熱病-1-

男性を「誘う」ということが、何を意味することなのかは、ポロムも知ってはいた。
けれど、そうするには「どう」すれば良いのかを、彼女は知らない。
ミシディアにいる同じくらいの年齢の少女達の中では、既に「誘った」結果、思い人と男女の契りを交わした者もいる。
密やかに流れて来た噂でそれを聞いた時に、ポロムは「結婚もしていないのに、そんなことをするなんて」と初めは思い、そのことを知り合いに告げた。彼女は自分の貞操観念が人並みだと思っていたし、大層常識人であると自負していたからだ。
同世代の少女達とは、確かに自分はそう仲がよいわけではない。
だからといって、そういう認識までもがずれているなんて夢にも思わずに、ぽろっとその本音をこぼしてしまった。
話をした相手は曖昧に「やっぱり、ポロムはそう思う?」と言葉を返してきたが、それへの疑問はその時のポロムにはなかった。
ところが、とある日、少女達の立ち話を偶然聞いてしまったポロムは、少なからず衝撃を受けた。

「あの子って、前から変わっていると思ってたけど、やっぱり、ねえ」

「いまどき、好きあってる男女が、体を重ねることぐらい普通よねえ」

そんな陰口を偶然聞いてしまったその日。
ポロムは、一人で試練の山に向かった。


ポロムがカインのもとを訪れるのは、毎回彼女の体裁を整えるための、それなりの理由がある。
もちろん、その日も彼女なりにはきちんとした理由がった。
試練の山で一人暮らしているカインは、時々山を降りてミシディアの町にやってくる。
そして、ミシディアの道具屋で、生活雑貨その他を注文して、再び山へ戻る。
道具屋の主人から伝えられた期日が経つ頃に、再びカインは山から降りてきて、発注した品々を受け取りに来るらしい。

「予想より大分早く入荷してね。ポロムちゃん、あの竜騎士さんとは会うことがあるかい?もしも、会うことがあるなら、品物が届いたことを伝えてくれるかな?」

そう道具屋の主人に言われたポロムは、自分が届けに行く、と前日申し出たばかりだった。
預かったものをいつまでも自分の家に置いておくのは、ポロムの性格上どうもすっきりしないものだ。
ポロムは、いつものようにいくらかの手料理をバスケットに詰め、それとは別に預かった袋を肩に担いで、慣れた足取りで試練の山を登っていく。
いつもよりは、いささか気が重くはなっているけれど、それはカインとは関係がない。
気持ちを上向きにしようしようと健気にも、自分にそう言い聞かせつつ歩いて行く。
試練の山の、かなり頂きに近い場所に、深めの洞窟がひとつある。
カインは、そこにいくらかの生活用品を持ち込んで、住居にしているのだ。
毛布や、多少の野営調理器具、それから武器防具に薬草に。
一体、彼は普段何をこの山での生活で考えているのか、それは何度も会っているポロムですら未だに理解は出来ない。
ただ、彼は一人で生活をすることを好み、人と群れる事は得意ではないのだろう。それだけは、ポロムも多少共感出来る。
ミシディアでは多くの魔道士達と共に、日々魔法の研究をしている。
彼女は決して人と一緒にいることが嫌いではない。
けれど、時々それが煩わしく感じることも多い。
幼い頃からいつもパロムと一緒に生活をしていたが、パロムの方は余程自分よりはうまくやっているように彼女には思える。
だから、ポロム自身もカインのもとに訪れる時、彼に過剰にうとましがられない程度に、といつも心がけていた。
たとえ、いつも本当は、「もっと一緒にいたい」と思っていても。
「カインさん、いらっしゃいます?」
いつものように洞窟の奥を覗き込む。
中は当然のように薄暗く、入り口付近はいくらか光が差し込んでいるけれど、奥までもは見えない。
「カイン、さん?」
もしかして、行き違いになってしまっただろうか。カインは留守なのではないか。
ポロムは、ゆっくりと洞窟に足を踏み入れる。
普段、彼女はカインの許可なしにその中には入らない。
けれども、洞窟の奥に何かの気配を彼女は感じていたのだ。
静かに、足音を出来るだけ消して。
差し込む光が足元に途切れた辺りで、ポロムはしばらく立ち尽くして薄暗闇に目を馴らそうとした。
「・・・あ」
その場に荷物を置いて、ポロムはまばたきを忘れたように目を見開く。
(カインさん、眠ってらっしゃる?)
ようやく洞窟の闇に目が慣れた頃。
毛布に包まっている塊が見えた。もちろん、それはカインなのだろう。
「カインさん?」
彼のようにもともと訓練を受けている騎士が、睡眠中であっても人からの問い掛けに無反応とは、滅多にないことではなかろうか。
そっと近寄って、ポロムは膝を地面につけた。
毛布から出ているカインの顔がうっすらと確認出来ると同時に、規則正しい静かな寝息が耳に届く。
「カインさん、こんなお時間に眠ってるなんて・・・具合でも、悪いんですか?」
起こしてはいけないと思う気持ちと不安がないまぜになって、ポロムはカインの顔を覗き込んだ。
ぼんやりと暗闇の中で見えるカインの寝顔は穏やかだ。けれども、そう見えるからといって体調が悪くないと決め付けることも出来ない。
(熱とか、ないわよね。大丈夫よね)
そうっとカインの額に手を伸ばす。
前髪を軽くかきわけて手のひらをあてたが、熱はとくにないようだ。
本当にただ眠っているだけなのかもしれない。
だったら、起きるまで待っていようか。待てないほどに眠っていたら、ものを置いていけばいいだろうか。
ポロムはどうしようかと悩みながら、なんとなく手を滑らせて彼の頬に触れた。
カインは彼女より相当に年上のはずだけれど、案外とその頬はまだ若々しくなめらかに感じられる。それでも、年齢のせいなのかもともとの骨格のせいなのか性差なのか、ポロムの頬よりもずっと骨格を感じさせ、頬骨の位置もはっきり手のひらに感触が伝わった。
(男の人なのに、それに、かなり年が上なのに。この人の顔立ちは、なんだか綺麗だわ)
それは、女性的とか中性的とかいう意味とは違う。
もっともっと単純な、整った、という意味合いなのだろうが、ぼんやりとポロムはただ「綺麗」と思った。
ずっと共に暮らしていたパロムの寝顔は、数え切れないほど見たことがある。
自分と少し似ているけれど、明らかに異性の顔。それを、特にどうこう強く意識したことはポロムにはない。
今、彼女がそうっと覗き込んでいるカインは、パロムよりもずっとずっと年が上で、当たり前のことだがポロムとは何ひとつ似ていない。
その異性の寝顔に、ポロムの鼓動はわずかに早くなっていく。彼女自身は気付いていないけれど。
(男の人も、それも大人の人も、唇ってやわらかいのかしら。ううん、そんなわけないわね)
最後に。
最後にちょっとだけ。
カインはまったく起きる素振りも無い。それを良いことに、ポロムは好奇心に負けた。
そして、額や頬に触れた時よりも慎重に。
指先に神経を集中させて。
細い指先、人差し指と中指二本で、彼女はカインの下唇に触れた。
「・・・!」
どくん。
心臓が跳ね上がったのではないかと思うほど、彼女は驚き、息を止めた。
こんなところで暮らしているのだから、もっと乾いているのではないか、と勝手に思っていた。
彼女の指先が触れているそれは、あまり厚みがなくとも予想以上の柔らかさを彼女に伝えている。
と、次の瞬間。
「ひっ!!」
ポロムは声をあげた。
突然、誰かがポロムの手を掴む。
もちろん、そこにはカインとポロムしかいないのだから、当然ポロムの手を掴んだのは・・・
「・・・疲れている時に、お前は」
「カ、カインさんっ・・・あのっ・・・」
今まで眠っていた、と思ったカインが薄暗い中むくりと体を起こす。ポロムは自分の手首を掴んでいるのがカインの素手だということに気付いたが、突然のことに怯え、言葉がうまく出ない。
「そんな風に、誘うな」
「・・・え」
誘う?それは、何を。
私が、何を?
一瞬、カインの言葉の意味がわからず、ポロムは呆然と彼をみつめた。
「意味がわからないなら、余計、ここに一人で来るな」
「・・・あ・・・の、私・・・」
どうにか言葉を出したけれど、ポロムはそこで口を閉ざした。
道具屋さんから頼まれて、と、ここに来た用件を口にすることは、今自分がカインに触れていた事実をすべてなかったことにする、ずるいやり方だ。
けれど、触ってごめんなさい、とか。熱があるのかと思って、とか。
今自分がしてしまったことを再確認する言葉を発すれば、最後には必ず彼女を追い詰めてしまう問いがカインから発せられるに違いない。
熱を確認するのに、何故唇に触れたのか。
いや、彼がいつから意識があったのかはポロムにはわからない。
けれど、なんだかそれを確認することすら恐ろしく思えて、「いつから気付いていたんですか」と問い掛けることは出来なかった。
「思ったより、寝て、いないな」
カインは毛布を跳ね除けて、ポロムを置いたままさっさと歩き出して、洞窟の外の様子をちらりと見た。
その彼の言葉を聞いたポロムは、どうしてかはわからないけれど、彼は生活のリズムが今日狂っているのだと知った。
「ごめんなさい。もしかして、夜、寝ていらっしゃらなかったんですか」
「ああ。出かけていてな。ここに戻ってきたのは、昼近かった」
どこへ行ってたのかを聞きたい気持ちもあったけれど、それよりもポロムは自分がどうするのが正解なのかがわからず、ただその場に座り込んでいるばかりだ。
カインは洞窟の入り口で彼女を振り返り、逆光の中で小さく笑った。
「ああ、気にするな。どうせ、長く寝てしまえば夜眠れなくなるからな。仮眠程度のつもりだった」
「でも、お邪魔してしまいました」
「そうだな。で、なんでここに来たんだ」
「あ、道具屋さんから、お品を、預かって」
「・・・」
カインは、ぴくりと眉根を寄せた。
彼のその表情が物語る。
きっと、ポロムが持ってきたものは、他人に触らせたくないようなものなのだろう。
道具屋が気を利かせたのではなく、持っていくと言い出したのはポロムだ。ポロムが、ここに来る口実が欲しくてそうしてしまった。
けれども、彼はそれをむしろ、歓迎していない。
「中身は、見ていません」
つい、ポロムがそう口走ってしまうのも仕方がないことだった。
「・・・別に、責めてはいない。道具屋のおやじにも困ったものだ」
いいえ、それは、私が自分から。
そう言うことが出来なくて、ポロムは黙って唇を噛み締め、カインの横をそそくさと通り過ぎて洞窟の外に置いた荷物に手を伸ばした。
「これを・・・」
「ああ、ありがとう」
形ばかりの礼を言って、カインはポロムから荷物を受け取った。
カインは少しだけ離れた場所で、その荷物を覆っている布をめくって中身を確認した。

それは、何ですか。

問い掛けたい気持ちをぐっと堪えて、カインの背をみつめるポロム。
やがて、カインは包みを元に戻して振り返ると
「確かに受け取った。道具屋に礼を言っておいてくれ。近々、支払いに行く。金額は聞いていないだろう?」
と言いながらすたすたと洞窟の奥へと歩いていってしまった。
「あ。確かに・・・お聞きしていません」
暗がりの中でカインはその荷を置いて、再び戻ってくる。
「他の品も買いに行くつもりだったんだ。わざわざ持ってきてもらわなくとも」
「・・・そう、ですよね」
ポロムは少しだけ考えた。
支払いにカインが行った時に、道具屋に言うだろうか。勝手にポロムに持っていかせるな、とか。
もしそうなったら、それは道具屋に申し訳ないことだ、と思う。
「あの、カインさん」
「うん?」
「実は・・・その・・・」
「なんだ」
「私が・・・」
「?」
私が、出過ぎたことをしたんです。
ポロムは、そういうことが出来ずに、困ったようにカインを見上げた。
そういう時に、カインは急かすような男ではない。そして、いつまでも待つ男でもない。
本当のことをなかなか口に出せないポロムのことをどう思ったかはわからないが、カインはポロムの頭に軽く手を乗せて
「ともかく、ありがとう。気をつけて帰れよ」
と、あっさりと言った。
そのことにポロムは驚いたけれど、だからといって本当のことを言うことはなかなか出来ない。
嫌われたくない一心で嘘をつくのはいけないことだとわかっている。それでも、何故か、言葉をうまく出せなかった。
「・・・はい」
カインは「じゃあな」と声をかけると、そのまま再び自分のねぐらに戻っていく。
その後ろ姿を見て、ポロムの瞳にはうっすらと涙が込み上げてきた。
引き止めようと言葉が口から出そうになったけれど、その声が震えそうで、寸でのところで喉の奥に飲み込むことが出来た。
自分が彼の安眠を妨害したことは間違いではない。もしかしたら、もう少し彼は眠りたいのかもしれない。
ポロムは自分にそう言い聞かせることで、彼を引きとめようとする自分を抑えこんだ。
待ってください、と引き止めても、きっと彼は怒らない。
でも、そうではないのだ。本当は、引き止めなくてもいいように、もう少しだけ、ほんの少しだけでいいから、もっと自分のことを気にかけて欲しいのだ。
ポロムは軽く下唇を噛んだ。
いつだって、カインはこうだ。
用事があれば、会いに来ることが出来る。その用事が済んだ時に「じゃあな」と言うのはカインの方だし、せめていつものように自分も「ちゃんと食べています?」とか「たまには長老に会いに来てくださいな」とか、うとましがられながらでも言えればいいのに。
ポロムはいたたまれなくなって、洞窟に背を向けた。
恥ずかしい。
わずかな何かを期待してやってくるのは、いつものことだ。
少しでもカインの傍にいたくて。
一方的に思っているのだって自分の方だし、年が離れたあの竜騎士にとって自分は恋愛の対象ではないのだろうし。
だけど。
こみあげてきた涙が、瞳から零れそうだ。
それだけは、なんとしてもカインには見られたくない。
ポロムは慌てて、空間転移のテレポの魔法を唱えた。


持っていったバスケットをカインに渡していなかったことにポロムが気付いたのは、翌朝のことだった。
洞窟の入り口辺りに置きっぱなしにしてしまったが、いくらなんでもカインが気付かないわけはない。
(中を見て、食べてくれたかしら)
前夜、泣きに泣いたせいで目がはれぼったい。いや、それだけではない、睡眠が足りていないのだ。
ベッドから降りて、手早く着替えて、顔を洗って、髪を綺麗に整えて。
目の周りが少しだけぴりぴりとするのは、こすったせいだろうか。
以前は一緒に住んでいたパロムは、今はいない。
慣れた一人の朝食には、昨日カインのために作ったサンドウィッチと、香草をたっぷり使った野菜の煮込み、そして果物だ。
食卓の片隅には、日がたっても食べられるようにと用意した、乾燥させた果物を練りこんで固く焼いたパンが置いてある。
「・・・道具屋さん」
言っておかないと。
カインさんに、道具屋さんから私に頼んだって思われちゃったかも、って。
(私は、それを否定しなかったんです、とは、いいたくない)
彼に会いたくて、自分から言い出した。
そのことを言うのが、どうしても出来なかったわけではない。
普段ならば、むしろ言えた。
(カインさんの様子を見に来たくて、私が自分で届けるって言ったんです。そう、言えればよかったのに)
人に触れさせたくなかったものだったのか。
それを、うきうきしながら持っていって、彼の安眠を邪魔して、そして。
自分の意気地なさへの失望と、好奇心に負けて彼に触れたことへの恥ずかしさ、彼の唇の感触に震える気持ちと。
たくさんのことが彼女の心をかき乱し、一夜の安眠を阻んでいた。
けれど、残念ながら今日一日のポロムの予定は決まっていて、昼の間は仮眠をとることも出来ないと思えた。
もう少し早く起きていれば道具屋に寄ることも出来ただろうが、なんといっても眠れなかったせいでいつもより目覚めた時間が遅かった。
瞼を冷やすことも出来ないまま、どうにか朝食を胃に収めてポロムはばたばたと出かける用意をした。
「急がなくちゃ・・・」
眠る前にいつも、翌日持ち歩く荷物は準備をする。けれど、ポロムは昨晩の自分を信用出来ず、布の肩かけバッグの中身を入念に確認をした。案の定、入れ忘れたものがあることに気付き、「もう!」と自分を叱責しながら、不足分を補う。
今日は、白魔道士達の集会が朝からある。それに、後輩の指導依頼も来ているし、初めて薬草摘みをする子供達に同伴しなければいけない。
どうにか、道具屋に行く時間を作らなくては。
心が急いてどうしようもなかったが、まずは集会の開始時刻に間に合うように家を出ることが、彼女にとっては優先事項だ。


結局ポロムは一日忙しく駆け回り、とっぷりと日が暮れてからようやく一人の時間を得ることが出来た。
しかし、ポロムが帰路についた頃には道具屋の灯りは消えており、彼女は溜息ひとつつく。
(無理矢理、会いに行くことは出来るけど)
そう大きな町ではない。誰がどこに住んでいる、とか、何時頃誰はどこにいる、とか。そういうことは大体お互い知っている。
道具屋はいつも夜通し開いているけれど、たまたま今日は既に閉店しているようだ。時には、そういうこともある。
かといって、普段も道具屋の主人が一人で24時間番をしているわけではない。きっとこの時刻に行っても、違う店番がいるだけなのだ。
しかも、閉まっているということは、道具屋の主人が今日は何か予定があるということだ。ポロムがその気になれば、道具屋の主人が住んでいる家に駆け込んで、話を無理矢理聞いてもらうことは出来る。けれど、さすがにそれはやってはいけないことだと彼女は思った。
そこまでしなければいけないほど、道具屋の主人にとって大事、ということではないのだし。
ただ、自分の気がすまないだけだ、とポロムは自分のその気持ちを正しく理解していた。
「ああ、疲れた」
帰宅して夕食を作って食べて、髪を洗って体を拭いて。
ようやくリラックス出来る時間がきたと思えば、またぐるぐるとポロムはカインのことを考え出してしまう。
ベッドに腰を降ろして、先輩白魔道士から借りてきた書物を一度開くけれど、集中出来ずにすぐにぱたりと閉じる。
ポロムは、自分は駄目な女の子なのだ、と溜息をついた。
反省をしなければ、いけないのだ。
昨晩嫌というほど自己嫌悪に陥りながら泣いていたのに、まだ今日も彼女はそんなことを思う。
理由は、わかっている。
そのことでも考えていないと。

暗闇の中で聞こえる、静かな寝息。
穏やかで、綺麗な寝顔。
かきわけた前髪の感触。
触れた額、触れた頬。
それから。

(男の人に、あんな風に触れてしまった)

思い返せば、全身が熱くなるような恥ずかしさに支配される。
それが怖くて、何度も何度もポロムは、道具屋に行かなければ、謝らなければ、置いてきた食事は食べてくれただろうか、どうしてあんな時間に眠っていたんだろうか・・・そんな風に己の気持ちを逸らそうとする。
そうしようとすればするほど逆効果で、カインに会いたい気持ちは膨らんでいく。
自分がそんな風に思うことが、またポロムには許せない。
恥ずべきことをした自分を責めず、ただ恋に浮ついているだけだと思われたくない。
といっても、そんな彼女の様子を知っているのは、ほかならぬ自分だけ。仮に、すべての話を知っている人間がいたとしても、誰一人、彼女を責めやしないだろう。
けれど、ポロムは自分が「そう」であることを否定したかった。
否定したくて、ただただ自分を苛む。それしか、彼女には方法がみつからなかったからだ。
「もうっ!本当にカインさんったら、いつもああで、つれない人で、私のことをずっとずっと子供扱いして!」
ぶつぶつ言いながら、まだ少し濡れている髪をタオルで乾かす。
「第一、久しぶりにお会いしたのだって、もう、一体何年ぶりかっていうぐらいだったんだし、そんな、私のあんな子供時代なんて、忘れていてくだされば、もう少しはっ!」
荒っぽく自分の髪を扱うポロム。
もしも、パロムが同じようにタオルで髪をこすっていれば、ポロムはきっと「もう少し丁寧にしなさいよ!」と口うるさく言うに決まっている。けれど、ポロムが髪を荒っぽく乾かしているのは、パロムのように「めんどくせーもん」という理由ではない。
何か口に出して、声に出して、自分の中から放り投げて。
無理矢理手を動かして体を動かすことで、考えないように考えないようにと。
そうでもしないといてもたってもいられず、夜だというのにカインの様子を見にいってしまいそうだ。それほど、ポロムの気持ちは乱れていて、抑えることが難しい。
おかげで彼女の長い髪はどんどん絡まり、まったくもって惨めな気持ちになってしまったのだが。
(いっそのこと、小さい頃に、お会いしてなければ)
そうすれば、少しは大人扱いしてもらえるのだろうか。
いいや、そうではない。
たとえそうだったとしても、自分とカインの年齢差が縮まるわけではない。
(それに、本当はカインさん、わたしを子供扱いしているわけじゃないんだ)
軽くあしらわれていることを、「子供扱いされている」と思い込みたいのだ。
その方が、まだ望みがあるような気がするし。
ポロムは、絡まった髪を気だるそうに梳いて、溜息をひとつつく。
もう、寝よう。
部屋をぼんやりと照らし出していた、テーブルの上の明かりを消して、ポロムはベッドに潜り込んだ。
慣れたベッド。
頭が心地よく沈む枕。
まだまぶたの裏に、柔らかなオレンジ色の灯りの残像が残っていたが、やがてそれも消える。
息を整えて両手両足の力を抜けば、ほどなく眠りの世界にいざなわれるはずだ。眠っている間は、何も考えずに済む。
「・・・」
いつもと、違う。
パロムは「嫌なことなんて、寝ちまえばすっきりするぜ!」と昔からよく言っていたけれど、ポロムはそういう性質ではない。
うまく眠れない。いや、眠れそうなところまではいったのだ。
毛布の中で眠りにつく寸前、自分の体温が毛布を温め、その毛布に温められて、ふっとカインの手を思い出す。
自分の手首を握った、カインの手の大きさと、その熱さ。

――・・・疲れている時に、お前は――

いつもと違って少しだけ掠れている声が、ポロムの耳の奥に残っている。
まるで囁いたような、低い声。

――そんな風に、誘うな――


それから?
あの時、唇に触れたことがバレてしまい、ポロムは相当に動揺していた。
他にカインは何かを言っていたはずだけれど、残念ながらそれは耳に残っていない。
起こしてしまった。触れていたことを知られてしまった。少し、痛い。カインさんに手を掴まれている。熱い。
いつもと違う、掠れた声。薄暗闇の中、二人きりだなんて、少し怖い。
誘う?何?私が、何を?その「誘う」って意味は。
よく思い出せないこともあるけれど、自分がだいぶ焦っていたことだけは十分にわかっている。
それと、自分の中に生まれた素直な欲求と。
(もう一度だけ)
あの熱い手に、掴んで欲しい。触れて欲しい。
そんな風に思う自分は、恥ずかしい女の子なのだろうか。
ポロムは毛布の中で体を丸め、自分の感情から逃れようと眠りの世界を頼って強く瞳を閉じた。けれども、瞼の裏の暗い世界はだんだんと目が慣れてきてしまい、そのうちに自分の呼吸音すら耳障りに思えてくる。
眠れぬ夜は長く、彼女がようやく眠りについたのは、空が白み始めた頃だった。

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