては「まったく知らない」少女だ。リディアの言動をエッジはよく「これだからガキは」と口にするし、それは間違いではないけれど、時々その言葉で片付けることの出来ない、彼女ならではの言動に、良い意味で彼は刺激される。
だからこそ惹かれて、そして、振り回されて、少しずつ理解をしていくことが彼も嬉しい。
とはいえ、いつか完全に理解をする日がくるか、と言えば、それは多分有り得ないのだろうとなんとなくエッジは考える。
それは「それでいい」ことのような気もするし。
話は逸れたが、エッジは彼なりにローザの気持ちを察知して、軽く問い掛けた。
「で、あっこ(月の民の館)を見ながら、セシルのことを考えて、あれこれまた先回りしようとしていた、と。つっても、それはアレだろ?ここに来てからじゃあないんだろ?俺たちが、お前とリディアをおいていくって言った時・・・あたりからじゃねえの?」
「・・・そうね。ええ。そうだわ」
ローザは観念したように苦笑を見せ、はらりと落ちてきた髪を指ですくって耳にかけた。
「わたし、さっき、言ったわよね?」
「ん?」
「・・・自分のルーツを知るのは、どういう気持ちなんだろうって」
エッジは、いまひとつローザが言いたいことの意味がわからず、眉を寄せた。
「わかんねーよ。自分が、そういう状況になることは、もう一生ないだろうしよ・・・俺なんざ、明確すぎてどうしようもないだろ。エブラーナを代々治めている王族の血筋、ってハナっからわかってんだもん。何、それ。お前が、その・・・ルーツを知った時の気持ちになったことがないから、セシルのことがわからなくて、それでがっかりしてるの?」
「バカ。そんな単純なこと。わたしもセシルも違う人間なんだから、相手の境遇になれないことなんて、当たり前でしょ。だから、わからないことなんて本当は山ほどあるのだって当然だわ。それをいちいちへこんでらんないわよ」
「じゃ、何」
あっさりとエッジがそう返すと、ローザは言葉につまった。
彼女のそういう様子を見るのも珍しい、とエッジは思うが、それは言うのが恥ずかしいのか、うまく説明できそうになくて困っているのか、どうともとれる間だ。
やがて、ローザは伏し目がちに、いつもの彼女らしくないたどたどしさでエッジに告白をした。
「うまくいえないんだけど・・・わたしがいることで・・・セシルの決断が鈍るのかもって」
「?」
更に俯くと、今度は反対側の髪がローザの顔にはらりとかかる。それを再び耳にかけながら、ローザは言葉を続けた。
「セシルの父親代わりだったバロン王はもういらっしゃらないわ。でも、セシルの本当の肉親は、ここにいる」
「・・・」
「もしかしたら、眠っている月の民の中にも、セシルの遠縁の人がいるのかもしれない。長い月日一緒にいたわたし達のことを、セシルがどれだけ大事にしてくれてるのかは、よく知ってるわ。でも、あの人がどうしたいのかは、まだよくわからない」
「・・・セシルが、お前を捨てていくんじゃないかと、思ってんのか」
「違うのよ、エッジ」
ローザは顔をあげた。
その表情を見て、エッジははっと胸を射抜かれたように、喉の奥を締めて呼吸を止める。
「本当は捨てていきたいのに、わたしを捨てられないっていう理由でセシルが決断できなくなったら・・・って思ったの」
「え」
「その時に、わたしがセシルの傍にいるのと、いないのと、どっちが彼にとっていいのかを悩んで、わたし、足が竦んで、惑っていたの。でも、駄目だった。結局、もし、彼が月に残ることを選ぶとしたら、もう二度と会えなくなるとしたらって考えたら、リディアに促されるまま魔導船に隠れて・・・月につくまでの間、ぐるぐる考えてた。もし、セシルが青き星に戻らないという選択肢を選ぶなら・・・それでも、ついて行きたいって、そんなことまで、思ったり。どうしようもない女なの、わたし」

セシルに「その時」はいつか来る。
それは、早ければ明日にでも。
ゼロムスを倒した後、自分達は再び魔導船で青き星に戻るけれど、セシルはその時どうするのだろう。
ローザは、フースーヤに会った頃から、そのことを気に止めていたのだろう。
セシルもゴルベーザも、純粋な月の民ではない。母親は、青き星の民だ。
けれど、既に母親も無い今、最も身近な存在はフースーヤであることは事実だ。
血だけの繋がりにどれほどの力があるのかは、それはエッジもローザも知ることは出来ない。
だからこそ、ローザはあれこれと不安になり、悩むだけ悩んだ。
考えられる可能性を、いつものように山ほど考えた。
「青き星にローザを残してきたから、戻らなくちゃいけない」
そんな理由だけでセシルが決断を鈍らせたらどうしよう。
あるいは、ローザがいなければ決断できただろうに、ローザが無理矢理ついてきたせいで、セシルの足枷になったらどうしよう。
そんな、いくら考えてもきりがない繰言を、ローザはぐるぐると考えていたのだろう。
エッジはそれを反射で「めんどくせえ」と思った。が、すぐにその自分の感覚を否定するように、疑ってみた。
きっと、根はもっともっと、深い。
彼はそれ以上細かいことを考えられなかったけれど、直感でそれを嗅ぎつけた。
単純に「そんな面倒なことばかり考えるなよ、女って煩わしいな」なんてことは、口に出来ない何かが、そこにあることに気付く。
それは、今まで彼が出会っては別れてきた、ゆきずりの過去の女達から学んだ何かなのかもしれない。


「なんだよ、それ。お前、いいの?自分がほんとに捨てられちゃったら。っていうか、あいつはそういう男じゃないと俺は思うけど、ローザはそうは思ってなかったのか。意外だな」
「そんなの、わからないじゃない。わたし、セシルがとてもわたしを大事にしてくれてることぐらい、嫌って程わかっているつもりなのよ。だけど、それで本当にいいのか、わたしを選んでしまっていいのか、なんてわからないじゃない」
「ああー・・・」
「ううん、本当は、わたしを選んで欲しいの。そんな欲もあるってわかってるの。だけど」
「あー、わかったわかった、ほんっと、お前って」
エッジはローザの言葉をついに遮った。
いささか彼は呆れたように肩を竦めて見せたが、ローザを見る視線は暖かい。
「頭がいい女は、頭使いすぎて、逆にバカになっちまう典型だなぁ。なんで、そんなにセシルのことばっか考えてんだよ?お前はどうしたいんだよ」
「わたしは・・・セシルと、一緒にいたいわ・・・それだけよ」
「じゃあ、それでいいじゃねーか。そしたら、そうするために努力するだけでいいだろ?」
「だって・・・!」
「だって、じゃねーの。なんで、そんなに恐がってるわけ。自分がセシルの運命変えちまうことに」
「・・・」
「知ってるんだろ。そんな大事な決断をセシルがするのに、自分が相当大きな位置占めてる存在だってよ。そんだけ自分をちゃんと買いかぶってるくせに、なんで余計なとこで恐がってるんだよ」
「!」
エッジの指摘に、ローザは目を見開いた。
「それに、お前だって、あいつがいつも、どっか曖昧でぼんやりしてるとこもあっけど・・・本当は、すごく男らしいことぐらい、俺なんかよりよっぽど知ってるはずだ」
「・・・」
「あいつが決断をするのに、お前が邪魔になることなんて、ねーよ。大事な存在だってのは間違いないけどさ。 お前がここにいようが、星に残っていようが、多分セシルの決断は同じだと俺は思うけどな」
「そんなの・・・そんなの、わからないわ。完全な予測なんて有り得ないんだもの」
そのローザの言葉に、エッジは心の中で舌打ちをした。
面倒な女だ。
これがリディアだったら『そうなのかなぁ』だとか『エッジがそう言うなら、そうなのかも』とか、彼の言葉を疑いつつも結局は騙されてくれる。
しかし、ローザはそうではない。
彼女がいうように完全な予測など、人の心については到底ありえない。
何故なら、エッジよりも、誰よりも、ローザはいつもいつも皆のことを考えて、先回りして、予測して。
その予測のほとんどは、可能性があるものなのだとエッジは思う。
彼女は人に言われたわけでもなんでもなく、元来の性質で「そうであろう」と訓練して生きてきたのだろうし。
けれど、いつも「正しい予測はひとつ、あるいは、複合的であってもふたつ程度」という現実があり、彼女が導いた予測の過半数以上が、役に立たないまま捨てられていく。
だから、エッジの言葉を、彼女は決して鵜呑みにはしないのだ。こと、セシルについては尚更。
(こうやって、緩やかに磨り減っていくのに、やめられないんだろうな)
それでも、彼女は朝がくれば髪を綺麗に整え、その白い肌と若々しい艶の有る唇に似合うように、ほのかな紅を注す。
自分がいつも通りである、ということを周囲に知らしめるには、「いつも通り」の形を作ることが一番容易い。
誰にも悟られないように、ひっそりと彼女は心を磨り減らしていくのだろう。
ローザは、情熱的な女だ。
セシルのことを思って、単身で旅に出て追いかけていくその熱情。
それは、とてもわかりやすくて、誰もが思い描く「情熱的な女」の符号として合点が行くものだ。
けれど、彼女の本当の情熱は、その行動に傾けられているわけではないのだ。
たくさんの可能性を思い描き、どれにも自分が惑わぬようにと自制をする。
一見、穏やかな愛情の持ち主だけがそれを出来るように思ってしまうが、真実はそれではない。
彼女は「性分」だと言ったけれど、セシルに関しては行き過ぎていると思う。その行き過ぎを助長しているのが、彼女が内に秘めた、決して外には出さぬようにと抑えている、激しい気性なのだろう。
もちろん、それらのことをエッジが具体的に考えてるわけでもないし、考えようとしているわけでもない。
ただ単に彼はそれらを直感で「どうしようもないほど、こいつは情熱的なんだろうな」と一括りで感じ取っているだけだ。
(ったくよう・・・セシルの、馬鹿が!)
エッジは突然立ち上がって、ぐい、とローザの腕を引っ張る。
「な、なに」
彼を見上げるローザは戸惑いの表情を浮かべ、自分を引っ張る手を振り解こうと力を入れた。だが、エッジは、彼女の腕が痛まぬように、けれどもふりほどかれないように気を使いながら、彼女を立たせようとする。
「喉が渇いちまった。続きは魔導船で話そう。茶ー淹れてくれよ、茶。なっ?」
「もう!」
不承不承で、仕方なさそうにローザは立ち上がり、エッジにひっぱられていない片方の手で、自分の尻についた汚れを叩いた。
それから、エッジの手の力が緩んだことに気付いて、拘束されていた腕を引きつつ、上目遣いで軽く唇を尖らせる。
「高くつくわよ?」
「俺の体でどう?」
「バカ」
いささか、この「バカ」には刺々しさが含まれていたが、エッジは気にせずに先に歩き出した。
ローザには申し訳ない話だが、エッジは心の中で(こーゆー女は、夜の営みが激しそうだ)なんていう、下世話なことを思いつく。
そして、本当はそういう女が自分は好きだったのに、と、珍しい溜息をひとつついた。


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