強がり-3-


人は慣れるものなのだ、と改めてポロムは思い知っていた。
パロムは今頃何をしているのだろうかと考えたり、食糧を買いに店に寄った時にパロムが好きな果物を買おうとして手を止めたり、洗濯をしようとして洗濯物の量がさほど多くないことに気付いて驚いたり。
そんな日々が過ぎて、朝「おはよう」夜「おやすみなさい」と口に出さなくともいい生活に、少しずつ慣れてきた。
パロムがバロンに行ってから10日が過ぎた頃には、目分量で一人分の料理を作ることが出来るようになっていた。
それがありがたい反面、とても寂しい。
友達と呼べる同年代の少女がいないポロムは、5歳年上の黒魔道士のサンドラと休日に会ったりもしていたが、楽しい時間を過ごして家に帰って、そして、自分が一人だと思うとよりいっそう寂しさはつのるものだ。
「綺麗に出来た。今日はいいことがあるに違いないわ」
朝から丁寧に豆をすって、それを粉に混ぜて焼いたパンケーキを綺麗に焼き上げても見てくれる人は当然誰もいない。
湯気がふわりとあがってくるパンケーキにたっぷりの蜜をかけて、ポロムは椅子に座った。皿の横には和えた野菜をこんもりと盛った木のボウルと、少し冷めてしまった茶のカップが並んでいる。
「いただきます」
声に出すと、余計に寂しい。そんなことも気付いた。
しかし、食事の挨拶は長年の習慣であったし、人がいようといまいがポロム自身が今から食物を口に入れることには変わりが無いから、これだけはきっと続くのだろうと思う。
(そういえば)
カインは、いただきますを言わなかった気がした。
セシルから聞いたところによると、カインは代々竜騎士の家系に生まれ育ったとのことだった。
その意味がポロムにはよくわからないし、それは身分がどういうものなのか判断も出来なかった。
文化の差かもしれないが、ごちそうさまを言ったくらいなら、いただきますも言うに違いない。
多分、セシルは言っていただろう、とポロムは無理矢理思い込んだ。
パンケーキを切ってゆっくりと口に運ぶ。
口に入れる前に、鼻に蜜の香りが湯気の熱と共に入ってくる。今までだってそうだったはずなのに、なんだかやたらとそれが実感出来るように最近なったと思う。
パロムがいないと、とてもゆっくりと落ち着いて食事が出来るということにもここ最近気付いた。
(カインさん、お食事はどうしているのかしら)
いつからカインに対して好意をもったのか、ポロムははっきりと覚えていない。
そもそも、カインがあの山にいることを知ったのだって、セシルがバロン王になってからかなり時間が経ってからのことだったし。たまたま旅から帰ってきたカインがあの山に登る姿をパロムが目撃したことから、ちょっとした交流が始まった。
バロンに遊びにいった時にその話をすれば、セシルに「カインが試練の山にいる間、何かあったら力になってあげて欲しい」と言われた。その時は、とりたててなんとも思っていなかったし、何よりもポロム自身がずっとずっと子供だったのだし。
いつから彼を好きになったんだろう。
そして。
いつから、パロムと自分は、昔のように一緒にいる時間が減ってしまったのだろう。
一緒に眠らなくなったからだろうか?
パロムが外泊を平気でするようになってからだろうか?
いや、大きなきっかけなんてものは、ないのだ。カインへの気持ちだって、パロムとの変化だって。
自分の胸がいつからふくらんできたのかだって覚えていないし、自分の下着をパロムに見られることがなんとなく気恥ずかしく思えるようになったのかすらも覚えてはいない。
突然発生する変化と日々わずかずつに起こる変化がこの世にはあるのだと、ポロムは嫌というほど実感していた。
緩やかに緩やかに動いていく何かは気づいたときには驚くほどの変化を遂げ、どんなにもがいたって元には戻れないし、自分自身がどれだけ変わってしまったのかを理解することすら難しい。ましてや自分以外の相手のことなんてもってのほかだ。例えそれが双子の片割れでも。
「あ」
口に入れようとしたパンケーキの端から蜜が流れて、テーブルの上に滴り落ちた。
てらてらとした光を指ですくって、ポロムにしては行儀悪く舐める。それから、水で濡らして絞った台布巾で丁寧にふき取った。数回こすってから、そのままポロムは手を止めた。
パロムは知っていたのだろうか。
ポロムがカインを好きだと、いつだったかはわからないけれど、自覚をしたことを。
(わかってたに違いないわ)
そのとき、パロムはどう思ったのだろうか。
ポロムはもう一度力を入れてテーブルを拭いた。
食事を終えたら、部屋の掃除をしよう。
それから、カインに、謝りに行こう。
あんな風にカインを追い出してしまうなんて、自分はまだ子供なのだ。そう思うことはちょっとだけ悔しいけれど、今は、間違いではないと痛感している。
自分が子供だから、カインはいつだって「来るな」と怒るのだろう。ポロムは一人でそう納得しようとした。

「え・・・?」
パロムの話を聞いて、バロン王セシルは怪訝そうな声をあげた。
「なんだい、あんちゃん。なんかおいらおかしいこと言った?」
「あ、いや」
慌てて取り繕ってセシルは曖昧な笑みを向けた。穏やかな人柄は10年前と変わりがなく、年齢相応に少しずつ身に付いた懐の深さが彼の魅力をよりいっそう高めているようだ。パロムはますますもってセシルのことは「お気に入り」だったし、そんなパロムのことをセシルもまた「小さな友人」から「友人」に格上げして接するようになっていた。
「カインも、人が悪い。是非バロンまで来てくれとお願いしておいたのに」
刺繍がふんだんにほどこされた、それでは王と呼ばれる人間が着るには簡略すぎるシャツと、なんの飾りも無いパンツという気楽な恰好でセシルは執務用の椅子に腰掛けていた。ざっと目を通して振り分けをした書類の山を相手にしているため、話をしつつも時折手が動いている。
「相変わらずだよ、あのおっさん」
パロムはソファに根っ転がってにやにやと笑った。
バロン王の執務室で、こんな好き勝手にマイペースに話を出来る来客は、エブラーナを率いるエドワード・ジェラルダイン王とパロムくらいのものだ。
「折角ポロムへの土産も用意していたのに」
「気が利いてるなぁ、あんちゃん!そうだよな。カインがここまでくりゃーよかったんだよな」
「・・・うん」
セシルの答えには少しばかり間があったけれど、パロムは気にせずにサイドテーブルに置いてある客人用のボンボンをひょいとつまんで包み紙を無造作に床に落とし、口に放り入れた。セシルはそんな無作法すら気にしていないようだ。
その時、衛兵からのものではないとすぐにわかる、軽やかなノックの音が響いた。
「ああ、入って」
セシルは誰からのノックなのかがわかっていたのだろう。彼が軽く声をかけると、すぐさま執務室の扉が開く。
「失礼しますわ。パロム、ここにいるんでしょう?」
クリーム色のなめらかな布地のドレスを身に纏った、バロン王妃であるローザが側近の一人もつけずに姿を現した。
「おーっす!おねーちゃん!」
パロムはソファから軽く体を起こして手をあげる。
「長老さまがお怒りになっているわよ。あなた、午前中にしなきゃいけないことがあったんじゃないの?」
「・・・あっ!!やっべー!すっかり忘れてた!」
そのローザの一言で顔色を変えて、パロムは転がるようにソファから離れた。ローザは立ち上がったパロムの足元に散らばっているボンボンの包み紙を見て小さく笑った。
「あらあら、散らかしたわね。もう、セシルったら、パロムのことは甘やかすんだもの」
そういいつつもローザは怒っていない。包み紙を拾ってサイドテーブルに並べる。さすがのパロムもローザにそうされると照れくささ半分申し訳なさ半分というところで、まったく片付ける気がなかったくせに、倣って拾い出す。
「てへへ、ごめんごめんってば、んじゃーな、あんちゃん」
「暇になったらまた来るといい。長老にお叱りをうけない程度にね」
「りょーかい!・・・っと、と、も一個もらってっていい?」
部屋を出ようとしてパロムは立ち止まり、サイドテーブルにまだ残っているボンボンに手を伸ばした。
ローザはその手をぱしんと軽く叩いて
「いいっていってから、手を出しなさいな」
「へーい」
「全部、もっていくといいわよ。この袋にいれてあげる」
パロムは満面の笑みを浮かべてローザからボンボンがつまった袋を受け取った。
「おねーちゃん、いい人!綺麗で優しいなんてサイコーだぜ。ちっとも子持ちにも見えないし。んじゃ、まったねー」
「まあ」
目を丸くしているローザの脇をすり抜けてパロムは出て行った。その様子を見てセシルは声を押し殺して笑っていたが、ローザが恨みがましそうにセシルを見るものだから、ついつい我慢できずに声を出す。
「ははは、パロムは本当に、正直ものだ。何歳になってもね」
「それ、褒め言葉?」
そういってローザはソファに腰をおろした。
普段ならば公務も多く、王として謁見の時間も長いため、昼間からこうやって二人でいられることはほとんどない。が、パロム達が来る前に、とセシルはかなりの分量の公務を、寝る間も惜しんで数日間根をつめていたものだから、めずらしく余裕がある数日を過ごしている。
とはいえ、それはそれで落ち着かないらしく、今日の午後には城下町を視察で回ることになっている。
「それにしても・・・まったく、カインは。ポロムを誘わないなら、それはそれで教えてくれてもよかろうに」
「あなたが気を回しすぎるから、あまりよく思わなかったのかもよ?」
「そりゃそうなんだけど」
セシルは大袈裟に肩をすくめて見せた。ローザと二人でいる時だけは、心からくつろげるようで心底リラックスしているようだ。
「帰りは二人旅になるだろうから、ちょっとだけ気になって」
「まあ、わからなくもないけど・・・あなた、カインにもポロムにもちょっとだけ過保護すぎやしないかしら?」
「面目ない」
ちょっとだけしょげた表情でセシルはそう言って、軽く唇をへの字に曲げる。その様子があまりにおかしかったらしく、ローザは声をあげて笑った。
「だって、カインとポロムが二人でいるところなんて見たことがないし。それに今回の訪問は遊びの訪問じゃないから、いくら僕達と知り合いだからって簡単にポロムもついておいで、なんて言えないだろう?」
「そうね。かといってポロムに護衛を頼むっていうのも変な話だものね。白魔道士が護衛につくなんて、聞いたことがないわ。サポートならともかく」
「そうだよ。だから、カインにお願いしたんじゃないか。なのに話を聞けば、やっぱりポロムは連れて来ていないし、肝心のカインだって途中でさっさと帰ったっていうし」
「だから」
そこでローザは言葉を切った。セシルは年齢に似合わず少しだけむくれた表情を見せている。
ああ、女というものは、いくつになったって好きな男性のことを「可愛い」と思うことがあるのだな、と彼女は小さく微笑んだ。
もちろんセシルはそんなことに気付くわけもなく、ムキになった自分をローザがなだめようとしているのだと思ったらしい。
「わかってるよ。確かに、僕が過保護だった」
反省の表情を浮かべるセシル。それがますますローザには可愛らしく思えてしまうのだが。
「でも、護衛に来てくれ、なんて書くわけにもいかなかったし。よかったらおいで、なんて書けばポロムはきっと来ないと思ったから。あの子は必要以上に自分の、なんていうのかな・・・勝手に決めた、身のほどみたいなものを・・・それを、押し通そうとするじゃないか」
「よくご存知ね」
「あまり言いたくないけど、ちょっと、わかるから」
そういうとセシルは言葉を濁した。彼が言おうとしたことをローザはわかっている。ローザは小さく頷いて、それから小さな溜息を漏らした。
「そんなあなたが、昔は歯がゆかったけれど」
「だろうね。あの頃の僕は卑屈だったし」
セシルはそう言うと、執務机の前を回ってローザのほうへ歩いてきた。
愛しい夫であり、自分の子供の父親であり、この国の王である男を見上げて、ローザはまた嬉しそうに微笑む。
こんな風に二人でいる時間は少なくて、それゆえに嬉しくてしようがない。
それを抑える必要なぞないということを彼女は知っている。
「ポロムは違うわ」
「君の方が、よくご存知だ」
照れくさそうにセシルはローザの隣に腰掛けた。ソファが沈んで、ローザの体は自然にセシルに軽くもたれかかるように斜めになるが、どちらもそれを気にもとめず、自然のままに寄り添う。
お互いの体が触れることが当然で、それを拒む理由なぞありやしないのだ。
「女だもの。でもね、きっとバロンに来たら・・・ポロムは帰るのが辛くなったんじゃないかと思うわ。他の場所で生活するパロムを見たら、一人であれこれパロムのことを想像してるより、絶対辛いと思う」
「そうかな」
「そうよ。なんていうのかしら。そこには自分がいないんだってこと、見せ付けられるっていうのかしら・・・わたしね、あなたが国王になって数ヶ月、辛かったからわかるの」
「え!?」
それは初耳だ、とばかりにセシルは飛び上がらんばかりに驚く。身を軽く引き、目を見開いてローザの顔をまっすぐと見た。
「な、何かあったのかい?」
「もう、時効よね?」
「じ、時効もなにも・・・僕が何か不手際を・・・」
明らかに狼狽しているセシルの様子がおかしいようで、体を起こしてローザはくすくす笑う。セシルの方はそれどころではない、早くその先を話してくれ、と気持ちが急いているというのに。これはローザの意地悪なのだろう。
「あなた、忙しくて、夜しか会えなくなっちゃったじゃない」
「そう、だったね。それは、そのう・・・寂しい思いをさせてしまって、その、何度も詫びたと」
「ええ。それでね、わたし、その間絶対あなたが忙しくしているところに足を運ばないようにしていたの。気が散るかと思って」
「うん」
「でも、やっぱりね。どんな顔してやってるのかなーって気になって」
セシルはもはやうなずくこともなく、黙ってローザを見つめるだけだ。
「何度か公務中の様子を見にいったの。内緒でね。そうしたら、あなた、わたしが見たことがない顔して・・・決して疲れた顔とかじゃないの。厳しい顔していて。みんなに王様王様って言われていて・・・知らない人を見てるみたいでね」
セシルは眉根を寄せた。
「ああ、そんな顔をしないで。今はもう大丈夫なの。その頃はそれがショックでね。なんか、自分だけ取り残されているっていうか・・・夜、会いに来てくれるあなたはいつものあなたに戻っていたから尚更、近くにいるのに違う人になっちゃった気がして」
「ローザ」
「今は、そんなあなたのことを普通に見られるけど。心の中で、あなたがバロン王になる時に覚悟していたし想像はしていたんだけど、現実に目の当たりにしたら思った以上になんかショックうけちゃったのよね」
「ごめん」
「謝ることじゃないわよ。わたしがちょっと子供だっただけよ」
「君はずるいよ。黙っていて」
「そうね。でも、言えない気持ちもわかるでしょ」
「うん」
「ああ、もう。そんな顔しないでったら。キスしたくなっちゃうじゃないの」
いたずらっぽくローザはそう言って、セシルの頬に軽く口付けた。セシルはローザの柔らかな唇に口付けを返す。
「そういえば、以前エブラーナに行った時、リディアも言ってたな」
「なんて?」
「お仕事しているときのエッジは違う人になるんだ、ってさ」
「あら」
「それを聞いて、全然君の事を考えつかなかった。今、猛烈に反省している」
「本当?」
「本当」
「じゃ、今日はお茶の時間、一緒に過ごして貰えるのかしら?」
「もちろんだ」
苦笑してセシルは立ち上がった。
「カインやポロムの心配している場合じゃないな、こりゃ」
「え?」
「君に愛想つかされないように頑張るよ」
「あなたはいつでも頑張っているわ」
セシルは座っているローザをまじまじと見つめた。そして、突然「ああ、もう!」と妙な呟きを発しながら、愛しい妻に覆いかぶさるように抱きしめた。
バロン国王夫妻が呆れるほど仲睦まじいことは、他国ですら有名な話だ。

ポロムは掃除を終えてから、ちょっとだけ埃っぽくなった髪を洗った。
濡れた頭にタオルを無造作に乗せて、頭からかぶるだけの気軽な室内着に身を包んで、何を着て会いにいこうかとポロムはクローゼットを開けた。
とはいえ、別段何かおしゃれをしていこうとか、そういった気負いはない。
少しでもそんな素振りをすると、カインに会えることが嬉しくて子供っぽくはしゃいでいる自分を見透かされそうで、恥ずかしいと思えた。
いつもと同じ恰好で、いつもと変わらずに。ただ、気候によってほんのちょっと違うだけ。
女性が「今日はおしゃれしてきたのよ」と自分から言うことが実は恥ずかしいことでもなんでもないということが、ポロムにはまだわからない。ここにローザがいればあっけなく「好きな人と会うのに、可愛い恰好していくことの何が恥ずかしいの?素敵なことなのに」と言ってくれるのだろうが、生憎と彼女はバロンで自分の夫と時間を過ごしているところだ。
ローザの目から見ればきっと、ポロムのそんなところも「可愛らしい」ところだと思えるのだろうが、もちろんポロム自身はわかっていない。
ふと、姿見に目を移す。
あまりふくよかではない、いや、むしろ細い体つきの、大人の女性にはまだまだ遠い自分が映っている。
造作は悪くないんじゃないかと思うけれど、眉毛は太すぎると思う。
胸はこれからもっと大きくなる予定だ。
幼い頃はもっとパロムと似ていたのだけれど、鏡を見てもそこに映る姿は自分以外の何者でもないし、パロムの顔を思い出すわけでもない。
(子供だけど、少しは大人に近いんだと思ってよいのかしら)
そんなことを思いながらも「子供」「大人」なんて明確な区別をすることが第一おかしいのだ、とポロムは唇を尖らせた。
子供扱いされることは多かったけれど、カインの口からそういった言葉を聞くことはとても悔しい。
とても年齢が離れた男性が気になるのは、それはその人に父親の面影を抱いているからだと聞いたことがある。
そんな偏見はとてもつまらないし意味がないとポロムは常々感じている。
ベッドに腰掛けて髪を拭きながら、ポロムはカインのことを思い出していた。
恋の始まりは覚えていないし、彼のどこがいいのかと言われれば答えられない。このぼやけた気持ちが恋心であると言っても、カインだって誰だって信じてくれないに決まっている。
それでも、雨が降れば彼はどうしているのかと思うし、料理が美味しく出来ればたまに彼が来てくれればいいと思う。
この間強引にテレポをした時にだって、彼の手に触れたことが嬉しかったし、強がって「サービス」なんて口に出したけれど、それの意味を気にもせず彼女を置いていったカインにがっかりもした。
パロム以外に自分の気持ちをこんな風に乱す人間がいることへの苛立ちと幸せ。
それらはとても漠然として「なんだか嬉しい」「なんだか悔しい」「なんだか納得いかない」と曖昧にしかポロムには感じられないけれど、「カインに対しての気持ちは特別だ」ということだけははっきりとわかっていた。
「そんなの、私の勝手だわ」
その特別な人に特別に扱って欲しい。
そう思うことはとても自然で、とてもわがままで、そして子供じみているとポロムは思う。

「・・・?・・・」

はっと顔をあげてポロムは耳を澄ましす。かすかに聞こえるノックの音。
慌ててポロムは腰をあげて、部屋から出た。
「どなたですか?」
「いたのか」
はっきりとしない声だが、間違いなくカインの声だ。
「カインさん!?」
驚きの声をあげ、ポロムは扉を開けようと足を進めたが、ふと立ち止まった。
「あっ・・・」
私、今。
髪を濡らした状態を人に見られたくないと、そう思うようになったのはいつの頃だろう。そんな自分の変化にこんな時に気付いて、ポロムは泣きたい気持ちにかられた。
懸命に髪を拭いたってすぐに乾くものでもない。待っていてください、と言って待たせても大丈夫な時間があるのかもわからないし、そもそも彼女の長い髪が乾くには相当時間がかかる。
ミシディアのどこかでカインが時間をつぶすことが出来るだろうか。
「カインさん?」
扉越しに声をかけると、くぐもった声が聞こえる。
「ああ、その・・・この前のことを、謝ろうと思って、来た」
「えっ」
「忙しいのならば、また日を改めるが」
「あの、えっと・・・」
どうしよう。
こんなときにどうすればいいのか、ポロムはよくわからない。
いつも返答が早い彼女が困ったように黙り込んだ様子に気付いて、カインもやや慌てたように言葉を続けた。
「明日にでもまた来る。仕事か?」
「あの、ですね、カインさん」
「なんだ」
「今、ちょっと、その、手が離せなくて」
「ああ、だから、明日また」
「そうじゃないんです。ちょっとだけ」
いつものポロムらしくもない歯切れの悪さを怪訝に思いつつ、カインは黙って言葉を待つ。
やがて、ほんの少しの間をおいてようやく返された回答は、何故それを言うのに時間がかかったのかまったくカインには理解が出来ない内容だった。
「待ってもらえますか。私も、今日カインさんにお会いしたかったので」
語尾が震えないようにはっきりということが、今のポロムには白魔法の詠唱の何倍も大変なことに思えた。

家の中で会いたかったけれど、パロムがいない間、そしてまた長老がミシディア不在の間に、カインを何度も何度も家に招き入れることが、なんとなく後ろめたい気がして出来なかった。
とはいえ、ミシディアの街中をカインと二人でいる姿をあまり見られたくないとも思う。
同じくらいの年齢の女の子達はきっと自分を見て笑うのだと思う。それは別にどうとも感じない。ああ、またか、と思うだけだ。
しかし、カインのことを悪く言われたら、それは嫌だと思えた。せめて自分がもう少しだけ早く生まれていればよかったのに。そんな後悔をするポロムの気持ちは、あまりにも女性的だ。
結局ポロムはミシディア近くの森−先日テレポでポロムが戻ってきた場所だ−の奥に目印になるわかりやすい、曲がった不思議な形をした木の辺りを指定して、半刻後にそこに向かった。ポロムは、まあ、森に入る時に服や髪を整えればいいとばかりに走ってミシディアを出たのだが、なんと、何故か森の手前でカインは待っていた。
慌てて歩みを遅くしても、一度あがってしまった荒い息は隠すことが出来ないし、紅潮した頬もそのままでカインに何もかも見られてしまった。
カインはその場でそのまま話を始めようとしたが、ポロムはそれを嫌がり、森の奥に入っていった。
今日はあの日のように知り合いは誰もいない。あまりの静けさに、鳥の羽ばたきがうるさく思えるほど耳に飛び込んでくる。
曲がり木がある場所につくと、ポロムは歪んだ木の幹にもたれかかって溜息をついた。
「私、やっぱり子供でいいですわ」
「どうした、急に」
「もし、私が大人でも、カインさんは二人で会ったり、私の家に来てくれたりします?」
その質問の意図を量りかねてカインはポロムを見つめる。
「だったら、怒られてもいいから子供でもいいですわ」
「俺は、怒った記憶はないんだが」
「あら。私が会いに行くと、すぐ怒るでしょう。子供が一人で来るところじゃないって。パロムと一緒にいたときは、そんなに怒らなかったのに」
「怒っていない」
「怒っていますわ」
「本当に、怒っていない」
辛抱強くカインは繰り返した。ポロムはカインを見上げてじっと彼の瞳を見つめる。
「怒っているように、感じるんですもの」
「それを、謝ろうと思って来たんだが」
「・・・」
思いもよらないカインの言葉に、すっかりポロムは驚いてしまって、可愛らしい唇を半開きにしてまじまじとカインを見上げるだけだ。一体カインが何を謝りにきたのかは先ほどからまったくポロムはよくわかっていなかったが、それでも彼女なりにあれこれとあの日のことを考えていた。が、カインの口から出た言葉は、びっくりするほど予想からはずれた答えだったわけだ。
ようやくポロムは一度口を引き結んで、いつものようにはきはきと言い放った。
「私が、カインさんのことを、見損なっていたというわけですのね。だったら、謝らなくてはいけないのは私も同じですわ」
「いや、そうではなくて」
「そうではなくて?」
「ポロムも、好きで一人でいるわけではないだろうに、俺の考えなしのせいで嫌な思いをさせてしまったようだったし。俺は同情とかなんとかでポロムの家に行こうと思ったわけではない」
「・・・」
「女性と二人で過ごすことは、俺には、いくつになっても難しい。情けないことに」
カインは目をそらして、そこいらの草を適当に見ているのかと思える方向へ視線を移した。
ポロムは「女性」という単語がカインの口から出たことに驚いて、目を見開く。カインは視線をそらしているから、彼女のそんな様子は気付くはずもないのだろう。
「え?」
「けれど、悪くないと思ったし、バロンで当たり前のように誰かと茶を飲んでいた昔を思い出して、また誘って欲しいと思った。それだけだったが・・・俺は言葉があまり得意ではないらしい」
大分年齢が上の、パロムがいうところの「おっさん」である男性が、困ったように、呟くように言葉を紡ぐ。
以前のポロムであれば、そういう姿は滑稽だと思ったのかもしれない。
大の大人が、話す相手と目を合わせずに、はっきりとしない話をする。
パロムといつでも一緒にいた頃に今の彼を見れば、「大人のくせに!」と平気で手痛い言葉を投げつけていたに違いない。
「私が子供だから、困っていたわけではないんですか」
「そうではない」
「子供は来るなって、おっしゃっていましたのに」
「・・・言葉が悪かった」
「悪かったってことは、来るな、とは思っていらしたんでしょ」
「そうではなくて」
「・・・」
「・・・危ないだろうが。パロムが一緒じゃないなんて」
「・・・」
「それに、俺がミシディアまで毎回送るわけにもいかないだろう。ポロムに、不名誉な噂も立つだろうし」
カインがそこで言葉を切ると、黙って聞いていたポロムは顔を背けているカインの前に無理矢理立って、覗き込んだ。唇を引き結んで、彼女がむっとしている様子はいくらカインでもわかる。
しまった、また、俺は失敗しているのか、と瞬間的にカインは身を引こうとした。が、その前に突然ポロムがまくし立てるようにカインに言い放った。
「・・・どういうことですの、カインさん。もう、おっしゃってること、支離滅裂じゃないですか!どうして私がカインさんに送られたら不名誉な噂がたって、それから、パロムが一緒じゃなかったら危なくて、でも、お茶を一緒に飲むのは悪くなくって、誘われたいなんて、もう、全然わかりませんわよ!」
本当は自分も、カインに不名誉な噂がたったら、と心配していたことを棚上げしてポロムは一気に言葉を投げつける。どうにも抑えることが出来ない言葉を彼女がこんな風に他人にぶつけることなぞ滅多にないことだった。それをカインは知らないし、ポロム本人も気付いてはいない。
それに対して、それこそ「大人気ない」という言葉がぴったりのようにカインも早口でむっつりと答えた。
「俺だってわかるか」
「・・・え」
「ポロムが大人なのか子供なのか、女性なのか女の子なのか、誰もわからないし、ポロムだって自分よくわからないんじゃないか?俺は、自分がポロムぐらいの年齢の時、そうだった」
「・・・カインさんが」
「子供扱いをされれば不満だったし、大人扱いされれば背伸びに必死で焦っていた。周囲の大人たちは俺のことなぞ何もわからない奴等だと苛立っていたし、周りの同い年のやつらが馬鹿げたほど子供に思えてうんざりしていた」
「・・・」
カインが過去をポロムに語ることは初めてだ。ポロムは静かに、彼の言葉に耳を傾けた。
「それを知っているから、尚更、どう接していいのか戸惑う」
「私に?」
「ああ。それに、俺は言葉が足りないし人付き合いが得意でもないから、ポロムを苛立たせるのだと思う。ポロムがテレポの魔法を使えると知っていてもそれは帰りの話だろう。あの山を一人で来ると思えば、まあ、なんだ・・・心配もするし・・・ポロムの白魔法の腕前を侮っているわけじゃあないが・・・情緒が安定しない時に魔法を詠唱するのは、あまりよろしくないと聞いたことがあったから」
「!」
例え彼の回答を想像して10通りの言葉を考えたとしても、ポロムには決して思いつくことがなかっただろう言葉がカインの口から発された。
ポロムは驚きのあまりに眉間にしわを寄せ、口をわずかに開いたままカインを見上げていた。
可愛らしい顔つきの彼女のそんな険しい表情はカインもあまり見たくなかったようで、困ったように小さな溜息をつく。
「失礼なことを言ったのならばすまない。が、そのことをお前に言えば、絶対についていく、と言い出すと思ったから」
「私、情緒が不安定なんかじゃ・・・・足手まといになんて、なりませんでした、きっと」
「そうか。それは申し訳ないな」
あまりそれは申し訳なさそうでもなく、子供をなだめるようにカインは言った。
ポロムはカインから静かに目線をそらして、自分の足先方向を見つめた。
しかし、実は何を見ているわけでもない。見開いた目はまばたきをせず、視界すべてのものに焦点が合わないようだ。
早くもう一言、何か救いの言葉をカインが言ってくれたらいいのに。
そんな思いが胸一杯に広がるけれど、カインは大事な時には何も言ってはくれないのだ。
そういう男だとわかっていた。
わかっていても好きな自分がおかしいのだ、とポロムは思った。
二人は黙り込んだ。
どちらも相手からの言葉を待ち続け、その沈黙をポロムが破るまでとても長い時間が必要とされた。
「カインさん」
「帰るか」
カインのその言葉に予想以上のショックをうけて、ポロムははっと顔をあげた。
もう話は終わりだと彼は思っていたのだろう。それに気付かなかった自分は、一体彼に何を期待して沈黙していたのだろう、と思うとかあっと体が熱くなって頬が紅潮してきた。
顔をあげればカインの視線をまっすぐ受けることになる。その勇気が無くてポロムは背を向けて歩き出した。
「・・・帰ります」
「ああ、じゃあ、行くか」
「ここからなら、一人で帰れます。そう言ったのはカインさんでしょう」
「・・・誰もいないだろう、今日は」
ポロムはカインの言葉の意味がわからず、不思議そうにそっと振り返った。
「だから、仕方がない。送らせろ」
先日のカインの言葉を必死でポロムは思い出そうとした。
薬草を摘んでいる人間がいるから、大丈夫だろうと彼は言った。
それから、ポロムは、先ほどの彼の言葉もまた思い出した。
危ないだろう。パロムが一緒じゃないなんて。
嫌だ、気付かなければよかった。気付かせないでくれればよかったのに、この大人の男は本当に不器用で意地悪だ。
ポロムは目頭に熱さを感じて、カインに気付かれないようにまた背を向け、その場で立ち止まった。
恥ずかしい。
私は本当にまだ子供なのだ。
「カインさん」
「うん?」
「今日、ここではなく、森の入口で待っていてくださったのは」
気が利かない男だと思っていた。
それは撤回しなければいけないとポロムは思う。気が利かないと不器用は違うのだと心底思う。
だから、彼はポロムを不器用だと言ったではないか。
「そういうことは聞くな。答えたくない」
そういってカインはポロムの横を通り過ぎざまに、彼女の手首を掴んでそのまま歩いた。ポロムは引っ張られる形で、それでも困らない歩調でそれについていく。
「カインさん!?」
ポロムが驚いて前を歩くカインを見上げると、珍しく、ほんの少しだけの笑顔を軽く振り向いてカインは向けた。
「たまにはサービスしてやろう」
「んまぁ・・・」
「だから、たまには茶を入れてくれ」
次から次へと思いがけないことをカインに言われて、ポロムはすっかり困り果ててしまった。困っているけれど、何かを話し続けなければいけないような気がして無理矢理ポロムは話し出した。
「仕方がありませんわ、カインさんったらあんな山にいらっしゃるんですもの。ろくでもないお食事しかしていないんでしょう。お茶だけじゃなくて、たまにご飯も作ってあげます。感謝してくださいね」
「ああ。この前の焼き菓子はうまかった」
「私、お菓子だけじゃなくて普通のお料理も得意なんですから」
「そうか」
「白魔法だけじゃないんですわ。パロムと違って」
「はは」
そのままポロムは何度も何度も強がった言葉をいい続け、カインはそれにずっと、あまり上手とはいえない相槌を打ち続けた。
歩きながらポロムがカインの手からそっと手首を抜いて指を絡めても、カインは何も言わない。
彼は大人なのだ。
そして、自分はまだ一人で歩けない子供なのだろうし、次に会った時パロムは大人になっているのだろう。
そう思った瞬間、耐え切れない涙がぼろぼろとポロムの頬を伝う。小さな嗚咽がカインの耳に届いているはずなのに、彼は立ち止まらず、ただ、手を強く握ってくれるだけだった。
この手がパロムだったら、泣き止むことが出来るのに。
そう思えば、尚更に頬をあごを、そして胸元の服を涙は濡らしてゆき、何年分なのかわからないほどの涙がポロムの体から流れ出て行く。
それでもポロムも立ち止まろうとせずに歩き続ける。
ミシディアの誰に泣き顔を見られても、構わない。自分はまだ子供なのだし。
そう思えば驚くほどにどうでもよく、驚くほど楽に泣くことが出来た。
「そのうち、止まるだろう」
カインの言葉がとても意地悪で、けれどもとても優しくポロムの耳に響いた。

Fin
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モドル