あなたの腕-2-

乾いた小さなノックの音に、セシルよりも先にエッジは気付いて目を開けた。
「誰だよ」
「エッジ?わたし」
ローザにしては珍しい、か細い声がドアの外から聞こえる。エッジは音を立てずにベッドから降りて、静かにドアを開けた。
そこには、きちんと身支度を整えて、既に道具袋までも持っているローザの姿があった。なにやらこれは怪しい雲行きだぞ、とエッジは眉をぴくりと動かすが、そこはさすが年長者、軽い調子で言葉をかける。
「どうした、こんな時間に。まさかセシルを夜這いにでも来たわけ?それにしては重装備だな」
「バカ」
あまりに下品で単純なエッジの言葉にローザは冷たく言い放つ。バカはねーだろ、とエッジは言おうとしたが、珍しく険しいローザの表情に気圧されてエッジは黙った。彼の茶化しにはのらずに、そのままローザは早口でまくし立てる。
「あのね、おじいさんが、帰ってこないんですって」
「は?」
「今、リディアがおばあさんをなだめてくれてるんだけど、もう、心配で。それで、探しに行こうと思って。わたしとセシルはおじいさんの顔知っているから、セシルにも助けて欲しいの」
「おいおい、ちょっと待て、話落ち着いてしてくれや、言ってること、全然わかんねーぞ」
さすがにそこまで話を聞けば、困ったことになっているらしい、ということだけはわかる。が、おじいさんが帰ってこないと言われてもエッジは直接その老夫婦を知らないし、どんな会話を今日彼らがしてきたかも断片的にしか聞いていないのだ。
「心配してんのはわかったけど」
エッジにそう言われて、ローザはひと呼吸おいた。そのおかげか、声音がわずかばかり落ち着き、言葉を出す速度も緩やかになった。
「あのね」
「うん」
「おじいさんがね、砂漠で凍えているんじゃないかと思って。近くの洞窟にある石を取りにいったらしいの」
「石」
「そう。綺麗な石を集めて、砕いて小さな瓶に入れるんですって。それ、ここらへんのお守りなのよ。あのお二人はそれを作って生計立ててるの。いつもなら夕方前に戻ってくるんですって。でも、戻ってきてないの。夜まで待って、結構な時間になっても戻らないからね、おばあさんがたまらず探しに行こうとしてるのを、わたしとリディアが偶然みつけて止めたんだけど・・・朝まで待つのは、逆におじいさんの体には危険かと思って」
「で、おめーが探しに行こうと」
「そう」
ようやくわかった、とエッジが少し考えるように黙った途端
「僕が行くよ」
「セシル!」
二人の声がひそひそと聞こえれば、セシルだって起きないわけがない。ベッドから上半身を起こして、起き抜けにしてはすっきりした声でセシルが会話に割り込んだ。きっともう少し前に気付いていて、静かに話を聞いていたに違いない。なかなかやるな、とエッジは軽く左肩をあげた。
「探す人間がばらばらで動いても、おじいさんを見つけたら伝える手段がないだろうし、なんといっても夜だからね。下手に手分けしない方がいいと思・・・」
「でも」
ローザにしては相手の言葉に割るようにして反論をした。彼女のわずかな焦りがそのタイミングでセシルにもエッジにもわかる。ローザは真剣な話なら真剣なだけ、他人の言葉が終わる前に自分の主張をする人間ではない。
「夜だから、やっぱり一人は危ないと思うわ」
「・・・わーったよ。お前ら、二人で行ってこいや」
エッジは振り向いてセシルにそう言った。セシルは頷いてベッドから降り、枕もとのランプをつける。
「もし、行き違いでじーさんが戻ってきたら、一応狼煙は上げて、俺がお前ら迎えに行ってやるからよ。そういう可能性だってあるだろ?」
「確かにそうだね」
「俺がじーさんの顔知ってりゃローザを行かせたくねーんだけど・・・ああ、でも、そうでもないか。どうせ、行きたいって、駄々をこねるんだろ?」
エッジはお次はローザを振り返る。
行き倒れたところを助けてもらった恩があるローザは、きっと待っているなんてことは出来ないのだろうとエッジにもわかる。彼はその当時のことをよく知りはしないが、セシルを追ってバロンからカイポまで単身やってきたのだと聞いた。それほどの女性ならば、自分の足で恩人を助けたいと思うのだろうし。
「ありがとう、エッジ・・・おばあさんに、おじいさんがいつもどの辺りを歩くのか聞いておいたから、探しやすいと思う。申し訳ないけど、お願いね」
「申し訳なくねぇよ。困った時はお互い様だろ?ん?」
「・・・ありがとう」
ローザははにかんだ笑顔でエッジに礼をもう一度言った。たまにしおらしいローザを見るのはなかなかいいものだ、とエッジは思う。
ああ、まったくもって。
なんでこういう女に惚れないんだ、俺は。
エッジは苦笑をしつつ、自分も出かける仕度を始めるのだった。

「夜分、ごめんよ」
エッジはセシルとローザが砂漠に出かけるのを見送ってから、灯りが灯っている老夫婦の家に訪れた。
カイポの町は、どの家屋も似たり寄ったりであまり特徴がないけれど、住んでいる人間と同じ年数重ねたわけでもないだろうに、なんだかその家もかなり古びた建物だとエッジは思う。
もしも運良く砂漠から老爺が一人で戻ってきたら、ということを考えて、彼もまた、いつ砂漠に出かけてもいい恰好だ。リディアもそれを一目でわかったらしく、少し驚いた表情を見せる。
「エッジ」
「セシルとローザが探しに出かけたから、安心しな。ばーさん、心配しないで寝たらいい」
「あんたもこの子のお仲間なのかい?ローザちゃんのお友達?」
カイポの町の中でも、夜は思いのほか涼しい。それに、家の壁にはひびが入っている部分もあって、何かを流し込んでひびを埋めているのが見えた。きっとどこかに埋め漏れている部分があるんだろう、とエッジは気づく。室内にいるのに空気がどこかから流れているのが彼にはすぐにわかったからだ。
老婆は温かそうなショールを肩と膝にかけて椅子に座り、不安そうに何度も瞬きをしてエッジを見上げた。
「ああ、お仲間さ・・・おい、リディア、宿に帰るぞ。赤の他人がこんなときに一緒にいたって、ばーさんも困るだろーからな」
「えーっ、一人だと不安にならない?」
「知らない人間がいる方が気ー使うってもんだ。ホレ、お前だって飲み物なんか出してもらって気ぃ使ってもらってるだろ、な?」
「そっ、そっか・・・」
石造りのテーブルの上には、お世辞にも綺麗とはいえない年季が入ったカップが並んでいた。
一人で待つのは確かに不安だし寂しい。それはよくわかる。かといって、今日始めてあった人間と一緒にいれば、眠い時に眠れない遠慮や気疲れもあるに違いない。そういった配慮はさすがにエッジの方が細かい。リディアはリディアなりに考えてはいるものの、人間社会で過ごした年数の少なさ、経験不足は否めない。それをエッジは責めるわけでもなく、リディアがしょげないように気を使いながら教えてやる。残念ながら彼のその気の使いようはリディアにはわからないわけだが・・・
「気は使っていやしませんよ。でも、お嬢ちゃんはもう眠った方がいい時間だしね。あたしに付き合わせるのも申し訳ないってもんだから」
「そ、そうですか。ごめんなさい、わたし、もぅ、気が利かなくって」
「そんなことないですよ、ありがとうね。初めて会ったばっかりのおばあちゃんにこんなに気を遣ってくれて、本当にありがたかったですよ。ちょっとは気が紛れたしね」
リディアは老婆をしばらくみつめてから「いいえ」と小声で答えた。その間が一体なんなのかエッジは少しばかりひっかかったけれど、リディアも眠たいのを我慢でもしているんだろう、と軽く流した。
「ばーさん、安心していいぜ。あのローザは凄腕の白魔法使いだからな、あんたの旦那がちょっとやそっとの怪我なんかしていても、軽傷程度にしてくれるに違いねーし、病気とかの知識もあるからさ。一緒にいるセシルのヤローも、なよっちく見えるけどあれでなかなかの剣の使い手なんだ。ま、俺にはおよばねーけどな」
エッジはそう言ってわざと明るく振舞う。リディアは呆れたように、それでもくすりと笑った。
「うわー、エッジ、都合いいこと言ってるわね!」
「ははは。ま、ともかく安心しろってこった。そいでな、もしじーさんが一人で帰ってきたら、宿にいる俺んとこに知らせに来てくれっかな。そしたら、あの二人を連れ戻しに行くから」
「わかりましたよ。ありがとう、本当に、ありがとうね。お嬢ちゃんも、一緒にいてくれてありがとう」
人のよさそうな老婆は何度もありがとうと繰り返す。
「きっと、ローザ達がおじいさん見つけてくれるから、大丈夫よ!」
リディアは老婆の手を握った。
自分の手も小さいとリディアは思っていたが、こうやって握ると老婆の手もとても小さいとわかる。
自分より年が上の人は、誰もかれも自分より大きな手を持っていると思っていた。それが間違いなのだとリディアは驚いた。
もしかして、お母さんの手も、今のわたしよりも本当は小さいのかしら?そんなことを一瞬思ったけれど、考えても答えが出るはずもないその気持ちを振り払う。
それから、老婆の小さな手をぎゅっと力強く握り締めて、リディアは精一杯笑顔を見せた。
「風邪ひかないように、温かくしてね」

お前は寝ていろ、とエッジに言われて、かなりの間駄々をこねていたけれど、結局リディアは部屋に戻ることになってしまった。エッジが二人を迎えに行くことになったら自分も行く、とか、二人が戻ってくるまでわたしも待つ、とかエッジに言ったけれど、エッジは「いーから寝ろ」の一点張りだった。リディアはそうとはわからなかったけれど、エッジはエッジで昼間に少しくたびれた様子だったリディアの体調も気にしていたのだ。
「あーあ・・・わたしだって、役に立ちたいのになぁ・・・」
それに。
リディアは仕方なくベッドに潜りこんだものの、嫌な夢を見て目が覚めたことを覚えていた。
なんとなく眠るのが嫌だと思える。
誰もいない、ローザが出て行ってしまった空っぽのベッド。
記憶の隅にある、どことなく見覚えがある部屋−以前泊まった部屋が隣だろうと、そうそう部屋の形が違うわけではないし−に一人でいる自分。
(・・・おばあさんのところにいる時は、思い出さなかったのに)
一人だと不安にならない?
何気なくエッジに言ったそれは、もしかしたらリディア自身の気持ちだったのかもしれない。
自分は老婆の役に立ちたいと思って一緒にいた。少しでもおばあさんの気持ちが紛れたらいいと思って、話をしていた。でも、それは老婆のためだけではなくて・・・。
この部屋を見ていると不安になってしまうのかも。そう思ってリディアはぎゅっと目を閉じた。瞼の裏に、黒いけれど真っ黒ではない不思議な濃い灰色が広がり、そこにちらちらと小さな光が見える。窓から差し込む月明かりがまぶたを通して見えるのだろうか?まるでその灰色の世界に吸い込まれるように思えて、リディアは必死に違うことを考えようとした。
ローザはこの町の入口で倒れていたと聞いた。
幼い頃の記憶はあやふやな部分もあるが、リディアは足を取られるように砂漠を歩いた記憶がある。
よろよろと歩いているときに、一緒にいた青年は手を伸ばして幼いリディアの小さな手を握ってくれた。
それでもまた足を砂にとられてふらつけば、何度か抱き上げて歩いてくれた。
が、それすら怖いと嫌がるリディアを、仕方なく彼は降ろしてリディアの歩調に付き合った。
今ならわかる。
あの時、どう考えたってセシルはリディアを抱きかかえて歩く方がありがたかったのだ。けれども、まだリディアには彼に対する警戒心があった。
意地になって一人で歩こうとした。そして、倒れたのだろう。
(・・・握られた手も、抱き上げられたのも・・・なんだろう。嫌だった気がする)
はっきりとは覚えていない。
けれど、砂漠を二人で歩いた記憶はリディアにとっては「なんだか嫌」な記憶として残っていた。「懐かしいな〜」なんて風に呑気に思い出せない、不快感と共に湧き上がる曖昧な記憶。
歩かなければ、町に行かなければ生きていけないと、本能ではわかっていた。それでも、共にいる青年との間には、どうにも越えることが出来ない隔たりがあって、触られることも声をかけられることも嫌悪の対象だった。
触らないで。
お母さんのこと殺したくせに。
降ろして。
人殺し。
「!」
突然鮮明に思い出される記憶に驚いて、リディアは飛び起きた。
・・・飛び起きた気になっただけだ。体はまた眠りに入っているようで、夢と現実を彷徨っているリディアの思い通りには動いてくれていない。
嫌だ。
一人は嫌だ。
誰かが来て、連れていかれてしまいそうだ。
あの時、助けてくれたセシルは隣にいないし、ローザだっていない。
それに。
自分はあんなにひどいことを砂漠を歩いている最中にセシルに言い続けていたのだと思い出してしまった。謝らないといけないとも思う。
旅の間にしまいこんでいた色々な感情や記憶が、まるで何かのスイッチが入ったかのように次々にリディアの頭に流れ出すようだ。
知らなかった。
ちょっとだけここに来るのは嫌だと思っていたけれど。
どうやら思っていた以上に、たくさんのことがこの町の夜に誘発され、湧きあがってくるようだ。

エッジはいつでも出かけられるように、ランプは灯したままで体をベッドに軽く横たえた。わざと枕に一枚たたんだ毛布を重ねて、完全には横にならないようにしている。
もともと先ほどローザが来た時にすぐに気付いたように、彼は眠りに入ってもすぐに起きることが出来る。
灯りを灯しているのは、「起きているぞ」というアピールで、戻ってきたセシルなり、呼びに来た老婆に気を遣われるのが嫌だからだ。部屋の一箇所にでも灯りをつければ、ドアの下からわずかにそれが通路にもれる。
ぎし、と通路の床がきしむ音に気付いた。
「・・・?」
おぼつかない足取り。
「ばーさんか・・・?」
にしては早い。
(そんなに早くじーさんが戻ってきたなら、セシル達とちょーど出くわすだろーし)
となれば、誰がこの部屋に向かってきたのかはすぐにわかる。
小さな控えめなノック。
ローザが来た時よりも、小さくてかすかな音がエッジに耳に飛び込んで来た。
「・・・リディアか?」
ほどよい声量でエッジはドアの外にいる人物に呼びかけた。それに対する返事はどことなく怯えているように聞こえる。
「う、うん」
きぃ、と音をたててリディアはドアを開けた。通路に数箇所掛けられている、ぼんやりと足元を照らすためだけにある灯りが、ドアの隙間から見えるリディアの横顔をほのかに照らす。泣きそうな顔をしてるな、とエッジは思うが、ぶっきらぼうに声をかけた。
「どーしたよ、入れよ」
「・・・お邪魔しまーす」
やっぱ、元気がねぇな。そう思ったけれど、それもまた言わずに黙っていた。リディアはおずおずと部屋に入り、ぱたりとドアを丁寧に閉めた。
「なんだ、眠れないのかよ」
「うん」
一緒に自分も行く、と駄々をこねに来たのかと思えば、リディアは木綿の寝間着姿に爪先をひっかけた革サンダルといったいでたちだ。
「ほれ、ここ」
「うん」
「なんだなんだ、ん?」
ぽんぽん、とエッジはセシルのベッドの縁を叩く。そこに大人しくリディアは腰をかけた。
(いつもなら、おいおい、よーやくその気になってくれたかってなとこなんだが・・・)
「黙ってたら用はわからねーぞ?」
「エッジ、ローザ達が帰ってくるまで、わたしここで寝たら駄目?」
「・・・ちょい待て待て」
「駄目?」
(こいつ、自分で言ってることの意味、わかってんのかよ)
エッジは曖昧な表情をリディアに向け、答えをすぐに言葉にすることを躊躇していた。
困惑気味のエッジを見てリディアはどう思ったのかはわからないが、さっさと靴を脱いでベッドに潜り込む。
「一人で眠れないのか」
「うん」
「なんで」
「ごめんなさい」
「何謝ってるんだよ」
「迷惑かけて、ごめんなさい、エッジ」
「・・・うーーー」
そんなしおらしいことを言われても。
枕に広がる緑の柔らかい髪が、ランプに照らされていつもと違う色に見える。
エッジの答えを待たずにそんな風にリディアが強引かつ静かに、自分が望むことをゴリ押しすることなぞ滅多にないことだ。
「なんだよ、セシルの布団で寝たいのか」
「そうじゃないわよ」
「じゃーなんだよ」
「・・・こっち、セシルのベッドなの?」
会話が一往復してから、ひとつ前のエッジの言葉に反応するリディア。「ああ、そうだ」とエッジがぶっきらぼうに言うと、リディアはむくっと起き出して、革サンダルを踏んづけながらベッドから降りると、今度はエッジが座り込んでいるベッドに潜ろうとする。
「なんなんだよ、おめーは!」
「こっちがいいの」
「はいはい、わかりましたよ、お嬢ちゃん」
先ほどの老婆の言葉を借りるようにエッジはそういって、腰を浮かせて毛布をリディアに解放した。それから「寝るならしょーがねーな」と呟きながらランプを消そうと手を伸ばすと、それにはリディアが制止の声をかける。
「暗くしないで」
「なんで。お前、明るいの好きじゃないんだろ、眠りづらいって前言ってたじゃねーか」
「いいの。明るい方が」
「さっぱりわからねー」
エッジが手を戻した様子を確認して、リディアはあっさりと
「おやすみ、エッジ」
なんて言ってもぞもぞと毛布に潜っていった。
「なんなんだよ、お前は!!」
エッジはもう一度同じことを言うが、リディアは黙って毛布を頭からかぶってしまう。
毛布からはみ出した柔らかな緑の髪が枕にかかる。顔も体も見えないくらいにリディアは毛布の中で縮こまっていた。
(色気も何もあったもんじゃねーな)
エッジは仕方なく隣にあるセシルのベッドの縁に腰をおろし、珍しく強引すぎるわがままを押し通したリディアを見ている。
一人で眠るのが嫌だなんて子供じみているもんだ、と心の中で呟いた。
(子供じみている・・・か)
なるほど、確かにそうだ。子供といえば子供なのだろう。今も昔も。
以前この町に来ていたときのリディアはまだ子供だったに違いない。
それは、どういう気持ちなんだろう、とエッジははみ出している緑の髪を見つめて彼なりに思いを巡らせた。
ああやって老婆はローザやセシルのことを覚えているようだったけれど、リディアのことは知らないような口ぶりだった。エッジはリディアから、それが本当かは聞いていない。ローザやセシルが何も言わないのは「リディアは子供だったから忘れているだろうし」という意味かもしれないし、そうではないのかもしれない。
エッジ自身は根掘り葉掘り人の過去を聞き出すような人間ではないから、以前カイポに来た時になにがあって、その時は誰がいて、何泊して・・・なんてことをいちいち聞こうとも思わないし、聞いたって覚えていられる自信はない。

−−初めて会ったばかりのおばあちゃんに−−

「あ」
そうか、あの間は。
エッジは目を細めて、たまに毛布の中でかすかに動くリディアを見つめた。
もしかして、みんなが思っている以上に、リディアはこの地での記憶はきちんと持っているのではないだろうか。
・・・それは一体どういう気持ちなのだろう。
子供の頃に出会った人々、一人一人に「わたしはあの時の子供だよ」と言って廻らなければわかってもらえない、リディアのその気持ちは。
代わってやることも出来ないし、理解出来るとも到底思えない、誰一人として知ることが出来ないだろうその気持ち。
もちろん、そんな特殊な事情はリディア一人のことではない。月の人間とこの星の人間の血を半分ずつもらっているセシルの気持ちだってわかりやしないけれど。
(エブラーナ王子っつう立場だって、本当は特殊っちゃー特殊だしな。誰だってお互い様だ。お互い様だけどよ・・・)
自分だって幼い頃から「なんで俺が」とか「好きで王子に生まれたわけじゃねぇ」とか、自分の境遇に対して不満をぶつけてきた。少し大人になれば、そんなことは大したことではなかったし、自分一人だけが特別というわけではないのだと理解出来るようになって、自分は楽になったと思う。
エブラーナ王子という立場は、今のこの世界では確かに自分一人きりだ。
けれど、誰でも自分だけに決まっていて「みんなはこうなのに」と思うようなことが、何かひとつやふたつ誰にだってあるものだと。
常日頃そう思っているエッジからしても、正直なところ、セシルやリディアの境遇は類が違うように思える。もともとの思考が「そう」であるからこそ、「ちっと違うな」と思う相手のことが殊更に心配になってしまうのは、もうどうにもならないことなのだろう。しかも、それが惚れた女ならば当然だ。心配するなという方が無理というものだろう。
(心配してる顔なんて、したかねーけどよ)
エッジはリディアの頭部に直接灯りがいかないように、そっとランプの位置をずらした。
「ん・・・」
それに反応したのか、それとも暑いのか、軽く寝返りをうってリディアは顔を毛布から出した。一緒に左肩も出る。顔はともかく、肩は冷えてはいけないだろうとエッジは気にかける。
「エッジ、寒いの」とかいってリディアが誘ってくれないか・・・なんていう大人気ない妄想もわずかに思い描いたが、そんなことを思う情けない自分にエッジは呆れた。それから、少し身を乗り出してリディアの毛布−とはいえ、それはエッジが先ほどまで使っていた毛布なのだが−を掛けなおしてやろうと手を伸ばした。
その途端に
「いや!!」
「うわっと!」
リディアはまるで弾かれたような勢いで毛布の中から飛び起きた。エッジは驚いて、伸ばした手を引っ込めて声をあげる。先ほどから何かに手を伸ばせばその度にリディアの制止の声が飛んできて、エッジはなかなかままならない。
「リ、リディア、なんだ、お前起きて・・・」
いたのかよ、と続けようとした言葉がエッジの喉元できゅっと止まり、その代わり彼は息までも「ひゅう」という小さな音を立てて飲み込んだ。
起き上がったリディアはしばらくまばたきもせずにエッジの顔を見ていた。大きな瞳が、今まで眠っていたとは思えないほどに見開かれている。少しだけ荒い息の音がエッジの耳に届き、エッジの眉は険しく寄せられた。嫌な音だ、と彼は思う。
それから、胸元を抑えている手のわずかな動きで、リディアの胸が早く上下している様子が見てとれた。
「・・・どうした、リディア」
「・・・あ・・・」
その声は、たまたま開いていた口の形の音がそのまま出ただけのようにエッジには聞こえる。意味がない言葉だ。
「リディア」
「あー・・・ああ・・・」
「リディア」
リディアは、まるで憑き物が落ちたかのように我に返り、肩の力を抜いて手を下ろした。
「エッジだったんだ・・・よかった・・・」
「どーした。おい、笑ってんのか、泣いてるのか、怒ってるのかはっきりしろよ・・・」
また怒られるか、と恐る恐るエッジがリディアに手を伸ばしても、今度は何も言われない。
そっとリディアの頬に手を当てると、いつもなら「何触ってるのよ」と言われるところだが、リディアは小さく息を吐きながら、安堵の声をあげた。
「あー・・・バロンの・・・兵士がまた来たのかと・・・」
切れ切れだが、その声音は強張っていないとエッジはわかる。
このカイポでバロンの兵士が、ミストの村の召喚士の生き残りであるリディアの命すら狙ったということはエッジも知っていることだ。リディアの口から出たその単語が示す意味を彼は追求せずとも理解する。
「バァカ、んなわけねーだろ。大丈夫か、お前。どうしたよ、息、もう整ったか・・・」
「息・・・?」
「ああ。・・・呼吸、落ち着いたか」
「呼吸がなぁに?」
リディアは不思議そうにエッジの顔をみつめた。怒られないうちに、とそっとエッジはリディアのなめらかな頬から手を離す。灯りに照らされたリディアの頬は柔らかいオレンジ色に染まっていて、それだけでとても体温が高そうに見える。
まるで手のひらに残ったリディアの温もりを覆うようにエッジは拳を握り締めた。
「・・・いや、なんでもねーよ、自覚がないなら、別にいい」
既にリディアは、何故自分が飛び起きたのかをよくわからなくなっているのかもしれないな、とエッジは思う。夢に飛び起きても、夢の内容を忘れてしまうようなものかもしれない、とエッジは勝手に想像して納得することにした。リディアは確かにバロンの兵士、と言葉にしていたけれど、そんなことは思い出さなくて済むならばそれに越した事はないのだ。
「・・・ごめんね、急に飛び起きて、びっくりさせちゃった?」
「びっくりさせましたよ、お嬢ちゃん」
「もぉ、なんでそんな言い方するのー!?」
「びっくりして当たり前だっつーの・・・おら、さっさともう一回毛布に潜れよ」
エッジは少し強引にリディアの毛布をひっぱて、上半身起こしたままのリディアの頭にわざと被せた。
「きゃ!」
「起きてこっちの部屋来て、セシルのベッドいって、俺のベッドにきて、毛布頭までかぶってもぐって、目ーさまして、まったくおめーは忙しいんだよ」
わざわざそんな風に説明口調で言うのは、リディアをおとなしく眠らせるためだ。さすがにここまで言えばリディアも「迷惑かけてるかも」と思って静かになるに違いない。いつもはこういうやり方はエッジは好きではないが、どうも様子が違うこういったときは無理強いをするに限ると彼はよくわかっていた。
「えー・・・確かにそーだけど、そんな風に言わなくたっていーじゃないー」
もごもごと反論しながらリディアは頭にかぶせられた毛布をずるずるとひっぱり下ろした。それから上目づかいでエッジを見ると、それまで呆れた様子だったはずのエッジが、にやりと口端を小さくあげる。
その顔は、リディアは好きだ。
リディアをからかう時にも、優しくする時にも、エッジ自身が嬉しい時にも時々見せる、彼独特の笑みだ。
「さっさと寝ろよ」
それだけではない、とリディアにもわかる言葉。わずかの間エッジをリディアは見つめていた。その視線に気付いて、エッジは少しばかり肩をすくめ、最後に一言つけ加える。
「なんかあったら、お前の力も借りるから、それまで休んでおけ」
その口調の優しさに、リディアはなんだか安心して「うん」と小さく答えると、言われるとおりに毛布を掛け直し、横になって眠る体勢を整え始めた。


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