強がり-2-


ポロムは自分の部屋に戻って、服を脱ぎ捨てて木綿の寝間着にもう一度着替え、ベッドの中に潜り込んだ。
早朝に起きた後に、もう一度寝なおすような習慣は彼女にはない。
ただ、パロムを見送ってからの脱力感で、今日は一日動きたいとは思えないように感じた。
ポロムは毎日上級白魔道士達と、太古の白魔法の文献解読を仕事にしている。ポロムがカインに対して「ローザ王妃というエキスパートが」と言った理由はそこにあった。
ポロムとてローザと同じほどの魔法詠唱を行えるし、その力はまったく遜色ない。
しかし、彼女とローザの決定的な違いは、ローザはすべての白魔法について、その正確さ素早さを要求されるような、戦なりなんなりの実践を積んでいる。それが顕著に表れるのは、ホーリーといった上級攻撃魔法だったり、ケアルガといった治癒呪文だったりする。一方のポロムは、そういった上級魔法を習得したのがここ数年だったため、それらは「出来る」だけであり、役立てる場や、その精度を要求される場なぞほとんどない。魔物が暴れなくなった昨今では、ホーリーなぞもっての他だ。
その代わりポロムはパロムと違い、早い段階で理論の習得や魔道の歴史といったことに興味を持ち、古代魔法文字を習得し、「仕事」としてその解読をできるレベルに達した。二人の歩む道が分かれたのも無理はない。とはいえ、ならば尚のことポロムがバロンに行くべきではないのかといえば、それはまた事情が違うのだった。
バロンの魔法院の技術は確かに低くはないが、古代魔法文字を解読してそれらを研究する、ということに関しては、ミシディアが先駆者となっている。そして、まだそれらはバロンやその他の国とお互い共通の知識として広めるほどの完成度には達していない。ミシディアはミシディアとしてのプライドがあるゆえ、今だ未完成、未検証の知識を簡単に外部に−たとえ条約を結んでいても−漏らすつもりはない。それが、ポロムがパロムと共にバロンには行かない理由でもあった。
「まぶしいですわね・・・」
ベッドからポロムは一度降りて、早朝に一度あけてしまったカーテンを閉めなおした。それでも日の光は遮断できず、漏れて部屋を明るくしてしまう。
「・・・」
つまらない。
ポロムは少しばかり不満気にそう思った。
うんと暗くして、外にいる人間の声も聞こえない、うーんと静かな場所で今は眠りたい気分なのに。
そんなことを考えて、はっと嫌なことに気付く。
今日の夜からはずっとそうなのだ。
隣の部屋にパロムがいない日がこの先ずうっと続くのだ。
7歳まで、ずっと同じ部屋、同じベッドに寝ていた2人は、別々の部屋で眠るように長老に言われて部屋を変えた。その時の2人は長老がそう指示する意味もわからず、ただ「自分の広い部屋がもてる」ことに喜び、そして夜になれば「やっぱり一人は少し怖い」と思うだけであった。
少しだけ大人になった今ならよくわかる。
双子とはいえ、やはり男女というものは、いつまでも一緒に眠るわけにはいかないのだ。
旅の宿屋で別々のベッドで眠ることがあっても、ここに戻ればいつも一緒だった。
長老が危惧していることは「男女が同じベッドで眠ることはよくない」という単純なことではないとポロムももうわかっている。
確かに自分達はちょっとズレているとポロムも薄々気付いてはいた。
10歳15歳になってまでも2人で眠っていると周囲の同年代の子供達が聞けば、きっと皆驚くに違いないし、よからぬことを噂する人間も出てくるだろう。それでなくとも彼ら2人は目立ち過ぎるのだから。
その配慮は正しいと思えたし、実際2人も素直に従った。
それでも、こんなに呆気なく簡単に、離れ離れの生活が始まるなんて、というのがポロムの率直な気持ちだ。
女の方がいつでも現実的だとよく言うが、男の方がロマンチストで単純ゆえに、こんな風に簡単に親族を置き去りにして新しいものへと挑戦出来るのだろうとも思う。
ポロムは毛布に包まって、瞳を閉じた。
(それに、カインさんまで行ってしまうなんて・・・私一人置いてけぼりで、本当、つまらないったら)
セシルからの手紙には、カインに頼みごとをしてあるので、そのための用意をミシディアで整えて欲しいということだった。が、カインはセシルからの手紙では気持ちが動かないかもしれないから、ポロムにとっては面倒かもしれないが、出来ることならばカインをとにかくミシディアに連れ戻して、長老に会わせて欲しいと。長老から直接頼まれればカインも違うのではないかとセシルは考えていたようだ。そして、カインがもしもなにかポロムに頼みごとがあれば、ポロムが出来る範囲でそれをやって欲しい、長老にも許可はいただいている・・・ということだった。
が、カインは頼みごとは何もしなかった。
長老も特にそれについてはポロムには触れなかった。
一体セシルはカインにどんな内容の手紙を書いて、そして、それを読んだ結果何故ポロムにその「何か」を頼まなかったのだろうか。長老達の護衛に出たのは、セシルからの依頼らしい。が、それはだけわかってもすっきりはしない。
気にはなったけれど、直接ポロムにセシルがその用件を書いていないということは、そうたいしたことではなく単純に・・・「ポーションを用意してくれ」とか「鎧を新調するのにいい鍛冶屋を教えてくれ」とかその程度の話だったのかもしれない。
が、カインはそれらのことは別にポロムに聞くまでのことではない。セシルは知らないかもしれないが、カインはいつだってすぐさま旅に出る準備は出来ているのだ。だから、特にポロムに指示することはないと彼は言ったのでは・・・。
(ああ、嫌ですわ。もう、腹が立つの、立たないのって)
言い訳をしなければ気持ちに収まりがつかないということが、あまりよくないことだとポロムは知っている。
他人からの言い訳を聞くまでは安心できないにきまっているのに。
苛々してポロムは上半身を起こした。それから、ぐるりと、いつもの足側に上半身をぱたんと倒し、頭のあたりにぐしゃぐしゃになっている毛布をひっぱってきて、でこぼこに折れたままでそれを枕代わりにした。
パロムと眠っていた幼い頃、時たま寝相が悪いせいで−どちらのせいとは言い難かったが、おおむねパロムのせいだ−目覚めるとこんな風に位置が換わっていることがあった。
明け方目覚めると、見える窓の位置が違って、寝ぼけながら状況を把握するのがなかなかもどかしい作業ではあった。ようやく理解すれば、「もお、何よこれ」と思いつつ、毛布を枕にして何も体にかけないままパロムにくっついてそのまままた眠りに入る。そんなことが懐かしい。
隣にはもうパロムはいないけれど。
そして、その代わりにあの竜騎士がいてくれたら・・・なんてことを思うほど、無駄な背伸びはしていない、と自分では思うけれど。
でも、一度や二度くらいならば、そっと思ったことはある。
たとえばこんな日は、人には絶対に言えないような、そんな想像をしてしまうのだ。
もしも彼が隣にいたら、きっと毛布を枕にして、なんて、許してくれないと思うのに。

パロム達がバロン国からの派遣部隊と合流するまでが、カインの護衛期間だった。
ミシディアまでバロンから飛空挺が迎えにくればまったくもって早い話だったのだが、今回はそうはいかなかった。
現在バロンの飛空挺の多くは商用に開発され、日々あちらこちら飛び回っている。以前「赤い翼」と呼ばれた飛空団については、軍事力としてではなく、災害時の派遣部隊として構成しなおし、各国から期待をされている。そして、先日浅瀬から何から被害にあったダムシアン近辺にほとんどの飛空挺と兵士が派遣されていた。
ミシディア長老はそれをよく知っており、飛空挺も確かに早くて必要だが、これからバロンに行く若い魔道士達は、道中のさまざまな経験も必要だから、迎えは途中まででよい、と断わったのだ。そのやりとり自体はクリスタルの力を借りて、魔道の力による念話というものだった。それとは別に、改めてセシルがカインやポロムに送った手紙は、2人乗りの小型飛空挺で運ばれてきたものだ。
まあ、そういったいきさつも合って一行はミシディアを出てから二日ほどの旅を続けていた。
パロムとカイン、そして長老は野営には慣れていたが、幼い頃からミシディアで魔法の修行ばかりをしていた若い魔道士達は、慣れぬ野営にいくらか手間取っていた。
今晩は川沿いで彼らは野営をすることになった。明日になればバロンからの迎えと合流出来るあたりになろう、と長老もカインも同意見だ。夕暮れ時からテントを張って、日が暮れる頃にはさっさと長老に合わせてみなが就寝だ。
「最近は魔物が襲ってこなくなったからマシだけどさ」
お前も寝ろ、と何度カインが言ってもパロムはテントからごそごそ抜け出して、火の番をしているカインの傍でべらべら話している。焚き火を前にして二人は向かい合わせに座っていた。
ある程度の年齢になれば女のほうがおしゃべりで、男は多少は静かになるものだとカインは思っていた。
どうもパロムはそうでもないらしい。
「その代わり人間が襲ってくるってーんだから物騒だよな。ほんと・・・」
「そうだな・・・いい加減眠れ。朝は早いんだぞ」
「カインだって眠らないじゃん」
「俺はこういうときは短眠ですむんだ」
道中はたいそう楽だった。チョコボ達がある程度まで走ってくれるのはありがたい。橋や道の開発も進んで国と国の行き来もかなり便がよくなったし、確かにパロムが言うように人間同士が一番の危険といったところか。
「それとも、寂しくて眠れないのか?ポロムと一緒じゃないと」
「バカゆーない!ずうっとポロムとなんか一緒に寝てないんだから」
「そうか」
「でも、ま、となり同士の部屋にいたからな〜。俺よっか、ずうっとポロムの方が寂しいかもな。あ、カイン、お茶淹れてやるよ、俺、うまいもん餞別にもらってきたんだ」
そういってパロムはポケットからごそごそと何かを出した。茶葉を丸めて糸でくくったものだ。
焚き火の脇にのけておいた湯沸しの器材を組み立てて焚き木の上に乗っける。近くの川から汲み置いてある-何かあったときのために、眠る前には必ず水を汲み置いているのだ-皮袋から水を注いだ。
「何故お前よりポロムの方が寂しいと思う」
「ん〜。なんとなく、っかなあ。本当は俺の方が、人がいないことに慣れてないんだけどさ」
「どういうことだ?」
パロムの言葉の意味が正確にはわからずに、カインは眉根を寄せた。
「たまーに外泊するじゃん」
「ほう」
「そんで、朝帰ってくると、ポロムのやつ、嫌味をいうんだけどさ、ちょっと疲れた顔してんだよ。んで、オイラもあー、やっちまったなぁ〜ってそんときほんっと、ポロム、ごめん、って思うんだ」
あまり話がわからなくなり、カインは静かに黙り込む。
カインが合点がいってないということをなんとはなくパロムは感じ取って、肩をすくめた。
「おっさんはないのかよ?女んとこ泊まってくるとか。多分よ、かあちゃんがいたらポロムみたいにさ、きっと、怒りながら疲れた顔すんだろーなーとか思うのな、オイラ」
「・・・」
「知ってるくせにさ。どーせ女んとこでも泊まってるんだろ、とか。なのに、あいつ、多分心配してんのね。オイラのこと」
「それはそうだろう。逆だったらどうだ」
「心配するんだろーなぁ。でもさ、ポロムはそんなことしないしさ」
なんとなく話が矛盾しているな、とカインは思う。
だったら、心配することにポロムは慣れているが、パロムは慣れていないからパロムの方が寂しいのではないか、とカインは言おうかどうしようか少しばかり悩む。
「なんかさー、ずっと一緒だったからさ。何かあった時に、自分が相手のこと助けられる場所にいないってことがすっげー不安だってこと、オイラ全然わかってなくてさー・・・」
パロムの言葉のテンションが少しばかり下がった。
火にかけたばかりで水が沸くわけもないのに、しきりに湯気が出てないかどうか気にして蓋をずらそうとする。それは、ちょっとばかりばつが悪い話になったからなのだろう。
「特にオイラはほら、ガキだからさ・・・女の部屋泊まれる、とかいったらもー、それだけで舞い上がって、バッカみたいになってるわけじゃん」
カインは小さく声をあげて笑った。それに救われたようにパロムはほっとした表情で言葉を続ける。
「だから、後から、頭で考えて気付いたんだよ、それ。すっごい後から。何度も何度も勝手に外泊してから、気付いてさ。それにこっちはポロムはいつも通り自分ちで寝てるだろーし、ってなんっつーかなー・・・変な・・・うーんっと、安心感、ってえの?それがあるわけだろ。今だってそうだよ。離れてるけど、でも、あいつはいつもと同じ生活してるから、心配することないだろ、とか思っちゃう。何かあったら・・・とか思うとそりゃー心配にもなるけど、今オイラがどこらへんにいて、どんなところで寝ているか、とかやっぱわかんないだろうからさ。今は多分ポロムの方が不安なんだと思う」
そういいながら、ころん、と器の中に茶葉のボールを入れた。
「餞別に女がくれたんだ」
「付き合ってるのか」
「付き合ってないよ。おっさんだって、そーゆーの昔はあっただろ」
「・・・」
カインは答えずに、目を細めるだけだ。
なかなか小生意気に育ったパロムは、こうやってカインに「おっさん」と言うことがたまにある。それは別段カインの気には触らない。事実だな、と思うだけだ。
そして、そういう時のパロムは「今俺は若いからなんだってやってやる」といわんばかりの挑戦的な表情をしている。
その顔は嫌いではないとカインは思っていた。
自分がパロムほどの年の頃、そこまでアグレッシブに生きることは出来なかった。それに対する後悔ではないけれど、純粋に羨ましいとすら思える。
「そうだな」
「だろ?・・・・って。ええっ!?マジであったのかよ!?」
「静かにしないか。皆が驚くだろう」
それからパロムは、教えて教えて、とカインにしつこくねだったが、結局その件についてはうやむやのままになってしまった。
パロムが湯を注ぐと、丸くなった茶葉は湯を吸って少しずつ膨れていき、湯を薄い紅色に染めていく。やがて、茶葉を結んだ紐を中心にして花のように大きく広がった。なるほど、餞別にもらうにはなかなか気が利いたものだとカインは感心した。「うまいもん」とパロムが言うからには味も保証されているのだろうし。
カインはそれを受け取って立ち上る湯気にのって届く香りを楽しんだ。そういったことを知っている男なんだな、とパロムは少しばかり驚きながらその様子を見ていた。
「ああ、これはうまいな」
「だろ?だけどみんなさ、これ、形ばっかり綺麗にみせかけて、おいしくないんじゃないかって疑うんだよ。昔はさー、確かにあんまりおいしくないお茶を、ちょっとでも売ろうっつってこういう風にしてたらしいんだけど、最近は、なんていうの?ごぞーとーよーってのか?そういうのに使うから、美味しいやつで作るんだってさ」
得意げにそう言ってパロムは自分の分もカップに湯を注いだ。
「いつも、女性が家を守ってくれるから、男は勝手なことが出来るのだと」
「んん?」
「そんなことを聞いたことがある。俺にはそれが本当かどうかはわからないが。それは、夫婦仲だけでも親子仲だけでもなく、お前達のように双子でもそういうものなのかもしれないな」
「・・・へー。大人みたいなこと言う」
「悪かったな」
「悪くないだろ、別に」
そう言ってパロムは静かに茶を飲んだ。そして、2人は茶を飲み干すまでお互い言葉を発することなく、夜の音をじっと聞いているのだった。

カインがミシディアに戻ってきたのは、それから数日後の昼過ぎだった。
ミシディアに残った人々はカインからの報告を待っていたようで、彼が戻ってきたという噂はあっという間に広まって、見送りに出ていた家族達はみな慌ててカインの話を聞くために家から、仕事場からと飛び出してきた。それ以外にも、なにせ長老がミシディアからほんの短期間でも-パロム達がバロンで働き出すのを確認するまで-いないことなぞ滅多にないことだから、誰もが心配はしていたに違いない。カインが、長老とパロム達魔道士は確かにバロンの出迎えの兵士と合流した、と伝えると、みなほっと安堵の溜息を漏らしていた。
これで役目は終えた、とばかりにカインはそのまま山に戻ろうとしたけれど、気付けばポロムの姿がない。
(仕事でもしているのかな)
心配をしていないわけがない。
その彼女が出てこないことがまったく気にならないほどカインとて薄情ではない。
カインは双子が住んでいる小さな家−それは、パロムの師ともいえるミシディア一の黒魔道士の親族が昔住んでいたといわれている−に足を運んだ。
仕事で家を空けているかもな、とも思ったが、その小さな家に近付いていくと少しずつ甘い香りがカインの鼻をくすぐる。
誰かが、焼き菓子を焼いているのだろう。
そして、その「誰か」がポロム以外の人間のはずがなかった。
小さな家。
以前そこに住んでいた人物はたいそう小柄だったのだろう。入口の扉は心持低い。今はパロムもポロムも不自由がないだろうが、特にパロムはあと数年もすれば、なんとなく屈んで通り抜けることになるのではないかとカインは思う。
あまり立て付けがよくなさそうな扉をカインは軽くノックをした。
返事はない。
次に、少し強めにノックをする。
カチャン、と家の中で何か音がした。食器や何かの音だろう。
「どなたかいらっしゃっています!?」
変な問い掛けだな、とカインは戸惑って、即座に答える事が出来なかった。
「今、手が汚れてますから!ドアは開いていますし、どーぞ、入ってください!」
なんて無防備なことを言うやら。
が、このミシディアでは玄関の扉に鍵をかけておくなんて細かいことをする者なぞ誰もいやしない。むしろ、そんなことをしている方が怪しまれるというものだ。
カインは「失礼する」と言いながら扉を開いた。
美味しそうな香りが更に強く彼の鼻から入り込む。中で嗅ぐと、これはまたひときわ甘ったるさが強くなった。
「カインさん?」
「ああ」
「お帰りなさい。そこに腰掛けて待っていてくださいます?今、行きますから」
「ああ」
ばしゃばしゃと手を洗う音を聞きながら、双子がいつも食卓にしているテーブルセットに近付き、カインは脇にかかえていた冑をテーブルの上に、右手にもっていた槍を壁にたてかけ、ようやくどっかりと椅子に座る。テーブルの上には、焼き時間を計っているのかガラスで出来た砂時計がおいてあり、さらさらと静かに砂が流れている。
「ちょうど、今焼きあがるところなんです。焼き上がりにクリームをかけようと思ったんですけど、それを半分こぼしてしまって・・・もお、散々ですわ」
カインに背を向けたままポロムは零れたクリームを拭いた雑巾を洗っている。それから、薪を燃しているかまどの様子を伺って、もう一度手を洗った。
「そうか」
「バロンまでいってらしたの?」
「いや、途中でバロンの迎えと合流して、俺はそのまま引き返してきた」
「あら」
驚いた声をあげてポロムは手を拭きながら振り返る。
「・・・お茶、いれますわ。それとも、すぐにでも山にお戻りになる?」
「ポロムの邪魔でなければ、いただいてもいいかな」
「ま。ひどい人ですね。私、今まで一度だってカインさんのこと邪険に扱ったり邪魔に思ったことなんてありませんのに。いくら言葉のあやとはいえ、失礼しちゃいますわ」
「そうか。それは申し訳ない」
「お茶は甘くないものの方がよさそうですね」
カインの言葉には特に何も反応もせずにポロムは茶葉を詰めた袋とカップを戸棚から取り出した。
手早いけれど決してせかせかしていないその様子は、どこかしら若い頃のローザが茶を入れるときの動きを思い出させる。カインは目を細めてポロムの一連の動作を見つめていた。
「どうかなさいました?」
「いや・・・手際が良いものだと感心していた」
「ありがとうございます。よく褒めていただくんです、これだけは」
「・・・」
そう答えたポロムをカインはしげしげと眺めた。一体自分の何にそんなにカインは気にしているのかとポロムはわからず、困惑の表情を浮かべる。
「何か?」
「いや、ポロムは不器用なんだろうな、と思って」
「え?」
「不器用だろうと思って。色々」
「まあっ!・・・話がおかしくありません?今さっき、手際が良いと褒めてもらったのに」
茶葉をポットにいれる手を止めて、ポロムは可愛らしい、形が整った眉をしかめてみせた。カインは苦笑いを見せた。
「手際が良いのと器用なのとは違う」
「そうでしょうか」
「そうだと俺は思う」
では、一体何を見て不器用だと。
ポロムがそう問いかけようとした時、置いてあった砂時計の砂がさあっと吸い込まれるように全て下側におちた。
「なんでも、一所懸命だから、かな」
「えっ・・・」
「・・・あまり、そういうことを、人に言うのは得意ではないから説明はうまく出来ない。なんとなく、そう思っただけだ」
ポロムはカインをじっと見つめた。
それから、砂時計をもう一度上下ひっくり返す。
透明なガラスの中でさらさらと落ちる砂。部屋に広がる焼き菓子の幸福の香り。
ポロムは、ふう、と小さな溜息をついた。その溜息は、彼女を取り囲むそれらのものとまったく似つかわしくないようにカインには思えた。それから思い出したようにはっと顔をあげて、ティーポットから小ぶりのカップに茶を丁寧に注いでカインの前に置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
カインは出された茶に口をつけ、それきりまた黙り込んだ。
特にパロムを送っていったことについてのコメントもなく、世間話をするでもなく、その場でただ静かに座っているだけだ。もともと彼はおしゃべりな男ではなかったし、無理矢理自分から話題を提供してまでも、その場を盛り上げようなどと思う人間ではない。
いつもならばこの場にいたパロムがああでもないこうでもないという話をして、ポロムが合いの手を入れながら賑やかなお茶の時間を過ごしていたのだろうな、とカインは想像していた。
「セシルさんにはお会いになりました?」
「いや、会わなかった」
「そうですか」
どうして、とは聞かないんだな、とカインは思う。
折角バロン近くまでいったなら、お会いになればいいのに。
そうポロムがいうような気がしていたから、正直なところ少しばかり拍子抜けでもあった。
この年頃の女の子は扱いにくい。幼い頃から知っていれば多少なりと違うのかと思ったが、それはまったく逆だ。知っているからこそ、幼い頃からの変化にとまどい、自分の記憶にある彼女との差異に愕然とする。
そもそも、パロムが傍にいないポロムと長い時間話をすることなんて今までの経験ではほとんどなかったわけだし、待っていてもパロムが決して現れないなんてことも初めてだ。
それでも、なんとなく気になって、カインはここにいる。いることしか出来ない自分の間抜けさは、彼自身が重々承知している。
「ああ、やっと焼きあがりました。すこーし冷まさないと、クリームが溶けてしまいますから、もうちょっと待っていただけますか?」
「ああ」
「いつもならパロムが出てきて、無理矢理ブリザドで冷やそうなんてひどいことをするんですけど」
「それはひどいな」
「でしょ」
それでも、そのどうしようもない阿呆なことをする相方がいないことがむしょうに寂しい。
ポロムは口には出さないけれど、そう思っていないわけがないのだ。

ありがとう。ごちそうさま。
たったそれだけの言葉しかカインがうまく言えないことを、ポロムは知っていた。
おいしかった、とか、菓子作りがうまいんだな、なんてそんな褒め言葉を期待していたわけではない。
そういうところが、カインらしいと思う。
焼き菓子を乗せて出した皿は上には、フォークを差し入れた時のぽろぽろとこぼれた菓子くずがほんの少し残っているだけで、綺麗にたいらげてくれている。その光景を見るだけでポロムは嬉しいと思う。
まったく気が利かないこの竜騎士は、社交辞令にすらなっていない程度の言葉だけを残して立ち去ろうとした。その背をポロムはみつめる。

「セシル王からのお手紙、なんて書いてあったんですか」

そう喉元まででかかって、ポロムはすんでのところなんとかその質問を抑えた。
扉を開けたカインが、じゃあな、と別れを告げるために振り返った時、ポロムはとても彼女らしからぬ表情をしていた。
泣きそうな顔ではない。悲しみとか怒りとかではないし、ぼんやりしているわけでもない、言葉で表すならば「情けない」顔。
さすがに女心やらなにやらには疎いカインでも、一体どうしたことか、とそのまま出て行くことが出来ずに扉を閉めて、向き直った。
「どうした」
「いいえ、なんでもありませんわっ」
慌てて否定するけれど、自分が今、けったいな顔をしていたことにポロムは気付いていた。
「寂しいのか」
「はあ?」
「パロムがいなくて」
「・・・」
しばしの間ポロムはカインを見つめていた。
それから、少しばかり芝居めいた深い深いため息をついて、肩をがくりと落とす。
「もう、カインさんったら、これっぽっちもひねりがないんですね!」
「ひねり?」
「パロムがいなくなったから、私が寂しい、なんて。そのまんまじゃないですか」
「そのままの何が悪いんだ」
怒った風もなく、ただただポロムが言う意味がわからない、とカインは困ったような声音になる。
「ポロム」
何が悪いのかと聞かれれば、うまく答えることが出来ない。
ポロムは彼女にしてはめずらしく口篭もって、どう言葉を返していいのか思案していた。
彼女が自分の気持ちを口に出すことが嫌なのか、それともそもそも言葉のあやでカインに抗議をしてしまったのか、それはカインにはまったくどっちなのかは判断がつかなかったけれど、とにかく彼がわかったのは、彼の単純な問い掛けが彼女のお気に召さなかったということだけだ。
「私が、パロムがいないからって、寂しいわけありませんわっ。せいせいします。パロムときたら、何歳になってもいつまでもいつまでも子供のままで・・・本当に、私がついていかなくって、バロンのみなさんのご迷惑になっていないかと心配なくらいですけど。こちらは静かになってありがたいですもの」
「そうか。それは、勘違いしたことを言ってしまったな」
誰もがそれとわかる強がりをポロムは言った。紅潮した頬は、彼女がその言葉達を紡ぐことに非常に多くのエネルギーを必要としていることを表していたし、カインにだってそれが彼女の本音ではないことぐらいわかる。
しかし、彼はそんな彼女に対する言葉をまったくもたず、素直に謝るだけだ。
「それだけ元気があれば、大丈夫だな。それじゃあ俺は」
帰るぞ、と再び背を向けようとした途端、ポロムが声をあげた。
「・・・あっ」
「今度はなんだ」
「これ」
つい先ほどまでもそもそと食べていた焼き菓子−それはポロムからすれば、普段の何倍かは上手く出来たものだったのだが−を2切れほど、ポロムは紙のナプキンにそっと包んでカインに差し出した。
「お口にあったならば、持って行ってくださいな。どうせ、また当分ここにはいらっしゃらないんでしょうし」
ああ、また。
自分が余計なことを口走った、とポロムは心の中で歯軋りをした。
どうしても昔からの癖で、一言ついつい余計な嫌味を言ってしまう。
パロム以外の人間にそういったことをしないように、それはもっともっと幼い頃から気をつけていたのだけれど、この、いつまでも自分よりずっと年上−それは当然だが−の竜騎士には、それくらいいっても怒られないとついついわかって言ってしまう。
「それは」
差し出された菓子に手を出さずにカインは言葉を返した。
「それを受け取ったら、当分ここに来てはいけないという意味か」
「え」
「違うのか」
「・・・」
「パロムのように、この家に泊まる気はない。俺はポロムの家族ではないし。が、たまに、茶を飲むのは悪くないと思う」
ポロムは数回まばたきをして、所在なく菓子を差し出していた手をゆっくりと落とした。
はらりと髪の結び目からこぼれた後れ毛がかかってきて、まだ幾分赤いままの頬をわずかに覆う。
「同情なんて、しないでください。パロムがいなくなったから、私が可哀相だと思っているんですか?」
ほんのわずかに震える声。カインはそれにはっと気付いたが、その震えが何のせいなのかは理解できなかった。とりあえず質問に答えることが彼の精一杯だ。
「そういうわけじゃないが」
「それとも、セシルさんから、頼まれたんですか。パロムから頼まれたんですか」
「何も」
「今まで、いつカインさんのところにいったって、いつも怒っていらしたくせに、なんで急に優しくするんですか」
「怒って?」
それは、心当たりがない。
カインはそう言おうとしたが、それより先にポロムは手の中の菓子を押し付けながら、はっきりと拒絶の言葉を投げつけた。
「もう、帰ってください。いくらなんでも無神経すぎますわ」
「ちょっ・・・ポロムっ」
「では、ごきげんよう!」
一体この小柄な体のどこからそんな力が、と思えるほどの力で、カインはぐいぐいと扉に押し付けられ、結局抗うわけにもいかずに家から追い出された。
ばたん、とけたたましい音をたてて扉が閉められ、ご丁寧にも閂をはめる音まで内側から聞こえる。
何が悪かったのか、薄々はわかっているものの、それでも反省したところで、自分はこういうことにはうまく立ち回れないのだ、とカインは自分自身をわかっている。
扉の内側の彼女に聞こえないくらい、小さな溜息をついて、カインはその場から離れていった。


←Previous Next→



モドル