あなたの腕-1-

先にバロンに戻ってシドが今後のことについて様々な手配をしてくれるらしい。
後からお前達はゆっくりと来たらええ、というその言葉には、バロンに戻ったら自由に動く時間も取れないだろうセシルとローザへの配慮が伺えた。
ゼロムスの存在について詳しくは公表されていない。しかし、ミシディアの長老が多少面倒がないように改ざんした内容で各国に広めた今回の事件の立役者には、当然セシルとローザの名が公表されていた。彼らはそれをあまりよく思ってはいなかったが、事実上トップが誰もいないバロン国に戻れば、バロン国王から可愛がられて教育をうけており、そしてカイナッツォの手からバロンを救ったとされているセシルは否応無しに祭り上げられる。国王に就任するかどうかは定かではないが、少なくとも国のトップの何かしらの役割は彼は担うことになると予想されていた。そうであれば、多少はくをつけてしまったほうが今後のバロンの外交活動にも有益になると長老は考えたのだ。
そういうわけでバロンに戻ればセシルもローザも英雄扱いだろうから、戻る前のわずかな時間で彼らは旅の終わりを名残惜しみつつ、行こうと決めていた場所へ寄るつもりだった。

砂漠の中心にあるカイポの町。
飛空艇を借りて町近くに下りて、四人−セシル・ローザ・エッジ・リディア−は町の入り口に向かって歩いていた。砂に足をとられて足取りは重々しい。空気がむっと熱く、下手に水を巻けば足元から立ち上ってくる熱気が呼吸を妨げてむせ返るだろう。
「あじー」
国に帰る前の世界一周旅行だぜ、といいつつエッジはついてきたわけだが、もちろんそんな言葉は建前で、彼は彼の思惑があってここにいる。そして、リディアはリディアでミストの村の様子を一度見たいから、とセシル達に同行しているわけだ。
「マントが汗かいた肌にくっつくのが苛つくぜ」
「でも、お日様の光が強いから、マントは身につけていた方がいいんだって」
知った風にリディアが言う。
「お前にしちゃいいこと言うな。誰のうけうりだ」
「うけうりって?」
「誰に聞いたんだ、それ」
「セシルが教えてくれたのよ」
「そか」
聞いた時には既に予想はしていた。そして寸分たがわぬ返事は面白みも何もない。わかっていたのにとりあえず聞いてしまった自分を呪いつつ、エッジは足を動かす。
リディアはその横を通り過ぎて、軽い足取りで砂地を歩いて行く。エッジとて忍者であるから、様々な地形を問題なく歩く訓練はしていたが、リディアを追いかけていく気にはなれない。
「リディアったら元気ね」
「・・・そうかな」
「あら、うかない返事ね」
「なんとなく、空元気に見えて」
「・・・そうかしら・・・?」
セシルとローザがそんな会話をしているのを聞いても、エッジはとりあえず口を挟まずに歩いていた。本当はカイポに来ることは、エッジは気が進まなかったのだ。
だけど、リディアが。
「みんなー!早くー!」
ああ、そうだよ。
空元気だよ。
エッジは動く自分の足の爪先を見つめながら溜息をついた。

「カイポにお礼に行くんだって」
「はぁ?お礼?」
「うん。あのね、前にローザが砂漠で倒れた時にね、カイポの町にいるおじいさんとおばあさんが助けてくれたの。だから、改めてお礼を言いに行くんだって」
「ふーん。ほら、お前、早くスープ飲んじまえよ」
「あ、うん」
何の気なしに聞いていたリディアのその話は、特にエッジにとって心にひっかかるわけでもなかったし、当然リディアにとってもどうということがない話ではないかと思えていた。
ゼロムスを倒してからミシディアでは宴が行われ、ようやく三日目になって彼らは落ち着いて体力も回復して出発の準備が出来た。その朝食時のことだった。
宴の直後にカインが姿を消し、地下から駆けつけたジオット王、それからヤンやギルバートが国に戻り、シドがバロンに戻り・・・。
セシルとローザは早目に朝食を終えて、長老と共にデビルロードについて話し合いをしているという。
エッジはさっさとパンとスープを腹に詰め込んで、もたもた食べているリディアをせかしながらお付き合いをしているというわけだ。
「あれか。砂漠のド真ん中の町。行ったことねーけどさ」
「そう」
「暑そうだな〜」
「うん、暑いところだよ。だけど近くの洞窟はひんやりしてた。テラのおじちゃんとそこで会ったの」
「テラ?」
エッジとテラは面識がない。
リディアはエッジに言われた通りにずずっとスープを飲み干して、口端についた少しこぼれた液体を手でぬぐった。
「なんか元気ねーな」
「そんなことないよ」
「あるよ」
「なんでエッジはわかるの?」
「あん?そりゃ、おめー・・・」
その先の言葉をエッジは止めて、正面に座っているリディアに手を伸ばして頭をぽんぽん、と手のひらで叩いた。驚いたようにリディアはエッジを見て、それから小さく笑顔を見せる。
「ありがと、エッジ」
「うん?どーいたしまして」
「・・・カイポには泊まらないよね、きっと」
「あん?礼言いにいくだけなら泊まらないだろ」
「なら、いいんだけど」
「泊まると、なんかあんのかよ?」
芳しくないリディアの受け答えに対して、エッジは眉を寄せた。リディアにしては歯切れが悪い話しぶりだ。
それはわかっていたけれど、エッジはとりあえずそれ以上質問をせずにリディアの様子を見ていた。
やがて、リディアは木のスプーンをスープのボウルのふちに立てかけて、食事の手を止めて溜息をついた。
「わたし、ほんとは、カイポ行くの嫌なの」
「じゃ、いかなきゃいーじゃん」
「でも、勇気出して行こうかなって」
「なんで勇気なんか出さないといけねーの、お前」
「セシルのこと、好きになっちゃったら、怖いなって思って」
信じられない言葉がリディアの口から漏れた。
「は?何が?」
「うーん、違うな。また、好きになっちゃったらどうしようと・・・かなぁ?」
「何何、何だって?」
「わたし、セシルのこと好きだったし・・・」
リディアが言っていることがよくわからない。エッジは彼にしてはめずらしく苛立ちを表面に出して、リディアを覗き込んだ。
「お前、俺にわかるように話せよ」
「あっ、あの、えっと・・・」
しまった。
リディアでもさすがにこれはわかった。
エッジは明らかに我慢が出来なくなっている。
「俺にわかるよーに話すか、さっさと飯食うかどっちか先に出来る方とりあえずやっちまえ」
「じゃっ、そのっ、先にご飯食べるからねっ!」
慌ててリディアはスープを飲み干そうと木のスプーンを必死に動かした。スプーンを必死に動かすところまではなんとかなるが、飲み込むスピードはついていかない。
「ぶはっ!」
「おいおい、大丈夫かよ」
「大丈夫!今食べ終わるからっ・・・」
けほけほとむせてリディアは水を飲んだ。そんな勢いで水を飲むリディアなんて、滅多に見られるものではない。
「あー、待て待て!前言撤回。さっさとじゃなくてもいーから」
「でも、待ってるんでしょ!」
「いいから。落ち着いて食えってば」
「がんばる!」
「が、がんばるっつったって」
限界ってもんが。
そう言おうとしたけれど、それより先に、ついに我慢をしきれずにエッジは笑い出した。
「あははは!お前、ほんと素直だなぁ〜」
「なによー、エッジが急がせたんじゃない」
「はいはい、わりかったわりかった」
エッジはそう言って、先ほどのように腕を伸ばして向かいに座っているリディアの頭に手を乗せた。それから、ぽんぽん、と二回軽く手のひらで頭を軽く叩く。叩くというよりもなでる。なでるというよりも叩く。その中間の柔らかい感触に、リディアは黙って静かになった。
エッジのその行為は「そうだ」と彼は言わないけれど、とても優しさに満ちている。リディア自身も「そうだ」とはっきりとはわからなくても「嬉しい」と漠然と思う、とても優しいスキンシップ。リディアは小さく笑って、そっと目を閉じる。
その瞬間彼らの気持ちは間違いなく通じ合っているのに、二人はお互いによくわかっていない。

リディアがセシルに淡い恋心を抱いていたことは、エッジだって知っていた。
今まで何かにつけてリディアはエッジに「セシルだったらそんなこと言わないもの」とか「エッジもセシルのこと見習ったら?」とか引き合いに出していたし、ぽろっとそのことを彼女本人から聞いたことがあった。
エッジは、幼かった頃のリディアの姿を見たことがない。
だから、リディアの口から「小さかった頃にね」と話されても、それがつい最近のことだということは実感がわかない。
セシルやローザにとっての「つい最近」とリディアの「小さかった頃」が同じ時間だと言われても、エッジからすれば「ふうん」と答えるしかないし、想像もつかない。
更には、リディア本人が、彼女の「小さかった頃」というものをどれほどの昔に感じているのかすら、誰も知ることは出来ないのだし。
エッジはエッジの感覚で「小さかった頃セシルを好きだった」少女の気持ちを想像してみる。
(わっかんねえ)
性格とか気質といったものが左右するのか、性差なのかはエッジにはわからないが、ともかく「わからない」という結論が出た。
彼とて、幼い頃に思いを寄せていた女の一人や二人いた。
言葉に出来なかった、あっけなく否定された未消化な恋愛に思いを馳せ、今、その対象が目の前にいたらどうだろうか、今、その女性との思い出の地に行ったらどうだろうか。
どうもこうも。
(べっつにときめかねーよなぁ。もう一度好きになるわきゃー絶対ねーし)
自分がそうだから、リディアが改めてセシルを好きになるなんてことは、想像が出来ない。

空元気でカイポまでどうにか来たものの、リディアの調子が落ちてきたことはエッジだけではなくセシルやローザが見てもわかるほどだった。誰だって空元気は続かないものだし、余計に疲れるものだ。
(そこが子供だってんだ)
と思ったけれど、そういったテンションのあがりさがりに煩わされるのはエッジは嫌いではない。
付き合うならば大人の女と思っていた。けれど、物知り顔の大人は嫌いだ。
(俺こそ、ローザみたいな女は好きなはずだったのになぁ)
まったく、何がどう間違えて、リディアのような手がかかる女に惚れてしまったのかと自分でも不思議でしょうがない、というのが彼の本音だ。
「わたし一人で行ってくるから、いいわよ、三人は」
ローザがそう申し出たけれど、それにはセシルがすぐさま反論した。
「いや、僕も行くよ」
理由は特に説明もせずに意志表示のみだ。セシルにしてはそれはめずらしいことだとエッジは思うが、ローザもリディアもその点は何も聞き返さない。
「じゃ、セシルと行ってくるわね。二人供、ちょっとの間待っててもらっていい?」
「あいよ」
「うん、わかった」
セシルとローザを見送った後、二人は歩き出すわけにもいかず、カイポの町の片隅で立ち話をするくらいしか何もすることがなくなってしまった。
リディアは黙って空を見て目を細めたり、足元の小石を靴の爪先でいじったりと、取り立てて何か話し出すわけでもない。
エッジはいつものように茶化したりせずに、その様子を見ていた。
(ま、これでセシル達がさっさと帰ってくれば、ここには用がなくなるかんな)
そうすれば、わけのわからないリディアの心配も無用というわけだ。
だが、それはそれでエッジは困っていた。
カイポでの用事が終われば。
その後に待っているのは、セシルとローザ、そしてリディアとの別れだ。
国に戻ることが面倒と思うだけではなく、ただ純粋に、彼らと別れることが勿体無い、と思う気持ちがある。
それはとても漠然としていたのに、カインはあっさりとやってのけて、エッジ達の前から姿を消した。
以前カインが裏切って、彼らの前から姿を消したときは特別寂しいとか残念とか思わなかったけれど、いざこうやって旅を共にした仲間と別れる、となったら、さすがのエッジも少しばかり「ちっと寂しいかな」とも思う。
リディアとの別れの覚悟もまだ彼には出来ていない。
出来ていないが、安直に「エブラーナに来い」とは言うつもりもないし。
時間が欲しいと言うのが彼の本音だった。だから、リディアが面倒なことになるんじゃないかと思いつつも仕方なく、彼もまたカイポに来たというわけだ。
それに、カイポの次はミスト。
リディアのことを好きだ好きだと口に出すからには、いつかはエッジも向かい合わなければいけないだろうミストのこと。
それを自分だけ知らぬ存ぜぬを通すつもりもなかったし、リディアがミストの様子を見てどう心が揺れるのかも当然心配の種だった。
まあ、思った以上に、ここカイポに来ただけでもリディアは色々と動揺しているようにも見えるが・・・。
「あれ?」
「うん?」
「もう出てきちゃった」
「ほんとだ。なんだなんだ、あっさりしてるねぇ。それとも、ローザ看病してたっていう老夫婦はもうろくでもしてたんかな」
「どーしてエッジってそういうこと言うのー!?」
呆れたようにリディアはそういうが、エッジは涼しい顔で答える。
「いや、だって、可能性はあるだろうよ」
「もぅ。言っていいことと悪いことがあるでしょ」
「はいはい」
リディアの言葉を軽く流しているうちに、セシルとローザは二人のもとに歩いて来た。
「早かったな」
「ええ、あのね、おじいさん、お昼前からお出かけなんですって。夕方くらいには帰ってくるっていうお話なんだけど」
「ありゃ、じゃ、夕方まで待つのか」
「夕方まで待っても、疲れているところにお伺いするのもどうかと思って」
そういったローザの気遣いは、時々エッジには「めんどくせーな」と思えるものなのだが、これまたローザという女性の優れた嗅覚は不思議なものでよく当たる。同じようなシチュエーションでも「こうした方がいいんじゃないかしら?」「おめー、この前はこうしろつっただろ」「ええ、でも今日はそうじゃない方がいいと思って」なんていう会話を今までエッジは何度かしてきた。そして、その都度それは驚くべき確率で当たるのだ。
「・・・んじゃ、どーすんだ」
「もし、二人さえよければ、今日ここに泊まっていこうかと思うんだけど・・・駄目かしら」
二人さえよければ、ということは、セシルは既に了承しているということだ。
俺は特に問題はないけれど、リディアはどうだろう・・・とエッジがリディアを見ると
「いいよ。その方が都合がいいんでしょ」
とあっさりと答える。
「リディア、おま・・・」
泊まるの嫌なんじゃなかったのか。
そう言おうとしてエッジは言葉を止めた。
セシルとローザの前でそれを言われたくないだろうということくらい、エッジにだってわからないわけではない。
「すまないね。じゃ、宿をとってくるよ。三人はカイポ観光でもしているといい」
「観光つってもなー、なんもないところじゃねーか」
「いや、そうでもないよ。カイポは日の光を遮るために大きな布を使った服やマントが多いから、色んな織物があるんだ。軽くて大きくて綺麗な布が名産で、エッジが好きそうなお店もあるよ。建物も砂漠ならではだしね」
「なんだ、詳しいな、セシル」
「一応ね、隣国といえば隣国だし」
「セシルすごーい」
リディアが感嘆の声をあげる。ちょっとばかりエッジは悔しい気持ちもあったが、ここは素直にセシルをたてようと思う。
「さすがだな。んじゃ、ぶらっといってくっか」
「うん、後から追いつくから。行ってくるといい」

セシルが言ったようにカイポの町はさまざまな織物が大きな布のままで売られていた。
ローザもリディアも「綺麗、綺麗」とはしゃいでいたけれど、実は一番お気に召したのはエッジのようだ。女二人は布から服を仕立てられるらしいが、男性服は扱っていないということでエッジは残念がる。
後から合流したセシルは、「綺麗だね」なんて言うものの、どうも布の良し悪しや、それを装飾品と共に身につけるようなこととは縁遠いため、三人が盛り上がっているのをにこにこ見守るだけだ。
予想外の買い物をして四人は夕方近くに宿に行った。
カイポの町の宿jは平屋でこじんまりとしていて、たった2部屋しか客室がない。
砂漠の中央の町のため、旅人が彷徨って辿り着くのではないかと思うが、それも数少なく、布を大量に仕入れていく商人が数日に一度一人二人来るだけだという話だ。
「今日は運がいい。相部屋にならなくてもいいみたいでね」
「そか」
三つベッドが並んだ部屋を男性用女性用とわけて借りたらしい。
セシルは以前にも泊まったことがあるため、勝手しったる宿屋とばかりに、宿屋の主人から部屋を借りると案内もされずに歩き出し、三人に部屋の場所を教えた。
荷物を部屋に置いてから、宿屋の主人に食事を頼んだ。他の町の宿屋では町の飲み屋や食事処が充実しているため素泊まりの客も多いが、砂漠は昼と夜の温度差があって夜出歩くことが皆面倒になるようで、宿で食事をする率が高い。カイポの宿屋ではこじんまりした食堂で客に食事を提供している。
慣れた風にセシルに対して宿屋の主人は
「お客さん、ここに来た事があるんですかね。こんな砂漠の町の宿に来る人間、大概覚えているもんですが、失礼ですがお客さんの顔は思い出せないんですよねえ」
と不思議そうに答える。
「ああ、以前来た時は、兜を四六時中かぶっていて、食事も部屋でしたものですから」
セシルはそう答えて照れくさそうに笑い、リディアを振り返って首を軽くかしげた。
「ね」
「そうよね。朝ご飯、お部屋に持ってきてもらったものね」
そうリディアが答えれば尚更宿屋の主人は顔をしかめる。
「お嬢さんみたいなべっぴんさんがいれば、覚えているはずなんですがねぇ・・・」
「ともかく、食事を早いところ、お願いします」
「あ、はいはい・・・おーい!お食事の準備してくれーぃ」
「はあーい!」
元気な声が聞こえる。「娘でしてね」と聞かれてもいないことを主人は教えてくれた。
「座って待って・・・いるようだね」
既にエッジがどっかりと椅子に座っている様子を見て、セシルは苦笑を浮かべた。
「そうね・・・リディア、べっぴんさん、ですって、よかったわね」
ローザはリディアの顔を覗き込むようにして笑顔を見せる。ローザからすれば、妹が誉められたような気分なのに違いない。
「えへへ・・・」
それに対して小さく照れくさそうにリディアは笑って見せた。それをエッジは「元気ねーな」と思いつつ、なんと言っていいかわからず黙ってみているだけだ。きっとリディアは何かを思っているのだろうが、その笑顔に含まれる複雑な心境は、誰一人わかるはずはない。そうエッジは思った。

おやすみの挨拶をして部屋に入り、ローザとリディアは早々にベッドに潜り込んだ。
「ローザ、窓の傍のベッドで寝ていい?あとね、ちょっとだけカーテン開けててもいい?」
「あら、月灯りが入って眩しいかもよ?」
「いいの、その方が」
変なこというのね、とローザは不思議そうにリディアを見ていたが、リディアは理由も何も言わずに窓辺のベッドを選んだ。
「風が砂を吹き込ませるから、窓は開けちゃだめよ」
「うん」
年寄りというものは夜が早く朝が早いものだ。
明日の訪問は、あまり日が高くなり過ぎていない時間が好ましい。老夫婦の一日を邪魔しなくて済むだろうという配慮だ。
さすがにエッジも「せっかく普段こない町に来たんだから遊びに行こうぜ」とは言い出さない。カイポは夜はあまり騒がしくない町なのだ。
おやすみなさい、と言って瞳を閉じたが、リディアはどうも寝付かれなかった。
眠ろう眠ろうと意識しすぎているのかもしれない。
意識しなければいいのだろうか。
(でも、眠るのがちょっとだけ怖い・・・)
誰も来るはずはないとわかっているのに。
ぎゅ、と力をこめて目を閉じる。それは祈りに似ている。
宿屋の主人がリディアをわからなかったように、きっと誰がリディアを見たってあの当時の小さな少女が今のリディアだとわかるはずもないし、なんといったってもう追っ手に追われるはずもないのだ。
それまですっぱりと忘れかけていたはずの記憶が甦る。あれから何十何百何千回と夜を過ごしてきたのに、それでもやはりこの場所に来ては、意識してしまうものなのか。
召喚士の生き残りであるリディアを狙ってバロン兵が襲ってきた恐怖、セシルに守ってもらった記憶、それからテラと出会うまでに何日か、ここでセシルと二人で寝泊りした記憶がリディアの中にはごちゃまぜになっている。
あの頃と違うのは平和になったこと、隣にいるのがローザであること、そして、自分が大きくなったこと。
それから。それから・・・。

目を開ければ隣には、自分の村を焼き、けれど自分を守ってくれた青年がいて。
リディアがごそごそと毛布の中で動けば、綺麗な瞳が開いてリディアをまっすぐに見て、「おはよう」と言う。
昼間は黒い兜の下に隠れている、物憂げだけれど整った顔立ちが小さな笑顔を見せてくれる。
ああ、この人、いてくれた。
おいていかれなかった。
よかった。
何故そんなことを感じていたのか、リディアにはよくわからない。
一度、真夜中に彼が小用で起きた時、人の気配を感じて恐れたリディアは驚いて叫んで飛び起きた夜があった。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「・・・セシル?」
深く眠るはずの子供が人の気配で起きてしまうことの重大さを、あまりセシルはよくわかっていなかったのだろう。暗闇の中でも、いつもの彼らしく少しのんびりとした穏やかな口調で答えた。
「驚かせたね。すまない」
「・・・」
「リディア?」
黙り込むリディアを心配し、慌ててセシルは枕もとに置いてあるランプに灯りを灯した。
温かな橙色の光に照らし出された、既によく知ったその顔を見て、リディアは安堵のあまりか、突然湧き上がってきた声を抑えることが出来ずに泣き出した。
「・・・うわあぁぁーん!」
「ご、ごめん、そんなに驚かせちゃったとは思わなかったんだよ」
また、誰かが自分を狙ってきたのかと思った。
違うとわかれば、今度はセシルが自分をおいていくのかと思った。
そうではないと知りながらも、一度一瞬で心の中に広がった「一人になったのではないか」という不安に押しつぶされ、リディアは泣き続けた。一度生まれた感情に対して、遅れて心が動くのは子供特有の現象だけれどセシルがそれをわかろうはずもない。
リディアは子供心にも、今の自分にはこの人しかいないのだということがわかっていた。
声をあげ、しゃくりあげて、涙でシーツを濡らして。
子供の扱いに慣れていないはずのセシルは、困ったように、しかし、それこそほかに術を知らないように不器用にリディアをなだめた。
筋肉質で、顔に似合わず太い腕。大剣を振るうために鍛え上げられた男の腕に抱えられた。
父親の腕なんて、覚えていない。
リディアが知っているのは、母親の白くて細い腕だけだ。
それでも彼女を守ろうとしてくれている、彼女を安心させてくれる腕だということは確かだったし、リディアは夢中になってしがみついて泣いていた。
泣き疲れて彼の腕の中で眠ってしまった、最初で最後の夜。
そこまでは覚えていないけれど、それは多分、今日セシルとエッジが眠っている部屋での出来事だったに違いない。

眠りの中、リディアは人の気配を感じた。
怖い。誰かが、動いてる。
いつもならば人の気配を感じても、「ローザかな」くらいでなんとも思わず、リディアはまた夢の中に戻っていってしまう。
だから、大丈夫。今、自分は寝ぼけているんだもん。ローザがちょっと動いてるだけだよ。
そう思いつつも「でも、もしかして」という根拠のない恐怖に駆られてリディアは起きようとした。
起きられない。
怖い。
夢と現実の間でリディアはもがいた。
自分の腕をあげているつもりなのに、あがらない。体を起こしているつもりなのに起きられない。
誰?と声を出そうと振り絞るけれど、吐く息がつぶれたように漏れるだけだ。
呼吸が苦しい。ばくばくと心臓が鳴っている気がする。
どうしよう、本当はローザじゃなかったら。
(・・・助けて!!)
そう強く念じた途端、ふっと息が軽くなった気がした。夢から自分が解放され、体がようやく自分の思い通りに動けるようになったのがわかった。
「はあっ!?」
大きく息を吐き出しつつリディアは目を開けた。数回瞬きして、自分がきちんと目覚めたことを確認をする。それから毛布を跳ね除けて体を起こすと、部屋の中はしんと静まり返っていた。
「・・・はぁぁ・・・夢かな・・・」
自分はうなされていなかっただろうか。
隣にいるローザに迷惑をかけていなかっただろうか。
そう思って目を移すと、隣に眠っているはずのローザの姿がない。
「・・・あれ?」
窓から差し込む月明かりを頼りにきょろきょろと見回すと、ローザが眠る前に羽織っていたケープがない。小用に出たのかとも思ったが、そっと窓を開けると、少し離れたところにローザらしき人影をみつけた。
(どうしたのかな)
余計なことかと思いつつ、リディアはベッドから降りてショールを羽織った。
以前部屋着のまま平気で歩いて、ローザにえらく怒られたことがあったため、必ずそういう恰好のときはそれを隠すようにせめて上半身は羽織るように癖をつけている。
宿を出ると、すぐ近くにローザの姿が見えた。砂漠の夜は思いのほか冷えて、出しっぱなしのリディアの足は涼しさに軽く鳥肌がたる。
「ローザ」
近付きながら声をかけると、驚いたようにローザは振り返る。
「あ」
「ローザ、どうしたの?・・・眠れないの?」
「あのね」
ローザが心配そうにリディアに言う。
「おばあさん達のおうち・・・灯りが、こんな時間でもついたままなの」
「あ、ほんとだ」
「・・・ちょっと心配で」
リディアは慌てて空を見た。月がわずかに欠けた中途半端な形のまま高々と町を照らし出している。
「それにね、玄関のところのランプもつけてるでしょう。あれ、夜、人が帰ってくるのを待っている証拠だと思うの」
「ってことは、おじいさん、まだ帰ってきてないってこと・・・?」
「・・・かと思って」
そう言ったローザは少しだけ苛立った表情を見せていた。
砂漠は昼は暑く、夜は冷える。
昼前にでかけて夕方には戻るはずのおじいさんは、ちゃんと準備をしていったのだろうか。
二人が不安そうに老夫婦の家の灯りを見つめていると、不意に、その部屋に灯っていた灯りが消えた。

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