勘違いデート-1-

エッジは殺風景な執務室で1人、黙々と仕事をしていた。
エブラーナに戻ってきて以来毎日執務に追われているが、今日は10日に一度の、まったく謁見がない日だ。
毎日エッジはやれどこの鉱山に視察だ、どこの畑を視察だ、と外回りをしつつ、城に戻れば目を通さなければいけない山積みの稟議書と格闘しなければいけない。また、視察などがなくとも、エブラーナ王子に直々に謁見を、という他国の外交官やら商人、また、エブラーナ国民の相手をしなければいけないし、王家のものであれば尚のこと忍者としての修行もしなければいけない。
そんな日々を送っているが、「謁見を受け付けない」と決めた日に視察予定もない、という非常にラッキーな日が時々ある。それが今日だ。
とはいえ、彼にとってそれは休暇とは呼べないもので、やっぱりこうして執務室に
「うおーい、ハヤタ、いるかーー?」
彼は手に持った書類の束をとんとんと揃えて−といえば聞こえはいいが、机上に置いた書類はまったくそろっていなかった−呑気に声を出した。
次の瞬間
「はっ、何か御用でございましょうか」
黒装束に身を包んだ1人の男が姿を現す。体つきは非常にエッジと似ているが、わずかにエッジの方が身長が高い。
魔法でも使っているのか、一体彼がどこから現れたのかは誰が見てもわからないだろう。
エッジはどっかり椅子に腰掛けて、足を執務机の上にあげた。その机の前に男はひざまづく。その状態で微動だにしないということは、余程の筋力の持ち主だ。
忍者達の筋肉はしなやかだ。エブラーナでは、力自慢などの強力(ごうりき)は求められていない。そして、足腰には瞬発力と持久力を兼ね備える彼らの中でもハヤタの足の速さは一品だ。
「お前がいるってことは、リディアは城にいんのか。出かける予定はないってことだな?」
「は。ご自分の部屋で今はエブラーナの歴史を学んでいらっしゃる時間です。それが終われば自由なお時間となっていらっしゃいますので、外出を予定していらっしゃるかどうかはわかりません」
「そか」
エッジのその「10日に一日」の謁見休みが、リディアもまた休みというわけではない。
「わたくしは本日は既に引き継ぎ済みですので、リディア様のお側を離れていただけでございます」
「あ、お前今から休みなのか」
「はい」
ハヤタと呼ばれたその男は、エッジが忍者達の中から直々に選んだ、リディアの護衛だ。とはいえ、1人でいつでもリディアの護衛をするわけではないから、いつもはハヤタの部下達がリディアの周囲を固めている。リディアに特別な動きがない時は、ハヤタは主であるエッジの声をいつだって待っているのだ。
「んじゃ、今から小日向亭にいってくっから。お前もたまにはあの落ち着きないリディアのお守りを休んで、ゆっくり休め」
お前「も」ゆっくり休め、とは意識しないでぽろりと出た言葉だ。それではまるで、自分が体調管理が下手だと指摘されているようだ、とハヤタはわずかに苦々しく思った。
それに、ハヤタは別にリディアのお守りをしているわけではない。まあ、エッジは「はねっかえりの護衛は忍者の修行よっか大変だろ」程度のことは思っているのかもしれないが・・・。
そんな気持ちも多少あったけれど、とりあえずハヤタはまったく感情が動いていないように、短い返事をした。
「は」
「この前のこと、一応謝らねーといけないからよ・・・リディア連れていくと話はややこしくなるからな、リディアが勉強でもしてるうちにさっさといってくっか」
エッジはそういって反動をつけて立ち上がる。本来、忍者の上に立つものが、いついかなるときでも己の筋力を頼って動いてはいけないはずなのだが、エッジのこの動きは彼の愛嬌でもある。爺やがいれば怒られただろうが、ハヤタは何も言わない。身分云々以前に、エッジならばなんだか許されると誰もが思うだろう。
彼が言う「この前のこと」とは、10日以上前にエッジとリディアが小日向亭という食堂にデートに行ったこと、だ。
リディアがエッジのために誕生日プレゼントを買ってあげたい・・・そんなことを思いついて初めて働いて賃金を手にしたのが、小日向亭のアルバイトだ。
小日向亭は庶民的な食堂だ。昼になれば忍者の訓練所からどやどやと若い忍者達も、ベテランの教官も集まって、ごった返してえらい騒ぎになる。
そこでのアルバイトといってもたかだかしれている。
昼食時、厨房からカウンターに出てきた料理を運ぶだけだ。注文取りなんてろくろく出来やしないのだし。
それでも、三角頭巾をかぶろうが帽子を被ろうがこぼれてくるあの緑の髪はそれだけでも目だって、そしてエプロンをしたリディアの姿はそれだけで十分愛らしかった。
そして何より、彼女にはエブラーナの女性が持っていない独特な雰囲気と屈託のないあ明るさがある。
その武器をフル稼働して小日向亭でのほんの数時間のアルバイトで、リディアは話題の店員になってしまった。
「小日向亭に可愛いアルバイトの女の子がいる」という噂はあっという間にひろがり、翌日、翌々日と忍者達は彼女を見ようとやってきた。
ハヤタや、彼の上司であるサナクといった事情がわかっている忍者が、新米忍者達に「小日向亭のバイトはもういない」と念押ししたって、彼らが毎日小日向亭に行くには変わりがない。
そんな中、のこのことエッジとリディアは小日向亭に「デート」に行ってしまったのだ。

「あー、もー、面倒くせー。いいよ、お前ら、こなくて」
エブラーナ城を出た頃、エッジは軽くそういって手をひらひらと振った。
姿こそ見せないが、エッジの周囲には5人の忍者達が護衛としてついてきている。
エッジはいつも面倒がってそんなことを言うのだが、それを言えばいつも爺に「自覚がない」と怒られる。でも、まったくその通り、とエッジは心の中で開き直った。そうだ、俺には色々自覚が足りない。でも、人口が少ない国は、それくらいの方がいいもんだ。うん、そういうことにしよう・・・。
そんな呟きを爺が聞けば更に怒られるに違いない。
エブラーナが敵襲を受けたとき、民衆は洞窟での生活を余儀なくされた。その時に限られた食糧で時にはなんとかおいしいものを工夫して作ってくれたのは、小日向亭の主人達だ。
忍者達は非常食が連日続いても耐えられるように訓練されている。が、訓練を今まさにしている忍者や、現役の者達はともかく、まだ幼い子供やまったく普通の生活をしている人々−過去に訓練を受けたとしても−にとっては難しいことだ。
エブラーナ城の地下にある隠された食糧庫は先々代エブラーナ王が作ったものだったが、国民全てを長期に渡って養えるほど蓄えがあるわけでもなかったし、物理的にそれは不可能だ。
エブラーナのいくつかの場所に防空壕と食糧庫はあった。実際、敵襲によりちりぢりになった民衆はそれらのおかげでいくつかに分かれながらも生き延びていた。
中でも城に近い洞窟に集結した民衆の数は多く、そしてその中に小日向亭の主人達が含まれていた。彼らがいたからこそ、エッジが共に旅をしたセシル達が来たときに食事を振舞う程度のことは出来たのだ。当然、そんなことをリディアは知らないけれど。
まあそんなわけで、小日向亭は特に王族御用達というわけではなくともエッジはよく知っていたし、忍者の訓練を受けている人間は誰もが−というとエブラーナではほとんど全員なのだが−一度はお世話になっている食堂なのだから、そこに行くためにいちいち護衛がつくことを鬱陶しく感じてしまう。
旅をしてる間は気楽でよかったのになぁ、と思いつつ、エッジは小日向亭に向かう。
身の回りを離れない護衛忍者に
「お前ら、主は俺だろうが。爺じゃねーだろ?命令だ」
とめずらしく厳しい口調で呟くと、さすがに忍者達は王の命令には大人しくしたがった。かくして、彼は久しぶりに1人の散歩を楽しむのだった。

「はー、今日のお勉強はお終い〜!」
その頃、リディアはエブラーナ城の自室で溜息混じりにそう言って机に突っ伏していた。
先ほどハヤタがエッジに報告をしていたように、彼女はエブラーナの歴史について学んでいた。
リディアはエブラーナ王妃候補でありながら、もっともエブラーナのことを知らない。それではさすがに今後支障があるだろうから、と爺が作ったカリキュラムにしたがって花嫁修業ならぬ王妃修行をしている最中だ。
エブラーナは今まで他国との接触をあまりよしとしない島国だった。しかし、今後は積極的に外交を行う方針は決まっていたし、それゆえにエブラーナ生まれではないリディアを受け入れることを人々はよしとした。
そうであれば、外交にリディアが首を突っ込むことになっても恥ずかしくないほどの最低限の知識は必要になってくるわけだ。
リディアは過去から今までお勉強というものをしたことがほとんどない。
そんな彼女が何かを知識として身につけることは相当な苦労が必要だ。
それでもありがたいことに、幻獣界にあった書物は人間が読むために作られたものため、それを読むために読み書きは覚えていた。(それらは、召喚士のためにラムウが作り上げた書物たちだ)国によって多少の違いがあれど、リディアがエブラーナの書物を読むことは、時間はかかれど、可能なことだ。少し前までは子供向けの歴史書を読んでいたけれど、今はもう少しばかり字が小さいものも読めるように進歩した。
また、常日頃から幻獣が口にする、リディアがよくわからない道理を曖昧に聞かされていたこと。そのことが、彼女に「言葉を聞いて頭の中で整理をすること」を苦にしない力もつけることになった。人間界での生活が短いせいで、導き出す答えは色々と間違ってはいるが「えっと、それは、こういうこと?」と自分なりの解釈で人に聞き返すことは、本来容易なことではない。
また、旅の合間にローザに聞いた生活のこと。たとえば、焚き火でパンを焼くのは難しいけれど、熱した石に乗せればなかなかいい具合になるとか、水分を含んでいる木は折れにくいから、よく折れる木−それをローザは死んでしまった木、と言っていたが−が燃えやすいのだ、とか。
そういったちょっとのことでも、ローザは知っている限りは理由を教えてくれたり「どうしてだと思う?」とリディアに問いかけたりしてくれていた。
母代わり、とローザが思っていたわけではないけれど、少なくともリディアはローザとっては大事な妹分であったから、可愛がって色んなことを教えてくれた。そんな彼女の教育はなかなかのもので、リディアは驚いたりおもしろがったりしながらも、物事の理由を考えながら様々なことを覚えることが出来たわけだ。
そして、その経験はリディアを聡明な少女に成長させた。(ローザはそういうつもりではなかっただろうし、よくわかっていないと思うけれど)
まあ、そんなわけで、エッジが聞けば驚くに違いないけれど、リディアは比較的よく出来た生徒で、教育係もまたみな驚いていた。
それでも、時折どうしてもエブラーナの風習など理解してくれないこともあって、まだまだ問題児扱いをされることも多い。が、そういう部分こそがリディアの短所でもあり長所なのだと聞けばエッジは思うに違いない。
「お茶をお持ちいたしましょうか?」
「ありがとう!」
リディアの主な付き人である女中頭のグレースが声をかければ、リディアは明るく返事をする。
エブラーナに来てから相当な期間、幻界に帰りたくて仕方がない時期もあった。
悲しいことに、その時期は肝心のエッジがあまりに忙しく−川の氾濫による堤防決壊など、自然災害が発生したからだ−どんなに彼がリディアのために睡眠時間を削っても、リディアの不安を拭うことは出来ないほどの有様だった。
それを十分にフォローをしてくれたのは、このグレースだ。
リディアをリディアだとわからないように変装をさせて外出をしたこともあった。エッジの幼い頃の話を内緒でリディアに教えてくれることもあった。
バロンに帰ったローザと手紙のやりとりをする方法を教えるように気が回らないエッジに控えめながらも助言をしたのも彼女だった。
それぞれのことでおおよその見当がつくと思うが、グレースは非常に深い忠誠をエブラーナに誓いつつも、その許してもらえる範囲内でなかなか自由に動く女性なのだ。
もちろんその後ろには、何かあればリディア付きの護衛忍者達が守ってくれるという信頼があってのことだが。
「今日は思ったよりもお早く終わったのですね」
「うん。最近ね、本を読むのが少し速くなった気がするの。前まで読んでいた本と文字の大きさとか違うのかなって思ったんだけど、それにしたって早くなったなって自分でも思う。わたしも、あと一刻くらい時間かかると思っていたんだもの」
そう言うリディアは嬉しそうだ。
グレースがトレーに乗せて持ってきたカップにすぐに手を出して、自分で受け取る。
先ほどまで小難しい歴史の本を広げていた机に、今度はお茶とお菓子を広げてリディアはリラックスしている様子だ。
「そうそう、リディア様、お手紙が二通届いておられますよ」
「えっ?二通?ローザだけじゃないのかなぁ?ルカかなっ」
最近リディアはドワーフの姫であるルカとも文通とやらを行っている。
グレースはカップを運んだトレーとは違う、小ぶりの木のトレーに二通の手紙を乗せて運んできた。
一通は、いつもと同じ。
ローザからの手紙だと見てすぐにわかる。アイボリーの布にいつも包まれているものだ。もちろんローザからの手紙そのものはリディアにとってとても嬉しくて、心が温かくなる内容が多いけれど、それだけではない。
筆不精のセシルをせっついて、ローザは必ずほんの一行でも二行でもいいからセシルの直筆で一言添えさせる。
手紙の最後に「今度シドが試作した小型の飛空船で、エブラーナと往復してみると言っているよ」とか、「どれくらい暮らしに慣れたのか想像も出来ないけど、いっぱいエッジに甘えるといいよ」とか。
ひどい時はセシルのサインは最後に長く伸ばしすぎている時もあって、忙しい合間のものだとリディアにもわかる。それでも「申し訳ないな」と思う反面、見ればリディアも「これはセシルのものだ」と字でわかるのに、いちいち毎回サインを記しておくセシルの様子を考えて、ちょっと嬉しいものだ。
そして、もう一通。そちらは、見慣れない封筒だった。
差出人の名前を見てもリディアはぴんと来ない。
慣れない手つきで封を開け、恐る恐る目を通すと、思いがけない人物からの手紙だということがわかった。
「・・・わぁ!」
小日向亭の主人からの手紙だ。
アルバイトの後、リディアは「雇ってくださってありがとうございます」という、それはそれは普通に考えたらたいそう間抜けな手紙を送ったのだ。
リディアからすればとても当然な礼状だったのだが、小日向亭の主人からすれば「とんでもない!」ことだ。手紙の返事を書かずに済むとは思えなかったのだろう。
当の本人であるリディアは「わたし、お返事もらうような内容書いたかしら?」とまったくわかっていないのだが。
「へぇ〜・・・。おいしそう」
「・・・?」
出された茶菓子を食べつつ「おいしそう」とは何だろう?
グレースはいぶかしんだ表情でリディアの様子を見ている。
リディアは伏し目がちに手紙を読んでいたが、やがて顔をあげて、大きな目を更に見開いて、身を乗り出すようにグレースに聞いた。
「ねっ、グレース、木苺と山羊の乳のムースって食べたことある?」
「木苺と、山羊の乳、ですか」
「うん。山羊って、動物?合ってる?」
「ええ、そうですね。リディア様はみたことがありませんか?」
「ないわ」
「そうですか。今度、エドワード様にお願いをして、見に行かれると良いですよ」
城の近くでは見られないものですからね、とグレースは言葉を添えた。が、リディアはグレースが付け加えた言葉を最後まで聞かずに、少しだけ慌てたように話しつづける。
「ね、グレース、今から小日向亭に行きたいの」
「・・・は?」
「この手紙に、またいつでもお越しください、って書いてあるし。今日は思ったより早くお勉強終わったから、きっと爺やさんも許してくれるわよねぇっ?」
一体何のことを言っているのだろう?
グレースは、いつも冷静な彼女らしからぬしぐさで軽く首を傾げた。

「あの一件」で懲りたエッジからの「お願い」でリディアが出かける時は、今のところエッジに話を通すことにはなっていた。
そして、リディアの外出予定は基本的には先に爺に申請されるはずで、それを破った時は「出来ればもう少し早く教えてくだされ」と軽いお小言−リディアは全然堪えてないが−が出るはずなのだが、どこで伝達がおかしくなっていたのだろうか?エッジがいない今日に限って、何故かすんなりリディアの外出は許可され、散歩気分で城から出かけていった。
「爺やさん、変なの。いつもは「もっと早く言ってくださらないと、困りますぞ」って愚痴っぽく言うのに〜」
今度はリディアが首を傾げる番だ。しかし、そのことはグレースもまた不思議で仕方がなかった。
リディアはともかくグレースは生粋のエブラーナ人であったから、自分達の周囲に何人くらいの護衛忍者がついているのかがおおよそ把握出来ている。リディアの外出にはいつも数人の護衛忍者がついてきていた。が、今日は彼らがいない代わりに、何故か爺はグレースに「小日向亭まで送り届けるように」と言われてしまった。
彼女もまた昔忍者の修行をうけてはいたけれど、現在は女中頭だ。護衛といえるほどの護衛は出来ない。
どうしてわたしが?と爺に聞こうと思った矢先、「グレース!わたし、出かけるわよー!大丈夫!?」とリディアの声が聞こえたため、慌てて爺の部屋から退出をしたが、一体どういうことなのだろう?
そんなことを考えながら歩いていると、リディアが少々不安げに聞いてきた。
「・・・うーん、今更だけど、急に行っても本当に大丈夫かしら?」
「手紙には、いつでも、と書いてあったのでしょう?」
あらあら、ここまで来て、とグレースは内心思ったけれど、まったく不安に思わずに行くよりは幾分ましかな、と心の中で苦笑をした。
(きっと、爺やさんが許可してくれたっていうことは、小日向亭に伝令の一つでも出していらっしゃるに違いないし、問題ないでしょうけれど)
決してそれはリディアには誰も告げない。
彼女はまだエブラーナ王妃というものがどれほどの地位で、どれくらい人々の注目を集め、そして監視されてしまうものなのかをあまり理解をしていない。
ずるいといわれることは百も承知の上で、そんな風に「裏で手を回す」ことは仕方がないのだとグレースは割り切っていたし、残念ながらエッジも「あいつは何しでかすかわかんねーしな」と時折口に出す。
それでも城に閉じ込められずにこうやって好きに城下町に出られる自由があるということは、各国の王族にはあり得ないことだと皆が知っている。たとえ、それがリディアにとって当然のことだとしても。
そのことを許す代わりに、護衛忍者や伝令が裏で動くことにこの先リディアが気付いても、許してもらえるのではないかと思う。
「うーん、いいお天気!」
リディアは空を見上げて、伸びをした。あまりにも思い切って体をそらして伸びたためふらつき、とっとっと、と軽く後退する。
強すぎない陽射しは瞳に優しく、ほんの時々軽く吹く風は肌寒くない。
まるで空の色をそのまま映したかのような、白とうすい水色がまざった糸で織られているケープで肩を覆って、紺色の丈が短めのワンピースに膝下の白いブーツを履いてリディアは軽い足取りで歩く。
「グレース、見て、鳥」
「ええ、見ております」
「真っ白。綺麗ね」
「そうですね。他の国では見ない鳥でしょうか?」
「うーんと、わたしの故郷ではいなかったわ。旅の途中にも・・・気付かなかっただけなのかな」
晴れ渡る空に飛ぶその白い鳥が、エブラーナ以外には生息していないことをグレースは知らない。色んな地域を回ったリディアがめずらしがっているということはそういう意味なのだが、それに気付く者は少ない。
そもそもエブラーナを離れたエッジが一体どこをどう動いて、この世界とやらを救って帰ってきたのかを把握しているものは少ないし、その旅にリディアが同行していたというのもにわかには信じ難い。
エブラーナの民で、当時城に一番近い洞窟に集結していた者達は、リディアがセシル達と共にエブラーナに訪れた時から彼女のことは覚えていた。やはり緑の髪は珍しかったし、何しろ他国の女性がエブラーナを訪れることなぞそうそうないからだ。が、実際に彼女が戦いでその能力を発揮している姿なぞ見たことがないわけで、尚のことリディアが今まで経験した旅の内容を想像出来るはずがない。
それでもグレースは、時々リディアが「そうだ、前こういうことがあったから、きっとそれと一緒ね」なんて呟く切れ切れの話からの推測で、爺やエブラーナ国民が考えているよりも、この少女が色んな経験をしてきているのだと嗅ぎ付けてはいる。
だから、聞いた。
そして、予想に近い答えが返ってきた。
不思議とそのことに満足をしながら、グレースはリディアの後をついてゆく。
いくつもの店屋が並んでいる、大分復興が進んだエブラーナ城下町を歩くと、道行く人々がリディアに頭を下げる。
前回の一件や、催しごとでエブラーナ国民の前に何度か姿を現したリディアは、もはや誰もが知っている有名人だ。が、本人には相変わらずその自覚は無くて「みんなわたしのこと、覚えてくれたんだぁ、嬉しいな」なんて呑気なことを言うのだから、城の者たちは皆閉口するばかり。それじゃなくとも忍者達は人の特徴を覚えることに長けているというのに。
やがて、人が多く行き交う通りの角でグレースは声をかけた。
「リディア様、わたしはそれでは、先に城に帰っております」
「うん。ありがとう、送ってくれて。帰りは一人で帰れるから、大丈夫よ」
「はい、お気をつけて」
まったく、あり得ない、とグレースは思う。
一国の次期王妃が護衛もつけずに「帰りは一人で帰れる」ときたものだ。
一体何を考えて爺は護衛忍者をつけずに、そしてグレースには「送ってこい」とだけ言ったのだろうか。帰りには他に護衛忍者が現れるてはずでも整えているのだろうか?
グレースは、1人で歩き出したリディアの後姿を見つめて、軽く首を傾げてから城に戻るのだった。

国王直々にいらっしゃった、ということで、慌てた小日向亭の主人は店を閉めようとした。
エッジはそれへ「別にいい、いい。たまには俺も普通の人間扱いしてくれよ」と軽く手を振ってやめさせようとしたが、「そういうわけにも」と扉の外に「準備中」と掘った、主人特製の小さな木の看板をかける。
おつきの人々は?と気を回して主人が聞けば「今日は帰らせたから、気にすんな」と軽く答えて、エッジは厨房に近い座席にどっかりと座った。
正直なところ、いくらエブラーナ王子の護衛といえども、自分の店の天井裏やら屋根の上やら、その他気付かない場所に忍者がいたり、ぐるりと外を見張られているのはあまり気分がいいものではない。
この主人とて昔は忍者の修行を行ったけれど、それとこれとは別のことだ。
「この前は、世話んなったな、その、色々と。礼言うのが遅くなって悪かった」
エッジが言う「色々」の意味に気付いている主人は苦笑を見せた。
「いいえ、お城の護衛の方から礼はいただきましたしね。いやぁ、驚きましたよ、リディア様が突然やって来られたときは、一体なんの冗談かと」
人の良さそうな主人がそう言って笑っていると、厨房からその妻が飲み物と甘い菓子を運んできた。
エッジは普通に客が座る木の椅子に腰掛けて、背もたれに背中をくっつけてくつろいでいる。
もともと客が数人いたのだが、どうやら訓練をさぼっていた訓練生だったらしく、エッジの顔を見て慌てて出て行ってしまった。よって、今はエッジ1人が客、というわけだ。
「今日から特別にお出ししてるんですよ。若は、甘いものもお好きでしたよね?」
かたん、と小さな音をたててエッジの前に並べられたのは、さっぱりとした味がする温かい茶と、切り分けられたケーキのような形をした、ピンク色のぷるぷるとしたデザートだ。ガラスの器に盛って、もう少し赤味が強いソースがかかっている。
「おう、こりゃ美味そうだ。なんだ、これ。木苺か」
「はい。木苺と山羊の乳のムースです」
「へぇ、いいのかよ?いくらだ?金払うよ」
「いえいえ、そんな、若からお金をいただくなんて!ねえ、あんた」
「そうですよ。あの頃、若に励まされて、我々がどれだけ救われたか、もうそろそろご恩を返さなくちゃいけませんしね」
「は?なんか俺やったっけ?」
小日向亭の主人が言っている意味がわからずに、エッジは口を軽く尖らせながら聞いた。
「お城が襲われて、みんなで避難した時に・・・」
「あら?」
主人が話を続けようとした途端、隣にいた妻が声をあげて、入口に視線を移した。
「ん?」
「なんだ?」
エッジも気付いたようにそちらを向く。
準備中の看板をぶらさげていても、当然入口の扉の鍵は閉めていない。
そうーっとそうーっと、どうしてよいものやらわからない様子で、扉がわずかに開いた。
外からの光が室内に小さく入ってきて、それが次第に大きくなる。
「こんにちは〜・・・」
そして、聞き慣れた声。
声の主の姿を見なくとも、エッジは椅子から飛び上がって、扉に向かって即座に叫んだ。
「・・・なんだ、おめー、何しに来たんだよ!?」
「・・・ええっ!?な、なんでエッジがいるのおー!?」
同じように、中からの叫び声に反応したように、入ろうとしていた人物−当然ながらリディアだが−はバン、と勢いよく扉を開けて叫び返す。
そこに突然現れたのがエブラーナ王妃候補だとわかった主人達はたいそう驚き、自分の伴侶の顔を見てはリディアを、またお互いの顔を見てエッジを、ときょろきょろするばかりだ。
そして、エッジの前に並んでいる、一目見て食欲がわくデザートをみつけ、
「あー!ズルい!1人で美味しいもの食べようとして来たんでしょ!?」
「じゃーおめーはなんで1人で来てるんだよ!?」
まったくもって、リディアの言いがかりは自分のことを棚にあげている。
そのことに彼女はちっとも気付いてはいない。

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