空に還る-8-

気温の低い朝に、無理な運動は禁物だ。
とはいえ、最も寒い夜や早朝に敵が攻め入ってこないとは限らない。
寒さに身を縮こまらせて、なかなか布団から出られない兵士も多かったが、こんな時だから、とむしろ普段よりも早起きをする人物がいた。
「さすがに、朝の寒さは堪えるわね」
ラウニィーは、厚手のブーツを履き、皮の手袋をした状態で、砦の中を歩いていた。
彼女は寒さに強いわけではないが、張りつめた冷たい空気は好きだ。
「やあ、ラウニィー。早くから、まさか、鍛錬かい?」
「皇子、おはよう。そちらこそ、こんな朝っぱらから」
通路で出くわしたのはトリスタンだ。彼もまた、この永久凍土の寒さから体を守るため、防寒具に身を包んでいた。
「うん。兵士達の士気が下がり気味のようだから、早朝番の見張り兵に声をかけてきたところだ」
「この寒さじゃね。でも、今日はいよいよ攻め入るんでしょ。わたしはシャングリラ行きだから、この砦を守るんだけど、あなたは出るのでしょう?」
「多分ね。実は、昨晩からソニアが熱を出していて」
「まあ!」
ラウニィーは声をあげてから、周囲をきょろきょろと見回した。
石造りの通路には人影がない。もうすぐ完全に朝になるというのに未だに暗いため、通路の灯りは一晩中灯されている。あまりの寒さに、いつも彼らが使っている油では凍ることがあるため、永久凍土ではいくつかの種類の油を混ぜたものを灯りのもとにしている。
ほんのわずかの灯りでも貴重なこの地では、蝋よりも安く入手できる油が一番よく使われている。
その、いくつかの油が混ざった匂いが、冬の冷たく透き通った空気の中、ラウニィーの嗅覚を刺激した。
くすん、と軽く鼻を鳴らして、ラウニィーは「失礼」と苦笑いをトリスタンに見える。その様子にトリスタンも口端で笑みを見せた。
「だからね、彼女の具合如何で、僕の役割も変わると思う」
そう言ってからトリスタンは「内緒だよ」と、口元に指を持っていった。彼女もそれを心得ていて
「なるほどね。だから、あなたが朝っぱらから起きてきたわけか。ソニアの代わりに」
「まあね・・・彼女はいつも、朝が早い。突然それがないと兵士は心配するだろうから・・・僕が代わりに早く起きていれば、それはそれで、なんとなく言い訳が立つというものだ。しかも、今朝は比較的天気が良いし、尚更だ」
「要するに、トリスタン皇子は普段はソニアほど早起きしてないってことよね」
「それは認めるよ」
「なのに、早起きしちゃって、頑張ったわね」
ラウニィーはそう言って笑い、軽く右肩をあげて見せた。
その可愛らしい仕草を見ながら、トリスタンは憮然とした表情になる。
「あら、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
(頑張ったわね、か。自分で思うのもなんだが、ゼノビア皇子になんてことを言うんだ、この女性は)
トリスタンは笑い声を漏らした。ラウニィーは何がおかしいのかわからないようで、不思議そうにそれを見ていたが、どうして笑ったのかは追求をしなかった。
「ねえ、ソニア、痩せたわね」
「・・・そうかな?」
「そうよ。痩せたわ。ああ、あなたは一緒にずっといたから、気付いてないのかな」
「申し訳ない」
「体力落ちてないのかと、ちょっと心配してたのよ。ただでさえ小柄なんだから、たまにはおいしいもの食べさせて、精をつけてくれなきゃね。あなたは、少しだけ太ったわね」
「そ、そうかな」
「そうよ。逃亡生活じゃなくなって、気が大きくなって食も太くなったってわけ?」
手厳しいラウニィーの言葉に、トリスタンは苦笑をするだけだ。
彼が困惑の笑みを浮かべたのを見て、ラウニィーは自分の発言をふと思い返し、ちょっとばかり毒舌だったかな、と反省をしたようだ。
「ごめんなさい。あなたを苛めたくて言ってるんじゃなくて」
「わかってるよ。実のところ、僕もね、体を動かしている方が性に合うのだけど、立場上なかなかに。もし君がよければ、朝の鍛錬で相手をしてくれないかな」
「いいわよ。その代わり、筋を痛めないように体をゆっくり起こさないとね。寒いところは、初めてでしょう?」
「ああ。君は?」
「ここほどじゃないけど、小さい頃から何度か、父に連れられて寒い地方には行ってるわ。いつもより長く準備運動をした方がいいの。だから、本当は寒い場所にいるなら、いつもより少し早く起きて体をゆっくり十分ほぐさないといけないのよ」
「ふむ。確かにそうかもしれない。気をつけることにするよ」
「あなたって、素直なのね。随分」
「え?変かな?」
「違うわ。褒めたの」
そう言って、ラウニィーは手に持っていた、鍛錬用の細身の槍を、くるりと片手で回転させて笑顔を見せた。


オーロラがアイーシャを連れてソニアの部屋に訪れた時、既にソニアは目を覚ましており、もぞもぞと布団の中で丸くなっていた。
見ると、暖炉の火がかなり広がって燃えている。
一度ベッドから降りて、ソニアが薪を足して火を広げたことは明らかだった。
「汚れた布を取り替えるのが、いちいち面倒くさい」
と、どうしようもないことをオーロラに愚痴って、ソニアは布団から体を出した。そんな文句が言えるほどに回復したことは、喜ばしい。すっかり熱は下がっているようだ。
「お話は、オーロラさんからお伺いしましたわ」
アイーシャは優しくソニアに笑いかけ、持ってきた衣類を手渡した。
「いくつか、お持ちしました。どれか、お気に召せば良いのですけど」
「ああ・・・戦いに着ていく服か」
「戦いに限りませんけれど」
手渡された服をベッドの上に広げて、自分の膝の上に並べてソニアはじろじろと見た。
基本的にどれもこれも、スカートのようなものと、その下に穿く、裾をブーツに入れる形の長ズボンの組み合わせだ。
「コットは、デザインがそう多くないのですが」
「コット?」
「こういう、一つながりの服のことですね」
アイーシャが説明をしてくれるが、ソニアはよくわかっていない。
とりあえず、上着からスカート部までが一続きになっているもの、分かれているもの、のどちらかが好きなのかと聞かれて、ソニアは困惑する。が、上下が分かれた服ということは、上下の組み合わせを考えて着る必要があるというわけで、それは面倒に思える。結果、ソニアは上下が分かれていない服がいい――それが、先ほどアイーシャが言った「コット」という服なのだが――と2人に言った。
「上下に分かれているものは、スカートが羊皮のものがあるんです」
「ああ、そうか。上下つなぎだと素材が一緒だしな・・・」
ソニアはそう呟くが、正直服飾にはあまり関心がない。
裾があまり長いと困る、とだけ呟いて、結局はかなりぞんざいに、ワンピース型の服を選んだ。
ソニアにはめずらしく「よっこらしょ」と掛け声をかけてベッドから降りる。
「・・・足に、力が入らないな」
アイーシャは軽く小首を傾げて、穏やかな声で答えた。
「それは、病み上がりですから」
「そうか」
「わたし達は外に出ますから、着替えてみていただけますか?」
「いや、二人共寒いだろう。いいよ。暖炉の前占領するけど、こっち向かないでくれれば」
そう言うと、ソニアは服を持って暖炉の前にぺたぺたと歩いて行った。ふと見ると、裸足のままだ。アイーシャは驚いて
「ソニア様。靴を」
「だって服着替えるんだもん。どうせさ」
それへはオーロラも苦笑をして
「足先から冷えるんですから、覚えていてくださいね」
「着替えたら、すぐ履く」
そう言って、ソニアは寝巻きを脱ぎ捨てた。慌ててアイーシャとオーロラは壁の方を向いて、こそりと2人で話を続ける。
「折角着替えているところ、順番がおかしくなってしまいますが・・・お湯を持ってきて、体を拭いた方が良いかもしれませんね」
そうオーロラが言えば、アイーシャは即座に同意をする。
「確かにそうかもしれませんね。汗もかいていらっしゃるでしょうし」
そんな2人の耳に、呑気なソニアの声がすぐに聞こえた。病み上がりのせいか、その声にはいささか張りがない、とオーロラは思う。
「おーい。この服でいいぞ」
「あら。お似合いですわ。丈がちょうど良いようですね」
ソニアは、襟元が少し高くなっている、膝上丈のスカートまでつながっている服を選んだ。スカートの下には当然下穿きを着用し、裾をブーツに押し込んでいる。
「ボタン嫌いなんだけど」
そう言って、腰までの前立てに隠されているボタンが気になるように触る。
「その服だと、髪をアップにした方が可愛らしいですね」
「面倒なことは嫌だ」
あっさりとそう言い放って、ソニアは自分の服を慣れないようにじろじろと見る。
「今、お湯を持ってきますから、お体を拭くと良いと思いますよ」
「悪いな。正直、ちょっと気になってたんだ」
そう言ってソニアは照れくさそうに苦笑をする。
「おかしいよな。昔は、かなりの日数体を拭かないままでも、ちょっとかゆいなー、程度であんまり感じなかったんだけど。最近、そういうのが気になるんだよなぁ」
「わかりますわ。わたくしも、旅をしていた時は、それが当たり前のことが多かったのですが・・・一度、湯あみが出来るのが当たり前の生活になってしまったら、たまには湯や水で汗を流したくなってしまいましたもの」
アイーシャはソニアに同意をする。
永久凍土に来てからというもの、女性兵士達は不便さに辟易していた。
この地域に入ってからすぐに、ソニアは「女性兵士は、寒いと何か不便なことが増えるか」と聞いて回ったが、一番の問題は洗髪だった。体は汗をかけば布が吸い取るし、布でこすれば垢もとれるものだが、頭皮から分泌される油分はどうしようもない。
川やそこいらで髪を洗うことなぞ、この寒さの中出来るわけではない。
とはいえ、どこに置いてある水桶の水も、それはもうすさまじい冷たさで、そんな温度の水で髪を洗えば、すぐさま風邪をひくに決まっている。
女性兵士が全員髪を洗えるようなぬるま湯を沸かすことも出来ず、仕方がないため、大鍋に湯を沸かして、桶の中でぬるま湯を作る。それに浸した布を絞って、髪と頭皮を拭くのが関の山だ。
唯一の女性部隊長であるアイーダは、永久凍土に入る前に香草を袋いっぱいに詰めて用意しており、ぬるま湯に香草を浸すことを皆に教えてくれた。
アイーダといい、ノルンといい、植物に詳しい人間は、時折みなが驚くような知識を披露してくれる。(まあ、ノルンが知っていた薬草の知識については、たまたまだったといえるのだが)聞けば、アイーダの両親は、草木染めを生業としており、最近は布に香りをつけることも多いのだという。
ともかく、洗髪が不便になると、今度は香油で髪の匂いをごまかそうという発想になるわけだが、反乱軍がそんなものを用意して女性兵士に配るわけもない。
それでも、ソニアがことあるごとに「女性は男性と違って、なにかと不便だし」と心配してくれることに、多くの女性兵士はありがたいと心から思っていたし、事実、助かっていた。以前のソニアは、まるで男性側のように「女の人が綺麗だと嬉しいもんなぁ」なんて軽く口にしていたのだが、だからといって、男性がそういう心遣いを出来るわけはない。ソニアのそれは、明らかに女性特有の気遣いだ。たとえ、本人がそういう意識がないとしても。
「お湯をお持ちしますわ」
とアイーシャが言えば
「アイーダさんから、香草をいただいてきますわね」
とオーロラが言う。
その2人の気持ちが嬉しくて、ソニアは素直にそれを頼んだ。
慌てて2人が部屋から出て行くと、ソニアは一度服を脱いで、寝汗をじっとり吸い込んだ寝巻きを手にとった。
そのまま着るのもあまり気分がよろしくない、ということで、暖炉に向けてそれを乾かすように広げる。
(脱ぐ前にすりゃよかったな・・・)
と思った途端、くしゃみ一つ。
面倒になって、半乾きで、妙な温かさだけが移った寝巻きをばっさりとかぶった。
それから、出血を確認して、月経帯に挟み込んだ布と動物の皮を取り替える。それらは二重にした布袋にいれて、部屋の隅に置かれたゴミ容器に放り投げる。
「面倒だなー、女って・・・」
溜息をついて、椅子に座って暖炉に足の裏を向けた。
ぱちぱちとはぜる音を聞きながら、窓から空を見る。
2人がきたということは朝なのだろうが、陰気な永久凍土の空は、直感的に時間を伝えてくれない。
(こんなところに、元天使長が、男を待ち続けているのか・・・)
こんなところ、と言ってはいけない。
そうソニアは自分を恥じた。
気候の変化によって、苦しんでいる人々も、それでもこの地を捨てられずに健気に生きているのだ。
けれども、それは、この地に愛着があるからだとか、ここから出て行くほどの力がないからだとか、それぞれに理由があることだ。
ミザールは。
(あまり、男女の、それとかあれとか、そういったものは、よく理解は出来なかったけど)
今でも出来ないけれど。
ゾックが自分に向けた、心の底が見えそうな、あまりに真摯な瞳。
いつも冷静な彼が、ソニアにぶつけてきた感情。
それらに、ソニアは揺れた。
自分がゾックをどう思っているか、とか、自分が誰を好きだとか――それは、間違いなくランスロットなのだが――を除いて考えても。
(自分勝手なものだが・・・あれが、嘘偽りのものだと言われたら、少しばかりショックかもしれないな)
そう思えば、ミザールの気持ちがほんのわずかだけでもわかるような気もする。
それでも、ノルンと話したように、世界を狂わせるような恋愛は許せないと思う。いや、それは他人を責める物ではなく、もしも自分がそんな恋愛をしたら、自分自身を許せないだろうと、ソニアは感じた。

「ミザールは、叶わなくとも良いと思っていたのかもしれません」

「ただ、愛する男の役に立ちたい。それだけなのではないかとも思えます」

なんだか、自分は感傷的だ。
ソニアは物思いから脱出しようと、自分で自分の頭を軽く何度か叩いた。
と、ちょうどその時
「おおーい、生きてるか」
コンコン、とノックと共に、間が抜けた声が聞こえた。
「開いてるぞ」
「おっ、起きたか。どーだ、調子は」
ばたん、となんの遠慮もない調子で入ってきたのはカノープスだ。椅子に座っているソニアを見て、明らかにカノープスはほっとした笑みを浮かべ、どかどかと近寄ってソニアを上から覗き込んだ。
ソニアもまた、そんないつも通りのカノープスを見上げて、ほっと息を軽く吐いた。
「うん。熱は下がった。ちょっと、なんというか、足がふらつく感じとか、けだるい感じはあるけど・・・その、あれだ。えっと。月のものがきて」
一応報告をしておいた方が良いかな、と思い、ソニアがそう言うと、カノープスは一瞬きょとんとして、それから慌てたように
「え。あ。そうなのか。うわ。なんだ、朝から、どう返事すりゃいいかわかんない話されちまったぞ。まいったな・・・なんだ、その。おめでとうっていうもんなのかな?そりゃ」
なんてことを言う。
そのカノープスの阿呆な受け答えに、ソニアはたまらず笑い出した。
声を出して笑いすぎて、途中で咳き込み、カノープスは慌ててソニアの背をさすることになってしまうのだが。
「なんだよ、もう。しょうがないだろ・・・前も言ったと思うけど、そういうのが・・・その、俺たちと、どういう感じで違うのか、よくわからないんだもんよ・・・悪かったな!」
「あはっ・・・はは。いや、悪くない。むしろ、ありがたい」
「ん?」
「ありがとう。カノープス・・・ちょっと、ほっとした」
「何が」
「いいんだ。こっちのことだ」
そういって、ソニアは軽く手を左右に振って見せた。
笑っている声が時々掠れるのは、寝ている最中に喉が渇いてしまったせいだろう。
「待て待て、なんだそりゃ・・・こら。何甘えてるんだ、お前。なんで、いっつもそうやって、わけわからんまま俺を困らせるんだ」
「わけがわかられても、こっちが困る」
「なんだ、それは!俺の身にもなってみろ!」
そうカノープスは言うけれど、怒っているわけではない。そんなやりとりですら、よく知った仲だからこそ出来る探り合いなのだ。
ソニアは椅子に座ったまま、カノープスの腹の辺りに頭をつけた。
そして、俯いて黙る。
しばらくの間、ただソニアはカノープスにそれを「許してもらえる」と信頼しきったように、静かにしている。
やがて、カノープスは諦めたように、それ以上は何も聞かず、ぽんぽんと軽くソニアの肩を叩いた。
それを合図のように、ソニアは顔をあげる。
「・・・カノープス、ありがとう」
「よくわからないけどよ・・・どういたしまして」
カノープスは、情けない笑顔をソニアに向けた。
「ありがとうついでに、なんなんだけど」
「ん?」
一方のソニアは元気が出たのか、カノープスを見上げてにやりと笑みを浮かべた。
そういう笑みを見せる時は、ろくなことがない。そう知っているカノープスは、嫌そうに聞いてみた。
「なんだよ」
ソニアはけろりと答える。
「これから着替えるんだ。出て行ってくれるか?」
ほーら来た、とばかりに、カノープスは口を尖らせて
「・・・なんかよくわからないが、お前、俺に感謝してるわりには、扱いがぞんざいじゃないか!?しかも、何が、ありがとうついでだ!」
「あはは」
「心配しなきゃよかった」
「ごめん」
「謝ってるぐらいなら、さっさと風邪治せよ。調子もどったつっても、鼻水出てるぜ」
「!」
ソニアは慌てて鼻の下をこすった。
カノープスはその間にさっさとドアに向かって歩いて行く。その背に向かってソニアは叫んだ。
「鼻水なんか出てないぞ!」
「バーカ、ひっかかりやがって」
「くそ!」
明るく笑い声をあげてから、カノープスは逃げるようにドアから出て行ってしまった。
ソニアはもう一度鼻の下をこすり、カノープスが出て行ったドアをじっと見つめた。
(カノープス、本当にありがとう)
どう伝えて良いのかわからない感謝の念に、ソニアは心のうちが満たされてどうしようもなかった。
まるで、何一ついつもと変わりがないように振舞ってくれるカノープス。
多くを語らなくても許してくれるし、語れば語ったで最後まで聞いてくれる。
ソニアにとっての彼は、気安いけれど、とても信頼がおける兄のようなものだ。
旧ゼノビアの魔獣軍団に所属していたとはいえ、今の彼はそういったしがらみが関係ないように振舞う。だからこそ、ソニアにとってはとても気持ちが楽な相手なのだろう。
出会いは、反乱軍リーダーとしての出会いだったけれど。
今となっては、ソニアが反乱軍リーダーだろうが、なんだろうが。選ばれし勇者だとかなんだとか。それとは何も関係なしに共にいる間柄に思える。
そして、もしかしたら、ソニアがそう体感している、唯一の人物なのかもしれない。


疲れが少し残っている。
ランスロットはそう思いつつも、いつもよりもわずかに遅く起き、身支度を整えた。
夜中にニ刻ほど仮眠。そして、朝方も二刻ほど。
彼の年齢は、そういった分断された睡眠が、少しだけ体に堪えて来る頃合だ。
旧ゼノビア騎士団として、帝国の追っ手から逃れるように生きてきた今まで、その程度の睡眠で一日中動き回ることには馴れているはずだった。しかし、最近、組織が大きくなってきた反乱軍で、彼はあれやこれやの雑務に追われ、気苦労にも更に追われることになっている。疲れが残りやすくなったのは、年齢的なことだけではないだろう。
(もっと、鍛えなければな)
ぐるりと首を回して、まるで細胞を起こすように自分の体を軽く手でさすった。
ソニアの調子はどうだろうか。
朝一番に考えることがソニアのことなのは、久しぶりな気がする。
マラノでウォーレン達と合流してから、今現在のゼノビアのことやら、皇子のことやら、言い方は悪いが、裏であれこれとウォーレンと話し合いを進めてきた。反乱軍での役割を果たしながらも、ゼノビア復興の準備を進めることは、かなりのエネルギーがいる。
正直、マラノにウォーレンを置いてアンタンジルまで行っていた方が、ランスロットとしてはありがたいことだった。たとえ、トリスタンが同行していたとしても。
だからといって、それは、ウォーレンがいるのが面倒だということではない。むしろ、ウォーレンには感謝しても足りないというのがランスロットの本音だ。
(そうだ、ウォーレンに)
ソニアのことについて、星のお告げとやら兆しとやらが、何かないか。それを聞こうと思っていたのだ・・・ようやくそれを思い出し、彼は腰に剣をつけた。
それから。
(ソニアが、ゾックを意識してる)
明け方のやりとりを思い出し、眉根を寄せた。
意識しているということは、どういうことか。
決まっている。
あんな心許なげに、恥ずかしげに、そして辛そうに。あの少女が言葉にしたからには、それはきっと。
ランスロットは小さな溜息をついた。
彼女が、誰かを好きになることは、もちろんありえることだ。
ソニアが女性であることを忘れていたわけではない。
それどころか、嫌というほどそれを昨晩思い知らされたではないか。
そう思えば、ランスロットが知ってしまったあれこれの事実は、あまりにも彼にとって衝撃的なことばかりだ。
思いも寄らないほどに、痩せていたソニア。
そして、それに気づかなかった自分。
女性への変化を見せていたソニア。
そして、それにも気づかなかった自分。
しかも、それだけではない。
女性のあるべき体の働きが、精神的な圧迫か何かで止まっていることを、彼はまったく知らされていなかった。
それは仕方がないことだ、と言い聞かせなければいられない、その疎外感にもランスロットは驚いていた。
更には。
あんなに彼女は近くにいるような気がしていたのに、彼女は、まったくランスロットが考えもしない男性を好きになっていたわけで。
(もしかして、気付かなかったのは、わたしだけなのだろうか・・・)
彼女が痩せたことを、カノープスもギルバルドも知っていたように。
彼女が、女性の体に近付いていることを、カノープスが知っていたように。
「しっかりしろ」
声に出さなければ、いてもたってもいられない焦燥感を感じ、ランスロットは自分を抑える言葉を音にした。
思い出すのは、天幕から出てきたゾックの姿。
その後、自分はソニアと何を話しただろうか。
そうだ。永久凍土に行こうという話をして。
彼女は、少し照れくさそうな表情で。

「いつも、もどかしいよ。伝えることは難しい」

下世話なことを考えている、とランスロットは、心の中で自分自身を叱責した。
そして、ついつい考えてしまうそのことを、どうにかして頭から振り払おうとした。
しかし、それは非常に困難で、どうしようもなく彼は堂堂巡りのようにソニアのことを考え続けてしまう。
(もしかしてゾックは・・・ソニア殿が、自分を好きだということを、知っていたのかもしれない)
ソニアは、ゾックに伝えたのか。
もしかして。
そして、それを受けて、ゾックは自分をオハラ隊から外すようにと言ったのだろうか。
自分さえいなくなれば、ソニアと共にオハラがシャングリラに行けるのだろうと考えたのかもしれない。
彼は思慮深い若者だ。それは、十分有り得る。
いかにも、な理由を話しつつも、真実はそういうことなのかもしれない。
(想像だけを、どんどん広げていっても、それは意味のないことだ)
ひとまず忘れよう。
ランスロットは、身支度に落ち度がないことを確認してから、一度深呼吸をした。
今の自分がやらなければいけないことは。
体調が万全ではなく、心が揺れるソニア。
彼女の傍で、彼女を守ることだ。
帝国軍から守るのはもちろんのこと。
それから、過去のミザールとの因縁とやらのせいで、彼女が自分自身を苛んだり、見失ったりすることからも。
旧ゼノビア騎士団という立場を忘れ、皇子をないがしろにするつもりはない。
ただ、そう言い聞かせなければ、ソニアに対して冷静ではいられないような気がしていたのだ。
それが何故なのか、という、根本的な問題に向き合うほど、深く考える余裕が今の彼にはない。


昨日からの予定は変わることがなく、朝から部隊長達を集めての軍議が行われることになっていた。
そこにはソニアも、いつもと変わらずに姿を現し、まる一晩中臥せっていたことを気取られないように、出来る限り元気に振舞っていた。とはいえ、時々鼻水をすすっていたり、いつもよりも喉が渇くようで、茶をしきりに飲んだりはしていたが。
「何も予定を変えずに、昼前には様子見に出てもらう。今日明日は、吹雪も収まっているだろう予測がたっているしな」
一同はそれに了解の返事をした。
「それから、オハラ。変わらず、オハラ隊はシャングリラ行き候補に入ってくれ。ちょっと昨日は考えることが合ってな。惑わせてしまって申し訳なかった」
「えっ・・・あ、はい、わかりました」
驚きながらもオハラは返事をした。ソニアはきびきびと話を続ける。
「ただし、部隊員の構成は変更がある。それは、午前中にはランスロットが決めてくれるだろう」
「あ、ああ、そうだな」
ランスロットもまた、ソニアの言葉に驚き――確かに、その話をしていたのはランスロットの方からだったのだが――わずかに口篭もった。
主要な人間は、ランスロットが昨晩あまり眠っていないだろうことを予想していたので、「朝だからといってぼんやりしているな」と、口に出す者は誰もいない。
「では、昨日の打ち合わせ通り。変更点はない。あ、いや。あれか。あたしの部隊が」
「そうだな。皇子の部隊と、ソニア殿の部隊の編成が、若干変わる」
そうランスロットが言えば、トリスタンがすぐさま
「君が、ソニアの部隊に入るのだろう?」
と、先読みをしたように言う。それへ、ランスロットが返事をするよりも先に、トリスタンは言葉を続けた。
「その方がよさそうだと、僕も思ってね」
「そうなると、編成は・・・それと、シャングリラにランスロット殿は行かれることになるのか」
いささか驚いたようにアッシュが言うが、それに即答出来る人間はいなかった。
ギルバルドも、ランスロットに自分と一緒にソニアのサポートに入れ、と言ったものの、シャングリラについてまでは気にもしていなかったようで―というと多少語弊はあるが、なるようになる、程度にしか考えていなかったのは事実だ――難しい表情を見せた。
「わたしが貴殿の代わりに残ることが出来ればば良いのだが、そうもいかぬだろうし」
「アッシュ殿」
「部隊長という肩書きをいただいている、という形ではわたしの汚名が晴れているとはいえ、人々の見方はまた違うものだからな。手薄になった皇子のお傍に、わたしがいるというのも、あまり良いことには思えぬ」
そのアッシュの言葉に、誰よりも早く反応をしたのは、他ならぬトリスタンだった。
「何を言うかと思えば」
「皇子」
「むしろ、僕が貴殿を傍に召抱えていれば、更に貴殿の汚名は晴れると思うのだけれど。その方が、後々お互いのためにはなるんじゃないのかな。ゼノビア復興は、僕一人の手には余る目標だ。それに、貴殿が力を貸してくれるならば、早いうちにそういった因縁を、潰した方がお互い身軽になれて良い」
「しかし」
「虎の威を借りるのもなんだけど、ソニアのおかげで手を組むことが出来た天使長に、真実が明かされた元ゼノビア王国騎士団長。その上、アイーシャ殿もいてくれるのならば、なかなか僕は恵まれている。民衆に対しての宣伝効果も込みでね」
アッシュは、それには同意をしかねる、という表情で、ううむ、と小さく唸った。
トリスタンの言う「宣伝効果」における「真実が明かされた元ゼノビア王国騎士団長」と言う肩書きは、彼にはあまり嬉しいことではなかった。なにやら、それでは見世物のようにすら思える。
しかし、トリスタンが言うことはそう間違いでもなかったし、後々のことを考えれば確かに賢い選択かもしれない・・・そこまで思いつつも、アッシュは心からありがたいとは思えなかったに違いない。それでも、そこは年の功、苦笑いを軽く見せながら
「どういう形であれ、皇子からの信頼に応えぬわけにはいきますまい。それでは、わたしはシャングリラには攻め込まず、地上でソニアの帰りを待つといたしましょう。いくらおいぼれとはいえ、またの機会に天空行きを延ばせるほどの余命はあることでしょうし」
と同意の言葉を返した。それへは、ウォーレンが笑いながら
「何を言うかと思えば。このおいぼれの方が、いつだって天空に行ってみたいと思っておるというのに」
「おお、そういえば、確かに」
年配者達がそんな会話をしていると、ランスロットがばつが悪そうな表情で
「そういう話になってしまうと、これはまた・・・既に天空に行ったことがあるわたしは、行きづらくなってしまうものなのですな・・・諸先輩方にお譲りするべきかと思えてくる」
と呟いた。その様子がまったく生真面目で、ランスロットらしければランスロットらしいほどに笑いを誘う。
おかげで、一同はどっと笑い声をあげ、場の雰囲気が緩和した。
ソニアもようやく笑いながら
「まだ、フォーゲル様の元にもいかなきゃいけない。今のところ害がない様子だから、なんやかやで後回しになっていたけれど。その時は、アッシュもウォーレンも行くか?ああ、でも、皇子も行きたいでしょうね?」
「うん、行ってみたいものだけれどね。そうもいかないだろう。いつか、この戦いが終わったら、スルスト様に頭を下げて連れて行ってもらおうかな」
なにやら、天空に行きたい人間大募集、というかのように、あちらこちらから声があがる。
これから出陣だというのに、この緊張感のなさはなんだ・・・とウォーレンは苦笑をしつつ、一同に
「天空に行くのは、遠足ではありませんぞ!」
と、言い放った。
もちろん、「そんなことはわかっている」と無粋な反論をする人間は誰もいない。
その上、行きたくなくても常に行かなければいけない立場のソニアが、まったく関係がないように
「はーい」
と答えて、いっそう人々の笑いを誘うのだった。


昼前に出発した部隊は、ワイバーンとスローンズを中心とした敵部隊に早々に遭遇した。それに続いて、敵軍はグリフォンとスローンズの部隊と、空を飛ぶ者達が多く出兵しているようだ。
この極寒の地、吹雪いている時は空を飛ぶものもそうそうスピードを出すことなぞ出来ない。むしろ、目印をつけづらいため、吹雪に巻き込まれ、目標を見失って遭難しやすい。
とはいえ、反乱軍は地の利がないため、出陣には晴れている日を選ぶしかない。
それを逆手にとって策を弄して攻めてくるのではないかと思ったが、帝国軍側も正攻法だ。
ミザールとラシュディの契約のせいで、多くのスローンズ達が帝国軍としてバルハラから戦に出ていることがわかり、ソニアは苦い顔をする。ミザール本人がその契約に対して後悔しようとも、破棄されない限り、天使達はラシュディに帝国軍に力を貸し続けなければいけない。
砦の守りには、サラディンとラウニィーが入った。その後ろにはスルストとオハラの部隊が控えており、かなり力強い。
フェンリルはいつも通りプラチナドラゴンを率いて、淡々と出陣をした。その後を追って、アイーダ隊、ガストン隊が出陣する。それから、シャングリラに行かないことになったアッシュの部隊を、トトが中心になって率いていく。
更には、ユーシスが含まれているトリスタンの部隊が、ソニア隊より先に出陣をした。彼らにはよくよく、深追いをしないという約束をさせた。トリスタンの身の安全も必要だが、何よりも、ソニアがミザールと会う前に、ユーシスとミザールを接触させたくないというのが、ソニアの本音だ。
寒さに負けずに、レイモンドやキャスパー、スチーブなどが、斥候や連絡役となってよく働いてくれている。
ソニアは自分が出陣するタイミングを計るため、入ってくる情報をひとつも漏らさずに聞こうと集中をした。しかし、体に残るだるさのためか「悪い、もう一度言ってくれ」と聞き直す場面もあった。
「ランスロット、ウォーレン、あたしに聞き漏らしがないか、注意してくれ」
とソニアは言うが、それは言うに及ばず。
ランスロットもウォーレンも、それは心得たものだ。
ソニア本人は気付いていないかもしれないが、聞き逃した時にソニアは生返事をして、その後から「ちょっと待て」と止めることが多い。
その「ちょっと待て」が出遅れている時に、ランスロットもウォーレンも、念押しのため、聞いた報告内容を口頭で繰り返す。
そうすれば、ソニアが自分で聞き漏らしたとわかっていようが、わかっていなかろうが、嫌でも二度同じことを聞くことになる。
報告者に対しても、ソニアの調子があまりよくないことを悟られずに済む最良の方法だ。
「そろそろ、出た方がいいかもしれないな」
昼を回って、二刻。
ソニアはぼそりと砦の一室でそう呟いた。
戦っている兵士に見られたら怒られてしまいそうだが、ソニアは暖炉の前で椅子に座っていた。
それは、体を温めているのではなく、火の中に石を入れ、焼け石を作っているのだ。
石をいくつかいれた袋を懐に入れておけば、かなりの間熱を保ってくれる。それが、体温を維持するためにもっとも手軽で有効な手段だ。
「敵の部隊を壊滅させるというより、バルハラ方面に追い払っているような闘い方をして、どんどん前進している。トトに持たせた焔の剣が多少なりと役立っていればいいんだけれど」
「ゴエティックのドイルも出ていることだし、そちらも役に立っていることじゃろう。サラディン殿に出ていただけると楽なのだろうが」
「っていうか、ウォーレンが出れば楽なんじゃない?ウォーレンだって魔法使えるんだしさ。なんで皇子の部隊に入らなかったんだ」
とソニアが今更ながらの質問をする。
茶化すような調子も入っていたのだが、それに対するウォーレンも、相当に適当な相槌だ。
「うむ、まったく。活躍の場を見せられず、非常に残念ではありますが。まあ、ここまでのおいぼれになれば、外気の寒さに飛び上がって、体が凍えて詠唱一つ出来なくなるに違いない。またの機会としましょうぞ。もう少しばかり、温かい場所で」
「もー、都合が悪い時だけ年寄りになるんだから」
そうソニアは笑った。
そして、笑い声が消えたと思うと、真剣な眼差しでぴたりと動きを止める。
息を潜めて、彼女の様子をランスロットはじっと見詰めた。来るぞ、と彼は心の中で、彼女からの言葉を待つ。
と、次の瞬間。
「出るぞ」
ソニアは、険し声音で言い放ち、暖炉から焼け石を取り出そうと屈んだ。ランスロットも腰につけた剣を手で確認しながら、腰をあげる。
「迂回をして、戦いを出来るだけ避けながらバルハラに向かう」
ウォーレンはそれへ頷いた。
「その方が良いでしょうな・・・ソニア殿」
「うん?」
「そなたの、惑いを、晴らすことが出来ますぞ。強いお気持ちで、臨んでください」
その言葉に、ソニアは動きを止めて、じっと年老いた占星術師をみつめた。そして、ランスロットもまたそんな2人の様子をじっと見ている。
「うん。ありがとう。ウォーレンにそういわれると、心強い。そうする。あとは、腹痛が起きないことを願うばかりだ」
ソニアは小さく笑うと、石を包んだ布を腹部にあて、その上から長い布で二重に巻いて縛った。それから、上着を着て手袋をする。
「行くぞ、ランスロット」
「うむ」
ランスロットは、ちらりとウォーレンに視線を送った。ソニアは気付いていなかっただろうが、ウォーレンはそれへ頷き返す。
いつもよりも少しばかり狭い歩幅で、けれども決して足取りが重いわけでもなくソニアは扉を開け、部屋を出た。ランスロットはその後をすぐに追う。
ぱたりと閉められた扉。
暖炉の火の音を聞きながら、膝の上に乗せた杖についている石を布でこすりながら。
ウォーレンは、その扉をしばらくの間、見つめるのだった。



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