空に還る-9-

ギルバルドが操るコカトリスにランスロットとソニアは乗り、ミザールが待つバルハラへ向かった。
別働隊として迂回をしつつバルハラへ向かうため、長い時間本陣とも、出陣部隊とも連絡を取ることが出来なくなる。
氷と雪に覆われた永久凍土は、「吹雪いていない」からといって日が差すわけではない。
どんよりとした空は、まるで地上を押しつぶすかのように低く感じる。
寒さのせいで、いつもの速度でコカトリスは飛ぶことが出来ないし、実際にいつもの速度で飛ばれては、乗っている人間を襲う寒風は凄まじい。
ギルバルドもソニアのように、焼け石を袋に詰めて懐に入れていた。
また、コカトリスを操る手綱の装着部にも、ところどころ火傷をしないような配慮はしながら、同じように布袋を括りつけている。
それでも、冷たい風を切る翼は無防備で、どれほど寒く、痛くなることか。
ソニア達は帝国軍側の装備を確認したものの、彼らもワイバーンやグリフォンに特別な装備はさせていないようだった。
ギルバルドが言うには、温めようと翼に何かしらの細工をするほうが、寒さに凍えるよりも余程魔獣は嫌がるのだという。
「大丈夫か、ソニア」
ギルバルドはソニアを気遣う。
「ああ。大丈夫。嫌って程厚着もしてきたし」
「動けるか?」
「当たり前だ!」
迂回をしつつ、更に休憩を入れながらバルハラに近付けば、コカトリスの速度でも夜に近い時間になるに違いない。
そうすれば、更に気温は下がる。
バルハラ近くの都市付近で反乱軍が暖を取りたくなると、間違いなく敵方は考えていることだろう。罠をはっていることも十分に考えられる。
迂回をしていくソニア達も、最終的には先に出ていた部隊と合流をすることになる。それは、当然バルハラ近くの都市に限られる。
ソニア達が向かう間に、暖を取れる都市を確保することも、先陣達の役割だ。
侵攻していけばいくほど、進軍をして凍えた反乱軍と砦が近い帝国軍では、反乱軍にとって分が悪すぎる。
それを補うために、プラチナドラゴンを率いているフェンリルに先に向かってもらったというわけだ。
一度都市を帝国軍の手から奪回すれば、こちらも寒さに強いプラチナドラゴンと、そしてなんといっても天空の三騎士であるフェンリルだ。そうそう帝国軍に遅れをとるとは思えない。長距離の進軍とはいえ、年季が違いすぎる。
アンタンジルに続いてフェンリルに出陣してもらうことに、ソニアはいささか申し訳ないという気持ちに襲われた。しかし、それを告げればフェンリルは軽く
「アンタンジルの相手は、わたしにとって因縁の相手ガルフだったのだしね。倒すのはソニアだとしても、正直な話ありがたいことだった。ここでは、ある意味あなたの因縁の相手に会うのだろうから、今度はわたしが手を貸そう」
と、快く引き受けてくれた。こちらこそ心からありがたい、とソニアは思う。
天空の三騎士とはいえ、天の父からの許可が下りない状態では、その実力を発揮は出来ない。
しかし、そんな状態であっても、フェンリルもスルストも、反乱軍の兵士複数人以上の働きをしてくれる。
心強い反面恐ろしくもあり、他の兵士の手前、使い方も難しい。
ソニアの勝手で二人をあれこれと使っているが、それに対して文句を言わずに付き合ってくれることに、いつも感謝の念を忘れてはいけない・・・そうソニアは再認識した。
コカトリスに乗る時は、鞍のようなものについている鐙に足をかけたり、手綱とは別にある紐を胴に括りつけたりと様様な形態をとることが出来る。
しかし、敵に襲われた時に迅速に戦闘態勢に入れるようにする必要があるため、紐を胴に括りつけることは稀だ。
今は、鞍についている鐙に足をかけ、皮の取っ手を握った状態になっている。その状態では比較的姿勢が前傾姿勢になるため、疲れやすいけれども風の抵抗が低く、今日のように寒風の時は身を丸めやすい。
が、ギルバルドはそういうわけにはいかない。
操縦をする人間は、常に一定の体勢で魔獣に安心させ、合図を送らなければいけないため――特に、いつもと環境が違う時は殊更に――寒風が吹こうが、暑い日差しの下だろうが、変わらずにいつもとおりを装っていなければいけない。
これを、下手に寒さに負けて体を丸めたり、腕の動きがいつもよりも小さかったりすると、魔獣が混乱をするもとになる。
ガストンでは経験不足だろうとソニアは悟っていた。そして、目の前にいるギルバルドは、確かにソニアの信頼に足る実力を見せてくれている。
「ギルバルド!」
「なんだ!」
寒風を切って飛んでいる間は、自然と声が大きくなる。
「ギルバルドは、凄い、ビーストマスターなんだな!」
「何を今更!」
照れるわけでもなく、謙遜するわけでもなく、ギルバルドはそう返事をして、寒空の下笑った。
「だから、ソニアが選んでくれたのだろうが!」
「間違いない」
そのやりとりを聞いて、ランスロットはふっと口元に笑みを浮かべた。
よかった、ソニアの調子は、そう悪くはなさそうだ。
その安心の笑みだ。
しかし、ランスロットは、コカトリスの広い背でソニアの斜め前にいるため、その表情をソニアは気付かない。
いつもならば、三人乗りではコカトリスの左右に鐙をつけるが、少しでも前に人間がいる方が、寒風から身を守れるのではないかというランスロットの判断で、二人は片側に寄っている。乗る人間の配置に応じて、取っ手や鐙の位置を変え、コカトリスの飛行に影響がないように調節をするのもギルバルドの役目だ。


バルハラ城の一室で、ミザールは報告に来た斥候を下がらせ、深く息をついた。
それは、自軍にとっての戦況の悪さへのものではない。
来るべき時が、近付いているのだ。
その実感で、彼女は呼吸が乱れる。
天の父を裏切る行為をした時に、こんなに心が乱れただろうか。
ラシュディに、冷たい言葉で眼差しで傷つけられた時に、こんなに心が乱れただろうか。
それら一つ一つの状況で、自分がどうだったのかミザールには思い出すことが出来ない。
思い出せないほどに、その時の自分は尋常ではなかったのかもしれない。いや、それでも、今の心も乱れ方、わななきは、彼女がこれまでに体感したことがないものだ。

天の父にすら勇者として認められている下界の者が、近づいて来ている。
もはや、今となっては天使長だった自分よりも、余程反乱軍リーダーソニアの方が天界に近い人物と言えるのではないか。
彼女の手で討たれるならば、それは下界の者の裁きであり、天界の者の裁きでもあるのではないだろうか。
なんということだ。
この世に、そんな立場を持ち合わせるものがいて。
その者が、自分に会いに来るのだ。
会いに来る?
いいや、そうではない。

(方法は違うかもしれないし、目的は違うかもしれないけれど、ある意味、あの少女はわたしを滅ぼしに来るのだろう)

それも、予想外の速度で、バルハラに向かっているようだ。
反乱軍の進軍の早さに、ミザールは驚きを隠せなかった。しかし、反乱軍の戦い方については、やはり、と内心思わずにはいられなかった。
推測はしていた。
バルハラから出撃している部隊のいくつかは、プラチナドラゴンを含む。プラチナドラゴンは、この永久凍土では力を発揮しやすい、寒さに強い種族だ。体力も高く、部隊の前衛に配置をするのにふさわしいと思えた。
それらの部隊を殲滅させることは、いかに名だたる反乱軍の部隊とはいえ、難しいだろうとミザールは考えていた。であれば、リーダー格となる部隊長を狙い、統制をとれなくなった部隊を追い払う形に持っていくことが無難なところだろう。
確かに、その予想通りの戦い方を反乱軍は見せていた。
が、ミザールはそれについてはもうひとつ、「もしかしたら」と心の奥に秘めている思いがある。
(あの少女が、そこまでの人物になっていたのだとしたら)
いや、まさか。
けれど。
繰り返す自問自答に、回答を与えられるのは彼女自身ではない。それを知りながら、ふとした瞬間、また考えてしまう。
(反乱軍リーダーソニアは、天使達のことを思って、多く犠牲者を出さないようにしているのではないか)
残念ながら、というべきなのか、ラシュディから託された帝国軍兵士の数は少ない。
それを補うために、スローンズ達が出撃しているけれど、それ自体はミザールの本意ではない。
本来、彼女は堕天使となり、ラシュディとの契約は無効にされるはずだ。けれど、彼女が交わした契約は未だ有効になっている。
それゆえに幾人かの天使達はミザールの契約に縛られ、ラシュディに力を貸すことを余儀なくされている。
反乱軍にユーシスがいれば、その状況を反乱軍リーダーは知っているはずだ。
(ユーシスは、来るのだろうか)
来るに決まっている。
会いたいけれど、会いたくない、と思う。
せめて、自分が深く後悔をして、どうしようもない己の愚かさを呪って、天の父に許しを乞うほど。
それほどに自分の命に、この世界に執着があり。
ラシュディとの契約を破棄出来なくとも、何年何十年何百年と罪を償うことになってまでも、ひたすらに天に帰りたいと強く望んでいるのならば・・・。
それならば、ユーシスに会って、情けを乞えば良い。
けれど、今の自分にはそのような気持ちは欠片もないのだ。
来るべき時が近付いていると感じ、心が揺れているのは、これから自分が辿るべき破滅への道を考えての恐れではない。
わかっていることを、突きつけられるだろう、その哀しみだ。
たとえ、ソニアが引導を渡しにこようと、ユーシスが引導を渡しにこようと、それに抗うほどの兵力がバルハラにはない。
ミザール一人がどれほどの力を持っていようと、それは多勢に無勢というものだ。そもそも天使は、戦う能力に長けているわけではない。それは、ミザールも、ユーシスも、そして、ラシュディもわかりきっていることだ。
この極寒の地で、不思議な縁を持つあの少女がやってくる。
(きっと、彼女は様様な言葉でわたしを弾劾し、何かしらの要求をしてくるに違いない)
戦いをやめろ、とか。キャターズアイを取り返してこい、とか。何を言われても仕方がないと思えるし、何を言われても心が動かないともミザールは思う。
では、何を恐れているのか。
決まっている。
どれほど反乱軍がバルハラに攻撃をしかけても、ソニア自らがやってきたとしても。
「あの人は、来るはずもない」
ミザールは、瞳を閉じて顔を天井に向けた。
彼女の心は、天井を通り越し、永久凍土の空へと放たれ。
そのまま、天へ天へ、自分の過去の居場所へと向かうのか。
いいや、そうではない。
彼女が辿り着きたい場所は、彼女が天使長として君臨をしていたあの場所ではない。
高く高く。いいや、違う。
遠く遠く。
あの男のもとへ。
今ここで、自分がバルハラの一室で立ち尽くしている。
その、愚かでどうしようもない姿を、あの男は想像しているだろうか。
反乱軍が永久凍土にたどり着いたことぐらいは、あの男の耳に届いているに違いないだろうから。
嘲りでも良い。
あの男から向けられる感情が、どのようなものであろうが、もはやミザールは傷つかない。
侮蔑でも、罵りでも、心は麻痺して既に痛まず、受け入れることが出来る。
けれども。
もう、あの男はこの愚かな天使のことを、瞬きの間ですら思い出さないかもしれない。
そう思うことは恐ろしく、そして。
自分がこの世界から消滅をしても、あの男は何も心が動かないのではないか。そして、あの男のこの先の人生に、記憶にすら残らないのではないだろうか。
そう思うと、あまりに辛い。
それから。
そんなことを思ってしまう自分自身も、辛かった。


迂回を続けていたソニア達は、一旦地上に降りて休憩をとった。それは、いつもの進軍で言えば、あまりにも早い休憩だ。
ソニアの命令でも願いでもなくギルバルドが申し出たものだが、それは、コカトリスとソニアを気遣ってのことだ。
自分から休憩をしたいとソニアはあまり言わない。
が、女性の月のものが来ていれば、それなりに彼女は色々気になるだろうし、昨晩熱を出すほどの風邪を引いていたのだから、時々休憩を入れて、彼女の様子を見ることも必要だ。
そのギルバルドの気遣いをソニア本人もわかっており、決して口ごたえをせずに素直に受け入れた。
山と山に囲まれた盆地に近い場所に降り立ち、コカトリスに積んでいた焚き木を使って火を起こす。
コカトリスには他に石をいくつか積んでおり、それをランスロットは下ろした。心得たように、ようやく燃え始めた焚き木の中に、火の邪魔にならないようにと並べる。
また、炭も軽いため彼らは携帯をしている。
これは、空を飛ぶ魔獣で動くメリットではあったけれど、他の部隊は彼らのように迂回せずに、近くの都市から都市へと拠点を移すため、このような形で寒さを凌がなければいけない休憩は少ないと言えるだろう。どっちもどっち、というわけだ。
ありがたいことに、盆地に下りてくる風はほとんどない。
足元はすっかり固く凍りついてしまった雪で覆われている。
コカトリスが休むのに体を下ろすのに、あまりにも雪は冷たすぎる。
「もう少しの辛抱だ。待ってくれよ」
ギルバルドはそう言って、コカトリスをなだめる。
「石が焼けるのには時間がかかるな」
「うむ。それまで、機嫌を損ねないでくれるといいのだが。餌をいくらかやっておく」
「そうだな」
ソニアは少し離れたところに一人で行き、ごそごそと何かをしている。
男二人は、そちらを見ないように見ないようにと努めていたが、予想以上の速さでソニアはささっと二人のもとに戻ってきた。
まさか「早かったな」と茶化すわけにもいかず、ついつい男達は無言になってしまうのだが。
その二人の様子をどう思ったか、ソニアはあっさりとした口調で天候についての感想を述べた。
「風が少なくて助かるな・・・まったく、それでもえらい寒さだ」
「これでは、吹雪いた日になれば、帝国軍側だって攻めることは出来まい」
そのランスロットの言葉に、ギルバルドは肩をすくめた。
「守ることは出来るが、こちらが攻め込めないしな。結局晴れた日がどれだけ続くかで、命運が決まるというわけだ」
それから、三人はしばらくの間無言で、少しずつ広がっていく火を囲んでいた。
やがて、寒さで固くなりすぎた干肉を火で軽くあぶり、凍りついた水を解凍し終わったギルバルドは、コカトリスのご機嫌とをするために火から離れた。
ランスロットは、ちらりとソニアを見た。
起こした火はそんなに大きくはないのに、ソニアは火で体を温めるには少しばかり離れている気がする。
「ソニア殿。もっと近付くといい」
「ああ、うん。大丈夫だ」
「大丈夫ではないだろう・・・震えているじゃないか」
あまり、あれこれと女性が隠したいことを想像するのは下世話だ。
それと知りながら、ランスロットは「月のものの処理をするには、一旦服をとかなければいかないから冷えたのだろうな」と想像をし、ならば、尚更のこと、火に当たらせなければ、と思う。
「少し、辺りの様子を見てくるから、火を見ていてくれるかな」
そう言ってランスロットは立ち上がった。ソニアはそれを見上げて
「ああ、わかった」
と返事をする。
彼女に背を向けてランスロットは歩き出した。
何もない白い世界。
人々は、もともと自分達が暮らしていた都市周辺を行き来するだけで、それ以外の土地に足を踏み入れたってなにひとつ良いことがないだろう。
それほどまでに、どこを見渡しても雪、氷、それだけの世界だ。
その中にぽつんと焚かれている火は、やたらとそれだけが異質なものに見えるほど。
ちらりと軽く振り返ってソニアの様子を見ると、明らかに先ほどよりも随分火に近付いているように見える。
(わたしが、何か気に触ることをしたのだろうか)
火が小さければ、火に近付けば近付くほど、ランスロットとソニアの距離もまた近付く。それは当たり前のことだ。
それが、彼女は嫌だったのだろうか。
小さい体。
もこもことした上着を着ていても、彼女の体は小柄で、まるで逆に服に着られているようだ。
その小さな体の、その胸に秘めた思いが、最近、伝わりにくくなっているとランスロットは思う。
以前は、もっと彼女は口に出していた。
少しずつ少しずつ、口に出せない感情が増えてきて。
何か彼女が言えば、自分が「反乱軍リーダーとあろう者が」と言ってしまうからだろうか。
それは確かにないとはいえない。
もちろん、それだけではない。
いつか、道を違えるかもしれないことをソニアはランスロットと確認をしあった。
けれど、今はその時ではない。その時が来たら言うと約束をした。
約束はしたけれど。
その約束は、自分達の立場を変え、彼女の心を変えたのかもしれない。
嫌な想像ばかりだ、とランスロットは自分に呆れた。
そのどれもが、推測にすぎないことだ。けれど、そのどれも、今彼がソニアにはっきりと問いただせるような内容ではない。
どう言えというのか。今の状態のソニアに。
いつもと変わりなく接すること。それだけを念頭に置いてきたのに、ちょっとのことで自分が揺れてどうする。
ランスロットは瞳を閉じた。
永久凍土の冷気が、彼の顔の皮膚を襲う。
ぴりぴりと肌が悲鳴をあげ、わずかに口を開けただけで口の中が凍りつくような錯覚する起きる。
人は思い煩う時に、こうやって、意味もなくその場に立ち止まってしまう時があるものだ。
いけない。
ここで自分も必要以上に体を冷やしては、彼女に何かあった時に困る。
ランスロットは慌てて引き返し、ソニアの元に戻った。
彼女の気に触らないように、先ほどよりも少し間を置くことを忘れず、火の近くに座った。
「体は、温まったかな」
「うん。大分温まった。ランスロットはどうだ。寒くないのか」
「寒くないといえば、嘘になるな・・・体の調子はどうかな?」
「少し、まだだるいけど・・・ミザールとの謁見までもてば、それでいい。その後の戦いは、あたしは参加する気はないし」
「まあ、そうだが・・・体が辛いのを我慢しないで欲しい」
「わかってる。あんまり無理すると、シャングリラに行くことが出来なくなるし。だから、ほんと、ミザールと会って・・・その後、ぶっ倒れたら、悪いけど・・・運んでくれ」
「もちろんだ」
「出来れば、そうならないことを祈ってはいるんだけど」
ソニアがそう言い終わると、ちょうどギルバルドが戻ってきた。
「おお、寒い。まったく、二度とは来たくない土地だな、ここは!」
「でも、アンタンジルよりはマシだぞ。アンデッドだらけの閉ざされた土地と、氷に閉ざされた人が住む土地なら、間違いなくここの方が良いに決まってる」
「どちらがどうマシだろうと、どっちも願い下げだ」
そう言ってギルバルドは、ぶる、と振るえて上半身を丸めた。
ソニアはその様子を見て小さく笑い声をあげた。と、思えば、すぐにその表情はすうっと消えて、目が細められる。
滅多に見ないそんな彼女の表情に、ランスロットもギルバルドも内心驚いていた。
それは、心の中にある何かの塊を、少しずつ外に吐き出そうと、彼女が心を決めた瞬間の顔だ。
「・・・二人には、言っておこうと思うことがある。時間が勿体無いから、一気に話させてくれ」
男二人は、それに「なんだ」とも「どうぞ」とも何一つ言わず、ソニアを見つめるだけだ。
ソニアは、二人どちらとも目を合わせず、周囲の雪を溶かす、熱を発している焚き火をみたまま言葉を続けた。
「ランスロットはもう知っていると思うが、あたしが反乱軍リーダーになった理由は、帝国の圧政に苦しむ人たちがどうの、とか、そういう、よくある大義名分とかではない。それは、ただの後付けで、父さんが時々口にしていただけのことで、あたしにはなんの実感もない話だ」
「そなたの父上が」
「うん。あたしの父さんは、時々、帝国に狩られている、ランスロット達みたいな、旧ゼノビア残党を逃がす仕事もやっていたんだ。仕事といっても、それは金が手に入るものじゃあないんだけどね。あたし達が住んでいた村はすっごい・・・なんていうんだっけ。そう・・・僻地っていうのかな。それだったから、帝国がどうこう、とかゼノビアがどうこう、とかそんなのは、全然よくわからなかったんだ」
「ほう」
とギルバルドが声をあげる。
「ただ、あたしより余程、あちこち旅をしていた父さんが、帝国のせいで苦しんでいる人々を見ていたらしくてね。どういうルートでどういうやり方でかはわからないけど、そういう・・・ゼノビア残党を逃がす仕事をしていた。それだけ知っている。それらは主に、ランスロット達と違って・・・もう、ゼノビアの看板は捨てて、ただ隠れて生きていきたいだけなのに、騎士団にいたから、とか、貴族の末席にいたから、とか、なんかそんなせいで、生まれ育ちをうまく隠せない人たちって感じだったのかな。まあ、それはよくわからないから、いいとして」
「うむ」
「だから、あの時・・・故郷から追い立てられて、家族で逃げていた時・・・帝国軍に追われてるって知った時、それのせいなのかと最初思った」
それまで、ソニアのそういった過去をあまり聞いたことがなかったギルバルドは、ぴくりと眉を動かした。そして、ちらりとランスロットを見る。ランスロットは「そういうことなのだ。わたしは知っていた」という気持ちを込めて、小さく頷いて見せる。
「でも、追っ手は、父さんじゃなくてあたしを狙っていた。それは、どうやら、帝国軍を討つ力を持つ人間として、何かの預言があったらしくて・・・あたし自身の心積もりが出来る前に、勝手にそう仕立て上げられて、命を狙われたんだ」
ソニアはそう言って、ギルバルドを見た。
「そうだったのか」
「そして、流れ着いたシャロームの教会で、ミザールに会った。そこで、あたしは洗礼とやらを受けて・・・天使と契約を結んで、必要な時はいつでも呼ぶことを約束させられ・・・帝国を倒すという名目で仲間を作って、フェルナミアという場所に行け、と道を指し示された。力を持っても、それをどう使っていいかあたしにはわからなかったから・・・ミザールの言うことを信じて、傭兵の斡旋所にいってビクターとヘンドリクセンを仲間にして、フェルナミアという場所に向かった」
「その頃、わたしは、反乱軍リーダーに相応しい人物が現れたとウォーレンに言われ・・・ゼルテニアで、その様子を伺っていた」
「ミザールは、あたしの身に起きたことを何もかも知っていながら、何もしてくれなかった。あたし以外にも、反乱軍リーダーになる素質を持った人間が、他にもいたのだと教えてくれた」
「何?」
ギルバルドは眉をしかめた。
「25年の間、多分、そういう人物は他にもいたのだと思う。そのたびに、帝国軍の占い師か何かの預言で、殺されていたんじゃないのかな・・・だからこそ、あたしは、本当に選ばれた勇者なのだとミザールは言った」
「馬鹿な!」
声を荒げてギルバルドは怒気を発した。彼がそのように、怒りを外に露にすることは珍しい。
ランスロットはわずかに驚きの表情を見せてしまったが、当のソニアは静か過ぎるほど静かに、軽く顔をあげてギルバルドの方を向いただけだ。
「振るい落とされて、生き残れば選ばれた者というわけか。唯一無二の者になるには、まずは追っ手から逃れろと。それが出来た人間だけに、天使が力を貸すのだというのか。なんだそれは!何のゲームだ!」
「・・・と、あたしも思って、怒り狂った」
ランスロットは沈痛な面持ちで、問い掛けた。
「けれど、天使の道理は、違ったのだろう?」
「そうだ」
「その道理とやらに、そなたは納得出来たから、洗礼を受けたのだろうか?」
「いいや。納得は出来ない。出来なかったけれど、私怨が勝った。あんな、わけもわからないまま命を奪われた仲間や家族のために、力を得て復讐をすることは、恥ずべきことではないと思った。でも、あたしは阿呆だった。本当にあたしが憎む相手は、あれほどのことを知りながら、手助けしてくれなかった、あの天使だったのに。なのに、それすら冷静に考えられなくなるほど、あたしは怒り狂っていて、ミザールが煽る言葉に乗ってしまった・・・帝国軍が、みんなを殺したと。あたし一人を殺すために。この先も、それは続くだろう、と。今のこの世界では、あたしだけが帝国の脅威であり、あたしが立ち上がらなければ、延々と・・・また、新しい反乱軍リーダー候補が生まれ育って、また帝国に追われ、死んで。それが繰り返されると」
「!」
「この先生まれた者達には、素質がいくらあっても何一つ希望はない。何故なら、真に選ばれてしまったあたしがここにいて、生きているから」
「しかし・・・ならば、やはり、帝国の矛先はそなたのみに行くのではないのか」
「万が一の可能性というものがある。素質がある人間を見逃して・・・もし、あたしがある日ぽっくり病気などで死んだら・・・もしかしたら、その、本当の勇者とやらになる資格が、動くかもしれないだろう」
「なるほど」
「であれば、可能性はいくら低くとも、芽が出る前に摘む必要がある」
預言とは何なのだ。
それを人は信じて、人を殺すのか。
ランスロットは胸の奥に痛みを感じた。
その預言らしきものを信じる人間達が追ったソニアは、確かに今、彼らの隣にいて、預言そのままの反乱軍リーダーとして猛威を振るっている。そう思えば、彼にとってはよくわからない預言というものの信憑性を、それ以上疑うわけにもいくまい。
であれば、ミザールからの宣告も、彼らは受け入れるしかないのだろう。
ソニアが立ち上がらなければ、素質持つものが生まれる限り、あの追われた日々のような殺戮は続くのだと。
その恐怖から命からがら逃げてきたばかりのソニアに、ミザールは残酷にも告げたのだ。
それが、ソニアの言う「ミザールの煽り」なのだろう。
「あたしが選ばれたのは、あたしの何らかの力のせいじゃあ、ない」
「ソニア」
「あの日、血だらけになって父さんが知らせに来てくれた。一緒に仕事をしていた仲間達は闇討ちにあって、あっという間に全滅をしたそうだ。そこから逃げ出してきた父さんは、もしかしたら尾行されていたのかもしれないけど、どっちにせよ、あたしがあの村にいることは、遅かれ早かれわかることだった。だから、父さんが駆けつけてくれたのは、悪いことではなかった・・・と思う」
ソニアは、少し小さくなった焚き火を見つめていた。顔を逸らさずそのままで、右手をばたつかせて、近くに置いてあった枯れ木を無造作に掴んで火に投じた。
「家族が残っていれば、捕まってひどいことになるかもしれない。そう判断して、家族で逃げることにした。でも、それは土台無理な話だった。最初に、走れなくなった母さんが、生まれて間もない赤子を抱いたまま、あたし達と別れた。赤ん坊は泣き声をあげてすぐにみつかってしまうし。あたしの赤毛は、母さん譲りだ。みつかれば、間違いなくあたしの親だとバレるだろう。だから・・・多分、母さんはその辺りで追っ手に捕まって殺されたのだと、あたしは思っている」
淡々とソニアは話を続ける。少し体が冷えたのか、軽く体全体を震わせた。
それを見て、ランスロットは焼け石を焚き火から取り出す。
小石を袋に入れ、膝を抱えているソニアの腕の中に、何も言わずにそっとねじ込んだ。
ソニアは一度だけ顔をあげてランスロットを見て、頷きともいえない軽い動きで礼らしい合図を送ると、また、火に視線を移した。
「弟は狩りをしていたから、多少足腰は強かったし、生き物と戦うことも躊躇がなかった。でも、妹は・・・隣の村で勉強をしたり、女の子同士で花畑で遊んだり、本当にただの普通の女の子だった。あたしの育て方に失敗したことに落胆した母さんが、妹をそういう風に育てたいと父さんに懇願した結果らしかった。だから・・・」
「・・・」
「足手まといになっていた。山越えの時に、父さんと妹の体を繋いでいたロープが切れて、崖に落ちて・・・多分、死んだのだろうと思う。あれは、事故のふりをしていたけれど・・・多分・・・」
「ソニア・・・」
胸騒ぎがする、聞きたくない、とギルバルドは思い、ついつい彼女の名を呼んだ。しかし、ソニアは言葉を続ける。
「父さんが・・・少しでも多くの家族が生き残るために・・・妹を・・・自分の娘を、捨てたのだと思う・・・」
ギルバルドとランスロットは、そのソニアの言葉で息を飲んだ。
そんなはずはない、とか、考えられない、とか、何の言葉をソニアにかけることも出来ず、二人はただ、唇を噛み締めてソニアを見るだけだ。
家族であれば最後まで一緒に、と考えるものではないのか。
だから、きっとそれはソニアの思い違いだ・・・。
ランスロットはそう言いたかったが、やはり言葉に出来ずに黙った。
初めに妻と幼子を切り捨てた時点で、ソニアの父親という人物のことが垣間見えた気がしたのだ。
最後まで一緒に、なんてことは無意味だ。
一人でも多く生きるか、全員が死ぬかのどちらかしか道がないのだと、ソニアの父は、培われた嗅覚で判断をしていたのではなかろうか。そう思えば、ソニアの推測はあながち間違いでもないと思えた。
「あたしは、みんなのおかげで、生かされた。シャロームにたどり着いたのも、あたしに何か力があったからじゃあない。父さんが死んで、弟が死んで、その後に逃げたのだって、無様で、生き残りたいという欲にだけ貪欲で、這いずってでも生きたいと思い続けて逃げたからであって・・・何も、他に出来やしなかった。だから、あたしがシャロームの教会にたどり着けたのは・・・みんなの犠牲のおかげだ。一人ずつ死んでいって、最後の番になるまでに時間がかかっただけで・・・けれど、あの場に辿り付いただけで、あたしは、選ばれたなんとかになってしまった。あたしが生き残れたのは・・・選ばれたのは・・・父さんのおかげだと思っている」
そうか、とランスロットは小さく息を吐いた。
白い息が一瞬にして散り、永久凍土の空気と交わる。
私怨だけとは、どうしても思えなかった。
けれど、帝国軍に苦しめられている人々を助けたい、という意気込みは感じなかった。
彼女が、人身御供になったのは。
自分と同じ立場で生まれてくる「かも」しれない、あるいは既に存在している「かも」しれない、どれほどの数いるのかすらわからない・・・そう。選ばれる「かも」しれない人々と、その人々の周囲にいる人間のためだ。
この、気持ちが優しくてまっすぐな少女にとっては、知らない政治のことや、知らない国―と言い切っていいほど、ゼノビアと縁がなかったに違いない―の戦のことや。そういったことは、あまり意味がない。
ただ、もっとわかりやすく。
突然父親から伝えられた、受け入れ難い仲間の死。
そして、一人、また一人と消えていく家族。
それから。
その惨劇の跡を消すためか、焼き払われたらしい故郷。
泣き叫びながら、苦しみながら、体の機能を狂わせてしまうほどの、圧迫感。
そして、ようやく辿り付いた、人心地ついた場所で告げられる、戦慄の事実にうちのめされて。
自分と同じ思いをする人間が、どこかで生まれ、どこかで知らないうちに屠られる。
そんなことがあってもいいものか。
何故なら、自分ですら、自分がそんな素質を持っていることなぞ知りやしなくて。
そうだ。ただ、「知らない」というだけだ。
そして、知らないが故にとても無防備で、何が自分に降りかかってきたのかすらわからず。
わからないまま、また、失われる命がこの世のどこかで生まれ、そして、人知れず消えていく。
ソニアが反乱軍リーダーとして立ち上がらなければ、それはいつ果てるとも知れない、繰り返される殺戮だ。
天使が、脅すのか。
いいや、ミザールにとってのそれは脅しではなく、ただの真実であり、他に意味はなかったのかもしれない。
それでも、心がまっすぐで、優しい心根を持っているソニアは。
ミザールからのその言葉を受けては、運命を拒み続けることは出来なかったのだ。
「そんな状態で洗礼を受けて、よくわからない力を貰った。タロットカードを使えるようになり、何も知らなかったあたしが、人々を祝福し、上級職へ上げる儀式を執り行い・・・ティンクルスターを持つ人間として選ばれ、ブリュンヒルドに選ばれ、果ては光のベルにまで選ばれる始末だ。意味がわからない。父さんのおかげで、みんなが死んだおかげで生き残っただけのあたしが、何故そんな力を手にして・・・ただ仕組まれたように、その力を使う人形として天使にとって都合よく選ばれ・・・その力が大きくなればなるほど、あたしは苛立って、その力を恐れて、嫌悪して、立ちすくむ。気が付けば、何を信じれば良いのかも曖昧になって・・・ミザールが死ねば、あたしの力は消えるのか?その洗礼とやらの効力はどうなっているのか。色んな感情がぐるぐる渦巻いて・・・」
ソニアの話が、少しずつ支離滅裂になっていき、呟きなのか、語りかけなのか、判断が出来なくなってきた。本当は、その言葉達の方がまさしく、彼女の胸の内をそのまま表すものなのだろうとランスロットは思う。
けれど、それ以上彼女が深く己の物思いに没頭するのはよくないことではないか。そう彼は判断した。
「ソニア殿。もう、良い」
ようやく、そこでランスロットはソニアに制止の言葉をかけた。
ギルバルドもそれは同じ思いだったらしく、ランスロットの言葉に戸惑いや驚きなども見せず、彼もまた静かにソニアをいたわる視線を送っている。
「言いたいことは、十分伝わる。何故、今までそなたが頑なに、反乱軍リーダーになった理由を語らなかったのかもわかったし、ミザールとの因縁も少しずつ見えてきた。前置きで言ってくれた通り、今は時間がない。我々は、今聞いた事柄を念頭に置いて、あとは、ミザールとそなたが何を話そうと・・・驚かず、ただ、そなたが納得行くような話し合いが出来ることだけを、願っている。だから、我々を気にせず、可能な限り、ミザールと話すが良い。たとえ、そなたとの会合がミザールの罠であろうと・・・その可能性を無視してでも、行きたい気持ちも、伝わってくる」
ソニアは、ランスロットのその言葉にゆっくりと顔をあげた。ふっと表情を緩和して、小首を傾げる。
「こんな我侭はこれきりだ。ミザールに会いたいわがままを通して、手助けしてくれて、ありがとう。ギルバルド、ランスロット」
ギルバルドは笑顔を見せた。先ほどまでのソニアの話が、彼の心に多少なりと影を落としていることがわかる、少しばかりいつもの彼らしくない、情けない笑みだ。
「礼を言われることじゃあ、ない。それこそ、心に思うことを、打ち明けてくれて、こちらこそありがとうだ・・・出かける準備をしてくる。お前達はもう少し体を温めているといい」
そう言ってギルバルドは立ち上がり、コカトリスの元へ向かった。
いつもならば、ランスロットもソニアも「手伝う」と言って共に行くところだが、今はそういうわけにはいかない。
彼の心の中では何が起きているのかはわからない。けれど、今まで見たことがないほど、ギルバルドはソニアの話で気持ちを揺さぶられているのは明白だ。
彼の情けない笑みは、泣き笑いだ。ソニアは、彼の目の端に浮かび上がってきた涙が見えた、と思った。ランスロットもそれは、薄々感づいていたのだろう。
ソニアのことを思っての涙なのか、ソニアの家族を思っての涙なのか、または、それらとはまったく違う、とにかく何かが彼の心の琴線に触れてしまったことは明白だ。
少なくとも、ギルバルドは容易に人前で泣くような男ではない、と残された二人は知っている。彼について行く事は、彼を辱めるような行為だ。
いつか、このときに何をギルバルドが思ったのかを聞く日が来るだろうか・・・。ランスロットはそんなことを思いながら、彼の背中を見送る。
と、ソニアが小さく咳き込む音に、慌ててランスロットはそちらを見た。
「大丈夫か」
「うん・・・ほんと、話が長すぎたかな・・・まあ、バルハラ城に入ってしまえば、多少は温かいと期待してるんだが」
「長くはない。必要なことだった。そなたのことを、ようやく少しずつ知ることが出来て・・・嬉しいというのは、失礼かもしれないが・・・そなたの、「本当」をようやく聞けて、胸のつかえが少し解けたようだ」
「長かった」
長くはない、と言ったのに・・・と、ランスロットはもう一度言おうとしたが、その言葉が違う意味だったのだと知らせるため、ソニアはすぐさま話を続けた。
「ランスロットに打ち明けるまで・・・今日まで、本当に長かった。あたしは、ただの、ちっぽけな・・・生き延びたかっただけの人間で・・・自分のせいで同じ立場の人間を作って殺したくないという理由で、反乱軍リーダーになって・・・戦では人を殺す偽善者だ。ただそれだけなんだ。それだけだったのに」
ソニアはそう言うと、膝を抱えてまた俯く。寒さを凌ごうとしての姿勢に見えるが、もちろん、そうではない。
続く言葉をソニアは吐き出さなかった。
けれど、なんとなくわかる、とランスロットは思う。
嫌がられるだろうか、と思いながらも、ランスロットはあからさまにソニアの傍に近付いた。
いっそうソニアは頑なに膝を抱え、自分の顔を膝に埋めているようにも見える。
それでも、彼はソニアの間近で、彼女に告げたかったのだ。
「お互い、寒さで声が震えてきたな」
「ああ・・・」
返事はするが、顔はあげない。
「そのままで良い・・・目を合わせろ、など、そんな小言を言うつもりはない。少しだけ聞いてもらえるだろうか」
「うん」
「何も心配しなくていい。反乱軍リーダーになった理由に失望はしていないし、そなたが天使を嫌っている理由もよくわかった。今まで、そんな気持ちを抱きながら、よく頑張ってくれた。今日は、何があろうと、わたしがそなたを守る。ミザールや帝国軍からはもちろん、誰からも。だから、そなたはそなたが思うように行動しても、誰も咎めない・・・咎めさせはしない」
ソニアは静かに顔をあげた。
彼女が見せるせつない表情にランスロットは一瞬戸惑った。
それは、どこかしらすがりつくような、母親に置いていかれた幼子のような印象を受けるものだ。
「信じられない」
「・・・ソニア・・・!?」
「ランスロットが、本当に欲しい言葉をくれるなんて、信じられない」
そのソニアの言葉に、ランスロットは眉根を寄せた。
欲しかった言葉は、どれだ。
もしも、彼女が欲しかった言葉が「これ」ならば。
どれほど深く、彼女の心を傷つけていたのか、自分は痛いほどに知ることになってしまうかもしれない。

あの日。
道を違えるだろうと、風に吹かれながら穏やかに話していたあの日。
彼女は最後まで、酷なことを言い出したランスロットを責めなかった。
それどころか

それ以上は、いい。知っている。自分を苦しめるようなことは、言わなくていい。

どこまで優しい子なのかと、あの日、胸が痛んだ。

ランスロットは驚きと苦渋に満ちた心境の中、膝を抱えているソニアの肩にそっと両手を置いた。
それは、どうしようもなく気持ちが急いてしまったための、彼らしくもない行為だったかもしれない。
「そんなことを言わせるほど、わたしは、そなたの期待に・・・今まで応えられなかったのか」
「そうじゃない。そうじゃないんだ、ランスロット」
ソニアは首を左右に振ってから、赤くなっている鼻をぐすっとすすり上げた。
「何を自分が言ったのか、わかっているのか、ランスロット」
「わかっている」
「ミザールや帝国軍だけではなく・・・あたしを守ろうと言ったのは」
「それ以上は、繰り返してくれるな」
「そんなことを言うランスロットを、見たくなかった。だけど」
ソニアは、自分の肩に置かれたランスロットの手をそっと掴んだ。二人の手はどちらも冷たく、手袋と手袋の感触しかほとんど感じられない。それらは体温は伝えないけれど、お互いの存在を伝えることだけは出来る。
「本当は、ずっと欲しかった言葉だった。ただ、その言葉を発するならば・・・それは、あたしが知っているランスロットではない」
「ソニア」
ランスロットは穏やかに、諭すようにゆっくりと声をかける。
ソニアは聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちがないまぜになっているようで、少しばかり怯えの表情を見せた。
それに気付いていながら、ランスロットは続けた。
「それほどの思いでそなたがここまで来たこと。それに対して、何の感銘も受けず、政治のための一駒と軽んじる行為を誰がとれようか。もしも、それをするならば、わたしが守ろうとしている、取り戻そうとしているゼノビアもまた、わたしが知っているゼノビアではない」
「馬鹿!馬鹿なこと、それ以上言うな!・・・ランスロットがそんなことを言うのを・・・聞きたくないのに。だけど」
だけど。
彼の腕を掴んでいるソニアの手。
その手にぐっと力が入った。
それは、ランスロットの腕をどかそうという力ではない。
強く掴んで、離さないように。
彼ら二人の様子がよく見えないのか、離れたところからギルバルドが呼ぶ声が聞こえた。



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モドル