空に還る-3-

人々は、四六時中薪をくべて火を絶やさないようにしている。それほどまでに気温が低く、生活に大きな影響を及ぼしているのだ。
一歩建物の外へ出れば、強い風に吹かれる雪が人々の視界を奪い、目印なしに歩くことが叶わない日もある。
大きな魔力の発動によって影響を受けた土地。
狂ってしまった自然の理を直す術を持つ人間は、どこにもいるはずがない。
捻じ曲げられた自然は、まるで、捻じ曲げられたことへの怒りをぶつけるように、罪もない人々を苦しめている。
その怒りを止める術もなく、人々はただひたすらに天に祈り続けるだけだ。
あと10年20年と経ち、おおよそ100年もすれば「もともとそういう土地」であるように認識が塗り替えられてしまうことだろう。
ミザールが身を置く永久凍土は、そういう場所だ。
厳しい土地で政治を行うなど、もともと下界と縁がない彼女にとってはあまりにも難しいことだ。誰が、それを彼女に期待をするというのだろうか。いるはずもない。
管理を任されているとはいえ、民衆達が寄り集まって「ただ生きていくだけでありがたい」という意見で一致しているこの土地で、ミザールが何かを働きかけるような必要はない。いわば、名目だけといったところか。
そうであればいっそう、まるで、この地は流刑地のようだとミザールは思っていた。
そして、自分には、とても合っていると。
ラシュディに騙された阿呆な天使は、今でもこの地で、ラシュディを待ち続けている。
彼女のことをそう噂する人間がいることも、嫌というほどに知っていた。
その噂は、まあまあ正しい、と彼女は思う。
ラシュディを待ち続けているといえば、確かにそうかもしれない。自分は、待っているのだろう、と思う。
しかし、その待ち人は、きっと、こないこともまた、重々承知しているのだ。
窓の外に目を向けると、もう飽き飽きしたほどのいつも通りの雪。しかも、今日はやたらと険しさを見せている。
人々の足跡も、動物の足跡も、あっという間にかき消してしまう吹雪が渦巻いている。
どれほどのものが、その白さに覆い隠され、葬られてしまっているのだろう。
(けれど、罪は消えない)
罪は、目に見えるものではない。
形がないものは、雪によって隠されない。
それらが隠れるのは、長い長いときを経て、人の心から忘れられた時だけだろうか。
いいや、違う。
その罪を、自分だけは忘れない。
例え許されても、例え忘れられても。
それらはなくなることはなく、永久に目に見えない存在となって積み重なってゆく。
彼女が犯した罪という名のものが、彼女が吸い込む空気へと溶け込み、この下界に広がる。それを中和するものは、この世界には何一つ存在しない。
自らの罪を知る者は、作り出したその罪を日々体内に取り込み、蝕まれ、苦しみ続けるのだろう。
その苦しみに耐えられず、人々は許しを乞う。
許されれば、その苦しみは緩和するのだと錯覚をしているからだ。
許されても罪が消えないものだとミザールは知っている。
だから。
だから、彼女は、誰にも。
許して欲しいとは思ってはいなかった。いいや、むしろ許されたくなかった。
だというのに、天の父は、彼女を許している。
彼女の背の翼は未だに純白で、堕ちた天使が染まる暗黒の色には侵されていない。
それは、天の父が彼女を許しているしるしに他ならないのだろう。
とはいえ、それは罪を消すことにはならないし、罪が残る以上は、ミザールの心は蝕まれていく。
たとえば、キャターズアイをラシュディから取り戻したら。
それでも、罪は消えない。
償いなどというものは、罪を清算するためのものではない。
それに、悲しいことに。
彼女は、未だに、ラシュディを待ち続けている。愚かにも、それは否定が出来ない真実なのだ。
ああ、いっそのこと。
この翼が黒く染まれば。
あの男は嘲り笑いながらも、その胸に自分を引き寄せてくれるだろうに。
堕ちた哀れな天使を同士として、ペットのようなものとして、たわむれ程度には側に置くだろうに。
今の自分では、ただの役目を終えた、阿呆な用無しだ。
これほどの重罪を犯しながらそれを許す天の父を、あの男は鼻で笑い、ミザールの心を苦しめる。
だから。
いっそのこと。
本当に戻れない身になれば、いいのに。
ミザールは、床に身を投げ出して、うつ伏せになった。
冷え切った床。その冷たさが彼女の体に移って、体温をみるみるうちに奪っていく。
泣きたくなるほど凍えても、彼女は自分を痛めつけるように、その冷たさを受け入れようとしている。
誰かに、もっと痛めつけられれば良い。
そうしている間は、忘れられるのだし。
けれど、そんな彼女を決して許さぬように、またも、彼女の心を揺らす声が、脳の奥に響く。

姉さん。

姉さん。

冷たい床に倒れたまま、その声を掻き消そうとミザールはぎゅっと瞳を瞑る。
しかし、それは逆効果で。
視界が遮られればよりいっそう、自分の体の中で発生している刺激に対して敏感になってしまう。

姉さん。

姉さん。お願い。返事をして。

聞きたくない。
二度とまみえることはないと覚悟を決めた、妹の声なぞ。
ミザールは、かっと瞳を開け、美しく輝いている冷たく硬い床を見た。
何かで心を紛らわせて、この声に対して揺れる心をなかったことにしなければ。
ミザールは精一杯の抵抗で、自分の脳裏に届くその声を、自分の体の内から締め出そうと試みる。
消えなさい。
ユーシス。
あなたからの問いかけに答える権利は、今のわたしにあるはずがない。
そう自制すればするほどに、その声は響き。

姉さん。

話を、聞いて。

天界に戻ってきて欲しいっていう話ではないの。

ミザールはまばたきを一度した。
まるで、耳を澄ますように、彼女は集中をする。

反乱軍リーダーソニアが、姉さんに。

ソニア。
それは、聞いた名前だ。
ミザールは顔を歪めた。
そうだ。あの少女だ。
鬼のような形相で自分をにらみ付け、幽体である自分に剣で切りつけようと何度も何度も暴れた、あの少女。誰もが手に入れられないはずの大きな力や星の導きを得るために、どうにもならないくらいに、多くのものを失ってきた、あの少女だ。

シャロームの教会で会った天使と、話がしたいのだとおっしゃっています。

ああ、そうだ。間違いない。あの、赤毛の。
あの強い眼差しで、射抜かれるかもしれない、と思った。
いつの日か、あの少女がまた自分のもとに訪れるのではないかと思っていた。
けれど。
それは、こんな形での再会になるはずではなかった。
あの少女が天の力を欲し、下界の人間でありながら天の力をその手にする時に。
その時、自分は天使長として、天の父の意志を伝えるために、彼女と再会するはずだった。
なのに。
それとはまったく関係がない、こんな形で。
そうではないはずだった。
あれほどに無慈悲と思える運命の中で出会った、自分のことをあの少女は恨めしく思っているかもしれない。
その少女のもとに今いるユーシスは、どう扱われているだろうか。
いや、きっと。
あの少女は優しく、本当はとてもとても素直で、誰のことも嫌いになれないような心根の持ち主だ。
だから、きっと、自分との出会いで不審を持ったとしても、ユーシスが責められることはないのではないか。
(馬鹿なわたし)
こんなことになっても、妹の心配などをするとは。
ミザールは、歪んだ笑みを浮かべ、拳を握り締めた。
多分、誰かがそれを見れば、「天使がそのような表情を見せるなんて」と驚くに違いない。


永久凍土に赴く準備に多少手間取りはしたが、ようやく反乱軍は司令部の度重なる軍議を終え、進軍を開始することになった。とはいえ、全員分の装備を手配するには日数も資金も足りない。シャングリラに向かう予定になっている部隊分は装備を整えず、永久凍土に向かわせない方向で話が決定した。
ユーシスに、ミザールと接触を出来るようになんとかしてくれ、とソニアは頼み込み、何度か呼びかけを試みてもらうことになった。が、それに過度な期待が禁物であることは、ソニアもわかっている。
「ゾックは、どこだ?」
女性兵士達は昼食を作り、それを食べ終えてから出発しよう、と予定が決定していた。それまではおよそ二刻の時間を要すると推測されている。その頃ソニアはきょろきょろとゾックの姿を探していた。
ちょうど通りがかったキャスパーを捕まえて聞いてもわからないというし、トトに聞いてもわからないという。
そういえば、そもそもゾックという人間は、普段はあまり目立った行動をしないしな・・・ソニアは困ったように辺りを歩き回っていた。
進軍が決まってしまえば、出発までそうそうこれ以上彼女の手を煩わせることもない。
多少自分が天幕にいないからといって、問題もないだろう、と思い、呑気な様子だ。
「あっ、カノープス!」
「おう、どうした」
これは、いい人間に出会った、とばかりに、歩いていたカノープスのもとへ、ソニアは駆け寄った。
「ゾックをみかけなかったか」
「ゾックぅ?・・・あぁ、見た見た。見たぞ」
カノープスは、思い出したように連呼した。
「どこで?」
「えーっと、さっきハイネといて・・・そうそう、あれだ。ガストンとギルバルドと」
「ん?」
「魔獣の餌を運ぶのを手伝っていた。なにやら、ビーストテイマーの若手やら新兵の雑用係が、装備調達に借り出されてるからよ、人手があっち、足りてないみたいでな。あっちの、小さな林抜けた辺りだろ」
「そうか。ありがとう!」
「おう」
軽くカノープスに手をあげて、ソニアは笑った。それへ、カノープスも手をあげて笑顔を返す。正直、ソニアとゾックのことを「珍しい取り合わせだな」と思わなかったわけでもないが、反乱軍リーダーが、反乱軍の一兵に用があってもまったくそれは不思議ではない。

カノープスが言うように、魔獣が休んでいる場所にソニアが向かって歩いて行くと、林の中、そちらから歩いて来るガストンとゾックに出くわした。日中だというのに、木々に覆われて、なんだか陰気な感じがする林だ。
「ソニア様」
「まだ、餌を運ぶのか?」
どこから話が回っているのだろうか、といぶかしみながらガストンが
「いえ、今終わったところです」
と答える。
「じゃあ、ゾックは空いてるか」
ぞんざいにソニアは言う。その言い草にガストンは軽く吹き出して、ゾックをちらりと見ながら答えた。
「少なくとも、ギルバルドさんからのご依頼は終わりましたけど」
「何か、ご用命でしょうか」
「うん。ちょっと話が」
「天幕に行けばよろしいですか?」
「あ、いや、そこまで大したもんじゃないから、えっと、ここででも」
ガストンは、あまり落ち着かなさそうなソニアの素振りに気付いて、ゾックが手にしていた大きなバケツを−−それは、魔獣達の食糧が入っていたものだが−−横からひっぱった。
「持っていくから」
「あ・・・ありがとうございます。申し訳ありません」
「いいっていいって」
ガストンとて、つい先日ソニアにあれこれと時間を割いてもらい、彼女を相当に困らせたばかりだ。それを思えば、もしかしたらゾックも何か相談ごとがあって、それについてソニアが動いたのかもしれない・・・なんて風に想像が出来る。
そういうわけで、何一つ追求することもなく、ガストンは二人を置いて、本陣の方へと歩いて行った。
「えーと・・・」
ソニアは自分から声をかけたというのに、何から話そうかと少しばかり躊躇いの表情を見せる。
「その・・・遅くなっちゃったけど・・・この前は、ありがとう」
「何のことでしょうか」
「ゾックが、あたしの天幕に来てくれた時のことだ」
「・・・ああ」
ああ、と言ってはいるが、そのことだということは、とっくにゾックは知っていたに違いない。
なのに、わからない振りをするのは「なかったことにしたい」のか「どうでもいいこと」なのか、その辺りの感情のせいだろう。
ソニアには、それをそうそう明確に知るわけではないけれど「なんで、そんな態度なんだ」と心の中では少しばかり気に触った。
「ゾックからの申し出、とても嬉しかった。その、結局、永久凍土に行くことにはなったけれど・・・」
「そのようですね。杞憂でした。出すぎたことを申し上げて、ご無礼・・・」
「何言ってる。あたしの方から、ありがとう、って言ってるのに」
むくれた表情を見せて、ソニアはゾックの顔を見上げた。
「感謝されるほどのことではありませんから」
「・・・あの時、ゾックは勘違いしたまま出て行った。ゾックの申し出は・・・すごく、嬉しくて、ありがたくて、本当なら・・・甘えてしまいそうになって、自制することが、とても難しかった」
そういって、ソニアは一度目をそっとふせてから、再びゾックを見上げた。
静かに風が吹いて、ソニアの髪とゾックの髪を揺らし、林の木々の葉をも揺らす。
ゾックは返事もせず、ただ、ソニアの視線から目をそらすことなく彼女を見つめているだけだ。
それを、「続きを待たれているのか」とソニアは解釈をして、視線を外して言葉を続けた。
「つい、ゾックを巻き込んで、任務外のことを頼んで、ミザールと接触するためのお膳立てに協力してもらいたくなった。きっと、あの時頼めば・・・ゾックは力になってくれたんだろう?」
「・・・はい」
「でも、それじゃあ、駄目なんだ。そういう形で、あたしに関わることに個人的に誰も巻き込みたくないんだ・・・そう思っているのに、あんまりにもゾックからの言葉は、あたしにとっては魅惑的だった。頼みそうになった。ゾックは、何故あたしがここまでミザールに固執するのか、きっと何も聞かないで、助けてくれようとしたんだろう」
「ソニア様」
ソニアは、泣き笑いに似た表情をゾックに向けた。
「・・・本当は、誰にも、言いたくない。失望もされたくないし、期待もされたくないし、同情もいらない。ただ、あたしは、ただのあたしに戻りたくて、ミザールに会いたいんだ。あたしと天使との契約をミザールが反故したように・・・あの日の洗礼であたしが得たものは、本当は何なのか。それは、いつまで効力が続くものなのか。それをなかったことに出来るのか。聞きたいことはいっぱいある。もし、あたしが洗礼を受けていなければ、反乱軍は誰が率いていたのか。もう、それらがどうしようもない繰言だとはわかっている。わかっているけど知りたい。ただの人身御供だったあたしが、そうではない、唯一の人間として、唯一の力を得だしていることが。それは、あのミザールと交わした契約や、その時の洗礼で約束されたことだったのか。どこまでが、人として、元のあたしであっても出来ることで・・・どこからが、かりそめの力なのか・・・でも」
軽く肩をすくめて、ソニアは溜息を軽くついた。
「それを知って、心が負けてしまうと、反乱軍リーダーでいられなくなるかもしれない。多分、ウォーレンはそう考えるだろう。永久凍土行きだけも、とても強くウォーレンは反対していたんだけど、それは、ウォーレンがいっぱいいっぱいあたしのことを知っているっていう意味だ」
「ソニア様・・・」
「そんな、怖い賭けに、ゾックの手を借りるのも、申し訳ないと思えた」
「けれど、永久凍土にいかれることになったわけですよね」
「ああ。それは、多分ウォーレンが賭けに出たんだと思うよ。このままでいても、埒があかない、思った以上に今回のあたしは強情だ、とね。諦めたってのに近いかもね」
「ソニア様」
「うん」
「人生に、もしも、はありません。あなたが洗礼を受けていなければ、反乱軍を率いるものは、誰も現れなかったのではありませんか?誰が代わりに率いるなど、代替になりようはずがないでしょう。この25年間、誰一人その立場になりうる人間が輩出されなかったのですから・・・何故、そのようにお考えなのですか」
めずらしく、ゾックは自ら問い掛けてきた。
それは、とても彼らしくない、とソニアは思った。
常に彼は、彼自身をとても身分が低いものとして謙遜し、人の心を覗き見るような問いかけは、慎重に慎重に出来る限り避けて通ってきたはずだし、ソニアもそれは体感している。
だからこそ、この、一歩踏み込んだ彼の質問が、彼にとっても軽い問いかけではないことを感じる。
答えようか、どうしようか。
少しばかりソニアは惑ったが、彼の問いを作り出したきっかけは、自分の軽はずみな発言のせいだ。
それに、この話題を彼にもちかけてきたのは自分だから、都合の悪いことは言わない、というのもあまりに身勝手だとソニアは考えた。
きっと、これがランスロットならば。
言いたくない、今はまだ。
その言葉を無理矢理押し付けてしまっただろう。
そう思えば、それはどれほどランスロットに甘えているのかということがわかるのだろうが、ソニアには「人に言ってしまう」ことの方が甘えに思えているようだ。
「・・・あの日、ミザールは、あたしのことを選ばれた勇者だと言った」
小さく息を吐いて、思い出すように、また瞳を一度伏せてから続けた。
「シャロームに流れ着いたことで、あたしが選ばれたのだと。いくつもの星があり、いくつもの星が流れ、唯一残ったのがあたしだと言った」
「・・・!」
「それは、いくつもの候補者がいて、いくつもの命が失われたということだ。それを知りつつ、天使は誰も助けようともせず、ようやくシャロームに辿り着いた一人だけに、そのことを打ち明けた」
ソニアの言葉は少しずつ熱を帯び、声高に流れ出して行った。
「天の神とやらは、勇者になる者をふるいにかけたってことだ。あたしが運良く残った。でも、運が悪かったのは、他の星とやらだけじゃあない。あたしの家族も、あたしの村の人達も、みんなみんな死んだ。そんなあたしに、簡単に、選ばれた勇者、と、馬鹿げた名前で呼びやがった。選ばれて残った人間だけを、神とやらは祝福するのか?しかも、あたしは、そんなもんになりたかなかったのに!」
荒っぽい言葉は元来の彼女の生活や気質そのままのものだ。
「天使と人間の道理は違う。何もかも違う。何を聞いてもはぐらかされて。何を言っても、やつの心に響きやしなかった!あたしは、あたしが失ったみんなの仇を討つために、阿呆なことに、冷ややかにみんなを見捨てた天の神から力を得た。まったく、阿呆すぎる。それでも、そうしなければいられないほど、あたしは気が狂っていた。ミザールもそれを知っていて、あたしをそそのかして洗礼を受けさせ、契約を結んだんだ。余程、悪魔より天使の方がずる賢い!」
「ソニア様」
「でも、今なら・・・!」
ソニアは、自嘲気味に口元を歪めて、突然力なく肩を落とした。
何故、ゾックにこんな話をしているのだろう。
たった一言、「ふるいにかけていたらしい」と事実を述べればいいだけだったはずなのに。
そんな気持ちがふと過ぎったけれど、その答えは簡単明瞭で「もはや、止めることができない」からだ。
初めて人に向けて放った、彼女の心のうちが、箍がはずれたように急速に流れ出していく。
その相手がランスロット相手ではないことに内心驚きつつも、ソニアは言葉を続ける。
「ラシュディに対して愛情を持ったミザールは、人に近い感情を得ただろう。だから、今なら、天使の道理をとっぱらった話が出来るのだろうと・・・ユーシスに聞かせれば、多分、許してはもらえないだろうことを考えてしまった。あたしは、心が狭い。ミザールに対する同情だとか、色恋で狂った天使への憐れみだとか、そんなものより、そのことを利用しようと思ってるんだ」
「・・・」
「悪党は、あたしの方だ・・・あたしは・・・あたしが、自分だけが救われたくて、ミザールに会おうとしてるんだ!聞けないまま、答えを得られないままくすぶっていたことを、すべて、ミザールから答えをもらいたい。何故あたしが選ばれたのか。あたしじゃなくちゃ駄目なのか。目で見えない曖昧なものを、言葉で明確に処理してもらって、少しでも・・・」
そう言って、ソニアはうなだれた。
「操られるだけじゃなくて・・・一人の人間として、与えられた力を道具として、切り離して使えるように・・・仕組まれた力は、怖い。嫌だ。何を信じて勇者と呼ばれ、何を信じてブリュンヒルドをふるい、何を信じてタロットカードを使うのか・・・この力は、帝国を討ち滅ぼしたら、全て消えるのか・・・何もかも、明確にして欲しい。そうでなければ、時々、足がすくむ」
そうか、だから、誰にも言いたくないのか。
ゾックは眉根を寄せた。
反乱軍リーダーである立場を利用して、そして。
反乱軍リーダーではない、ただのソニアとして、今得ている力を放棄することは出来るのか、とか。
何故、自分が選ばれたのか、とか。
そんな問答をしたいと言っても、それを良いことだと思う人間がいるわけがない。
こんな大事な時期に、反乱軍リーダーである彼女が惑い、彼女の核となる部分を揺さぶる存在であるミザールに、きっと、誰も会わせたくないに違いない。
いや、そうではない。
会わせてやりたいが、そうするわけにはいかない、というのが本当のところだろう。
そして、それは反乱軍のため、だけではなく、むしろソニアのためになるかもしれない。
真実を知ることや、物事の道筋を知ることは、時には残酷すぎる結果をもたらすことになる。
こと、彼女のように、後天的な力を、努力ではなく他者から得た人間は。
そうだ。許さないのは愛情ゆえのことでもある。
ウォーレンやランスロットや。この反乱軍を立ち上げ、今日までの時間、ソニアと共に歩んできた者達は、彼女にどれだけののしられようと、彼女の意思に反しようと、常に彼女を守ろうとしている。そして、それは、彼女の永久凍土行きを阻もうという動きとなってもおかしくはないのだ。
ソニア自身、それを知らないわけがない。だからこそ、声高に、永久凍土に行きたい理由を皆には言えない。
言ったところで、それは何の切り札でもなく、むしろよろしくない方向に話を捻じ曲げることになってしまうのだろうし。
ゾックは少しばかり理解をして、目の前で肩を落とす小柄な少女を見つめた。
「ソニア様」
「すまない。どうしようもないことを、口に出した。こんな話がしたくて来たわけじゃなかったのに」
「いいえ、その・・・」
「忘れてくれ」
前髪をかきあげて、ソニアは視線を下に落としたまま、ぼそりと呟いた。
ようやく、我に返った、という様子で、声を荒げていた自分に気付いたのか、いたたまれないようにしゅんとしている。
「忘れたふりをしてくれ。そういうのは、得意だろう」
「・・・」
彼女は疲れた顔をしているな、とゾックは思う。
まだ幼さの残る顔立ちに浮かぶ疲労感は、もっと年を重ねた大人達が見せるそれに似ている。
ゾックは、溜息をひとつついた。

−−この力は、帝国を討ち滅ぼしたら、全て消えるのか−−

消えて欲しいと思っているのか、消えないで欲しいと思っているのか、ゾックは彼女に問おうとは思わなかった。
力が欲しいと願って手に入れたものならば、それが消えることを恐れても、誰がそれを責められよう。
また、一度手にいれた力を消して欲しいと思っているならば。そんな都合がいいことを、と誰がそれを責められよう。
どちらにしても、わかっていることはひとつだけ。
彼女の力をよりどころにして集まってくる人間が増えれば増えるほど、人ではないものの力が必要となり、それを手に入れることが出来るのが彼女だけだと言われれば言われるほど、彼女の不安は大きくなるのだろう。
そして、そんな先のことですら不安になっている目の前の少女を、人々は勇者と崇めている。
もちろん、それは、自分も。
「いいえ、忘れません」
ゾックは静かにそう告げた。
「何?」
「忘れません」
「忘れてくれ。覚えていられても、困る」
「お困りになることは、ないでしょう。わたしは、他言いたしません」
−−何を言ってる−−
ソニアはそう言いたそうに眉根を寄せた。
ゾックは、いつもと同じように落ち着いており、穏やかな口調でソニアに言い聞かせるように言った。
「ですから・・・あなたの、そのお気持ちを知っている人間がいることを、忘れないでください」
ゆっくりとした言葉ではあったが、少しばかり強く訴えかけるような声。その視線は、強く、そして、熱を帯びている。
−−こんなゾックは、知らない−−
直感がソニアにそう告げている。
ソニアはただただ驚き、言葉もなくゾックを見上げるだけだった。


トリスタンと共に打ち合わせをしていたランスロットのもとへ現れたユーシスの表情は、青ざめ強張っていた。
一目で、何かがあったとわかるような様子だ。
「ユーシス殿」
「・・・ソニアの天幕にいったのですが、留守だったので。こちらにいるのではないかと思い」
「ソニア殿がいない?」
「ミザールからの、いらえが、ありました」
切れ切れに伝えるユーシスの言葉を聞き、ランスロットはトリスタンと顔を見合わせた。
彼らは天幕外で立ち話をしていたため、周囲の兵士の動きをちらりと伺い、少しばかり気を使う。
「・・・それは、我らが聞いてもよいことなのかな・・・」
辺りに聞き耳を立てるものがいないとわかってから、トリスタンがいささか言いづらそうに、呟きに似た声音でユーシスに尋ねた。
ユーシスは軽く頷くと
「永久凍土に来いと・・・。ソニア自身がミザールのもとへ辿り着くこと以外、一切接触は不可能だと思え、と」
「なんてことだ」
トリスタンは大仰に両手をあげて見せた。傍らにいるランスロットも、苦々しい表情だ。
「自分を餌にして、反乱軍リーダーをおびき寄せようというわけかな」
「そう、ですね。ここでソニア殿を討つ事が出来れば、手柄になりますし」
男二人は、いささかデリカシーにかけるようにそう言った。
ユーシスからしてみれば、自分の姉が、ユーシスからの申し出の逆手をとって、自分の利益にしようと目論んでいる・・・そう考えられているという、屈辱にも思える発言を二人はしているのだ。
彼女は懇願するように、いつもよりも早口でそれへ反論した。
「いいえ、いいえ。姉は、そういうつもりで言ったわけではないと思います」
「では、何故」
「もしも、ソニアを捕獲しようだとか、倒そうと思っていれば、いくらでも他に用意周到に行えると思います。姉は、ソニアに、たった一人で来いとは言いませんでしたし」
「・・・それは、確かにそうだな」
トリスタンは怪訝そうな表情を見せた。
ユーシスが言うことはもっともなことだったし、もと天使長であるミザールがどれほどの力を持っているのかはわからないが、きっと「いくらでも用意周到に行える」ほどのなんらかの力を持っているのだろう。
ミザールが堕天使として、天使がもつ力をすべて失っているのであれば合点が行くが、実際はそうではない。
噂では彼女の翼は、堕天使がもつそれとは違い、未だ白く豊かなものであるらしいし。
そして、何より、妹ユーシスとの交信−−それは、天使同士でのみ行われるものだが−−が可能なことが、彼女が天使であることの証明だろう。
「何を考えているんだろうか、ミザールは」
「皇子、もしかすると、ミザールは本当は、我々のもとに来たいのではないでしょうか」
「うん?」
「しかし、それが叶わぬ状態であり、それを我々反乱軍に打破してもらいたいのでは」
「いいえ、それならば、そうとわたしに言えばすむ話ではありませんか。姉は、ソニアの名を出すまでは、まったく何一つ返事をしてくれませんでした。けれど、反乱軍が今ここにいて、永久凍土へ向かおうとしていることぐらいは姉もわかっていたようです」
「ほう」
ランスロットは軽く声をあげた。それはそれで、情報がどこまで伝わっているのかがわかる話で、興味深く思える。
「ですから、多分、姉は・・・ソニアに会って、ソニアの話を聞くつもりではあるのだと思います」
「ふむ・・・」
「けれど、決して、反乱軍に力を貸すというつもりではないのでしょうね。ソニアの名を出すまで無反応ということは。多分。姉が何故そのような気持ちになったのかは・・・二人の間でしか、わからないことではないかと思います」
悲しげにユーシスはそういってうな垂れた。
「あなたにも、わからないのかな。その・・・ミザールと、ソニアの間に何が」
「存じません。なにしろ、その当時のわたしなど、天使長ではありませんでしたし・・・ただわかることは、ミザールが個人的に動いたのではなく、天の父からの命を拝してソニアと接触したのだろうとういことだけ」
それ以上は、ユーシスは二人に何も言うことはないようだった。そして、二人もまた、ここであれこれユーシスに質問をしても、またウォーレン達に同じ質問を繰り返されるのだろうと思い、まずはソニアに伝えようということで意見が一致した。
「なんにせよ」
ランスロットは、気分がすぐれないように肩を落としているユーシスに優しく声をかけた。
「久しぶりに、お姉さんと言葉を交わした・・・といっていいのですか?声を、聞けて」
「ええ」
「それは、よかった」
口端を軽くあげて、ランスロットは微笑を浮かべた。
それへ、ユーシスは笑顔を返そうとしたけれど、どうにもそれが出来なかったようで、瞳を閉じて二度首を横にふる。
「ソニアの言うとおりでした」
「うん?」
「わたし個人の問いかけには応じてくれないミザールが、ソニアの名には応じた。それは、とてもわたしにとっては辛いことです」
「それでも」
「ええ」
「もう二度と会えないかもしれないと思う相手と、どういう形であれ言葉を交わせるということは・・・嬉しいものではないですか」
「・・・ええ、そうですね。確かに、そうです。それ以上のことは、わたしのわがままなのでしょうね」
そう答えてから、ユーシスはそのまま
「あなたにも、いらっしゃるのね。二度と会えない、会いたい人が」
と、続けた。
それこそ、先ほどの男二人の失言に近い、人によってはデリカシーがない、と言われかねない言葉だ。
しかし、ランスロットには、不思議とユーシスのそれは不快には思えなかった。それは、彼女が天使だからなのだろうか?
「もちろん、います。人間であれば、ある程度の年数を生きていれば、みな、一人や二人、そういった相手がいるでしょう」
「奥方かな」
トリスタンは、強く追求するつもりでもなく、さらりと話の流れでその言葉を口にした。
ランスロットは少しばかり困惑の笑みを浮かべ
「あまり、そういうことを言いたくはないのですが。一人は、妻ですね」
正直に答えた。
そういえば、アンタリア大地でトリスタンとその話をしていたな、と今更思い出す。
あまりランスロットは亡き妻について誰かに語ることがない。いや、そもそも、彼は自分の過去や細かい素性を、人に聞かれない限り、まったく自分からは話さないのだから、彼に妻がいたことを知るものも多くはないだろう。もちろん、「いてもおかしくない」と思っている人間が多いに違いないのだが。
「あれが最後ならば、もっと違うことを話せばよかった・・・と、そう思うのですが、それでは、何を話せば別れの覚悟が出来たのか、納得して別れられたのか、そんなことは何一つわかりはしません。それでも、ただ、もう一度、と思うこともありますね」
ユーシスはじっとランスロットを見つめた。
「つい、高望みをしてしまいました・・・ソニアと、あなた方のおかげで、姉と交信することが出来ました。それは、お礼を言わなければいけませんね」
それへはトリスタンが
「礼は、あれほどのわがままを意固地になって貫こうとしたソニアに言うべきだと思う」
と、笑って返した。
ランスロットもユーシスもそれへ笑顔を見せたけれど、それは実際に、笑ってもいいことなのかは誰一人わかりやしなかった。



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