空に還る-2-

休憩を挟んだ三度目の軍議も、早々に物別れに終わった。ソニアが、最後まで頑なに譲らない。ただそれだけのことだったが、それが最も手痛い話だ。
結局、これでは時間の無駄だ、とばかりに、ウォーレンが
「ソニアを除いた皆で、一度折衷案を考えた方が良いかもしれんな」
と、早いうちに提案をし、皆がそれに賛同をした。
それに対してソニアは「どういう案を出されようと、あたしは永久凍土に行くからな」と捨て台詞を吐く始末。
ここまで強固な姿勢を見せるソニアは、かなり珍しい。
「ミザールを、必ず生きたまま連れて来てくれるなら、ここまでは言わないが」
と添えたその一言は、ユーシスにとってはかなり残酷な言葉だ。
それは、「ミザールの命を奪うこともありえる」という、目を背けたいのだけれど確実にそこに存在する、濃厚な可能性を示唆するものだ。
まるで追い出されるような形で、ソニアはその軍議の場から離れることになった。ある意味、それは「もうちょっと頭を冷やして来い」というお達しなのだろう。
何かいいたげな表情でランスロットはソニアを見ていたが、結局彼はそれについて何も言わずじまいだった。
多分、ソニアと二人であれば、何かしらの言葉をかけていたのだろうが。

ソニアは仕方なく野営地に戻り、自分の天幕に向かった。
途中、新兵訓練をしている様子を覗き、ヘンドリクセンに「魔法の訓練をしているときに、気を散らさないでください」と苦笑いで言われてしまった。
その程度で気が散るなんて・・・と口うるさく言う気も起きず、悪かった悪かった、と心にもないことを言って誤魔化した。
まあ、経験が浅いウィザードに教えているのだろうから、ヘンドリクセンの主張は正しいと言えるのだが。
なんとなく浮かない表情のまま、ソニアは人々に声をかけられ、かけ返し、用意された天幕へゆっくりと戻っていった。
いつもならば、ああだこうだとすぐに誰かが天幕にやって来て、ゆっくりと休む暇もあまりない。が、今は、そうやって普段訪問する人間のほとんどが、軍議に参加をしている。
(あとは、来てもカノープスかガストン、テリーぐらいだな・・・)
とはいっても、カノープスはレイモンドと共に斥候に出ているはずで、今はこの野営地にはいない。
ソニアは土の上に敷かれた布の上に横たわり、ふう、と息をついた。ごつごつした石が布の下にいくらかあるが、それくらいどうということはない。固いな、と少しばかり思うだけで、別段不快になるほどのことではなかった。
自分のわがままはわかっている。
それでも、心が逸って、どうしようもない。
こんな心持ちでシャングリラへ行けと言われても、何一つ良いことなぞない気がする。
「一人で何もかもを背負う必要はなくなる、と言われてもな。あたしの過去は、あたしが一人で背負うものだ」
ぼそりと呟いて、溜息を一つついた。
皆は、反乱軍リーダーとしての責務をソニアに背負わせる。
が、それ以前にソニアは、自分であるためになさねばならないものを背負っている。
それは、どうしようもないくらい最悪のタイミングでソニアの身に降りかかり、こんなことになってしまったのだ。
(諦めればいいのか。ミザールを追求することを。あの時、まだまだあたしは阿呆で、ミザールに聞くべきことを、何ひとつ聞いていなかった。それに、あの時ミザールによって契約を結ばれたというのに、ミザールが堕天使になった今ですら、あたしはタロットカードを使うことも、兵士の昇格の儀を執り行うことも出来る。けれど、天使との契約は破棄された、とユーシスは言う。天使との契約は、どこからどの範囲で、そして、あたしは、何を天の父とやらから授かっているのか。ユーシスは、知らぬ存ぜぬで話にならないし・・・)
それから、どれほどの時間が過ぎただろうか。天幕の外のざわめきはいつもと変わらない。
こんなに長い時間、誰からも声がかからないことは久しぶりだ、とソニアはふと思った。
そして、そう感じるほどの時間、一人でじっと何もせず天幕にいることだってかなり珍しい。
普段ぽっかりと空いた時間は、兵士達の様子を見回ったり、剣の鍛練をしたりと何かしらしているはずなのに、どうも、今日はそういう気がおきない。
本当は、それではよくないのに。反乱軍リーダーとして、皆に姿を見せて、気をかけているふりだけでもしたかった。
そうだ、ふりだ。
いつだって、自分は「反乱軍リーダーであるために」皆の前に姿を見せている・・・ような気になってしまう。
それらのことが、自らが望んでいることなのかなんなのか、ソニアにはなんだかわからなくなってきてしまった。
と、そんなことを思っていると、突然天幕の外から声がかかった。
「ソニア様。いらっしゃいますか」
「・・・ああ、ゾックか。入っていいぞ」
「失礼いたします」
珍しい人物が来たものだ、とソニアは怪訝そうに眉をひそめながら体を起こした。
天幕の入口の布を軽く避けながら、サムライマスターであるゾックが姿を現した。
以前よりも少し伸びた銀髪をうなじの辺りで括っており、涼しげな目元にちらりと前髪が落ちている。
「どうした、珍しいな」
「はい」
生真面目にゾックはそう頷いて、ソニアの前に立った。
「座っていいぞ」
「はい。失礼いたします」
礼儀正しく一礼をして、ゾックは腰をおろした。
部隊長でもない人間がソニアの天幕を訪問するのは、かなり珍しいことと言える。しかも、相手は普段寡黙なゾックだ。これは一大事か、とソニアは身構えた。
「で?」
「先ほど、サラディン殿とランスロット殿からお聞きしました。ソニア様が、永久凍土に行き、ミザールと接触したいとお考えであるということを」
「は。なんで、そんなことゾックに」
「いえ、わたしはたまたまその場に居合わせて小耳に挟んだだけです。テリーさんとお話だったようで」
「ああ・・・テリーはああ見えて、なかなか曲者だからなぁ。ランスロットだけじゃなくて、サラディンまで、あの悪党にはぽろっと話してしまったか」
そう言ってソニアは声をあげて笑った。
明るい声だ、と思いつつゾックは苦笑いをして
「テリーさんは悪党ですか」
「悪党だね。穏やかで、優しくて、虫一匹殺さないように見える、大悪党だ。いい人ってだけじゃ務まらないこともテリーにやらせると、いい人のまま出来てしまう。食わせ者だ」
「なるほど」
「そんなとこが、大好きなんだけどね。ヘンドリクセンとは違う悪党だなぁ」
「ヘンドリクセンさんまで」
「うん」
ソニアはそう言ってにやにやと笑う。そこではあえて、ヘンドリクセンがどのような悪党なのかは言及せず、ソニアはゾックに話をふる。
「で?その話がどうしたって?」
ゾックがソニアの所にくるなぞあまりにも珍しいことで、それゆえ、重い話であることは既にソニアは承知をしていた。
が、それでも尚、ソニアに対するゾックの返事は、思いの他彼女の核心をつく予想外のものであった。
「ソニア様が永久凍土に行きたいのは、ミザールと会いたいのは、ミザールと契約を結んだ時のこと、あるいは、それにまつわることをミザールに問い正したいからですか」
ぴくりとソニアの眉が動く。
「たとえ、そうだとしても、その内容までは、あなたは他の人におっしゃらないのではないですか。だから、反対されているのではないでしょうか」
「ゾック」
「もし、わたしの推測が外れていたら、申し訳ありません。ただ、わたしは」
そういえば、とソニアは思い出す。
アンタリア大地で、ユーシスを帝国軍が施した封印から救ったとき。確かにあの時、ゾックとオーロラに同行してもらっていた。それは、ユーシスとの接触で「人に聞かれたくないこと」が話題に上るかもしれない、と考えて、口が堅い人間としてソニア自らがゾックを選んだのだ。
「ランスロット殿にすら内密にしたいとあなたがお思いだった事柄を、軍議では打ち明けるはずもないと思ったのです。そうであれば、ソニア様の意見は、多分通りますまい」
ソニアの表情は強張り、目を細めてゾックを見る。が、当のゾックは、どこまでも淡々と話している。
「なので、差し出がましいこととは思いましたが、わたしが、何かお力になれたらと思い、参りました」
「ゾック」
「余計なことであれば申し訳ございません。お叱りも覚悟で申し上げました」
ゾックは、ただ静かに、表情ひとつ変えずにそこまで言い切って、深々とソニアに頭を下げる。
本当ならば、ゾックがそのように個人的に心を動かされて、自分から何かをしようとするなど、かなりめずらしいことなのだ。ソニアだってそれがわからないわけではない。
彼は決して薄情な人間ではない。ただ、いつ何が起きてもすぐに力を誰かに貸せるように、常に「いつも通り」でいようと心がけているだけだ。
それは、時には転じて、深く人を思いやっているということにもなるのだとソニアは知っている。そういうやり方で力を尽くす人間なのだ。ゾックという男は。
ソニアはその彼の様子を見て、深いため息をつきながら首を後ろにゆっくりと倒し、天幕の天井を見た。
強いけれど、かなり使い込んで汚れている布が張られた、当たり前のようにソニアがいつも守ってもらっているこの天幕。
誰が、この天幕を設置してくれたんだろう。
いつも、いつも、ありがたい。
そう思えば。
みなのために自分が出来ることなぞ、本当はわかっている。
シャングリラに行くことが、最善策だ。
ソニアは瞳を閉じた。そして、開ける。
「ゾック」
「はい」
首を戻してゾックを真正面から見つめながら、ソニアははっきりと告げた。
「ありがとう。そんなに、色々考えてくれて」
「・・・いいえ・・・」
「あの時、ゾックやオーロラの前で冷静でいられなかったのは、あたしの落ち度だ。そのせいで、そんな風にゾックに気を回させてしまった。申し訳ないのはこちらの方だ」
「そんなことは・・・そんなことは、ありません」
「ゾックは、本当にいつもよくやってくれている」
そう言いつつ、ソニアはそっと視線を足元に落とした。まるで、呟くように、自分に言い聞かせるように、ゆっくりたどたどしく、言葉を探すように続ける。
「オハラの部隊に、ゾックを入れたことも、ゾックはよく自分自身の役割をわかってくれていた。アンタリアでユーシスに会ってあたしが苛立った時も、何も言わずにいてくれたし、その後も何ひとつ追及しないでいてくれた。それから、この前のアンタンジルでは、あの激戦で良く戦ってくれた。本当に感謝している」
「・・・いいえ」
「そういえば、以前、言葉の意味も教えてくれたこともあったな。ありがとう」
「ソニア様」
「ゾックのような優れた人材が、あたしのそんな私事で心を動かすなんて、本当に申し訳ない」
そう言って、ふー、とソニアは深く息をついた。
それから、もう一度。
「申し訳ない」
と言ってから、それきり口を閉ざした。
しばらくの間、その居心地の悪い沈黙の空間で、ゾックも静かにソニアを見ていた。その視線に、人の心を探るような不快な意志をソニアは感じない。ただただ、ゾックは静かに静かに待っているのだ。ソニアからの言葉を。
そもそもゾックは寡黙な人間だ。これほど多くを話すところを見た人間も少ないだろう。
彼は自分から我れ先にと自己主張をする人間ではない。ソニアには、多分まだ次に言葉があるのだと彼は思い、そして、それをいつものように待っているのだ。その言葉がなんであるのかを探ろうとはしない。ただ、時が来ることを待つ。その態度は、近しい誰かが見ていれば、「とてもゾックらしい」と評することだろう。ソニアもまた、そうだと思う。
だというのに、その沈黙を破ったのは、なんとゾックの方だった。
「ソニア様。わたしの、力が足りず・・・いえ、そもそも、足りると思っていたわけではありません。わたしの、思い上がりで・・・ソニア様のお心を煩わせてしまい、申し訳ありません。どうか、わたしからの申し入れ、何も聞かなかったことにしてください」
「ゾック?」
様様な葛藤の中、言葉を決めることも出来ずに悩んでいたソニアは、ゾックの言葉に驚いてまばたきをした。
「わたしのようなものが、あなたのお力になれるなどと、思い上がったこと、忘れてください」
そう言って、ゾックは深々と頭を下げる。
何を言っている、とソニアは言おうとしたが、その間すら与えられない。
ゾックはすっくと立ち上がり、更にソニアに対して一礼をした。それから、天幕を出ようとしたらしく、背を向けて歩き出す。慌ててソニアは声を荒げた。
「待て、ゾック!」
その制止の声に、ゾックは立ち止まりもせず、振り返りもしない。
思えば、彼がそのように感情的になり、ソニアからの、いや、他の誰からの声ですら無視する姿なぞ、そうそう見たことがある人間はないはずだ。が、もはやソニアはそう気付く心のゆとりもなく、荒っぽく呼びかけることが精一杯だ。
「そんなこと、言ってない。そういう意味じゃない。待て。間違えたまま行くな!」
「ソニア様?」
さすがに、ソニアからのそこまでの訴えを聞けば、ゾックの頭も冷えたようで、ぴたりと足を止めた。
恐る恐る−まったくもって、その表現がぴったり合うように−という態で、ゾックは振り返った。
ソニアは、何と告げればよいのか、と未だ自分の心の中にくすぶる気持ちと戦い続けているようで、すぐに言葉にすることが出来ず、ただ、またもゾックをみつめるだけだ。
そして、ゾックもまた、静かな視線でソニアを見つめている。その瞳は、熱を帯びていたけれど、それに気付ける人間はこの場にはいない。ソニアも、ゾック本人も。
「あたしは・・・」
寡黙な彼は、常に誰かに威圧的な態度を示すことはなく、必要以外のことはほとんど口には出さない。けれど、一度外側に吐き出された彼の言葉は常に強く、いつだって決して譲らない響きを伴っている。
その、言葉が少ない静かな様子の裏で、一体彼が何を感じて何を言いたいのか。そして、自分は、どこまでをゾックに言わなければ、彼に納得してもらえないのか。
それを量りかねて、ソニアは不安そうに、じっと彼をみつめ返すだけに留まる。
と、その時
「ソニア殿。こちらにおいでだろうか」
天幕の外から、耳に馴染んだ声が聞こえる。名乗らなくとも、聞き返さなくとも、二人共それが誰の声なのかすぐに理解した。
それは、ランスロットの声だ。
まだ話の途中であると知りながらも、ゾックは
「・・・ソニア様、失礼いたします。出すぎたこと、お許しくださいませ」
「あっ・・・」
彼は少しばかり口早にそう言うと、一礼をして天幕の入口の布をあげた。差し込む陽射しと共に、ランスロットの影が一瞬天幕の中にすうっと伸びる。その影に重なるようにゾックは出て行く。
彼の肩にさらりとかかったその布がぱさりと落ち、ゾックも影も同時に消えた。
その様子をソニアはまばたきもせずに見ていた。
天幕を出たゾックが、ランスロットになんらかの挨拶でもしているのだろう。一言二言交わす声がソニアの耳に届く。
今ならば、もう一度「ゾック待て」と声をかけて、話の続きを出来る。しかし、ソニアは、彼にどこまで何を自分が話そうとしていたのか、自分の心を覗いて正しく見切ることが出来ない。それでは、たとえゾックを引き戻したとしても、何の意味もない。
やがて、ランスロットがもう一度外から声をかけ、ゆっくりと天幕へ入ってきた。彼は、申し訳なさそうに眉を軽く寄せて、立ったままでまずは謝罪をした。
「すまない。もしかして、話しの最中だったのか。ゾックに悪いことをしてしまったかな・・・声が、あまり聞こえなかったもので」
「・・・いや、いい。話は終わっていた」
「そうなのか?」
ランスロットは意外そうな表情を見せてから、失礼する、と一言告げて、その場に腰をおろした。
ソニアは、ランスロットが来た用事が自分への説教ではないかと疑い、少し腰が引けているようだ。彼女のそのちょっとばかり心もとない表情を見て、ランスロットはまた小さく微笑む。
「報告に来た。そなたの首に鈴をつけ、その音を聞いてすぐに飛んで行く役割は、どうやらわたしらしい、とな」
「うん?」
何を言っているんだ、とソニアが言い返そうとすると、ランスロットは言葉をすぐに続けた。
「一緒に、永久凍土に行こう、ということだ」
「えっ」
あまりにも意外な言葉にソニアは驚いて、ランスロットをまじまじと見た。それは、早く続きを話せ、という視線だ。
「ただし、ミザールとの交渉は、攻め入ってどうこうするつもりはない。こちらから書状を出して、それに期限を決める。その間にミザールが交渉に応じてくれた場合のみ、そなたはミザールと会うことが出来るだろう。交渉決裂をしたら、その場でそなたは、シャングリラへの出撃部隊を率いて永久凍土を離れる」
「なっ・・・」
「これが、わたしが提案出来て、ウォーレン達をどうにか説得できる、ぎりぎりの線だった。力及ばず申し訳ない」
そう言って、ランスロットは頭を下げた。
その様子にソニアは驚いて、素直に質問をした。
「ランスロットは、反対だったんじゃないのか。あたしがミザールと」
「ああ、反対だ。そなたは、いつでも先頭に立って攻め込み、そこで交渉しようとするからな。それは、誰もが許せないことだろう。だから、そうならないようにと考えただけだ」
「そうか・・・その、本当は、使者を立てず危険を伴わずに済む形で、ミザールと交渉をする術があるんじゃないかと思っているのだけど」
「そうなのか。しかし、ユーシス殿は何も」
ランスロットは軽い驚きを見せる。
「でも、それは、出来るかも、しれない、というあたしの勝手な憶測だ」
ソニアはばつが悪そうな表情で、お伺いをたてるようにランスロットを見る。
苦々しげな表情で「どういう接触方法でも」とランスロットは呟いて、彼にしてはめずらしく、ソニアの前で溜息を深くついた。
「そなたもわかる通り、ミザールが交渉に応じてそなたと話し合いの場を持つ可能性は・・・とても、低い」
「だろうな」
それにソニアは頷いて、口をへの字に曲げた。
だから、本当は皆に止められても、ソニアは自ら先頭に立って、ミザールの元へと攻め込みたいと思っているのだ。
フィガロの元へ、デボネアの元へ、ガレスの元へと、今まで自分がそうしていたように。
それを許されなくなってきたことが何故なのかわかっている。
反乱軍の規模やトリスタンの存在、その他、多くの環境の変化が彼女の自由を奪う。
いや、自由ではなく、それは無謀さだったのだけれど。
今となっては、彼女自身の自制で彼女が足止めされることも少なくない。
「けれど、やるとやらないでは、そなたにとっても心の持ちようが違うだろうと思ってな。せめて、その機会をもうけようと一度でも動けば、ミザールが応じてくれなくとも、多少はその」
「・・・あー。うん。まあ、あれだな・・・あたしの我がままに、一度きりは付き合ってやってもいいか、とみんなが思ってくれたということか」
「てっとり早く言うと、そうなる」
そのランスロットの言葉に、ソニアは苦い顔をした。が、これ以上の自己主張は無理か、とさすがのソニアも観念したらしい。
「ありがとう、ランスロット。たとえ、自分がそうしたい、という理想的な形でなくとも、ランスロットが尽力してくれたことには礼を言う」
「いいや、これくらいは。我々は本当ならば、もっとそなたのわがままを聞き入れてもいいほど、そなたには恩義を感じているのだが。それでも、軍という集団の中にいることをわきまえなければいけないものだから」
「わかってる。トリスタン皇子の手前、あまりあたしがやりたい放題するわけにもいかないだろうしな」
そういうと、ソニアはふう、と軽く息をついた。
わかっている。
多分、ランスロットがどうにかウォーレン達に意見をしてくれなければ、決して自分は永久凍土に行くことは叶わなかっただろう。
過去の実績があるソニアだから「永久凍土とシャングリラ両方行く」という無謀な意見を、なんのてらいもなく言えたのだ。
これが、他の人間であれば、それは初めから物理的に無理な相談に決まっているし、一歩間違えば「シャングリラがゼノビアに落下する時期が迫っているというのに、それよりも重んじるものがあるというのか!」と人々の気持ちを逆撫で兼ねないとも。
「そうまでして、何故、ミザールと」
強い口調ではなかったが、ランスロットは当然の質問を投げかけてきた。
それへ、ソニアはちら、と視線を送るだけで、口を開かない。
答えてくれないかもしれない、という気持ちがランスロットの中に既にあることは、今まで共に長い時間を過ごしてきたソニアにはわかっている。
そして、そうだとわかっていながら、打ち明けて欲しい、と彼が願っていることも。
(そういえば、ゾックは一度も、何故ランスロット達に言いたくないのか、何を思っているのか、とあたしに問いかけはしなかった)
本当は、ソニアの方こそ、何故ゾックがそこまでソニアのことを考えて、彼の方から手を差し出してくれたのかを聞きたいほどだった。
「それに答えて、ランスロットが納得するしないで、何か変わるか?」
「・・・いや。知りたい、と思うわたしの身勝手だ。きっと、そなたの話を聞いても、わたしが出来うることはこれ以上ないだろうし、納得がいかない回答だからといって、永久凍土に行く話をなくすつもりもない・・・と、わたしは思っているが、本当はどうなのだろうな。それを知っているのは、そなただけだ」
「そう・・・だな」
ソニアは苦笑を見せた。
閉ざされた静かな空間で、ランスロットはソニアを見ていた。その視線が、なんだか痛い、とソニアは思う。
(期待されている、と思ってもいいのだろうか。あたしが、ランスロットに打ち明けることを)
それが、ただの興味本位でないことをソニアは願った。
「不安とか、恐れとか、色んな感情が、胸のうちにある。それは、多分、ランスロットも知っていると、思う。何度も何度も・・・あたしが、惑って、嫌がったり、許せなかったり、心が揺れる様を、見ていてくれただろうから」
切れ切れな言葉でソニアは続けた。
「ソニア」
ランスロットは、久しぶりに、敬称をつけずにソニアに呼びかけた。そのことで、彼が今どんな心持なのかを表しているのかは、ソニアには理解することは出来なかったけれど。
「生きていく上で、いつでも自分が思うことに回答を得ることが・・・難しいのだということは、わかっている。だけど、聞かずにいるには・・・知らないまま、今の自分自身でいることが、あまりに重いことや、どうにも出来ずに足がすくむことがある。時々、自分が自分であることが許せなくなる時すらある。それは、過去を悔やむとか、そういうことではなくて・・・あたしは何なのか、とか・・・この力は、どうなるのだろうか、とか・・・そういった、曖昧で、けれど、反乱軍リーダーとしてのあたしを、なんていうんだ・・・構成している部分への、恐れとか・・・ミザールが答えを知っているかどうかは定かではないけれど、会うことで、得られることが必ずあると信じている」
そこまで、とてもゆっくりとたどたどしく打ち明けるソニア。それは、本当に今の彼女がランスロットに伝えられる最大限のことで、そして、最大の努力をせずには言葉に出来なかったことなのだろう。
「ごめん。やっぱり、うまく言えない。だけど」
「ああ」
「ランスロットが、あたしに・・・手を差し出してくれていると信じて、思ったままのことを言った。勝手に信じたが、迷惑ならばそう言ってくれ」
ソニアはそう言ってランスロットから視線を外し、自嘲気味な笑みを浮かべた。ランスロットは一瞬瞳を細めてその様子を見て、何かを言おうと唇を半開きにしたまま、止まった。
それから、うまく言葉に出来ない気持ちをまるでかき消すように、一度だけ瞳を閉じ、唇を閉じ。
また、それから。
「迷惑などではない。そこまでのことを、口にしてくれてありがとう。そなたが、反乱軍リーダーとして生きる上で、得たいと思っている答えの欠片でも、ミザールが持っているということだな・・・それを、少しでも、手に出来ることをわたしも願おう」
ランスロットはそう言って、小さく頷いた。
視線を外していたソニアは、まるで悪いことをした子供のように、ランスロットの様子をうかがうようにちらりと見て
「・・・そう言ってもらえると・・・その・・・嬉しい。うまく言えなくて、具体的に言えなくて、ごめん。でも、これが」
「そなたの、精一杯の言葉を、確かにいただいた。ありがとう」
重ねてランスロットは礼をソニアに告げた。
礼を言われるようなことではない、とソニアは思ったけれど、それをわざわざ言葉にしようとは思えなかった。
ただ、「いや」と小さく答え、少しばかり物思いに沈む様子で唇を噛み締める。
ランスロットは、その物思いの表情に気付いているのか、気付いていないのか、言葉を続けた。
「そなたは、とても聡明で、理知的で・・・正しく、伝えようといつも努力をしてくれている。それは、わたしほどの年の人間でもとても難しいことだ。そういう人物だと知っているから、どれほどわがままを言われても、きっと納得出来る答えがそなたの中にはあるのだと、そう思っている」
その言葉に驚き、ソニアは目を見開いた。
聡明、理知的。
あまり、聞かない言葉だ。
しかも、ソニアに対する褒め言葉としては、特に。
「そうでもない」
少しばかり照れ臭そうにソニアは言った。
「いつも、もどかしいよ。伝えることは難しい」
「そうだな。本当に、難しい」
そう言って、ランスロットは苦笑をした。
何故かはわからないけれど。それは、多分、ランスロット自身に対するものなのだろう、とソニアは思った。


ソニアは、ランスロットにそのまま留まるように言い、天幕の外を通りがかった兵士に、ユーシスを呼ぶように頼んだ。
ほどなくしてやってきたユーシスは、既にソニアが何を話すのか、多少気構えているように見えた。その表情は、いつもに比べてかなり沈んでいる。
ユーシスにソニアが打診したミザールとの接触方法は、極めて期待値が低いものだった。
ただでさえ姉ミザールのことを思って胸を痛めているいまだ未熟な天使長は、ソニアの言葉に心を揺らし、表情を曇らせるしかない。

堕天使となっても、天使としての契約が継続されているのは、何故だ。

ソニアは真っ向から、まことにはっきりとユーシスに問いかけた。
その言葉に驚き、場を共にしているランスロットも、ちら、とソニアの横顔を伺う。
ソニアの視線は、強い。
それは、ユーシスに、天使の道理などでのらりくらりと話をごまかされては困るという、強い彼女の意思を反映しているようだ。
ラシュディとミザールの契約により、天使達はラシュディに力を貸すことになってしまった。
そして、ユーシスはソニアと契約を結び、反乱軍に力を貸すことになった。
天使達を殺し合わせたいわけではない、とソニアは言っていたが、その時点で既に「何故」という思いがくっきりと姿を見せていたわけだ。
「天の父とやらを裏切る形でキャターズアイを持ち出して。その堕天使と呼ばれている天使の契約が、未だ効力を持っているのは何故だ」
「それは・・・」
「堕天使であっても、天使は死ぬまで天使なのか」
「いいえ、そのような」
ユーシスは、悲しげに首を横に振る。
「天使長という立場でありながら、天使であることを放棄した、いえ、放棄以上に、重大他な罪を犯した姉が許されているのであれば」
「・・・」
「天の父の愛が深いことを我らは感じ入ることが出来ましょう。けれど」
ユーシスは瞳を伏せて、首を横にふった。それは、やたら人間めいた仕草だ、とランスロットは感じる。
「それでは、どんな罪を犯しても許されると。その慢心を招くこととなりましょう。ですから・・・わたしとしても、ソニアが言うように・・・いくらか、理解しかねる部分もあるのです」
言葉をゆっくりと選びながら、ユーシスは答えた。相変わらず彼女は透明感がある質感で存在しており、薄汚い天幕の中にいることがあまりにも似つかわしくない。
「ユーシスでも、か」
「はい。それは、わたしがまだ天使長としての能力がないからかもしれません」
「つまり、ユーシスも、よくわからない、と」
「はい」
「わからないなら、わからないなりに」
ソニアは、皮肉めいた笑みを浮かべる。それは、ユーシスを小馬鹿にしたためではないが、人によってはそうとってしまうかもしれない笑みだ。
「天使長として、同胞である天使であるミザールに、なんらかのコンタクトを取れるんじゃあないか。もし、ミザールがまだ、天の父とやらに見放されていなければ。違う?天使達がいつも、どうやって意思疎通してるかはわからないけど、何か方法があるんじゃあないのかな」
ユーシスは、またも静かに首を横に振ってうな垂れた。
「何度も、呼びかけを試みました。けれど、ミザールからの返事はありません。もはや、堕天使となった姉には、わたしの声は聞こえないのでしょう」
その力ない言葉を聞き、ソニアはランスロットをちらりと見た。
「どうだろう。ランスロットは、どう思う」
「わたしか?」
ランスロットは頓狂な声をあげ、いかにも、自分に話が回ってきたのは意外だ、と言いたげな表情を見せた。
「ううむ・・・・どうなのだろう」
「アッシュは、ラシュディとガレスの策略のため、無実の罪をきせられていた」
ソニアは、厳しい表情で、言葉を続けた。
「ゼノビアの王族殺しの罪だったらしいが、アッシュは無実を主張しなかった。自分が無罪であろうがなかろうが、王族を守れなかった事実は変わらない。アッシュは、許されたくなかったんじゃあないかと思う」
「ソニア殿」
「あたしは、アッシュにその時のことを聞かない。聞くべき人間はあたしではなく、多分トリスタン皇子なのだと思う」
そう言ってソニアは、ユーシスを見る。
「自分で罪を背負って、アッシュは釈明もせず、長い間牢獄の中にいた。真実を知る者がいようが、既に時が経ち、人々の記憶から彼のことが忘れられ、誰に責められなくとも。アッシュはアッシュ自身に自ら罪を課したが、ミザールはただただそそのかされたとはいえ、間違いない罪を能動的に犯している。罪に軽い重いがあるなら、立場的にも、やっちまった内容も、何もかもミザールの方が重いんだろうな」
「・・・はい」
「許されたいと、思うのかな。ミザールは」
「・・・」
空を飛ばない限り、あまり地上では動くことがない翼が揺れ、左右の翼が擦れて、ぱさりと音をたてた。
「ユーシスの声に応えて、会話を交わせるほど、ミザールは自分を許せるのかな」
「ソニア」
「多分、ただユーシスが問いかけるだけでは、ミザールは応じない・・・と、勝手にあたしは思うんだ」
そこでソニアは言葉を止めた。
外の喧騒の音がやたらと遠く感じるほど、天幕の中の沈黙は重かった。
ランスロットは、「静かな空気」というものが存在するのだ、とふと思う。
明らかに外で兵士達が動いている音が聞こえるのに、それにも関わらず「静かだ」と彼は感じている。
天幕の中心にいる赤毛の少女が、その静けさをもたらし、そして、自らその静寂を打ち破った。
「多分、ミザールは、あたしの名には応じると思う。妹であり天使であるユーシスには会えずとも、あたしには会えるんじゃないかな・・・いや、少なくとも、あたしのことだけを話す前提なら、ユーシスの声に返事をしてくれるかもしれないって・・・ちょっと、期待をしている。まあ、それ自体、可能性としてはとても低いとは思うけど」
「・・・わたしには、会えなくとも」
「それは」
あまり、言いたくないな、と口に出しそうな顔で、ソニアは眉を寄せた。
「ミザールが、とても人間的な天使だということなのか、それとも、天使らしい天使だということなのかはわからない。でも、多分そのどちらかを差すんだと思う。それを知っているのは、天の父とやらだ。多分ね」



←Previous  Next→


モドル