空に還る-1-

ゼノビアだとか、帝国だとか。
シャロームに辿り着くまで、そんなものは、ソニアにとっては何一つ関係もないものだった。
ただ、25年前に滅ぼされたゼノビア王国の残党が、未だ各地に散らばっているということ。
帝国軍には、ゼノビア残党を討伐するための部隊が未だにあること。
そして、その討伐隊のやり口を、父が嫌っていたこと。
ゼノビアとか帝国とか。それらは、ソニアにとってその程度の意味しかないもの達だった。
だから、帝国を、その背後に潜むものを討つつもりなぞ、ソニアにはこれっぽっちも本当はなかったのだ。
ただひたすらに、「いつか殺してやる」と強く思っていただけだ。
未だ、「遠い日」とは思えない、けれども決して近くもない、「あの日」。
ソニアの前に突如現れた、何もかもを奪っていってしまった男達を。
父を、仲間を襲い、村に火をかけ、自分達一家を追い詰めて追い詰めて、一人ずつ屠っていった者達を。
それらの者に名をつけるとしたら、紛れもなく「帝国軍の兵士」だということを、辿り着いたシャロームの教会でソニアは知った。
それまで持ち続けていた、曖昧な「あの男達」への怒りが、ソニアにとってあまりにも明確になったのは、対象物が言葉として、立場として確定したからだ。

一週間ほど風邪で寝込んでいて、そもそも体力が落ちていた母。
ついに走り続けることが出来なくなった彼女は、家族に別れを告げ、森の一角に身を隠した。
泣き声をあげてしまう幼子を連れていけない、と判断をした父から、母は愛しい赤子を受け取り、ソニア達の前で抱きしめて口付けた。
死ぬ時は、せめてこの子と一緒に。
そんな声が、母の内から聞こえたように思え、ソニアはそれを正視することが出来なかった。
別れる方が、母さんが生き残る可能性があがる。父は、ソニアの妹にそう告げたけれど、それは妹の気持ちを落ち着かせるための嘘だとソニアは知っていた。
森を抜け、人が普段登ることのない崖を通るルートを父が決めたのは、追っ手をまくためだった。
空を飛ぶ魔獣は目立ちすぎるから、追っ手も使うまい。
その判断は正しかったし、岩場を得意とするヘルハウンド達でも、足場があまりに細かい崖を登ることは困難だ。
その崖を越えれば、そこからどこへ向かうのか確定しづらい裾野が広がる。どこに行ったとしても先回りされる可能性があるのだから、だったら少しでも確定しづらいルートで逃げようと、父はソニアと相談をして決めた。
崖は険しかったけれど、越えれば相当追っ手を引き離せるはずだった。
傭兵を生業とする父、それを手伝うソニア、狩りを得意とする弟、そして、ごくごく普通に育ってしまった妹。
命綱をつけておかなければ、あまりにも心許ない妹。
体重の関係で、父と妹がお互いの胴を結び合って、命綱をつけた。
それでも。
あまりにも運命は無情で。
ソニアの耳に残るのは、崖から落下していく、妹の叫び声。
今でも、時々耳鳴りと共に、その悲鳴が届くような気がする。
違う、幻聴だ。ほら、ただの耳鳴りだろう?
そんな風に「ただの耳鳴りであること」に安心をしなければいけない自分は、本当は病んでいるのかもしれない。
そう思うこともあったけれど、その程度の心の病がなんだというのだ。
死んでしまった者達は、もう、体の病にも、心の病にもかかることがないというのに。

一人、二人、三人、四人、五人。

それは、ソニアが家族を失った数。

母、赤子、妹、父。

一晩で三人を失い、そして、最も頼りになった父を失い、ソニアは自分の判断で弟と共に逃げることになった。
いくら狩りが得意とはいえ、人と殺しあったことが弟はない。いや、ソニアとて、こんなにも明らかな殺意の標的に自分がなったことなぞ、ほんのわずか数える程度であり、その時に父がいなかったことなぞ一度足りとない。
それでも、父の名を何度呼んでも、彼が再度ソニアの前に姿を現すことはなかった。

失った五人目は、弟だ。
追っ手に追いつかれ、戦いの場となった川の水は、弟の鮮血で彩られた。
その酷い光景はあまりにも禍々しく、今でもソニアの網膜に焼きついている。

(へたくそめ。どうやったらそんな中途半端に斬ることが出来るんだ!)

そんな、ありえない罵倒を心の中でしてしまうほど、ソニアの心は既に尋常ではなかったのだろう。
目の前で、血を噴出しながら人が死ぬ姿を見るのは、初めてではなかった。それでも、充分に心に衝撃をうけるほどの情景。
皮一枚で繋がっているかのように、胴体から離れそうで離れない、けれども、明らかに斬られてしまった弟の首。
背から噴出した血と、ぱっくりと内側が見えそうなグロテスクな首もとから噴出した血は、川を赤く染めていく。
ほんの一瞬の出来事であったにも関わらず、その様子がソニアの頭から離れない。脳の中、瞳の奥、それは呪縛のようにソニアの体の中に刻み込まれてしまったようだ。
ソニアは命からがら追っ手を突き放して川の対岸に上がると、濡れて重くなった下半身の衣類を剥ぎ取りながら走り続けた。
長め丈の上半身のチュニックだけになり、まるで子供の寝巻き姿のような格好になっても、彼女を笑うものなぞそこにはいないのだ。
暗い森の中、何度目の夜だったろうか。
弟の体温を失ったことによって、どれほど寒い夜が待っているのかを想像する暇など、何一つなかった。
ただただ痕跡を残すことを恐れ、明後日の方向に靴を投げ捨てる。水を含んだ靴はソニアの自由を奪い、水を撒き散らし、何一つ彼女にとって利益をもたらしてくれない。捨てる以外、使いようがなかった。
手近な大きな木の葉を何枚もちぎり、運良く見つけたなめらかな木の枝を数本折った。髪を結んでいた紐で足裏に葉と木を結び付け、足裏だけをとりあえず守れるようにした。
走るたびにがさがさと音がするけれど、この際構っていられない。水滴や靴の跡で追われるよりは、余程ましに思えた。
やがて、ソニアは男たちが入り込むことが出来なさそうな岩場の細い割れ目を見つけた。
(さっきの木・・・あれが近くにあれば、身を守ろうとするやつらがいるはずだ)
ソニアは一瞬の躊躇の後、自ら割れ目に飛び込んだ。
暗い空間は思ったよりも広かったけれど、目が慣れるまでに何が起こるのか、ソニアは生きた心地がしなかった。
暗闇の中で聞こえる、何かが擦れるような音。ああ、やっぱり、とソニアは息を整えながら警戒を続けた。
そこは、薄暗い森に住む蛇達の巣だった。
ソニアが出入り出来るほどの大きな割れ目が入口ならば、中にいる蛇たちもそれ相応の大きさだ。さきほど足の裏にあてがった枝は、いざという時に蛇たちが登って身を守る、獣達が登るには滑りすぎる木のものだと気付いたのだ。
声をあげずに済んだのは、大方の予測をしていたからだ。
ソニアの肩近くまでの高さに首をもたげている蛇達が何体も動いているが、不思議と気味の悪さや恐怖心はソニアの中には湧いて来ない。
(巣を荒らされると警戒されて襲われるほうが、余程納得がいく。追っ手であるやつらの方が何倍も恐ろしい)
−−−あたしは今、とても静かな気持ちになっている。
岩場によって作られた、ぽっかりと空いた、暗い小さな洞窟のような空間。
ソニアは入口付近で、そっと腰をおろした。
くたくたになった足を手でほぐし、外の音に耳をそばだてる。
おとなしい蛇だということはソニアにはわかった。毒はもっていない種類ではあるが、蛇に噛まれると体に雑菌が入り込む恐れがある。体力が落ちている今、そうなってしまえばどうなるかわからない。
侵入者の様子を探るように、舌を動かして蛇達は蠢く。これが普段ならば、ソニアは叫んで逃げ出してしまうところだろう。
それでも、この時彼女にとって脅威となるのは、蛇達ではない。まぎれもなく、押し寄せてくる悪意の塊、人間達だ。
追い詰められたソニアの神経は、既に極限まで張りつめられ、息をすることすら恐ろしく感じてしまうほどだ。

死にたくない。ここで、意味もわからず、やつらに見つかって、死にたくない。

いいや、違う。

まだ、死ねない。

強い意志でソニアは自分にそう言い聞かせた。
そもそも、一体何が起こっているのかソニアにはまったく理解が出来ていないのだ。
一体何故、父は、仲間は、襲われて。
何故、自分達は追い立てられて逃げることになったのだろうか。

あの女だ

あの女が、預言の

あの女が帝国を滅ぼす凶星に

あの女を殺せ

ならば。
自分一人が犠牲になればよかったのだろうか。
自分を生かそうとした父は。
崖から落下した妹は。
そして、何故弟は。

ぐるぐると回る、当てのない思考。
しゅるしゅると耳に聞こえてくる、蛇たちの擦れる音。

「!」

その時、岩場の外から聞こえてくる人間の声に、ソニアはびくりと反応をして、身をすくめた。
追っ手が、近付いている。
少し離れたところに聞こえた声が、少しずつ近付いている。
ソニアは入り口の穴からは死角となる、隅に少しずつ体をずらしていった。
近付く足音。
近付く声。
高鳴る鼓動。
指先が痺れるような感触に襲われ、背を嫌な汗がつたっていく。
瞬き一つをすれば、空気が動いて、気付かれてしまうのではないかと思うほどの緊張。
あまりにも短時間で人々の声は近付き、岩場の入口付近に数人が集まってきたのが伝わる。

「その割れ目に、入ったんじゃないか」
「入れるか?いくら子供でも」
「子供ってほどでもなかったしな・・・」
「いや、入れるだろう。その中にいるんじゃないか」

3人、4人。声から受ける印象では、追っ手達の体力はまだまだ消耗していないように思える。見つかったら、もう勝ち目はないとソニアは悟った。
と、その時、あり得ないことが起きた。
一匹の蛇−それもかなり大きい蛇だ−が、奥から移動をしてきて、なんと、岩場の外に出ようとする。人間の気配がして騒がしいというのに、何故今この時、外に出ようとするのだろうか。
ソニアは息を止めて、自分の体すれすれに触れるか触れないかの距離で、大きな蛇が通り過ぎるのをじっと待った。
蛇が外に出た途端、まるで蜂の子を散らすような大騒ぎになり、追っ手の男たちは驚きの声をあげている。

「斬っちまえ!」
「待て、もっといるかもしれない!迂闊に手を出すな!」
「蛇の巣か、この割れ目は!」
「毒を持っているかもしれないぞ」

どうやら、蛇について詳しい人間はいないようだ。それが幸いした。
どれほど蛇に感謝をしても感謝し足りない、とソニアは心の底から思った。
男達がその場から離れいっても、すぐに緊張の緩和をするわけにはいかない。
相変わらず息を潜めて様子を伺うソニアは、体を強張らせて瞬きを忘れたように岩を背に張り付き続け、蛇達と共に一刻を過ごすことになった。それが、本当に最後の、追っ手との接触だ。あまりにも生き死にが背中合わせの博打に近い状況。だが、これで運を手に入れたのか、ソニアはその後高熱に襲われたものの、シャローム行きの船の船倉になんら問題なく潜り込むことが出来た。
そして。
シャロームで天使長ミザールとソニアが出会うのは、それからほどなくのことだった。


ソニア率いる反乱軍は、アンタンジルからアンタリア大地を経由し、ようやくマラノ近くまで移動してきた。
長い期間マラノに駐在していたウォーレン達との合流を果たして、反乱軍はようやく本来のあるべき一群となった。
それは、ありがたい反面、どう考えてもこれから問題が多く発生するだろう規模だ。
今の段階ではトリスタンに過度の役割を担わせるわけにはいかないが、彼の有り様は今後反乱軍にとっても、一般民衆にとっても、注目されていくことは間違いがない。
そういった問題を抱えながらも、反乱軍は永久凍土へと向かった。
天使長ユーシスからの申し出で天界との契約を行ったソニアは、ユーシスの懇願を受け入れて永久凍土に向かうことを決めたのだ。
永久凍土は、マラノから見て南西にある旧ホーライ王国領だ。
25年前の戦争で使用された魔法の影響をうけ、常に雪が降り積もり、厳しい冷気に晒されて続けている。
ようやく全軍が合流したのも束の間、自然条件が厳しい土地に、これだけの軍すべてを投入することは困難だとソニアは判断をした。
まず、通常必要が無い装備の調達から始まり、多くの面で資金を逼迫することは間違いがない。
特殊な土地に行くことは、それなりの知識が必要になってくる。
全体の人数と、その土地で必要な知識をもつ人間の人数の比率も、おのずと許容出来る範囲が決まるものだ。
知識をもつ人間たった一人の指揮下で、何千人はもちろんのこと、たったの何十人何百人を動かすことだってなかなか容易ではない。細胞が死んでしまう凍傷にかかってしまえば、いくらプリースト達がヒーリングを唱えたとしたって、細胞の活性化が不可能な状態では無意味になってしまう。
あれやこれやとソニアは頭を悩ませ、久しぶりにウォーレンに当り散らした。
久しぶりに当り散らされたウォーレンはウォーレンで、「だからといって我々がマラノに居座ることも出来なかったことぐらい、理解できることでしょうに・・・」とぶつぶつとソニアに言い返す。
それはそうだ。
永久凍土に行きました。はい、では次にマラノに戻って、そこから侵攻を続けましょう・・・そういった簡単な話ではないのだ。
上空を動いているという情報を得ていたシャングリラが、ゆるやかに高度を下げ始めているということが、ウォーレンから伝えられた。
その高度と進路を予測して算出をすれば、いよいよもってゼノビアへと落下させるのではないかという推測が現実のものとなってきている。
今はまだ高度が高すぎて、空を飛ぶもの達でもいくことは叶わないが、永久凍土、マラノを結ぶ線上を通過し、ディアスポラ付近に達する頃にはかなり高度が下がってくると思われる。その付近が、帝国侵攻とシャングリラ攻略を両立するための、最低ラインだとウォーレンはソニアに進言をした。
よって、合流をした反乱軍がやらなければいけないことは二分される。
永久凍土を現在治めていると言われている、堕天使ミザールと接触をし、ラシュディへの加担を辞めさせる。あるいは、それが叶わないとしても、天界から持ち出されたキャターズアイを取り戻す。
また、シャングリラへたやすく行く方法をミザールであれば知っているかもしれないという、一縷の望みもあることは事実だ。
永久凍土でそれらのことを行いつつ、シャングリラの情報を引き続き集め、シャングリラの高度が下がった時点で空を飛ぶ者達の力を借りて強襲する。そのための準備も当然必要になってくる。
「永久凍土は、我々に任せていただければ」
とランスロットはソニアに提案をするが−この場合の「我々」は、非常に曖昧だが、ソニア以外の誰か、という意味だ−ソニアは頑なにそれを拒む。
合流して三回目の軍議で、ソニアは未だに口をへの字に曲げたままだ。
大軍は天幕を張って野営を余儀なくされていたが、軍議は、近隣の町の厚意に甘えて、野営地に近い町はずれの宿場の一室で行われていた。とはいえ、軍議にはいまや10人を超えるほどの人数が参加をすることが多いので、室内で行うのにもかなりの無理が出てきてはいるのだが。
一度目の軍議は、お互いの報告事項を話し合っただけであっという間に一刻を過ぎ、二刻に差し掛かり、疲労の色が見えたソニア達を慮って解散をした。
二度目の軍議は、ソニアには天宮シャングリラ攻略のためウォーレンと共に別働隊を率いてもらい、トリスタン、ランスロットを中心とした本部隊のみで永久凍土に赴くという流れになった。
厳しい寒冷地であるので、トリスタンを派遣することはあまりウォーレンもランスロットも気が引けてしまってはいたのだが、今後軍を二分することがあれば、ソニアとトリスタンそれぞれが頭になることになると、誰もが思っていた。もちろん、トリスタンに関しては、未だ形式上であり、結局はランスロットやアッシュ、ギルバルドといった風に誰かが補佐になって実権を持つことになるのだが。
そして、いくら厳しい土地とはいえ、天空に浮かぶ島と地上に存在する土地であれば、どう考えてもリスクが少ないのは地上の土地。その上、ソニアは既に何度か天空の地に赴いているのだから、送り出す側としては少しばかり安心出来るというもの。
そういったわけで、ソニアはシャングリラ、トリスタンは永久凍土、と再び軍を分断をしようという意見があがっているのだ。
「駄目だ。駄目だ駄目だ。そもそも、寒冷地だからスルスト様やフェンリル様にお願いをするっていう話はまかり通らないぞ。お二方は反乱軍として在籍しているのではなくて、あたしのためにいてくれるんだから」
ソニアはそう言って駄々をこねた。
宿場の中で最も広い部屋に、小さな丸テーブルひとつ、一人用のベッドがひとつ、あちこちの部屋からかき集めてきた、おんぼろの椅子に皆は座っていた。
部隊長の中から更に選抜されて呼ばれたビクターとガストン、そしてアイーダは場所がないため、仕方なしにベッドの縁に腰をかけている。
随分昔には貴族達が旅の途中で泊まった部屋だ、と宿場のおかみは言っていたが、とてもそうは思えないほど貧相なつくりだ。
「珍しい、ソニアの方からそういうことを言うのは」
にやりと笑って口を開いたのはフェンリルだ。ソニアをちらりと見て
「都合が悪い時だけ、そういう扱いを受け入れるのはずるい話だ」
と、手厳しい言葉を投げつける。
「フェンリルサーン。そんな、ソニアを苛めなくてもいいじゃないデスカー」
スルストはそう言ってフェンリルの顔を覗き込むが、それに対してフェンリルは何も言葉を返さない。
「わたしが、ソニアに厳しいのは」
フェンリルは彼女にしては珍しく、肩をすくめて見せた。
「ソニアが、自分で永久凍土に行きたいのが私情だと、はっきり言わないからだ」
「・・・フェンリルさまーーー」
その言葉を聞いてソニアは苛立ったように、机をとんとんと指先で叩いた。
「だって、私情だって言ったら、行かせてもらえないじゃないですか!」
「ふふ、私情だって言わなくても行かせてもらえないのにね」
その正直なソニアの返答にフェンリルは笑いながらそう言った。
「ですから、理由をそれなりに言えば」
ウォーレンはそう言ってソニアに返事を促す。それはわかっているけれど、言いたくない、という様子なのが、誰にでもわかる表情だ。
「むう」
「ソニア」
心配そうに天使長ユーシスがソニアに声をかけた。
本来ユーシスは軍議に参加するような立場ではないのだが、ユーシスとの契約が永久凍土行きを確定させたに等しいため、この軍議に特別に顔を出しているという状態だ。
「ソニアは、わたしとの約束をご自分で守るために永久凍土にご自分で行こうとお思いなのですか?」
「違う。そういうことじゃない。ミザールの元に行くのが誰であろうが、ミザールを助けたりキャターズアイを取り戻せれば、ユーシスにとってはいいわけだろ?あたしが永久凍土に行きたいのは、そういうことじゃあないんだ」
「では」
「あたしは、ミザールに会って、問いたいことがあるんだ」
「それは、ミザールでなければいけないことなのですね」
「そうだ。ユーシスでは、意味が無いことだ」
ユーシスが黙ると、ソニアもそのまま唇をわずかに突き出したまま口を閉ざした。
ここ最近、軍議でソニアがこういったわがままをいうことは少なかったので、みな、多少戸惑い気味ではある。
もちろん、反乱軍決起時より共にいる、ランスロットやウォーレンからすれば「これはまた、昔のソニアに戻ったようだ」と心のうちで呟くようなものだろう。更には、その以前より付き合いがあるビクターからすれば「変わってなかったんだなぁ」という驚きを感じるほどに、あまりにもその拗ね方は最近めっきり見なくなった、しかし、間違いなく以前と変わらぬ拗ね方だ。
「いいじゃないか。永久凍土に行ってから、シャングリラに行く。どっちもあたしがやるよ。それに第一、スルスト様やフェンリル様は、あたしより余程空のことに詳しいだろうから、お二方を永久凍土に向かわせて、シャングリラには関与させないなんてことのほうがおかしい」
そうソニアが言えば、またフェンリルが意地悪く
「別段、わたしとスルストがシャングリラに行くメリットはあるとは思えないが」
と答える。
「ソニアが、試されるだけだ。だから、ソニアはシャングリラに行くべきだ」
「あたしが?」
「そう。シャングリラは、女神フェルアーナの神殿。ソニアが勇者として、フェルアーナに会うことが出来るのか、または、会うために何を手にしなければいけないのか、それを知ることになるでしょうね」
「・・・いや、別にあたしは、そんなものに会わなくても・・・」
憮然とした表情でソニアがそう答えるものだから、ウォーレンとサラディンが同時にそれをたしなめる。
「そんなもの、という発言は、反乱軍リーダーとして慎むべき・・・」
「女神フェルアーナと会う資格は、この下界ではソニアしかもたぬというのに・・・」
その2人の言葉の意味があまりよくわかっていないようで、ソニアはきょとんとする。
「ウォーレンは、あたしが、その、女神なんとかってのに、会ったほうが良いと思っているのか」
「思っているというよりは」
ウォーレンは深い嘆息をつき、それでも、この間抜けな問いかけをするソニアに呆れることなく答える。
「サラディン殿のおっしゃるよう、いまや下界でその資格をもつのは、ソニアのみ」
「資格だかなんだかがあってもなくても、別に会う必要なんて」
と更に言うソニアに、サラディンは首を横にふり
「ソニアも、もう知っているだろう。我が師ラシュディの力が、どれほど強大なものへとなっているのかを。天空の三騎士ですらラシュディの魔力の前では剣を抜く暇も与えられず、そして、女神フェルアーナの神殿ですら、人間の身でみつけ、空中都市そのものを移動をさせている。これが、どれほどのことであるのか」
「そうだけど・・・」
「それらに対抗できる力を、少しでもそなたに得て欲しいと思うことが、我々のわがままであることはわかっているが」
そうサラディンは言うが、ウォーレンのほうは「わがまま」とは思ってはいないようだ・・・そうソニアは感づいたが、特にそれへは何も言わず、口を尖らせた。
「じゃあ、それはそれとして。いいじゃないか、シャングリラも、永久凍土も、あたしが行く。それで」
「ソニア殿」
ついに、ランスロットが困ったように口を挟んできだ。
「そなたは、一人なのだから。反乱軍だって、これだけの人数があれば、そなた一人で何もかもを背負う必要はなくなるはずなのだが・・・それは、反乱軍に集う者達や、我々には、任せておけないということか」
「・・・ランスロット、言ったな」
「うん?」
「あたし一人で、背負う必要がないと?バカ!今、目の前で、サラディンとウォーレンがあたしに言ったことは、あたし一人で背負うことだろう」
「それとこれとは」
「違わない。違わないぞ。それに」
ソニアは、だん、と机を叩いて立ち上がった。
「あたしがミザールに会いたいのは、あたしが、この反乱軍リーダーになるきっかけをつくったのがミザールだからだ。だから、それが叶わないなら、反乱軍リーダーは辞める」
「子供の理屈だな」
と、サラディンは軽く肩をすくめて見せた。いつもならば、その程度の言葉に怒るソニアではなかったが、癇癪を起こしたようにソニアはサラディンにもくってかかる。
「子供で結構だ!」
その物言いが、既に子供じみているのだと、ランスロットは心の中で苦笑をした。


軍議は小休止、半刻後に再開する。
そう提案したのはウォーレンだ。
思いのほか軍議が長引いたため、作業の手をとめて集まった部隊長やら誰やらが、もう少し部下に指示を出して来たかった・・・とお伺いをたてたのがきっかけだった。
実際ランスロットもそのうちの一人で、サラディンと共に野営地へと一度戻ろうと宿場を後にした。
野営地に戻ると、最近かなり親密になっているような、オハラとテリー、そしてゾックに初めに顔を合わせた。
「おや、軍議が長引いていらっしゃるようですね?お疲れのご様子」
珍しくテリーがランスロット達に問い掛けた。
彼は古参ではあるが、最近の軍議にはほとんど参加をしない。しかし、それを恨めしく思ったり、是非とも参加をしたいと意思表示をするような人間ではない。
そして、これまた珍しくサラディンが
「ソニアが、永久凍土にも行きたい、シャングリラにも行きたい、と駄々をこねていてな。理由はなんであれ、ソニアはソニアでここ最近我慢を重ねてトリスタン皇子を立ててきたというのに、それを自分でひっくり返そうとしているも同じ。まったく、あの少女は不器用で困るものだ」
と愚痴にもならない愚痴を口にして、その場を去った。
彼のその言葉には愛情が満ちていたが、それは何の救いにもならない。
「でも、正直なところ・・・どこに攻め入るにも、ソニア様にいていただきたいと思うのは・・・わがままでしょうか」
オハラはランスロットにお伺いを立てる。
ランスロットはそれへ苦笑を見せながら
「みなの気持ちは確かにわかる。しかし、軍と名がつくものであれば、指揮官がどこにいようと変わらずに任務をやり遂げなければいけないものだしな」
と穏やかに諭した。
テリーはさすがにわかっている。伊達に、ソニアと長く苦楽を共にしてはいない。
「それにしても、ソニア様がそんなわがままをおっしゃるとは、最近では珍しいように感じますね。少しばかり心配です」
その柔らかな物言いに誘導されたように、これまたランスロットも珍しくぽろりと打ち明け話をしてしまった。
「うむ・・・どうも、ミザールと色々因縁があるようでな・・・確かに、ユーシス殿と契約を結ぶ前に、一度天使との契約は結んでいたと話は聞いていたのだが、それにしても、かなり強くミザールと会いたがっている。しかし、たとえ永久凍土に行くにしても、ソニア殿が前線に出てミザールと接触を積極的にしたいと言うのは・・・あまり好ましくはなかろうな」
そのランスロットの言葉を聞き、テリーの後ろにそっと控えていたゾックは、眉を潜めた。

さて、その頃、宿場に残ったウォーレンとソニアは、まだ2人でやりあっていた。
「ウォーレンなんて嫌いだ!」
「嫌いで結構!」
「じゃあ、大嫌いだ!」
「・・・そ・・・それでも結構!」
二人のやり取りを飽きずに聞いているのは、トリスタンとラウニィー、アッシュ、ビクターだ。
他の人間は、一時休憩ということで、やり残した仕事に戻ったり、小用を足しに行ったりと、あっという間に部屋から出て行ってしまった。
ラウニィーは半ば呆れたように、少しばかり行儀が悪い恰好でテーブルに肘をたててソニアに言う。
「ねぇ、でも確かにソニア、無理しすぎじゃないの?カストロ峡谷の時みたいに、たまには偉そうに奥に引っ込んでいたら」
「何いってんだ、ラウニィー!あれは好きで奥に引っ込んでいたわけじゃないぞ!それに、今までもっとウォーレンに無理難題ふっかけられてたんだ。これくらい、なんだ」
ソニアはそう言って軽く口を尖らせた。それを見て、斜め向かいに座っているビクターがついつい笑い出してしまう・・・が、場にはトリスタンも残っていることに気付いて、慌てて姿勢を正した。(とはいえ、ベッドの縁が彼の席なのだが)
「し、失礼しましたっ」
「問題ない。休憩時間だし。いや、それにしてもソニア殿は、意地っ張りらしい」
おもしろそうにトリスタンはにやにやと笑みを見せた。
「意地っ張り結構です!」
これまた、かなりトリスタンに慣れたようにソニアは言い放って、挙句に膨れっ面を見せる。ついにアッシュもそれには耐えられなくなって、小さく笑い声をもらした。
「勘弁してくれないか、ソニア。いくらなんでもそこまで子供返りしなくとも」
「アッシュまでそんな風に言う〜」
不平をもらしてソニアは次には口をへの字に曲げてしまった。
それをどうとも思わぬように、ラウニィーは自分のペースで話し掛ける。
「それにしても、ミザールっていうの?天使長ユーシスのお姉さんって。天使が人間の男と恋に落ちることなんてありえるのね。なんか、いまひとつぴんとこないわね」
「少なくとも、マーメイド達の方が、天使よりも人間の道理に近いものと思われますがな」
ウォーレンはそう言って、立派なあご髭を何度も撫でた。
その言葉にはソニアは素直に反応して
「やっぱりそう思うか、ウォーレン。天使と人間の道理は、隔たりがあると」
「至極当然。天空の三騎士ですら、過去は人間でありながらも、今となっては人間とは異なる道理を持っていらっしゃる。それが天使となれば、尚のこと。しかし、恋というものは道理が通用しないもの。感情というものが存在すれば、そこにおのずと発生するものでしょうて」
それは、天使長だったミザールが、ラシュディへの恋に落ちてしまい、キャターズアイという、高い魔力がこもった宝石を天界から持ち出した話についての言葉だ。
「でも、だからって、天使にとっては天の父を裏切る大罪よ?どれほどの色男でも、そこまではなかなか出来ないんじゃぁないのかしら。しかも、相手はラシュディだものね」
ラウニィーの問いに、ビクターが思いついたように口を挟む。
「三騎士様と同じように、強力なチャームの魔法にかかったんではないでしょうか?天使長ですら、抗えないような」
「それが、そうでもないようじゃな。ミザールとやらは、自分の意志で天の父を裏切ったらしい。チャームの魔法にかかったのであれば、天の父の温情も預かれるというもの。それが、妹ユーシス殿に天使長の位が譲られたということは、やはり許されず、堕天となったということじゃろう・・・」
話がミザール本人へ矛先が向いたことで、ソニアはいささか落ち着きを取り戻し、何かを考える表情を見せた。
「うん?」
それに気づいて、トリスタンが曖昧な声をかける。どうやらこの皇子は、かなりソニアのことは意識をして様子をうかがっているようで、最近かなりソニアの「素振り」に敏感だ。
「・・・恋愛というものは、人も、天使も、変わりなく狂わせるものなんでしょうかね」
いささか、言いづらそうにソニアは言葉にする。トリスタンは少し驚いたように瞳を大きくしてから、
「そういう恋愛も、時にはあるんだろうね。特に、天使は恋愛には免疫がなさそうだ。天の父の愛情は平等であるからして、天使でも、唯一の相手のみに愛情を注ぐことはないはずだから」
「だけど、一人を好きになっちゃったんでしょう。そういうことってあるのかしら」
ラウニィーはトリスタン一人に言い放ったわけではなかったので、気安くそう言った。それへ、律儀にトリスタンは答える。
「どうだろうね。少なくとも人間も、恋に狂って大罪を犯すことがあるのだから、天使と人間は、感情というものは近いものを持っているんだろうね。ユーシス殿も、それなりに我々からすると普通らしい様子を見せてくれているし」
ソニアは唸った。
「うーん。難しいなぁ。あたしには、よくわからない」
「・・・そ、りゃ、わからないわよ。わたし達だってわからないわ。ただ、そういうことがあるんだろうなぁって思ってるだけだもの」
「人間と近い感情でも、道理は多分天使のそれだものな。天使としての大罪を犯すくらいなら、天使としての道理を曲げることも、してくれたっていいよな?」
「なぁに、それ。してくれたっていい、って」
憮然と問い掛けるラウニィー。それに対してソニアは慌てて
「あ、いや、なんでもない、なんでもない。こっちの話だ」
と無理矢理、その会話を終わらせようとした。が、思わぬ方向で、ラウニィーがその話題を続ける。
「大罪を犯したくはないけれど、それほどの激しい恋愛を一度くらいはしてみたいものね。ああ、あのタコと結婚させられなくてよかったわ」
そう言うと何故か、ラウニィーは同意を求めるようにアッシュを見た。
カストロ峡谷での出会いから、ラウニィーはアッシュをかなり気に入っているようだ(そもそも、名のある騎士が好きなのかもしれない)
どう見てもこの場でこの話題では、ウォーレンの次に縁遠そうなアッシュなのだが。
「ラウニィー殿は情熱的でいらっしゃるようだ。この老いぼれ、今までの人生で、そのように感じたことはまったくまったく」
「女だからそう思うのかしらね?」
アッシュを困らせてしまったことに気付いて、ラウニィーは明るく笑って見せた。
が、一同の視線がその時、その場にいるもう一人の女性に注がれる。
「ん?なんだ?」
ソニアは視線に気付いて、ラウニィーを中心とした話の流れを、もう一度頭の中で整理した。
と、突如、彼らの視線の意味に気付いたように、顔を赤くして叫ぶ。
「うるさいなぁ。どうせ子供だ!」
誰も何も言っていないのにそんな風に怒るソニアを見て、その場の全員−ソニアを除く−は笑い声をあげた。



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