空に還る-5-

「ソニア様、お話していらっしゃる間に、薬草茶を入れてまいります。それくらいのお時間は、お待ちいただけますよね?」
「ああ、そうだな。後で持ってきてもらうより、ノルンも手間にならないだろう」
ノルンはソニアとゾックそれぞれに一礼をして、その場を離れる。そして、ごろりと転がっている物資の合間をぬって、ノルンは部屋から出て行った。
ソニアがふと気付くと、室内にいるプリーストの数も減り、ほんの2、3人だけになっていた。
「で、なんだ?」
「先ほど、オハラより、わたし達の部隊はシャングリラに向かわないことになったとお聞きしました」
「うん」
やはり、そのことか。
ゾックの姿を確認した時に、多分そのことで彼が来たのだということを、ソニアは見抜いていた。
「何か、不明点があるかな?」
「不明点というより、お尋ねしたく」
ゾックは相変わらず物静かに、表情を変えずに淡々と話す。
造作が整った顔立ちをしているせいで、その表情の乏しさを「冷たい」と言う人間も兵士の中にいることをソニアは知っている。そして、多分ゾック本人も知らないわけではないのだろう。
が、そんな彼が笑うと、年齢相応の、若々しい笑顔になることだって、ソニアは知っていた。
そう思えば、彼は、普段どれほどに自分を抑えているのだろう。
そして、普段、どれほど・・・。
と、自分の思い込みに引きずり込まれそうになり、ソニアは慌てて、ゾックの言葉に集中をした。
「うん。なんだ?」
「地上に残る部隊は、特に帝国軍と交戦しないと、ソニア様は予測なさっているのですね?」
「・・・ん?いや、そういうわけではないけれど。ただ、こちらから攻め入ることは、シャングリラの件が片付いてからだな」
「ソニア様ご不在の間に、もし、なんらかの形で帝国から襲撃などを受けたとすれば、我らの部隊は出撃することになりましょう」
「そうだろうな」
「ということは、ソニア様が気にかけてくださっていた、オハラについては・・・もう、ソニア様の手から離れたと解釈してもよろしいのでしょうか。たとえ、我々の方が経験が長くとも、現在はオハラの指示で動いております。ですから、その辺りのことを明確にしていただけると助かるのですが」
「!」
ソニアはゾックの言葉に驚きの表情を見せた。
しまった。
そこまで、頭が回っていなかった。
脇の甘さを見抜かれたような、そんな感覚になり、ソニアはわずかに頬を赤らめた。
プリンセスの称号をオハラが得てから、ソニアとヘンドリクセンは、かなり慎重にオハラのことを気遣っていた。
オハラが部隊長になってから、いくつもの大きな戦いを経てきた。確かに、最近ではあまり彼女のことを気遣わなくとも、オハラはかなりよくやってくれているし、周囲もプリンセスの能力に多少慣れてはいる。
が。
(そういえば、ヘンドリクセンはシャングリラ行きに名前が入っていたな)
「サラディンも、か」
ぼそりとソニアが呟いた。
しまった。
それでは、何かがオハラの身に降りかかったときに、知恵を絞れる人間はウォーレンしかいない。しかも、そのウォーレンは、マラノ以降は別働隊だったため、最近のオハラの様子を知らないのだ。
ランスロットでは、足りない。そうソニアは判断して、小さく息をついた。
「あーあ」
「ソニア様?」
「まったく・・・めずらしく、短慮に走ってしまったな」
そう言って、ソニアははらりと落ちてくる前髪をかきあげ、鼻水を軽くすすった。
「ゾックと一緒に、シャングリラに行きたくなかったんだ。本当は」
諦めたように、ソニアは小声で本音を漏らした。
その言葉を、室内にいるプリーストは聞いただろうか?
ゾックはそれを気遣って、自分の周囲をぐるりと視線だけで見回した。が、話をしている間にもう一人プリーストが出て行ったらしく、入り口の方で、二人のプリーストが話し合いながら、麻袋の中をあさっている姿だけが見える。少し距離が離れているから、聞いていないだろう。
「わたしが・・・お気に触ることを」
「違うってば。なんで、ゾックはそういうことばっかり」
そう言ってソニアは唇を尖らせた。
「そうじゃないんだ、ゾック。それは、あたしの勝手で」
「・・・」
「あたしが、勝手に、ゾックを意識してるだけだ。許してくれ。それは、とても個人的なことだけれど、あたしの権限を使ってでも・・・冷静になりたかったから、そうしようと、無理に決めた」
そう言って、ゾックを見つめる瞳は真剣で。
ゾックは、唇を噛み締めた。


言わなければ、よかったと、後悔をする日が来ると知っていた。
ゾックは、目を細めてソニアを見つめた。
言えば、絶対、その日が来る。
言わなければ、その日は来ない。
けれど、いつか来るだろう別れまで言わないままだとしたら。
やはり、後悔する日が来るのだろう。そうゾックは思っていた。
こんなに近くにいるのに、この反乱軍リーダーはあまりに遠い存在で。
その存在はとても遠いけれど、心はとても素朴で、自分達の近くにあると思える。
だから、手を差し伸べて、何かが自分に出来れば、と思っていた。
けれども、もはや彼女が置かれている環境や、彼女の中に渦巻く感情は、ただの一兵士である自分が届くような簡単なものではなかった。
何か力になれば、と言っても、あまりに彼女が求めるものは遠すぎて、彼の力では何も出来やしない。
ならば、せめて。
その力が関係がなくなる、その時に。
少しでも、力になれればと、深く思ってしまった。
けれど、その思いを彼女に伝えれば、「何故そこまで」と思われても仕方がないものだ。
彼には彼なりの、正当な理由があった。
けれど、それは、まったくあの時点ではソニアには伝わっていなくて―隠そうと彼自身がしていたのだから当然だ―彼女は「同情されている」と感じてしまっているのではないかと、彼は恐れた。
だから、あの時、言ってしまった。

「忘れてくれ。忘れたふりをしてくれ。そういうのは、得意だろう」

不安を抱え、そして、彼に向かって吐き出してしまった彼女は、肩を落として呟いた。
忘れるものか。
そうゾックは強く思った。だから、いつもならば何を頼まれても、筋が通っていることならばなんでも請け負うけれど、そこは首を縦にふることが出来なかった。

「いいえ、忘れません」

彼の返事にソニアは眉をしかめた。

「何?」
「忘れません」
「忘れてくれ。覚えていられても、困る」
「お困りになることは、ないでしょう。わたしは、他言いたしません」

不安そうに彼女は見上げて。
何を言われるのか、という恐れの表情は、普段は見せないものだ。
自分のせいで、彼女にそんな表情をさせてしまったのだと思うと、ゾックの胸は軽い痛みを感じた。
彼は、ソニアと個人的な接触を避けていた。
だから、自分が何かをすることで、彼女の心が揺れることに、慣れていない。
そう思えば、それがあまりにも一方的な恋心であるのだと、彼自身よくわかっていた。

「ですから・・・あなたの、そのお気持ちを知っている人間がいることを、忘れないでください」

そのゾックの言葉に、彼女はうまく返すことが出来なかった。
ただ、心許ない表情で彼を見上げ、その視線で問い掛けたのだ。

何故、ゾックは、そこまで。

声にならない質問。
それの答えは、ゾックにとってはあまりにも明確だ。そして、明確すぎて彼自身重々知っているからこそ、彼女に言うべきではないとわかっていた。
けれど、その答えが与えられなければ、また彼女は自虐的に内にこもるのではないか、という懸念がゾックにはあった。
彼女が内に抱えている不安を知らなければ、彼もまたそんなことを考えなくてもよかったのに。
それでも、想い人の胸の内を知ることは、誰にとっても嬉しい事だ。それは、彼とて例外ではない。けれど、それが彼の首を絞めた。

―みんな、あたしが、反乱軍リーダーだから、優しくしてくれているのだ。当たり前だ―

ソニアのその思いは、ほとんどの場合は間違いではない。彼女の周囲にいる人間は、彼女が反乱軍リーダーであるから関わりを持っているのであるし、それは、この軍における、共通の前提条件だ。
当然、彼女自身が悲しいほどにわかっている真実の一端でもあり、ゾックもそれを否定しようとはしない。
けれども、彼もまた、そのうちの一人だと思われることが、ゾックには耐えられなかった。
いや、耐えられないわけではない。その言葉をソニアに何度言われようと、ゾックはそれ以上の言葉を口にせず、ソニアを肯定も否定もしなかったことだろう。
しかし、今の心揺れている彼女の前で。
ゾックは、それを貫き通すことが、初めて出来なくなってしまった。

―心が負けてしまうと、反乱軍リーダーでいられなくなるかもしれない。そんな賭けに、ゾックの手を借りるのも申し訳ない―

違う。
そんな賭けだから、自分の力を貸したいのだ。
他の誰の手を借りることも、ソニアは申し訳ないと思っている。彼女は、己の立場をよく知っている少女だ。
だから、ゾックは彼女に言ってあげたかった。
いいのだ、と。反乱軍リーダーであろうとなかろうと、自分の力が必要であれば、いつでも求めてくれと。
今は、きっと何も手を貸せることがないかもしれないけれど。
唯一出来ることといえば、彼女に、その言葉を与えることだけだ。

(心が負けたのは、わたしの方だ)

ゾックは、彼女に隠しておきたかったことを、ついに口にしてしまったのだ。

「もしも、あなたが反乱軍リーダーでなくなった時に。わたしで、何か力になれるならば、迷わず呼んでください。いつでも、あなたのために出来る限りの力を尽くします」

それが、ゾックにとって、すべての答えだった。
ソニアは、ゾックの言葉を聞いて、戸惑いの表情を浮かべた。
その表情からは、先ほどの声にならない問いかけが、もう一度聞こえるようにゾックには思えた。

何故、ゾックは、そこまで。

二度とは言わない、とゾックは思った。
これ以上、それについて彼は彼女に念押しをしようとも思わなかったし、意味がわからないならば、それで良いと思った。
目の前の少女は、時々驚くほどの鈍さを発揮する。
今がその時であれば、自分はいささか失望はするだろうが、救われる気もする。
そう思いつつ、ゾックは小さく息をついた。
と、その瞬間。
彼の目の前で、ソニアは下唇を噛んだ。
みるみるうちに頬が紅潮する。

「勘弁してくれ。ゾック」

予想外のソニアの言葉に、ゾックは驚きを隠せなかった。

「そんなに、あたしのことを想うな」
「・・・!」
「勘違いをしてしまうぞ。そういうことは、なんていうんだ・・・剣を捧げる主っていうのか。それに言うか、一人の女性に言うべきことだ」

しまった、とゾックは瞬間的に感じ取った。
会話の言葉上では、ソニアは気付いていないふりをしているけれど。

もう、ソニアは気付いている。

そう直感した彼は、慎重に言葉を選ぼうとした。
しかし。
抑えようとした言葉が、抑えきれずに勝手に口をついて出てしまう。

「・・・それが、あなたであっては、駄目なのですか」

ソニアは、泣きそうな顔をしていた。
ゾックは、彼らしくもなく、慌てて首を横に振った。

「いえ。わたしの方こそ・・・忘れてください。わたしごときが口に出してはいけない言葉でした」

先ほど、彼女の申し出に対して、頑なに「忘れない」と言ったのは自分の方だ。
なのに、今は自分が「忘れてくれ」と懇願する立場になってしまうとは。
ゾックは、己の未熟さを恥じた。
わかっていた。自分は、あまりにも未熟で。
抑え続けている間は、どうとでもなる。何も知らない、何も見ていないふりをしている間は、どうとでも。
けれど、たった一つの欲を出してしまって。
差し出した手を、彼女が取るとは思ってはいなかった。
ただ、近くに、差し出そうとしている手があるということを、気付いてもらいたかったのだ。
それか、彼のためではなく、彼女のために。


ノルンが薬草茶を持って戻ってきた時には、既にゾックは姿を消していた。
ソニアは、床に座って壁にもたれ、物資を運びに来た兵士達の様子をぼんやりと眺めているようだった。
「お話は終わりましたの?」
「・・・ああ、うん」
「ソニア様?」
「ありがとう。持ってきてくれたのか」
ノルンはソニアの傍らに膝をついた。、ソニアに陶器のカップを手渡し、茶を煮出したポットからゆっくりと注いだ。
独特の臭みが鼻につき、ソニアは顔をしかめる。
が、茶に口をつけた次の瞬間、驚きの表情にそれは変化した。
「なんだ。飲みやすい」
「ええ。少しだけ、蜜を入れてみました」
「でも、いつもは蜜入れてもまずいぞ」
「今日入れた蜜は、いつものものとは違います。永久凍土に入る手前、まだぽつぽつと草木が見えるところがありましたでしょう」
「うん」
「あそこに、蜜を出す木があるんです」
その木の蜜なのだ、とノルンは説明をする。
「蜜は種類によって、全然違う味がするものですからね」
「そうか・・・ありがとう。これなら、毎日飲めそうだ。体も温まる」
「毎日飲むようになる前に、風邪が治るといいのですけれど。そろそろ、お戻りになられては?」
「ああ、そうする」
ソニアは、ぐい、と薬草茶を飲み干す。茶が通った器官が温められ、体が火照ってきたようだ。与えられている部屋に戻ろうと腰をあげると、めずらしく眩暈のような感触をうけ、ソニアは意識的に足に力を入れた。
「あれ?」
「どうなさいました?」
「いや、なんでもない。ありがとう、ノルン。じゃあな」
「はい」
ノルンは、ソニアからコップを受け取って、丁寧に頭を下げた。それはソニアは笑って軽く手を振り、部屋を出て行くのだった。


なんだ。
嫌なタイミングで、嫌な人間に会うものだ。
ソニアはそう思って、顔をしかめた。
通路の向こうからやってきた人間は、ソニアが自分を見て、明らかに不快そうな表情になったことに気付いたようだ。
先出しをしてしまおう、とソニアは手をあげて、まだ離れた場所から声をかけた。
「ランスロット。ちょうどよかった」
本当は、何もちょうどよくなどないのだが。
「ちょっと、部隊編成の件で」
「ちょうどよかった。わたしも、そのことで話が」
近づいて来たランスロットは、冷静を装ってそう返す。が、ソニアが芳しくない表情をしていることが、気にならないわけがない。
「ここで話して良いのだろうか」
「うーん。まあ、良いっちゃ良いんだけど・・・どうせ、ランスロットは、怒りに来たんだろう」
「なんだ。先にそう言われても、言うべきことは言うつもり・・・ソニア殿。顔が、赤い」
「今、薬草茶を飲んで、体が温まったんだ」
「ならばいいが・・・」
ソニアは、すたすたとランスロットの脇を通り抜けて、部屋へと向かった。慌ててそれを追うようにランスロットはついてゆく。
数人の兵士が彼らとすれ違い、それへソニアは軽く手をあげて挨拶をする。
余程早く話がしたいのか、ソニアは大股で、いささか女性としては問題がありそうな歩き方で進んでいった。
途中でビクターとトトの二人にすれ違ったが、それへも軽く手をあげるだけだ。
バン、と乱暴に部屋のドアを開けて、ソニアは中に入った。ランスロットも「失礼」と一声かけて、開け放したドアから室内に入り、音をあまりたてずに静かにドアを閉めた。
「わかっているようだが、オハラの部隊のことだ」
椅子にすら座る前に、ランスロットは自分からすぐさま話を切り出した。
「わかってる」
それへ、ふてくされたようにソニアは答えた。
テーブルの上に用意してある水差しを手にして、薄汚れたコップに水を注いだ。
「あたしの私情で、突然部隊を入れ替えたことは申し訳ない」
「私情で・・・?」
「私情っていうか・・・思い付きだ」
珍しい言葉を使うな、とランスロットは怪訝そうな顔つきになる。
ごくごく、と音をたててソニアはコップの中の水を飲み干し、椅子に腰掛けようと背もたれに手をかけた。
が、その瞬間
「ソニア殿!?」
ソニアはがくりと膝を折り、その場に座り込んでしまった。
「なんでもない・・・ちょっと、眩暈が」
ランスロットは慌てて駆け寄り、軽く肩を抱いて顔を覗き込む。
「・・・何を言ってる。薬草茶のせいではないだろう。熱があるんじゃないか」
そう言ってソニアの額に手を当てようと手を伸ばしたが、ソニアはその手を振り払った。
「やめろ、触るな」
椅子にしがみついてソニアはそう言うけれど、言葉に力がない。
息が熱い、とランスロットは気付いた。
「それどころではないだろう。間違いない。そなたは、熱を出している」
「すぐ、こんなの、治る」
「何を強情なことを言っている」
そう言ってランスロットはもう一度、彼女の額に手を当てようと試みた。それを、またソニアは振り払おうとしたけれど、今度は力が入らなかったのか、その抵抗は弱弱しい。
彼が額に手を当てると、ソニアは反射的に瞳を閉じた。
「・・・ランスロットの手・・・冷たいな・・・」
「そなたが熱いからだろう」
「永久凍土は、寒いからな・・・」
ランスロットは眉を潜めた。
似た会話を、以前、した。
あの時は、こんな風にソニアは抵抗をしなかった。
「・・・こら・・・何する・・・」
ランスロットはソニアを抱き上げて、あまり上等とはいえないベッドに運ぼうとした。
先ほどまであれほど活発に動いていたというのに、既にソニアは体に力が入らないようでぐったりとなり、抵抗ももはやない。
ランスロットは、そんな彼女を持ち上げ、愕然とした。
(・・・以前より・・・)
大分、体重が減っている気がする。
どれほど朝の鍛錬に出ようとも、大軍を率いるようになっては、以前に比べて、一兵として動く時間は限られてしまう。どちらかといえば、体重が増えてもなんら不思議はない状態なのだ。
けれど、ランスロットの腕に伝わるその重さは、明らかに以前こうやって彼女を抱えた時よりも少ない。
あの時も、彼女は熱を出して。ガレスから受けた傷のため、体が抵抗をして発熱をして。
彼女をこうやって抱きかかえた記憶が甦る。
筋肉が衰えたのだろうか?いいや、そうではない。
ベッドに横たえて、ブーツを脱がせると、すらりとした形の足が見えた。
上着を脱がせれば、相変わらずきゃしゃな肩が出てくる。
彼女の年齢での「成長」は、子供が大人になる成長ではない。
少しずつ体が丸みを帯びてきて、上着の下から出てきた体は、以前よりも幾分胸の辺りはふくよかに見える。
なのに。
(もしかして、それに騙されていたのだろうか)
そもそも、ソニアはどちらかというと顔の輪郭は丸いため、小柄で痩せていてもぎすぎすした感じは受けない。
が、よくよく考えれば、あれほど動いている割には、食事をとらないほうなのかもしれない、と思い当たる。
今までの、ソニアの印象は「まったく残さず綺麗に食べる少女」だった。けれど、彼女の年齢であれほど一日中動きっぱなしであれば、もっと食べていてもおかしくはないのかもしれない。
ランスロットが毛布をかけてやる頃には、ソニアはぐったりとして瞳を閉じたまま動かなくなっていた。
息が少し荒い。
ランスロットは、ベッドから離れて、部屋から出て行こうとした。と、それへ、か細い声が引き止める。
「・・・ランスロット」
「待っていたまえ。今、誰か呼んでくる」
「頼みがあるんだ・・・」
「何だ?」
振り返ると、ソニアはうっすらと瞳を開けてランスロットを見ている。
「あまり、皆に知られたくない・・・特に・・・いや・・・なんでもない・・・」
特に知られたくない相手がいるのか。
ランスロットは、それを追求したい欲求にかられたが、寸でのところで自分を抑えることが出来た。
ドアから離れ、もう一度ソニアの傍らに戻り、ランスロットは屈みこんだ。
「大丈夫だ。公にする気はない。ミザールと会わなければいけないだろう?おとなしく安静にして、一分一秒でも早く治してくれ」
「・・・うん。ありがとう・・・それと」
「ん?」
「さっきは、ごめん・・・ごめんね」
そう呟くように言ったっきり、ソニアは瞳を閉じた。
何についてのことだろう、とランスロットは迷った。
通路で会った時に、嫌な顔を見せてしまったことだろうか。
それとも。
手を振り払ったことだろうか。
どちらにせよ、それは今聞くことではない。
ランスロットは、毛布から出ている彼女の手を、そっと掴んで毛布の中にいれ、肩が冷えないようにと整えた。
それから、開けたドアから必要以上の灯りが室内に入らないようにと気をつけて部屋の外に出た。
誰を呼ぶか。アイーシャでよいだろうか。
それとも、先にウォーレンに伺いをたてるべきか。
そう考えつつも、どこかでそれ以外のもやもやとした思いが残る。
熱に浮かされたソニアの最後の声音はとても女性的で。
ランスロットの脳裏に、いつまでもその響きがまとわりつくのだった。


ソニアが発熱をしたことは、ほんの数人だけの秘密にしようと、人々は密談をすることになった。
それは、一晩様子を見れば、落ち着くだろうという見通しからだ。
トリスタン、ウォーレン、アイーシャ、ギルバルド。それから、たまたまソニアの部屋にふらりとやってきてしまったカノープス。
ひとまずはその人数で伏せられるだけ伏せておくことになった。
あまり長い時間このメンバーが集まっていては、人々はなんらかの疑いを持つだろう。
そういうことで、迅速な話し合いをする必要があったわけだ。
「明日、様子見の部隊が出た後で動く。それを考えると・・・最悪でも、明後日の朝には動けるくらいには」
ウォーレンは難しい顔でそう言うと、トリスタンも頷いた。
「でなければ、また吹雪になる見込みなのだし・・・不慣れなこちらは、出来る限り天候が良い日を選ばなければいけないからな」
「彼女は、ミザールと会うことを、諦めるつもりはないでしょうから、いざとなったら這ってでも、逃げてでも行きそうだ。それを止めては、次は何が起こるかわからん。出来るだけ、治るように祈っている」
そう言ってギルバルドは小さく溜息をついた。それから、思いついたように
「そうだ、ランスロット。一時的に、ソニアの部隊に所属出来ないか」
「ギルバルド?」
「例え回復したとしても、体調を崩している彼女を、俺一人で連れて行くのは不安がある。共にプリースト一人を連れて行くには戦力不足で、かといって、戦力を重視して人選をすれば、不測の事態には手が回らぬ。ソニアの体調が万全ではない以上、何かあれば他に怪我人も出がちな状況だろうしな。だから、ヒーリングを唱えられる人間も欲しい。しかし、パラディンで、彼女の扱いをよく出来る人間は・・・いても、ビクターくらいなものだ」
それへ、冷静にカノープスが言葉を挟んだ。
「ビクターはシャングリラに向かう部隊に入っているぞ」
「だろう。となれば、ランスロットぐらいにしか頼める人間がいない。俺は、この寒い地で魔獣をなだめすかして動かすだけでかなり手一杯だ。何かあっても責任はそれ以上持てぬ。なに、シャングリラに共に行けといってるわけではない。その辺りは融通をいくらでも利かせられるだろう」
「しかし・・・」
ランスロットの返答ははっきりしない。
それに苛立ったようにカノープスが
「なんだよ、それ。どう話聞いても、ギルバルドが言うことはみんな理解できるだろ。俺がついていってやりたいぐらいだけど、俺じゃあ、ソニアを抑えるだけで、何かあったときの戦力は不足してんだよ。言いたかないけどな」
そう言ってランスロットをじろりと睨みつけた。
が、当のランスロットは、「皇子、どうでしょう」とトリスタンに話をふるでもなく、ウォーレンに助けを求めるわけでもなく、少しばかり考えているようだ。
彼個人でそれほど考えなければいけないことは、一体どれほどあるというのだろうか。
カノープスはそれに苛立って、更にランスロットを煽る。
「トリスタン皇子だって、もうお前のお守がなくたって、ウォーレンの爺さんもいるし、アイーシャがついてる。どう見ても、なんかあったときヤバイのはソニアとギルバルドの部隊だ。ソニアは反乱軍リーダーだぞ。わかってるだろ、そんくらい」
「わかっている」
それへはきっぱりとランスロットは答えた。
「ただ」
「なんだよ」
「ソニア殿がそれを許すかどうか・・・」
「は?」
「聞いてみなければ、わかるまい。カノープスが言うとおり、この軍の指導者はソニア殿だ。だから、ここでこの話をしても、彼女が首を縦にふらない限りはわからない。一応、ギルバルドの要望通りでも良いとわたしは思うが」
そのランスロットの言葉を聞いて、これまた、それなりの長い旅を共にしてきたカノープスはにやりと笑った。
「なんだそれ。お前、もしかしてソニアと喧嘩してるのか」
「・・・していない」
「嘘つくな。お前がそういう言い方するってことは、なんかソニアと喧嘩したんだろ」
ギルバルドが呆れたように「おい、カノープス」と親友に声をかけるが、カノープスはそれをまったく意に介さないようだ。
「していないというのに」
「じゃ、喧嘩にもなっていない喧嘩だ」
そう言ってカノープスはにやっと笑った。
「案外、知恵熱じゃねーの。お前、またソニアとなんか言い争ったりしたんだろ」
「していないというのに。それに、知恵熱なぞ、それは言葉の言い回しだけの問題で、赤ん坊しか」
「それは冗談だよ、冗談」
そうカノープスが言うと、そこでウォーレンがわざとらしい咳払いをした。そのおかげで黙ったカノープスとランスロットの顔をまじまじとギルバルドは見て
「なんだかんだ、ソニアがいないと、おぬしらも暴走するようだ」
と呆れ顔で溜息をついた。
カノープスはそれにはしれっと言葉を返す。
「雇い主に似るんだよ」
それを受けて、ギルバルドもしれっと
「魔獣も、魔獣使いに似てくるもんだ」
などと、カノープスにとって不本意極まりない言葉を返した。
本当は、魔獣が魔獣使いに似るなどということはないのだが、嘘でも、カノープスにとってはかなり腹立たしい例えだったことだろう。


話し合いを終えて一同が解散してから、ランスロットはカノープスを呼び止めた。
ギルバルドとなにやら話をしていたカノープスは、軽くギルバルドにあごをしゃくってみせて、ランスロットのもとへと近寄った。
ギルバルドは、口をへの字に曲げて―それは、カノープスの虫の居所があまりよくないことを知っていたためだが―その様子を見ていたが、すぐに背を向けて歩いていってしまった。
いささか寒い通路で、ランスロットとカノープスは二人きりになった。
「聞きたいことがあるのだ」
「なんだよ」
「ソニア殿のことだ」
「なんだよ。お前らの喧嘩のことなんて知らないぞ」
「喧嘩はしてないというのに」
「お前がそう思ってるだけかもしれねぇだろ」
ランスロットはそれに反論をしようとしたが、すぐさま思いとどまった。
今は、そんなことを言い合っている時ではない、と自制をしたのだろう。
「カノープス、教えてくれ」
「おう」
「ソニア殿は、いつ頃から・・・体重が落ちたのだ」
「は?」
「カノープスならば、わかるだろう。誰よりも多く、彼女一人を運ぶ機会があるのだし」
そのランスロットの言葉を聞いて、カノープスは唇を尖らせた。
それは本来ソニアの癖だったのだが、どうもカノープスにも移ってしまったようだ。
ソニアがやるのとカノープスが見せるのでは、性別も年齢も違いすぎるため、カノープスのそれはまったく可愛らしさもなかったが。
「お前は気付いてなかったのかよ」
「・・・ああ」
「何やってんだよ、お前!」
カノープスは苛立ちを隠さずに、声を荒げた。それにはランスロットは何も言葉を返せない。
「ギルバルドだって、気付いてんだぞ」
その言葉には、さすがにランスロットは驚き、声をあげた。
「何だと」
が、それはすぐに理由がわかった。
ギルバルドはマラノに駐在していたため、ソニアに会ったのが久しぶりなのだ。だから、彼女が痩せたことも一目でわかったのだろう。
ということは、ウォーレンだって気付いているのに違いない。
「一時期、腕が使えなくなって体重が増えた。その後慌てて、前よりも鍛錬のメニュー増やして、体を元に戻したまでは知ってるだろ」
「ああ」
「でも、ここ最近、またあいつ、痩せたぜ。まあ、あれだな。顔がこけるタイプじゃないから、わかりづらいっちゃわかりづらいんだけど」
「そうだな・・・」
「多少乳が育ったから、服を着るのには帳尻があってバレづらいのは確かだが」
いささか下世話な言い回しでカノープスは言った。
「両脇の髪が結べなくて頬にかかってるから気にならないのかもしんないけどよ・・・髪、どけるとよ、絶対すぐわかる。顔の骨っていうか輪郭っていうか。それがすごい浮き出てて、首との境目が綺麗なぐらいくっきりわかるようになった」
「・・・ああ、そうかもしれない」
カノープスに言われて思い返せば、そういう気もする。けれど、そうでもない気もする・・・そんな曖昧な思いで、ランスロットは少しばかり心が焦っていた。
こんなにも毎日傍にいて、彼女の顔を見ているのに、何故だか今は記憶の中の彼女の顔はぼやけている。
そのことに気付いて、己の不甲斐なさにランスロットは唇を噛み締めた。
ぼやけているということは。
多分、今まで彼が描いていた彼女のイメージと、今現在の彼女は違うのだろう。
そして、カノープスがいうような彼女の変化がわからないのは。
最近、彼女と肩を並べて戦に赴いていないからかもしれない。
ランスロットは、知らず知らずのうちに眉間に縦皺を深く寄せ、口元を曲げていた。
「それがいつからなのか、お前はわからないか?」
「いつからだ」
「トリスタン皇子が加わってからだ」
そのカノープスの言葉には、ランスロットはあまり衝撃を受けなかった。むしろ、やはり、そうか、と深く心の中で頷いたほどだ。
「お前もしんどい役回りで、心労が重なってるかもしれないけどさ・・・でも、なんてぇの。それだけじゃないはずだよな。最近あいつおかしかっただろ。よく、なんか、考え事していて」
「それは、わかる」
「だから俺は、今回ミザールとあいつを合わせるのは・・・ほんと、いいことなのか悪いことなのか、すっげ、怖いと思ってる」
「カノープス」
「あいつ、案外繊細だしよ・・・」
ランスロットは、深い溜息をついた。
まったく、カノープスの言うとおりだ。
自分は何をやっているのだろうか。
その自問自答が彼を苛むが、それもまたカノープスが言うように、彼は彼でトリスタンが参入したことで、かなりの心労を強いられていた。
が、それ以上に。
ランスロットと道を違える時は言ってくれ。そう言った彼女に、道を違える時は必ず偽らないと約束をしたのはランスロットだ。
それは、彼女がとても深く、トリスタン参軍について考えたからこその言葉だとわかっていた。
それから。
最近、昔のことを口にする彼女が、以前よりも辛そうに見える。そう彼女に告げたのもランスロットだった。
言わずにはいられないものを、ランスロットはとっくに彼女から感じ取っていたのだ。
たくさんの信号が彼女から出ていた。
心が揺れて揺れて、どうしようもなくて。
彼女は、それでも自制をして、ここまで来たのだ。
わかっていた。そんなことは。

「わかっている。すまない。わかっていると言っても同じことを繰り返しては、それはわかっていないと同じことだな。それもわかっているつもりなのだが」

「そうだよ。ランスロットは「つもり」なんだ」

「ああ。申し訳ない」

それは、いつ、彼女と交わした会話だったか。
ランスロットは小さく息を吐き出した。
ぴりぴりと肌を刺す冷気の中で、彼の温かな息が白く散っては、すぐさま消えてしまう。
「他に話がないなら、俺はいくぜ」
カノープスはランスロットに背を向けた。



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モドル