笑顔-4-

深い洞窟の奥・・・と思われる場所に5人はようやく辿り着いた。
クリスタルを安置している場所−クリスタルルーム−は、どこもかしこも同じつくりになっているんだな・・・デュオン達4人は全員同じことを考えたに違いない。
先ほどまでは洞窟のあちこちに魔物が出没して彼らの行く手を遮っていたけれど、どうやらこの室内だけは足を踏み入れられないようだ。しんと静まり返ったその一室は、それまで彼らが歩いて来た通路とまったく違う空気が流れているように感じられた。
温度とか湿度とか匂いとか、体感で単純にわかるものではないはずなのだが、それに直接触れる肌を通して「何か」を誰もが感じ取っていた。
中央に位置しているクリスタルの祭壇へエリアは向かった。デュオンの手当てのおかげか彼女の足取りは確かで、何の迷いもなくまっすぐに歩いていく。
彼女は、祭壇の上に自分自身の力で浮かんでいるように見える、巨大なクリスタルの前で立ち止まった。デュオン達は、固唾を飲んでその様子を見守っている。
「さあ、水のクリスタルよ」
エリアはゆっくりと、クリスタルに語りかけるように言葉を発した。まばたきひとつもせずに、その視線はひたすらにクリスタルに注がれている。祈るように何かを口の中で呟いてから
「光を、取り戻して!」
エリアはその言葉と共に、胸元に抱いていたクリスタルの欠片をかかげた。
小さなクリスタルに宿る、ほんの僅かな光。
それは、この洞窟の封印を解き放ったものだ。
その小さな欠片は、目の前にある大きなクリスタル−まったく、同じクリスタルとは思えない、人間でいえば死んでいるも同然な−に感応したかのように、突如大きな輝きを放った。
いや、もしかするとそれは逆に、クリスタルの欠片に感応して大きなクリスタルのほうが光ったのかもしれない。しかし、それが本当はどちらであるのか彼らには明確な判断をすることが出来なかった。その場でその光を浴びたまま瞳を開けていられる人間は、そう、エリアのみだったからだ。
クリスタルの光は瞳を閉じてしまうほどの眩しさだというのに、何故か柔らかで温かみを感じる不可思議なものだった。
それは彼女にとっては、常に傍らにあるはずの光。
太陽の光やそれに頼った月の光、火打ち石によって飛び散る力強い火花、海の生物が時折発する自然界の神秘を感じる光。
そのどれでもない、彼女にとっては目に馴染んだ、いいや、体に馴染んだ当たり前の光。
物心がついた頃より誰よりも近しい伴侶のようなもの。その光と共にあれ、と言われ続けたもの。であれば、彼女は瞳を閉じる必要なぞこれっぽっちもないのだ。
失った輝きを取り戻そうとしているクリスタルは、彼らの目の前でもがくように明るさを変えながら発光している。
彼ら4人がその眩しさに耐えられずに目を閉じても、瞼を通過して光は瞳に届き、眼球の奥がしみるような感触を覚える。
それは、刺さるような尖った光ではない。柔らかい、とデュオンは思った。
10秒ほどの時間が必要だっただろうか。短くもあり、長くも感じる時間の経過。
彼らは、瞼というフィルターを通してじんわりと彼らの体内に入り込むような、その光にようやく慣れて薄く目を開け始めた。
その時。
−−−何か、黒い塊が彼らの視界の中で蠢いた。
「何・・・!?」
デュオンは咄嗟に剣を抜いてその塊に向き合おうとしたが、それは既に遅すぎた行動だった。
「危ない!!」
・・・一体、何が。
「うわ!」
デュオンはその影の正体を見極める前に、勢いよくぶつかってきた何かに突き飛ばされ、よろめきながら床に尻餅をついた。
それと同時に耳に飛び込んで来たのは、耳慣れない小さな音と、自分の甲冑が床に擦れ合う耳慣れた音。
そして、光に慣れてようやくしっかり開いた目に飛び込んできたのは。
「うっ・・・」
苦しそうに自分の上半身を抱くように両腕を体にまきつけ、前のめりになるエリアの姿だ。
自分を突き飛ばしたのがエリアだったのだと、彼はようやく悟った。その小柄な体で精一杯の力で、彼女は体ごとぶつかってきたのだろう。
エリアは苦しそうな声を漏らすと、ぐらりと体を揺らして床にへたり込み、そのまま這いつくばるように上体を前へ投げた。体の力が抜けているのか、普通ならば痛みを伴うと思える勢いで、腕を、肩を、顔を床に打ち付けるように倒れる。
「・・・・エリア!?」
全体重を乗せて崩れ落ちたエリアの背に、「何か」が刺さっていた。
美しさとは反して禍々しさすら感じる、透き通るようなガラスに似た棒。
それが矢であることはおおよそわかったけれど、明らかに普通ではない、と一目で彼らは感じた。そんな素材の矢なぞ、使用に耐えない。けれど、実際にこうしてそれが存在するとなれば、その「矢」は「普通ではない」のだ。
クリスタルの光を受けて光るその棒の姿は、まるで彼女の背中に突然異質なものが生えたかのようにデュオンの目には映った。
「デュオン・・・」
エリアがあえぐと、その棒は突然風化したように消えて行く。
幻覚なのか。
幻覚で、あってくれ。
デュオンは、黒い塊の正体を確認することすら忘れ、エリアに駆け寄り跪いた。冷たい床に投げ出されたエリアは、さも苦しそうに体全体で呼吸をしている。
何が起きたのかを理解するのに、デュオンには少しばかり時間がかかった。
エリアは、俺を、かばったのか。ようやくそのことがわかっても、彼の口から言葉は発せられない。
ヴォーク、ケアルを。
そう言うことが出来ない、只ならぬことが起きているという嫌な予感にデュオンはとらわれた。言葉が出ない。足が動かない。この予感は何だ。何が起きているんだ。
額に、それまで経験したことがない不思議な汗をかいていることにデュオンは気付いて、それを荒っぽく拭った。
「お前は・・・!」
ラウドが黒い塊に向かって叫ぶ声が耳に届いたけれど、デュオンの目はエリアから離れない。
衣類を突き抜けて棒が刺さっていた場所は彼の小指ほどの穴が空いていたけれど、そこから覗くエリアの体からの出血はなかった。
その代わり、白い肌が見えるはずの、そのわずかな穴からは、得体の知れない黒い痣のようなものの存在を確認できた。
その色は、じわじわとエリアの体を浸食するように彼女の背にゆるやかに広がっていたのだけれど、彼はそこまでのことを把握することは出来ない。
それでも、その黒い痣が普通のものではないことは、誰が見ても一目瞭然だ。
「エリア・・・!!」
ようやく、デュオンは自分の体の機能を取り戻したように声を振り絞った。
デュオンはエリアの名を呼ぶが、エリアは苦しそうに呼吸をするだけが精一杯という様子で、返事をすることが出来ないようだった。
その様子を嘲笑うような不快な声が室内に響いた。
「光の戦士すら一瞬にして消し去る、その呪いの矢を避けるとは運のいいやつよ」
黒い塊、とデュオンが思ったのは、黒いローブを羽織った人間の形をした「何か」だった。
3人は、デュオンとエリアを守るように、クリスタルを守るように、その黒い塊の前に立ち塞がった。
怒りに任せてヒースが叫ぶ。
「今、なんていったんだ、お前!!」
「ヒース、落ち着くんだ」
ラウドが囁く−といっても、視線は黒い塊から離してはいない−が、ヒースは続けて叫んだ。
「避ける・・・なんだよそれ、避けたんじゃねぇよ!エリアを盾みたいに、道具みたいに言うな!!お前、なんなんだよ!」
「俺は、水のクリスタルを割り、二度と光が戻らぬようにとザンデ様につかわされたクラーケンだ!」
その声を発すると同時に、黒い塊は輪郭を変えた。それは、更に大きさすら変えてゆき、見る見るうちの巨大化して、その影が彼らを覆うほどに変化する。
「死ねい!!」
魔物にも感情はあるらしく、その言葉はなにやら嬉々とした響きを含んでいるように、彼らには聞こえた。
「・・・デュオン!」
ヴォークの呼びかけで、慌ててデュオンはエリアの側を離れる。
すぐ、戻るから。
その彼の囁きが、エリアの耳に届いていたのかはわからないままに。


「エリアっ・・・!」
クラーケンをどうにか倒した後、ぼろぼろになりながらも4人はエリアに駆け寄った。
誰もが傷を負っていたけれど、それを治している暇が彼らにはない。
4人は、彼女の体に触れて良いのかどうしていいのか誰もがわからず、戸惑いがちに覗き込むだけだ。
それは、エリアが「普通の状態ではない」と誰もが感じ取っているという証拠だ。
ただの矢ではない。出血もないし、傷口もない。そして、だからこそ恐ろしいのだと4人は顔を歪めた。
「・・・水のクリスタルに 光がもどったのね」
床に横たわったまま、4人が自分の周囲にいることに気付いて、エリアはかすれ声を唇から押し出す。
そうだ、クリスタル。
彼らはクリスタルを振り返った。
祭壇の上に浮かんだクリスタルは、室内に踏み込んだときとまったく違う光を放っている。それは、エリアがかかげた小さなクリスタルの欠片にほのかに残った光が何倍にも増幅したような、高貴さ、神々しさすら感じさせる美しい光だ。
これが、水のクリスタルの本当の光か・・・デュオンは目を細めてそれを見る。
エリアの瞳を見たときと、どことなく似た気持ちになるのは何故だろう。
こんな状態だというのに、ふとそんなことを彼は思った。
−−−そうか。
エリアが俺たちを「光の戦士」とすぐに看破したように、エリアが本当の水の巫女なのだと、これが物語っているのだろう。彼女は間違いなく、この水のクリスタルと生きる真実の巫女なのだ。
「僕が」
ヴォークは、残っていた魔法力で治癒魔法ケアルを唱え始める。
すべての魔法力を使い切ってもいい・・・彼は心からそう思い、何度も何度も唱えた。
しかし、通常であればその治癒魔法の効き目は術者でもおおよそわかるはずなのに、まったくその手ごたえがない。それをヴォークは気付いた。
治癒魔法が効かないということは。
エリアの「それ」は外傷ではない。これは「呪い」なのだ。あの魔物が言っていたとおり。
無情な事実に気付いて、ヴォークは両目に涙を浮かべ、振り返ってラウド達を見た。
ラウドは軽く首を横にふった。わかっている。いいんだ。ヴォークのせいじゃない。その気持ちがこもっていたのだろうが、ヴォークにとってそれはひとつも救いになりはしない。
ヒースはまばたきを忘れたように、ただただエリアを見つめるだけだ。
ヴォークは諦めきれず、エリクサーを道具袋から出した。しかし、それに気付いたエリアは、力なくヴォークへ手の平を向ける。
それは、制止のジェスチャーだ。
使う必要はない。無駄だ。
彼女もまた、自分の体内で起こっている「何か」について予感をしており、ケアルが効かないということすら冷静に受け止めていたのだろう。
「ありがとう。あなたがたのおかげ・・・うっ・・・」
「エリア!喋るな!」
珍しくラウドが叫んだ。
彼らはどうしてよいのかがわからなかったけれど、エリアが言葉を発することで容態を悪化させるのではないかと危惧していた。それでも、エリアは話し続けた。
「わたしには・・・まだやるべきことが、残っているわ・・・デュオン、少し、起こしてくれる?」」
力ない言葉。
そして。
力ない笑顔。
デュオンは座り込んでエリアの体を両腕で抱えた。けれど、力を入れて起こすことが彼女の体のためにならないのではないかと疑問に思い、無意識に眉を寄せて躊躇の表情を見せた。
背中の痛みはないから、大丈夫よ。
そう彼女は囁いたが、何が「大丈夫」なのだろうかとデュオンは顔を歪めた。そして、こんなときにまで彼の表情から何かを読み取ろうとする、エリアのその気持ちに、情けないけれども苛立った。
人一人の体を起こすのは、案外と力がいる−はずだ。
けれど、エリアの体はやはり軽く、まるで人形を抱き上げるようにあっけなく上体を起すことが出来た。
デュオンの腕の中に体を委ねたエリアは、力なく、かくん、と首が前に折れた。髪がさらりと揺れて、デュオンの指先をくすぐる。
「エリア!」
その呼びかけに反応して、エリアはデュオンの胸元でゆっくりと顔をあげた。
デュオンは彼女の体を支えながら、その視線をまっすぐ受ける。
小さな体。
荒い息をつくたびに、胸元も肩も上下して、苦痛が伴うように見える。
(どうすればいいんだ)
デュオンは、巣から落ちていた雛鳥を雨の中、手のひらに乗せたときのことをふと思い出した。
手のひらにのせた雛鳥はほとんど動くことも出来ず、息が通る場所が上下するだけだったが、その体温は彼の手に伝わり、間違いなく「生きている」ことを感じさせてくれた。
巣をみつけることが出来なかったデュオンはその雛鳥を持ち帰り、祈るようにその体を優しく拭いてやり、水をやり、餌をやり。
結局、その雛鳥を救うことは出来なかったけれど、あの時はそれでも何かを出来た。
けれど、今は。
「さあ、これを受け取ってください。水の力が持つ称号を・・・」
エリアは、クリスタルに向かってゆっくりと両手をあげた。その体勢になれば体重のほとんどがデュオンの腕にかかるはずなのに、彼が感じるエリアの重みはあまり変わりがなかった。そのことに、デュオンの胸は痛んだ。
彼女の言葉を受けたように、クリスタルは輝きを増してゆく。クリスタルの内側で、反射されるはずの光が何故か中央に集まってゆき大きく膨れ上がる。と、思った瞬間、それらは弾け飛んだ−−ように彼らには見えた。
巨大なクリスタルの中から、エリアが持っていた欠片のように、小さくなった光が飛び出してくる。
「あ・・・」
その光は、ゆるやかな弧を描きながら4人の戦士達へと向かい、彼らの胸元へ吸収されるようにふっと消えた。
それと同時に4人は、自分の体の中に入り込んできた何か−新しい、クリスタルから受け取った称号だ−を感じ、顔を見合わせる。
それを見届けたかのように、エリアは腕をぱたりと落として、瞳を閉じた。
「エリア、しっかりしろ!」
デュオンは声を荒げて、何度か彼女の名を呼んだ。もう、それ以外に言葉がないように。
彼の腕の中でエリアは、ゆっくりともう一度瞳を開けた。
デュオンが彼女の瞳を覗くと、彼女はそれに気付いたようで、小さな笑顔を無理に作って彼に向ける。
「いいえ、わたしは、もう駄目・・・」
「エリア・・・」
咄嗟にデュオンはエリアの体を抱きしめ、その直後、怯えたようにすぐに力を緩めた。
鎧を着ている自分が強く抱けば、それだけでエリアの命が奪われてしまう気がする。
彼は、もどかしくてどうしようもなくて、まるで壊れ物を扱うように静かに静かにエリアを抱きしめ直した。
あの雛鳥から感じたような、やわらかさ、温かさをエリアから感じるには、ナイトゆえに彼が見につけている重厚な鎧が邪魔をする。その苛立ちに彼は突き動かされて叫びに近い声をあげた。
「駄目、なんて言うな。駄目じゃない・・・駄目じゃないって、信じさせてくれよ・・・!!」
その、自分の強い声すら、エリアを傷つけるような気がする。
心の中ではもっともっと強く、もっと、もっとだ、と叫びながらも、デュオンはとても気を遣って、優しくエリアを抱きしめる。自分とエリアの間に、目に見えない柔らかな毛布が重なり合っているように。少しでもエリアが楽でいられますように。その祈りと共に。
「・・・ん!?」
その時、ふと彼らは異変に気付いた。
それは「クリスタルルームの」でなければ「周囲の」といったものでもなく、言葉にするならば、「世界の」異変。
肌が粟立ち、神経がぴりぴりとする。
遠くから、音がするような、そんな気がする。
「これは・・・」
地震の前触れだ。ラウドは姿勢を低くして、クリスタルルームの冷たい床に耳をつけた。
「・・・!!」
土のクリスタルの力で水に沈んでいた世界が、水のクリスタルの力で甦ろうとしているのだ。
それは、水がどこかへ消えるということだろうか?
そんなわけはない。
あれほどの水が、一気にどこかへ消え行くわけがない。
であれば。
地面が、動くのだろう。
一番初めにラウドがそれに気付いて叫んだ。
「ここにいたら、危ない!沈んでいた町が復活するには、水が消え、地面があがってこなくちゃあいけない。それに巻き込まれるよ!」
「ひとまず、出ようよ!」
続いてヴォークもみなに提案をした。それへ、まるで先ほどのクラーケンへの叫びと同じように、ヒースが荒っぽい言葉を返す。
「馬鹿言うな!ひとまず出るなんて・・・ひとまず、なんて」
ここから出るまでに、多分、エリアは死ぬ。
あるいは、ここから出るのに、今のエリアを誰かが抱えていけば、足手まといになる。
もし、誰かがエリアを抱いていくならば、間違いなく力がもっとも強いデュオンだ。
けれど、デュオンは身軽ではない。
「無理に、きまってんだろ!?そんなこと!」
誰にともなく、ヒースは叫んだ。ラウドは沈痛な面持ちでヒースの肩を叩く。
「そうじゃない。僕達は・・・」
「・・・」
「生き残らなければいけないんだ」
ヒースは、ラウドに何かを言いたそうな表情を向けた。
ヴォークは、エリアと共に逃げる望みを捨てていなかった。そして、現実的ではないことを口走った。けれど、ラウドは。
誰よりも先にエリアの死を覚悟して、誰よりも先に正しい選択肢を全員に知らしめたのだ。
いつもならば、それをするのは、デュオンの役目だったに違いない。
その言葉の無情さに気付き、ヒースはラウドをなじろうとした。
そして、「お前」と言葉に出した瞬間。
静かに彼は口を閉ざし、瞳を閉じた。ほんのわずかな間ではあったが、世界から音が消えたように静けさが彼らを包む。
訪れた静けさを打ち消したのは、エリアの呼吸音だ。
死の足音が近づいて来ているけれど、ほんの少しの間だけでもこの世界に留まりたい。その精一杯の「生」のために、乱れつつも体に酸素を送り込もうとエリアは体全体で呼吸を繰り返す。
その音だけが響く中、ラウドはデュオンの腕の中のエリアを見ながら「エリア、ありがとう」と声をかけた。
ラウドの唇は引き結ばれているように見えたけれど、小刻みに震え、その奥で歯が下唇を強く噛み締めている。ヒースは、それに気付いてしまったのだ。
誰かが、初めにその別れを許容しなければいけない。
そんなとき、いつもデュオンがその役割をかってでてくれていたことをラウドは知っている。そして、今日は彼がその役割を担えないことも、ラウドはわかっていた。
みしみしと室内が圧迫される音が彼らの耳に届く。エリアの五感は失われてはいないようで、彼女もまたその音に反応をした。
「デュオン・・・床に、降ろして」
その声は切れ切れだけれども、エリアははっきりとした意思表示をした。それへ、デュオンは何の戸惑いもなく答えを返す。
「嫌だ」
「お願い」
「嫌だ」
「上半身、起こしてるの、つらい」
それは、本当かもしれないけれど、嘘かもしれない。
デュオンはエリアにそう言われても彼女の体を手放すことが出来ず、ゆっくりと覆い被さるように、腕の中に空気を纏うような抱擁をした。
エリアは右手の先で、とん、とデュオンの鎧の胸元を叩く。もはや、腕をあげることもかなわなくなったのか、その力は弱く、鎧越しの感覚ではデュオンには体感できないほどの力だった。
しかし、目でそれを確認していたデュオンは、その合図でゆっくりとエリアを床に横たえた。
(ここで、離したら、俺は後悔をする)
エリアを横たえても、その体から手を離すことが出来ず、デュオンはいつまでも名残惜しそうに彼女の体に触れていた。
後悔はしたくない。けれど。それならば、どうすればいいというのだろうか。
彼のその葛藤を知ってか、エリアはそっと彼に声をかけた。
「お願い。放して。泣きたくなる」
彼女はまたも、無理に作った笑顔をデュオンに見せる。その声は苦しそうなのに、切れ切れなのに、呼吸の音が混じっているのに。なんて優しい響きなのだろうか。
「馬鹿。笑うな・・・そんなときに笑わなくていいっていったのは、エリアだろう?」
デュオンはついに力ない声で、彼の思いをそのまま素直に伝えた。
エリアからの答えはなかったけれど、その笑みは変わらない。それでも、彼女の呼吸は更に荒くなり、瞳を一度閉じれば開くまでの間がどんどん長くなっていることをデュオンは気づいている。それなのに。


−−わたしも、その性分ってヤツなの−−


そんな声が、彼の脳裏に甦ってきた。
(馬鹿、エリア。泣きたくなるのは、俺のほうだ・・・!!)
もう一度、「放して」とエリアは無情にも思える愛しい言葉をデュオンに告げた。
その声を受けてからしばしの間をおいて、ゆっくりとデュオンの手が完全にエリアから離れる。と、次の瞬間、今までになく大きく室内が揺れた。
ご、ご、ご、と耳慣れない音が遠くで聞こえる。それは近付いているのか、遠ざかっているのか、彼らには判断がつかないほど、あちこちの方向から聞こえてくるように思える。
「さあ、行ってください・・・わたしのためにも、闇を振り払い、この世界に再び平和を・・・」
床に横たわったエリアは、ばさりと顔を長い髪で覆って表情を隠している。
多分、もう彼女は笑えていないのだろう、とデュオンは思った。思った瞬間、彼の体の中に、どうしようもなく熱い塊が内側から広がりだし、何かの形になって外へ出ようと強くもがきだした。
彼らの足元がぐらりと揺れた。ヒースが「デュオン、立て!」と叫ぶ声を、遠くで発生した「ドーン」という何かの破壊音がかき消す。
エリアの側にいたデュオンは、その振動によって再びよろめいて床に体を打ちつけた。立っていた3人も振動に耐えられず、壁近くまで吹っ飛ばされるような形で移動させられてしまった。
「エリア・・・!」
床に横たわっているエリアもまた、デュオン達とは別の方向へと揺られて少しずつ動きだした。まったく抵抗が出来ない彼女の体は、振動の度に左右に揺られ、床のわずかな傾斜に抗うことが出来ずにクリスタルルームの角へと流れていく。それは、彼らが脱出しようとしている出入り口とはまったく逆方向だ。
ド、ド、ド、と切れ切れに迫り来る音。
それとは別に、室内を、いや、洞窟全体を揺さぶる大地の唸りは絶え間なく聞こえ、それに耐えようとクリスタルルームがみしみしと音を立てている。
角へ流されていったエリアは、髪で覆われて表情が見えないままだったが、唇を動かすとちらちらと髪の間から口元が覗く。そして、彼女は最後の力を使って、自分の声帯を振るわせた。
「さようなら・・・」
エリアのその声を聞くことが出来たのは、デュオンだけだった。
別れの言葉なんて、聞きたくない。ぐらぐらと揺れる床の上、デュオンは流されていくエリアの体を引き戻そうと腕を伸ばした。
「エリア!!」
しかし、ただいたずらに空気を掴むだけで、いっこうに彼の指先はエリアに届かない。いや、もう、届かないということをデュオン自身わかっているのだ。それでも。
「馬鹿!地震だ!逃げろ!立て!」
ヒースが悪態をつきながらデュオンを呼ぶ。立っている3人は、壁に手をつきながらもどうにか移動しようとしている。
けれど、デュオンは彼らの呼びかけに、彼らが期待している返事をするわけにはいかなかった。
「駄目だ!エリアを残してなんて・・・!」
そうデュオンが叫んだ瞬間、ひときわ大きな揺れが起こり、耳障りな音がデュオンの頭上で鳴り響いた。みしみし、などという可愛い音ではない。完全に何かが破壊される、擦りあい、押しつぶしあい、重いものがずるずると動き出す音が響く。
「デュオン、危ない!!」
引き攣れたヴォークの叫び声。
それが、クリスタルルームでデュオンが聞いた、最後の声だった。


目を開けようとした途端、窓から差し込む痛いほどの日差しが瞼越しにデュオンを襲った。
自然から与えられた太陽光は生に満ち溢れ、その力強さを彼に伝える。
あの、クリスタルルームで感じた柔らかな光とはまったく違うな・・・そんなことをぼうっとした頭で思い、彼はゆっくりと瞳を開けた。すると、それを察した人物の声が、彼が瞳を開けて周囲を確認するより先に耳に飛び込んでくる。
「デュオン・・・気付いたか、おい!」
「・・・ヒース?」
どうやら、枕もとにある椅子に座っているのは、ヒースのようだ。デュオンは仲間の姿をようやく認めて、名を呼んだ。
「お前、随分意識を失っていたんだぞ。バカ。なんでさっさとおきてくれねぇんだよ。おかげで寝ずに番してたヴォークもラウドもまいっちまったよ」
ヒースが言っていることが、デュオンにはよくわからない。ようやく意識がはっきりしてくると、自分がベッドで眠っていること、その部屋はどうやらどこかの宿屋−彼が覚えている限り、浮遊大陸のどの町のものではないと思えたが−らしいこと、それだけは理解を出来た。
「ヴォークとラウドが・・・なんだって?」
ゆっくりとデュオンはベッドの上で上半身を体を起こし、頭を2,3回ふった。彼はまだ少しばかりぼんやりとしていて、何の話をされているのか、即座に呑み込めていない。
「お前、覚えてないだろ。クリスタルルームで壁に頭うちつけて、意識なくなったんだぜ。しょうがないから鎧やあれこれ全部ひんむいて、なんとか運び出したんだ。途中で崩れてきた壁やら岩やらにあちこち剥き出しの体さ、ぶつけたから結構怪我もしてたみたいだぜ。ヴォークが必死こいて魔法かけてくれたんだ。感謝しろよ」
そう言われても、やはりデュオンはいまひとつ事態をよく把握できないようだ。ヒースは決定的な言葉を続けた。
「あの地震で、沈んでいた大陸は浮上した。水は、引いたよ」
「大陸が、戻った・・・」
「そのうちの、ひとつの街がここだ。俺達は、ようやく下の大地に辿り着いたってわけだ」
「・・・」
「エリアと、引き換えにな」

ああ、どうして。

デュオンはヒースのその言葉に衝撃をうけた。
わかっていた真実を記憶の底から掘り起こされ、彼の心臓はどくんと重苦しく脈打った。上昇する体温を抑えるわけにもいかず、彼は眉根を寄せて苦しそうな表情になった。
「デュオン、ヴォークとラウドは、隣の部屋で寝てるから」
「・・・ああ」
「お前、もう、いいだろ。泣いたってさ」
「・・・ヒース」
「俺たちは、お前を守りながら脱出するので精一杯でさ・・・エリアのために、泣いてる暇もなかったんだよ」
「・・・」
「だから、お前だけは、我慢しないで泣いてやってくれよ・・・あとでさ、飯もってくる。腹減ってるだろ」
ヒースはそう言うと椅子から立ち上がり、部屋を出て行った。
ぱたん、と閉められた扉を見ることもなく、デュオンはベッドの上で前髪をかきあげた。と、その拍子に、彼の足にかけられている毛布に、ぽたりと水滴が落ちた。
一つ、また一つ、それは毛布の色を濃くしてゆき、その色の面積をどんどん広げていった。
彼は、一瞬それが何なのかわからず、顔をあげて天井を見た。すると、今度は自分の両頬に驚くほど熱い液体が流れ、彼の形が良いあごに到達する前に、ぽつん、ぽつんと小さな音を立ててそれらは落下してゆく。
「バッ・・・・」
馬鹿な。何を、俺は・・・。
慌ててあごをなでると、信じられないほどの量の液体が自分の手をぬらしていた。
泣いてやれと言われたから、泣いているのではない。ただただ突然あふれ出てきて、彼にはどうにも止めることが出来ないのだ。
「・・・エリア・・・」
唇から漏れるのは、彼女の名前と嗚咽。デュオンはうつむいて、ぼろぼろと両眼から涙をこぼした。噛み締めた唇は小刻みに震えて、彼の嗚咽を隠す手伝いをまったくしてくれない。
恥ずかしいほどに湧き上がるその熱い涙を止める術を彼は知らなかったし、こんな自分のことも知りはしない。
ただ、もしも。
今誰かに「大丈夫か」と聞かれれば、自分は素直に「大丈夫じゃない」と答えて泣き続けることが出来るに違いない。
彼はそんなことを思って、泣きながら「はは」と小さく笑った。けれど、その笑い顔はあまりにもひどいもので、すぐさま彼はしゃくりあげ、口元を引き上げた状態で奥歯を強く噛み締め、苦しそうに顔を歪める。
本当はその言葉は、あの綺麗な少女から与えられたい言葉なのだ。
(なんで、最後まで笑うんだよ。馬鹿だ。エリアは馬鹿だ)
何故、ここで彼に言葉をかけてくれたのはヒースなのだろうか。
恥ずかしいこの姿を、あの少女になら見せてもいいと今なら思えるのに。
彼はただ、子供のように嗚咽をあげ息苦しさに時折咳き込みながら、たった一人の部屋で、全身がくたくたに疲れるほど泣き続けるのだった。


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モドル