空に還る-7-

ランスロットから事の次第を聞いたギルバルドは、深い溜息をついた。
それは、ソニアを襲っている事態についての溜息ではない。
「あんな状態で、ミザールに会わせることは、どうも・・・なあ」
「多分、誰が聞いても、そう思うと感じるのだけれど」
眠っているソニアから離れた場所で―とはいえ、室内なのだが―2人は小声で話していた。
「俺は思うんだが。ランスロットよ」
「うん・・・」
ランスロットにしては曖昧な相槌を打つ。彼は、ギルバルドやカノープスと対等な口聞きをするけれど、年長者である彼らを軽んじてはいない。その彼が、このような返答をするのは珍しいことだ。ギルバルドはそれを気にも留めず、言葉を続けた。
「あの子に今必要なのは、自分自身の居場所ではないかと思う」
「自分自身の居場所・・・」
「なんというかな・・・背負うものばかりが多すぎて・・・それを背負うべき立場に自分がいることすら、本当はあの子の本意ではないのだろうし・・・何かを、見失っているのではないかと感じる」
「それは、わかる。そんな彼女が自分なりに出した決断が・・・ミザールと会うということだ」
そのランスロットの言葉にギルバルドははっとなり、聖騎士の顔をまじまじと見た。
「・・・そうだ。確かにそうだな。それは・・・間違いない」
「そうであれば」
「うむ・・・」
「むしろ・・・ミザールと会うことを、我々は出来うる限りサポートする必要があるのかもしれないな。誰もが不承不承だったけれど、反乱軍にとっても、目を背けられないところに来てしまっているのかもしれない」
そもそも、とギルバルドは口にしたが、その声はわずかに上ずって、声量が思いのほか大きかった。
寝入っているソニアのことをはっと思い出し、恥じたようにギルバルドは軽く首を横に振った。
「あの子が、何故反乱軍リーダーなのか。何故天使とやらに接触されたのか。タロットカードを使えるあの力はなんなのだ、とか。そういった疑問を伏せてここまで来たことが異常なことなのだろうしな」
「・・・それは、仕様がない・・・それを問い詰めては、彼女は反乱軍リーダーを止める、と何度も言っていたし」
「そこまでして、守りたかったことなのだろうか」
「いや・・・」
ランスロットは少しばかり考える素振りを見せた。
それから
「違う。守りたかったことは、その理由とかではなくて・・・ただ単に、当時は言いたくなかったのだろうな・・・時々、さらっと過去のことを口にするようになってきた。以前は、多分、言いたくなかったのだろう。うう、いや、思い出したくなかった、が正しいか」
「なるほど」
「そうだとはその時はあまり気付かなかったし、今となっては更に見失いがちだが」
ランスロットはそう言って、彼らしくもなく口元を曲げて、言いたくなさそうに言葉を出した。
「普通の少女であれば、恐ろしい過去や、忌まわしい過去を、人に言うことは勇気がいる。今でこそわかるが、きっと、ただそれだけだったのではないかと思えるのだ」
「・・・そうか・・・」
「彼女は・・・ただの、どこにでもいる少女だ。ただ少しだけ心が強くて、剣技に優れていて、経験が豊富で頭が切れる。それを勇者の器といえばそれまでのことだけれど・・・多分、本当は・・・」
「ランスロット」
「うむ」
「そんなことは、俺も、カノープスも、とっくにわかっていたことだ。あの子は、ただの、心がまっすぐで優しい女の子だ。そうでなければ、あれほどの力を持っていながら、何のひねくれた所もなく、何の画策もなく、我々を正しく導こうと力を尽くせるはずがない」
ランスロットはギルバルドを見つめた。
「生まれ持って、そう教育されているわけでもない。そんな、血の盟約を彼女は持ってはいないはずだ。そして、我らにとっての屈辱となったあの25年前、彼女はまだ生まれてもいない。また、帝国の圧政に苦しんでいたという話すら、ソニアから聞いたことはない。なのに、あんなにも心まっすぐに、我らの行く手を示そうとする彼女は」
「・・・ギルバルド」
「勇者ならば、当たり前だと。そう言う人間もいるだろうな。しかし、それはどうかと思う。本来、そういった称号は、実ありきのこと。初めから勇者と呼ばれる人間が、そう呼ばれるに値する行いをすると、誰が決めただろう」
「確かに」
「あの子の一番の強さは、心のまっすぐさなのだと俺は思うのだ。我らは、知らず知らず、それにとても助けられている。そうであることが当たり前だと誰もが思う、考え違いをしてしまうほど、それが彼女の長所であり、特性だ」
「そうかもしれない」
ふっとランスロットは、悲しげに微笑んだ。
「わたしよりも、余程ギルバルドやカノープスの方が、彼女について詳しいようだ」
その言葉に、ギルバルドは呆れたように、彼にしてはめずらしく、直接罵りの言葉を口にした。
「まったく、この石頭の聖騎士ときたら」
その声音は、決して心底の嘲りを含むものではない。むしろ、愛情が含まれた言葉だ。
「俺はしばらくマラノにいて、そちらの様子もわからない状態だった。ようやく合流したと思えば、ソニアはなんだか痩せているし、お前は皇子と彼女の間でなんだか案配が悪そうだし、見ていてこちらの胃が痛くもなる。そんな案配の悪そうな人間に、あの敏感な子が腹を割ると思うか。あの子はお前のことを好いているから、むしろ頼れないのかもしらんぞ」
ランスロットは、ギルバルドからのその言葉に、内心相当に動揺をした。が、それを出来るだけ気取られぬようにと神経を使い、わざとゆっくりとした口調で聞き返す。
「わたしを?彼女が?」
「好いているだろうさ。なついているというか。なんというんだ。皇子が参軍したことで・・・ううん、あれか。生まれたばかりの弟に、親を取られた子供のような状態というか」
「ああ」
ギルバルドの返事に、いささかほっとしたように、ランスロットは表情を緩めた。
「まいったな。先ほど、ソニアに・・・父親のようだと言われた」
「はっはっは、むしろ俺の方がその年齢だろうが、ランスロットが言われてしまったか」
小声ではあるが、明るくギルバルドは笑った。
「そろそろ、寝たらどうだ」
「・・・眠れるか、自信がないな」
「もし、ソニアが明日まで調子が悪ければ、もっと仕事が増えるだろうさ。寝るといい」
「しかし、ギルバルドにも、こうやって早く起きてもらったのだし」
「悪いと思うなら、今すぐに仮眠をとって、また交代に来てくれ。その方が余程ありがたい」
「ああ、そうしよう。二刻ほど寝させてもらう」
ランスロットはギルバルドの提案に素直に従おうと、立ち上がった。
灯りの届かない壁側のベッドでは、ソニアが静かに寝息を立てている。発熱による苦しみや、腹痛を訴えることもなく、熟睡しているように見えた。
たくさんのことを知ってしまったし、考えてしまった。
けれど、彼女が起きて、また言葉を交わしたとき。
いつもと、何一つ変わらずに接してやらなければいけない。
そう思いつつ、ランスロットは部屋を後にするのだった。

ソニアの部屋から出て、ランスロットは自室へと向かって通路を歩いていた。
当たり前だが、通路の空気はとても冷たい。
(寒い場所では、空気がとても透明だ)
だから、星が綺麗に見えるような気がする。
とはいえ、吹雪くことが多い永久凍土では、いつもいつも星を観られるわけではないと思える。
(星を見る、とウォーレンは言うが、それは、星空を眺めるということとは違うのだろうな。では、星が見えづらい場所では、占いは出来るのだろうか、出来ないのだろうか)
などということを、突然ランスロットは考えた。
そもそも占星術士であるウォーレンは、一体どういう時に星を観て、そして、感じ取るのだろう。
空の動きと、人の動きにどういう結びつきがあるのか、ランスロットはいくら考えても理解が出来ない。
流れ星が流れれば凶事が起きる、なんていう迷信と、ウォーレンの占星術は、どの程度の差があるのだろう。
まあ、何はともあれ、ウォーレンが旧ゼノビアにおいても、その占星術の力によって、いくらかまつりごとに口を出していたらしいということをランスロットは知っているし、それは、グラン王の意向でもあったようだ。
占いというものは万能ではない。
万能であれば、あの25年前の戦も回避できただろうし、グラン王も死なずに済んだのだろうし。
そう思えば思うほど、一国の主が、「占星術士」に気を取られることは、馬鹿馬鹿しくも思える。
馬鹿馬鹿しくも思えるが、すべてを否定するつもりもランスロットにはない。
ただ、「わからない」と思うだけだ。
それでも、ウォーレンは、シャロームに誰かが辿り着く、と預言をしていた。
そして、それは、反乱軍のリーダーになる可能性を秘めた人物だと。
ウォーレンに言わせれば、「そういう人物が現れれば必ずわかる」ものではなく、そう世の中が動く「兆し」をたまたま知ることが出来ただけだという。
そういわれては、余計によくわからない。
それでも、今までウォーレンが口にした「星の導き」だとか「占いの結果」などは、大層な威力を発揮していたし、なんといってもソニアという存在がそれを如実に表している。
であれば。
そのソニアのことを、もう少しウォーレンが知ることだって出来るのではないか。
何か、兆しとやらはないのか。
ソニアは、間違いなくこの大陸の未来を動かす力を持つ少女だ。
その人物が、こんなにも心が揺れ、今までにない壁にぶつかてちるこんな時に、ミザールと会うなんて。
それは、とても危険だと思えるし、曖昧ではあるが「何が起きるのだろう」という不安も強い。
こんな状況で、何かの兆しは、ウォーレンには見えないのだろうか。
見えないならば、いくらかの問題があっても、どうにかなる、自分達で解決出来る範囲ではなかろうかと、いいように解釈したくなる。
朝になったらウォーレンにちょっと聞いてみよう・・・そうランスロットは思ったけれど、ふと、それでは遅いかもしれないな、とも思いついた。
今、特に兆しはないのか。
占星術士というものが眠っている時、空の星は何かを伝えてやいないだろうか。
そう考え、ランスロットは自室にそのまま戻ることを止め、砦の外に向かった。
数名の兵士とすれ違い、軽く挨拶を交わす。
上着のボタンを全て閉めていることを確認してから外の出て、彼は空を見上げた。
案の定、あまり天候がよくないためか、星はわずかにしか見えない。その上、それらを見たところで、彼には何の兆しを感じる力もないというのに。
(・・・馬鹿だな。わたしが、わかるはずもないのに)
部屋に戻ろう。
あまり体が冷えては、寝るに眠れなくなるかもしれない。
我ながら少しばかり間抜けなことをした、とランスロットは思ったけれど、なんとなくそうせずにはいられない、落ち着かない自分のことも彼は感じ取っていた。だから、仕方がないのだろう、と彼らしくない言い訳を自分にする。
頭の奥で少しだけ、けだるい痛みを感じる。それは、睡魔のせいだろうと彼は思った。体は疲れて眠りたがっているのに、なんだか心が落ち着かずに寝ようと出来ない。そんな時に、彼は脳の奥の鈍痛を感じることが多い。
砦に戻って、再度通路を歩いて行くと、ちょうど先の角から曲がってきたばかりの、珍しい人間から声をかけられた。
「ランスロット様」
「ああ、ゾックか。深夜番か?」
ランスロットは、取り立ててそうとは言わないけれど、ゾックを非常に信頼している。
あまり普段から会話をする間柄ではないが、ゾックの誠実な人柄は好感が持てるし、彼の寡黙さは不快に感じない。
「いえ、そうではないのですが。寝付かれなくて。さすがに、明日に響くと困りますので、今から寝ようと思っているところです」
「そうした方が良い」
「昨日、オハラよりシャングリラ行き部隊から外された話を聞いたのですが」
「・・・ああ、そのことか。それは、まだ保留にしておいてくれないか。ソニア殿から、実はわたしもまだ詳しく聞いていないのだ」
あまり言いたくはないが、という表情でランスロットはゾックに答えた。
それに関してゾックは何の感想ももらさず、声をかけてきた本題らしきものに入った。
「それと、その、関係はないのですが」
「何か?」
「差し出がましいことを申し上げるようですが、その・・・オハラの部隊から、わたしを、外していただけないかと思いまして」
「何だって?」
突然のゾックの申し出にランスロットは驚いた。頭の痛みを忘れて、声を軽くあげる。
「何か、不満があるのかな」
「いえ、不満ではないのですが」
慌ててゾックは手を左右に振る。それすら、まったくオーバーアクションではなく、本当にゆっくりと、けれども重苦しくない、ゾックらしい穏やかな動きだ。
「少しばかり、オハラの・・・プリンセスの力の恩恵を受けることに馴れすぎた気がするのです。少し、あの力から離れて、その、冷静に自分だけの力で戦いたいと思ったことと・・・ご存知のとおり、わたしはサムライマスターですので、後列より攻撃を繰り出すことになれば、幾分自分に威力が返って来るソニックブームを行使することになります」
「ああ、そうだな」
「プリンセスであるオハラは、最近相当に危険な戦いでも出陣をしていると思います。しかし、残念ながら、癒しの術を使う人材が部隊にはいません。あのように戦の回数が増えながらもプリーストなどがいない状態を続けるのは、わたしにとっても少しばかり最近負担が大きいというのが本音です」
「なるほど、プリンセスの力の恩恵を受け、攻撃速度があがればあがった分、ソニックブームを打つ回数も増えるしな。そうなれば、君がソニックブームの反動で痛手を負う回数も増えるというわけだ」
「今のところは、基本的に前衛でオハラやテリーさんをかばって闘ってはいますが、時と場合によっては、後衛に下がることもありますから・・・出来ることであれば、わたしではなく、ヒーリングを使えて、かつ戦力にもなるパラディンをオハラ隊に投入することが、良いのではないかと思えるのですけれど」
「それは、考えなかったわけではないよ。けれど、プリンセスという力に慣れないオハラがしきる部隊員としては、君が相当に適任だと本当にわたしもソニア殿も思ったのだ」
ランスロットは優しくゾックにそう言って、彼の肩をぽん、と叩いた。
「しかし、まあ、君が言うこともわかる。それに、テリーとタロスの組み合わせを考えれば、やはり回復役が一人いるといないでは違うだろうな。いつかは、編成を考える必要があるとは思っていた。本音を言えば、タロスでは不安もあるゆえ、ドラゴンを投入してはどうかとも思わなかったわけではない。が、テリーがな。ああいう人物がオハラの傍にいてくれると、こちらとしても大分ありがたく・・・あ、いや、君がどうこうという意味ではなくて」
「わかっております」
ゾックは苦笑を浮かべた。
ランスロットも少しばかり苦笑まじりの表情で、ふっと息をつく。
「実は、一度くらいはわたしも、オハラの力を体感したいと思っているのだけれど。とはいえ、わたしがオハラの部隊に入るわけにもいくまい。ビクターに入ってもらうのも、良いかもしれないな。わかった。少し考えてみよう」
「自分勝手を申し上げ、まことに・・・」
「いや。勝手ではないだろう。声をかけてくれてありがとう。検討してみる。この地は体に負担がかかる。よく眠って、また明日よろしく頼むぞ」
「はい。おやすみなさい」
ゾックは礼儀正しく一礼をした。ランスロットも、それに丁寧な返礼をする。
ゾックの後ろ姿を見送っている最中、ランスロットは頭痛を感じて、目を細めた。
――話が終わったと思えば、これか――
彼にも、一刻も早い睡眠が必要なようだった。


初めて、自分の体が女性として目覚め、子供を産む用意をしている、と事実を知ったあの日。
まだ、本当に少女と呼べる年齢だったソニアの傍らには、父親と、気のいい男達しかいなかった。
弓を手にして、獣道を歩いている途中、突然やってきた体の異変に、彼女は立ちすくんだ。
何だろう。
小用を足したい感触ではないのに、今、何かが出てきた。
もう、寝小便をする年でもなかったし、父親についてきて村の外での集団生活をしていれば、そんなものはあっという間にしないようになっていた。だからこそ、ソニアは、自分の体のその違和感を敏感に察知した。
そうっと、腰、尻の辺りに手をやって。
なんだ。これ。
濡れている。
それが、最初の驚きだ。
周囲に誰もいないことを確認して、気丈にもソニアは、自分に何が起こっているのかを確認しようとした。
しかし、その生理現象について知識がほとんどなかったソニアは、自分の体内から出てきたおぞましいものに嫌悪を抱いた。
半泣きで、震える声で父親に報告をした。
それへ、男親である彼は、驚くほどに冷静に
「それは、お前の体が、子供を産む準備を始めたということだぞ」
と教えてくれた。
子供を産むのに、何故、今から準備をしなければいけないのか。
そして、何故、体の中から、子供ではないものを排出しなければいけないのか。
ソニアはまったく理解することが出来ず、ただただ、その気持ち悪さと戦うしかなかった。
その時から今まで、月のものを歓迎する気になったことなぞ、一度足りとない。
初めてか、めでたいな――そんな風に周囲の男達に冷やかされ、いっそうソニアは頑なになった。
それに、父親が言うことはもっともではあったが、現実問題としては、ソニアの困惑に何の対処もしてくれやしなかったのだ。
体から出てくる、この血のようなものを、どうしたらいいのか。
こんな状態で、動いてもいいのか。
どれくらいの期間、それは続くのか。
何一つ父親はよくわかっておらず、結果、「じゃあ、村にとにかく戻ろう」ということになり、三日三晩の旅をして、故郷の村に父親と戻ることになった。
その間も、初めて受けるおぞましい感触にソニアの心は揺れ、緊急処置として何枚も重ねて履いた下着のおかげで、摩擦で胴周りを赤くし、散々だったことをよく覚えている。
村に着いて母親に事の次第を話すと、母親はソニアに対して祝いの言葉を述べた。
と、共に、初めて月のものが来た女の子に、三日三晩もの旅につれまわすとは何事か、と父親はこっぴどく怒られたものだが。
「ソニア、最初はよくわからないかもしれないけれど、そのうち、わかると思うから、言っておくわね」
「うん」
「お前はまだ子供だから、当然、赤ん坊を作るのはまだまだ先のことだと思うわ。それでも、あなたの体は、もうこうやって、男性を受け入れる用意を始めたのね」
確かに、意味がよくわからない、とソニアは思った。
「赤ん坊作るのがまだ先なんだから、これも、始まらなくていいのに」
そうつまらなそうに言うと、母親は困ったような顔をソニアに見せた。
その瞬間の「あ、言っちゃった」という気持ちをなんだかよくソニアは覚えている。
ソニアは、自分の妹もまた、そのうち同じような気持ちになるのだろうか、と考えた。
女である限りは、避けて通れないのだから、それは当たり前だと思った。
けれど、妹はソニアと違って、きっと、母親のすぐ近くでその「初めて」を迎えるのだろう、とも思ったし、実際それは的中した。
「ソニア、確かに、赤ん坊を作るのはまだ先。お前の心もまだまだ幼い。子供が子供を産んで育てることは、あまりにも難しい」
「そうだよね」
「でもね。ある日突然、「今日からいつ子供が出来てもいい」とか「これからいつだって母親になれる」とかね、心の準備が整うわけではないのよ。まだ、とても幼いお前のもとに、この月のものが始まったのはね。こうやってそのことについて考えて、いつの日かのために少しずつでも心の準備をしなさい、という呼びかけ。その「いつか」まではとても長いかもしれないけれど、ね」

そうだ。
なんだってそうなんだ。
突然の変化に戸惑うけれど、それは表面上のことで。
本当は、もっともっと、ならなければいけないこと、やらなければいけないことは、深く、遠く、まったく今の自分と違う形のものなのだ。
だから、それを煽る何かが必要で。
女性としての目覚めを心はまったく受け付けていないけれど。
それでも、体は、いつの日か来る「その日」のために、彼女に警告を放って、心の準備を少しずつしなさい、と促す。
それをしたくなくて、目をつぶって。
いっそ、そうでなければいいのに、なければいいのに、と思っても、体はソニアに語りかける。
準備をしなさい。
あるいは。
ちゃんと、向かい合いなさい。
心と。

ちゃんと向かい合って。
覚悟を決めて。
自分が、「そうなるため」に、心がついていくように。
それは、自分で自分を促す、何かの儀式のようにも思える。
例えば。
とても欲しい剣があって、それを手に入れた時。
その剣を振るうには自分の技量は足りないけれど、いつか・・・。
そんな風に、夢を見るだけではなく、それが手元にあることで、とても現実的に努力が出来るのではないか。

考えなさい。子供を作れるとはどういうことなのか。
女性であるというのはどういうことか。

考えなさい。

力を手に入れるとはどういうことなのか。
帝国を滅ぼすというのはどういうことか。

なんだ。
同じことじゃないか。

ソニアは、夢から覚めて、ゆっくりと瞳を開けた。
暗闇の中、冷たい空気で鼻先が冷えている。
冷たい髪の毛を顔からどけ、もぞもぞと布団の中に顔を半分入れて呟いた。
「・・・洗礼を受けたから、反乱軍リーダーになったわけじゃない・・・力を得る洗礼を受けたからといって、そこで得た力が全てではない・・・」
視線だけで窓の外を見ると、まだ暗い。月の光すら差し込まない夜だからそう思うだけで、本当は結構朝方なのかもしれない、とソニアは思う。
先ほどオーロラが来るまで灯されていた灯りは既に消されていて、暖炉に少しだけ残っている炎が、室内の唯一の光だ。
そうだ。
火がついているということは、室内にまた誰かがいるかもしれない。
そう思いついて、慌てて上半身を起こし、目が慣れるのをゆっくりと待つ。
誰もいないことを確認して、ソニアは息を軽くついた。それから、そっと自分の腹部に手をあて、もぞもぞと下半身を動かし、出血の具合を確かめた。経血はとりあえず服から漏れていないようだ。
初めての頃は、なんだかものすごい量の出血が続き、そこいらをふらふら歩くことがままならない時期もあった。
月のものによって、ソニアは時に父親の仕事に参加が出来なくなっていたため、仲間達は自然と、彼女の体の周期も知っていた。
それは、今思うととても恥ずかしくていたたまれないことだ。
(つってもなぁ、今また急に始まっちゃったら・・・普段着てる服、着られないだろうしなぁ)
いつもソニアは、体にぴったりとする素材で作られたスパッツを穿いている。
しかし、月のものが来た以上は、そういう恰好でいるわけにはいかない。
あからさますぎるな、と思い、ベッドの上でソニアは深い溜息をついた。
大事を考え、スカートを穿いて、さらに下穿きを着用しなければいけないだろう。
(月経帯、嫌なんだよなぁ〜・・・)
薄暗い室内でそんなことを考えていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。
「失礼する」
小さな声と共に扉を開け、男性が室内に入ってきた。逆光のため一瞬顔が見えなかったけれど、ソニアには声だけでわかる。
「ランスロット」
「ああ、起きていたのか・・・小さく、灯りをつけて良いかな」
「うん」
ソニアは素直に頷いた。
かたん、と小さな音。
ランスロットが動くことで聞こえる、わずかな衣擦れの音。
ほわっと温かな小さな光が灯され、ベッドから離れた小さな机の上にそれは置かれた。また、彼が手にしていた陶器のコップも同じく机に置かれる。
それから、ランスロットは暖炉に薪をくべてから、ゆっくりとベッドに近づいた。
「熱はどうだ」
「・・・あ、熱・・・そういえば」
「忘れているくらいだったのかな。ならば、下がっているだろうか」
ランスロットは、ベッド傍に置いてあった椅子に腰を下ろした。そこは、つい先ほどまでギルバルドが座っていたのだが、そのことをソニアは知らない。
それから、ランスロットはそっと手を伸ばして、ソニアの額に手のひらを当てる。
ソニアは嫌がらずに素直にそれに従い、瞳を閉じた。
「下がった、ような感じだが・・・ああ、失礼するよ」
「うん」
それから、更にランスロットはソニアの首筋に手を添え、腫れなどがなく、熱ももっていないことを確認する。
「腹痛はどうだろうか」
ランスロットは声音を変えずに穏やかに聞いた。その問いは、ソニアに「話を聞いたよ」と暗に告げている。ソニアもそれは覚悟はしていたことだったので、静かに答えた。
「今は、しない」
「そうか、それはよかった。腹は減ってないか」
「うん。特に減ってない。ランスロットは、寝ていないのか」
「ああ、もう、仮眠をとって、今交代したばかりなのだ。心配しないでくれ」
「心配する」
「心配してるのは、こちらだ」
それは、確かに。
そう軽口を叩こうとして、ソニアはうまく言葉を出すことが出来ない。
「声が、少し掠れているな。喉は痛むかな?」
「いや、口開けて寝てて、渇いただけだと思う・・・」
ソニアはぐるりと首を回した。
体がだるい。
けれど、それは倒れた時のような、全身の力が抜けて気が遠くなるような、そこまでひどいだるさではない。
まだ少し体の芯に、風邪の素が残っていてへばりついているような感じがする。
「もう一度寝れば、だいぶ良くなっていると思う。まあ、腹痛は明日も続くかもしれないけれど」
「そうだろうな。オーロラが、そなたが着る服を、明日相談してどうするか決めようと言っていた」
「ああ、あたしも今、そのことを考えていた」
「そうか。そこまで考えられるなら、大分元気が出てきたと解釈してもいいのかな」
「うん。薬草茶が良く効いたのかもしれない。明日全快するとは思えないけど、みなに助けてもらえば、ミザールとの話し合いに行くくらいのことは出来るだろう・・・ああ、でも、あれかな・・・魔獣は、月のものの最中の女子を嫌うと聞いたことが」
「大丈夫だ。空を飛ぶ魔獣は、その限りではない・・・もう一度、薬草茶を飲みたまえ。起きるかもしれないと思って、持ってきた」
そう言ってランスロットは椅子から立ち上がり、灯りの傍に置いた薬草茶の器を手にして戻ってきた。
ソニアは手を伸ばしてそれを慎重に受け取り、静かに口をつけた。
「・・・ランスロットは、怒っているか」
「何について?この土地で、風邪をひくのは、どうしようもないことだろう。そなた以外にも、体調を崩している兵士はたくさんいる。褒められたことではないがな」
「それではなくて」
「なんにせよ、月のものが来て、よかった。それに、そのことについて相談されても、わたしは何の力にもなれやしなかっただろうし」
先回りをしてランスロットはそう答えた。ソニアは、薬草茶のコップを両手で持ったまま、ランスロットを見つめた。
小さな灯りに照らし出されたソニアの頬は、いつもよりもかなり紅潮しているようにランスロットには見えた。
「自分が女なのだと、改めて思い知らされた」
しかも、それが、男性から告白された日だなんて、あまりに恥ずかしくて苦々しい。
ソニアは心の中でそう呟いたが、言葉にすることはとてもではないが出来なかった。
「動揺して、ランスロットをないがしろにしたような気がする。悪かった」
「いや、それは気にするようなことではない」
こうやって言葉を交わしていると、ランスロットはとてもいつも通りで、そして、少しだるいけれど、自分もいつも通りで。何の変化もないようにソニアには思える。いや、思いたかった。
「オハラの部隊のことを、怒るつもりだったんじゃないか。あたしが倒れる前に」
「ああ・・・そのことか」
具合が悪いわりには、ソニアはかなり回復したように、いつもとあまり違いのないペースでランスロットに聞いた。
「部隊編成のことで、そなたが事後承諾にしようと勝手に動くなんて、めずらしいことだったな」
「いや・・・それは・・・」
ソニアは、理由を言いたくないと思った。けれど、ランスロットには何かしらの言い訳をしなければいけない。
倒れる前に、言い訳は考えていたはずだった。
最近はオハラ隊に頼ることが多かったため、それをよく思わないものもいる、だとか、そんな話で言い逃れようと思っていた。
けれど、深い眠りを挟んでしまった今、ソニアはその程度の上辺だけの言い訳を、すっかりと忘れてしまっていた。
口篭もったソニアのことをどう思ったのか、ランスロットは、彼の方から話を進めた。
「シャングリラに連れて行く、連れて行かない、はともかく、提案があるのだが」
「うん?」
「ゾックを、オハラ隊から外そうと思うのだが」
ランスロットの口から放たれた、あまりにもソニアにとって予想外のその言葉。
ソニアは驚きのあまりに、息を吸い込んで、目を見開いてランスロットを見る。
それから、震える声で
「何か・・・ゾックから・・・聞いたのか?」
と、なんとか言葉を返すことが出来た。しかし、その声は、つい今まで平静に話をしていたソニアの様子からはうって変わったもので、いくらランスロットとはいえ、ソニアがなにかしらの動揺をしていることぐらいはわかったに違いない。
いつもの彼女であれば、即座に「どういうことだ」とか「理由は?」とか、とても端的で当たり前の返事をしたはずだ。けれど、ソニアは、どうしてもそう答えることが出来なかった。
ただ、心が焦って、言葉にしてしまっただけなのだ。
ランスロットは、彼にしては少しばかり思わせぶりな口調で、ソニアに聞く。
「ソニア。そなたが、オハラ隊を、シャングリラへ連れて行かないことにしたのは・・・」
それ以上の、ランスロットからの追求を聞きたくない、とソニアは深い溜息をついた。
バレている。
でなければ、ランスロットが突然、ゾックのことを言い出すはずがない。
ソニアは観念して、自分から口を開いた。
「少し、ゾックから離れたかったんだ」
「・・・」
「意識してしまう」
そう言って、ソニアは、ランスロットから視線を外し、軽く顔を伏せた。
彼女のその様子にランスロットはたいそう驚いているようで、ただ、彼は
「そうか」
とだけ返した。
いたたまれない気持ちになって、ソニアは、もう一言添えずにはいられなかった。
「個人的な感情に振り回されたことは、謝る。でも、どうしても、駄目だったんだ」
ソニアは、ランスロットからの何の返事も待たないで、そのまま布団の中にゆっくりと潜りこんだ。
動作が緩慢なのは風邪のせいではなく、経血の出血を気にしてのものだ。
ランスロットは、潜りこんだソニアの掛け布団が曲がっていることに気付き、それを直しながら声をかけた。
「悪かった。まだ本調子ではないそなたに、執務に関わることをべらべらと話してしまって・・・もうすぐ、朝が来る。もし、そなたの体調がもう少し整ってミザールの元に行くことになれば・・・迷惑でなければ、わたしもそなたと一緒に行こうと思う」
「ランスロットが?皇子の部隊に、と言っただろう」
「皆から言われてな・・・わたしも、その方が良いとも思ったし。そなたは本調子ではないから、誰か癒しの術の使い手が共に行く方が良いと思うのだ。しかし、正直、ギルバルドとコカトリスでは、何かがあった時に戦力としては足りない。だから、わたしが」
「・・・そうか・・・」
困る、と言おうとして、ソニアはなんとかその言葉を飲み込んだ。
こんな時にランスロットと一緒に行動するなんて。
それは、いつもならば、とても嬉しいことだっただろうに。
「ランスロット、あたしは・・・」
布団の中で、もごもごとソニアは呟いた。
「うん?何か言ったか」
「・・・なんでもない。ランスロット、もう結構調子いいから、これ以上ついていなくていい。ランスロットも、仮眠だけじゃなくて、もう一度ちゃんと眠ってくれ」
そう言って、ソニアは空になった器をランスロットに押し付けるように渡すと、顔を毛布の中に突っ込んだ。
月のものが来て、普段と違う体になって。
それを、自分が好きな男に気遣われながら、進軍することになるなんて。
ソニアは、とても単純に、それを「恥ずかしい」と思った。
寝る、ともなんとも言わずに、逃げるように布団の中に入ってしまったけれど、彼は許してくれるだろう・・・ソニアは、とんでもない甘えをランスロットに見せているけれど、それに自覚はない。
ほんのわずかな後、閉じたまぶた裏でも気付ける小さな光が、不意に消された。
それから、ランスロットが動いて、ドアを開けて、通路に出て行くそれら全ての音が耳に響く。
閉められたドア。遠ざかる音。
布団の中で、その一つ一つの音を何度も何度も反芻するように思い出して。
ソニアは、泣きたい気持ちにかられた。



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モドル