空に還る-4-

寒い地方で力を発揮するプラチナドラゴンとフィボルグ。
さまざまな階級の天使達。
そして、申し訳程度のナイトやヴァルキリー。
極端な気候の土地では、本来斥候の情報収集は難しい。
にも関わらず、それらの情報が容易にわかったのは、帝国兵としてバルハラ城にやってきた援軍があまりにも少なく、人々の目から見ても心許ないほどの数だったからだ。
それは、ラシュディにとっては、この地はあまり多くの意味を今はもたず、反乱軍にゆだねてしまっても何も痛くはないからなのだろうか。では、何故ミザールをこの場に残したのだろうか。
考えれば考えるほど、溜息しか出ない、嫌な妄想ばかりが浮かび上がってくる。
「しかし、プラチナドラゴン達は厄介だな」
とソニアが呟けば、ランスロットがなかなか正しい言葉を返す。
「その辺りは、フェンリル様がよくよく戦い方をご存知だろう」
「確かに」
ソニアはあれこれと考えながら、ウィルクスランド砦の一室に主要な部隊長数名を集め、部隊編成を詰めていた。
みな、ぼろではあるが毛皮がついた上着を羽織り、暖炉の薪が足りているかどうかをちらちらと気にしている。
永久凍土に近付くにつれて反乱軍を襲う寒気は強く、一枚二枚と服を重ね、自分の体温で温まった空気を逃がさないようにと誰もが気遣っていたが、中にはやはり体調を崩すものも出てきてしまった。
旅慣れたアイーシャは、ヒーリングで治らない風邪などについても詳しく、プリースト達を集めて、体調を崩した兵士への対処法を教えていた。
また、その際にはノルンが「この辺りで手に入る、たった20数年でこの気候に順応してしまった薬草」を知っていることが判明し、大層助かったようだ。
それは、ありがたい反面、悲しい話だとソニアは呟いた。沈痛な面持ちでそれへ頷き返すノルンもまた、「本当に、悲しい話です」と繰り返すのだった。
そんなわけで、反乱軍はあれやこれやと問題が起きてはいたけれど、ありがたいことに、部隊長レベルの人間で体調を崩している者は誰もいなかった。それは非常に救いになっている。
リーダーであるソニアは少しばかり鼻水をすすっていたが――それだけでもかなり皆から心配されているのだが――毛皮の上着を羽織ったカノープスに対して「たまには服を着るんだな。文化的だぞ」と、にやにやと笑ってみせ、カノープスからひとつげんこつを貰うくらいは元気だ。
有翼人達は普通の上着を着ることは出来ないから、かなり変わった形の衣服を身にまとうことになっており、それを着ている本人達もあまりご機嫌が良いとはいえない。それをわかって茶化しているのだから、さすがのカノープスでも容赦がなかった。
シャングリラに進軍予定が決まっている一部の兵士達は、ウィルクスランド砦から出ることなく、いつでも永久凍土を離れて北西へと移動する用意が出来ている。まあ、永久凍土で出陣するにも、装備品が足りないのでそれは無謀というものなのだが。
「シャングリラは相変わらずか・・・」
椅子の背もたれに体重を預けて、少しばかり行儀が悪い恰好でソニアは呟いた。
リーダーの特権で、暖炉の前の席を用意されたが、「年寄りに譲る」とばかりにウォーレンとサラディンを素直に名指しした。
サラディンは笑って「25年間野ざらしで石になっていた身。今更この程度で風邪なぞひかぬ」と、彼にしては珍しくわけのわからない冗談を口にして辞退した。が、ウォーレンはトリスタンに勧めつつも自分も暖炉の近くの椅子に座り、火の恩恵に預かった。
気を利かせたノルンが、ハイネに手伝いを頼んで温かい飲み物を人数分運んでくれた。
ごつごつした陶器のコップは、熱いものをいれるには、少しばかり飲み口が厚過ぎて困る。
ふうふう、と冷ましつつ、みな火傷に気をつけながらそれで体を温めていた。
「先日決まったように、あたしは永久凍土でミザールとの話し合いを終えた後、すぐさまシャングリラに向かおうと思っている」
ソニアは飲み物で喉を湿らせると、カップを音を立てずにゆっくりと起き、本題に入った。
マラノと永久凍土を結ぶ直線上に、移動中のシャングリラが到達するまでにはソニアは離脱しなければいけない。
ゆるやかに移動しているシャングリラは、北西から南下している途中だ。あまりにそれはゆるやかな動きではあったが、初めに「動いている」と情報を得た時よりは、かなり移動速度があがっている。このまま加速してゆけば、最終的には人の足では追いつかない速度でゼノビアに向かうことになってしまうだろう。そしてまた、移動速度とは相反して、高度は落ちてきているのだ。
出来る限りシャングリラが帝国領寄りの状態で攻め入りたい、というソニア達の気持ちに応じたのか、そろそろ、攻め入ることが可能な高度になると予測されていた。それは、空を飛ぶ魔獣達で届くのではないかと思われる高度だ。
「永久凍土では、残務をすべて任せることになるから、そちらはトリスタン皇子が指揮をとってください」
「ああ。承知しているよ」
「それとは別に、多少進軍に加わって欲しいのですが」
「多少どころではなく。普通の兵士と同じように扱って欲しいものだ」
それが難しいと知っているくせに、とソニアは軽く唇を尖らせて、トリスタンに不満の表情を見せた。それへ、トリスタンは軽く笑い声をあげ「悪い」と冗談めかして肩をすくませる。大分ソニアも、このひとくせある皇子に慣れたようだ。
「で、皇子の部隊は・・・と」
ゼノビア人ばかりをトリスタンの周囲に集めるのは、あまりにあからさますぎる。
この場に全員が集まる前に、既にそうウォーレンは判断してソニアに進言していたし、ソニアもそれには同意をした。
「とりあえず、ランスロットはトリスタン皇子の部隊に入ってもらうとして」
ソニアのその言葉に、ぴくりとランスロットもトリスタンも反応をする。が、どちらもそれに対して何も言わず、ソニアの次の言葉を待つだけだ。
「ギルバルドに、来て貰っていいかな。あたしの部隊に。空を飛ぶ魔獣と一緒に。そして、そのままシャングリラにも」
それへは驚いたようにギルバルドが異を唱えた。
「永久凍土で空を飛ぶ魔獣は」
「わかってる。寒さにあまり強くないし、吹雪の日は厳しい。寒さだけで言えば、余程ケルベロス達の方が毛皮の分温かいだろうさ」
「ならば。それに、シャングリラ侵攻までに力を温存せねば」
「だから、1頭だけ」
「しかし」
「空を飛ぶ魔獣で移動をするのが、一番てっとり早いのは間違いない。だから、ギルバルドだ」
それは、この極寒の地で空飛ぶ魔獣を操るのは、ガストン以下のビーストマスター、ビーストテイマーでは荷が重すぎるという意味だ。そこまで考えていたのであれば、間違いなくソニアはこの意見を引かないだろう、とギルバルドは思った。
「ワイバーン達は無理だな。コカトリスを出すしかないな」
誰もまだ賛同をしていないけれど、ソニアはそう言った。ギルバルドはそれ以上何も言わずに黙り、結果、それは彼が受け入れたと判断されることになった。
「それから、アイーシャは皇子の部隊だ」
それへは皆もすぐさま賛同をする。
「ノルンとラウニィーはシャングリラに共に行ってもらうし・・・しかし、帝国の人間ばかりと言われても困るからな。サラディンとアッシュもシャングリラ隊だ。この前、決めた通りに」
「承知している」
アッシュは力強く頷いた。サラディンもまた、彼にしては珍しい言葉で返事をする。
「御意」
「ユーシスは皇子の部隊に行ってくれ。ゼノビア皇子と天使の組み合わせとは、なかなかハクがつく。ミザールと話し合いの場を持つ以上は、ユーシスはあたしと一緒に行かない方が良い」
ソニアはそういうと、口を閉ざし、ランスロットに視線を移した。
あとの部隊編成は任せた。そういう意味だ。
ソニアは、もこもこの毛皮を裏地に使った、襟が高く、着丈が腰の下あたりまでの上着を着ていた。もともと小柄なソニアが、厚手の服を着るとむくむくしつつもいっそう小さく見える。
「それと、あちこちにまよいこんでいる天使がいるという噂もある。ラシュディとの契約のせいでミザール側についている天使ではなく、多分、ミザールをおいかけてユーシスと共に降りてきた天使だろう。ユーシス、そういう天使達と、ミザールとやったように念話は出来ないのか?」
「残念ながら、天使長とはいえ、位置も絞りきれず、位が低い、個体の認識をしていない天使との交信は難しいです。天使全員への交信など、特別な時は天の父からの許しを得て行うものですから」
「そうか。それが出来れば、反乱軍に入らないまでも、一度こちらに合流してもらって、ユーシスがその天使達をみな連れて帰れば良いと思ったし・・・何かの手違いで、ミザール側につくことも防げると思ったが」
「そこまで・・・ソニア、そこまで考えてくださって、ありがとうございます」
「いや。たいしたことじゃない」
そういって、ソニアは、首を覆う高い襟に、顔を突っ込むように首をすくめた。

ユーシスは、ウィルクスランド砦の外に出て、冷気にさらされていた。
天使は、寒さ暑さを感じないわけではない。ただ、必要に応じて、自分の体の周りに薄いバリアのようなものを張って、己にとって快適な環境を維持することが出来る。
それゆえ、ユーシスはいつも通りの薄着なのだが、彼女が感じなくとも見ている周囲は、あまりに寒そうな装備に、ぶるりと自分の身を震わせてしまう。
永久凍土の地面は雪に覆われ、空はどんよりと暗く、まるで押しつぶされるように思える。夜に雪が降れば、翌朝はすぐさま雪かきをすることになるだろう。
誰の足跡もついていない雪に、そっと片足を乗せると、ずずっと深く沈んでいってしまう。


姉さん。


ユーシスは、雪に足を突っ込んだ状態で、ぴくりとも動かずに、空に向かって念話の呼びかけを放った。
あれきり、何度ミザールに念話を送っても、ミザールからのいらえはない。

一体、シャロームの教会で、ソニアとどのような。

天界に戻れ、だとか、償ってくれ、だとか。
そんな言葉は念話で一言も送っていない。
ただ、ユーシスは、ソニアとミザールの間に何が起きていたのかを知りたいと、心から思ったのだ。
もしも、ミザールから返信が来るとすれば

「天使長としての務めを、他の者にあれこれ口を滑らせるわけにはいかない」

などと、確かに当たり前の言葉が来るに違いない。
いや、むしろ、そう返信してくるほうが、いっそのことお互いが楽になるに違いないのに。
それでも、ミザールからの反応はない。
悲しげにうなだれるミザールの背後に、さくさくと雪を踏みしめる音が近付いてきた。
「OH!ユーシスサン!何をお一人でお悩みなのデスカー?」
「赤炎のスルスト」
「美しい顔が曇っては、台無しデース」
天空の三騎士の一人、スルストだ。
ユーシスはそっと彼を振り返ると、自嘲気味の表情を見せて、再び空を見上げた。
どんよりと曇った空は、どれだけ永久凍土の人間が祈ろうと、雪を溶かすほどの日差しを与えてはくれない。
それは、まるで、自分に対して決して返答をしてくれない、姉ミザールの、閉ざされた心を象徴しているかのようにすら思える。
「姉さんへと、また、語りかけていたの」
「OH!ミザールサンへ、デスカ〜」
「ええ。でも、返事はひとつもないわ」
「それは残念デスネ〜」
そこで、会話が途切れた。
ユーシスは特にスルストに何を話すわけでもなかったし、ふらふらとやってきたスルストも、それきり黙る。
ひゅう、と風が吹き、痛いほどの寒風が彼らを襲う。
スルストは、その冷たさに顔をしかめ、手で耳を覆った。
「ユーシスサン、あの、ですネェ」
やがて、呑気な調子でスルストから会話を切り出した。ユーシスは返事をせず、スルストをちらりと見るだけだ。
「ミザールサンは、きっと、返事をしてくれないと思いマスヨ」
「・・・どうして、そう思うのですか」
「けれど、それはユーシスサンを愛していないからではないと思うんデス」
スルストは、ユーシスの問いかけに対する正しい返事をしなかった。
「何故、まだミザールサンとラシュディの契約は有効なんデスカ?」
「それは・・・天の父が、姉をいまだ、堕天使と認めていないからでは」
「ということは、デスヨ?」
声音は呑気ではあるが、スルストが言おうとしている言葉が、何かとても重大なものだという予感がして、ユーシスは身構えた。
「ミザールサンが、天界にこのまま戻れるとしたら、ラシュディとの契約はどうなるんデショネ?」
「それは・・・ソニアとの契約を反故にしたように、ラシュディとの契約も」
「なんでもかんでも、簡単に反故に出来るんデスカ?そんなことばっかりでは、ダーレも天使となんか、契約しなくなりマース」
「それは・・・!!」
ユーシスは、少しだけ考えて、それから驚きの表情をスルストに見せた。
そこまで思い当たらなかったのは、ユーシスが天使長としてまだまだ未熟なゆえだろう。
「ひとつの契約を反故にした場合・・・それは、ペナルティが課されて・・・」
「デスヨネ?」
スルストはそう言うと、くるりとユーシスに背を向け、砦に戻って行こうとした。ユーシスは、それを止めるために、声をかけようかと一瞬思った。けれども。
(ああ・・・!)
声が出ない。
本当は、そんな大事なことを教えてくれたスルストを引き止め、礼を言わなければいけないところなのに。
それどころではない。
(一種の刑罰が課されて。一定期間、何が起きようと反故が出来ない状態になる。そこまで知っていて、ラシュディは・・・)
狡猾に陥れられた自分の姉を思い、ユーシスは唇を噛み締めた。
余程のことがなければ天使が感じることがない、憤りに似た感情。
それに囚われそうになった自分にはっと気付き、ユーシスは自らの体を両腕で抱いた。
スルストは既に砦に戻ってしまったようで、姿は完全に見えない。
(それでもいい・・・それでもいいの。姉さん。たとえ、契約が反故できず、そのまま有効になっていようが、あなたが天界に戻ってきてくれれば、まだなんとでもやりようがある。姉さんほどの力がある天使なぞ、いやしないのですもの。わたしのような、ジハドすら行使出来ぬ者が天使長を務めるなんて、そんな馬鹿げた話は・・・)
ユーシスは、冷たい風が吹く中、バルハラ城の方向を向いたままで、再びミザールに呼びかけるのだった。


どうも、ソニアの様子がおかしい。
ランスロットはそれに気付いてはいた。
しかし、だからといって、ソニアに対してどう問えばよいのか、彼には思いつかなかった。
いや、そもそも、それは問わなければいけないことなのだろうか?それすら彼にはわからない。
なんとなく。
ただ、なんとなく、避けられている気がする。
編成を終え、各部隊長に伝達を終えたランスロットは、あてがわれた砦の一室で、ベッドに腰をかけて小さく溜息をついた。
暖炉に火を入れたばかりで、室内だというのに空気が肌に突き刺さるようだ。彼の息は吐き出すたびに、彼の体温、呼吸の温もりを、その白さで主張をする。
まばたきを止め、彼は床を見つめていた。いいや、正確には、視線の方向は床を向いているが、その焦点は定まっていない。
記憶の底に残る、あの少女の声を、彼は何度も掘り返して、震えるはずのない鼓膜を震わすかのように、脳内で繰り返し聞いていた。


正直いって・・・ランスロットに一緒に来てもらって嬉しい

ランスロット、あたしと・・・いや、なんでもない

ランスロット、一緒に来てくれるか


今まで、この反乱軍で幾度となく繰り返された、ソニアからの要望の声。
それにいつでも応えたくて、けれど、応えることが叶わないときもあって。
いつしか、「言っても無駄だ」とわかる時は、ソニアは決してランスロットを呼ばなくなった。
特に、トリスタンが軍に加入してからは。
それは、ソニア自身がそうであろうと意識をしているからかもしれない。
ありがたいと思う反面それは、少しばかりランスロットを寂しい気持ちにもさせていた。
それでも、自分は確かにゼノビアの騎士で、トリスタンに仕えることがとても当たり前で。
かつ、反乱軍の一員であれば、ソニアの命令に従うことも、なんらおかしいことはなくて。
だから、ソニアに言われれば、トリスタンの部隊に参入することも何一つ不自然ではない。
なのに、なんだろう、この胸騒ぎに似ている、ざわついた気持ちの動きは。

とりあえず、ランスロットは。

あの少女は、まったくランスロットに確認もせず、さもそれが当たり前のように言ってのけていた。
そういう時も、確かにある。特に、トリスタンが軍に参入してからは、その「そういう時」は増えたことは確かだ。

――確かにあるけれど。

ランスロットがトリスタンの部隊に参入するということは、ランスロットはシャングリラへは行けないということだ。
ソニアとミザールをどうにか会わせられないか、とソニアの願いに対して自分は妥協案を出し、多少は皆を説き伏せるのに役立ったと思っている。
なのに、その場に自分が行くことは出来ないのか。
それがいささかランスロットには不満に思える。
そして、彼は自分自身のその不満にふと気付いて、あまりの己の滑稽さに深く溜息をつき、心から嘆いた。
なんと愚かな。
自分に何の権利があって、彼女の過去を知ろうと、彼女とミザールのやりとりを聞こうと思っているのだ。
それは、ただの興味本位ではないか。
彼は自分自身に呆れ、まったくもって愛想をつかしそうになった。
もしかしたら。
ソニアの傍らにいることを許されず、共に行くことを命じられなかったから、「ソニアの様子がおかしい」などと物言いをつけたくなっているのだろうか。
・・・と、そこまで考えてから、ランスロットはぐるりと首を回した。
体中の関節をゆっくりと回す。
寒さで強張る筋肉がひっぱられ、縮み、やわらかくなってゆく。
脳の回転までも固まってしまってはな、と心の内で呟いて、ランスロットは道具袋に手をのばし、中身の再確認にいそしんだ。
彼は、自分が今なさねばならぬことに、精一杯努めなければいけないと思っている。
それは決して間違いではない。彼は十分に大人であるし、己の立場をわきまえている。
けれども。
そうやって「なかったこと」にすることは逃げであり、大人だからやってしまう、よくないやり口だ。
わかっている。
わかっているけれど。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
冷たい空気を振るわせる音は、殊更によく室内に響くように思える。
「誰だ」
「お休みのところ申し訳ございません。オハラです」
「オハラ?」
プリンセスであるオハラが直接ランスロットのもとに来ることなぞ、それはまた、珍しいことだ。
ランスロットは眉根を寄せて、ぎしりと音を立ててベッドから立ち上がり、ドアに向かった。ドアを開けると、温かそうなケープを肩に羽織って、内側に何重も布を重ねた分厚いブーツを履いているオハラがいた。
「何かな」
「先ほど、ランスロット様から、わたしの部隊はシャングリラへ、と言われましたが」
「ああ」
「今さっき、ソニア様がいらっしゃって、やはりわたしの部隊はシャングリラに行かなくとも良いと」
「・・・何?」
どういうことだ、とランスロットは怪訝な表情になる。
オハラはプリンセスの称号を持ち、特殊な能力でいまや反乱軍の主力の一角となる部隊を率いている。
シャングリラへ行く部隊にオハラ隊をランスロットが入れたのは、誰もが納得するだろうことだった。
それを、ランスロットに何の相談もなしに、事後承諾で変更したというのか。
「中に入るといい。その、まだ室内も暖かくはないが、外よりは」
「ありがとうございます」
オハラは深深と頭をさげ、そうっとドアを閉めた。室内には椅子などがまったくないため、二人は暖炉の前で立ち話をすることとなった。さすがに女性に「そこに座りなさい」とベッドの縁を指差すことなぞ、出来るはずがない。
「ですが、そうなれば、どの部隊と交換されるのかを聞きそびれてしまいまして。シャングリラに行かないということになれば、バルハラ城へ攻め入るグループに入るのでしょうから・・・そのむねを、部隊の人間に伝えたのですけれど、そこでちょっと困ってしまって。その、今日、テリーさんは夜番になっていらっしゃるので、今から仮眠をとるところらしいのです。それは、そのままとってもらっても問題はないのでしょうか。バルハラ城に攻め入る皆様は、どのようなご予定になっているのか、把握できてなくて」
「君の部隊ということは・・・テリーと、ゾックと、ゴーレムか。予定については、ソニア殿から何か指示がなかったのか」
「はい。それで、お伺いしようと思ったのですが、お姿が見えなかったので、途方にくれてランスロット様のもとへ」
「そうか」
やはり、ソニアはおかしい。
ランスロットは確信をした。
彼女がそこまで中途半端な指示を出すとは、普段では考えられない。
となると、考えられるのは、ソニアはやはり様子がおかしいということだ。、しかも、オハラ隊のことは、まるで思いつきで突然決めたような匂いすらする。
少しばかりランスロットは考えて、そして、「とりあえず」と前置きをした。
「テリーには仮眠に入ってもらって構わない。予定では、明日の午前中に出発することになっているのだが、それは限られた部隊が様子見に動くだけだ。であれば、夜番を勤めてもらった後に、早朝から寝てもらって問題もないはずだ」
「そうですか。では、そのことをテリーさんにお伝えいたしますね」
オハラはほっとした表情を見せた。
「申し訳ありません。わたしが、その、ソニア様に、もっと詳しく聞いていれば・・・気が利かなくて・・・」
「いいや、そういうことではないと思う」
それへは、ランスロットは苦笑を返すしかなかった。
オハラはもう一度深深と頭を下げ、礼を言って部屋を出て行った。
急いでテリーのところに行くのだろう。
ぱたん、と閉まるドアを見届けてから、ランスロットは少しばかり考え込んだ。
待っていればきっとソニアは「おーい、ランスロット、ちょっと」とでも声をかけにきて、ことの次第を話すに違いない。
しかし、それをここでじっと待っていることが、今のランスロットには苦痛にすら思える。
「くそ」
彼にしてはめずらしい、汚い言葉を呟くと、律儀に暖炉の火を消して、部屋から出て行った。


ノルンは以前、自分の恋人である、帝国の四天王の一人クァス・デボネアの仇討ちのため、ディアスポラで反乱軍を迎え討とうとした。
実のところ、ソニア達はデボネアを殺してはおらず、真実を確かめるためにハイランドのエンドラのもとへと向かったはずだった。
それを知ることなく、デボネアを失ったと信じたノルンは、法皇という立場にありながら生きることに絶望をし、戦に身を投じたのだ。
「ノルンは、わかるか。ミザールの気持ちが」
少しばかり広い、物資を置いてある部屋でプリースト達にあれこれ指示をしていたノルンは、ソニアに声をかけられ、突然そんなことを言われた。戸惑いの表情を見せつつも、ソニアの言葉を正しく理解しようと、ノルンは確認をする。
「それは、天の父を裏切ってしまうほどの、過剰な傾倒を見せた愛情のことでしょうか。それとも、ユーシス様の声にすら声を返さず、頑なに堕天使の道を選んでいることでしょうか」
「ううむ。どれもこれも、だ」
ノルンは少しばかり考えるように、眉根をひそめた。
「なかなか、それは難しい質問をいただいてしまいましたね」
固い話をしている時と同じ表情で、ノルンはソニアに言葉を返した。
いつもは、美しく光を放つ金髪―それは、僧侶らしく髪を結っていてもわかるほどで―に女性らしい表情を見せるノルンだが、一度「仕事モード」に入ると、彼女の表情は凛々しく変化し、その瞳に宿る力はいっそう強くなる。今が、その状態だとソニアはすぐに気付いた。そして、ノルンがその表情になるということは、とても深く考えてくれているということだ。
「わたくしは、エンドラ様に対して、何ひとつ疑うことなく信じておりました。今でも、帝国の有り様は、エンドラ様のせいではなく、エンドラ様を狂わせてしまった黒幕ラシュディの悪意がすべての元凶だと思っております」
「・・・うん」
何を話し出すのか、と少々ソニアはうろんげにノルンを見る。
「わたくしは、エンドラ様より、法皇の位を剥奪され、ディアスポラへと左遷させられました。けれども、わたくしの信念はまだ枯れることなく、どうにかして中央に戻り、帝国の狂った歯車を直したいと思っておりました」
その部屋は人の出入りが激しいため、ドアは開け放たれている。それゆえに、火がついていてもあまり温かくはない。ぶるり、とノルンは軽く身を震わせ、首周りで少し緩んでしまっていた襟巻きを巻き直す。
「なのに。ソニア様。わたくしは」
「・・・」
「クァスが・・・デボネアが、反乱軍に討たれたと聞いたその日に、それらの思いを越える感情に囚われてしまったのです」
「・・・仇討ちか」
「それもあります。けれど、それよりも深い、二度とあの人に会えないという絶望と・・・それにより、もう二度と、帝国は正しき道に戻ることは出来ないのではないかという感情が強まり、すべての努力を放棄してしまいました」
そう言って、ノルンは軽く首を左右に振る。
その当時の自分を思い出して、彼女は恥じているのだろう。
「心から、愛する唯一の者を失ったと思った時、世界はぐるりと回ったようで、自分が立っているこの地面や、自分が吸い込んでいる空気や、何もかもが色を失いました。あの頃ののわたくしが、もう一度あんな気持ちを味わうのであれば、もしかすれば」
「うん」
「ミザールのように、罪を犯すかもしれません」
「ノルン」
「今は、大丈夫だと自分で思っていますけれど。どんなに色を失ったと思っていた世界でも、あなたのように、またわたくしの人生を揺り動かす人間と出会えるのだと知りましたから」
ノルンはわずかに頬を紅潮させた。
「その、話は大分遠回りになってしまいましたが」
「そのようだ」
「一時は法皇の地位にのぼりつめたわたくしではありますが、一人の男の死にそこまで心を乱され、絶望を知りました。人々の信仰を引き受け、生きるための道を示すはずの法皇たるものが、この世に生きる意味を失ってしまったのです。人間と天使は違えども、同じようにミザールが、一人の男の望みをかなえようと心を乱されても、おかしくはないと思えるのです」
「そういうものか」
ソニアは、すん、と鼻を鳴らした。それから、ず、ず、と鼻水をすすり、ばつが悪そうな表情でノルンを見た。
「ごめん。ちょっとばかり、下品だな」
「いえ、お風邪を召したのですか」
「ってほどのことじゃない。大丈夫だ」
「薬草茶をお飲みになったほうが」
「うん。飲もうかな。後で部屋に持ってきてくれるか?」
そう言ってソニアは苦笑いを見せた。
「薬草茶は正直苦手だ」
「得意な人間はおりませんわ。後ほど、お持ちいたします」
ノルンも苦笑する。
「ソニア様は、ミザールの気持ちを、どのようにお思いですか?」
「うん。正直、わかるような、わからないような、どうしようもない感じがして」
「そうなのですか」
「人間がキャターズアイを欲するなんて、明らかに常軌を逸している。自分が、その男に愛されれば、世界などどうでもよい。それが、ミザールがとった行為だろう」
そのソニアの言葉に、ノルンは驚いたように目を見開いた。ソニアはそれに気づかず、冷たい壁にもたれて言葉を続ける。
「そんな愛情は、持ちたくはない。たとえ持ったら・・・」
「・・・」
「自分を愛してくれなんて、相手に求めないようにするだろうな。求めるから、取引が発生するんだ。それを言い聞かせて自制することが、あたしが出来るすべてのことだろうな。自分の愛情が、叶うと思っちゃ駄目だと、思いこもうとするに違いない」
「・・・ソニア様は、お強いのですね」
「そうか?」
「ええ」
ソニアは目を細めて、口もちに手をもっていき、第二関節の辺りを軽く噛んだ。
「そうじゃないだろう、ノルン」
「え?」
「弱いから、防御線を張るしかないのさ」
その言葉に心底驚いたように、ノルンはソニアを見る。
意外な言葉だ、とノルンは思った。
が、ソニアが発した言葉をひとつひとつ頭の中で反芻すると、それはあまりに女性的で、そして、彼女が言うように臆病で何かを常に恐れているような感情が付きまとっているように思える。
自分は弱いから、何かをしでかしてしまうかもしれない。
愛して欲しいと思うエゴのために、どこまでのことを自分がしてしまうのか。
そんな恐れだとか。
取引によって約束される愛情など、無意味なものだと知っているのに。
それでも、期待してしまう弱さだとか。
(それに、ソニア様は)
そんな愛情は持たない、とは言っていない。
持ちたくない、と言った。
その言葉の選び方にノルンは気付いて、軽く唇を噛み締める。
やはり、どんなに勇ましく戦っていても、この少女の性は「女」であり、異性を愛してしまうことを知っているのだろう。
抗えない力が恋愛に秘められていることを既にわかっていて、けれども、少なくともミザールにような恋愛を理解することが出来ない、といった風なのが、感じ取れる。
以前は、数多くの人間がノルンのもとへ足を運んで、ああだこうだと家族愛のもつれ、恋情のもつれなどを告白してきたものだ。
ノルン自身は恋愛に長けている方でもないし、経験が多いわけでもなかったけれど、人々の口から発されてきた数々の思いの言葉は彼女の中に蓄積されている。
だからこそ、彼女はひどく今動揺をしてソニアを見つめた。
男勝りで、癇癪もちで、まだまだ子供とみなに思われているだろう、この反乱軍リーダーは。
もう、十分の女性の素質を備えている。
そのことに、気付いてしまったからだ。
しかも、今までそんなことは欠片も誰一人にも見せなかった―ように思える―というのに。
「ミザールは、叶わなくとも良いと思っていたのかもしれません」
ソニアはその言葉にはっとなって、ノルンを見つめた。
ノルンは、両手を腹のあたりでそっと重ね合わせ、静かにソニアを見つめ返す。
「ただ、愛する男の役に立ちたい。それだけなのではないかとも思えます」
「・・・なるほど」
そう言ってソニアは軽く溜息をついた。
「そうだな。うん。きっと、そうなんだな。それ以外、何も求めやしない、そういう愛情もあるんだろうな」
「本来、愛情は、求めるものではありません。与えるものです。けれど、わたくし達はただの人間ですから・・・時折、とても渇いて渇いて、求め、手を誰かに伸ばしてしまいます。ミザールが、どうなのかはわかりませんけれど」
「人々は、ミザールに対して同情的だ。けれど、あたしは、あまり同情したくないんだ。ミザールも、きっと、同情されたくないんじゃないかと思うよ」
「・・・ソニア様・・・」
今度は、ノルンのほうがはっとなり、ソニアをまじまじと見つめ、それから、眉根を寄せた。
ああ、そうかもしれない。
もしも、同じように。自分が過ちを犯してしまったら。
人々の同情なぞ、何一つ必要はない、と思うことだろう。
惑って過ちを犯した弱さは、自らのものだ。それをいくらそそのかした人間がいたとはいえ、手を染めてしまったのは自分で、それを選んだのは自分で。その弱さを人々に容認されてしまうのは、屈辱でもある。
ノルンはそう思い、そのままじっとソニアを見ていた。ソニアもしばらくの間黙ったままでいたが、それは「話は終わり」という意味ではないことは、その場の雰囲気で明らかだった。
「しかしなぁ、罪を犯してしまったならば、償うという考えではないのかな。天使ってのは・・・。あたしには、ミザールがさ・・・罪を償うなんてことがありえないことなのだと思っているように感じるんだ」
「そうですね・・・それについては・・・」
ようやく、ソニアに続きの話をしようと、ノルンは口を開ける。
何故ミザールが堕天使として生きていこうとしているか。それについて、ノルンにも思うところが多少あるのだろう。
が、ノルンの口からその話はそれ以上出ることはなかった。
何故ならば、とても珍しい人物がドアから入ってきて、そして。
それが物資目当てではなく、ソニア目当てで来たと言うことが、一目でわかったからだ。
ソニアは壁にもたれたまま、第二関節をもう一度軽く噛み、やってきた人物をまっすぐ見ている。
「お話中、大変申し訳ありません」
「珍しいな、人と話をしているところに、声をかけてくるなんて」
「失礼と存じ上げておりますが、手短にすむ話だと判断いたしましたので。ノルン殿、お許しいただけますか」
「え、ええ。ソニア様に御用事なのでしょう?」
ノルンは、うわずった声を出した。
彼女は、ソニアのもとにやってきた彼が、こんなに多く言葉を発する姿を初めて知り、驚きを隠せない。
「で、なんだ。ゾック」
ソニアは、壁にもたれた行儀の悪い姿で、やってきた彼に声をかけた。




←Previous  Next→


モドル