幸せのきざし-1-

ミシディアに久しぶりにカインが姿を現した日は、穏やかな風が吹く過ごしやすい日のことだった。
試練の山に彼が住んでいることはミシディアでは当たり前に誰もが知っていることだったし、長年一人で試練の山にいる彼が、バロンに縁のものであることもまた知られていた。
が、人とあまり関わりを持ちたがらぬ性質のため、ミシディアでは道具屋と長老、そしてパロムとポロムぐらいとしか会話を交わさないということも、周知のこと。
通りがかればお互い会釈はするけれど、それだけ。
それを打破しようと、あれこれ彼に話しかける者も以前はいた。だが、彼はそもそもがおしゃべりな質ではなかったため、その試みは一向に成果があがらないようだった。しかも、彼はその日のうちに山に戻ってしまうため、親しくなることなぞ無理難題と言える。
最初の2年3年はほとんど山から下りてこなかったし、その後5年6年ぐらいは山を降りて傭兵のような仕事に――彼は嫌がっていたが、ミシディアの長老を通してのたっての依頼だったため仕方なく――出かけて不在の時間も長く。
しかし、今は。
「ねぇねぇ、最近、あの竜騎士さん、以前に比べて随分ここに来るようになったわよねぇ」
「パパに聞いたんだけど、あの人、30歳近くぐらいなんですって。若く見えるのね」
バロンの『赤い翼』に侵略された過去があるので、ミシディア内では彼はあまり兜を被らない。それは、長老からの助言であり願いでもあった。
幸か不幸か整った顔立ちのせいで、彼がミシディアに来た日は女性達が彼の噂話をすることも稀なことではない。
彼はここ最近格段に姿を現すようになったので、尚のこと。
「あっ、カインさん!?どうなさったんですか、その荷物は……」
長老の館から出てきたカインを発見したポロムは、慌てたように彼に駆け寄った。その姿を見て、わずかに微笑むカイン。
彼が最近ミシディアに姿を現す理由は彼女なのだが、彼女のあどけない顔立ちのせいか、カインと仲良くしていても、簡単にそれを理由に結びつける者はあまりいない。
それは、カインにとってもポロムにとってもありがたいことだった。
ポロムは、そもそも早熟だった天才白魔導士。
幼い頃からカインと同等に渡り合えるほどの強気と頭の回転を備えていた彼女の中に、カインへの恋愛感情が芽生えたのは実はかなり早い。
恋愛に対しては晩生であると周囲に思われていたけれど、強い自覚が彼女の中に生まれてから、その思いが抑えられなくなるまではあっという間のこと。
そして、年齢がまだ若くとも、あどけない顔立ちをしていようと、今のカインにとって彼女は大切な存在だ。
もちろん、彼の中にその思いがいつ頃芽生えたのかは、一向に口には出さないけれど。
「旅支度に見えるんですけど」
「ああ、少し、出かけてくる」
「な、長いんですか」
「少し、と言っているだろう」
「カインさんの『少し』はあてになりません」
「確かに」
「確かに、じゃないですよ!」
もう、とむくれるポロム。
本当は、『どこに、何故』と彼に聞きたいし、聞かなくてもカインから言って欲しいのだ。
けれど、あまりうるさく言うのも申し訳ないと思うし、詮索しているところを他人に見られては、二人の仲が疑われる――ポロムは別に構わないのだが、未だ、カインはそれを由としてくれない。当然彼なりの理由もあるのだが――ため、ポロムは口を閉ざした。
と、カインは彼にしてはいささか強引に
「ポロム、悪いが、手土産を持っていきたくてな。お前がこの前調合していた、茶葉を分けてもらえないだろうか」
「え」
「あの、花の香りがするやつだ」
「え、ええ、いいですけど」
「助かる」
ポロムは、驚いたように数回瞬きをしてカインを見上げた。
手土産を持って行く、ということは、知り合いに会いに行くということだろう。
この長い年月、ポロムが知っている範囲では、カインがそういう形でミシディアを離れたことなぞない。
知っていても、馴染みの武器屋だとか道具屋、傭兵斡旋屋といった、手土産らしきものを必要としない間柄の者のところに足を運ぶ程度だ。
しかも、花の香りがする茶を持っていく相手。
「じゃ、このままうちに来ていただけますか?すぐ小瓶に入れてお渡し出来ます」
「ありがとう」
平静を装って言ったものの、ポロムの鼓動は高鳴っていた。
もしかしたら。
その昔、初めてポロムがカインと出会った頃、今はバロン王妃となっているローザに恋心を持っていたことを、ポロムは知っている。
ポロムが知っているということをカインが知っているのかは、まったくもってわからないことだが。
当時はまだポロムはとても幼かったから、周囲はそういった大人の色恋の話を聞いても、彼女が理解出来ないと思っていたのかもしれない。
が、少なくともその頃からパロムもポロムも相当に『ませて』いたし、大人たちの間にまじって日々暮らしていたため、大人が思うよりは彼らは大人の事情をよく理解していたのだ。
(ローザ様のところに、行くのかしら)
ということは、バロンに。
彼の故郷に、ついに足を運ぶ日が来てしまったのか。
長老の館からまっすぐ自分の家に向かって歩きながら、ポロムは一言も話さない。
今口を開けば、余計なことを聞いてしまうような気がするし、変な詮索をしてカインに嫌われたくない。
頭の中では、聞きたい、聞きたくない、黙らなくちゃ、でも、どうして、とあてもないことがぐるぐると渦巻いている。
「……リディアに会いに行ってくる」
「えっ」
そんなポロムの心情を見透かしたか、ポロムの後ろをついて歩いていたカインは、ぼそりと答えを口にした。
「リディアさんのところへ!?」
驚いたポロムは、足を止めて振り向く。
予想以上の剣幕に、今度はカインが数回瞬きをしてポロムを見下ろした。
「何か、問題があるのか?」
「も、問題は、ありませんけど……」
問題があるとかないとかではなく、ポロムが驚くのも無理はない。
ポロムが幼い頃から、バロン国王のセシルとその妻ローザやエブラーナのエッジなどと、カインの親交が深いことは知っている。
他にも、ファブールのヤンや、ダムシアンのギルバート、そして、幻界に住んでいる召喚士リディアもまた。
けれど、仲が良い、親しい、ということと、その人物のもとへ会いに行く、ということはまた別の話だ。
今まで、カインからリディアに会いにいった、という話を聞いたことがない。
が、それを追求して良いのかどうかポロムは悩み、そして思いとどまった。
「どうぞ」
家の扉を開けるポロムに勧められ、カインは入って行き、入り口近くに置いてある椅子に荷物を置いた。
その動作には気負いがなかったし、何の許可も得ないことで、誰かが見ていればそれが慣れたことだとすぐわかるだろう。
「パロムはいるか?」
「いえ、ちょうど今、黒魔法の講義なので」
カインに茶を出そうと、ポロムは棚の食器に手を伸ばし、彼に背を向けたまま返事をした。
「ん?ああ、勉強している、ということか」
「教える側なんですよ」
「そうか」
「本当はパロムは……きゃっ!?」
「パロムは?」
「カ、カインさんっ、あの……」
「うん」
「カップ、を、置かせて、ください」
棚を向いたまま、ポロムは突然カインに後ろから腕を回され、軽く抱きしめられる。
カップを持つ手も、口から紡ぎだす言葉も震えるが、カインはそれをまったく気にせず、腕を緩める気配すらなかった。
観念したポロムは、今出したばかりのカップを棚に置き直す。
そして、自分を後ろから抱く腕をそっと両手で押さえ、背に感じる冷たい金属――カインは鎧を着込んでしたので――に体重を預けた。
「どうなさったんですか、カインさん」
「うん?こうした方が、いいような気がして」
その間抜けな返事に、ポロムは眉根を潜めた。
多分、カインは間違っていない。
彼がリディアに会いに行くと聞いて、ポロムの心の中はざわつき、それを抑えようと健気に振舞ってみても一度生まれた感情は消えることがない。
どんなに平時のように振舞っても、本当は『どうして』『何故』と聞きたいという気持ちがポロムの中では膨らんでいる。
それを我慢していることを、『なんとなく』カインは嗅ぎつけたのだろう。
だからといって、これは。
「カインさん、その、出来ればですね」
「ああ」
「……鎧では、少し、痛いです」
「なるほど、確かに」
更に間抜けな返事をして、カインは腕の力を緩めた。
するりとポロムが彼の腕の中で向きを変えて見上げると、カインは、滅多に見せない穏やかな笑みで彼女を見下ろす。
「次に来る時は、軽装で来ることにしよう」
ポロムは言葉につまって唇を引き結ぶと、こくり、と言葉もなく頷いた。
紅潮した頬を見られたくない、とポロムは再び背を向けて、再度カップに手を伸ばす。
カインは、それ以上は何もせずに椅子に腰掛け、可愛らしい恋人が入れる茶を待つのだった。
 
 
 
客人と呼べる者が来ることなぞ、なかなかない幻界。
ではあるが、時折人間界からリディアに訪問客が現れる。
大抵はエブラーナ国王のエッジなのだが、時にはバロン国王のセシルが来ることもある。
本来、各国の王たるものが、直接幻界に足を運ぶなど許されぬこと。
普通の家臣達ならば、それを止めるのは当たり前と言える。
けれど、あえて彼らは一人で幻界にやってくる。
自分の大切な仲間に会うのに、自分が行かなくてどうするのだ、と。
迎え入れる方のリディアは、あまり人間界、とくに王族やらなにやら、高貴な身分の者に関するそういった都合なぞ知るわけもなく、『わあ、来てくれたのね、ありがとう!』と気にもしない風だ。
いや、気にもしな『かった』のだ。つい最近までは。
「ふー……」
溜息をついて、ベッドの上でごろりと寝返りをうつリディア。
彼女がこんな風に思い悩み、ベッドの上でぼんやりとしていることは、相当に珍しい。
朝一番に、小さなチョコボがやってきてリディアをひっぱっていたけれど、あまり乗り気になれないリディアは自分の居住区に早々に戻ってきてしまった。
どうしたのかしら、とシルフ達は集まって囁いていたが、きっとそういう日もあるのだろう、とついさっき解散したところ。
部屋の外で羽ばたいていたシルフ達の姿が消えたな、ということを、リディアはぼんやりとした意識の中で認識はしていた。
もう一度溜息。
セシル達と月で戦った、あの旅から相当な年月が経過している。
その当時、子供だ、子供だ、と周囲に言われたリディアも、既に思春期は過ぎている。
けれど、ほとんどの時間を幻界で過ごした彼女は、やはり精神的に未熟な面が多く、人間界では年相応と言い難い。
だからといって、もう『子供』とは誰にも決して言われない、それぐらいの成長は彼女もしていた。
(大人になれば)
大人になったら、こんな風に悩むことなんて、ないと思っていた。
子供だから、わからないことや自分で決められないことがたくさんあって、悩むのではないかと思っていた。
何故なら、子供の頃に、母親がそんな風に悩んでいる姿をみた記憶があまりなかったし、ミストの村にいたほかの大人たちも、みんないつだって同じように、明るく笑って振舞っていたから。
そう思っていたのが『子供』というものだが、それを知らせてくれるような人物はリディアの傍にはいなかったのだ。
(エッジは、わたしが大人になるのを、待ってくれていたのかしら)
その名を心に思い浮かべた、と思ったら。
ベッドで仰向けになったリディアは、天井を見ながら瞳に涙を浮かべた。
とめどない思いが、頭の中で浮かび上がる。
それらはすぐには消えずに、まるで脳内にまとわりつくように何か蓄積していってしまうように。
リディアの気分を重苦しくしているのだ。
 
( たとえば、わたしのお母さんは、わたしのお父さんと恋に落ちて、お互いを大切に思って結婚して、そして、わたしが生まれたわけで)
 
(たとえば、セシルとローザはお互いのことをずっと思っていて、でも、なかなかうまくいかなかったらしくて。あの時の戦いを通して二人はお互いに素直になって今では、バロン王と王妃として、いつでも傍にいて)
 
(たとえば、ギルバートのお兄ちゃんは、大好きだったアンナさんとの恋を遂げようとして。結局アンナさんを失うことになってしまったのだけど、彼がアンナさんを深く愛していたこと、大切に思っていたことは、わたしにもわかるし)
 
(たとえば、話をあまり聞いたことがないけど、ヤンもヤンの奥さんと恋に落ちたのだろうし、いつも料理とか教えて優しくしてくれるローザのお母さんも、ローザのお父さんと恋に落ちたのだろうし)

(それらは、とても優しくて、嬉しくて、ちょっとくすぐったくて、でも、素敵なことだと思う)

(だからといって、自分がその『恋に落ちて』いるのかは、よくわからないし、もしそうだとしたら、なんだかみんなの『恋』と違うような気もする……)
 
数日前に、リディアは久しぶりにエブラーナ王であるエッジと会った。それは、約束していたデートだ。
エッジが公務で忙しいから、デートをするときはエブラーナで。
ここ何回かはそういう約束をして、リディアが足を伸ばしている。
とはいえ、あまり城の近くだと、エッジの気分転換にならないから、と城から少し離れた、畜産を行っているようなのどかな場所。
晴れているけれど強くない陽射しにほっとしながら、リディアはのんびりと約束の場所に向かった。
辺りの景色はのどかで、リディアにとっても気分転換になる景色。
否が応でも、気持ちが浮かれてしまう。
彼女は、久しぶりにエッジに会えることを素直に嬉しいと思っていたし、エッジもきっと笑顔で彼女を迎えてくれると思っていた。
けれど、その場所にリディアが到着すると、先に到着していたエッジの表情は僅かに強張っていて。
 
『よ、元気だったか』
 
いつも通りに振舞おうとしているけれど、いつも通りではないエッジの挨拶。
常々エッジは、国のこと自分のことなどで心労を重ねていたとしても、それをリディアに勘付かせないほどにそれっぽく振舞うことが得意だったのに。
なのに、この日の彼はそうではなかった。
 
『エッジ、どうしたの。今日、なんか疲れてるみたい。また、お仕事大変なの』
 
『あー、うん、まあな。ちっとは』
 
『エッジ』
 
『わり。楽しいことして、帰りに話でもすっか、って思ってたけど、こんな調子で楽しいもくそもないわな』
 
そういって笑ったエッジの表情を、なんだかとても疲れている、とリディアは思った。
そして、彼の話を恐る恐る聞いた結果。
彼のその疲れは、昨日今日の話ではなくて――。
 
 
「あああ、駄目だぁ。また同じこと考えてる」
ベッドの上でむくりと起きて、リディアは長年使っているドレッサーの前に座り直した。
ごろごろと寝転がったせいで曲がった髪飾りを付け直そうと、手で触れた。
それは、以前エッジがくれた髪飾りだ。
「……」
なんとなく、悲しい気持ちでそれを外すと、リディアは別の髪飾りを付け直す。
「あんな……」
(エッジに、あんなつらそうな顔をさせたわたしが、平気な顔でこの髪飾りをつけるなんて、やっぱり出来ないよ)
二人でトロイアの城下町に行った時には、必ず雑貨の店や服屋に立ち寄る。
そんな時、リディアは何をどう買えば良いのか今でも悩むのだが、エッジはあれが似合う、これが似合う、とよく彼女に物を選んでくれた。
リディアがそれを気に入ると、エッジは時々それを買ってくれる。
プレゼントを貰うことが申し訳なくて、何か自分もエッジにあげられないかと思い、いつもリディアは嬉しいけれども困る。
ぽんぽん、とリディアの頭を軽く叩いて『気にすんな。俺が、お前にやりたいんだよ』と言ってくれるエッジの声はいつも優しかった。
自分はこうやって彼と楽しい時を過ごして良いのだ、と何かに許されるような気がしていたのは事実だ。
許されるような気が。
(ってことは、何か、自分でも気付いていたんだ。本当は。それをもっと真面目に考えていれば、あんな風にはならなかったのかなぁ)
それは、今考えても仕方がない。
けれど、仕方がない、という言葉をあまりリディアは好まない。
好まない彼女に対して、周囲はいつも『仕方ないことは世の中たくさんあるんだ』と言って、彼女の心を護ろうとしてくれていた。
そうでもしなければ、彼女はいつも、どこまでもどこまでも深く考え込んで、どうにも出来なかったことにも後悔をしてしまう性質だ。
一見いつでも前向きに見えるけれど、それは何もない平時の話。
彼女が生きる場所が人間界であれば、もっと多くの経験を積み、人と摩擦を起こすことも経て、その『仕方ないこと』にとらわれない強さを身につけたことだろう。
けれども、彼女はそうではない。
今までの人生では、人間界にいるよりも幻界にいる時間の方が長いし、生きた年数で考えたら知り合った人間の数もだいぶ少ないと言えよう。
一つの町や村から出ずに生きる人々よりは多いが、という程度だ。
圧倒的に経験が足りないリディアは、今の自分の感情を処理する力がない。
何故ならば、今までどうにもならない時は、エッジが手を差し伸べてくれたのだし。
けれども、今はまさに、そのエッジのことで思い悩んでいるのだ。どうにかなるわけがない。
と、その時、先ほど姿を消したはずのシルフが、ぱたぱたと羽根を羽ばたかせて入り口から入ってくる音が聞こえ、リディアは振り返った。
「どうしたの?」
「リディア、リディア、お客さんよ!」
「え」
どくん。
心臓の音が、高鳴る。
まさか、エッジが。
「なんか、珍しい人。むかーーーーし、来たことがあるようなないような」
「ええーーー?」
シルフの言葉で、来訪者がエッジではないことがわかった。
安心したような、残念なような、もやもやとした気持ちに気付き、リディアは手の平で胸元をとんとん、と叩いた。
その場所を叩いてもどうなるものでもないのだが、なんとなくざわついた自分の心を抑える効果があるように思えたのだ。
どちらにしても、不審者であれば幻界に着く前にリヴァイアサンやアスラが他の幻獣に命令するか、自分達が腰をあげて、阻止するに違いない。
ここまでやってきたということは、知り合いか、あるいは本当に幻界に用事がある者、ということだ。
リディアは慌てて建物から飛び出し、他のシルフ達ががやがやと話をしている方向へと向かう。人間界から人がやってくる時は決まった道を通ってくるので、来訪者に気付いたシルフ達はその人物がやってくるだろう場所で待ち受けているに違いない。
「ね、誰が来……」
たの、と続けようとしたリディアの視界に、武装をしている男性のシルエットが現れた。
鎧兜に身を包むのは当然だ。幻界までの道には、今でも時々魔物が出るし、時にはいたずら好きな幻獣が意地悪をする場合もあるからだ。
そのシルエットには、見覚えがあった。
近寄ってきた男性は少し遠い場所に立ち止まって
「ここまで来れば、大丈夫か」
と声に出し、ゆっくりとした動作で兜を脱いだ。
兜も、種類によっては脱ぎ方も違うし、脱ぎやすさも違う。もちろん、同じ兜をかぶっていても、人によってはそれを外す仕草が違って当然だ。
しかし、ゆっくりとした動作で、少し右に頭をかしげながら丁寧に兜を取るその仕草には、見覚えがある、とリディアは思う。
「もしかして、カイン……?」
「ああ……もしかしなくても、だ。久しぶりだな、リディア」
肯定の返事をしながら、彼は兜を脱ぎとって頭を軽く振った。
ぺたりと額にはりついていた前髪がふわりと浮かび上がり、後ろで結んだ金髪もそれにあわせて揺れる。
「わあ!!カイン!大人に、なってる!」
そのリディアの言い草に、カインは苦笑を見せた。
大人になる、のはリディアだけだ、と彼は思ったからだ。
共に旅をしていた時、既にカインやセシル達は20歳を越えていたし、今はもう大人と呼ばれて長い年月が経ち、むしろ『年とったね』と言われるほうがしっくりするのではないか、と彼は思っていたからだ。
が、苦笑はふっと緩み、あまり人に見せたことのない穏やかな笑顔に変わる。
「はは……それは、こちらの台詞だ。リディア、すっかり大人になったんだな。随分長い間、会わなかったんだと思い知らされる」
「そりゃそうよ!だってカイン、セシルとローザの結婚式も、えーっと、ギルバートとかヤンの戴冠式も来ないんだもの。あ、エッジも、王様になったのよ。面倒くさい、っていって、そういう式に人は呼ばないで、お手紙だけだったんだけど……すごく、久しぶりね。カイン、元気だった?」
リディアはそういって、笑いかけた。
いや、笑いかけたつもりだった。
少なくとも彼女は少しだけ大人になってしまい、会えた喜びを笑顔で表したい、と意識をして笑顔を作ろうとしたのだ。
本当は、喜びだけではなく、どうしてカインが、とか。
もしかして、エッジのことと関係があるのではないか、とか。
彼女の心中はまったく穏やかではなく、ああでもないこうでもない、と考えあぐね、久しぶりに会った『仲間』であったカインに対して疑心暗鬼になっている。
すると、カインは笑みを突然消して、眉根を寄せてリディアをみつめた。
その視線に気付いて、リディアは臆したように
「え、カイン、わたし……の顔に、何か、ついてる?」
と切れ切れに問いかけた。
シルフ達は、カインがリディアの知り合いだと確認したと思ったら、その場から姿を消した。きっと、リヴァイアサン達に報告をしているに違いない――たとえ、カインが幻界までの道のりを通っている間に、それをリヴァイアサンが感知しているとしても、だ――。
「リディア」
「うっ、うん?何かしら?」
「俺はあまり、もともと女性の心の動きだとかに疎いし、人の感情を読み取ることに長けていないが」
「……?」
「何か、あったのか。俺がここに来ることで、そんなに……何の用なのか、怯えるぐらいなのか」
「!」
カインの言葉で、リディアは頬をかあっと紅潮させた。
自分が怯えている、とまでは感じてはいなかったけれど、心が騒いで普段と違うことは自覚している。
それを、久しぶりに会ったカインに指摘されたことが、あまりにも恥ずかしいと思えたのだ。
リディアは必死に言い訳をしようとしたがうまく言葉を選べず、降参してカインに尋ねた。
「ど、どうっ、どうして、わかるの?」
「どうしてと言われても」
「カイン、わ、わたしの、心の動きとか……わたしに指摘したこと、なかったのに」
「……」
なんと言えばいいのだろうか?と言いたげに困惑の表情を見せたカインは、眉根を寄せて少し考えると、ついに小さな溜息をひとつついた。
「そうだな。この先も、あまりそういうことは口にしたくない。人の心のことは」
「じゃあ……」
かつん、かつん、と音が聞こえて、リディアはそちらに気をとられた。
それは、カインが小脇に抱えている兜を指先で軽く叩き、彼の手甲が兜と擦れる音。
たったそれだけの仕草で、彼が言葉を選んでいるのではないかと気付いて、リディアはもう一度カインを見上げた。
「気付かないふりをした方がよかったのかな。正直、そんなに自信はなかったのだが……こんなに久しぶりなのに、言葉をかけずにいられぬほど、リディアが情けない顔をしていたからだ」
「っ……!」
と、その言葉を聞いた途端、リディアの唇は歪み、みるみるうちに両の瞳には涙が溢れてくる。
カインは瞬きをしてそれを見てから、苦笑をした。
「俺は、リディアを慰めるのは得意じゃない。多分。幻獣王達に挨拶をしてこようと思うんだが、それまでに落ち着けるか?」
「う、うん……大丈夫。大丈夫なのよ。それにっ……泣いていたら、カインと、ちゃんと、話せないからっ……」
ぽろぽろと頬に零れる涙は、ぬぐってもぬぐっても溢れてくる。
艶やかな緑色の髪が頬に張り付くが、それを気にかけるよりも、リディアは言葉を振り絞ることを優先した。
「行って、きて。顔洗って……待ってるから、そこ、で」
「ああ。泣かせて、悪かった。でも、きっと今泣かなくとも、何か話をすれば泣いたんだろう。許してくれ」
「ううん」
リディアは顔を伏せて手のひらで覆いながら、首を横に振った。
それは、カインは悪くない、という意思表示。
だが、首を振った直後、それが彼に伝わったのかどうか、リディアは不安になって顔をあげる。
「その……カインのせいじゃあ、ないのよ。ありがとう」
「……ああ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
美人が台無し、とはよく言ったものだ、とカインは心中で呟き、リディアの頬に張り付いている髪をそっと指でかきわけた。
「大人になったんだな。リディアは……行って来る」
涙が止まらないままリディアはカインを見つめる。
彼はそれ以上何も言わず、過去の記憶を辿ってリヴァイアサン達の住処へと向かうために背を向けた。
ここに辿り着くまでに、記憶の中の幻界とまったく変わっていない、と判断したので、彼の行動には躊躇がない。
その背を見つめながら、年を経ても歩く姿というものは変わらないのだな、と懐かしい気持ちになってリディアは泣き笑いの表情を見せた。
 
 
幻獣王とその妻の館に向かうまでに、チョコボやボムといった力が強くない幻獣達が、あちこちにある建物の影から彼の様子を窺っていた。
もちろん、カインはそれをすぐに気付いたが、視線すら向けずに歩いていく。彼はそれに声をかける義理もないし、かけるにしても第一声をどうしたものかまったく思いつかなかったのだ。
館に着いたカインは、入る前に声をかけ、中に踏み入れてから再度『失礼する』と告げる。
すると、辿った記憶通り、館に入ってすぐの広間に、昔とまったく変わらぬ姿のリヴァイアサンとアスラが彼を迎え入れてくれた。
「久しいな、竜騎士よ」
リヴァイアサンは好意的な声音で、カインに声をかけた。それをありがたく思いつつ、『久しく』と深く頭を下げるカイン。
「私用でリディアに会いに来た。人間を迎えるのは好まないかもしれぬが、しばしの間お許しいただいてもよろしいだろうか」
「主もあのエブラーナの若造も、口のきき方はなっていない、が、そのような物言いしか出来ぬ性分なのだろうな」
「人の世では長いとされる年月、なにがしかのために一人で生きる道を選んだと聞いておりました。こうやってリディアのもとに来るということは、それを止めたということなのでしょう?」
幻獣王とその妻。
彼らからすれば、カインが試練の山で過ごした日々は、とりたてて長く感じるものではないということを、カインは知っている。
けれど、それでも人間界の時間の流れ、幻獣に比べれば瞬く間に死んでしまうであろう人の命を慮って、彼らは言葉を選んでくれているのだろう、とカインは感じ取った。
「リディアの故郷、ミストの復興をバロンが手伝っていると聞いて。リディアはミストとこちらを往復しているとか?」
「ほんの時々、な。なんだかんだ言ってあの子は幻界で育ったようなもの。ミストの村が焼け落ちた後も、お前達と旅を続けておったし、ミストの村人が簡単には信じられぬほど成長もしてしまった。あちらに居を置いて生活をするには、あの子の存在はミストから離れてしまったようだ。それもいたしかたなし」
「けれど、あの子はあの子なりに、時々足を運んでは手伝っているようです。復興というものは、その場にいる者達が行うこと。いくらミストの生まれとはいえ、あの子は多くは口を出せる立場ではありませんしね」
「なるほど」
幼かったリディアは、炎で焼け落ちるミストの村の周辺地面を、タイタンを召喚して引き裂き、崖崩れも巻き起こした張本人だ。
生まれ故郷だから、という理由以外にも、彼女が復興を手伝いたいと思う理由はいくつもある。
けれど、幻界からミストに戻ることもしない、その気持ちもわからないでもない。
「ミストに足を伸ばすだけでなく、あの小うるさいエブラーナの若造とも会っていたようだが……何があったやら」
「あなた」
リヴァイアサンの言葉をたしなめるアスラ。
(なるほど。多くは語らないが、今のリディアの状態がおかしいことぐらい、幻獣でも気付いている、というわけか)
そのことでこの二人に対して告げる言葉は、まだカインには何もない。
昔話や今の話をリディアと楽しむ時間をいただきたい、と当たり障りのない申し出をして、当たり障りなく許可を得る。
リヴァイアサンは、まだ彼に何かを言いたげだったが、それ以上は無用、とカインの方からあっさりと退出をした。
幻獣と会話をすることも久しぶりのことだったが、こんなにも人間的だっただろうか、と思いながら。
 
 

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