幸せのきざし-2-

どうやら、リディアは顔を洗ったのか、かなりすっきりとした表情になっていた。
数人のシルフがああだこうだといいながらリディアの周りを飛んでいたが、入り口から入ってくるカインの姿を見て、みんな飛んで出て行ってしまう。
小さなテーブルの上には焼き菓子らしきものとティーカップ並び、丁度カップにポットから茶を注ぐところだった。タイミングが良いにも、ほどがあるな、とカインは肩を軽く竦めたが、リディアは気付いていないようだ。
土産に、と持ってきた茶葉が入った瓶をテーブルの上に、兜を床に置くカイン。
普段はあまり床に近いところに置かないのだが、リディアが住んでいる建物には、彼が兜を置こうと思えるような場所が運悪くなかったのだ。
「花の香りがする茶だ。あまり量がなくて悪いが、よければ後で飲んでくれ」
「素敵!ありがとう。カインがお土産持ってきてくれるなんて、ふふふっ、なんだか不思議な気分」
「だろうな。俺も、妙な気分だ」
妹がいれば、こんな気分なのだろうか。
そんなことを思いながら、カインは勧められるまま、木の椅子に座った。
「あ、鎧、脱ぐ?」
「ああ、大丈夫だ、このままで。手甲だけ外させてもらおう」
かちゃかちゃと小さな音を立てて、カインは僅かに軽装備になる。
こうやってリディアとカインが二人きりで茶を飲むことなぞ、初めてといえた。しかも、リディアが茶を出して、となれば余計に。
「これ、ちょうど今朝焼いたの。よかったら食べて」
「リディアが」
「そうよ。わたしだって、さすがに料理とか、自分で毎日やっているのよ。そのう、そんなに上手には出来ないけど、食べられないってほどではないと思うの」
あからさまに恥ずかしそうなリディア。
茶を注いだカップをカインの前と自分の椅子の前に置くと、軽い身のこなしで椅子に座る。
「どうぞ」
「ありがとう」
軽く礼を言って、カインは茶に口をつけ、それから遠慮なく焼き菓子に手を伸ばした。
ごつごつとした形のそれは、生地をぽとりと落した状態でそのままかまどにいれて焼くいたものらしく、表面は硬く、中はほろほろと崩れる食感のものだった。
確かにそれは、彼が昔バロンで食べていたものやローザが焼いたもの、ミシディアでポロムが時々焼くものに比べれば、かなり粉の味が強く、素朴な焼き菓子だ。
が、幻界で焼いたもの、と思えば、不思議と「らしい」と思える。
「カイン、急にどうしたの?わたしに何の用事?」
「ああ、用事というほど大層なものでもなかったんだが……今更、もう一度リディアの心を乱すこともないのだろうが……」
「え?」
彼の言葉に不安を煽られ、リディアの表情が強張る。
「だが、リヴァイアサン達の言葉を聞いて、やはり、今リディアに会いに来たのは間違いじゃなかったみたいだ」
「何……?」
「少し、真面目な話をしていいかな。リディアが聞きたくない話かもしれないが。その後に、まだ俺がリディアの役に何か立てるなら……さっき、泣いてしまった理由を、もしリディアが俺に話したいとか、そういう……そういうことを、思ってくれるなら、いいのだが」
リディアは、カインを見つめた。
カインはカインで、何故先ほどリディアが泣いてしまったのか、カインの来訪に怯えたのか、それらを聞きたいに違いない。
けれども、あえてそれを後回しにするのは、どういう意図なのか、と彼の言葉を脳内で反芻をした。
どうやら思いのほかカインは重苦しい話題を抱えて来たようで、それを聞いても尚リディアがカインに今までどおり接することが出来るなら、とほのめかしているように思える。
(打ち明けた後で……話さなければよかった、とか、わたしが思わないように……?)
カインの真意はリディアにはわからない。
そもそも、カインとリディアは共に旅をしていた時ですら、どこまで意思疎通が計れていたのか、今思い出してもお互いあまり自信がない。
が、だからこそ、カインはリディアが自分の話をどう受け取るのか予測出来ず、ここまで足を運んだ以上はどうあれ先に自分の話をしてしまわなければ、と思ったのかもしれない。
そういうところはエッジのように『しゃーねーな、今日はこいつの話を先に聞いてやるか』という風に簡単に折れるわけにはいかないのだ。特に、今日のカインは。
「えっと、大丈夫。それに、カインの話を聞いたら、少し落ち着くかもしれないし」
「……とは思えないが……リディアの方が、まだ話す準備が出来てないようなら、遠慮なく」
顔を洗った、大丈夫、といっても、リディアの発言はそれと裏腹で、まだ落ち着いていないということをカインに知らせる。
カインはもう一口茶を飲んでから、どう話を切り出したら、と少し困惑の表情を見せる。
もちろん、その様子を見ているリディアの方が困っているのだが。
「うーん……俺は、まだ正式に、ミストの人々に謝罪をしていない」
「!」
リディアは驚いて目を大きく見開いた。
彼の言葉が、あまりにも予想外のものだったからだ。
「え、あ、うん、そう、だっけ」
「そもそも、ミストの村に生き残りがいると知ったのも遅い話だったし……当時の俺は、謝罪をしたところで、何が出来るわけでもなかったし。謝って済むような問題ではない。それは、リディアに対しても同じこと」
「そんな……だって、カインは……セシルに聞いたよ。ミストにボムの指輪を持っていったのはセシルの役目で、カインはそれに付き合っただけだって」
「ミストドラゴンを倒したのは、俺だ」
「……どうして、そんな話を、今頃?何かあったの?まさか、ミストの人がカインを責めにいった、なんて、そんなことないわよね?」
リディアの言葉を聞いて、今度は逆にカインが目を丸くする番だった。
言葉を止めたカインを不審がって、リディアは眉根を寄せて彼をみつめた。
「はっ……はは、リディアは、本当に大人になったんだな」
「えっ、な、何どういうこと」
「いや、嫌な話をされているだろうに……拒絶もしなければ、どうして俺が今更そんな話を、と逆に気遣いをするなんて」
「ええー、普通じゃない?んー……でも……久しぶりに会うカインが、そういうならそうなのかもしれないわね。わたし、少しは人を思いやれるようになった?」
「そういう意味では」
なくて。
もともとリディアは人を思いやる少女だった、とカインは思う。ただ、人の心の機微に敏感かといえばそうでもない――それは性格ではなく、経験によるもので――ため、カインとしては少し近しいものも感じていたのだが。
「ありがとう。いや、俺は特に誰に何をされたわけではなくて、自分の問題と向かい合ったらな……今まで、俺は一人で試練の山の上で暮らしてきた。自分の心の弱さでみなを裏切ったこともあったし、それは、裏切りから解放されたことで心が強くなる、ということでもない。こんな心が弱いままでは、人を傷つけるばかりなのだろう、と思っていた」
「そんなことないのにっ……」
「……まあ、こういえば聞こえはいいが、俺は逃げたんだ。誰かと関わって傷つくことも、誰かを不幸にすることも。ミストの村に生き残りがいると聞いても、俺は謝罪に行かぬほうがよい、行って、また誰かと関わることでまた俺の弱さのせいで人々を傷つけることもあろうとな。逃げでもあるが、実際、ミストの人々は俺に謝罪をされたところで、昔を思い出して苦しいだけで、何も良いことはない、と思う。俺は、何か過ちを犯した時に、申し訳ないと思ったら謝れば良い、というのはすべてに共通する答えではないと思っているんだ」
「ええと、わ、悪いこと、っていうか、何か……謝らなきゃいけないことをしても、謝らない方がいいってこと……?」
「ああ。時に、謝るということは、謝る側の自己満足で、謝られた方は、許したくないのに許さなければいけなくなるのだろう、とか、色々と考えた。謝罪もせずに、なんという悪党だと恨まれても、その方がまだ良いことがあるのだと思う」
カインはそういうと、静かな視線をリディアに向けた。
大人になった、と思っても、リディアには少し難しい話だろうか。彼女の気持ちを傷つけないだろうか。
そして、そう思ったことを口に出した方が良いのだろうか、という葛藤。
彼のその思いをどこまで気付いているのか、あるいはまったく気付いていないのか、リディアは眉根を寄せて自分のカップを両手で包んだまま動きを止めている。
何か、考えているのだろうとはわかるけれど、その表情からは彼女の気持ちを読み取ることはカインには難しかった。
「えーと……わたし、カインの言っていることは半分くらいしか、わからないかもしれないけど」
「ああ」
「それは、今わたしにこの話をして……お母さんが死んだ時の事を、あの日のことを思い出させると、わたしがつらいだろうっていう、そういう意味かしら」
「そう受け取ってもらっても、問題ない、かな」
リディアは、ティーカップを両手で持ちあげ、一口だけ茶を飲んだ。
思い悩んだ風に液体の表面を見つめたまま、テーブルに肘をついたままでリディアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……そうだね。確かに、もう終わった昔のことだけど、思い出せばここが痛いし……でも、悲しいけど、カインが謝っても謝らなくても、お母さんが死んだことに対するわたしの気持ちはきっと変わらないと思うの。でも、それって、カインが自分で言ったみたいに……自己満足なのかなぁ。謝る方の。わたし、よくわからないけど、カインの話を聞いたら、謝った方がいいとか悪いとかどっちも言えないし……でも、そうやってミストのことをずっとカインが思ってくれていることは、嬉しいっていうか……ちょっと、じんって来たのよ。ごめんね。カインにはつらいことなのかもしれないのに」
言葉がまとまらない、と言ってリディアは照れ笑いを見せた。カインも、それに微笑み返し、話を続けた。
「ミストの様子も変わっているのだろうし、人の心もそうやって昔を忘れたり、つらいことを心の奥に閉じ込めたりして、前を向くために変わっていくのだろう。それを蒸し返しても問題ないほどの時間は経っているのだろうが……だからといって、思い出させるということが最善かどうかは誰にもわからない。時を経て人の傷が癒えたように見え、形を変えても、根っこには消えない何かが残っているかもしれない。少なくとも俺はそうだった」
「ごめんね。わたし、カインが話してくれても、ちゃんとわかっているのかどうか、やっぱりあまり自信がない」
失望させただろうか、と不安に思っているのか、リディアはもう一度同じことを繰り返した。
「いや、いいさ。俺は、リディアにわかって欲しくて来たわけじゃない。ただ、俺がどんな風に考えているのか……ようやく言葉にして、伝えようと思えたから」
リディアに何かを告げて、肩の荷が下りるわけでもない。
それはカインもわかっていた。
自分の肩の荷を降ろすために、人に懺悔をするような、そんなことを考えて来たわけではないし、自分の告白でリディアの肩に新たな荷を積ませるつもりもない。
ただ、話したかったんだ、ともう一度カインは静かな声音でリディアに告げた。
過去、このような穏やかな心持で、リディアとミストのことを話したことなぞ、カインにはない。
それを思えば、今日こうやって彼が来たこと、リディアに話したということがどれほどのことなのか、リディアにもおぼろげに理解出来るだろう。
と、リディアは何かを考えたようで、カインから視線を外し、テーブルに置いたカップの中身を再びじっとみつめている。
その様子を見てカインは、『昔からそうだったな』と心の中で苦笑をした。
リディアは、人の感情にまつわる話に関して、早く答えを見つけるのが得意ではない。
相手が何を考えているのか、とか、自分は何を求められているのだろうか、とか。
経験が足りない彼女は、ああでもないこうでもない、と相手のことをあれこれ想像するけれど、きっとこうだ、と自分なりに答えを決定する勇気がいささか足りない時がある。
ローザは、それが得意だ。
彼女は人をよく観察しているし、相手が何を考えているのか、今何をしたいのかを汲み取って、先回りをするのがそもそも好きな性分だからだ。
だが、リディアはそうではない。先回りしてあげたい、と彼女が思っているとしても、『本当にそう思ってるのかしら?やっぱり、聞いてみよう』と、自分が導き出した答えに自信をもてない。
もちろんカイン自身はどちらかといえば彼も後者なので、リディアのそういう気持ちがわからないでもない。
だから、今も静かに彼女の心が決まるのを――それが一体何なのかはわからないが――待って、彼女からの言葉を聞きたい、と彼は口を閉ざした。
と、リディアはぐい、と突然顔をあげ、カインをまっすぐにみつめながら少し大きな声を出した。
「ね、カイン!」
「何だ?」
「今から、わたしと一緒にミストに行かない!?その、謝るとか謝らないはどうでもいいの。カインに、見て欲しくて!」
思いもよらないリディアの提案に、カインは言葉を詰まらせて彼女を見つめ返すのが精一杯だ。
何を聞いていたんだろうか、リディアは。
たとえ謝るとしても、謝らないとしても、彼がミストに行って、あの日彼の姿を見た者がいれば、きっと。
「鎧とか、ここに置いていって。ね、お願い。わたしの我侭、聞いて」
 
 
リディアの我侭を聞き入れて、カインは鎧を幻界に置いていくことにした。
しかし、それではいかにも鎧を着るための服、とわかるような恰好になってしまう。
体に沿う形の黒いシャツと薄手の黒いタイツの境目の腰部分に、リディアに借りたストールを巻き、一体どこから持ってきたのか皆目見当がつかない皮のブーツをシルフ達が用意してくれたので、足元はそれなりに整った。
「カインって、実は装飾品似合うのね。見たことなかったけど」
「……そうか?」
更に、首に銀細工のおおぶりのネックレスをすると――それは、エッジがよくじゃらじゃらと首に下げているから、とリディアが提案をしたのだ――リディアも目を丸くするほど、『見たことがないカイン』が仕上がった。
鎧を置いていく、ということは、人間界に続く洞窟がいささかカインには不安に思えた。しかし、それをリディアに言うと
「大丈夫。リヴァイアサンにお願いして、幻獣の道を使うから!」
と、意味がわからない言葉が返ってくる。
「行こう、カイン」
「あ、ああ」
リディアは強引にカインの腕をひっぱり、急かす。
姿は大人になっていても、この、思い立ったらすぐに、という様子が昔のリディアと変わっていない、とカインは苦笑をした。
ティーカップを出しっぱなしのまま、リディアとカインはリヴァイアサン達の館へ向かった。
リディアが一緒ということもあって、さすがに今度はチョコボやボムなどが声をかけてくる。
「その人間、前に来たことあるよね?」
「リディア、何急いでんの?」
彼らの問いかけに、明るくリディアは言葉を返しながらも、歩調を緩めない。
昔はよく『歩くのが遅い』とエッジに呆れられて、みんなに歩調を緩めてもらうことが多かったリディア。
それが、今はしゃきしゃきと、逆にカインが早足にならなければいけないほどに歩いている。
カインが驚いていることにきっとリディアは気付いていないに違いない。
「おお?一体何の騒ぎじゃ!」
さすがにリヴァイアサンもアスラも、突然装いを変えてきたカインを見て驚いたようだ。
のみならず、更にはリディアがなにやら早口でまくしたて、その珍しい様子に二人そろって目を白黒させているようにカインには見えた。
カインは話がわからないので、三人の会話を静かに聞いているだけだ。
「ミストに今から行きたいの。ほんのちょっと。一刻ぐらいでいいの。それでね、カインも一緒に幻獣の道を使うのを、許して欲しいの」
「何だと。あれは、普通の人間に開けたりはせぬぞ」
「そこをなんとかお願い!別に、大丈夫なんでしょ?わたし聞いたの。デモンロードと同じようなものだって」
「あなた」
アスラが肘でリヴァイサンの体をつつく。その様子を見てカインは目を丸くした。
あまりにもそれは、人間の仕草そのものだったからだ。
カインはあまり幻界のことを覚えていなかったが、こうやってしみじみと三人――幻獣二人を、そもそも二人、と数えるべきか彼にはわからなかったが――の様子を見ると、本当の人間の親子のように見える、と思う。
やがて、これまた大層人間くさくリヴァイアサンは、わざとらしい深い溜息をついてカインに向き直った。
「むう、仕方あるまい。よし、竜騎士よ、リディアに掴まっておれ」
「え、あ、ああ」
「掴まっておれ、とはいったが、その、あまりしっかり掴んでも困るし、なんだ、そんなに触ってはいかんぞ」
「何言ってるの、リヴァイアサン?カイン、ちゃんと掴まってね」
リディアは、リヴァイサンが何を言いたいのかをまったく意に介さず、むしろカインの腕に両腕を絡めて自分から密着してきた。
「おい、リディア」
「あんなことリヴァイアサン言ってるけど、しっかり掴んでないと大変なことになるんだから。幻獣の道を通れるのは幻獣と召喚士だけだから、わたしから離れちゃったら、カインどっかにいっちゃうのよ」
「えっ」
何を危険なことを、さらっと言うんだ?
そうカインが言おうとしたその時、目の前にいるリヴァイアサンの輪郭がゆらりと揺れた。
それに気付いて、身の危険を感じたカインは反射的にリディアの腕に自分からもしがみつく。
「っ!!」
目の前に、大きな黒い穴が突然ぽっかりと開いた。と思った次の瞬間、リディアは床を蹴ってその穴へ飛び込もうとする。
カインは躊躇してリディアに体を預けきれなかったが、まるでそれを見越したかのように、黒い穴は広がると、意志を持つカーテンのようにカインの体を包み、自分から彼を引き摺りこんだ。
黒い。
暗い、とは違う。黒い。
浮いているような、浮いていないような。
浮遊魔法のレビテトとも違う、足裏の心許なさ。
カインは無意識でリディアをつかむ手に力を入れた。リディアもそれに気付いて、ぎゅっと彼の腕を強く抱きしめたのだが、カインはそれすら気付く余裕がない。
「う……わ!!」
すとん、と、突如重力に強く引かれたように落下した、とカインは感じて声をあげた。が、実際は彼が物理的にそこで『落ちた』のは10センチ程度の高さだった。
長いトンネルを、ほんの一瞬で抜けたような感覚。
しかも、最後には『早く出て行け』とばかりに、そのトンネルに押されたような気がカインにはした。
黒い穴から出てきた彼を出迎えたのは、足裏に感じる土の感触と、降り注ぐ眩しい日差し。
反射的に瞳を閉じて、カインは目がしらを抑える。
「カイン、驚かせた?」
「ああ、若干」
ゆっくりと瞳を開けて、カインは口端を歪ませた。苦笑をしたつもりだったが、彼の顔の筋肉は彼の思う通りの形は作ってくれなかったのだ。
思いの他彼は異質なものへの戸惑いが強かったようで、体に残る感触を振り払うようにぶるっと身震いをした。
「ごめんね。ゆっくり説明してると、リヴァイアサンすぐ気分変えちゃうから」
「そうなのか」
「ね、カイン、周り見て」
リディアに言われて、カインはぐるりと辺りの景色を見渡した。
見覚えがあるような、ないような。
周囲にまばらに生えた木は、どうも成長しきってないようで中途半端な高さだ、とカインは見上げる。
少なくとも、その木々がバロン近郊のものだということは、すぐに把握出来るのだが。
「この木ね、みんな、植え直したの」
「……だから、育ちきってないのか」
「うん。昔、洞窟を抜けてきたら、周りにいっぱい木があったでしょ?それも、焼けたり、タイタンのせいで倒れたり、めちゃくちゃで。わたし、あまりこういうことに詳しくなくて知らなかったんだけど……森って、放っておけばまた森になるわけじゃないのね。一度死んだ森は、人が助けてあげないといけないんだってミストにいるおばあさんが言ってたの」
そう言って、背丈のまだ足りない木々を見上げるリディアの瞳は、まっすぐだ。
「みんな、もとのミストにしたいって思ってるのよね。また同じ場所に植えるっていうことは。変わりたくないって、思ってるんだ」
彼女の言葉は、カインに向かって話しているというよりはひとりごとに近いようだ。カインはそう思い、それ以上木々についての話をリディアにはしなかった。
それから、リディアの案内で、カインは復興途中のミストの村へと足を向かわせることになった。
村までの道で、ぽつりぽつりと話すリディア。
リディアの母親と生命を共有していたミストドラゴンを倒し、ミストの村を焼いてしまったあの日。
村の男達の何人かは森に狩りに出ていて助かったし、年寄りや若い夫婦でも、薬草摘みに出かけていた数名も助かっていた。
火事は確かに惨事であったが、あの時村にいた人間全員が焼け死んだわけではない。
リディアが召喚してしまったタイタンが地面を揺るがしたことで、焼け落ちた家に大木が何本も倒れ、むしろ消火につながった場所もあったというのだ。
それは、リディアにとってはわずかであってもほっとしたことだろう、とカインは思う。
「あっ、リディアだ!」
少し歩くと、年の頃5,6歳と思われる少年少女三人が遠くからリディアをみつけたようで、手を振る姿が見えた。
「こんにちは!今日は、お友達を連れてきたの」
「へー、リディア、あれじゃないの、コイビトってやつじゃないの!?」
「やだもう、何言ってるの」
「違うよ、サニー、コイビトは、あれじゃん。オウジだよオウジ!」
「トンクこそ何いってるのよ、オウジはもうオーサマになったんでしょ!」
彼らの会話で、「オウジ」と言われているのがエッジではないかと想像して、カインは小さく笑った。
が、隣にいるリディアの表情が僅かに強張ったことに、彼は気付く。
それについてここで声をかけるべきではない、と判断したカインは、リディアの気持ちを逸らそうと、自ら子供に声をかけた。
「俺はリディアの恋人じゃない。えーと……友達だよ」
「おおお!しゃべった!」
「しっぶーい!」
渋い、とはどういうことか、とカインは眉根を軽く寄せたが、子供達の反応のおかげでリディアは小さくくすくすと笑い出した。
少しは彼女の気持ちの緩和になったならばいいか、とカインは胸を撫で下ろす。
子供達はというと、そんなどうでもいいことでひとしきり騒ぎたててから『かあちゃんに知らせてくる!』と走って行ってしまった。
その様子だけを見ると、まったく普通の村の子供達と変わりがない。
「今のミストには夫婦がふたつ……二組っていうの?いてね。サニーとミアが兄妹で、トンクはまた別のおうちの子なの。でも、サニー達のおとうさんはこの前死んじゃって……顔の半分くらいをあの日の火事で火傷しちゃってたんだけど、いい人だったのよ」
今度は、カインの表情が翳る番だった。
リディアはそれに気付いたように、カインの服の袖を軽くひっぱった。
「カインは、まだ辛いの?」
「……当たり前だ。きっと俺がミストの人々に謝ろうが謝るまいが、それは一生変わらないだろうな。悔もうが何をしようが、人を傷つけたことは何ひとつ取り返しなぞつかない。そのことをつらく思わない日が来たとしたら、それは俺が人間を辞める日なのだろう」
「でも、カインに辛くなって欲しくてきたわけじゃないの。カインはあの日しかミストの村見たことないと思うけどね、昔建物があったところに今も建物を作ろうとしててね。昔木が生えてたところに木も植えたの。井戸もそのまま。みんな、少しでも昔のミストに戻りたくて、昔のミストのこと知ってる人が、ミストの面影を追っかけてるみたいに」
そう言ってリディアは笑った。
「だから、大丈夫なんだよ。失われた人達は元に戻らないけど、生きている人達は、カインが言ってるように、カインが持ってるように胸の奥に痛いのをずっと抱えてるのかもしれないけど、そのことより今日の夕ご飯とか、荒れてる土地をどうしようかとか、そっちのことがみんな大事なのよ」
「なら、尚のこと、昔のことを蒸し返す必要はないだろう。たとえ、俺を憎んでる人間がいたとしても、俺が謝って解決することでもないだろうし」
「そうなのかな。よくわからないけど。でも、カインが言いたいこと、少しはわかるの。サニー達のおとうさん、自分の火傷を見ることで、みんながあの火事のことを思い出したりするんじゃないかって、前に悲しそうに言ってたから。そういうことなんでしょう?」
「!」
リディアの言葉にカインは衝撃を受けた。
わかっていた。どういう形であれ、自分が与えた遺恨はどこかには残っていて、どんな形であろうと消えていないのだろうと。
けれど、それをリディアの口から語られるということは、それを聞いたリディアもまた胸を痛めたに違いないのだ。
「ね、こっち来て……あそこ!」
子供達が村で待ってるんじゃ、とカインは言おうとしたが、リディアは有無を言わせずにカインをひっぱった。
ミストの村に入る手前に、崖が削れて出来たような上り坂が見えた。
それはすっぱりと削れているため、驚くほどまっすぐ最短と思える距離で高台に上ることが出来るようだ。
坂道は、試練の山を往復しているカインにとってはなんということがなくとも、リディアにとっては少し傾斜が厳しい。
ふう、と息をつきながらリディアは高台に先に上り、後から来たカインを振り向いた。それは、カインが驚く表情を見たかったからなのだろう。
「おお、これは……」
目前に広がった景色に、カインは感嘆の声をあげる。
「ねっ、そんなに高さはないけど、ミストの村も見えるし、砂漠もすこーし見えるのよ!」
「すごいな。飛空艇から見るのとは、違う」
「飛空艇は高すぎるのよ!」
「はは」
リディアに案内されたその場所は、ミスト付近が一望できる高台。
地面には雑草が生い茂っているが、雑草の中でも花をつける種類があちらこちらに混じっているようで、紫色や白色がちらちらと見え隠れしている。
「ここね、あの日のタイタンのせいで崩れて、登れるようになったんだって」
「そうなのか!」
「だから、小さい頃はここからの景色ってみたことがないんだけど……それでも、変わってないなーって思えるの。不思議よね」
そう言ってリディアは雑草の上にごろりと寝ころんだ。
カインも腹をくくってリディアの横に腰かける。
先ほど幻界から来た時はまぶしいと思った日差しも、こうして落ち付いてみると実はそんなに強くない。
ミストの村から一筋の煙が高くあがっており、寝転がっているリディアはそれを指さした。
「あれねぇ、燻製作ってるんだって」
「燻製」
「きっと、帰りに貰えるわよ!」
カインは曖昧な返事をする。
自分のようなものがミストに来て、土産までもらって帰れるものか、という心情なのだが、リディアは意に介さない。
「カイン、さっきの話の続きなんだけど」
「ああ」
「サニーのお父さんがくじけてた時にね。誰も、昔のことを悪く言わなかったのよ」
「……ん?」
「サニーのお父さんにね、お前は顔が地味だから、それぐらいの火傷でもないと人に覚えてもらえないんだからちょうどいい、なんてひどいことおばあさんが言ってた。それから、火事を起こすように仕向けた悪いやつは、リディアやバロンの王様がこらしめてくれたんだ。ありがたいことだ、って話もしてた。本当はちょっと違うんだけど、でも、みんなはそう思ってるの」
リディアは、草むらに埋もれて空を見ながら、カインの方へ視線を移さずに言葉を続けた。
「セシル達がミストを守ってくれるし、カイポを越えてダムシアンのギルバートお兄ちゃんもね、たまに来て歌を歌ってくれるの。そうやって他の国を受け入れなきゃ復興も出来ないぐらいひどかったらしいんだけど……誰も何も言わないのよ。だからって、誰も何も言わないからって、そんな簡単な話じゃないってこともわかってる」
「……そうか」
「だってね……わたし知ってるんだぁ。冬になって暖炉に火をくべたらね、一番年とったおじいちゃんが、炎見て、子供みたいに泣きだしちゃったこと」
暖炉の火。
それは、食事を作るための日々のかまどの火とは異質な炎だ。
橙色の揺らめき、近づいて肌が痛くなる熱量。
それが、まるであの日のミストを思い出させるのだろう、とカインが理解出来ないわけがない。
黙ったリディアはずっと空を見つめたまま。
カインは何を考えているのかとらえどころのないリディアの表情を見つめ、それからがくりとうなだれたように自分の頭を右腕で抱え、うめいた。
「……そういうことだ。そういうことなんだよ、リディア」
人々が普段口に出さない思いを蒸し返すことへの恐れ。
まさに、カインの懸念はリディアの話と質が似ている。
「でも、みんな言わないのよ。ね、カイン、みんな人って優しいよね。カインはさ、みんなの心の中にのこってる、その、昔の痛みとかそういうのを心配してるわけよね」
「ああ……俺が、話を出すことで、そのおじいさんのように閉っておいた引出から痛みをひっぱりだしてくることが、つらいと思えるんだ」
「でも、みんな優しいの。優しいのよ、カイン。大丈夫なの。痛くてももう一度引き出しにしまっちゃうと思うの。それで、その引き出ししめる時は、きっと前より強引じゃないと思うのよ」
「リディアは、俺に、人々に謝れと言ってるのか」
「ううん」
「……そうなのか?」
ようやく、リディアはじっとカインを見上げる。
その緑色の髪には、草の中に混ざっている雑草の花がぽつぽつと頭を垂れており、まるで小花で髪を飾っているようだ、と、まったく関係がないことをカインに思わせた。
「昔のわたしなら、そう言ってたんだと思う。でも、多分わたし、大人になって、少し考え方も変わったっていうか、以前より少しは他の人の……自分と違う意見を聞けるようになったんじゃないかな」
自分と違う意見を聞ける、ということは、やはりリディアは内心では謝罪をすべきと思っているのか、とカインは勘付いた。
だが、それが当たり前で、まっとうな意見であることも、カインは重々承知しているのだ。
「変わっていくのって、ちょっと怖い」
「自分が、か?」
「自分も、周りも。ミストが復興していくのを見ると、ああ、みんな元に戻ろうとしてるんだって思うけど、でも、実は全然わたしが知ってるミストじゃないの」
「……」
「自分が昔いた場所のように、時々思えない。逆に、ここからの景色のほうが、昔と変わらないって感じたりして、変よね。それで、村に行くと、変わったことへの、なんていうんだろう。そう、違和感っていうのかな?それに、時々悲しくなるの。でも、みんなの笑顔見れば、そうじゃない、これがみんなにとっては良いことなんだ、って思えるし」
そう言うと、リディアは瞳を閉じた。
昔の彼女がそうやって、話の途中で言葉を切って、相手を置き去りにするのは、物思いにふけった時だとカインは思い出す。
が、なんとなく、それではない気配を感じて、カインは草の上で一度腰を浮かせて座り直した。
リディアはカインに何かの答えを与えるために話していたわけでもなく、彼が言う通り、彼の言葉を聞いて、そしてそれに対して思ったことを素直に言葉にしているだけだ。それは、カインにとってはありがたいことだったし、だから、これ以上何かの答えを求めるために、ああでもないこうでもないと話す必要も彼らにはないのだ。
であれば。
「リディア。エッジと、何かあったのか?」
カインは、次はリディアの番だ、と自分からバトンを渡した。
リディアはそれを素直に受け取ったようで、瞳を開けて彼を見上げた。
「ね、カイン。わたし、少しは大人になって、変わったところもあるわよね?」
「ああ、そうだな」
「さっきの話も、昔の自分だったらもっとはっきりしたことを言ってカインを困らせたんだと思うの。そう考えたら、変わるってことは悪いことじゃないって思えるんだけど……」
けど、ということは、変わるということを本当はあまり歓迎していないという意味だ。
柔らかく吹く風にあおられた前髪を整えながら、カインは呆れるほどはっきりとリディアに聞く。
「なんだ。エッジに、プロポーズでもされたのか」
 
 
 
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モドル