その想いの名は。

血を吐くようなその背中を見て、抱き締めたいと思ったんだ。
その気持ちが何なのか、
恋なのか、
お母さんのような気持ちなのか、
妹みたいな気持ちなのか、
仲間に抱く気持ちなのか、
それとも、かつての自分の姿を重ねただけなのか、そんなことはわからない。
ただ、抱き締めたいと思ったんだ。

あの時以来、エッジは落ち込んだ様子を全く見せない。
追いかけてきたエブラーナの人たちと明るく会話をして、
見つけた飛空艇に調子良くファルコンと命名して、
生きていたシドのおじちゃんに陽気に自己紹介をした。
きっとそれは、エッジが大人だからなんだろうなと思う。
本当はわたしたちにもあんな取り乱した姿を見せたくはなかったんだろう。
わたしなんかよりずっと大人なエッジが、取り繕えないほどの不意打ちで、周りなんて見えなくなるほどの衝撃だったんだろう。
その場にわたしたちが居合わせたことは、きっとエッジにとって、とても不本意なことに違いない。
でも、勝手だけれど、わたしは思う。
あの場に、わたしたちがいてよかった。
わたしじゃなくても構わなかったんだけど、ただ、あの場所にいたのがエッジ一人じゃなくて良かった。
あの場に誰もいなかったら、きっとエッジは大人な笑顔の中にすべて隠してしまったと思うから。
……ううん、やっぱりわたしじゃなくても構わなかった、なんて嘘。
あの場にわたしがいて、わたしがエッジの悲しみを知ることができて、良かった。
わたしのこんな思いを知ったら、それはエッジにとって不愉快なことなんだろうか?
……でも。
わたしはどうして「わたしが」エッジの悲しみを知ることができて良かった、って思うんだろう。
どうしてわたしはエッジの悲しみを受け止めたい、って思うんだろう。
この気持ちが、恋なんだろうか。
それとも。
わたしが「抱き締めたい」と思った背中は、7歳の時のわたしだったんだろうか。

そんなことを、ぼんやり考えていた。
ここはドワーフさんたちのお城だ。生きていたシドのおじちゃんと再会して、溶岩の上も越えられるように飛空艇を改造してもらったあと、今日はお城で一泊することになった。
一人でゆっくり考え事がしたかったわたしにとって、うってつけの休憩だ。
わたしはまだ子どもで、頭も良くなくて、考えている最中に何か話しかけられてしまったら、それまで考えていた、なにか形になりそうだったものが消えてしまう。
だから誰にも邪魔されないように一人になりたかったし、なにより旅の最中はめまぐるしくて、とてもゆっくり考え事なんてしていられない。
こういうの、なんていうんだったっけ。そう、願ったり叶ったり?
いけないいけない、考え事がそれちゃった。
そんなわけで今わたしは、ドワーフさんたちのお城の人気のないバルコニーの隅っこで、膝を抱えて小さくなっていた。見上げても青空なんてない地底の空をぼんやり見上げる。見上げても、見えるのは空じゃない。消えていくエッジのお父さんとお母さんと、そしてあの背中だった。
目を開けても、目を閉じても。
……考えても、わからないような気もする。だってわたしは恋なんてしたことないんだし。
こんなこと、誰にも聞けないし。
……お母さんにだったら、言えたのかな。
不意にそんな呟きが、頭の中にぽつりと浮かんだ。
ねぇ、お母さん。背中が寂しそうな人がいるの。
気がつけばいつも、その人の背中を目で追っているの。
放ってはおけないような気がするの。
ねぇ、お母さん……。
膝小僧にこつんとおでこを当てて目を閉じると、ふと、空気が揺れた。
慌てて顔を上げると、驚いたような顔をしたエッジが、バルコニーに足を一歩踏み入れかけた姿勢のまま、固まってこっちを見ていた。ばっちり目が合ってしまって、わたしも思わずそのまま固まってしまう。
「……ええっと」
先に立ち直ったのはエッジの方だった。やっぱり大人だからかな。でも、固まったのもエッジの方が先だったから、おあいこなのかもしれない。
「なんだよ、リディア。こんなとこにいたのか」
いつものおどけた笑みを浮かべてそんなことを言うから、わたしは膝を抱えた姿勢のまま、小さくうなずいた。少し笑顔を作って聞き返す。
「うん。なあに? わたしのこと、捜してたの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけどよ……」
わたしの問い掛けにそう言って、エッジは少し困ったように頭をかいた。その様子を見て、ようやくわたしは理解する。
わたしは一人になりたかった。一人になりたくて、一人になれる場所を探して、それでここに来た。
その場所にエッジも来たということは。
多分、エッジも一人になりたかったんだ。
どうしよう。わたしここにいていいのかな。
思わず立ち上がろうとした時、エッジが近づいてきてわたしの真横に立った。少し首を傾げるようにして、わたしの顔を覗き込む。
「隣り、いいか?」
わたしは一人になりたかったったし、多分エッジもそのはずだった。でも、なぜだかそれが当たり前のような気がして、わたしはこくんとうなずいた。
にやりと笑って、エッジはわたしの隣りにどっかりと腰をおろす。
きっと、お互いわかったんだと思う。少なくともわたしは感じていた。
この人は、わたしの考え事の邪魔になったりしない。
並んで壁に背中を預けて、青い空の見えない地底の空を見上げて、そしてしばらく、二人とも何も話さなかった。
そっとエッジの方を見る。エッジの目は、どこか遠いところを見ていた。
目を向けている地底の空なんかじゃない、どこか遠い、遠いところ。
目線は動くことなく、不意にエッジの口から言葉が漏れる。
「……お前はさ」
「え?」
小さく首を傾げて聞き返すと、エッジはこっちを見ないまま、言葉を続けた。
「お前はさ、なんで戦ってるんだ?」
「……え」
わたしの、戦ってる、理由?
また聞き返してしまうわたし。エッジの顔が、わたしの方を向く。
「セシルとカインはバロンの騎士だろ? ローザはセシルの恋人だ。でも、お前は? お前が戦う理由がどこにある?」
わたしの……戦う……理由。
わたしが戦っているのは、幻界の女王様に言われたから。それは間違いじゃないけれど、多分エッジが聞きたいのは、そういうことじゃない。
わたしが、戦っているのは。
真横にいるエッジの目がこっちを向いたら、なんだか気恥ずかしくて目を合わせていられなかった。空を見るエッジの顔を見つめていたくせに、わたしは慌てて自分の足下に目を落とす。そうしてエッジに言うべき言葉を探した。
「わたしの故郷は、ミストっていう召喚士の村なの。エッジはミストのこと、知ってる?」
わたしの故郷。わたしがそこにいられたのは7歳までだったから、そこで過ごした年月より、違う場所で過ごした年月の方が、もう長くなってしまったけれど。
「ああ、聞いたことはあるな。確か、少し前にでかい地震があって、地形が変わっちまったとこだろ?」
少し前。その言葉に、少し胸が痛む。わたしにとって、それは少し前のことじゃ、ない。
それでもわたしはうなずいて、言葉を続けた。
「そう。その地震はね、わたしがやったことなんだ」
「……へ?」
予想通りだけど、エッジからは間の抜けた反応が返ってくる。予想通りだけどおかしくて、わたしは足下に目を落としたまま小さく笑った。
「正確に言うとね、わたしが絶望と悲しみと怒りで魔力を暴走させちゃって……その、暴走した魔力に共鳴したタイタンがやったことなの、あの地震は」
「……何があったんだ」
目に見えてエッジの声が硬くなる。エッジの視線を痛いほどに感じた。
「……お母さんが、殺されて。村は……焼かれたの。……召喚士の存在が、ゴルベーザに……目障りだったから」
努めてなんでもない風に。声が震えないように、必死で呼吸を落ち着けて。
「お前……」
エッジの声が、痛ましい色を帯びる。
「お前も……おふくろさん、殺されちまってたんだな……」
その言葉に、エッジがお母さんのことを「おふくろ」と呼んでいたのを思い出した。
深呼吸して、顔を上げる。エッジの方を向いて、笑った。
「それが、わたしの旅のはじまり。……でも、わたしの戦う理由はそれだけじゃない」
わたしはちゃんと笑えてるかな?
「旅に出て、しばらくして、リヴァイアサンに幻界に連れて行かれたの。そこでしばらく修業して……幻界の女王様に言われたの」
幾つものことを、わたしはわざと端折った。
いつ、どうやってわたしはセシルたちと出会ったのか、とか。
その時のわたしはいくつだったのか、とか。
幻界で、どれくらいの時間を過ごしたのか、とか。
……お母さんのドラゴンに、直接手を下したのは誰なのか、とか。
わたしが、いろいろなことをわざと端折ったことに、エッジはもしかしたら気づいているのかもしれない。
わたしが、まだエッジには話せなくたくさんのこと。
でも、話さなくても、今エッジに伝えたいことはきっと伝わる。
……いつか、話せる日が来るのかな。
それはまだ、わからないけれど。
「今はもっと大きな運命が動いてる、って。それには、召喚士のわたしの……幻獣たちの力が、必要で、わたしたちが立ち向かわなくちゃいけない、って。……だから、今わたしはここにいるの」
そう締めくくって、わたしは黙ってエッジを見つめる。
もう、話すようなことは何もなかった。……少なくとも、今はまだ。
「……そうか」
やがて、ぽつりとエッジはそう言った。
穏やかな、だけどなぜか泣きたくなるような、痛いような、切ないような……そんな声音だった。
それでわたしは、ああ、ちゃんと伝わったんだ、って思った。

「……なぁ、リディア」
しばらく沈黙が続いた後で、さっきと同じような穏やかな声で、やっぱりぽつりとエッジは言った。わたしはエッジの方を向いて、小さく首をかしげる。
「なに?」
「抱き締めてもいーか?」
「……え」
すぐに返事ができなかったのは、わたしはエッジに抱き締められたいわけじゃなくて、エッジのことを抱き締めたかったからだ。
でもすぐに、
「……ん、いいよ」
そう微笑んで、そしてわたしは目を閉じる。
抱き締められても、抱き締めることはできるから。
伸ばされた腕に素直に身を寄せて、しっかり背中に腕を回した。
あたたかな胸と鼓動。
抱き締めたいと思った背中。
当たり前のようで、とてもとても特別なもの。
かつては当たり前だと思い込んでいた。でも、何もかもが変わってしまったあの日に、それは嘘だと思い知ったこと。
当たり前なんてどこにもない。
なくならないなんて保証はない、いつなくなるとも知れない温もり。
けれど、今は確かにここにあるもの。
失いたくないな、と思った。
思ったから、もっと腕に力を込めた。
それでもやっぱり、この気持ちが何なのか、
恋なのか、
お母さんのような気持ちなのか、
妹みたいな気持ちなのか、
仲間に抱く気持ちなのか、
あの日のわたしを重ねただけなのか、そんなことはわからない。もしかしたら、もっと悪い、傷のなめあい、というものなのかもしれなかった。
わからなかったけれど、とりあえず、今はそれでもいいやと思った。
答えよりも、今ここにある温もりが、
抱き締めきれない広い背中が、今のわたしには大切だった。
それがわかっただけで、十分のような、気がした。


Fin
(蕾華さんの作品です。ありがとうございます。)


モドル