あなたの腕-4-

エッジが目覚めたのは、まだ朝と呼べる時間だった。
昨晩の睡眠時間は彼にとっては十分すぎるほどだった。いつもは浅く眠る彼ではあったが、あんな風に好きな女が隣にいるのに浅い眠りでは、彼女の寝返りのたびに目が覚めてしまってしようがない。何も危険はないだろうと深い睡眠をとってエッジが目覚めたのは、まだ朝と呼べる時間だった。
(ま、なんかあったらあってでその時は気がつくけどな)
そういう訓練が身についていること自体が、リディアが恐れる「人間界」の状況を嫌というほど表しているのだということを、当然彼が気づいていないはずがない。何故戦うのか、という目的なしで修行を続けられるほどエブラーナの忍びの修行は甘くない。
「にしても、どーこいったぁ?」
リディアがもぞもぞと動いて、彼より先に起きて部屋を出た気配は気づいていた。
手洗いかと思ってあまり気にもしていなかったが、いつまでたっても帰ってこない。
第一リディアは隣の部屋に荷物を置いていたのだろうから、外に出かけるにも服を着替える必要が・・・
「・・って、おい、俺のマント、ねーじゃねーか!」
世話が焼けるお姫様だ。
エッジは舌打ちひとつすると、慌ててシャツを羽織って部屋を飛び出た。
まだまだ彼には修行が足りないようだ。

外に出たとなれば行き先はわかっている。老夫婦の家に決まっている。
いくら考えなしとはいえ、老夫婦が起きているかどうかを伺うくらいは出来るだろうから、無理な訪問はしていない・・・と信じたい。
エッジは苦々しい表情で例の家に向かって歩いていた。
「お」
今日は風がちょっとばかり強い。
エッジは巻き上がる砂を防ぐために咄嗟に目を閉じた。様様な土地に順応できるようにそれなりの修行はしてきたけれど、エブラーナに砂漠はない。こんな乾いた、砂が舞い上がる場所は彼も得意ではないのだ。
立ち止まって風が落ち着くのを待ち、ようやくそっと目を開けると、老夫婦の家から老婆とリディアが出てくる姿が見えた。案の定、リディアはエッジのマントをつけていたが、それは大きすぎて肩首あたりに不必要にしわが寄っていてぐちゃぐちゃになっていてお世辞にも似合うとはいえない状態だ。
「おー・・・」
い、リディア、と声をかけようとした途端、また風が吹き、足元の砂が軽く舞い上がる。わ、と声をあげて、けれども今度は目を閉じずに両腕で目の上下に覆いを作って防いだ。
まったく。乾いた土地はこれだから余計マントが欲しいんだ。それなのに・・・と、エッジは思う。
そのまま老夫婦の家近くまで歩いていくと、会話が耳に飛び込んできた。
「こすっちゃいけませんよ」
「だって〜・・・」
鈍臭い。
そう言いたくなる気持ちをエッジは抑えた。どうやらリディアは今の風で砂が目に入ったようだ。
(あんな長いまつげがあるくせに、なんで役にたってねーんだよ・・・)
そう思うと少しばかり口元が緩む。
「リディア、大丈夫か」
「あ、エッジ・・・?いたたたっ!ううー、目、痛いよ」
エッジの声を聞いて目を開けようとしたリディアだったが、半目開きをするとすぐさままた目を閉じた。エッジが軽く老婆に会釈をすると、老婆も会釈を返した。
「砂入ったのか」
「うん・・・うん、大丈夫になったかな・・・」
何度も何度もまばたきをして、目を軽くこすり、出てきた涙を甲で拭う。
「目が赤くなってるから、後でようく水で洗いなさいな」
「はぁい」
リディアははにかみながら、赤い目を老女に向けて返事をした。それから振り向いて
「エッジ、どうしたの?」
「どーしたもこーしたも。お前が俺のマントもってくから、どこに何しにいったのかと思ったんじゃねーか」
「あっ、そうだね。ごめんなさい。部屋に戻ったらローザ達を起こしちゃうかと思って」
それは駄目でもエッジのマントを無断で借りることはOKなのか。エッジは苦笑いを浮かべた。
「じゃあね、お嬢ちゃん。みんなで分けて頂戴ね」
「あっ、はい。ありがとう。それじゃあ、また!」
「んじゃ」
来たばかりではあるが、エッジは別に老夫婦に用事があったわけではない。リディアが無茶なことをしていなくて、人に迷惑をかけていないならば、それでいい。
彼の軽い挨拶に小さく頷いて、老婆は家に戻っていった。

「うわっぷ!」
再び風が吹いて、砂が巻き上がる。
「エッジ、大丈夫?」
砂が落ち着くまでは目をつぶっていたけれど、リディアは案外平気そうにエッジに聞く。エッジは衣類についた砂をぱんぱんと手で払い落としながら、意地悪げにリディアに言う。
「お前はマントにくるまってていーかもしんねーけどな」
「うー。だって、この下寝間着なんだもんっ」
「人のマント、そんなしわくちゃにしといて、開き直るなっての」
「ごめんなさい」
「謝る気があるんなら、マント返せよ」
「えー!だってー」
「砂舞い上がって俺も困ってンだよ」
リディアは困惑の表情を浮かべてエッジを見上げた。簡単に「やだ」というのも自分勝手に思えるし、「いいよ」と返せば自分は寝間着なのだし。「やだ」といって、一気に宿屋まで走って行くのも薄情に思える。
「うーー、ん。謝るけど・・・許して」
エッジは何もかもリディアに甘いわけではない。許してはいけないことは、リディアがどんなにしょげ返っても怒らなければいけないと知っている。が、当然この程度のことは別段なんとも思ってはいない。
それでも、この「許して」がリディア本人が思っている以上に本当は効力が強くて問答無用の切り札であることを、今までの経験でエッジは嫌と言うほど知っている。だからこそ、小さく溜息をついた。
「そうきたか。お前はほんっと、ずりーよなー」
「ずるいかな」
「だったら、せめて」
「なぁに」
「一緒に使う?くらい聞いてくれよ」
「ええっ!?何を!?」
「マント」
「えーっと・・・じゃ、一緒に使う・・・??」
「使う」
「きゃーーーーーーー!」
エッジはリディアからマントをはぎ取るふりをした。リディアは慌てて逃げようと走り出す。
そこで逃げられるというのも、なんともせつない話だ。
(どーしてこんなところは無邪気な子供のままじゃねーんだよ。夜中に男の部屋に来るくせに)
多分、寒いときに「マントに入るか?」と言えば素直に「うん」と答えるのだろうに。

宿に戻ると、セシルとローザはようやくお目覚めのようで、ノックをすれば寝ぼけた返事が聞こえた。エッジとリディアは仕方がない、と彼らが寝た部屋に戻った。エッジはリディアからマントを剥ぎ取る。リディアは「ありがとう」と言うと呑気にベッドの上に飛び乗って、寝間着の腰にくくりつけておいた小さな布袋を開いた。
「これ、分けなきゃ」
「みんなで分けるって、なんだよ」
「あのねぇ、お守りもらったの」
そう言ってベッドの上に中身を広げる。
それは、あの老夫婦が生業を立てているという、このカイポの工芸品である小さなお守りだ。
リディアの小指の長さほどもない小さな瓶の中に、砕かれた石がたくさん入っている。そして、瓶の口には美しい糸−その糸もこの辺りでの名産物なのだが−で編まれた紐が何重にも絡んでいる。その糸の先は、瓶の両側に長く二本編まれており、好きなところに結んでぶら下げられるようになっているようだった。
「もらった、って・・・ああ、売り物か。おいおい、あのばーさん達、だって色々昨日おいはぎにとられちまったんだろーし、そんな、売り物タダで貰うわけにはいかねーだろ」
そう言いながらエッジも、リディアがのっかっているベッドの縁に腰を下ろした。ぎし、と軽くベッドがきしむ音がする。
「うん。そうなんだけど。他にお礼が出来ないからって言われて」
「そか、礼か。ま、俺なんざ何もしちゃいねーけど、そう言われたものを貰わないってのも、向こうも困るだろーしな・・・」
「わたしもそう思って」
そう言うとリディア一つ摘み上げて、瓶の中身を見た。
薄いピンク色の半透明の石と、深い薔薇色の不透明な石が混ざっているその瓶はとても女の子らしく、瓶の口についている紐も赤と薄い紫で作られている。軽く上下に振るとしゃらしゃらと欠片たちが擦りあう音が聞こえる。
「あれ?」
エッジは瓶を見て、唇を軽く尖らせた表情で声をあげた。
「数、多くねーか。ひいふぅ・・・一個多いだろ?」
「うん。あのね」
リディアは少し照れくさそうな笑顔をエッジに向けて言った。
「一個は、小さなわたしの分なの」

リディアは朝っぱらから老夫婦の家におしかけたわけではない。
ふと目が覚めたら隣のベッドにエッジがいて、少し驚いて。
・・・そうだ、わたし、昨晩エッジのところに。
いつも朝になってから夜のことを考えると、なんだか恥ずかしいのは何故だろう。
なんで昨晩はあんなことをしたんだろう、とか、昨日はちょっと弱気になっていたんだよなー、とか。いつもと違う自分がたまに夜になると顔を出すような気もする。
眠りについた時間は、空が朝の予兆を告げる色に変わりつつある頃だったから、まったくの闇ではなかった。
それでも、わずかに漏れる外の光に自分の体は朝を感じて起きた。
「・・・エッジ、起きないな・・・」
めずらしい、と思う。
魔導船のシェルター以外で、余程眠り始めの時間に差がない限り、エッジが後に起きることなぞなかなかないことだ。
彼はしきりと「俺は短眠だし」とみんなに言うし、それは間違いではない。
しばらくの間リディアはベッドの上でぼんやりして、わずかに離れたベッドで寝息を立てているエッジの顔をそっと見て。
「・・・わわ」
突然、眠りにつく前に自分が思いきりエッジに甘えていたことを思い出して、咄嗟に目をそらした。
自分は彼の腕の中で眠りについたのだ。起きている時からは想像出来ないほど、静かに隣で眠っているエッジの腕の中で。
なんだか、恥ずかしい。
この場にいてエッジの隣で彼の寝顔を見ることすら出来なくなるほどに恥ずかしいと思う。
子供みたいなことをしてしまって、またエッジにからかわれるかもしれない。
(子供みたいな・・・?)
そういえば。
ふとリディアは思い出す。

大丈夫だよ、リディア

昔、男の人の腕の中で同じように眠ったことがあったような気がする。
遠い記憶を辿ってリディアが思い描いた姿は父親ではなくて、セシルだ。
あの夜以降、ローザが仲間になるまでの間、何かがやってくる恐ろしい夢に何度かうなされた。
その都度助けてくれたのはセシルだった。
ローザと共に旅をするようになるまで、そう時間はかからなかったはずだ。「何度も」だったと思うと、それは相当の頻度だったはずだが、そこまでリディアは気付かない。
そしてまた、彼くらいの年齢の男性が幼い子をあやすことの苦労だってリディアは未だに知らないが、それでも「大変だったんだろうなぁ」程度は思える。
同じようにセシルの腕の中で眠りについたこともあったような気がする。
でも、これは知らない。この気恥ずかしさやむず痒さは知らない、と思う。
リディアはそうっとベッドから降りた。
音を立てずにサンダルを履いて、ドアに向かう。
ドアをわずかに開けると、きぃ、と小さな音が鳴った。しかし、エッジはぴくりともしない。
「・・・あ」
ドアを開けてから気づいた。そうだ、自分の部屋はセシルとローザが眠っているのだから、戻るわけにもいかない。
とはいえ、このままここにいるのはなんだか落ち着かないと思う。
(そうだ。ちょっとお散歩してこよう)
帰ってくればきっとエッジは起きているだろう。それまでの間なら、彼のマントを拝借しても怒られないに違いない。
かくしてリディアは寝間着の上にマントを羽織って体を包み、けれど足元はサンダルという不思議ないでたちで宿を出た。
そして、ふらふら歩いていたリディアを老婆が見つけたのはまったくの偶然だったのだ。

おじいさんはまだ眠っていて。おばあさんは朝だから、とすっきりするお茶を出してくれて。
昨日はありがとう。いいえ、わたし、何も出来なくて。そんなどうということがない会話。
ひどいことをする人がいるんですね。
そう言うとおばあさんは悲しそうな顔を一瞬見せて、それから小さく微笑んだ。
「絶対、後悔する日が来るんだよ、そういう人はね。かわいそうにね。後悔する日が来たら、苦しいと思いますよ」
もう一杯いかが、とわたしに聞く声は穏やかだ。
「でも、後悔なんてしない、すっごーい悪い人だったら?」
「そんな人はいませんよ。もしいたら・・・」
こぽこぽ、と陶器に注がれるお茶の音と、鼻がすうっと通るような香り。
「それは本当に可哀相な人だと思いますよ。世界はとても広いけれど、いつかそういう人はどこにも居場所がなくなるものだから」
それがどういう意味なのかわたしにはわからない。
わからないけれど、それは、おばあさんが人を許すために無理矢理思い込もうとしている言い訳ではない。きっと、本当のことなんじゃないかと思う。
あまり大きな声を出さないおばあさん。
多分隣のお部屋で眠っているおじいさんのことを気遣っているんだろう。
「昨日はあたし達のことばかり離してたような気がするんだけどね。そういやお嬢ちゃんと一緒の・・・ローザさん達は元気だったようだね。旅は終わったのかい」
「2人はバロンに戻る途中なんです」
「そうかい。前にあの、なんだっけねえ、セシルさんと一緒に・・・あたしらと同じ年頃のおじいさんがいたような気もするんだけど・・・そういえば、若い男の人も後からやってきたねぇ・・・それから、小さな女の子」
思い出そうとするようにおばあさんは目を閉じてはぽつり、目を閉じてはぽつり。
おじいさん。それはテラのおじちゃんのことだろうと思う。それからギルバートのお兄ちゃん。それから。
「テラのおじちゃんは・・・」
死んじゃったんです。そういうのがつらくて言葉を止めていたら、おばあさんは困ったような表情をむけた。
「いつかは人の命は終わるものだものね」
「・・・」
本当はそうじゃなくて、テラのおじちゃんは。
言葉がつまって、やっぱりわたしはうまく話せなくなってしまった。
「ギルバートのお兄ちゃんは、トロイアに行ったけど・・・今はダムシアンの・・・えーと、ふっこう、っていうのかな。それ、するみたいで」
「ダムシアンの人だったのかい」
それから。
おばあさんが最後に言った、小さな女の子。
「お嬢ちゃんみたいなめずらしくて綺麗な色の髪の子だったねえ、親戚かい?」
「しんせき」
聞きなれない言葉だけど意味はわかる。ミストの村の人たちは、何故だかその「しんせき」がいるという人は少なかった。でも、どうやら他の場所ではそうでもないみたいだって、旅の間にわたしはわかったの。
「それとも、姉妹なのかい?」
「・・・そうです。あの、わたしの・・・」
ちょっとだけ、声が震えた。人に嘘をつくのって、本当に難しいと思う。
「わたしの、妹なんです」

リディアから話を聞いたエッジは、しばらくの間リディアの顔を見ていた。
何か、続きがあるのではないかと思う。いつもならばそこで、リディアが何を思ってそんな風に老婆に言ったのか、どうして説明をしなかったのか、話が続くはずだと彼は思っていた。
けれど、目の前にいるリディアはそこまで話すと、またお守りを手に持って「これ、綺麗ね」と笑顔を作った。
「なんだよ、報告、それで終りかよ」
「うん、お終い。だから、一個多くてもいーの」
「そか」
「うん」
曖昧に言葉を返せば、曖昧に言葉が戻る。エッジはお守りをひとつひとつじっくりみているリディアに、声をかけようとしてうまく声をかけられなくなってしまった。
なんか、他に言うことねーの?とか、なんで妹だ、なんて言ったんだよ、とか。そういった質問を今まで何度もしてきたけれど、昨夜のあやうげなリディアの様子を思い出して、今は言葉にすることが出来ない。
「リディア」
「何?」
「抱きしめていーか?」
昨晩と寸分違わぬ台詞でエッジはリディアに問い掛ける。ようやくかけた言葉がそれだ。なさけねーな、とエッジは自分自身そう思うけれど、本当にそれしか言葉がみつからなかったのも事実だ。
リディアはあっさりと答える。
「やーよ」
「やーなのか」
「や」
「そか」
まあ、そりゃそうか。エッジは素直に引き下がった。
ベッドの上に座り込んでいるリディアをみつめるには、縁に座っている彼はやや腰をひねって見なければいけない。リディアのあまりに簡単な拒絶をうけて、彼は自然な体勢に戻った。まあ、しゃーねーな、と彼は大人の顔になるが、当然リディアにはその表情が見えない。
すると、背中に小さな呟きが聞こえた。
「・・・」
「あん?何か言ったか?」
エッジは再度体をひねってリディアを見た。
「あのね、嘘」
「なーにが」
リディアはベッドの上で膝立ちで移動をして、エッジの側に近づいて来た。
シーツがひっぱられてリディアが通った跡がつく。
「いやじゃないの。なんか、恥ずかしいんだもの」
「・・・そっか、恥ずかしいのか」
「そうだよ」
「そーですか、そーですか」
もぞもぞと近寄ってきたリディアに、いつも通りちょっとおどけた様子でエッジは笑いかけると、腕を伸ばして引き寄せた。
(甘えるくせに)
そう言ってからかいたい気持ちを我慢するのはとても難しい。
とても難しいけれど、ほんの時々あるこんなとき。飛び出しそうな言葉を必死に抑えて、しおらしくなっているリディアの様子を見ている時の息苦しさ。それがエッジは嫌いではなかった。
エッジが自分の膝の上にリディアを横座りさせると、そっとリディアは彼の胸元に頭をもたげた。強く抱くわけでもなく、エッジは支える程度にリディアの背に手を回す。
「ねぇ、エッジ。わたしが小さいままだったら、こんな風にしてくれた?」
「さぁ。どーかな・・・多分しねーだろーなー。ガキと遊ぶのは嫌いじゃねーけど、多分、俺の役目じゃないだろーしさ、こういうのって」
「じゃ、誰の役目?」
「誰だと思う?」
答えはわかっている。
隣の部屋で起きたんだか起きていないんだか、声を聞いたっきり物音一つたてない男女のどちらかだ。
「・・・じゃあ、わたしが小さいままのわたしだったら、こーされてもどきどきしないのかな?」
エッジはわずかに驚いた表情になりつつも、冷静を装って聞き返した。
「お前、どきどきしてんの?」
「たま〜に」
「そうか。俺なんか、いっつもどきどきしてっぞ」
「本当?」
「おう」
こんな言葉は、男が覚悟を決めた告白だ。しかし、リディアは当然そんなことに気づきもしない。
「そっかー。うーん、わたしも、エッジが小さいエッジだったらどきどき・・・しないかもなぁ〜」
「だな」
とエッジが言うと、リディアは彼の胸元で小さくくすくすっと笑った。
「あのよ」
「うん」
「お前が、今のお前で、俺はすっげ、嬉しいよ」
リディアはもぞ、と体を動かした。エッジの顔を見上げようという動きだ。
が、当のエッジは咄嗟にリディアの頭を手で抑え付けて、両腕で細くて柔らかい体を抱いた。壊れないように、でも、逃げないように。じゃれつく動物を抱きしめるように。
「俺は、そのー、幻獣界様様だぜ。小さい頃のお前のことだって、絶対嫌いじゃないだろうって自信はあるけど、でも、こうやって抱きしめてどきどきはしねーな」
「エッジ」
「俺、お前のこと抱きしめて、どきどきすンの、好きなの」

お前、あのお守り、一個余ってる分どーすんの、とか。
なんで昨日あんなに怖がってたわけ?、とか。
本当は毎日だって一緒に眠りたいんだ、とか。
もう、昔のことなんて考えるな、とか。
ちっちゃかったときのお前のこと、覚えていてくれる人がいてよかったな、とか。
それとも・・・。
安直に口に出すことが出来ない言葉達をいつまでも押し殺して、エッジはリディアの頭をずっと自分の胸元に押し付けていた。
めずらしく高鳴っている鼓動をリディアに聞かれることが、嫌だと彼は思わない。
でも。

(怖がらねぇかな)

激しい心臓の音は、欲情を表す音だともエッジは思う。それにリディアが本能的に怖がらなければいいのだけれど。

「エッジ」
「ん」
「わたし、前も言ったと思うけど」
「あいよ」
「エッジの腕、好きよ。安心するし、それに」
「うん」
「たまに、恥ずかしい気持ちもするけど・・・」
そのままリディアの声は小さくなって消えてしまった。
うまく言葉に出来ない気持ちが、またこの少女の中に広がっているのかと思うと、愛しくてむず痒くて、そしてなんだかせつなさを感じる。
「ずっと、こうしていたい」
ぽろりと出た、普段のリディアらしからぬ言葉には、どんな思いが込められているのだろうか。
何かから、逃げたいのか。
そんなにこうやっていることが楽なのか。
それとも・・・。
「そか」
「うん」
また曖昧な応答の後、リディアは黙り込んだ。
腕の中の彼女が何を本当は考えているのか、何を言いたいのかはエッジにはわからない。
わからないけれど、まだ腕から彼女を離してはいけない、と強く感じ、眉間にしわを寄せた。そんな言葉を言わせたかったわけじゃないし、聞きたかったわけじゃない。彼は、険しい顔を崩すことが出来ないまま、自分の胸元で時折揺れる、柔らかい緑の髪を見つめていた。
そして、彼の腕の中の少女は、ただ瞳と閉じて。
救いを求めるように彼の体温を感じ続けているだけだった。


Fin
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