幸せのきざし-3-

「なんだ。エッジに、プロポーズでもされたのか」
「ど、どうしてっ、わかるの」
リディアは慌てて飛び起きる。
その様子が可愛らしい、と思えて、カインはうっすらと微笑んだ。
「いくら俺でもわかるさ。今でも、幻界にたまにエッジが来ているらしいことを、リヴァイアサン達から聞いていたし」
「そ、それだけで?」
「うーん、そんなに、説明しなきゃいけないか?」
「あ、ううん、そ、それは、いいんだけどっ」
リディアは髪についた葉っぱに気付いたようで、手でそれを取りながら続けた。
「あのね……この前ね……そのう……エッジに……」
「うん」
以前よりも長くのびた艶やかな髪。
カインも手を伸ばし、後頭部についている草をとってやる。
「エブラーナで、王妃にならないかって、言われて」
「ああ」
「それで……あんまり、長く、待てないんだって」
「……それは……今まで待ったというのに、いざとなったら性急だな」
カインの言葉に、リディアは驚きの表情を見せる。逆に、何故そんな顔をするんだ、とカインの方がたじろいだ。
「なんだ」
「今まで……エッジ、待っていたのよね?わたしのことを」
「そう、だろうな。俺は、離れていても、勝手にそう思っていたが」
「……エッジ、言ってたの。あんまり強引なこと、したくなくて待ってたけど……いつ会っても、リディアはリディアだから安心して嬉しいんだけど、でも、もうちょっと気持ちが動いてくれる日が来るんじゃないかって、待ってたんだけど……」
 
『悪ぃ。情けないことに、俺が時間切れだ。王になっちまった以上、っつーか、俺の年齢じゃ、そろそろ限界でさ』
 
そう言って笑うエッジの顔は少し疲れていて。
リディアは、彼がどうしてそんな顔を見せるのか、まだその時は理解が出来なかった。
エッジは、そこで深呼吸をした。彼がそんな様子を見せるのは、珍しいことだ。
 
『……以前さ、お前がそのつもりになるまで待つって、俺言ったよな』
『うん』
『その話した後、何度もエブラーナに遊びに来てくれてさ、本当に嬉しかったんだ。真剣に考えてくれたんだなって思ってよ。だから、あー、こりゃ、もそっと押せば、お前がほんとに俺の嫁さんになってくれるんだな、うっわ、嬉しい、って』
『エッジ』
『でも、いつまでたってもお前、そのつもり、にはならなかったんだろ?』
  
出来るだけ、いつも通りに話したい、とエッジが気を使っていることに、リディアは気付いた。
そういう口調でなければ、リディアを怖がらせる、悲しませる、あまり情けない男になりたくない。そういうエッジの心情を彼女はよくわかっていなかったけれど、それでもおぼろげに彼の気持ちは伝わる。
それぐらいは、いくらなんでも長年の付き合い、伝わらない方がおかしいのだ。
 
『俺が、悪ぃのは知ってる。そんで、これも俺の勝手だってのはわかってる。今日このまんま、お前のこと城につれてって、明日にはみんなに俺の嫁さんになるんだ、って言いたいぐらいだ。そんぐらい強引なこと、お前に会う前にはやってたし』
『それは……』

困る、と言葉にすることが出来ず、リディアは口を閉ざす。
どう説明したら良いのだろうか。
以前エッジには一度プロポーズをされていた。待ってくれると彼は言っていたし、リディアも前向きに考えたいと思っていた。
けれど、エブラーナに足を運ぶたびに、リディアには他の感情が湧いてきて、簡単にプロポーズを受けることが出来なかったのだ。
考えれば、それからもう半年は経っている。
まるで、プロポーズがなかったかのように、その間にエッジと会って、デートを重ねて、いつものように手を握って、お別れのキスをして。
答えを彼に返せないままの半年は、あっという間だった。
 
でも、本当は。
わたし。
 
声を出そうとしても、リディアはうまく言葉に出来ず、口を閉ざした。
 
『この前、久しぶりにお前からエブラーナ城にやってきてくれただろ?それを見てさ……やっぱ、そろそろ、って思われたちまってな。ずっと、そういうのを気にしないようにしてきたけど、お前はどう思っているのかなって』
 
違うの。
エッジ、本当はわたし。
 
 
「当たり前のことだな。エブラーナにとってはエッジの子供がいなきゃ、跡継ぎがいないわけだし、エッジもいい年だ。しかも、王位についてしまった。そういうことだろう」
「うん……あのね、エッジはわたしに恋をしているんだって言うし、エッジに対してわたしが抱いている感情が同じものだったら嬉しいって。でも。でもね、もしも、それはエッジが勘違いしてるだけで、本当はそうじゃなかったら……そう言ってくれると、嬉しいなーって言って笑ってたの。だけど、なんか泣きそうな顔で」
「それは……余裕がないにも、ほどがあるな、エッジの」
そういって、カインは呆れたように眉根を寄せた。
その表情を見て、くすっとリディアは笑う。
「うふふ。カイン、昔からよく、エッジのことそういう顔で見てたよね」
「そうか……ああ、そうかもしれんな」
「うふふっ……ずっと、デートとかし続けてたのに、どうしてもわたしの方から一歩踏み出せなかったことをエッジは全然責めなかったの。半年も返事しなかったことも。自分の方が悪いんだって一点張りで。でも、わたし、自分が悪かったってこと、ちゃんとわかってるつもりなのよ」
そう言いながらリディアは自分の髪を手櫛で梳いた。
カインを見ながら話さないのは、言葉を選ぶこと、何をどう話せばいいかを考えるため、だ。
彼を見て話せば、彼の表情のわずかな変化なども気にしてしまい、自分が言わなければいけないことがわからなくなりそうだからだ。
カインのほうも、別段自分を見ずに話されても気にせず、マイペースに言葉を返した。
「リディアはエブラーナに行きたくないのか」
「そういうわけじゃないのよ。ああ、でも、今はちょっと……申し訳なくて」
「うん?」
「ずっとずっと、わたしとエッジの、なんていうの……関係?間柄?それを変えずにいたことが、本当はとてもエッジに負担をかけ、エブラーナの人達に迷惑をかけていたんじゃないかって、薄々気付いて。でも、それをどうにかするのは、自分の役目じゃないような気がしてたのよ」
カインは、リディアの少し大人びた――といっても、それは本来年齢相応なのだが、久しぶりに会ったカインにとっては驚くことで――言葉にいくらか面食らい、けれど、そのことは口にしなかった。
「幻界の時間の流れは、今でもちょっとだけ早いの。リヴァイアサンは、わたしの成長速度にあわせて体感が変わるんだって言ってた。もう大人になってるのかもしれないけど、それでもすこーし人間界より早いのね。いっそのこと、エッジと同じくらいの年になっちゃったら、エッジの気持ちとかもっとよくわかってあげられるのかな」
「やめてくれ、俺より随分年上になることに」
「あはは」
「……エブラーナの人達に申し訳ないと思ったら、リディアさえよければ、早く嫁いだらいいんじゃないか」
カインの言葉に、リディアは目を伏せた。
きっと誰に言っても同じことを言われるだろうと、彼女もその言葉を覚悟していたのだろう。だが、実際に想像するのと言われるのでは随分違ったのだろう。
「……カイン、わたし、ずっとなんだか怖かったの。人間界に来ると、いつも何かが変わっているの。でも、幻界では、何も変わらないのよ。毎日」
「あぁ……変わるのが、怖いか。わからなくもないが」
「わかる?」
「ああ」
「だからね、ミストの人達も、わたしにミストに戻っておいでって言ってくれてるの。以前のように復興して、一緒に暮らそうって。でも、実際にはまだミストは以前のようにはならないし、みんな、建物があった同じ場所にまた建物建てて、木があるところにまた木を植えるけど」
けれど、そこはリディアに思う『変わらないミスト』とは違うのだろう、とカインは思う。
 
――小さい頃はここからの景色ってみたことがないんだけど……それでも、変わってないなーって思えるの。不思議よね――
 
違うのだろう。
変わってない、と思いたいのだろうが、村に行けば『昔に戻りたいと思っている村』があって、それを目の当たりにするから。
正確に擦り合わせられるわけもない風景を見て、曖昧でぼんやりとした記憶とつき合わせて『変わらない』場所をリディアは求めているのかもしれない。
それは、カインにも心当たりがあった。
事実、彼は試練の山から降りれば、どこもかしこも何もかも変わっており、変わってないと思えるのはミシディアの長老ぐらいのもの。
人が生きる場所は日々少しずつ変わっていくし――たとえ、ミストがあのような災厄に見舞われなくとも、リディアにとっては『変わった』と思う村になったのではないかと彼は思う――変わらない方がおかしい。
取り残されているという焦燥感は彼にはないけれど、時の流れが重くのしかかってくるし、変わったと思えば思うほど、バロンに戻りたいという気持ちは薄れゆく。
むしろ、自分はもうバロンにいるべき人間ではないだろうし、そこにはそこで正しく日々の営みをしている人々がいて、セシルやローザを護っているだろう。そう思えば、自分はそこから切り離された場所にいることも悪くない。
近くで少しずつの変化を見ていたミシディアにいる方が、既に彼は落ち着くようになっていた。
それは、彼が楽に受け入れられる、時の流れによる変化だ。
けれど、リディアは、いつも変わらない場所に、召喚士としての存在意義を見出されて暮らしていて。
足を一歩人間界に踏み入れれば、根っこの部分は変わらない人々、けれど、変わってしまった環境や関係。
それらに恐れおののくのもわからなくもない。
「ミストに戻るのも、ちょっと不安で怖くて……なのに、エブラーナに、なんて。ううん、それはもちろん、エッジもわかってて、だから、無理強いしなかったのは知ってるし、少しでもわたしが慣れるようにってエブラーナに招待してくれてたんだと思う」
「きっとエッジはエブラーナで家臣達から結婚を、世継ぎを、と迫られてたんだろう。エブラーナの人間は、エッジがリディアを好きだってことを知っているんだろう?」
「う、うん」
頷いたリディアの表情は翳っている。ということは、きっと彼女はカインが言おうとしていることを、なんとなく嗅ぎ取っているのだろうし、自分から『エッジはわたしが好き』と思っていることを見せたくないのだろう。
「そうか。じゃあ、余計そうだな。ずっとリディアはエブラーナの人々に期待されてきたんだろうな。それはそれで、リディアにとっては重いことだったんだろうが……わかっていても無理強いしなかったエッジは、もっと周囲からあれこれ言われてたんだと思うぞ」
そのカインの言葉は、やはりリディアが既に考えていたことだったようで、素直な肯定が返ってくる。
「そう、なんだろうね。わたし、そこまで気付かなくて……あのね、今思うと」
「うん」
「エッジね、忙しくなって、あんまり遠出できなくなって。以前はわたしがエブラーナのお城に行くこともあったんだけど、最近ずっと……エブラーナ城あたりじゃ気分転換にならないから、ってエブラーナのほかの場所に行くようになったの。わたし馬鹿だから、エッジの言葉信じてたけど、それって……お城にわたしが行くと、周りの人があれこれ言いそうだから、だったのかなって」
「……あー、そうだろうな」
「エッジ言ってたの。周囲にあれこれ言われるから、って理由でわたしがエッジの申し出を受けるとか……そういう形は嫌だったから待ってたし、こんな風に時間切れだとか脅迫っぽいことなんか言いたくなかったんだって」
「たとえば」
「?」
珍しいカインの返しに、リディアはおどおどと彼を見た。
「リディアは、幻獣のことが大事だろう。幻獣を傷つける者がいれば、自分が盾になってでも守ろうと思うんじゃないかな」
「当たり前じゃない。わたしが、出来ることだったらそうするよ。実際は、わたしが護られてばっかりなんだろうけど……」
「それと同じで、エッジも、お前の盾になってたんだろうよ」
「……わたしのせいで、エッジはわたしが知らないところで傷ついてたっていうのね。カイン、ひどいよ。でも、きっとそれは本当なのよね」
わかっていたことを、人から言葉にされることは心苦しい。
既に自分が思いついて、でも、本当はそうでなければ良い、と思っていることを、カインは真っ向から肯定をしてリディアに突きつける。
子供の頃ならば、ひどい。嫌い。そんな風に言って逃げることも出来ただろう。
けれど、今はもう自分は子供ではないとリディアもわかっている。
「エッジは、強い人なんだって思ったの。でも、強い人だから、わたしのことをずっと待ってくれて……それで、こんなことになっちゃったのかなって」
「それは、どうかはわからないが」
「でも、でもね、カイン。今話したことは、わたし、この前エッジに会うよりも前に、半分ぐらいはもう考えていたのよ」
「え?」
リディアの言葉に、カインは目を丸くした。
彼はすっかり、エッジに最終通告のような酷なことを言われた後で、リディアがぐるぐると考えを巡らせてしまい、今に至るだけだと思っていたのだ。
「そうなのか」
「うん。その、プロポーズ、は、前にもう言われていたっていうか……思い出したら、そのー、何、わたしが言うのも恥ずかしいんだけど……結構な前から、エッジってわたしと結婚したがっていたのね?」
その呑気なリディアの言い草におかしくなって、カインはつい吹き出してしまう。
「はっ……はは、そうだな。それは、間違いないだろうな」
「それで、それでね。えーと、わたし……頑張って、エブラーナの人にも、えっとね。今まで、ずっと待たせていたって気付くのが遅くて……ごめんなさいって、伝えたくなって……」
「おい、それを言うってことは」
「その……今まで、はっきりとは思えなかったんだけど、もっと、ちゃんと考えようと思って」
そのリディアの言葉にカインは眉根を寄せた。
考えようと思って。いや、その程度の意識でエブラーナの人々は謝られても困るだろう。
嫁ぐ気持ちが固まったのならば、まだ良いけれど。
(それでも……きっと、リディアにとっては、とんでもない前進なんだろうな)
心の中に生まれたわずかな苛立ちは、あまりに自覚が遅いリディアに対するものと、どれだけリディアを大事にしすぎてるんだ、あの男は、というエッジへの思い。
カインは、はー、と大きく溜息をついた。
「でっ、でね、それをエッジに言わなきゃって思って、この前、のその前に、久しぶりにエブラーナ城に自分から行ったの」
「で?」
「……あのねぇカイン、わたし、エブラーナ城でエッジと会ってると」
「ああ」
「エッジが、国の人と話したりしてる時に、なんかこう、胸が痛くなって」
カインは唇をへの字にまげて、リディアを見た。リディアは彼の表情を見ないで、伏し目がちに言葉を続ける。
「その日、エッジにお話しなきゃって思ってたんだけど、城下町でね、国の人とかに声かけられてるエッジとか……お城で、ニンジャの人達とお話してるエッジとか……見てたら、なんか……胸がきゅーって痛くなって、それから、わたしはここにいなくてもいいのかもって思えて」
リディアのその言葉に、カインはあからさまに「はあ?」といいたそうな表情を見せた。
見せただけで声は出なかったが、若い頃の彼ならば素直に口から発したのかもしれない。
リディアは彼のそんな様子を見ないまま、言いづらそうにごにょごにょと口ごもりながら説明をする。
「だから、もしプロポーズ受けてエブラーナに行ったら……毎日、こんな風に胸が苦しくなって、しんどいのかな、もっとひどくなっちゃったらどうしようかって思ったし……そしたら、言おうと思ったことが言えなくなっちゃって……心に決めてたの。決めてたんだけど、言えなくて。そしたら、次に会った時エッジに……そういうことを言われちゃって、わたし……」
だから、決してエッジのプロポーズを断りたいわけではないのだ、と。
エッジは待ってくれていたから、応えようとしたのに足がすくんでしまったのだと。
それ以上うまく話せないリディアの真意は、ただそれだけのことだ。
ついにカインは我慢出来なくなって、リディアの話を最後まで聞かずに口を挟んだ。
「……お前はおめでたいな!」
「えっ、ええ、え?おめでたいって何!?」
カインの言葉に驚いて、顔をあげるリディア。
紅潮した頬。潤む瞳。呆れたようにカインは小さく溜息をついた。
「リディアは、ずっとエッジと恋愛をしているんだな」
「え?何、どういうことなの」
「……自分が好きな相手が自分よりも近しい人間と話していると、人はみんな嫉妬やら疎外感を感じるもんだ」
「?」
「まあ要するに、リディアはエッジのことが好きなんだってことと、エブラーナの人間よりもエッジと親しくなりたいと思ってるってことと」
肩をすくめるカイン。
「逆に、嫁ぐとその胸の痛みは減っていくと思う。それだけは保証する。だから、そんな阿呆な悩みは忘れた方がいい」
彼にしてはあまりにもはっきりと断言するので、リディアはぽかんと口を開ける。
「わ、わけがよくわからないんだけど……その、わたし、エッジは好きよ。本当に」
「知ってる」
「し、知ってるって……」
「リディア。これは俺の想像なんだが」
「うん」
「エッジも、幻界で、お前が幻獣達と仲良く話している様子を見れば、同じように胸が痛んだり、おもしろくないと思っていたんだと思うぞ。きっと、一緒だから、そのことを素直にエッジに話してみるといい。嫁ぐだの嫁がないだのは、その次のことだ。残念ながらお前達は、いつまでたってもそういうところは変わらなかったんだな。感服する」
リディアは、唇を半開きにしたまま、じっとカインを見つめた。
彼の言葉を脳内で反芻したり、それについて考えているのか、まるで時が止まったように身動きをやめるリディア。
カインは、しばらくその様子を放っておいたが、やがて、あまりに反応がなくなってしまったリディアの頭の上に手を置いた。
それは、よくエッジが彼女にやる行為だ。
昔より大人になったリディアの頭、ぽん、ぽんと軽く手のひらで叩けば。
しばらく、何かを考えるように黙ってじっとしていたリディアは、ようやく恥ずかしそうに
「もー、やめてよカイン、子供扱いして」
と、唇を尖らせた。
カインは小さく微笑んで立ち上がると
「そろそろ、ミストを案内してくれるんだろう?俺も、ミストの様子を見て、もう一度自分の気持ちを整理してみたい」
とリディアを促す。
リディアもまた立ち上がって、今度は尻や腿の裏についた草をはらいながら笑う。
「うん。何の燻製作ってるのかな。楽しみ」
「そこなのか、楽しみは……」
「いいじゃない!」
とっとっと、とカインの横をすり抜けて小走りで坂に近づくと、くるりと振り向いてカインに声をかけるリディア。
「ねー、カイン」
「うん」
「わたし、明日もう一度エブラーナに行ってみる」
「行って、どうする」
そのカインの問いに、リディアは満面の笑みで答えた。
「エッジに、好きって言うの!」
たったそれだけの言葉を告げて、リディアは先に坂を下りていき、姿を消してしまう。
やれやれ、とカインはゆっくりとした歩調で草を掻き分けながら坂に近づいていく。
リディアの言葉は、何の解決にもなっていない。
が、解決をするのは、その言葉をはっきり聞いて、それを伝えに来てもらったエッジとの話し合いなのだろう。ならば、それで十分に違いない。
青空を背にして、自分なりの答えを口にしたリディアの笑顔は、幼い頃の面影が残っていたな、とカインは一人で微笑んだ。
 
 
 
幻獣の道、とやらは一方通行かと思っていたが、そんなわけもなく、リディアとカインはリヴァイアサンの力によって、また幻界に直通の黒い道を使わせてもらった。
リディアが言う通り、ミストでは燻製を作っており、土産として二人は数日分になると思われる量の肉の燻製を持たされた。
とはいえ、実際には今まさに燻しているものを渡せるわけもなく、既に出来上がったものをもらっただけなのだが。
「まったく、今日は骨の折れる日じゃ。そう何度も幻獣の道を人間ごときに使わせるとは……」
ぶつぶつと文句を言うリヴァイアサンに、アスラが『あなた』とたしなめる。
「竜騎士よ。鎧を身につけたらこちらに来るが良い。幻獣の道を特別に使わせてやる。ミシディアに送ってやろう」
「え」
「その土産を持って、どこに行くつもりだ?」
ああ、そうか、とカインはぼんやりと思う。
特に彼はこれといった予定がないため、幻界からゆっくりと人間界に自分の足で戻り、軽く他の地域を見て回っても良いかな、と思っていたのだが……。
(確かに、すぐ戻るとポロムにいったし、日持ちするとはいえ、ふらふらしている間に燻製も食べてしまうだろうから……)
ちょうどいい手土産か、とカインは納得した。
「わかった。申し訳ないが頼んでも良いだろうか」
「仕方ないだろうが」
リヴァイアサンはむくれたように言い放つ。
別に自分から頼んだわけでもないのに、その言い草はなんだろうか、とカインは困惑したが、リディアの勧めもあって素直に頼むことにした。
「リヴァイアサンがそんなに気前がいいなんて、めずらしいわね」
「愛しいリディアに笑顔が戻って帰ってきたのですもの。わたし達も少しぐらいはその竜騎士に礼をしたいのですよ。ねえ、あなた」
「う、うう、うう、ああ、そうだな」
いささかアスラの声音が有無を言わせない迫力を含んでいることも気になったが、あえてそれを追求しないカイン。
言われた通りリディアの部屋に戻って鎧類を装着する。
「今日は、ありがとうね、カイン」
「こちらこそ。ミストの様子を見せてもらって、よかった」
「……カインは、行く前と、気持ちっていうか、そういうの、変わった?」
「少し。が、まだよくわからない。自分がどうすることが正しいのかは。俺の問題は、たくさんの人達相手の問題で、時間がかかるに違いない。リディアの問題は、リディアが勘違いしないように言っておくが、エブラーナの人々相手の問題ではなくてエッジとの問題だ。だから、俺のことを心配するより、ちゃんとエッジと話し合うんだぞ」
「うん……カイン、変わったね」
「俺が?」
「うん。カイン、昔っから、本当は心配してくれててもあんまり言わなかったじゃない」
「そうじゃない」
カインは苦笑いを見せてから、兜を被ろうかどうしようか悩み、それから小脇に抱えた。
表情がはっきり見える状態で、リディアと話そうと思ったからだ。
「ほんの少しだけだが……言わないと、伝わらないことがあるってこととか、自分が言葉を与えないことによって勘違いされるのは……自分は困らないが、相手がそれで傷つくこともあるのだと知ったのでな……」
「そっか。うん、そうだね。わたしもそう思う。それも、以前ならそう思えなかったかもしれないけど」
「リディア」
「うん」
「環境が変わるのも、自分が変わるのも、少し怖いけれど、その少しよりたくさん、得られるものがある。それは、かけがえのないものだ」
カインはそう伝えると、兜を被った。
 
 
 
召喚士と幻獣しか通れない、と最初に聞いていたが、人間だけでも大丈夫なのか。
内心カインはそう思ったが、リヴァイアサンの力で再び「黒い穴」に引きずり込まれてほどなくして、それが何故なのか彼は理解をした。
「うっ……わ……」
いささか、気分が悪い。
黒い穴で、ミストと行き来した時と同じ感触は途中まで。
途中からは。
「デビルロードじゃないか……」
リヴァイアサンは、カインを幻獣の道からデビルロードに放り投げたようだ。
なんという器用なことが幻獣王は出来るのだ、とカインは思ったけれど、よく考えればデビルロードを作ったのはセシルの父のクルーヤだったというし、いくら他の星から移住してきたとはいえ、月の民の館の近くには幻獣神バハムートがいる。
なんらかの関連性があってもおかしくないと思えた。が、逆にまったく関係がないのかもしれないが。
「これなら……鎧兜つけたままミストにいって……」
どこかでそれを隠して、帰りはバロンに行ってデビルロードを使っても一緒だったではないか、とカインは思う。
リディアならば幻獣の道を使えるのだろうし。
いや、そもそもこんな芸当が出来るなら、リヴァイアサンは過去にリディアを幻界につれていくとき、海にひきずるこまなくてもよかったのではないか。そういう話をセシルに聞いた記憶がある……と、眩暈をおこしながらカインはぐるぐると考えていた。本当のところ、そこはそこでリヴァイアサンにもリヴァイアサンなりの理由があるのだが、それをカインが知るはずもない。
先ほどつけたばかりの兜を脱いで、カインはデビルロードが設置してある小さな建物から出た。
と、建物の扉の横に人影が。
「遅いじゃねーか!」
「えっ!?」
カインは珍しくも驚き声を上げた。
なんと、そこにはエッジらしき人物が立っているではないか。
「エッジか!?」
「おうよ。久しぶりじゃねーか、え?ミシディアだか試練の山、この年まで引きこもり続けるとはどーゆーことだよ。おい、遅かったじゃねぇか、待ちくたびれちまったぞ」
「どうしたんだ、急に」
「しゃーねーだろうが。リディアに会いに行ったら、こともあろうに、お前とデートしてるとかいって、あんの幻獣王のクソジジイがひゃっひゃ笑いやがる。あれが本当に幻獣かよ。いつも思うんだけどよ。ミシディアで待ってりゃお前をデビルロードに後から放り込んでやる、とかいって、俺のこともデビルロードに放りこみやがった。どーしてくれんだ。バロンから買った、俺専用の小型飛空艇を幻界近くに置いてきたってぇのに。それに、デビルロードは今は許可制になってるから、さっきここに来た時は扉に鍵がかかってて大変だったんだぜ。中からガンガン扉叩いて、よーやく長老呼んできて貰ってよう……それに、最初デビルロードに落された時、どーみてもバロン側に出ちまってさぁ……」
カインは、相変わらずエッジがべらべらとしゃべるのを、うんざりしたように聞いている。いくつになろうが、やはり人は根本的にはそうそう大きくは変わらないのだろう、とも思う。
「で、どうしたんだと聞いている」
「つれないねぇ。んなの、わかってんだろうが。おい、リディア、なんて言ってたよ」
「何故俺にそれを聞く」
「怖いからに決まってんだろうが!」
「……」
開き直りか、とカインはまばたきをしてエッジを見つめた。
いい年をした大の男が唇を尖らせてふてくされている様子を見れば、どうもリディアが思ってるほどの緊急度ではないように思える。が、そういう風に人に見せるようにエッジが昔から振る舞い、人々に軽口を叩いていたのだ、ということを知らないカインではない。
「怖いか」
「おうよ。怖い。国のことを大事にしようとして、リディアを手放すと思われるのも怖い。本当はそういうことじゃねーんだ。どっちも俺は欲しい。どっちも手にいれようとしてみたけど、俺はヘボかったんだってことだ」
「違うだろうが」
「違わねぇよ」
「ここまで来て、タイミングがひとつ悪かっただけだ」
「……あ?」
二人がそうやって言い合っていると、食材の袋を抱えたパロムとポロムが姿を現した。
「カインおっかえりー!」
にやにやと笑いながらカインに声をかけるパロム。
考えて見れば、先ほどエッジが『長老を呼んで』と言っていた。ならば、双子がエッジがここにいること、カインが戻ってくることを知っていてもおかしくはない。
「ああ。今戻った」
「お帰りなさい。カインさん、さっきパロムと野菜を収穫に行って来たんです。お夕ご飯、一緒に食べていかれませんか?よければ、エッジさんも」
「おっ、いいのか?」
エッジはそう軽くポロムの誘いに応じたが、カインとしてはそういうわけにはいかない。
「エッジ。明日、公務は」
「あるある」
「今からエブラーナに戻って、明日の分片付けろ」
「は?第一エブラーナに戻るって言っても……」
と、そこまで言ってから、エッジはカインがいわんとしていることをおぼろげに察したようだ。
「わり、ポロム、また今度遊びに来るわ。そんときゃご馳走になるな」
「はい」
「じゃーな!パロムも!」
「え?帰んのかよ」
実のところろ、エブラーナ王に対してどういう口の聞き方だ、といつもならばエッジはパロムを怒っているのだが――カインはそんなことは知らないが――それすら返せず、エッジは慌ててカインが出てきたデビルロードが設置された建物に戻っていく。
きっと、バロンに行ってシドに頭でも下げ、エブラーナに送ってもらうに違いない。
小型飛空艇の回収は後の話だろう。
「カインさん、エッジさん……」
「ああ、放っておけ。パロム、後で長老にいって、デビルロードの鍵、もう閉めてもらっていいぞ」
「あいよー。カイン、これポロムと一緒に家に運んでってよ。俺、長老んとこいって鍵借りてくるわ」
「わかった。ありがとう」
「こっちこそ、だぜ。んじゃ、先に家帰って、野菜ちゃんと保存袋にいれとけよ!」
「まあ、パロムに言われるようなことじゃあ、ありませんわよ!」
「バーカ。家に帰ったからって、いちゃいちゃしてんじゃねーぞ、って意味だぞ。ボケてんじゃねーぞ」
こそ、っとそういって、パロムはカインに荷物を押し付けて走っていく。
思いもよらぬことを言われて、ポロムは耳まで真っ赤にさせ、俯くばかり。
「あいつ、この前のでも、見てたのかな」
「そ、そ、そういう、わけじゃないと、思うんですけど」
「そうだ、ポロム、土産をもらってきたんだ。肉の燻製なんだが。俺はそのままだとか焼いて食べるぐらいしか能がないんだが、そんなもんだろうか」
「ついている風味によりますよ。今日とってきたお野菜にあうといいんですけど」
「ああ、そうか」
そんな会話をしながら二人は肩を並べ、パロムとポロムが暮らしている家に向かう。
 
 
――言わないと、伝わらないことがあるってこととか、自分が言葉を与えないことによって勘違いされるのは……自分は困らないが、相手がそれで傷つくこともあるのだと知ったのでな――
 
 
(我ながら、恥かしいことを言ったものだ)
彼が変わった、とリディアは言った。だが、それは長年の蓄積のようなものではなく、今隣に歩いているポロムのせいかもしれない。
「……カインさん、何か?」
視線を感じたのか、横を歩いていたポロムがカインを見上げた。
「うん。エブラーナで婚礼があったら、その時はひさしぶりに公の場に出てもいいかな、と。招待される、と勝手に思ってるのは図々しいか?」
「えっ、もしかして、そういうお話でリディアさんのところに?」
「いや、そういうわけじゃないが……もし、そうなったらポロムのめかしこむ姿が見られるから、楽しみだと思って」
「なっ……」
ポロムは絶句をして、最近なんだかずけずけと物を言うようになった、年上の恋人をまばたきもせずに見つめ、それから
「あ、明日、明日からっ」
「ん?」
「そのっ、お友達に、お化粧とか、勉強させてもらいに行きますっ……」
ポロムの答えに、カインは声を出して笑った。そういう話にしたかったわけではないのだが、カインの期待に応えようとしてくれる可愛らしい恋人の気持ちは素直に嬉しいと思える。
(変わるということは、新しい幸せを見つけるということだ)
リディアにとって、その新しい幸せが、大きいものでありますように。
そんなことを思ってしまった自分に気付き、カインは『年をとったということか』とそっと苦笑をした。
 
 
Fin

←Previous



モドル