熱病-2-

翌朝、起床後に朝一番の用事を済ませ、ポロムは大慌てで道具屋に向かった。
「おはようございます」
「おはよう、ポロム。何がご入用かい?」
「えっと」
「ああ、そういえば、この前はありがとう。ついさっき、竜騎士の兄さんが来たばかりだ」
「え」
「お代とね、他にも頼みに来て」
まさか、道具屋の方からすぐにカインの話題に触れられるとは思っていなかったポロムは、驚いて一瞬言葉を失った。
「あ・・・あ、あの、カインさん何か言ってませんでしたか?その・・・わたしが、持っていったこと、とか」
「ん?いいやあ?それより、頼まれていたものが間違っていてね。それの話ばっかりしていたな」
「間違って・・・?」
「こっちの仕入れの間違いだからお代はいいっていったんだけどなあ、変に律儀でね。間違いやすいものを頼んだ方が悪いからって」
それは、一体何のことだろう。
尋ねてみたい気持ちがまた首をもたげてきたけれど、とにかくカインが道具屋にポロムのことを特に言ってないということはわかった。
「あの、次は、いつ頃カインさんがいらっしゃるかわかります?その、日にちのお約束とか」
「ああ、仕入れ期間の約束はしていないよ。また、そのうち来るからって言ってたし、それに間に合うといいんだが。もし、早めに入荷したら、また持っていってくれるかい?」
「!」
ポロムは、再び道具屋の主人の言葉に驚いた。
彼がそう言うということは、カインに「ポロムに持ってこさせるな」といった意味の話をされなかったということだろう。
普段ならば、カインのもとに行くための言い訳が出来たと手放しに喜ぶところだが、ポロムは神妙な表情になり
「あ・・・はい、わたしで・・・よければ、もちろん」
いささか口ごもるような返事になる。が、それを道具屋の主人は気付かなかった。


今から追いかければ、カインに追いつくだろうか。
いや、でも、カインに会って何を話せばいいのだろうか。
どれもこれも自分の思い過ごしや、自分の都合だとポロムは思う。しかも、その気持ちをきっとカインには上手く説明出来ないだろう。
浮かない気持ちのまま、一度ポロムは家路へとついた。
太陽はどんどん上空へと昇っていくが、ポロムの気持ちは晴れない。
そんな時、ポロムと同じく白魔道の研究チームに配属になったばかりの、二つ年上の女の子と道で出会った。
「おはようございます、ポロムさん」
「おはようございます、ジーナさん」
軽く頭を下げて挨拶をした後、ポロムは、ジーナの唇の色が普段と違うことにふと気付いた。
彼女は、同性のポロムからすれば「二歳違うだけで、こんなに大人びるのか」と驚くほど、大人の女性に近づいている存在だ。
研究チームに入ったばかりの腕前といえばポロムとの実力差は大きい。けれど、ミシディアの魔道士の一般的な力量で言えば、むしろそれは当然のことで、ポロムやパロムが異端なのだ。
双子のように早熟でない分、きっと彼女は他の女の子と一緒に「年頃の女の子らしい」ことを普段からしているのに違いない。
ポロムがそう思うのは、彼女の唇を染めている塗り紅の色合いだ。ポロムは、ジーナにとてもよく似合う色だと常々思っているけれど、大人達はそれを「その色は少し早いんじゃないのか」とか「もっと薄い色を」なんてことを言う。
もちろん、ポロムは塗り紅すら持っていないけれど、そんな彼女でも大人達の意見は、女の子達からすれば不当な抑えつけではないかと感じる。
「ジーナさん、今日は紅の色が違うんですね」
「あ、気付いてもらえて嬉しいです。一昨日から変えているの」
ポロムが二歳年上のジーナに敬語を使えば、ジーナもチームの先輩であるポロムに敬語を使う、不思議な関係だ。
「この前道具屋さんが、バロンから仕入れるものがあるって言ってたから、じゃあついでに今バロンで流行っているお色の塗り紅をって頼んだんです。ポロムさん、バロン王妃とお知り合いでしたよね?」
「ローザ王妃のこと?」
「ええ。月に一度城下町に王妃が視察に行く際に、王妃が塗ってらっしゃる口紅の色が流行るんですって。ここ二回ほどは、このお色だって聞いたの。髪の色とかは違うけど、茶色い髪にも似合う色でしょう?これ」
髪の色ばかりではなく、年齢も相当に違う。ポロムは最近はローザと会っていないけれど、それでも最後に顔を見た時のローザを思い返せば、ジーナとはまったく年が離れており、完全に女の「子」ではなくなっているのでは、と思う。
それでも、髪色が違うことがむしろ幸いしたのか、ジーナの唇を彩っている柔らかい色は彼女にもよく似合っていた。
そもそもローザはセシルとの第一子を出産して以来、派手な色をそう好まない。コーラル系のその色は、ローザの透き通った白い肌にも映えるだろうし、茶髪のジーナがつければ少しばかり可愛らしい印象になる。
(バロンから・・・カインさんにわたしが持っていったものが、バロンから仕入れたものなのかしら)
ふとそんなことを考えているポロムの前で、ジーナは朝から饒舌に「おしゃれ」のことと「黒魔道の研究チームにいるだれそれが・・・」といった話題を続けた。
ジーナは高い声で早口で話すようなタイプではない。ポロムが戸惑うような話題でも、さらりと、まるで何も大事ではないように話す。
だからポロムはいつもついつい、断りきれずになんとなく話を聞く羽目になってしまうのだ。
が、今日はそんなジーナのあれこれの話題を聞き流しつつ、ポロムはカインのことを考えていた。
もしかして。
バロンから取り寄せをしたもので、とても大切なものだったのではないかしら。
(聞きたい。でも、聞いちゃ、駄目よね・・・それに、聞いたからって、それがなんなの?)
適当な相槌をうつポロムを、「朝で、きっと頭が回っていないんだわ」とジーナは勝手に解釈をしたようで、珍しく彼女のほうから話を打ち切った。
「じゃあ、ポロムさん、明日の集会で!」
「あ、はい。それじゃあ、また」
ポロムはぺこりと頭を下げ、ジーナを見送ってから再び家に無かった。
ジーナは一時期パロムとの恋仲の噂があった。
パロムとポロムが成長するにつれ、何かにつけてパロムの周囲にはそういった話題が持ち上がるようになった。
もちろん、最初のうちはポロムにとってはあまり歓迎出来る話題ではなかったし、「そういう噂になるのは、本人に問題があるってことなんだから!」なんてうるさくパロムに言ったこともある。
が、身内ゆえにポロムにはわからなかったけれど、事実パロムは相当に女子に「モテて」いたし、そういう話題が持ち上がってもおかしくない年頃にもなっていたのだ。
男女では、女子の方が早熟だとよく言われる。
ポロムは相当に幼いうちにその「早熟」といわれたが、男女の関係に関しては、パロムの方があっさりとハードルを越えてしまったようで、ポロムは少しばかり取り残されたような気持ちになることもあった。
(でも、わかる。ジーナさんみたいに、自分が女の子だってこと、あんなに楽しんでるなら、男の子から見ても可愛らしく見えるに違いないもの。わたしは・・・)

――あの子って、前から変わっていると思ってたけど、やっぱり、ねえ――

――いまどき、好きあってる男女が、体を重ねることぐらい普通よねえ――

ポロムのことを陰で噂していた女の子達の声を思い出す。
考え方が古いのではなくて、自分はまだ子供なのかもしれない。
だから。
(カインさんに会いに行っても、何の駆け引きも出来ないし、ただ一緒に少しだけでもいられるのが嬉しいだなんて。それから、どうするの?また、次に道具屋さんに頼まれて持っていって・・・そしたら、カインさんはまた、ありがとうって言うだけで、引き止めてもくれないに違いないのに)
泣きそうだ。そう遠くないはずの自分の家が、やたらと遠く思える。
こんな時に、知り合いに会いたくなかったと思いつつ、ポロムの歩調は自然に早くなった。
ようやく、家の前に辿り着こうという時に、ポロムは声をあげた。
「・・・あっ・・・!」
玄関の扉の前に、ぽつんと置いてあるのは。
先日、カインの元に置いたまま帰ってきてしまったバスケットだ。
中にいれたものがこぼれ落ちないように、紐を縫い付けたハンカチーフを被せ、持ち手に紐を結んである。ポロムがとても気に入っている可愛らしいオレンジ色の花柄の布だ。間違いない。
(カインさん、返しに来てくれたんだ・・・!)
どこで行き違いになったんだろう。
ポロムの瞳には、ついにじんわりと涙が溢れてきた。
追いかけたい。でも、追いかけてどうするんだろう。
何を言うの。持ってきてくれてありがとうございます。それから?
(駄目だ。今会ったら・・・)
次は、道具屋から頼まれなくていいからな・・・そういわれそうな気がする。
ポロムは、足元に置いてあったバスケットをぎゅっと胸元に押し付けながら、扉を開けて家に入った。
ばたん、と閉めると同時に、瞳から涙がほろほろと零れ、頬を伝う。
「やだ・・・なんで、何・・・よくわからない・・・」
心が揺れる。
胸が痛む。
カインがわざわざ届けてくれたバスケットが、とても大切なものに思えて強く抱きしめる。
これを持って、あの人がここまで来てくれた。
そう思えば、普段からよく使っていたそのバスケットが、自分の気持ちに何か応えてくれたのではないかと思えた。
そのまま扉を背に床に座り込むと、バスケットに違和感を覚えてポロムは眉を潜めた。
「・・・?」
バスケットの中に、何かが入っている。
涙を拭ってから慌てて布をめくる。バスケットを斜めにすると、ころんと小さな白い陶器の入れ物が出て来た。
ポロムの手の平に収まるぐらいの大きさの平たい容器は、蓋部分の陶器の表面にガラスが張られており、ステンドグラスのような細工で淡いピンクの花が描かれている。女性の持ち物であることは間違いない。
「なに・・・?」
開けていいのだろうか。
ポロムは、手紙か何かが入っていないかと、バスケットの中を覗いた。けれど、それらしきものはひとつも入っていない。
恐る恐る蓋を開けるとふんわりと甘い香りが立ち上る。まるで香油のような香りだが、中に入っているものは白っぽい固形のものだ。
普段、洗髪後に香油を落とした水で仕上げをしたり、香水の代わりに耳の後ろにつけることはある。しかし、その容器に入っているものは固形で、水に溶く物ではなさそうだし、練り香水とも違うようだった。
初めて見るそれに戸惑って、触れていいのかもわからずポロムは途方にくれた。
(プレゼント・・・?でも、なんなのかよくわからない)
気付けば涙も止まっている。
ポロムは立ち上がり、とりあえずチェストの上にその容器を置いた。それから、いつもバスケットを置いている定位置に片付けると、喉が渇いていることに気付いて、茶を飲んで気分転換をしようと決めた。
どう見ても女性用の可愛らしいデザインと、柔らかな香り。
(そうだ。ジーナさんなら、これが何かわかるかも)
カインに会いに行く口実が出来たと思うけれど、今日行くのは気持ちが焦りすぎだと自分でも思う。
明日の白魔道士の集会でジーナに会うから、その時にこれが何か聞こうとポロムは思った。カインのもとに行くのは、それからでいい。
彼女に出会ってよかった。たまたま会っただけだったが、きっと先ほどジーナに会っていなければ、誰に聞けばいいのか思いつかなかったに違いない。
ポロムはかまどの火をつけ、水を入れた小鍋をかけて、火を見える位置で椅子に座った。
(もし、これが何かも知らないの?って馬鹿にされたらどうしようか)
それでも、知らないで持っているより、知らないままカインを訪ねるよりは、聞いてしまった方が良いとポロムは思う。
もしも、これをカインが持って来た時自分が家にいたら。
彼は、何と説明しながらこれを渡しただろうか。
プレゼントだ、とか、バスケットの中身の礼だ、とか。そんなことを言ってくれただろうか。
「・・・間違えて、いれちゃった・・・とか、それは、ないわよ、ね?」
もちろん、それに答えてくれる人間はそこにはいない。
答えは誰からももらえないけれど、少なくともポロムの鼻をくすぐった良い香りは男性が身につけるものではなさそうだ。
花の香りだと感じたが、ポロムが知っているどの花の匂いとも違う気がしたし、考えてみれば花の姿を知っていてもそれぞれの花の香りをすべて知っているわけではないとも思う。
湯が沸騰してぽこぽこと鍋の底から泡が上がってくるまで、ポロムはカインのことをぐるぐる考えながら、かまどの火を見つめるのだった。


その晩もなかなか眠れぬ夜を過ごし、いささか寝不足のままポロムは翌朝を迎えた。
午前中に白魔道士の研究チームの集会がある。
昼食後にカインに会いに行こうと、バスケットにあれこれ詰め込んでテーブルの上に置いた。
あまり頑張りすぎないように、けれども気に入ってもらえるように、と昨日のうちに季節の果実を煮詰めたジャムを作った。それを入れた瓶をひとつ。小さな袋に固パンをつめたもの。お湯を注ぐと野菜スープとして飲めるように、ぎゅっと濃い味で煮詰めた野菜ペーストをいれた瓶をもうひとつ。
あまり量が多いとカインはきっと遠慮するだろうし、そもそも彼にあれこれと作っていく義理などないに等しいのだ。
だから、困らせないように受け取ってもらいやすいように、バスケットに少しばかり余裕がある程度に詰め込んだ。
その日の集会は遅刻者もなく、スムーズに話が進められた。他国から依頼されて派遣されている白魔道士からの報告や、先日から始まった新しい詠唱法の実験を行うチームの計画発表、ポロムが今手掛けている、相当昔のミシディアで一時期流行したらしい魔法語の翻訳研究の進捗報告など、盛りだくさんだった。
昼食の時刻に食い込んだ頃、少し時間が押しながら集会は終了した。
円卓の上に広げた資料の片づけをしながら、ポロムはジーナに声をかけようと部屋をぐるりと見渡した。すると、ジーナの方からポロムに声をかけてきた。
「ポロムさん、これ、お約束の」
約束?
何を言っているんだろう、とポロムは数回瞬きをして、ジーナが差し出したものを見る。
「バロンの、塗り紅。是非試してみてくださいね」
どういう話になっていたんだったか、とポロムは戸惑いながら、ジーナから小さな容器を受け取った。
見れば、それはカインがバスケットに入れたものと似た容器で、蓋を開けると確かに可愛らしい色の塗り紅が少しだけ入っていた。
「自分の分だけ、いつも使ってる容器に移しかえちゃったんです。その入れ物も、可愛いですよね?バロンらしいデザインで」
そうだ。
カインのことを考えていて、上の空で話を聞いていたけれど、たまにはポロムも唇に色を乗せたらどうかとジーナは言っていた気がする。折角だから、わけてあげる、とも。
ぼんやりとしていても、耳はそれなりに音を聞き取っているものらしい。
ポロム自身は意識して聞いていなくとも、自分に対して発されていたジーナの言葉は、なんとなくでも頭の中に残っている。
ようやく話が見えたおかげで、ポロムはなんとか笑顔を向けてそれを受け取れた。
「ありがとう。ちょっと照れ臭いけど、使ってみますね」
「はい。次の集会ではつけてきてくださいね。楽しみにしています」
「えっと・・・その、ちょっと照れ臭いので、それは」
曖昧に言葉を濁しつつ、ポロムは受け取ったものをバッグにいれ、次はバッグの内側についているポケットをごそごそと探った。
カインからもらった(らしい)容器を取り出し、ジーナに見せる。
「ジーナさん、これ、何か御存知ですか?」
「あら・・・」
ジーナは容器を受け取って蓋を開け、即答する。
「ああ、これ、バロンのものですね?いい香り!わたしは使ったことがないけど、ジョアンナさんが以前見せてくれたことがあるわ」
やっぱりバロンのものなのか。そして、やっぱり女の子が使うものなのだ。
勇気を出して聞いてよかった、と安堵の表情のポロムに、ジーナは丁寧に説明をしようと、容器の中身に指を伸ばした。
「これは、ですね」
「あっ、まだ・・・」
中身に手を触れそうになったジーナを、ポロムは慌てて止める。
うまく説明が出来ないけれども、まだ、触れて欲しくない。かといって、ポロムが最初に触れればいいというものではない。
これは、カインから貰ったのか、なんなのか。それがわからないことには使ってはいけないと思えたのだ。
ジーナは不思議そうに「ポロムさんのじゃ、ないんですか?」と悪気もなく問い掛けた。
どう言えば正しいことなのかはわからなかったが、仕方なくポロムは「そうなんです」と答えるしかなかった。


昼食を終えたポロムは一度家に戻り、改めてカインの元へと足を運んだ。
家で髪を結い直し、服を整え、姿見で自分を映した。
丈が短めの外套は、女の子らしいデザインが気に入っている。
朝から荷物をいれている斜めがけのバッグは茶色の無地の布で作られていたが、内布と内ポケットは明るいピンクで、肩かけの布も内側がピンクになっている。それも、お気に入りだ。
バスケットにかけた布がオレンジ系なのは、そのショルダーバッグをした状態で持ってもおかしくない色味にしたかったからだ。
自分では、そんな風に自分なりにおしゃれをしていると思うし、人に自分がどう見られているのか気にしないほど子供ではないと思う。
けれど、自分には圧倒的に何かが足りないのではないか、とポロムは疑心暗鬼になっていた。
ジーナだけではない。同じくらいの年頃の女の子達と比べると、自分はまだ子供っぽいのかもしれない、と思う。
いや、その言葉は正確ではない。
自分自身に手を入れていない。
それが正しいのかもしれない。
年頃になって髪の手入れの仕方は覚えた。
服だって、昔と違ってパロムのものと似た形の服なんて着ない。
けれども、きっと他の女の子と自分は違うのだとポロムは思う。
年頃の女の子達の噂話というものはポロムにはくだらないことに思えることも多かった。
また、年頃ゆえの繊細さだけではなく、誹謗に近いことも平気で口に出すことが出来る無神経さを持ち合わせている彼女達は、ポロムより余程異性と交流を持って恋愛「ごっこ」をしているように感じる。
誰が誰を好きとか、誰が誰に告白しただとか。
誰と仲良くしたいから、薬草摘みの当番を代わってくれとか。
まったくそれらはポロムには興味がなかったし、それで何も困らなかった。
けれど、彼女達はポロムからすればどうでもいいと思える会話で結束を深めるだけではない。
同じ年頃の女の子同士として「綺麗になる」ことへの意識も、「大人の女性になる」ことへの意識も、お互いの存在を認識することで高まっていくものだ。そういうものなのだとポロムは知らないけれど、きっと自分が「違う」と思っている決定的なことは、そういう女の子達とあまり交わっていないからだ、という正解には辿り着いている。
(それでなくとも、カインさんはとても年上なのに。わたしは、子供だと思われたくなくて背伸びをしたがるけど、そのために何をしているわけでもないわ)
ジーナにもらった塗り紅がまだ自分に早いと思うのは、そのせいだ。
ふと気付けば他の女の子達だって、もうみんな淡い色でも塗り紅をしているし、爪を染めている子だっている。
ポロムはポロムなりに、ここ最近は色々な形の服を試してみたり、前よりも随分髪の手入れも念入りにしているけれど、他の子が放っている「背伸びをしている」雰囲気には何か圧倒されるとすら思う。
(きっと、それが)
あの子は変わっている、とか、今時、とか言われる原因なのだろう。
ポロムは雑念を払うように息を整え、魔法を唱えた。
試練の山の数箇所には、珍しい技でつけた空間移動の魔法テレポ用の「自分の足跡」があり、テレポを唱えればその「足跡」たついた場所へと移動出来る。
それは、カインがいる場所まで一人で登ることは一苦労なので、長老の力を借りて以前作ったものだ。(といっても、どこでも簡単に作れるわけではないのだが)その、最も高い位置にある場所まで、連続でポロムは移動をした。
あまりカインの居住区に近い場所に足跡があれば疎ましがられると彼女は思っていたから、そこからは歩いていかなければいけない。
ごつごつとした岩場の間に、人一人が通れるぐらいの細い道。
開けたと思ったら、少し斜面が厳しい上り坂。
いつもならば、カインと会ったらなんと言おう、とか、カインは何をしているだろうか、とか。
いつもはそんなことを思いながら辿る道だったけれど、今日はどうもそういう気分ではない。
カインに会える嬉しさは確かにあるのに、足取りが重い。
やっぱり、今日はやめようか。こんな浮かない様子で会うなんて。
そんな風に思った時だった。
「ポロム?」
「ひっ!!」
前方、どれくらいだろうか。相当に離れた大きな岩陰から、ひょっこりとカインが姿を現した。ポロムの名を呼んだ声も、実は彼女の耳にはほとんど届いていないほどの距離だ。
視界に突然人間が現れたことは予想外の突然のことで、ポロムは裏返った声を出してしまった。
「か・・・カインさんっ・・・びっくりさせないでください!」
「驚かせたか」
見れば、珍しくカインは鎧を脱いでいる。
「どうなさったんですか、普段着でいらっしゃるなんて」
と言いながらも、心の中では「鎧の方が、普段着といえるのかもしれないわ」なんて思うポロム。
カインはポロムが上がってくるまでじっとそこで待っていたが、あと数歩というところで再び岩陰に戻ってしまった。
そこへおずおずとポロムは顔を覗かせる。
「鎧の、お手入れですか」
「鎖帷子だけだ」
「くさりかたびら・・・」
「時々、使っている」
カインの姿が隠れていた大きな岩陰にはもうひとつかなり大きな平たい岩があり、その上にカインの防具が置いてあった。
そして、彼が腰を降ろした横には愛用の槍と、手入れ道具らしいものがちらほらとある。
「ここならば見晴らしが良いから、多少無防備でもなんとかなる。鎧を着たままでは、手入れの最中に鎖帷子を傷つけてしまうことがあるからな」
珍しくカインはすらすらとポロムに説明をする。
それは、ポロムには「珍しい」と思えたが、ただ単に普段から彼が饒舌になるような話題を交わすことがないからであり、カイン自身は本来自分の得意分野であればそれなりに長く話もするのだ。
ポロムがそれをよく知らなくても、仕方がないことなのだが。
「鎧の手入れをしたかったのだが、頼んでいた油を一種類間違えて道具屋が仕入れてしまって、足りなかった。だから、鎖帷子だけ先に手入れを」
最後の方はほとんどポロムには聞き取れないほど、なんだか独り言のようにごにょごにょとカインの口の中に留まってしまう。
そう言いながらカインは布を手にとって折り畳んだ。見れば、彼の手のひらには包帯のようなものが巻きつけられてあり――手入れ時に怪我をしないためのものだが、ポロムはもちろん知らない――かなりその布も薄汚れていた。
ポロムが声をかけていいのか悩んでいると、彼女を見ずにカインは
「すぐ終わる。待っていろ」
と告げた。
「あっ・・・」
カインが手にしたものを見て、ポロムはかすかに声をあげる。
それは、バスケットの中にカインが忍ばせていたものと、似た容器だったからだ。
カインが持っている容器の方が背が高く、決して平たくは無い。
蓋を開け、布で中の固形物をすくって延ばすと、カインはそれで鎖帷子を拭き始めた。
(もしかして、それをバロンから・・・?)
鎖帷子を手入れしているカインの表情は真剣そのもので、待てと言われなくとも声をかけることが出来ない。
ポロムがここに来ても、ほとんど彼は甲冑を着込んでいるので、こうやって素顔を全て見せてくれることは稀だ。
ところどころ汚れている薄茶色のシャツに、黒っぽいパンツの裾をブーツに入れている。その姿ももちろん稀なことで、久しぶりに見た彼の私服姿を、じっとポロムは見つめていた。
先日も思ったけれど、年の差が相当あるにも関わらず、カインは造作が整っているせいかあまりそう感じさせない。
ミシディアの魔道士で、カインと同じくらいの年齢の者は何人もいる。
その人々の顔を並べて思い浮かべても、カインはなんだか浮いていると思う。それは、金髪だから、バロン人らしい骨格だから、とかそういう理由だけではないように思う。
(普通の服、前に見たのとは違う。一応、何着かは持っていらっしゃるのね)
一度だけ、カインが洗濯をしている姿も見たことがある。もちろん、その時も鎧は脱いでいた。
料理をしているところも、一度だけ見た。その時は甲冑を着込んだ状態だったと思う。
そのどんな時も、カインはポロムの用事が済めば彼女を引き止めることもなく、むしろ早く帰そうとする素振りを見せていた。
今までの彼と自分で過ごした時間のすべてを足すと、どれくらいになるのだろう。もしかして、一日分にも満たないかもしれない。
そんなことをふと思いつき、ポロムは悲しい気持ちになった。
彼の、何を知るわけでもない。
もちろん、彼だってポロムの何を知っているわけではないだろう。
それなのに、間違いなくポロムには彼を好きと感じる気持ちがあり、いつもそれに振り回されてしまう。
この男は、それをどれくらいわかってくれているのだろうか。
「ポロム」
「・・・あっ、はい!」
「俺は、今から昼食なんだが」
「あ、まだ食べていなかった、ですか」
物思いから引き戻され、ポロムは変な言葉遣いになる。それに気付いて頬を染めるが、カインは気にもせず道具を片付けながら聞いてきた。
「この前は、うまいものをご馳走になった。ありがとう。それに便乗して図々しいことを言うが、今日はそれには、何か入ってるのか?」
「え?」
「それ」
そういって、カインはポロムのバスケットを指差した。
やっと彼の言葉の意味がわかり、ポロムは大慌てで
「入ってます!あの、固パンを、焼いたので・・・それと、ジャム。あと、お湯で割るとスープになる煮込みと・・・今、お食べになります?」
「いつも、期待してがっついているつもりはない。ただ、今日は・・・手入れに没頭して、飯のことを忘れていた」
それは、ポロムが持ってきたものを食べたいという意思表示だ。
「道具屋から、珍しい茶を貰った。一杯飲んでいくといい」
湯を沸かすからな、と言い訳のようにカインはつけ足す。
彼からそのように誘われたことがなかったポロムは、彼からの言葉に即座に返事が出来ない。嘘ではないか、と疑いつつも、少し胸の鼓動が高鳴るのは嘘ではないとわかっているからだ。今、口を開いたら、上ずった妙な声が出そうだ、とポロムは言葉を飲み込む。
おかげで返事をするタイミングを失ったポロムを気にする風でもなく、カインは鎖帷子を布に包んで担ぎ、槍と道具袋を手に持って歩き出した。



←Previous Next→



モドル