悩める偶像-3-

「お、まえ・・・なんか問題起こしたんだって?聞いたぞ」
ガストンは振り返り、声をかけてきた人物を見上げた。そこには、にやにやと笑いを浮かべたノーマンが立っていた。
「問題ってほどのことじゃあ、ねーですよ。へっへ」
「へっへ、じゃない」
「それよっか、部隊長、女たちに混じって何をやってんスか」
「火の番」
「マジかよ」
ノーマンは、よっこらせ、とガストンの近くにどっかりと座り込んだ。
「・・・あれ。ノーマン。頬」
下から見上げたときは気付かなかったけれど、火によく顔が照らされる場所で見ると、ノーマンの頬がこころなし腫れているように見える。
「ああ、これ。俺が殴っちまったから、殴られておあいこってヤツで」
「そうなのか。痛むか?口の中とか、切ってないのか」
「屁でもねぇよ、これくらい」
そういってノーマンは軽く笑い飛ばした。強がりなのかどうかはガストンにはわからないが、これ以上、彼の頬については何も言わない方がよさそうだと悟る。
「我慢できなくて、手ぇだしちまった。よくねぇことだってのはわかってんだ、そんなの、部隊長に言われなくても、ちっこいリーダーに怒られなくてもさ」
「でも、我慢出来なかったんだろ。終わったことはしょうがない」
「しょーがなくねぇよ。なんなんだよ、あの、トリスタン皇子の腰ぎんちゃく」
そう怒った口ぶりでもなく、ただ愚痴りたいのかノーマンは軽く言った。彼が指している人物がルーヴァンだということをガストンはすぐに気付いたけれど、だからといって馬鹿正直にそれを口にする気はない。
「何か、言われたのか。その・・・」
お前の生まれのこととか。
それはあまり自分からはいいたくない、とガストンは思う。
ノーマンは自分の生まれ−ゼノビアのスラム街−を人に言われても、大概はとりわけ気にもせず、劣等感のようなものをむき出しにするわけではない。むしろ、トリスタン皇子が仲間に加わってからは「スラムのやつらは、誰一人ゼノビア皇子になんか期待しちゃいねぇよ」と冷めた目で見ているようにガストンは感じている。
それでも、人は人の出生に関わることを、むやみに口出しするべきではないと彼は信じているのだ。
「俺のこと言われんのは別にいーんだよ。そんなこと、慣れてら」
「それもどうかと思うけど」
「あのちびっちゃい女がどんな力もってよーが、勇者だとかなんだとかだろーが、勝手にやつらがすげーすげー言ってるのだってどうでもいい。お前らは気楽でいいなぁ、はいはい、ってなもんだ」
そういってノーマンは火にかけられている鍋の蓋を開けて中を覗いた。そして、中に入っているのがただの水だとわかってつまらなそうな表情を見せる。
「そら、あのリーダーはなんかしらんけど色々うまくやってるよ」
「うん、そうだな」
それにはガストンは素直に同意する。
もちろん、「楽に」うまくやっているわけではないと知っているが。
「だからって、あの女がいるから帝国軍に勝てるとか、あの女さえいればゼノビアも安泰だとか、誰が英雄だとかなんだとか、アホじゃねーの、あいつら。頭おかしいって、絶対」
「そういう話をしていたのか」
「そうだよ。しまいにゃスレイターとかいうアホ兵士はよう、自分はゼノビア皇子のためにこの軍にいるわけじゃない、明日の歴史を変えるリーダーのためだけにいるんだ、とかでけぇわけのわからんこと抜かしやがるし。あの腰ぎんちゃくはよお、あの女はゼノビア皇子に、なんつーの、力を貸しているんだから、それが嫌なら軍を抜けりゃいい、みたいなこと言い出すし、頭わりーよ、あいつら」
「そりゃ、確かに・・・」
そこで肯定してしまえば、ガストンも陰口を叩いたことになってしまうが、残念ながら彼もまたノーマンを怒るわけにはいかなかった。素直に、ノーマンが正しいと思える。
なんとなくわかる、とガストンは思う。
ノーマンはあまり説明がうまくはない。事細かなことを人に伝えることは不得手だし、表現力もあまりあるほうではない。それでも、日々同じ部隊で過ごしてきたガストンは、ノーマンのあっさりとした説明で、おおよそのことを理解できた。
スレイターという兵士は、あくまでもトリスタン皇子はソニアの「部下」のようなもので「軍に加わらせてもらった」立場だと思っているのだろう。彼にとってこの軍は「ソニア軍」なのだ。だから、まるで「ゼノビア軍」いや、「トリスタン軍」になりうるという可能性を念頭においているルーヴァンの物言いが許せないのだろう。
もちろん、ルーヴァンからすれば、トリスタンを軽んじ、打倒帝国は「勇者ソニア」が成し遂げるのだ、と熱く語るスレイターのことがおもしろくない。
しかし、彼ら2人の言い合いは、あまりにも他者に対しておろそかなものだったようだ。
天空の三騎士や、妖術士サラディン、天使長ユーシスといった人ではないものや、卓越した人材が彼女の周囲に集まる。
まるで、その「卓越した存在」達とソニアだけがこの反乱軍であるかのような。
そんな口ぶりにノーマンは切れたのだ。
天使は確かに契約を結んだ。天空の三騎士の2人もサラディンも、ソニアに命を助けられて、尽力を誓った。
けれど、この軍にいる多くの兵士達は、帝国の圧政に苦しみ、自分の力で平和を掴み取ろうと集った者たちだ。そして実際、命をおとすかおとさないかの瀬戸際で戦っている。
今ここを見回したって、軍の食生活に関することは女性兵士が切り盛りしているし、ガストンが魔獣の扱いを教えている兵士だって特別な人間ではない。
確かにソニアはすぐれた才能を持っているけれど、彼女1人ではここまで来ることは不可能だったに違いない。
そういった根本的なことをまったく考えず、あの2人は「ソニアが帝国を打ち滅ぼす」こと前提での言い争いをし、ソニアにはトリスタンに軍を引き渡す権利があっても、自分達兵士はそれについていく義務はないことを考えてもいない浅はかさをむき出しにして声高で相手に演説ぶっていた。
だから、ノーマンの手がついつい出てしまった、というわけだ。
「俺らとか、さ。あんな・・・アンタンジルでよう、ボロボロになってテリーさんとか、帰ってきたじゃねーか。そういった人たちがさ・・・自分の知らないところで、誰かによう、あの皇子の部下と勝手に思われたりさ、すんのもむかつくしよ、あの女の軍だから、強くて当たり前、とか言われても腹立つしよ。何が当たり前だっつーの。天使が味方にいたら誰も死ななくて済むなら、話は別だけどな」
ガストンは、ぼそりと呟いた。
「変な話だよな・・・」
「ん?何、部隊長」
「ソニア殿自身は、いやというほど多分わかっているんだ。きっと」
「え?」
「なのに、肝心の俺たち兵士が、わかってないなんて、どうしようもない」
ガストンは立ち上がった。
一体なんの話だ、とノーマンは呆けたようにそれを見た。けれど、ガストンの表情を確認した途端、口端をあげて笑顔になった。
「なんだぁなんだ、部隊長、さっきよりよっぽどいつもの顔に戻ったじゃねーの」
「え?俺、どんな顔だった」
「んー?なんか、すっげ、くたびれた顔」
それへは苦笑いを見せるしかガストンには出来ない。ノーマンにまではっきり分かるほど、自分はそんな顔をしていたのか、とがっかりもしたけれど。
「話、付き合ってくれてありがとうな、ノーマン」
「あ?俺のが愚痴ってたんだけど。愚痴っつーより、なんだ。部隊長への報告っつうのかな。一応しとくもんなのかと思って」
「ノーマンからそんな言葉を聞くとは思わなかった」
「部隊長まで俺のこと馬鹿にすんのかよ!!」
ノーマンが声を荒げたとき、ちょうど先ほどの女性兵士が戻ってきて、驚いてびくりと体をすくめた。
「あ、あの」
「ああ、火、起こしておいたから」
「ありがとうございます!」
「ほら、ノーマンも行くぞ。お前がここにいると、みんなが怖がる」
「ひでぇ言い草だ。この野郎」
言葉は荒っぽいけれど、ノーマンのその言い方は軽い。
あはは、とガストンは笑って
「それに、さっきのは馬鹿にしていないさ。褒めてるんだ」
「本当か」
「ああ」
ノーマンもよっこらしょ、と立ち上がって、女性兵には目もくれずにガストンと肩を並べた。ノーマンの方が背が高いため、少しばかり体を傾げて言葉を続ける。
「あのよー、部隊長」
「なんだよ」
「俺のこと、怒らねぇの?」
「うはっ」
ガストンは不覚にも妙な声を出して笑ってしまった。
女兵士達が炊き出しをしている煙たい場所をぬって、天幕を張っている辺りへ向かう。
「ソニア殿が」
「おう」
「俺の元気がないと、ノーマンを怒るのがソニア殿だけになってしまう、とぼやいていた。ってことは、もうお前、2人分怒られたんだろう。だから、俺は怒らないよ」
「なんだそれ!」
「それに、俺がノーマンでも・・・殴りはしないけど、まあ、喧嘩していたかもしれないしなあ」
「部隊長が!?うわ、それ、見てぇな」
「何呑気なこと言ってるんだ」
そこはさすがにガストンも辟易して、怒り口調で返した。が、ノーマンはまったく悪びれない。
「どこいくんスか。向こうで、飯待ってる間にでも休めばいーのに」
「いや。ちょっとな。じゃあ」
軽くガストンが手をあげると、ノーマンは別に気にした風もなく「はいよ」と答えて、男性兵士が寝泊りする天幕の方へと歩いて行った。

ガストンが歩いていると、ちょうど
カノープスがソニアの天幕から出てくるところに出くわした。
「よ、ガストン。お前もソニアに用事?」
「カノープスさんも?」
「いや、俺はついさっきソニアに頼まれて、地図を置きに来ただけ。なんか、さっきまでソニアラッシュだったらしくて、面倒くさくなったのかこっから逃げてっちまったらしいぞ」
そういってカノープスはくく、っと笑い声をあげる。
「4,5人まではおとなしく話を聞いてられるんだけどな。あんまあれもこれもと行列になると、たまんなくなるんだろ」
カノープスの言葉からすぐには理解できなかったが、どうやらソニアはあまりに人の訪問が多すぎて、おちおち天幕にいられなくなってしまった様子だ。とはいえ、軍に必要な報告類から「面倒だ」と逃げるようなことはソニアはしない。まあ、稀に「今、聞き飽きたからちょっと待ってろ」と報告者をその場に待たせて、しばらく他のことをしている場合もあるけれど・・・。
となれば、多分「報告ではない、相談」みたいなものがあれこれとあったのだろう。それも、辟易してしまうような内容の。
しまったな、自分やビクターの後にあれこれと人が出入りしていたのか・・・とガストンは眉根を寄せた。
さきほど、ソニアは、本当は自分で天幕の中で静かにしていたかったのではないか。なのに、自分が邪魔をした−とはいえ、それはせざるを得ない報告だったわけだが−のかもしれない。ガストンはそう考えた。
ソニアは自分が「1人になりたい」と思っていたからこそ、「ガストンを1人にしてやるか」と気遣ってくれたんじゃなかろうか。それは、あの女性兵の「時間がかかるほどいいとおっしゃって」という言葉で彼が気づいたことだ。
ソニアは「あたしがなんとかする」と言ったけれど、なんともなるわけはない。育たない兵士は育たないし、軍をこれ以上細分化して移動することは愚かなこととわかっている。わかっていてもそうしようというのだろうか。
「カノープスさん、ソニア殿は、どこに」
「あん?急用か?・・・放っといてやれよ、ちっとは」
「・・・わかっているんですけど、その、俺も、さっきソニア殿を悩ませた人間の1人で」
「なんだ、お前、二度目のご来訪ってわけかよ。ははーん、ノーマンのことだな?」
それは違うけれど、ガストンは曖昧な表情を見せて否定はしなかった。そうだと思わせておいたほうが話が早いのでは、と思ったからだ。
「ま、お前はソニアのこと、変に煩わせるヤツじゃないからな。つっても、どこにいったかはわかんないな。でも、ここらから遠くに1人でふらふらはいかないだろうから・・・アレじゃねーの」
「アレ、とは」
「犬」
「・・・は?」
「ギルバルドやお前が大事にしてる、犬だよ。あいつ、犬大好きだろ」
「・・・犬、とは、ご挨拶ですね」
ケルベロスのことか。
少しばかりガストンはむっとして言った。が、カノープスのその言い方は、馬鹿にしてのものではなく、これはこれで親しみを込めての呼び方なのだろう。カノープスだって「鳥」といわれれば怒るくせに・・・とは口にしなかったが、まあ、思わなかったわけでもない。
けれど、この有翼人が、敬愛しているギルバルドの親友ということを彼は知っているし、そうであれば、ケルベロス達を馬鹿にするような人間ではないと信じられる。
「ありがとうございました」
「おうおう。もし、いなくても怒るなよ」
「そりゃもちろん」
考えれば、ありえない話だ。
軍の最高司令官ともあろう人間が「どこにいるかわからない」状態があるなんて、普通なら信じてもらえないことだろう。
それを許されてしまうのは、ソニアがどれだけ頑張っているかを皆が知っているせいだろうし、また、許さずにはいられないほど、彼女が本当はまだ年若いからだ。
あの、あどけなさの残る顔立ちで「あー!もー!うるさい!1人にしろ!」と叫んで逃げれば、誰もそれを追えないだろうし、たとえ追って連れ戻したとしても、ソニアはふてくされて使い物にならない。ならば、ほんのわずかな時間でも放っておいた方がいい・・・それを、カノープスやランスロットは重々わかっているのだ。
とはいえ、多くの兵士はそんなことは知らず、ただただソニアを優れた指導者だと思うに留まっているに違いない。特に、最近入軍した兵士達は。
ガストンは、もはや「古株」と呼ばれる立場になってきていた。だからこそ、カノープスもあんなふうに気軽に話すのだ。そうでなければ、決してソニアの居場所を教えないだろう。
古株という立場はありがたくも、つらい。
いや、つらいと思うのは、贅沢な悩みだとガストンは思った。

さて、その頃当のソニアは。
「わわわっ、ソ、ソニア様っ!」
「うん」
「なに、してるんですか」
「んー?いや、ここいらへんは湿地が多くて、こいつらが機嫌をそこねているかと思って様子を見に来た」
カノープスの推測通り、ケルベロス達が休んでいる岩場にひょこひょこと現れたのだ。
ちょうどケルベロス達に食事を運んできたガストンの後輩は、ソニアをみつけて驚きの声をあげた。
ケルベロス達は食事時を邪魔されることを嫌う。もちろん人間だって基本的にはそうなのだろうが。
「ああ、食事時間か。あたしに気にせずにあげてくれ」
ソニアはケルベロス達のすぐそばの岩に腰をかけて、兵士がケルベロス達に食事を与えている様子をぼーっと見ていた。一体何をそんなに見ているのだ、と兵士の方は気が気ではないのだが、そんなことソニアはおかまいなしだ。
バケツにいれてきた食糧はあっという間に消えていく。ケルベロス達の咀嚼の音と、少し離れたところから聞こえる兵士達のざわめきが混じる。
「あの、コカトリスやワイアームにも、あげてきますので・・」
「うん。別にあたしのことは気にしなくていい。やつらも、毎日空飛ぶ訓練に付き合わされて疲れているだろうから、早くあげてきてくれ」
「はい」
空いたバケツを持ってそそくさと兵士はその場を離れた。空を飛ぶ魔獣達とケルベロス達は落ち着ける場所が違うため、彼はまたわざわざ離れたところに食事を運ばなければいけない。
慣れた人間からでなければ魔獣達は食事をなかなか受け取らないし、腹が減って気がたっているところに「気にいらない」人間が寄ってくれば、ご機嫌ななめのときは襲い掛かることすらある。だから、彼らビーストテイマーやビーストマスターが食事を運んで世話をする必要があり、それゆえ彼やガストンは比較的見張りの番などが回ってきにくい。
食事を終えたケルベロス達は、それぞれきょろきょろと辺りを見回し、敵がいないことを確認すると、身を寄せ合ってぺたりと座り込んだ。複数の頭を持つ不思議なこの生き物は、動かない時はそれぞれが意志を持っているようだし、動き出せば不思議と意識が一体になるのか戸惑いのない動きを見せる。その生き物としての特異さは他の魔獣以上に際立っており、ソニアはそのことにも引き寄せられていた。
「満足したか。充分な量、食えているか?」
当然返事はない。
名を呼ばれて返事をすることはあっても、実際はどこまで言葉が通じているのかはわからない、とソニアは思う。
共に行動するときに普通に話し掛け、普通にそれを理解するようにケルベロス達は動くけれど、こうやって一度休憩に入ってしまうと、この魔獣達はそんじょそこらでは反応を見せないのだ。
ただ、この魔獣達がソニアを好いていることは事実で、いつふらりとソニアがやってきて、いつケルベロスとケルベロスの間に潜りこんでも、威嚇をしたり嫌がる素振りをほとんど見せない。
面倒がない人間と思われているのか、それとも・・・。
ともかく、ソニアは「犬臭くなるからやめろ」とカノープスに笑われても、こうやってたまにケルベロス達のところに来ることが好きだったし、余計な言葉がいらない分ここにいることが気楽でありがたいと思えていた。
「ちょっとだけ、休ませてくれ。天幕にいちゃあ、ああだこうだとみんなががなりたてて、ちっとも気分転換できやしない」
ケルベロスとケルベロスの間に横たわって「はまった」状態でソニアは瞳を閉じた。
下が岩場でごつごつしているため、二頭のケルベロスの固い体の側面、肉と肉の上にのっかっている。普通の犬ならば皮や肉を挟まれた痛みで「ギャン!」とでも一鳴きして飛び上がるのだろうが、ケルベロス達の筋肉は驚くほど固く、気持ちがよくもないごわついた毛皮がよく似合う。ソニア程度の体重がかかっても痛くもかゆくもないのだろう。
人々のざわめきが耳に届く。
本当はこんなことをしている暇はない。
夜中に入る前にはトリスタン達からの伝令が着くだろうし、移動をしているウォーレン達に先に送った伝令も今日あたりしっかりと届くはずだ。
アンタリアの人々に、アンタンジルのことを聞かれたらどう答えれば良いのかをトリスタン達に説明をしたけれど、今ここにいる兵士達には何も言っていない。そうそう、ユーシスに、ミザールのことも聞かなければいけない。ガストンに「まかせろ」と言ったけれど、具体的にどうしようか。それから・・・。
ぐるぐる回る思考に疲れて、ほんの少しだけ仮眠をしたい、とソニアは思う。
(ここで寝たら、またランスロットに怒られるんだろうな)
ケルベロスの呼吸と共に、ソニアの体も軽く揺れる。それがまた心地よくて、ソニアを眠りに誘っているようだ。
誰かの足音が聞こえる。普通に足音を立てて近付く人間ならば、問題はないように思える。それに、明らかに敵意を持っている人間が近付けば、いくら腹が満ちているとはいえ、ケルベロス達が間違いなく反応をする。魔獣達は、時に人間以上に素晴らしいボディガードになり得るのだ。ソニアはそれをも知っているため、ケルベロス達のもとで平気で仮眠をしてしまうことも多い。
どちらにしても、いくら瞳を閉じているとはいえ、不必要なくらい相手が近寄れば、ソニアもすぐさま体を起こせるのだが。
だが、近寄ってきた人物は、ソニアの顔を覗き込むほどには接近しなかった。
途中で足音は止まり、その場で座るような音が聞こえる。
「誰だ・・・?」
もし、相手が敵だとしたら、間抜けな問い掛けだ。ソニアはそう思いつつも、目を開けて素直に声を出した。
とはいえ、仰向けになって寝転んでいたため、彼女の瞳に映るのは星空だ。
日中は風が吹いていたけれど天気はよかった。今日は、星がよく見えるな、とソニアは思う。
「あ、起こしてしまいましたか」
「ガストンか」
「はい。いえ、どうぞ、おやすみになってください。もう少ししたら、また来ます」
「あたしに用事なのか」
「ちょっとだけ」
「あたしは休憩中だ。だから、ガストンも休憩しろ。話はそれからだ」
「はい」
ソニアは安心したように、再び瞳を閉じた。


次にソニアが瞳を開けのは、ガストンに声をかけられたからではなかったし、彼女の仮眠が終わったからでもなかった。
「・・・ランスロット」
覗き込む、見慣れた顔に一瞬どきりとして、それから目を軽くこすってソニアは体を起こした。彼女を覗き込んでいたランスロットは、「しー」と人差し指を立てて「静かに」の意志を伝える。
何のことだ、とソニアは小声で囁こうとして、すぐにその理由がわかった。
ガストンが、寝ている。
「ガストンは、あたしに何かを言いに来たんだ」
ソニアは声を潜めた。
「らしい。カノープスが、そう言っていた」
「そうか」
もぞもぞと動いてケルベロス達の間から這い出て、ソニアは衣類についたケルベロスの毛を軽く払った。丁寧にもランスロットはソニアの後頭部についている毛を取ってくれる。カノープスがそれを見れば「おいおい、子供のお守も大変だな」と茶化すだろう。もちろん、カノープスがランスロットの立場でも、きっと同じことをするのだろうけれど。
(こういうとき、あたしは、たいそう子供扱いされているんだろうな)
まだ少しだけぼんやりしている頭で、ランスロットの指の感触を感じてソニアはかすかに頬を染めた。夜の闇がそれを隠し、彼女自身もうつむいて服をはらうことで隠しているけれど。
5,6歩離れたところに、ランスロットが持ってきたらしいカンテラが置いてあった。その小さな橙色の灯りはふんわりと彼らを照らす。火によって与えられた光は、人の肌の色を変えて見せる。それにソニアは救われていた。
ランスロットは、ソニアは軽く寝ているだろうと予想をしてきた。そして、そう思われたのだ、ということをソニア自身もまた気付いている。なぜならば、彼がいつも通りの鎧を身につけておらず、軽い胸当てのみの姿になっているからだ。
ランスロットは決して口には出さないけれど、敵襲の可能性が非常に低い場所でのみ、こういう時にソニアの眠りを妨げないように−鎧の音をたてないように−軽装になっていることがある。
その気遣いをソニアは気付いていたけれど、都度都度言うとランスロットが逆に困ることを、この聡い少女は知っている。知っているから、あえて黙る。けれど、今日のようにそれに気付くと、ついついソニアの顔はにやけてしまって困りものだ。
ランスロットのその気持ちは嬉しいな、と素直に思い、表情を殺すことに努めなければいけない。苛々することが多い行軍の中、突然もらったご褒美なのに手放しで喜ぶ姿を見せるわけにはいかないのだ。
とはいえ、彼のその優しさは自分だけに向けられたものではない。
それぐらいはソニアもわかっている。
少なくとも、自分が感じているこの気持ちを、彼の妻である人物はもっともっと、もうこれ以上はいらないというくらい受け取っていた・・・のではないかと、考えてしまうこともある。そう思うのは子供じみていて浅はかなことではあるが、その、会った事がない女性について考えることは、ソニアにとってはもっともたやすいブレーキになる。それを自分でわかっていて、そうしようと心がけている。
だから、意識的に思い描く。そうすることで、目の前のご褒美は一瞬色褪せるけれど、それでも嬉しいという気持ちは消えない。
「どうだ、異常はないか、今のところ」
声が上ずらないように気をつけながら、ソニアはランスロットに聞いた。
「ああ、何も。静かなものだ」
「朝まで何事もないといいな」
「ああ・・・食事を、まだとっていないだろう?ほとんどの兵が食事を終えている。天幕に運んでおいたから、食べるといい」
「ガストンも、多分、まだ食べていない」
思ったより寝てしまったな、とソニアは心の中で呟いた。食事が終わるまで寝とぼけるとは思ってもみなかった。
が、それまでランスロットが放っておいてくれたということは、彼の報告どおり、カノープスが言うところの「ソニアラッシュ」が終わってからはそうそう何も問題がなかったのだろう。
「大丈夫だ。ガストンの分は、ちゃんとオーロラが取り分けておいてくれた」
「助かる。よく行き届いているな、相変わらずオーロラは・・・」
「彼女にはいくつ目があるのかと、疑うときがある」
ランスロットは苦笑を見せた。
それにはソニアも頷くしかない。
「それにしても、そなたは本当にケルベロス達が好きなのだな」
「そうだなぁ。好きだ。片思いかもしれないけれど」
「はは、そうではないと思うが」
「わからんぞ」
片思いは、得意だし。
ソニアはそんな意地の悪いほのめかしを一瞬したくなったが、愚か過ぎるな、と黙った。
それに、もしそれを言った後、ランスロットに追求されて困るのは自分の方なのだ。
「どうしようか、ガストン」
「もう少ししたら起こそう。一人で置いていくわけにもいくまい」
「そうだなぁ」
ソニアは静かにのびをして、大きな岩の上に座って足をぶらぶらと振った。岩は結構な高さがあるため、草地に立っているラスロットとちょうど目線が合う。ガストンは岩にもたれかかった状態で、草地の上で寝息を立てている。
「ちょっと、今日は気疲れしたな」
「・・・ああ、ルーヴァンとスレイターの件か?」
「うん。他にも、色々さ。みんなの話を聞いていると、あたしはなんだかすごい偉い人のようだ」
それにはランスロットは苦笑を返した。
ソニアが言う「偉い」は位のことではないのだと彼はわかっている。たくさんの兵士が彼女をむやみに称える。その「彼女からすれば納得出来ない賛辞」を、「偉い」という曖昧な言葉に変換しているのだろう。
「トリスタン皇子は、優れた人物だとあたしは思うし、血筋も、なんていうんだ、それこそ、偉いんだろ?だから、皇子が色々もてはやされるのはわかるんだけど」
「ソニア。そなたも優れた人物だし、反乱軍リーダーになれる人間は、25年待ってもそなたしかいなかったのだ。それがどれほどのことか、わからないのかな」
「だから。そうじゃなくて」
「ああ」
「反乱軍リーダーなんて、ただの符号みたいなもんだ。あたしが振り回しているみんなが、あたしが思う以上のことをしてくれてるからこの軍は成り立っているのに」
「そう思えるからこそ、そなたは、優れているのだよ」
「そういうものか」
ソニアは眉を寄せてランスロットを見る。
優れている、という言葉は、あまり嬉しくない。ソニアはそう思う。
彼女がとても素直に当たり前のように思っていることを、みなが「すごい」とか「素晴らしい」とか「さすが」とか、わけのわからない言葉を賛辞として投げつける。その最たる例が今日のあの諍いだ。
「そなたは、自分が、目印になるだけの人間だと以前言っていたな」
ランスロットの呟きに、ソニアは一瞬驚いた表情を見せた。
覚えていたのか。
言葉に出さなくても、ソニアがそう言いたいのだということを、ランスロットは見て取った。
「目印に集まった人間を導くには、そなたの役目ではない、と言っていた」
「そうだ。集まった者たちの責任だ。集まった先のことは」
「集まった者たちは、集まった自分達の責任で、そなたの導きのまま動くことを決めたのだ」
「ランスロットは、痛いことを言うな」
ソニアはそう言って、ランスロットから視線を外した。
ランスロットはまだ言葉を続けようとしたけれど、空を見上げたソニアは、「あ」と声をあげて彼の言葉を遮った。
「いい空だ。風が吹いて塵が舞い上がったかと思ったけれど、この辺りは随分空気が澄んでいるんだな」
その言葉に導かれて、ランスロットも空を見上げた。
満天の星空というのは、こういう空のことを言うのだろうか。
あまりに遠くて深い黒い海の中、光り輝く無数の星達が見える。
降ってきそうだな、などと妙なことをランスロットは思い、それから、自分のその間抜けな想像に対して自嘲気味の笑みを浮かべた。
ウォーレンは、星の導きによってソニアと自分達は出会ったのだという。
占星術というものを、ランスロットはよく知らない。
今頭上に煌く星々は、これからのソニアの道標を指しているのだろうか?
それから。
あと、何度、こうやってこの少女と星を見ることが出来るのだろうかと、そんなことをふと思いついた。
「・・・そろそろ、ガストン、起こすか」
すとん、と音をたててソニアは岩から降りる。
それを合図にして、ランスロットも動き出し、地面に置いたままのカンテラに手を伸ばした。


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