笑顔-1-

失われていくものを、強く抱けば自分のものに出来ると思うのは赤ん坊だけだ。
それでも俺は、あの軽い体を強く抱いた。
自分のもとに留めておくには、そうするしかないのだと赤ん坊のように思った。
そして次には、その力でか細い体は押しつぶされるのではないかと、そんな恐れすら抱いた。
俺は阿呆のように驚き、力をゆるめ、まるで壊れ物を扱うかのようにして。
どうすることも出来ずに、不甲斐ない自分を呪いつつ、本当は目をそらしたいその笑顔を見ながら。
俺はただ彼女の名を繰り返し呼ぶことしか出来なかった。

「大地震が起こった直後に、世界は海に沈んでしまった」
疲れ果てて肩を落とした老人は、孤島に打ち上げられた難破船の中でデュオン達にこの世界の状態を静かに説明をしていた。
船は、外の水の音をデュオン達の耳に伝えるほどあちらこちらが壊れて傷だらけだ。木の板は朽ち始め、あちこちからかびくさい臭いが漂う。それでも、この老人を守るには十分の役割を果たしてくれているのだと、ぐるりと船室を見渡して彼ら四人は納得する。
「ちょうど、船に乗っていたんでわしは助かったんじゃ」
「・・・」
ラッキーだったな。
そういおうとしたヒースは言葉をとめ、そんな言葉を思いついた自分を恥じて、黒魔道士の帽子のつばを引き下げ、顔を隠した。彼は多くの時に皮肉屋ではあったけれど、この世界の状況を見た今となっては、そんな皮肉めいたことを口にすることはあまりに不謹慎だと思えたのだろう。彼らはまだまだ物を知らない少年ではあったけれど、まったくの子供というわけではなかった。
「生き残ったのは、わしと、奥に寝ている娘だけじゃよ」
「え?」
「あの娘は、板切れにしがみついて漂流していたんじゃ」
老人は船室の奥に置いてあるベッドを指差した。デュオン達は慌ててそのベッドの側に駆け寄る。
見た感じですら湿っぽく見えるあまり清潔とは思えないベッドには、一人の少女が眠っていた。年のころは彼らと大差がないように思える。
茶色いような、光の加減ではオレンジや金髪にも見える、波打つ珍しい色の長い髪。うなされて、苦しそうな表情をしていてもわかる、明らかに整った顔立ち。彼女は軽くうめきながら体を動かした。額にじっとりと汗をかいていて、髪が張り付く。
「おい、ヴォーク、薬とかないのか」
デュオンがヴォークに聞くと
「薬っていっても、ポーションとか、毒消し草程度しかないよ。ううーん、ケアルで治るのかな・・・」
白魔道士の称号を得ているヴォークは、フードを軽く押し上げて彼女の様子を見た。
「僕が使えるケアルは、基本的には外傷治療だから・・・」
「ヴォークの魔法力もまだそんなに強くないしね。ためしにポーションを使って様子をみようか」
冷静にラウドが道具袋からポーションを取り出して、彼女の枕もとに立っているデュオンに手渡した。デュオンは膝立ちで彼女の顔を覗き込み、ポーションを使う。
残りの三人はその様子を、息を潜めて見守っていた。
「・・・どうだ・・・?」
「デュオン、どうだい?」
「ラウド、声が大きいぞ」
「・・・まばたき、したぞ」
デュオンが言うとおり、それまでうなされているだけだった彼女は何度か瞬きをした後、ゆっくりと瞳を開けた。
「・・・青い・・・」
見たことがない青だ、とデュオンは思う。人の瞳を見て「綺麗だ」と思ったことは、彼の生涯でもこれが最初で最後のことだ。
デュオンは彼女の瞳の色に驚き−本当に透き通る青い宝石のような、今まで彼が見たことがない青色だったので−まじまじと彼女の目を見つめた。
「・・・わたし・・・?」
彼女がゆっくりと体を起こすと、その様子に気づいて老人も慌ててベッドに近づいて来た。
ぐるりと船室の中を見回して、自分が横たわっていたベッドを見て、彼女は一番近くにいたデュオンにようやく向き直った。
「あなたは・・・?こ、ここは、どこ?」
うなされていたせいか、少し声が掠れている。
「俺は、デュオン。ここは、船・・・つっても、難破船の中だよ。調子はどう?」
「僕はヴォーク」
「僕はラウド」
「俺はヒース」
各人が名乗って挨拶をする。その顔を一人一人彼女は確認したかと思うと、突然、びくりと身を震わせて叫びだした。
「えっ・・・!?」
「ど、どうしたんだい?」
「あ、あなたがたの、心の中にあるその光は・・・!!」
「は?」
突然何を言い出すんだ、と四人は顔を見合わせた。しかし、彼女はそんなことはおかまいなしに言葉を続ける。
「あなたがたは、クリスタルに力を授けられた戦士・・・。クリスタルは戦士を選んだのね!・・・よかった・・・」
彼女のその言葉に、さあっと四人の表情は引き締まった。後ろから覗き込んでいる老人だけが、一体何をこの子は言い出すんだ、と困惑の表情を浮かべている。
「・・・あなたは、ご存知なのですか。僕達のことを」
ラウドは慎重に問い掛けた。デュオンは決断力に優れ、いつもはリーダー格とも言えるが、こういった入り組んだ話になると彼はラウドの出方を初めに確認をする。それは他の二人もよく心得たもので黙って彼女の次の言葉を待っていた。
「わたしの名前は、エリア。水の神殿の巫女です」
「水の神殿の・・・じゃあ、この世界の状態とか、わかるのか?一体、どうしたんだ?」
「ああ・・・」
エリアは胸元で両手を合わせて、祈りにも似たポーズをとった。彼女の「少女」と呼べる外見には似つかわしくないほど冷静かつ簡潔に話を続ける。
「戦士達よ・・・土の力が、あの大地震を起こしたのです。そして、水のクリスタルは地中深く沈みました」
「・・・なんだって!?」
「この有様じゃ、予想はしていたけどな・・・」
ヒースは苦い表情を見せ、ラウドと頷きあった。
一面の水。水。
何一つない、水の世界。
彼ら四人は飛空艇で浮遊大陸から飛び立ってきた。彼らの知らないもう一つの広い地上の世界は、どこを見ても水。
人っ子一人どころか、大陸の一つもない、ただただどこを見ても水だけが溢れる、美しくも物悲しさすら感じさせるこの世界。
彼らが人を捜し求めてようやく出会ったのが、この老人とエリアの二人だけだ。次の彼女の言葉も、既にラウド達は予想していたに違いない。
「水の力に守られていた人たちは、土の力で石にされ・・・すべての大陸は海に沈みました」
エリアは、恐ろしい真実を彼らに告げたのだった。

水の神殿には、水の巫女でなければ入れない、封印を施してある扉があるという。水のクリスタルの力を一刻も早く復活させて、世界を戻さなければ。そして、この四人の戦士達にクリスタルの力を託さねば・・・エリアの気持ちは急いていた。それゆえ、デュオン達の気遣いをよそに、エリアは今すぐ水の神殿に行くと言い張った。
気持ちはわかるが・・・と四人は悩んだ。今すぐ病み上がりの彼女を連れていって大丈夫だろうか?
「いいさ、いざとなったら、俺が彼女を守るからさ」
デュオンは三人にそう言って、とりあえず一度行ってみよう、と意見した。

デュオンが今体内に宿している称号は、ナイトの称号だ。彼らはクリスタルから力を与えられて、いくつもの称号を得ている。その中で各々に必要な役割の称号を、1人にひとつ「宿す」ことが出来る。それがどういう意味なのかはわからなかったけれど、彼らは体感でそのことを知った。
気性が穏やかで戦いにあまり向いていないヴォークは白魔導士として、彼らの回復役になってもらっている。
比較的器用でなんでもうまくこなすラウドは「学者」という不思議な称号を使いこなしているし、興味をひかれた、という理由だけで黒魔導士を選んでいるヒースですら「向いている」とデュオンは思っていた。
彼自身は「ナイト」の称号を得て、常に先陣を切って魔物と戦っている。自分は、頭を使うことがあまり得意ではないし、よくわからない「魔法」の力を使うことにも少なからず抵抗がある。それが彼の言い分だったが、誰の目から見てもその称号は彼にふさわしく、日に日に上達する剣技には、3人とも驚きを隠せずにいた。
それはともかく、デュオンが「エリアを守る」という意味は、ナイトの称号を持つ彼だからこそ出来る能力のことを指していた。初め、エリアはそれをよく理解していなかったけれど、水の神殿に赴いて、神殿にはびこる魔物達と対峙したときに、誰が何を言わなくとも彼女はことの真意を理解した。そこは、さすが水の巫女・・・というべきところだろうか。
水の神殿にたどり着いた彼らは、エリアのみが触れることが出来る「水のクリスタルの欠片」を発見した。それまで「水の巫女」の力に対して半信半疑だった四人ではあったが、クリスタルの欠片を手にしたエリアの祈りによって扉が開いた瞬間には−その扉は彼ら四人が何をしても開かなかったから−さすがに感嘆の声をあげた。
ホンモノだ。何が本物で何が偽者なのか、あまり意味がない言葉であったが、デュオンは口をぽかんと開けてそんなことを呟いた。その呟きを聞き逃さず、エリアは小さくデュオンに笑みを見せたのだった。その笑みに、どういう意味があるのかは誰にもわからなかったけれど。


水の洞窟、とエリアが呼ぶ、ひんやりとじめついている洞窟は深く、多くの魔物がはびこっていた。こんなことはなかったのに、と悲しそうにエリアは呟く。これもまた、水のクリスタルの力が失われているせいだと彼女は彼らに告げた。
「ヒース、危ない!」
何度目かの魔物達との戦いの最中、彼にしては甲高い声でラウドが叫んだ。
白魔道士ヴォークが回復をしてくれるだろうと誰もが思っていたヒースへ、治癒魔法ケアルを行使する前に魔物の攻撃が放たれたのだ。それを視界に入れた瞬間、デュオンは剣も構えずに走りこんで、ヒースと魔物の間に割って入った。
そうだ。この感知能力と身体能力が、ナイトの称号を得たものに与えられたものなのだ。
「デュオン!」
「うわっ!」
魔物の攻撃を真横から食らって、デュオンは吹っ飛ぶように横になぎ払われた。冷たい壁に叩きつけられる前に体勢を整えて足を踏ん張った。なんとなく地面が湿っているように感じて、足が多少滑るけれどなんとか持ちこたえる。そしてデュオンは小さく笑顔を見せてヴォークに叫んだ。
「俺なら大丈夫だ!ヴォーク、回復のタイミングがちょっと遅い!次頼むぞ!」
「うっ、うん!」
その間にラウドは魔物の弱点を見定め、ヒースに黒魔法の指示を出す。黒魔法を詠唱しているヒースの体を、ラウドからの治癒魔法の光が包んだ。さすがに長年共に育ち、村を出てからも一緒に戦ってきた仲間達だ。息の合ったコンビネーションでお互いのフォローをしながらも出来る限り無駄なく魔物を倒していく。
彼ら四人が戦うその姿を、エリアはそっと隠れて祈りながら、それでも一瞬足りと見逃さぬようにと見つめていた。
これが、クリスタルが選んだ光の戦士達。戦い方などわからなくても、エリアには感じ取ることが出来る。
彼らはクリスタルから与えられている称号を素直に受け入れ、存分に発揮している。それが、彼らが光の戦士である証明と言えるだろう。
この人たちに会えてよかった。
彼らが戦っている最中に不謹慎とは思いつつ、エリアの口元はわずかに微笑をたたえていた。


「エリア、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。気遣ってくれて、ありがとう」
戦いが終わると、デュオンは必ずエリアに尋ねる。戦っている間、エリアの様子をあまり見てやることが出来ていない、と彼は感じているのだろう。
「デュオンの鎧は、傷だらけね」
「え?」
「あなたは、みんなを庇っているから」
突然エリアにそう言われ、デュオンは何と答えていいのか困惑の表情を見せた。
「庇っているというか。それが、俺の役目だから・・・」
自分は今、ナイトの称号を得ている。ナイトは、直感で今弱っている仲間を感知して戦いの合間に守る、その感知力に優れている。だから、それは当然なのだ。エリアは何を言っているのだろう、とデュオンは軽く首をかしげた。
「そうかもしれないけど。でも、庇うと、痛いでしょう」
「は?」
「当たり前の質問、ごめんなさい。でも、痛いでしょう?」
「そりゃ、痛いけど・・・」
デュオンには、エリアの言葉の意味がわからない。多分、通じないのだろうな、とエリアもわかっているようにデュオンには思えた。
「デュオンは、優しい人だわ」
何を言っているのか、さっぱりわからない。そう言おうとしたけれど、たったそれだけの言葉もうまく音にならなかった。
エリアはとても可愛らしい、少女めいた仕草で髪を軽く耳に後ろにかけて微笑んだ。年はそう変わらなく感じるのに、どうしてこんなに大人びて見えるのだろうか。
デュオンはエリアに背を向け、他の3人の状態を確認し始めた。それ以上エリアを見ていることは、彼には何故だかとても恥ずかしいことのように思え、彼は逃げるしかなかったのだ。

病み上がりのエリアをすぐに連れまわすことはやはりよろしくなかったらしい。
洞窟に入ってほどなく彼女の顔色は見る見るうちに悪くなり、歩く足取りも覚束なくなってきた。それに気付いたヴォークは、一度難破船に戻ろうと三人に提案をした。
「いちいち難破船に戻らなくたって、飛空艇の中で休んでればいいだろ」
ヒースが言うことはもっともだった。が、普段はあまり我を通さないヴォークが珍しく食い下がってくる。
「そうだけど・・・おじいさんだって心配してると思うから」
「あのじーさんの心配してる場合じゃないと思うけどなぁ・・・」
ヒースはいつも「薄情だ」とヴォークに言われるが、このヒースの言葉は今はもっともだ。一刻も早く水のクリスタルを復活させなければ、この憂鬱な水だらけの世界はいつまでもいつまでもこのままなのだし。水に沈んだ大陸も、時間がたてばもしかしたら復活が難しくなる可能性だってある。
「だよね。デュオン、君はどう思う?」
ラウドに問いかけられて、デュオンは一瞬躊躇った。
彼も本当はラウドとヒースと同意見で、わざわざ難破船に引き返す必要などまったく感じていなかった。けれど、ヴォークがそう言うにはわけがあるのだと思える。
「ヴォーク、なんで、じーさんが心配なんだ」
「・・・だって・・・誰もいないんだよ?世界に」
「は?何言ってんの、お前」
ヒースが呆れたようにそう言った時。体調が悪くてそれまで黙っていたエリアが口を開いた。
「ありがとう、ヴォーク。きっと、ヒースとラウドはとてもとても心が強いから、わからないのだと思うの」
「エリア」
「ヴォークは、ヒースもラウドもデュオンも誰もいなくて、この世界にもし1人だったら・・・。そう想像したんじゃないかしら」
青ざめた顔でエリアは小さく笑みを作った。
無理をしなくていいのに。デュオンはそんなことを思いながらエリアを見る。その視線に気付いたのか、エリアは軽く小首を傾げてデュオンに視線を送った。
ヴォークは頷いて呟いた。
「うん、僕は弱虫だから・・・そう考えたら、1人になりたくないって思って・・・」
その言葉にラウドは軽く息を呑んだ。ヒースはすうっと目を細めて、わずかに唇を開く。もしかしたら彼は何かを言おうとしたけれど、うまく言葉にならなかったのかもしれない。
「弱虫だからじゃないわ。ヴォークは感受性が強いのでしょう、きっと・・・あ・・・」
そう言ったかと思うと、エリアの上半身はぐらりと揺れた。咄嗟にデュオンは両腕を差し出して、彼女の体を受け止める。
「エリア!」
「・・・駄目ね、わたし。ごめんなさい、早く水のクリスタルのもとへいかなくちゃいけないのに・・・」
初めて触れた柔らかい女性の体にデュオンは戸惑いつつ、抱きとめた。両腕で支えたその体は予想以上に軽く、軽い材質の盾を片手で持つのと大して変わりがなく思えるほどだ。
ごめんなさい、と言いながらエリアはデュオンを見上げて微笑んだ。それは必死の笑顔だ。口元はにこやかな形を作っているけれど、眉はわずかに寄っている。
そんな顔を見てしまったら・・・。
デュオンは難破船に戻ることを決心した。


水に満ちた静かな世界でたった一人で船の中にいるのは、確かに寂しいし不安もあるだろう。
いつも自分達は四人で一緒にいたから、そんな簡単なことすら気付きもしなかった。
俺はバカだな、本当に・・・デュオンは自分の気の利かなさに失望しつつ、難破船の甲板に出て、暗闇を照らす星の光の下どこまでも広がる海を見ていた。
他の3人は飛空艇で眠っているし、エリアは船室でまたあのベッドで休んでいる。老人も、5人が戻ってきて気が緩んだのか、今すやすや眠っていた。
難破船の甲板はいささか斜めになっており、あちらこちらに水が入って歩きづらくなっている。どこもかしこも浸食のおかげでかびっぽく、いつ木がぼろりと剥げてもおかしくはない。それでも、ここが今は老人のよりどころであり、彼が生きられる唯一の空間だ。
すべての大陸という大陸はこの水の底に沈んでいる−想像もつかないが−らしいし、石にされた人々が本当に助かるのかすら誰もわからない。途方もない、夢のような話だと思える。
背後で、かたん、という小さな音がした。完全に気を抜いていた自分を、また「俺はバカだ」と呆れつつ、声をかけた。
「誰」
「わたしです」
「エリア。調子はどう?もう大丈夫か?」
「ええ。おじいさんが色々よくしてくださって」
彼らが難破船に戻ってきた時、老人は気を利かせて少ない湯を沸かしていた。海水を濾過する方法を知っているあたり、老人がまったくの素人で船に乗っていたわけでもないことが伺えるが、まだ少年である彼らは「へえ、年よりは色んなことを知っているな」程度にしか思わない。
エリアは老人の厚意をありがたくうけ、温かな湯で体を一通りふいて、歩いて疲れた足を温かなタオルでくるんでしばらく休んでからベッドに入った。若さも手伝い、ほんの少し寝ただけでも大分顔色が戻ってきたように見える。
「心配かけてしまって・・・本当にごめんなさい」
「無理もないさ。だって、こんな海を・・・板切れにつかまって流されていたんだろう?体力が回復しないのも、無理ないよ」
「もう一眠りさせてもらえれば、大丈夫だと思うから」
「わかった。みんなも、寝てるしさ。ゆっくり寝るといい。急ぐも急がないも、俺たちが出来ることは限られているからさ」
「ありがとう」
エリアはそう答えて、また微笑んだ。
知らない微笑だ、とデュオンは思う。
故郷の村で彼らが知っていたどの女性も、エリアのような微笑み方を見せたことはないと感じた。
綺麗で、優しくて。いや、そういう言葉とは違う、とデュオンは思う。
「何を見ていたの?」
「海以外、なんにもないよ、ここは」
そう言ってデュオンは苦笑を見せた。
「確かにそうね。隣に行ってもいい?」
「いいけど、寒くない?」
「ええ。大丈夫」
甲板の端で、船の縁にもたれかかって2人は並んだ。
柔らかな風が吹いて、エリアの髪を揺らす。ゆっくりとした仕草で顔にかかる髪をかきあげ、また、ゆっくりと彼女はデュオンに声をかけた。
「あなたたちは、浮遊大陸から来たの?」
「ああ。知ってるの?」
「行ったことはないけれど」
「だから、この海の底に大陸があって・・・って言われても、それがどれくらい大きいのかも想像つかないよ」
「ああ、そうね。きっとそうなのね。でも、その大陸に住んでいる人たちも、どれくらい大きいのか自分達でもわからないと思うわ」
「ふうん、そんなもんかな」
始終落ち着いた口調ではあるが、時折見せる可愛らしい表情に、エリアは自分達と年齢があまり変わらないのだろうと再びデュオンは思った。
「エリアは、水の巫女なんだろう?」
「ええ」
「それって、一体なんなんだ?俺たち、色々わからないことが多すぎて、いつもいつも困ってるんだ」
「そうね・・・」
少しエリアは考えこむ表情を見せた。星がたくさん出ている夜は、月の光にはかなわないけれどそれなりに相手の顔を見るのに、目が慣れやすい。ほんの少しの光ではあったが、海面は光を弾いていて、美しい夜だとデュオンは思う。
「わたしは物心がついたときにはもう、水の神殿でクリスタルと共に生活をしていたの。そんな小さい頃から巫女の素質がわかるのは、稀なことなんですって」
「へえ」
「水の神殿には、何人もの巫女がいるの。もともとこの世界は水に満たされていて、どれほど大陸があろうと、そのすべての広さをあわせてもね、海や川を合わせたよりは広くないんですって」
「へえ」
「だからこそ、水のクリスタルの力は大きく影響します。でも、人というものは目に見えるわかりやすいものにしか感謝をしないものね。だからわたしたち水の巫女は、水のクリスタルに感謝の祈りと、その力の永続を願う祈りを捧げつつ、悪しき者からクリスタルを守っていたんです」
あの地震は、本当に恐ろしかった・・・エリアはぽつりと呟いたが、それは失言だったのだろう。すぐに、違う話題に彼女は移った。
「あなた達が光の戦士だって、わたし、すぐにわかった。種類が違っても、あなた達はクリスタルの恩恵を受けているって、感じられたし」
「俺たちは、自分達ではよくわからないけど。何が人と違うのか、教えて欲しいくらいだ」
デュオンは唇を軽く尖らせてみせた。それは、戦闘でもなんでも常にリーダーシップをとって、みなのまとめ役である彼が初めてエリアに見せた、子供っぽい表情だったのかもしれない。
「そうね。選ばれるって、選ばれた方は不思議な気持ちになるでしょうね」
「もしかして、エリアも?」
「ううん・・・さっきも言ったみたいに、物心ついたときには水の巫女だったから・・・当たり前だと思っていたわ。何も疑問も持たなかったし」
そういってエリアは照れくさそうに笑ってみせた。
「水の神殿以外の外の世界のこと、ほとんど知らないし。ようやく知った世界は、すべての大陸が海の底」
「・・・だな」
それは、デュオン達も同じようなものだ。
せっかく浮遊大陸から来たというのに、ようやく巡り合ったのが老人とエリアのみ、それ以外の人間は石になって海の底・・・なんともやるせない気持ちに彼らもまたなっているのだ。
「エリアって、何歳?」
「わたし?わたし、15歳よ」
「えぇっ!?俺より3つも年下なんだ?」
「あら、そう見えない?デュオンは18歳なのね。みんな一緒?」
エリアは軽く頭を横にかしげて、デュオンを見上げた。
「俺とラウドが18、ヒースは17、ヴォークは16だけど・・・そろそろ17になるんじゃなかったかな」
「そうなの。みんな、わたしよりお兄さんなのね」
「15歳なのに、落ち着いて見えるよ」
「うん、なんとなく、言ってることはわかるわ」
へえ?とデュオンは少しばかり驚きの表情を見せた。
もしかして、他の人間にも同じようなことを言われていて、エリアは不快に思っただろうか?そんなことを今更思って、デュオンは言い訳をしてみた。
「あ、でも、顔とか、普通に15歳に見えるから。その、話し方がさ。落ち着いてるから。水の巫女だからなのかな?」
「ええ、多分。わたし達、水の神殿に出入りする人間は、必要以上に声を張り上げたりしないし、そのぅ、少しばかり他の人たちと比べてのんびりしているのかもしれないわ」
「うん。多分。だってさ、村にいた子やあちこちの町の同じくらいの年の女の子達なんか、みんなぺちゃくちゃ喋るまくるし」
「そんなにうるさく話していたら、水の声が聞こえなくなってしまうもの」
水の声?
デュオンが疑問をもったことを、その表情から察してエリアは先回りして答えた。
「いつでも神殿の巫女は、水のクリスタルの声を聞いているの。荒海の音が聞こえる時も、川のせせらぎが聞こえる時も、静かな湖の水面を揺らす音も、いつでも頭の中で、どこかで聞こえているわ。こうやって話しているときもね」
「・・・そうなんだ。はあ、俺には全然わからない世界だな」
「それは、お互いさまよ。わたしには、クリスタルから称号を与えられるってどういうことなのか全然わからないもの」
「確かに、そうだよなあ」
「ね」
デュオンはエリアと顔を見合わせて笑い声をあげた。
こうやって笑い声をあげれば、それは15歳の少女らしい声で、あちこちの町で男の子達の噂話などをしている、おしゃべりしたい盛りの女の子と何の違いもないようにデュオンには感じられる。
15歳といったら、自分達はまだまだ好奇心旺盛で、あっちこっちと冒険気分で村の奥まった森などを探検していた頃だな、なんてデュオンは思いを馳せた。
エリアは、どうだろうか?
そんな当たり前の好奇心がデュオンの中で生まれ、無意識に彼は言葉に出してしまった。
「水の神殿以外のところ、やっぱり興味ある?」
よかったら、飛空挺で浮遊大陸一周とか。
俺達といればいろいろ行けるよ。
そこまで言おうとしたけれど、デュオンは慌てて黙ろうと決めた。
彼らと共に行動をするのは危険なことであったし、今はそんな呑気なことを言っている場合ではない。
もし、平和になったら・・・そんなことは、あまり軽軽しく言いたくはないと彼は思ったし。
(色んなところに行きたい、って言われたらどーしよう)
デュオンは心の中で焦った。無責任なことを言いたくない、と、責任感が人一倍強い彼は己の軽率さに気づいて、次々に安直に浮かんでくる言葉を口に出さずに我慢することで精一杯だ。
しかし、エリアの口からは予想に反した答えが返ってきた。
「興味は、そりゃああるけれど、でも、いいの」
「え」
「わたし、水の巫女であることを誇りに思っているの。だから、何があっても、水のクリスタルの側から離れないって決めたの。普通の女の子がうらやましい、なんて思う時期、とっくの昔に終わっちゃったわ」
うふふ、と可愛らしい声で彼女はデュオンにまっすぐ笑いかけた。
それが、無理をした笑顔なのかどうかは、デュオンの目では見破ることは出来ない。
彼女のその返事があまりにも意外で、そして、「水の巫女である」彼女の心に不躾にも土足であがってしまった気がして、デュオンは恥ずかしさにそっと目をそらしてしまうのだった。

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