空に還る-10-

バルハラ城付近の都市で、攻めあがってきた他部隊とソニア達は合流した。
そこには、ありがたいことに、昔は宿屋を営んでいたらしい大きい館があった。丸ごと無人になっているその場所を、レイモンドが探し出してくれたらしい。
もちろん、その宿屋が機能しなくなったのは、永久凍土の自然が狂い、他の地域から来る人間を受け入れることもままならなくなってからのことに違いない。人々にいくらか聞いて回った情報では、その宿屋を営んでいた夫婦は、子供達を連れて永久凍土から離れてしまったのだという。
「それは賢明だった、と言われました」
と、レイモンドは、世間話を珍しく報告に交えた。
「事実、その後この地に宿を求めてくる人間なぞ、誰一人いなかったといいますし・・・誰かがこの館を使うことも、まったくなかったらしいですよ。大きい家であれば、部屋を温める燃料が余計に必要になりますからね」
「我々のように1日2日であればなんとでもなるだろうけどね」
そういいつつ、トリスタンが皇子自らの手で暖炉に薪をくべた。慌てて他の兵士が暖炉前に来て役目を変わるが、それはそれで「温かい場所だから、皇子がいた方が良いのだろうか・・・」と少しばかり困っているようだ。
「いつもながら、レイモンドの手腕には舌を巻くな」
とランスロットが声をかけると、恐縮したようにレイモンドは頭を下げた。
暫くの休憩の後、フェンリルとトリスタンの部隊を都市近くに控え、アイーダの部隊で都市の守りを固めるように振り分けた。そして、まずはトトの部隊を中心に、バルハラ城を攻めることにした。
ソニアの部隊はトトの部隊のぴったりと後ろにつき、フォローをしつつ、共にバルハラ城に攻め入る。
全ての部隊にあれこれと指示を出したソニアは、
「出来ることなら」
感傷的なことだとはわかっていながら、ソニアは言った。
「ユーシス」
「はい」
「ミザールに引導を渡すのは、あたしではなく、ユーシスの役目ではないかと思うんだ」
「ソニア」
「もし、それをするべきときに、ユーシスが出来なければ・・・あたしか、他の誰かがやると思うけれど。あたしは、ミザールとの話がうまく終われば・・・その後、ミザールと必要以上に剣を交えるつもりはないんだ」
「わかって、おります」
ユーシスはゆっくりと言葉を紡ぎだした。
ミザールとソニアの会話が、どういうものになるのか、ユーシスには想像もつかない。
その場に立ち合わせてももらえない。
けれど、ミザールに引導を渡すのはユーシスだ。
そのソニアからの言葉を、彼女は理不尽だとは思わなかった。
むしろ、その立場を譲ってもらえることが心から嬉しくもあり、けれど、ひたすらに辛いとも思える。
「ソニアは、シャングリラに向かわなければいけない身の上ですから」
「ミザールに、戦う意思があるかどうかはわからないけれど・・・何もせず、こちらに投降をするような人間ではないと思う。まあ、天使なんだけどさ・・・それは、ユーシスにだってわかっていることだろう」
「ええ」
そう答えたユーシスは、静かな眼差しでソニアを見つめた。
もっと、あれこれとソニアに問いたいことがあるのだろうと、その視線を受けているソニア自身、そう思っていた。
それを言わせたとしても、多分ソニアはユーシスを失望させる以外の答えはないような気がする。
もしかすると、ユーシスも既にそれをわかっていて、黙っているのかもしれない。
ユーシスのまっすぐな視線を受け、ソニアは小さく苦笑を見せた。
「あたしも、ミザールに会うのは、とても自分の意志を強くもっていないと、何の意味もないことになると思うんだ。それは、覚悟みたいなもんでさ・・・ユーシスも、あたしとは違うけれど、もう覚悟はしているんだろう。その覚悟を、あたしは疑わないから、ユーシスにまかせようと思う」
「はい。ありがとうございます。あなたにとってわたしが、信頼に足りうる者なのか、今まで何一つ証明出来るものなどなかったというのに・・・それでも、信じていただけるのは、ありがたいことです」
頭を下げるユーシスにかける言葉は、ソニアにはそれ以上なかった。


何度か、出撃部隊がバルハラ城から飛び立っては出鼻をくじかれている様子を、ミザールは静かに見ていた。
反乱軍の部隊がまた一部隊、一部隊とバルハラ城近くにやってきて、包囲とまではいかないけれど、こちらからの攻め手を封じようとしている。
幾人かのスローンズ―それは、中位の天使だ―が反乱軍に倒されている。が、彼らは部隊を取りまとめる部隊長という扱いになっていて、命令系統で上の立場の者達ばかりだった。
明らかに、出来る限り天使達を傷つけないという戦い方をしている、とミザールは既にその思いを確定していた。
愚かな自分の行いの尻拭いを、ソニアがしてくれているのだと思うと、いてもたってもいられないほどの焦燥感がミザールを襲う。
とてもありがたい。
そして、そのことでソニアの人となりがわかって。
それが故に、申し訳なさや心の痛みが伴う。
申し訳なさというのは、ソニアを助けることもなく、ただただ煽って無理矢理洗礼をしたことではない。
ミザールがラシュディと契約をしたことは、まったくソニアが関与していない話だ。そのことにすら気を回されること、そのことが、ただ申し訳ないと思うだけだ。
「・・・少しは、温かくなったわね」
自分の体の周りを柔らかく守っている力を消す。
彼女がいる、バルハラ城の最奥にある広間には、大きい扉を開けて入ると部屋の左右に暖炉が設置されている。
そのどちらにも火が入り――とはいえ、そう多く焚かれてはいないのだが――わずかに空気を温めていた。
戦になっては彼女を守る、氷の巨人フィボルグ達は、寒さに強い。
彼女は天使であるから、ユーシスと同じように自分の周囲のみ快適にいられるように薄膜の力を作ることが出来る。
であれば、バルハラ城で彼女がソニアを待つ部屋は、何ひとつ暖房を入れる必要はない。
むしろ、反乱軍が凍えている状態であれば、ミザールは優位に立てるわけだ。
彼女が行使することが出来るジハドという魔法は、実力で天使長という立場になった彼女が唱えるにしても、かなりの力を要するものだ。それでも、自らの体を守りながら唱えられないほどではない。
だが、もしも。
もし、この場にユーシスが来るのだとしたら。
彼女が、元天使長として、最高位セラフィムとして、ユーシスに見せることが出来る全ての証がジハドだ。
全ての力を解き放ったジハドを、ユーシスに見せようと彼女は思っていた。
それには、自らを守るその薄膜を作り出すわずかな力ですら惜しいと思える。
(と、言うのは、自分への言い訳だ)
ミザールは自嘲気味の笑みを浮かべた。
では、それは、彼女と話をしたいと申し出ている、ソニアのためだろうか。
違う。
そうではない。
その火は、それを必要とするかどうかすら、いや、この場に来るかどうかすらわからない男のための火だ。

あの人が、万が一この場に来て、凍えないように。
そう。
それは、本当に万が一という言葉がよく似合う。

そんな女々しいことを考える自分がほとほと嫌になる、とミザールは思った。それから、自分がそういう情けない心根の持ち主だからこそ、ソニアはきっと暖炉の恩恵を受けることが出来るのだろうな、とも思った。
遠くから、聞きなれない慌しい音が聞こえた。
ミザールは広間の中央に立ち、後ろを振り返った。
そこには、二体のフィボルグが控えており、彼女からの命令を静かに待っている。
ミザールはそもそも帝国軍の兵士ではない。
そんな身分の自分を守りたいと思う帝国兵がいるわけがない、とわかっていた。
そして、ラシュディもそれを知っていたに違いない。
ミザールの後ろに控えているフィボルグ達は「ラシュディ様に言われ、あなたの命令を聞き、あなたを守るために来た」と彼女に告げた。
このバルハラ城を守るためでもなく、永久凍土の統治権を守るためでもなく。
わたしのために?
彼女は、そう思って一瞬だけ、あの男が自分に以前向けてくれた眼差しや言葉を思い出した。
それらは、彼女を利用してキャターズアイを手に入れようとしていた、腹黒い男の策略だったけれど。
それでも、ほんの一時、ミザールは失った過去を再び手にいれた気がした。
そう。
ほんの一時。
すぐにミザールは冷静になり、そんなわけがない、と自らに言い聞かせた。
そのフィボルグ達は、そういうためのものではない。
彼女へのはなむけのつもりなのか、それとも、彼らもまたラシュディにとって疎まれたのかそれはわからないが、決して彼女が思い描いたような温かな感情によりミザールのもとに差し向けられた者ではない。
多分、彼らも同じなのだろう。自分のように。
彼らはこの永久凍土に生きるに相応しい生き物であり、ミザールはそうではない。
たったそれだけは違うが、それ以外に「ここにいる理由」は違いがないのだと思える。
ラシュディは、そのフィボルグ達にもミザールにも、この地で死ねと言っているのだろう。
そして、あまり利口ではないフィボルグであっても、それは既に感知しており、帝国軍兵士でもない、何の権限も本来ないであろうミザールと命運を共にするためにここにいるのに違いない。
反乱軍リーダーと話をするから、襲ってはいけない。
そうミザールが言えば、何も語らず彼らは頷くだけだった。
戦になれば、彼らはミザールを後ろにかばって、その身を盾にしてくれるのだろう。
彼らをどうしてあげれば良いのか、とミザールは何度も何度も考えたが、自分が自分の近い未来への覚悟が出来ているように、彼らもまた覚悟が出来ているのかもしれない。
だから、彼らを助けたいとか、どうにかして気持ちを知りたい、などと考えることは、余計なことだろう。
ミザールはそこまで深く考え、その末、なんと自分は人間めいた物の考え方をするようになってしまったことか、と内心驚きでいっぱいだった。
けれども、自分は人間ではなく、ましてや、本来天使であるはずもない、どうしようもない愚かしい生物だ。
ばたばたと足音が近づいてくる。
大きな扉はぴたりと閉ざされているが、鍵はかかっていない。
ありえない話ではあるが、ドアノッカーの音が響けば入れと答えるつもりだ。もちろん、突然開けられたとしても、非難の声をあげるつもりは彼女にはない。相手はミザールの敵なのだし。
(そうそう、とりあえず、扉を開けた瞬間にソニックブームなんてものが飛んでこないと有り難いけれど)
そんなことを人事のように彼女は考えていた。
すると。
驚くべきことに、あまりに礼儀正しく、ドアノッカーの音が室内に響いた。
皮肉なことに、バルハラ城のこの広間のドアノッカーは、天使を形どったものだ。とはいえ、それはミザール達の姿とはかなり異なり、少年に近い姿のものだったけれど。
もし、今それを握っているのがソニアだとしたら、その皮肉さに気付くだろうか。
ミザールは薄ら笑いを浮かべて、声を出した。
「どなた?」
返って来る言葉は既にわかっていた。
帝国軍兵士があれほど慌てて音をたててやってくるならば、礼儀正しくドアをノックなどするはずもないほどの緊急事態だ。
ならば、今ドアをノックしているのは。
二人のうち、一人。いや、三人のうち、一人。
「反乱軍リーダー、ソニアだ」
聞こえてきた声は、少女の声。間違っても男性ではない。それは、淡い期待を裏切る声だった。
そして、聞こえてきた名は、次に彼女の心をわずかにほっとさせた。
妹ユーシスと会う前に、ソニアに会ってしまいたい。そう思っていたからだ。


「久しぶりだな、ミザール」
「お久しぶりね、ソニア」
コカトリスを室内に連れて入ってくる余裕がなかったため、バルハラ城のこの広間に近い一角でトト隊とギルバルド、そしてコカトリスのイリューネは、帝国軍の残兵がソニア達の邪魔をしないようにと見張っている。
既に、バルハラ城に残っている兵士達は、ミザールを守る気も多くなさそうだ。何より、これ以上反乱軍に抵抗出来る兵力がないことを彼らの方がよく知っている。
本当はトトにコカトリスを任せ、ソニアと共に行きたいという思いがギルバルドにもあったが、そこはあえて身を引いた。
彼は真に優れたビーストマスターであり、そうであるがゆえに魔獣を裏切るような行為を出来る限りしないようにと強く誓っている。普段ならばトトに任せることも出来ようが、この寒冷地で機嫌を斜めにしつつも飛んでくれたコカトリスに、これ以上人間側の勝手を強いることを彼はよしとしなかった。
よって、ソニアはランスロットと二人きり、というあまりに心許ない、部隊とはもはやいえなくなった状態でやってきた。
そろそろトリスタン部隊他もバルハラ城に到着するだろう。それまでに、話を終えなければいけない。
「少し見ない間に、大人びたのね」
「・・・あんたは、少し見ない間に・・・いっそう、消えそうに見えるようになったな」
元、とはいえ、天使長になんという口の聞きようか。そう彼女を怒る人間は、ここにはいない。
ランスロットはソニアの傍に立ちつつも、二人の会話の邪魔を決してしないように口を引き結んでいた。
ミザールはとりたててソニアのその言葉に気持ちが乱れた風もなく、無表情で答えた。
「それはそうでしょう。今のわたしは、名もない存在で、自分の命の形すら見失っているのだから」
少しだけソニアはその言葉の意味を考えこみ、それから答えた。
「堕天使と呼ばれる存在になりきれず、天使と呼ばれず・・・人間でもないからか」
「聡い。本当に、あなたは、聡い」
ミザールは表情を変えず、淡々とソニアにそう告げる。
それに対してソニアは返答をせず、何も聞かなかった風にまったく違う話を投げかけた。
「ミザール、申し訳ないんだが、ちょっと調子が悪くて。暖炉の傍にいっても、ミザールには何も問題はないかな」
いくら兵力に差があり勝敗が見えているとはいえ、敵陣にいながら、敵将の前にいながら――とはいえ、ミザール本人も自分がそんな立場でいることなぞ気にもしていないのだが――正直すぎやしないか。そう思ったか、ミザールは苦々しい表情で、片方の口端を軽く引き上げた。
「もちろん、何一つ問題ないわ。その騎士も温まると良いでしょう。まだ、わたし達が一戦交えるまでには、いくばくかの時間があるのですから」
ソニアはミザールを見ないで、すたすたと暖炉の傍に近付いた。ランスロットはミザールの様子を伺いつつ、ソニアを守る体勢をとりながらゆっくりと移動をした。
二つ暖炉があっても、がらんと広い部屋では温まりにくい。外に比べればかなり室温は高いけれど、それでも凍えながら攻め込んできた彼らは未だ冷えたままだ。
暖炉から伝わってくる暖気にソニアはほっとした表情で、床に腰を下ろそうとした。
ランスロットは鎧の上に羽織っていた、毛皮のポンチョのようなものを脱ぎ、裏返して床に置いた。そこへ座れ、という意味なのだろう。
「床は冷たい」
「ありがとう。そこまで気を使わなくていいのに」
「そもそも、城内に入れば、それを羽織っている方が動きづらい」
「確かにね」
ソニアはそう言って、ランスロットの厚意に甘えた。
さすがに、鎧の上に羽織っていただけに、それにはランスロットの体温が移っているわけでもない。とはいえ、多少温かな空気を含んでいたためか、間違いなく床よりも温かい。
「投降は、しないつもりなんだろう?」
ランスロットの足元で膝を抱えながら、ソニアはミザールに問う。
「あなたからの話とやらが終わり次第、わたしはわたしの役目を果たすだけです」
「どういう役目だ。それは、ラシュディから言われたお役目か。本気で永久凍土の統治権を守るために戦おうとなんて思っていないだろう。馬鹿馬鹿しい」
「その通り。そんな戦は馬鹿馬鹿しいことです」
そう答えたミザールは、それ以上その話題に触れようとしなかった。
「そんな話をしに来たのならば、言葉を交わす必要はありません」
「・・・まさか。この話は、ついでみたいなもんだ・・・あたし以外の人間だったら、これが本題なんだろうけど」
「でしょうね」
「じゃ、答えてくれそうな、単純な質問から行くか」
「どうぞ」
「あたしは、反乱軍リーダーとして、ここまで来た。ミザールから受けた洗礼で得た力のおかげで、あちこちから「選ばれた勇者」と呼ばれている。ありがたいやら」
そう言ってソニアは肩をすくめて見せた。
「あの時、あたしはかなり心が弱っていて、ミザールから与えられた力を、あまりに無防備に受け入れてしまった。今更とは思うが、あの洗礼によってもらった力について、問いたい」
「なんなりと」
あまり広間の中央から動かないで、けれど、多少ソニア側に近付いた場所でミザールは静かに立っていた。
「あたしが、ミザールからもらった力は・・・いつまで、あたしのものなんだ?」
ソニアの最初の問いかけに、ミザールは即答をした。
「いつまでも」
「死ぬまでか」
「ええ」
「・・・そうか」
ふー、と息を吐いて、ソニアは首を曲げた。吐き出した息が白くないことに感謝をしつつ、次の質問を投げかける。
「たとえば、その力がいらなくなったら・・・なかったことに、してもらう方法はないのか」
「それは、出来ません」
「なんで。ミザールだって、あたしとの契約を破棄して、なかったことにしただろう」
「それとこれとは、種類が違います。あなたに与えた力は、いわば、もうあなたの体の一部と同じなのです。視力を奪うならば、目を潰せば良い。聴力を奪うならば、耳を切り落とせば良い。では、あなたにわたしが与えた力は、何を傷つければ良いとお思いか」
「わかるはずもない。じらさないでくれ」
「それは、あなたの魂です」
そのミザールの言葉に、ソニアはまたも息を深く吐いた。それは、溜息でもあり、彼女が自分自身を落ち着かせるための深呼吸でもあるのだろう。
「天使がやることは、よくよく難しすぎる」
「何の不思議もありません。あなたが、儀式を行ったり、タロットカードを使う時、あなた自身は何を使いますか?手ですか、口ですか、目ですか、耳ですか、足ですか。どれも確かにそうであり、けれど、そうではありません。あなたはその時、あなたであるという能力を使うのですから」
「だからこそ、死ぬまで、あたしのものなのか」
「そうです」
ランスロットは、ちらりとソニアの表情を確認した。
それは、いくらか覚悟を決めていたことだったのだろう。案外とミザールの言葉を素直に受け入れたようで、あまり表情に陰りはない。
確かに、この質問をすれば「いつか、なくなる」か「死ぬまでなくならない」のどちらかしか回答はないように思える。
そして、「いつかなくなる」であれば、一体それがいつなのか、という次の問題になるが、「死ぬまでなくならない」といわれれば、そこで問答が終わってしまうのは当然だ。
「ミザールが天使長という立場でなくなっても、あたしの力は消えないんだな」
「もはや、その力はあなたのものですから」
なるほどな、とソニアはぼそりと呟いた
「・・・ということは・・・あの日、もうミザールにはわかっていたんだな。あたしが、ブリュンヒルドを手にして、ラシュディに立ち向かう立場になることも。あの日のあたしには、何一つ想像が出来なかったような、多くのわけのわからない騒動に巻き込まれて、天界がどうの、下界がどうの、悪魔がどうのという馬鹿騒ぎに巻き込まれるってことが。選ばれし勇者なんて、まったく、誰もなりたくなんかなかった。面倒なことばかりだし」
「・・・」
ミザールは、いささか怪訝そうな表情で、ソニアの言葉を聞いていた。
「あたしは、もとのあたしには、もう一生戻れないんだな」
「ソニア、元の自分、昔の自分に戻れる生き物なぞ、どこにもいやしません。わたしが与えた力がなくなっただけで、あなたは元の自分とやらになれるとお思いですか」
「それは天使の言い分だ。あたしにとって必要な言葉は、そんなものじゃない」
忌々しそうにソニアはそう言ってから、軽く唇を突き出した。
「あたしが力を欲したのは、帝国を・・・あたしを追い立て、何も知らない仲間や家族、村の人達を殺した帝国に一泡吹かせたかったからだ。別に、ミザールから力を貰うのと引き換えにゼノビアを復興させる約束なんざしていないし、あれこれ面倒ごとを抱え込む約束だってしていない。まあ、無償だと思っているのか、といわれればそれまでだが・・・ミザールは、あの教会に辿り付いた人間に力を与えるために待っていた、と言っただろう」
「ええ」
「だったら、力をくれたのはそっちの都合であって・・・あの時、取引という形であたしが何かを約束したわけじゃないよな?」
少しばかりソニアの声音は荒くなり、言葉も急いて口から出てくる。それへ、ミザールはまったく変わらない調子で、穏やかに答えた。
「洗礼を受け、力を与えたことに対して、約束などはしていません。けれど」
「うん」
「天使の力をあなたに貸す契約。あれに関しては」
「何か、取引があったのか」
「あれは、わたしが個人的にラシュディと契約を交わしたものと違いますから・・・天の父からの命だったため、特殊なものです。少なくとも、あの契約を行う者は・・・いずれ、天界が関与するほどの、大きな問題にぶつかる運命を持つと定められています」
「定められているって・・・それは・・・」
「だから、正確に言えば取引でもなんでもないのです。そう、なってしまうだろうという予想があるだけで・・・そして、それについては、わたし自身は何の権限もない。天の父に言われるがまま、行っただけですから」
「ってことは、あの契約をした時点で、あたしは厄介ごとを背負い込むことが確定してたのか!」
ソニアは叫んだ。しかし、それでもミザールは心が動かされた風ではなく、同じ調子で言葉を返すだけだ。
「いいえ。それは必ずしも、確定とは言い切れません」
「言い方が違うだけだ。もし、そういう厄介ごとがこの世界に起きたら、あたしが、それを背負うことになったんだろ?結局」
「そうですね。でも、あなたが生きているうちに発生するかどうかは、誰もわからぬ話」
「同じことだ!」
ソニアは忌々しそうにそう吐き捨て、前髪を何度も何度もかきあげる。
それから、次に口から発された声は、それまでの勢いをまったくなくし、うめき声に近いものだった。
「その上・・・あたしが、この力を持っている限りは・・・選ばれた勇者として、あれこれを期待されなきゃいけないのか?」
ミザールは静かにソニアを見つめている。と、その視線に、ソニアはわずかにたじろいだ。
先ほどまで、ミザールに対して思いをぶつけ、責めるつもりがなくとも強い追求をしていたのはソニアの方だ。
だというのに、ミザールからのその視線は、ソニアからの言葉でひとつたりと心を動かされた風ではない。
それほどソニアから叩き付けられることをあれこれ想像していたのか、覚悟が出来ていたのか。
いや、そうではない。
ソニアは、ミザールのその視線で、直感的に「何か、また真実を突きつけられる」と感じてひるんだ。
「ソニアは、何か思い違いをしているようですね」
それはなんて嫌な言葉なのか、と思いつつ、ソニアは慎重に返事をした。
「何を、だ」
「先ほどから繰り返し、あなたは、選ばれし勇者という言葉を使っている」
「ああ・・・それは、あたしが言い出した言葉じゃない。勝手に気が付けばそう呼ばれ・・・1番最初に呼ばれたのは、ミザールに・・・だっただろう」
ふっとミザールは表情を緩和させた。あのシャロームでの教会のことを彼女は思い出したのだろう。
「あなたは、それを聞いて逆上して、わたしに切りかかろうとしましたね。それはいいとして・・・わたしが、あなたをそう呼んだことと、後の人々があなたをそう呼んでいることは、同じ部分もあるけれど、同じこととは言い切れないのです」
「なんだって?」
その言葉を聞いて、ソニアもランスロットも、眉根を寄せた。
やたらと暖炉の火がはぜる音が大きく聞こえてくる。そう感じるほどに、ソニアはミザールの言葉を聞き漏らすまいと、聴覚を研ぎ澄ますことに集中をしていた。
「たとえば、あなたが手にした、突然のもの・・・そうですね。多分、それはロシュフォル教会からだったことでしょう。勇者の証として手にしたティンクルスター。心正しき者が使えば、石化を解ける光のベル。それから、聖剣ブリュンヒルド。それらは、みな、それぞれの物、あるいは、所有者の判断においてあなたを選んだだけ。そしてそれは、わたしがあなたと契約をしたことも、同じこと。それが、わたしが言う「同じこと」の意味」
そのミザールの言葉に反論しようとソニアは口を開く。が、そこから出た言葉達には、躊躇の色が明らかに混じっていた。
「・・・しかし、シャロームで洗礼を受けて、あたしが力をもらったから・・・」
「いいえ。声なき声をあなたは聞けないのでしょうから、そう勘違いをするのも仕様がありませんが・・・では、あなたが、タロットカードを使えなければ、光のベルは鳴らなかったでしょうか?あなたが、上級職への儀式を執り行えなかったとしたら、聖剣ブリュンヒルドはあなたを拒むでしょうか?天使との契約を行ったことを、誰が知って、それを要因としてティンクルスターを手渡しましょうか?あなたは、あのシャロームでわたしの洗礼を受けたことにより、唯一無二といわれても過言ではない「選ばれし勇者」になってしまったと勘違いしている」
そのミザールの言葉で、ソニアは明らかに動揺を表した。
そして、ランスロットもまた、思わぬ展開に驚き、息を呑む。
「ち・・・がうのか・・・?あたしは、ミザールが言うように選ばれた人間として、洗礼を受けて・・・ただ、その、選ばれた者という意味が、こんなに大それたものだとはその時、何もミザールは教えてやくれなかっただろう。あたしは、その肩書きの大きさの翻弄されて、もてあましているんだぞ」
「覚悟を、決めなさい、ソニア。たとえ、あなたがわたしと契約を結ばなかったとして、必ずしも「選ばれない保障」があるとは限らないのですよ」
それまでにない、ミザールの強い声音。
はっとランスロットは唇をわずかに開いた。
今、ミザールが口にした「選ばれない」が表しているのは、ミザールが先ほど言った「後の人々がソニアを選ばれし勇者と呼んでいる」ことに対しての言葉だ。なぜならば、契約を結ばなかったとすれば、それはソニアが、「ミザールがソニアに告げた選ばれし勇者」ではないという意味だから、消去法で真っ先に消える。
問答の難しさについていけなくなりそうで、ランスロットはぶつぶつといくつかのキーワードを口の中で呟いた。
第三者である彼が、二人の会話を理解するのは、たやすいことではない。
それに、ミザールが最初に言ったようにソニアは聡い。
時々、その聡さが研ぎ澄まされて、普通に会話をしている人間では把握できないほどの裏の言葉すら彼女は聞き取る。
そうなってしまえば、ここにいる自分は、ソニアとミザールの会話を理解できなくなる。
ランスロットは心が焦るのを抑えつつ、一言足りと二人の言葉を聞き漏らさないようにと、再び唇を引き結んだ。
「仮に今、あなたから、タロットカードを取り上げ、上級職への儀式を執り行う権利を取り上げたとしても、ブリュンヒルドはあなたのためにカオスゲートを開き、光のベルは高らかに鳴ることでしょう。あなたは、自分が自分の力で「選ばれし勇者」に既になってしまったのだということが、まだわからないのですか」
「そんなのっ・・・そんな、馬鹿な」
「あなたは、聡い。聡いが故に、自分の力を恐れ、行く末を恐れ、その力を使うことを間違わぬよう、正しく生きようとしている。だからこそ、わたしに問いただしたいこともあり、苦しみもあり、浅はかな気持ちで自分自身の力を振るわぬように戒め続ける」
ミザールは、ソニアを真正面から見て一気に言葉をぶつけた。
ソニアは瞳を大きく見開き、まばたきを忘れたようにミザールを見つめる。彼女の両脇に下ろされた手は、強く強く拳を作られている。
「それこそが、力を手にすることを許された者の証であると、何故気付かないのですか!」
「!!」
ソニアは眉根を寄せ、驚きで息を飲んだ。
その傍らでランスロットは唇を噛み締める。
人々からすれば、「選ばれた者がそんなことでどうするのだ」と言いたくなるほどに、ソニアは自らが手にした力に対して慎重だ。そして、それを行使する時、何かしらに選ばれて「自分だけがやらなければいけないこと」に直面をした時。彼女は非常に敏感になり、それらを忌々しく思いながらも正しく行おうと注意を払う。
プリンセスに昇格したオハラに対しての気遣いは、反面、それほどソニア自身がそれまで葛藤に苛まされていたことを物語っている。
そのことを、不必要だと思っている人間も反乱軍にはいる。勇者であるから、反乱軍リーダーであるからには、その特別な地位、力を最大限に使って見せ付ければいい、と簡単に思っている人間は当然多い。
けれど、ソニアはどうしてもそうは思えなかった。
人と違う自分。何かに選ばれてしまう自分。そして、「彼女のもと」に集う大きな力達。
それらに対しては、いつもいつも、過剰な反応を示して、手放しで喜ぶことがない。
それが。
それこそが、勇者の証なのだとミザールは言い切った。
彼女の言葉に、ソニアもランスロットも驚き、けれど、それを「馬鹿なことを」とも「詭弁だ」とも反論することが出来ない。
「ソニア、いい加減に被害者ぶるのをお止めなさい」
「被害者ぶるのを」
「わたしは、あなたの家族を殺した帝国軍にあなたが復讐をするために力を貸したのではありません。そのような感情を持つ者に、どうして天使が力を貸しましょう。あの時のあなたには、本来、力を得るための資格はないに等しかった。私怨での諍いを誓った者に、何故天使が契約をすると思いますか?本来、そんなものは有り得ない」
「確かに、そうだ」
「それでも、あなたに力を与えたのは・・・先ほども言いましたが、もう少し具体的にはっきり言いましょう。いずれ、天使が介入しなければいけないほどの戦が下界を襲った時に・・・正しく我らの力を使ってくれる者として、あなたが選ばれたからです」
「そんなの・・・あたしじゃあなくたって・・・」
そう言ってみたものの、ソニアの言葉はそれ以上続かない。自分が口にしたそれが、ミザールが語ろうとしている内容に対して、何の力もないということが、ソニア自身もわかっているのだろう。
「わたしとあなたの契約は、フェンリルが聖剣ブリュンヒルドを下界に置き、人間にチャンスを与えたのと同じ・・・我らの力を下界にて正しく使ってくれるだろう者に、託しただけです。何も、あの時点でラシュディを倒して欲しいとか、帝国をうち滅ぼして欲しいとか、明確な目的をわたしはあなたには語っていなかったでしょう?」
「そりゃ・・・そうかもしれないが・・・」
「上級職へと引き上げる儀式は、下界であなただけが行えるというわけではない。正しき修行を行い、正しく祝福をされた者が執り行えるのですし。だから、その力があるからといって、それは勇者の証ではありません。タロットカードは、人の子であるあなたに対して、天使の力だけではなく下界の力が味方にあれば心強いと思い、権限を与えただけ。それらを身に付けたからといって、ブリュンヒルドでカオスゲートを開く権利を手に入れられるわけではないのです」
ミザールは、ソニアに言葉を出させる隙も与えず、言葉を続けた。
「それになにより・・・わたしがあなたとの契約を反故しても・・・あなたは、こうして選ばれた勇者として、人々を導き、自らがいる下界ばかりではなく天界をも救い、更にその役割を担っているではありませんか。それは、仕立て上げられたものではない。あなたが、あなたの意思で、そうしようとして、あなたを育てたのです。何を、いつまでも被害者ぶっているのか。泣き言を言っているのか。これほどまで力をつけた人間とは思えぬ繰言です。あなたは聡いというのに、それらの自覚がないとは、一方、あまりに愚鈍でどうしようもないのですね。まあ、それが人間らしさというものかもしれませんが」
「むう・・・」
唸るソニアは、何もそれへの反論などを出せなかった。
ミザールが彼女にようやくぶつけた言葉は、衝撃的であり、その一方、ソニアの心の中ではどこかしら「わかっていた」感も広がっていく。それに気づいた彼女は「わかっていたなら、何故、ここにあたしは来たのか」という疑問が次には湧きあがる。
自分の中での葛藤と戦いつつ、ソニアは唇を噛み締めた。
その様子を見たミザールは、一度ふっと瞳を閉じた。
彼女の表情は憐憫近いものだ、とランスロットは思う。
はかなげな風情の天使達が、更に何かを哀れむ時。
これほどまでに、心が痛む表情を見せるのか、と彼は驚いた。
そんな表情でありながら、ミザールが次に語った言葉達は、あまりに強く、そしてソニアにとって痛いものだった。
「あなたが、あなたの目的を達成するために、とわたしはあなたに道の始まりを示しました。傭兵を雇って、進みなさい、と。帝国を倒すという名目で仲間を作り、フェルナミアに行け、と。けれど、それは必ずしも、反乱軍リーダーとなって帝国に対する一大勢力になれ、ということではありませんでした。あなたが、示された道の先にあるものをあれこれ選びながら、自分の足で歩んできたのに。だというのに、いつまであなたは、仕組まれ、操られ、自分がたった一人だけの仕立て上げられた存在だと嘆いているのですか」
「あたしは一度だって、今みたいな、選ばれた、唯一の勇者なんていう存在になりたいと思ったわけじゃあない!」
「だから、それが繰言だと。人間はないものねだりをする生き物。非常に多くの人間たちが、現状の自分に満足するものはおらず、こうなりたかったわけではない、と繰言を繰り返す。あなたにとっては、それとこれは違う、ということかもしれませんが、わたしにとっては同じこと。しかも、あなたが今、様様なもの達から勇者と認識されていることに関しては、わたしは何一つの関与はしていません。今話した通り、あなたがそうなってしまったことは、わたしが仕組んだことでもなんでもない。わたしは、ただただ天使の力を正しく行使してくれる、下界での主をシャロームで待っていただけのこと。そして、それは、帝国を滅ぼすとされて追われ、逃げ続けていた人間の中のどれかだった、というだけのこと。ただそれだけです。それ以上、わたしがあなたに対して期待をしていたことも、あなたの運命を変えたことも、何もありやしません」



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モドル