勘違いデート-2-

「さあ、こちらへどうぞ」
突然の訪問に驚きつつも、主人はリディアに椅子を勧める。改めてリディアは2人に頭を下げた。
「こんにちは。お手紙いただいたので、ご迷惑かなーとは思ったんですけど、来ちゃいました」
「いえいえ、迷惑じゃあありませんよ、こちらこそ、ご丁寧な手紙をいただいて・・・」
そういいつつも主人はエッジの様子をちらりと伺い、一体何がどうしたことやら、との説明を求めていた。
しかし、エッジはエッジで何故リディアがやってきたかなんてさっぱりわからないわけで。彼こそ説明を誰かに受けたいと思っているくらいだ。と、エッジはわずかに鼻の上あたりにシワを寄せた。
「・・・?」
そこはさすがにエブラーナ王子。
リディアの周囲や小日向亭の周囲に、いつもついてきているはずの護衛忍者がいない様子に気付いて立ち上がる。
「エッジ?」
「若様?」
3人が何事かとエッジの様子を伺う。
「あ、いや。気にしなくていいって」
それにエッジは軽く手をひらひらと振ってみせてから扉を開けて外に顔を出した。
扉にかけられていた「準備中」の看板が揺れて、かつんかつんと音を立てる。
たまたまなのかあまり人通りは多くない。そこでエッジは姿が見えない者たちに声をかけた。
「おい、誰かいんのか?」
あまり大きくない声だが、間違いなく護衛忍者には聞こえるだろう声。
返事もなければ、人影もない。
(んだよ、どういうこった。俺は確かにあいつらを帰したけど、リディアの周りに誰もいないなんて、あり得ねーだろ)
「どうしたの?エッジ」
室内からリディアが不安そうに声をかける。
エッジは「なんでもねーよ」と返事をして扉を閉めた。再び扉の外でかつんかつんと音が聞こえるが、気に求めずに彼は戻ってきた。
見ると、ちょうど夫妻がリディアのために茶とデザートを運んできているところだ。リディアは素直に「かわいい!」と嬉しそうな声をあげていた。
ったく、こいつは呑気でうらやましいな、と多少苦々しくエッジは思う。
「お前、なんでここに来たんだ?」
呆れたようにエッジはそういって、再び椅子に腰掛ける。
「あのね・・・」
「1人か?」
「うん、すぐ近くまでグレースと来たの。爺やさんが、わたしを送り届けるようにグレースに言ったみたいで」
「グレースと?」
それはまた妙な話だな、とエッジは思う。
護衛忍者がいれば護衛忍者だけで事足りるだろうし、いなければいないで「送り届ける」ではなく「一緒に行く」ようにグレースは言われるに違いない。エブラーナ城の一体誰が、リディアを一人でここに来ることを許すというのだろうか。
そういうことを考える時は出来るだけ顔に出したくない、と思うけれど、怪訝そうな表情になってしまう。
その様子に気付かぬように後ろから声をかけられた。
「さあさ、若様もお食べになってくださいな」
「お、おう」
「いただきまーす」
勧められるままエッジとリディアは出されたムースにスプーンを差し込む。
たっぷりとソースがかかっている部分を口に入れると、ふんわりとしたなめらかな舌触りでムースが溶けていくようだ。
「おいしい!」
エッジよりも先にリディアが声をあげた。
「ソース、ついていないところもおいしい」
「だな」
それには素直に相槌をうつエッジ。
「でも、ソースついてるほうが美味しいね。うーん。これ、ローザもきっと好きな味だよね」
「かもしれねーな」
なんでそこでローザが出てくるんだ、と思ったけれど、エッジは黙った。
食べることに夢中になっているリディアにぽつぽつと質問をして、何がどうなって彼女がここに来たのかがようやくわかった。
このムースが最近の新メニューで主人の自信作なんだそうだが、残念ながら使っている木苺はこの時期しか収穫が出来ないものらしい。
そこで、折角だからもしよければいらっしゃいませんか?と社交辞令も含めて主人はリディアに手紙を書いたのだ。
そんな話題でも書かなければ、リディアに対する主人の手紙はかなりそっけない内容になってしまったことだろう。
エッジが思うに、別に小日向亭の主人は心からリディアに振る舞いたいと思っていたわけではないのではなかろうか。
「なるほどな。お前って、ほんと、素直だなぁ・・・」
その言葉は半ば呆れた気持ちも含まれている。
いつでも来てください、と手紙に書いてあったから今日来た・・・。
これだからやっぱりリディアにはまだ監視や、外出許可を求める作業が必要なのだろう。
「・・・城の、爺から、なんか連絡あったか?」
リディアが小日向亭の奥さんとお茶のことを話している間に、エッジは小声で主人に聞いた。
「いえ、何も・・・」
「っかしいな〜。爺がリディアの外出許可したなら、絶対先に連絡来ると思うんだけどよ」
「確かに」
そんなやりとりをして2人は困惑の表情を隠すことが出来ない。その空気をまったく気にもせずにリディアはエッジに明るく聞いた。
「エッジも、これをご馳走になりたくて来たの?」
スプーンの上でふるふると震えているムースの欠片を目の高さまで持ってきて観察をしながらリディアは聞いた。
「バーカ!んなわけねーだろ!俺はな〜・・・」
エッジはそこまで言って言葉を詰まらせる。
そうだった。
今日はリディアがわからないようにリディアのいないうちにとリディアがやらかしているいろんなことのフォローの意味も含めてここに来たのだ。
それをどう説明していいのかエッジは困ってしまった。いや、説明は出来ることならしたくない。
「そりゃ、お前、アレだよ、うーん」
何と言ってリディアを納得させようか、と考えている間に、エッジはふとあることに思い当たった。
(おっかしいな・・・爺がリディアの外出を許可したってのに護衛のヤツラがいなくて、しかもグレースは帰っちまったっていうし・・・。それじゃあ、帰りは完全にリディア1人だろ?)
とまで考えて、彼は持ち前の調子のよさを発揮しだした。
(ってこたぁ、だーれもいない状態で久しぶりにリディアとデートできるんじゃねーか)
そうなのだ。
エブラーナ城にいる間は、当然のように誰も彼もエッジやリディアの護衛につく。
どこにいくにも必ず、だ。
幼い頃からそれが憂鬱で憂鬱で仕方がなかったし、それは今でも変わりはない。
自室に入るときに人払いをして、扉の外だけの見張りをつける。本当はエッジはそれすら嫌っていたのだが。
見張り忍者達はリディアが眠っている間だって当然寝室周りをうろうろしている。
エッジとて普通の男であるから、時折リディアに対して「そういう気」になった時だって(つーか、おめーら、気ーきかせてどっかいけよ)と念じて、わざわざ護衛忍者達がいなくなったかどうかを確認しなければいけない。
正直、萎える。
とはいえ、昔の風習のように「今日はリディアとそーゆーことする気まんまんだからお前ら邪魔すんなよな!」と公言してリディアの部屋に行くのは、あまりにも時代遅れ、いや、それ以前に不愉快だ。
(他の国のやつらは、どーしてんだよ・・・セシルとか、王様なんかになりやがってよ・・・あぁ、他の国は忍者みたいに影になってねーで、堂々と普通に見張りしてんだろーしな)
それに、案外とセシルもローザもそういうところはあっけらからんとしている。「えーと、今日は人払い」なんてさらっとセシルが兵士達に言って、ローザの寝室に向かう姿なんかもエッジは想像して突然噴出した。
「どうしたの、エッジ」
「わはは・・・リディア、おい」
「なあに?」
「あんま、長居しても営業の邪魔ってもんだ。食べたら、ここ出るぞ」
「あっ、そう、そうよね」
エッジに促されてリディアは慌てて最後のひとすくいを食べる。
主人の会心作ともいえるそのムースは、あまりグルメとはいえないエッジでも十分に美味しいと思えたし、もう一度食べたいと感じる味だった。
さっぱりとした味わいの山羊乳のムースは舌の上でふんわりと溶け、甘酸っぱい木苺のソースがそれに絡まってなんともいえない美味さだ。甘さがくどくないので、子供よりも大人が好む味だとエッジには思えたが、予想外(?)にもリディアは気に言ったようだ。
「あぁー、おいしかった!ありがとうございます」
リディアは満面の笑みを見せる。もともと食が太い方ではないけれど、食事を終えた後のその笑顔は誰にも負けないほどの「おいしかった」度合いがわかるほど幸せそうだな、とエッジは思う。そして、小日向亭の2人も間違いなくそう感じているだろう。
リディアはもう少し小日向亭に残って、主人とその妻と話をしたい素振りを見せた。が、エッジが半ば強引にリディアに退出を促すために席を立ったので、彼女もまた諦めたように立ち上がる。
もう少し、とわがままを言う気持ちもあるが「わたしよりエッジの方がおじさん達のことよく知ってるみたいだし。だから、多分今日はもう帰ったほうがいいんだわ」と勝手に納得したようだ。
「うまかったぜ、ごっそさん。いいもん食べさせてもらった。勘定は?」
「そ、そんな、若様やリディア様からお金なんていただけませんよ!」
慌てて主人はそう言った。
「いいっていいって。季節限定のうまいもん食わせてもらったんだ、タダ食いさせんなよ。すまないと思ったら、また美味いもん作ったら呼んでくれよ」
エッジはそういいながら貨幣を取り出し、主人の手にぎゅっと握らせた。
「そんときゃまた、リディアに手紙でも書いてやってくれな・・・」
苦労かけるけど、とぼそっと付け加える。
「・・・は、はい」
それにはわずかに躊躇しつつ答える主人。
その様子がおかしくてエッジは口元をにやけさせたが、リディアはきっとそのやりとりの意味がわかっていないのだろう。

「おいしかったね」
「おう。この時期の木苺はうめーんだよなぁ・・・ほんと」
「そうなの?」
小日向亭を出ると、先ほどとあまり変わりがなく人通りは少ない。エッジは心の中で「よしよし、これなら・・・」と呟いた。
リディアは城方面に歩き出し、2、3歩進んだけれど、エッジが何か考え事をしているようにその場から動かないことに気がついて振り向いた。
「・・・あれ?お城に帰るんじゃないの?」
「いんや・・・おい、おめー、今日はもうお勉強はいいのかよ?」
「うん。今日の分は終わったよ」
「そか。じゃー、ほれ」
「え?」
エッジはリディアに手を差し出す。
「たまには、一緒に遊びにいこうぜ。この前ここに来た時は色々騒ぎになっちまったし、いつ2人で遊びに行くにも爺がうるさくて出づらいしよ」
「えっ、いいの?エッジ、お仕事は」
「いーんだよ。俺も今日はもう仕事休みなの。ほれほれ、どーした」
本当は謁見がない、仕事のきりがいい、というだけで、帰れば帰ったで仕事はあるのだが。それでもエッジは今日はもう休もうと心に決めた。そして、差し出した手を上下させてリディアを手招く。
「いくぞ」
「うん!」
エッジの仕事がないならば、リディアには断わる理由はまったくない。リディアはエッジの手に飛びつくように、両手でぎゅっと握り締めた。

小日向亭の近くには忍者の訓練所があるけれど、出来るだけそこには近付かないように−つまりは、城に少しでも関係がある人間に会わないように−エッジは慎重にデートコースを決めようとした。
リディアはエブラーナの町にはまだ不慣れだから、どこに連れて行かれても見るものみな新鮮に思えるだろう。
この小日向亭に以前来た時だって、城から尋ねるのにかなりわかりやすい大通り沿いだからたまたま通ったというだけで。
さて、どこにいくか、とエッジが考えていると、リディアがおずおずと声をかけた。
「あのね、エッジ」
「うん」
どこかリクエストか?とエッジが軽くリディアを見ると、リディアは少しばかり言いづらそうに上目遣いでエッジを見る。
それは、言おうとしているリディア本人が、これはわがままなのかな、と悩んでいる時の表情だとエッジはよく知っていた。
「グレースに言われたんだけど、エッジに頼んで牧場に連れて行ってもらったらいい、って」
「牧場?」
「さっき食べさせてもらったムース。山羊っていう動物の乳から作ったんでしょう?山羊って見たことがなくて」
なるほど。
まるで子供の教育だな、とエッジは肩をすくめた。そういうデートも本当はエッジは嫌いではないのだが。
「あー。ちょっと遠出になるから今日は無理だなぁ」
「そうなの?」
「うん。あいつら、水がないところ結構強いからさ、エブラーナでもちょっと乾燥してる場所にいるんだ。乾燥にあまり強くない動物はちょっくらこっち側にいるけどさ・・・」
こっち側、という意味は城下町に近いあたり、という意味なのだが、リディアにはよく伝わらない。ただ、見たかった山羊がすぐには見られないということだけは理解したようだ。
「残念〜・・・」
「そのうち視察にまた行くからよ、そんときお前も来る?公務になっちゃうから、あんまり遊んだりはしゃぎ回れないけどよ」
「こうむ」
それはよくエッジやグレース、爺が口にする言葉だ。エッジの仕事全般のことを言うのだと、さすがのリディアも知っている。
リディアはまだ、エブラーナ王妃候補というだけで、正式に何かしらの肩書きがあるわけではない。
エッジが王になり、やがて、リディアと結婚して。その時初めてリディアはエブラーナにおける正式な肩書きを手にいれることになるのだ。だから、今の状態でエッジはリディアを公務に連れまわすことはまったくしない。いや、この先も連れていく場所をかなり選ぶのだろうと思う。
リディアの前で、険しい顔をあまり見せたくない。仕事最中に自分の女に心配されることはごめんだし、自分がまた心配することもごめんだとエッジは思う。だから、まだリディアを連れて視察にいくことも一切していない。
ローザくらい年齢相応には世間も知っていて、女特有のいい意味のしたたかさがある人間ならば話は別で、彼女はとてもよくできたバロン王妃なのだろうが。エッジがリディアに求めているものは、それとは違う。
「・・・やっぱ、それも嫌だな。今度、一緒に行こう」
「うん。じゃ、今日は?」
「エッジ様に、任せなさい」
そう言って、エッジはリディアの髪をくしゃくしゃっと大きな右手でかき混ぜた。
「ちょっくら歩くから、なんか飲み物でも調達していくか」
「ちょっくらってどれくらい?」
「お前が「もう歩きたくなーい」とは言わない程度さ。安心しろよ」
「そんなこと言わないもん」
わざとリディアはむくれてそう答えた。
うん、確かにおめーは言わないな、強がりだもんな。
そう思ってエッジは尚更笑って、リディアの髪をぐしゃぐしゃっとかき混ぜる。
「もー、一体何するのー!?」
その問いにエッジは何も答えなかった。

城下町を抜けたあたりには、民家も少なく、ところどころ遠くに山や小高い丘が見えた。
その中の一つの山の手前にある小さめの丘に向かう。
「あっ」
「どした」
「鳥。あれ、初めて見る鳥だ、ってグレースに言ってたのと同じ鳥かな・・・来る時みたの」
「ああ?確かにあれは俺が知る限りじゃーエブラーナにしかいないらしいな」
空に悠々と飛ぶ鳥の姿があった。それはエブラーナ城を出た後にグレースと共にみつけた鳥と形がそっくりだ。間違いない、とリディアは思う。
切れ切れの雲。青空。その下でその鳥は速くもなく遅くもないスピードで飛んでいる、薄茶色の塊。
「でも、色が違うかも・・・見たのは、白かったの」
「ははあ、そりゃ、同じ鳥だ」
「そうなの?」
それに対してエッジは答えようとしたが、それよりも先にリディアはさっさと次の話題に移ってしまう。
「この山とか丘とかって、これもエブラーナなの?」
リディアは前方に広がる景色に向かって、両腕をあげ、「これ」を体で表現しつつ不思議な問い掛けをした。
「おう・・・っていうか・・・なんつーのかな。この島は、全部エブラーナのつもりなんだけどな」
エッジは少し言いづらそうに答える。
「バロンだとかトロイアだとかよ、そういう国って、どっからどこまでが自分の国の領地、とかよくわかんねーじゃん?細かくはさ」
「んー、そっか」
「俺たちはただこの島をエブラーナって呼んでるし、自分達の城をエブラーナ城って呼んでいる。でも、そーだな、厳密にいったら、エブラーナだけど、すべての場所をエブラーナ国王が管理しているかどうかつったらわかんねぇよ」
「国王が管理」
「王族だってこの島すべてのことを知ってるわけじゃないし。もしかしたら、知らないところで知らない民族がいるかもしんないしな。そいつらはこの島をエブラーナって呼ばないかもしんないし。ま、とりあえず今のところ俺たちは、そこの山だろーが林だろーが全部エブラーナだと思ってはいるけど。一応管理はしてるな。うん」
それで、答えになってるか?少しばかり不安になって、エッジは歩きながらリディアの顔を覗き込んだ。
リディアは少し何かを考えているようで、歩調がわずかに緩やかになる。それにエッジは合わせてやった。
「ふうん。エッジはすごいのね」
「あん?何が?」
「エッジはまだ王様じゃないけど、王様なのね」
ものすごく感心したようにリディアはそう答えた。エッジはぎょっとしたように口端を歪めて、驚きの表情でリディアを見る。当のリディアは何食わぬ顔で普段と何も変わりがないように歩いている。考えがまとまったのか、歩調も戻ったようだ。
「なーにが」
「エッジは、この国のことをわたしが質問すると、わたしがあまりわからない言葉を使うことが多いのね」
「そ、そか。わかりにくいか?悪ぃな」
「ううん」
リディアは小さく首を横にふった。
「最近、それ、嫌いじゃないんだ、わたし」
「前は嫌いだったのか」
「うん」
はっきりと言ってくれるな、とエッジは心の中で苦笑いだ。
「そういう時のエッジ、わたしが知らない人みたいだったから」
「・・・」
それは薄々気がついてはいた。
セシル達と共に旅をしている間、エッジは何一つエブラーナの王子らしいところを彼らに見せなかったし、口から国のことが出ても「エブラーナはいいところだぜー」とか「みーんな忍者の訓練うけるんだぞ」とか、まったくの世間話でしかなかったわけだ。
が、いざリディアがエブラーナに来て、彼に国に関する質問をすれば、彼は王子として未来の王妃候補のリディアに話をする。知らない国、知らない人、そして、知っている人の口から聞く、難しい言葉。それらに戸惑い、苛立っていたこともあったはずだ。
「なんで、今は嫌いじゃないんだ」
「さっきの山羊のお話もそうだったけど」
「うん」
「難しいこと言うけど、エッジいっつも嬉しそうにエブラーナのこと、話すから」
「・・・」
そんなことを言われては、エッジは照れくさいような、むず痒いような、耐え難い感覚に襲われてどうにもならない。
そうだよ、俺は、エブラーナのことが好きだ。
エッジはそんなことを叫びだしたくて仕方がない欲求に襲われたけれど、どうにかこうにかその感情を押し止めることに成功した。
「バーカ。お前も、幻界のこと話すとき、いっつも嬉しそうなんだよ!」
「え?」
「そんでな、難しい言葉は全然使わないけど、お前が言ってることは難しくて、わかりにくいんだよ、俺には」
「そ、そっかなー?」
「そーだよ!バカ」
「何度もバカって言わないでよ!」
そう言ってリディアはまるで子供のように、唇を突き出して膨れっ面を見せた。あまりにその表情がおかしくて、エッジは大声で笑い出す。が、当の本人、リディアは大真面目だ。
「何そんなに笑ってるのよ。もう、エッジ、嫌い!」
「ははっ、悪ぃ、悪ぃ」
林の手前に広がる草原で、リディアは足元の草たちをかさかさと踏み鳴らしながらエッジの前を歩いていく。
先に歩いたところで、どこにエッジが行こうとしているのかよくわかってはいないのだが。
ちょっとだけヘソをまげてしまった、愛らしい、揺れる緑の髪を後ろから見つめる。
「あのよ、リディア」
「何」
リディアは立ち止まらない。
「また難しい話で悪いんだけどよ」
「何」
さくさく、と2人の足音がお互いに聞こえる。
その音で、エッジがちゃんと自分の後ろから歩いて来てくれるとリディアはわかっているのだろう。
「お前が見た白い鳥は、多分、羽がまだ生え変わってないヤツだ」
「え?」
エッジの一言で、リディアは驚いたように振り向いた。
「羽が、生え変わる?」
「ああ。同じ鳥なんだけどさ、この時期、白かった鳥は茶色くなるんだよ。だから、お前滅多にないもん見たんだぞ」
「そうなの?どうして?」
「あったかくなりゃー人は薄着になるし、寒くなりゃあ人は厚着になるだろ。それと同じだよ」
その説明は本当はかなり大雑把だ。ここにグレースでもいようものなら「いくらなんでも王子、それは」と、女中頭に物申されることだろう。しかし、リディアへの説明はそれで十分だ。
「そうなの?でも、大変じゃない?羽が生え変わるって・・・前の羽はどうなるの?」
「抜けるんだよ」
「抜けたら飛べなくなるじゃない」
「新しいのが生えるんだよ」
「にょきにょきって?それを見られるの?」
「・・・悪かった、説明が足りなかった」
エッジは降参をした。
「ゆっくり生え変わるんだ。みんな一気に抜けたら、お前が言うように飛べなくなるからな。だから、お前が見た白いやつだって、もう換羽が始まってはいるのかもしれないんだけどな・・・次にまた白くなるのは、秋だ」
「・・・エッジって、わたしが思ってるより、物知りなのね」
「だろ?・・・って、おま、俺のことどー思ってるんだよ!」
「なーいしょ!」
リディアはくすくす笑って、エッジから逃げるように軽く走りだした。エッジに勝てるわけがないけれど、それをリディアは知っている。どこにエッジが行こうとしていたかもリディアは知らないけれど、絶対彼が追いかけてきてくれて、追い抜いてくれて、そして2人で走っていくこと。それらがまるで約束していたかのようにリディアはわかっていて、嬉しそうに走り出す。
「なっ、こら、待て!」
案の定エッジはリディアを追いかけた。
前を走るリディアが、息を切らせて「エッジ、どっちー!?」と進行方向を叫ぶ。
「丘の上、丘の上!」
「はーい!」
そういや。
エッジはふと思い出す。
こんな風に走ることなんて、エブラーナに戻って来てからもそうそうなかった気がする。
彼とて、一国に何かがあれば、民衆を守らなければいけない立場だし、実際そう思ってリディア達と共に戦いに赴いた。今だってその気持ちは変わっていなくて、戦いがあればいつだって自分が先頭に立って国を守りたい。
(でも、ちっとサボりすぎだな)
もっと、体を動かそう。頭ばっかり使わされて、逆にバカになっちまう。そうだ、お勉強お勉強って言われているこいつもな。
エッジはそう思いながら走って、前を走るリディアを追い抜いた。そして、追い抜きざまに彼女の小さい手をつかんで、引っ張った。
「きゃ!!」
リディアの足がもつれないように注意を払ってエッジは速度を緩める。
あまり体力がなくとも、さすがにリディアは若くて瞬発力はある。
エッジが思っている以上にはリディアの疾走はなかなかに早く、彼もまた心地良いと思う速度で走ることが出来た。
丘の上まで、ずうっと草原が続いている。どこもごつごつとした岩などはない。
「・・・きゃ!!!」
丘の上に辿り着くと、エッジは急に止まった。思いもよらないほどぴったりと立ち止まられて、リディアは慣性の法則に従って前のめりになった。腕をぐい、とひっぱられて声をあげる。
「到着ー!」
「わあああ!」
どさ。
エッジの胸元にリディアは背中から突撃するようにぶつかった。
もちろんエッジは自分が仕掛けたことであるから、それでよろけたりはしない。
「はぁっ、はぁっ、あーーーもーーちょっとだけ休ませてー!」
そのままリディアはエッジの足元にへなへなと崩れ落ち、ぺったりと草の上に座り込んだ。
「お疲れ。休んでいていいから、ほら、そっち見てみろよ」
「・・・わあ!」
あまり高くもない、小さな丘。
彼らの足で登れるものなのだから、そうそう城下町から遠くはないし、そうそう高台というわけではない。
その場所は、城下町からまた少し離れた郊外の自然がある程度見渡せる、なかなかの特等席だった。
一目で居住区ではないとわかる、草地、どこの誰がそこで働いているのかはわからないけれど、畑、そしてもっと遠くに荒地らしきくすんだ黒っぽい色が点々と見える。
以前、旅をしていた時はこういった景色をよく見たいたし、飛空挺からも見下ろしていたはずだ。
リディアも、あの旅を終えてから、自分がこんな景色を見る機会が減っていたのだということに気付いたように、じいっとその自然を見つめていた。
「本当は、向こうの山登ると、もっとよく見えるんだ。でも、お前連れて今日そっちいくのは無理だかんな」
「わぁ・・・」
「これが、エブラーナの一部なんだぞ」
さあ、感心しろ!とばかりにエッジはわざと偉そうにリディアにそう言った。
ところが、対するリディアからの返事は、エッジの想像を絶する破壊力がある言葉だった。
「これが、エッジがダーイスキな国の一部なのね」
なんてこった。
「・・・んー、まあ、そうだ」
リディアは別にエッジを照れさせるためにそんなことを言っているわけではない。それはわかっている。
ただ、本当に正直に口から言葉がこぼれるのだろう。そして、やっぱりこの少女は、自分がすることなすこと話すこと、数々のことでエッジを虜にしたり、彼の心を癒したりしている自覚もないのだろう。
(・・・あー、もー、これだからこいつはー・・・)
しばらくの間、2人は黙ってその景観を眺めていた。
座り込んでいるリディアの後ろにエッジも中腰になり、彼女の両肩に手を乗せる。
ようやくリディアの呼吸が整ってきたのを感じて、エッジはリディアを後ろから思い切り抱きしめたい欲求に駆られた。
が、いつも側にいたらいたで鬱陶しいと思う護衛忍者達も、いなければいないで逆に気になってしまい、今1歩そういう気分になりきれない。
(なんで今日はホント、護衛がいないんだろう)
ここに来てまでもエッジはそのことにひっかかりを感じていたが、やはり「ま、いっか」と忘れることにした。
そんなことを考える時間は、勿体無いと思えるし。
と、そんなことをエッジが思っているのも露知らず、リディアは明るい口調で声をかけてきた。
「ね、エッジ」
「おう」
「小日向亭のおじさんのムース、おいしかったね」
前方の「エブラーナ」を見たまま、リディアは言う。
「おう」
「それからね、今度山羊見せて」
「ん、約束する」
「そのお・・・こうむ、でもいいから」
少しだけもごもご、と小さくなる声。いいにくいけれど勇気を出して言った、とわかるような声音。
「いいのか」
「うん。そのかわりね」
リディアは自分の肩に置かれているエッジの手をきゅっと握って、うふふ、と笑う。
「さっきの鳥の毛が次に生え変わるときも、今日みたいに、また2人で来よう」
「・・・そーだな」
エッジもそれには笑顔で言葉を返した。もちろん彼の表情はリディアには見えないけれど。
またひとつ、またひとつとリディアが自分の国のことを覚えてくれて、そして好きなところが増えていってくれる。そのことがとてもありがたくて、そして嬉しい。
(ああ、そういや、俺は簡単に「秋」とか言っちまったけど、こいつはちゃんとわかってるのかな?)
秋になったら、また行こう。
そんな気軽な約束を、今の立場の自分が出来てしまうそのことも、とても嬉しい。
エッジは素直にそう思って、彼らしくもなくリディアの手を強く握り返すのだった。

その10秒後、彼らは城から「エドワード王子・リディア次期王妃候補探索隊」に発見されるのだが、彼らはまだそれを知らない。


Fin
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